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斎藤幸兵衛とその継承 - 「原」の目に帰ること
9 月のこけし談話会の二次会で、たまたまお隣になった芝友美さんが、主に集られているのは斎藤幸兵衛型ということだった。私も、山河之響の会などで、笹森淳一工人とお会いすることもあって津軽系に無関心なわけではなかった。なお、押し入れから 2005
年ごろに入手した笹森淳一工人のこけし 10
数本が出てきた。この中にも当然、幸兵衛型と書かれたものあった。
津軽系でも斎藤幸兵衛は人気でしかも数が非常に少ない工人である。『こけし辞典』によると、昭和 8 年に橘文策が頒布した 10 数本と、昭和 9 年に木村弦三が頒布した 20 数本だけという。
各種の図録などで確認できたものは現在のところ 20 数本で、これも上記頒布の 30 数本に比べると、非常によく残っているといっていいだろう。
人気があって残るものは少ないとなると、必然的に復元ということになるが、それを最初に行ったのは佐藤善二であろう。善二は盛秀太郎の弟子でありながら、盛秀型の継承を許されず、やむなく本人型と幸兵衛型を作ることとなった。この善二の幸兵衛型はさらにその弟子に継承されている。
善二の直接の弟子には、長男の佐藤佳樹を始め、笹森淳一、小島俊幸、阿保六知秀、本間直子がいる。さらに孫弟子となると幸兵衛型もけっこう豊富である。
私はこれまで、幸兵衛型にあまり関心がなかった。というのも善二の幸兵衛型の<目>である。矩形というか菱型というか、その独特の目が嫌だったのである。
芝友美さんに刺激されて幸兵衛の「原」を図録でみる限り、けっして嫌な感じはしない。つまりはどう復元するかの問題だった。ここでは『らっこコレクション図録』の 2 点をあげてみる。
この目に注目して欲しい。この向って左の目がいわゆる菱型の目の原点である。これを崩すととんでもない目になって、幸兵衛型と称するものには崩したものが多い。これはすでに善二が崩している。この目に関する限り、幸兵衛の原に帰ることが必要ではないだろうかと思う。
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