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参照いろいろとありがとうございました。 erihiさんすみませんが、もうひとつだけお伺いしたいのですが、宗門は阿部管長による正門堂の破壊、宗門と学会の仲間割れ、細川管長の臨終、阿部管長のお扉開かず等、大聖人様に背く罰がで出ていると耳にタコができるくらい聞きました。そのような事は山門様からするとどうのような見解なのでしょうか?どうぞ宜しくお願い致します。正本堂の崩壊と騒いでますが、ただの解体でありますし、永遠の建物など存在しませんから、解体されたからと言って、浅井会長が何か関係する訳でもありませんし、維持管理での費用も掛かって居たのですから、解体については、問題ないと思ってます。 ただ、心情としては、なぜ解体したのか? と言うのがありますが、その辺の説明をもっと明確にした方が良かったと思います。(当時としては、あれで限界だったのかも知れませんが。)宗門と学会の仲間割れに関しては、私見ですが、成るようにして成っただけだと思ってます。これは、52年路線の影響がありましたし、それ以前の諸問題もありましたが、浅井会長が漁夫の利を得ようと、スケベ心を出したがために、学会・宗門問題が先延ばしになったと言えます。細川管長の臨終のに関しては、浅井会長が騒ぐことでもないですし、あたかも見たような話しぶりですが、詳細に関しては、浅井会長は、思いこみなのか?うわさ話でしか知らないことなので、事実とは大分かけ離れています。阿部管長のお扉開かずですが、年何回も御開扉があり、故障しない機械などあり得ないでしょう。そんな中でただ1回だけの故障で騒ぐ愚かな会長てしか思ってません。他にも扉が開かなかった事がありますが、その時は、その場に相応しくない人物。偽装入信の顕正会員が居たから、扉が開かなかったという話もあります。その時、日顕上人が「この場に相応しくない人がいる。出て行け」みたいな言葉を言ったとか言わないとかですが、それで、その問題がある人物が出て行ったら扉が開いたと言う話があります。ともかく、機械が故障したからって問題ないでしょう。ただ、故障しないようにメンテナンスをするのが相応しいのですが、その辺が業者任せなのか?定期メンテナンスをしていなかったのかは判りませんが、奉安堂が出来てから何百回と御開扉があり、その中での1回のトラブルですから、たいした問題ではないですね。最後に、「大聖人様に背く罰がで出ている」ですが、罰と思ってるのは、浅井会長以下、顕正会員だけでしょう。逆に御遺命守護完結式をして、宗門に復帰できると思っていた浅井会長が、復帰できない方が罰の姿ではないでしょうか?・・・ 本来は、正本堂を解体するとは思って居なかったからあのように、正本堂をと騒いで、いざ解体されてしまって、困ったのは浅井会長ですね。宗門に復帰の可能性は無い。さて困ったと成りましたが、そこで、血脈否定をぶちあげて、これで宗門復帰の道を自分自身で閉ざして、顕正会員からの御遺命守護のあとにという部分をごまかしたといえます。公になって無い事が沢山ありますが、浅井会長は本当に会員を思ってなど居ませんし、会員を騙し続けてる悪人と思ってます。詳細は語れませんが、詐欺師と言えるほどの人物ですよ。
2011年05月31日
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参照こちらから失礼いたします。 erihiさんはじめまして。顕正会におりますが活動は全然しておりません。最近ネットでいろいろと調べてこちらにたどり着きました。いろいろと読むと会は間違いなのかと思うこともあります。できたら教えて頂きたいので何故、宗門の御開扉について会長は営利目的で不敬と言っているのでしょうか?宜しくお願いいたします。BBSの方でコメントを頂きましたが、こちらで回答させていただきます。erihiさん。ご質問ありがとうございます。「宗門の御開扉について会長は営利目的で不敬と言っているのでしょうか?」ですが、営利目的の御開扉としないと、大義名分が立たないからです。 浅井会長は、御遺命の国立戒壇を捨てたから、宗門の御開扉は不敬と言ってましたが、国立戒壇の名称を使用しないように訓諭が出たあとにも、御開扉願いを出してます。そのような事が、ネットとかでも書かれて、情報が広く流布しているので、最近では営利目的での御開扉としてるんです。 この、営利目的てのは、創価新報の学会ネタの追従て感じでしょうね。 宗門では、御開扉に際して2000円の御開扉費用が掛かります。この、お金を取る行為が営利目的としてる根拠だと思われますが、奉安堂の維持管理とかは、戒壇の大御本尊様をお守りするために必要な費用です。この辺のとらえ方の違いとも思いますが、浅井会長は、御開扉を受けることは、今生では叶わないでしょう。それを妬んで、不敬の御開扉と信徒除名になってから散々いってるんですね。この、不敬の御開扉の内容が変化したのは、正本堂が解体されて、正本堂が不敬だからと言う名目が無くなったことも関係してきます。 正本堂建設の話が出て、妙信講時代には、ご供養に率先して参加してます。その頃は、正本堂の誑惑がハッキリ判らなかったからと述べていますが、正本堂の建立した場所が、墓を移動して信徒の不浄な場所に正本堂を建立したとかも言ってます。 この様なことは、正本堂建設の時に判っていたのに、完成したあと。解散処分。信徒除名になってから言い出してるのは、明らかに、恨みからでしかないでしょう。ともかく、浅井会長が不敬の御開扉と言うのは、不敬でない御開扉だと宗門には渇仰恋慕の御本尊様が居ます。大石寺の山内に行った時点で、戒壇の御本尊様に参詣しに来たと扱われています。そうなると、顕正会員の中にも参詣に行きたいって方が出てくるでしょう。それを阻止したいための目的もあるんですね。大聖人様の仏法に顕正会と言う場所で縁をしましたが、この機会にお近くの正宗寺院または、法華講員に話を聞いてはいかがでしょうか?・・・・または、大石寺に一度行ってみるのも良いでしょう。
2011年05月30日
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フェイク1206号より。【浅井昭衛、大震災を予言できず!】 人類絶滅、国家破産などの妄言は止めよ 会員に恐怖心を植え付け教勢拡大を狙う 邪教・顕正会会長の浅井昭衛は「現代の本仏」を気取って、これまで数多くの予言を続けてきた。だが、悉く的外れに終っている。浅井の得意とする予言は、首都圏直下型大地震だが、他にも他国侵逼(特に隣国からの核攻撃、侵略)、自界叛逆『人類の絶滅、経済危機、大旱魃、国家の破産、大疫病など多岐にわたる。 そして、その大難を阻止するには会員を増やすしか道かない、というのが浅井の口癖だが、顕正会員が増殖すると社会にとって有害なだけだ。「下手な鉄砲も数撃ちや当たる」とばかり、繰り返す浅井の予言は、幸いにも一度も当たらない。 特に、この度の東日本大震災、巨大津波、福島の原発事故については全く預言でかなかった。大震災から半月以上も経った四月三日の日曜勤行で『先般の東日本大震災において、誠に不可思議の御守護を頂いた」と喜び「巨大地震、巨大津波を見て心から心配した」と言いなから「なんと不思議、なんと有難いことか」と吹聴する身勝手さだ。 勿論、『あの阪神・淡路大震災の時も予知はできなかったが、浅井にしてみれば、会員に恐怖心を植え忖けて教勢拡大に狂奔させるのが狙いだから、当たるうと、外れようと、一向に構わないのかも知れない。だが、腹黒い浅井の魂胆も知らず、勧誘に暴走する愚かな会員が哀れである。 浅井の外れた予言は無数にあるが、その典型的な事例の一つが小田原地震に関する迷言である。平成十年一月五日、新年幹部会で「小田原地震が年内に間違いなく起こる」と、酔っ払いの戯言のような話をしていた。 「私は仏法の上から、いよいよ大地動乱の時代が来ると思っております。『小田原地震、東海地震、首都圏直下』とありますが、まず第一の小田原地震、恐らく今年、これはもう間違いないでしょう。その予兆、前兆現象はすでに現れております。私はそれを知るゆえに、昨年十二月から心を休めたことがない」テレビ狂で時代劇やお笑い番組に熱中している浅井が、心か休まらないとは滑稽の極みだが、こんな妄言を信じた会員達が血相を変えて勧誘に走り回り、各地で警察沙汰になった。 浅井は小田原地震について同年十一月三十日の総幹部会でも追い討ちをかけて無知な会員を脅していた。 「すでに大地動乱の引き金といわれる小田原地震も秒読みの段階に入った」とまで言い切っていたのだ。久しぶりの顕正会ネタのフェイク紙であるが、ふと気になった部分がある。「大難を阻止するには会員を増やすしか道かない」てあるが、確かに顕正会では、平成25年までに1000万に成らないと、核戦争で人類が滅ぶとか言っているが、良く考えてみると、顕正会が公称人数が増えるに比例して、災害とかが増えているとも言えるのではないだろうか?・・・ 顕正会員が増えると日本が救われるのではなく、逆に日本での災害が増えると思うのだが?・・・・【予言を外した新興宗教の教祖は割腹自殺】 十年以上も「秒読み」していても、幸いなことに予知は外れて「小田原地震」は起こっていない。 昭和国十七年六月関西の新興宗教「一元の宮」の教祖が、大地震の発生を予言して外れた責任を感じて割腹自殺を図ったことがあった。 この教祖に比べると、浅井には信仰者としての信念も良心も責任感もない。 もし、あると言うならば、潔く割腹して会員に詫びるべきではなかろうか。新聞ネタのラストをと思ったのだが、記事の中で気になるところがあって、調べながら書いていた。しかし、間違えて消してしまい、書き直す気分も起きないので、後日にまわす。
2011年05月29日
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参照Re:コメントレス(05/28) 信天翁さんレスありがとうございます。すいません、勝手なお願いで大変心苦しいのですが、一度探してみていただけないでしょうか。私としては、時間的な問題は全く気になりません。いつか、管理人さんのお暇な時に、お願い頂けませんか。了解しました。心当たりを探してみます。さて、閲覧者諸氏で「高校生大会」のビデオをお持ちの方がいましたら、ご連絡をお待ちしております。
2011年05月29日
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参照リクエスト 信天翁さんYouTubeから来ました。趣味で宗教研究をしています。いつも貴重な資料をありがとうございます。リクエストはブログへとのことでしたが、こちらで宜しかったでしょうか?古いものになるかもしれませんが、高校生大会の映像はお持ちですか?某動画で編集されたものを見てから、完全版がどんな感じなのか非常に気になっております…。よろしければ是非お願いします。YouTudeからのご訪問ありがとうございます。リクエストに関してはこちらでかまいません。高校生大会の映像ですが、認識してる範囲では持ってません。もしかしたら、ラベル無しとかに紛れ込んでるかも知れませんが、探すとしても時間が掛かります。現物を探しても、変換を頼んでるので、4ヶ月ぐらいは、最低掛かります。高校生大会の中身ですが、高校生の登壇があり、浅井会長の講演。会歌を歌って終わりだと思います。雰囲気としては、某動画の映像のままですし、登壇とかの内容が知りたいのであれば、新聞ならあるので、そちらをUPすることは可能です。
2011年05月28日
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見出しのセンスがない、顕正新聞5月15日号より。【「財産は死ぬ時には持っていけない」瓦礫の中の金庫に松野抄を命に刻む】女子部第六十区総班長 佐々木 ○○ 私は平成十八年に入信し、以来、微々たる御奉公ではありますが、数々の御守護を頂いてまいりました。 勤務する警察署内で大怨嫉が巻き起こった時も、浅井先生の指導に強く励まされ、乗り越えさせて頂き、多くの同志にも恵まれ、今日まで戦うことができましたこと、有難い思いで一杯であります。 そしてこのたび私も、大船渡市において「広布前夜の大罰の時代到来の号鐘」たる、あの未曽有の東日本大震災を体験いたしました。警察署内での怨嫉て、アホな勧誘をしてるからであり、自業自得でしょうね。【勤務の警察署で惨状を眼前】 私は現在、岩手県警の警察事務員として勤務しておりますが、震災当日は警察暑が地面の上で転がされているかのような大きな揺れを感じました。そして長い揺れが収まると同時に、市内に大津波警報のサイレンが鳴り響き、大船渡市は一瞬にしてパニック状態に陥りました。 私はすぐに警察署の四階に避難し、窓から未曽有の大津波が街をひと呑みしていく光景を目にしました。 家屋や車が一気に流されていく惨状には目を覆いたくなりましたが、さらに、強い余震も収まる気配がないことに、「これが諸天の怒力なのか」と感じては体が凍りつくのを覚える中にも、「もう広宣流布しかない」と心の底から思い、「今こそ地涌の菩薩としての使命を果たす時」と決意せずにはいられませんでした。なぜ、諸天の怒力と言えるのか?・・・地震に関しては、たしか、東日本大震災が起きたあとに浅井昭衛が、しきりに諸天の罰と言っていたのであり、それ以前には、地震に関して言っていなかったはずですが、そうなると、震災当時に諸天がと思うのか?て疑問が出てきます。 警察署でさえも、携帯電話はもちろん、ライフラインも完全に寸断され、暗闇の中に聞こえてくるのは警察の無線だけで、「もうどこにも逃げ場はありませんこと叫んで通信が途絶えた警察官の声を思い出しては、日曜勤行で頂いた「もう日本国中、ここは安全というところはない」との浅井先生の仰せが何度も胸に迫り、身震いを禁じ得ませんでした。ここでは、携帯電話が使用不能にと成ってますが、顕正会員でも電話が使えた方と使えない方に分かれてますね。 登壇記事の中で、家族とかに連絡が不思議にも取れた方が多いのですが、顕正会員家族に連絡が取れた。取れないの境てなんなんでしょうか?・・・【同志も家族も無事】 しかしそのような大惨事の中でも、総班員および家族全員は無事で、不思議な御守護により皆が守られたことに有難さでいっぱいになりました。この方は、家族に連絡が取れなかったケースですね。ここで、家族に連絡が取れれば、不思議の御守護で電話がて成るんでしょう。 また私におきましても、大津波は警察署の五〇センチ手前で止まり、警察署近くにある私のアパートも、その寸前で津波が止まっていたことに、白身および大事な顕正新聞等も守って頂けた有難さは言葉になりませんでした。大事な顕正新聞等てバカなんでしょうか?・・・たかが、新聞ですよ。新聞自体には価値が突かないゴミでしかありませんね。コレクターアイテムで、気持ち程度の値段は付くかも知れませんが、それ以外では、本当にゴミでしかないです。ま、一番良いのは、縮刷版を発刊すれば、この様な考えの会員は居なくなるんでしょうが、過去の新聞を読まれることを恐れる顕正会では、縮刷版を発刊することはないでしょう。 さらに同じく大津波で壊滅した、隣町の陸前高田市に住む祖父母も無事でした。ことに祖父においては、海から五〇〇メートルしか離れていないショッピングセンターで買い物をしていたにもかかわらず、地震直後、店の前に偶然停まっていたバスに危機一髪で乗り込んで高台に避難することができ、本当に何から何まで守って頂き、感涙を抑えられなかったものであります。バスに関しては、送迎バス?路線バス?て考えられますが、地震後に通常運行をすることはないでしょう。憶測ですが、バスの運転手の判断で待機していたとか?・・・【お題目で皆と繋がっている!】 震災直後より私は、警察署での二十四時間のボランティア勤務となりましたが、今まで当り前にできていた「食事をする」「お風呂に入る」という生活が、いかに恵まれていたのかを痛感しました。 何より電話が通じないため、家族や同志と連絡がとれず、何ともいえない孤独感に襲われましたが、勤行申し上げると「何があっても大丈夫。このお題目でみんなと繋がっているんだよと生命力が湧き、一日一日を生き抜くことができ、顕正会員であることの有難さを涙のなか、噛み締めるぱかりでありました。ボランティア勤務て、なんか無理矢理やらされてるように感じますが、それはないでしょう。断る権利もありますし、まして顕正会員は、ボランティア禁止なはずです。 そうなると、無報酬の勤務ではなく、報酬を頂いての勤務とも考えることが出来ます。 多分、これは問い合わせ確認すれば、事実が判明するでしょうね。【「死ぬときは持っていけない」】 また自衛隊や警察官が瓦礫の街の中から「残された家族のために」と、さまざまな物を捜しては拾得物として警察に持ち込むのですが、その中でも金庫は約七〇〇個も拾われており、中には何憶円も入っている金庫もありました。しかし持ち主は亡くなっている可能性が高く、その状況を見るにつけ「人生は儚く、地位も名誉も財産も、死ぬときには持っていけない」と痛感しては、松野抄における先生の指導が胸に浮かび、一生成仏の大事をよりいっそう命に刻んだものであります。部長登壇で、お金を数えたて言ってるのが、この方のことなのでしょうか?この中では、お金を数えたてことは言ってませんね。【父もついに入信】 そして「有難い」の三文字と「広宣流布」の四文字で自身の使命を全うせんと固く決意し、信心に反対はしないものの未だ入信に至っていない父を再度、折伏いたしました。 父に対し、このたびの震災を通してさらに深めた「御本尊様絶対」の大確信と、勿体ないまでの御守護、その有難さを伝えると、父は素直に耳を傾け、仏法の力を認め、四月十日、盛岡会館において入信を叶えさせて頂きました。 震災が起きたことにより、上品の親孝行を叶えさせて頂き、震災さえも有難く感じると同時に、広宣流布は大聖人様のお力で進むことを強く実感いたしました。【折伏の大決意!】 しかし何度折伏しても逆縁だった友人は、今回の震災で避難所に逃げたにもかかわらず津波にのまれ、約ニキロ離れた山林で遺体で見つかったことに、「自分がもっと慈悲を持って折伏していたら」と胸が締め付けられる思いになり、「こんな思いはもうしたくない!今やらずしていつ!」との燃える闘志がみなぎりました。顕正会の勧誘に反対した者。逆縁の者はことごとく、罰が当たったような言い方をしてます。この様なことを平気で発表する人が、人を救うなどと言うこと自体、おこがましいでしょう。 慈悲を持って折伏していたらと後悔の念を述べてますが、じゃ、それまでの勧誘は慈悲を持っていなかったとも言えることですよね。 さすがに、逆縁で罰が当たったなんて言うと問題にもなりますし、そこまで非常識な登壇者じゃなかったと感じます。 そして総班一丸となって三・四月法統を戦い切ることができ、地震に負けることなく総班誓願の達成を以て浅井先生にお応えすることが叶い、この有難さは筆舌に尽くせません。 今回の震災で自分たちが頂いた格別なる御守護に、呵責謗法滅罪抄の「何なる世の乱れにもことの、大聖人様の強き祈りにより守って頂けたのだと、その大慈大悲に有難さで涙が溢れると同時に、新旭抄の「諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」との仰せが強く胸に突き刺さり、これほどまでに重き仰せと実感したことはなく、ただひれ伏す思いで一杯になりました。【諌暁書の仰せいま事実に】 先生が平成十六年の諫暁書の冒頭に記し置かれた「まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆と他国侵逼が起こるのである」との仰せがいま、事実として確実に動き出したことに、「広布最終段階の直線コースである」と仰せられた重大意義を命に刻むとともに「諸天の活発なる動きに、もし地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない」との先生の仰せに、広布近しの大確信を胸に、地涌の菩薩の魂で、大聖人様のお手伝いを加速度付けて成してまいらんとの揺るぎない闘志、五体に充満するものであります。 されば、このたびの震災により信心を一変させて頂いた白身こそ、「東北先陣」のご命令を必ずや果たし、無二の師匠・浅井先生にお応えしてまいる決意であります。 (女子部班長会より)平成9年から地震・地震とか連呼してれば何時かは起こるでしょう。しかし、巨大地震て首都圏と東海限定でしか言っていないはずですが? さすがに疲れてきますね。次の号の発刊も遅れてるみたいですが、内容も同じようなことが書かれていて、また疲れるのでしょうか?・・・
2011年05月27日
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参照だからさぁ 水無月さん今回の震災で会館に「お助けを」と駆け込んだ一般市民がいたかっつーの。それだけでも顕正会の存在が社会に知られていないことの証拠だわさ。どんどん宮城岩手の避難所回って勧誘しなさいよ。返り討ちにあうからな。他国侵逼の状態にならないと「お助け~」て、顕正会の会館に行列が出来ないんでしょうね。 今回の地震で自主的に避難してきた市民も居ないみたいですし、顕正会って、地元民にも敬遠される程度の認知しかないのでしょう。Re:顕正会員てやっぱり・・・ 署員さんこいつらの信仰の対象とは浅い先生とやらなんか?御本尊の御守護云々とも書いてあるがこれは浅い先生って事?日蓮聖人の顕された曼荼羅本尊を信仰の対象にしてます。しかし、教義解釈とかは、日蓮聖人の意志とは違うので、浅井昭衛独自の教義な部分があるので、浅井昭衛は、教祖と呼んでも良いでしょう。御本尊の御守護は、顕正会員の思いこみであり、顕正会員には、日蓮聖人の御本尊様からの守護はありません。参照Re:読めば読みほど痛くなる・・・ 御書根本さんふと気になったのですが、少し前に顕正会の勧誘で未成年を無理矢理勧誘したとか、何人かで何時間も入ると言うまでも帰さないとか、暴力沙汰とかテレビでも報道されていましたが、今もあるんですかね?中学に上がったらカウントされるとか、どこかと数を競っているのですか?よく分かりませんがその謝罪はあったのでしょうかね…勧誘のトラブルは今でもあります。ただ、あまり公には成ってないだけです。 中学生では顕正会員になる資格が無いので、高校生になって親が顕正会員なら、自動的に顕正会員になる可能性があります。 この場合親がどこまで熱心かでも違ってきますね。会員数の増加問題ですが、創価学会を意識して、数を意識してると考えられます。しかし、実際の会員数は、5万人程度だと推測されます。結局は、累積会員数が150万に成ろうとしてますが、会員数が増えれば凄いと言う、子供が考える程度の思考しか出来ないから数を競うのでしょう。顕正会関係のトラブルでの謝罪はありません。あくまでも相手側が悪い。謀略・陰謀と何でも相手側の責任にして、顕正会側の責任は公式には、認めませんね。 いぜんあったケースですが、関係者本人は反省して謝罪をしましたが、起訴猶予になってその後の登壇で、不当逮捕・謀略と登壇させられてました。 以上のように顕正会での常識は、世間での非常識と言われる行動をとる教団だと言えます。
2011年05月27日
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顕正新聞5月15日号より。【大聖人様に命を救って頂いたが!! 家族も同志も全員が御守護頂く】婦人部大塚支区班 石森 ○○○ 私は平成十四年、仙台会館において入信させて頂き、以来、広宣流布を見つめ数々の重大法戦に連なってまいりました。 そして私も三月十一日の東日本巨大地震を体験いたしました。 我が班はほとんどの班員が、被害の大きかった宮城県沿岸部に住んでおります。しかしその中で、大聖人様より絶大なる御守護を頂き、「御本尊様絶対」の大確信に立たせて頂いたこと、最大の功徳であります。【築40年の家全く被害なし】 被害の大きかった七ヶ浜に住む星組長は、同僚と共に仕事先の松島で震災に遭ったとのことです。 まさしく大地は大波のごとく揺れ、車につかまって立っているのがやっとで、周わりを見ると次々と瓦が落ち、ブロック群が倒れ、家も傾いていく中、同僚は「家に子どもが一人でいるの!」と泣き叫んでいたそうです。しかし組長は冷静で、「大丈夫だから」と同僚を励まし、少し揺れが収まるのを待って、海沿いの国道を避けて自宅に向かう途中、不思議にも仕事で運転中の組長の夫とすれ違い、安全を確認できたそうです。揚げ足取りだけど、仕事で運転中て、消防士とか警察官なのかな?・・・ そして自宅に戻り、二人の子供の顔を見て安堵し、ホッとして改めて家の中を見渡すと、何と皿一枚割れず物も倒れておらず、「築四十年の家なのに、有り得ない!」と絶大の御守護に驚いたそうです。さらに驚いたことに、唯一壊われたのが、自宅の横にあった大家さん所有の小さな祠(ほこら)で、この現証には子供たちも、「大聖人様が謗法を対治して下さった」と喜んだそうです。 また近くの石油工場が大火災になり、一晩中、石油工場の爆発音が鳴り止まず、窓の外を見ると炎で真っ赤で、爆発するたびに風圧で家の中の障子や襖が揺れ、寝ている体にも震動が伝わり、組長はそのとき「戦争の空爆はこういうものかと、他国侵逼の恐怖を感じた」と語っておりました。旦那さんて、自宅に戻らなかったのかな?・・・道ですれ違ったてことは、逆方向ですよね。ま、その謎はいいとして、築40年の家が大丈夫だったて、筆者の知ってる所も無事でしたよ。もちろん、他の宗教をしてますがね。で、ここの子供て痛いね。バカな親の影響でしょう。この先が思いやられる。大聖人様が謗法を対治て、被災した人全部に当てはまることになってしまうでしょう。この様な、言動を発表するこの方も痛すぎですね。 【命を救って頂いた】 また組長の娘さんは、友達と多賀城市のショッピングセンターに遊びに行く予定でしたが、少し横になるつもりが一時間も寝てしまい、出掛けるのが遅くなったことで難を逃れたそうです。先にショッピングセンターに着いた友達は、建物の二階まで津波が押し寄せ、水が引かないため、屋上で二日間、雪の降る中を自衛隊の救助を待っていたそうです。 星組長自身も、松島から運転して通ってきた道が津波に呑まれているのを後日眼前にし、津波が到達する直前の一瞬に走り抜けていたことに改めて気づきました。 また自宅前より眼下を見下ろせば、町は瓦礫の山と化し、すぐ隣の菖蒲田地区も壊滅状態と、事実が明らかになるほど、「大聖人様に命を救って頂いたのだ」と御守護を強く実感し、「何を以てか此れを報ぜん」の強き決意に立ち、三・四月法戦に三名の入信を叶えました。また多賀城市に住む門馬さんは、息子さんを迎えに行く途中に津波に車ごと流され、車のドアが開かずパニックに陥った時、突然車がひっくり返り、その瞬間、なぜか車のドアが開いて脱出することができたそうです。そして丸一日、瓦礫につかまり泳いでいたところを自衛隊のボートに救助され、九死に一生を得ました。命が助かったのは良かったですが、守られた。功徳と言えないと思いますが、顕正会員は、功徳とか言ってるんでしょうね。これが、他の宗教をしてるか顕正会の勧誘に反対していれば、罰て成るんでしょうね。【諸天の怒り実感】 私も当日、宮城野区の自宅から仕事先に戻ろうとしていた時に長男が帰宅し、間もなく経験したことのない激しい揺れに襲われ、ただ必死にお題目を唱え続けていました。そのとき「大地動乱、浅井先生のご断言がついに」との思いが湧き、班員は大丈夫だろうかと思ってもすでに携帯電話は繋がらず、必死に祈りました。 また次男の小学校では「学校周辺に変質者が出たため、今日は三時に集団下校します」と事前に連絡があったので、長男と共に次男を迎えに行き自宅に戻る時、空か一気に暗くなり雪が激しく降り始め、その何とも言えない異様な光景に、これが諸天の怒りなのだと感じました。 自宅に戻ると間もなく、不思議にも夫と長男の携帯電話が繋がり、「一〇メートルの津波が来るから早く逃げろ」と言われ慌てて車を出した時には、海岸線より三キロ離れている我が家の周辺も一面すっかり水に覆われ、数分前に次男を迎えに行った道路は様変わりし、海にあるはずの大きな浮き輪や物置小屋が潰れて瓦礫となって流れ、車は電柱に縦に突き刺さり、我が家のある住宅街か抜け出すことはすでに不可能となっておりました。 夜中になってやっと次男の小学校に避難できましたが、学校には大地震と津波の恐怖に怯えながら親の迎えを待ってい子供たちと、寝た切りのお年寄りが、教室の床に布団を敷き横たわっている姿を眼前にし、折伏して教ってあげたいと強く思いました。【不思議な御守護】 水とクラッカーが支給されても、避難者が多くて受け取れない人もありました。すると次男が、傍にいたお婆さんに「クラッカーをどうぞ」と手渡す姿に、大聖人様に大切な「心」を育てて頂けているのだと、涙があふれました。 朝になり、別の場所で避難していた夫とも会えて安堵感でいっぱいになりました。するとそのとき車の窓がノックされ、「何名ですか?」と訊かれ「五名です」と答えると「これをどうぞ」とホカホカの白米と熱々のハンバーグ、お茶とジュースを家族分いただいた時には、何と不思議な御守護なのかと、諸天が見ていてくれることを実感しました。 そして自宅に戻ると、五百軒ほどある住宅街の中で、何と我が家を含む十五軒だけが、一切の水害がなかったのです。考えられない御守護でした。15軒が全部顕正会員てことではないでしょう。全部の方の宗教歴を調べてみたいですね。顕正会員だけが守られたことにはならないって証明になるでしょう。それとも、顕正会員の自分の家があったから、周りも助かったとか、オフレコで広がっていたりして?・・・【先生のご慈愛に涙】 しかしライフラインは全て止まり、何をするのも思うようにならず、情報が一切人らず、行きたい場所にも移動できない状態が続く中、浅井先生が私たちのことをご心配下さっていること、本部より一般道で九時間もかけ救援物資を届けて下さったことを伺い、先生のご慈愛に涙が流れました。 そして私も「班員に先生の真心の物資を届けたい」とガソリンスタンドに並ぶと、「カード払いなら満タンにしますよ」と小声で言われた時には耳を疑い、「これも御守護だ!」と実感し、有難い思いでした。 今回地震で流された車は、窓を割られて中の物が盗まれ、ガソリンも抜かれ、夜のコンビニ等は物が盗まれるとのことで警備員が立ち、物々しい日々が続いています。電気も止まり、電話回線も使えないのに、カード支払いですか。今時、読み取り機を利用しない、カードの支払いってあるのかな?・・・ 【感激で七名の弘通】 死者・行方不明が三万人近くいる中で、顕正会員が全員無事でいられることは、大聖人様の強き御一念による御守護以外にはなく「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、請王は国を扶け、万民は難をのがれん」の御金言を伏して拝したものであります。 そして家族も同志も、皆が心身ともに守られていますこと、報恩感謝の思いで一杯であり、この御報恩の思いと、先生の「地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない」との仰せを胸に、右森班も地涌の菩薩の魂に燃えて戦い切った結果、七名の入信が叶い、有難さでいっぱいであります。 されば、このたびの地震でつかんだ大確信と大歓喜で、苦悩に沈む宮城の人々への大折伏を必ずやなし、先生にお応えしてまいる決意であります。 (婦人部班長会より)顕正会員だけがて、東北各県の実数が少ないてことでしょう。所詮、顕正会などは、世間の認知度も少ないし、名前を知ってるって言っても、事件報道で知ってると言う程度。顕正会員が何をしようが、社会の影響力もないけど、ただ、迷惑な集団て認知だけは広がるでしょうね。
2011年05月26日
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更新情報・顕正新聞5月15日号UP顕正新聞5月15日号より。【大津波と大火で壊滅した気仙沼市 必死にお題目唱え全てに御守護!】女子部第95区総班副長 吉田 ○○ 私は平成十三年三月に入信させて頂き、以来十年間、就職・結婚・出産等の人生の節目のたびに数々の功徳を頂き、報恩感謝の念は尽きぬものであります。 そしてこのたび、私は宮城県気仙沼市において東日本大震災に遭遇いたしましたが、そのなか「御本尊様絶対」の大確信をさらに深めさせて頂きました。 【御本尊を御避難】 三月十一日午後二時四十八分、地鳴りとともに、曽て経験したことのない、立っていられないほどの激しい揺れに襲われました。「ついに来たか」との緊張感のなか、私は自宅拠点である我が家の御本尊様を御避難申し上げねばと、急ぎ職場を後にしました。ついに来たか!と地震が来たのを喜んでるみたいですね。しかし、浅井会長は、首都圏直下の地震とか言っていたので、浅井会長の預言?予測外の場所てことですね。 外で緊急車のサイレンと大津波警報が鳴り響く中に、自宅へと車を走らせながら、自宅とは反対方向の保育園に、津波到達の前に息子を迎えに行けるかどうかとの不安も一瞬よぎりました。 しかし「すべては御本尊様にお任せしよう」と肚を決め、必死にお題目を唱え、無事に御本尊様を御避難申し上げることができました。 すでに道路は避難の車で大渋滞でしたが、一番乗りで保育園に到着でき、息子を抱きしめた時には、感激と安堵感が込み上げ、御本尊様の御守護を実感いたしました。この方の行動は、最低な行動でしょう。中には、御本尊様優先て方もいるでしょうが、この場合は、子供優先でしょうね。諸天が起こした地震なら諸天が御本尊様を守るのが道理。また、諸天が御本尊様を守らないことはないから、子供の安否が先となるでしょう。この様な行動をさせる顕正会とは、まさにカルト宗教と言えますね。【想像絶する惨状】 車で高台に避難した後は、津波の規模も周囲の状況も把握できずにおりましたが、夜になり雪が降り始めたころ、見下ろす街が炎上していることがわかりました。また携帯電話も完全に不通となり、自宅に戻る道路も消火活動のため閉鎖されていました。 私と一歳になる息子は、避難所の貸し出し用の毛布を借り、丸二日間を車の中で過ごしましたが、三日目にやっと道路が開通し、ようやく目にした自宅周辺の光景は、想像を絶するものでありました。 沿岸部は、船から流出した重油に引火し、至るところが焼き尽くされて煙が充満し、また川や道路にまで大型漁船が流され、高波に呑まれたホームセンターの屋根には車が打ち上げられており、津波の凄まじさが容易に想像でき、血の気が引く思いでありました。 また家を丸ごと津波に持って行かれて更地となった箇所も多く、散乱した瓦礫のなか、辛うじて通れるようになった道路を走り、やっと自宅へ辿り着くと、見慣れた景色はどこにもなく、まるで被爆でもしたような光景でした。【「何があっても大丈夫」】 しかし、少し高台にあった我が家は倒壊を免れ、一階は壊滅状態でしたが、仏間のある二階部分は、お樒の片方だけが倒れていた以外は地震前と何も変わらず、我が家だけが周囲とは別世界のようでした。 私は「御本尊様をお守り申し上げる功徳はなんと大きいのか」と大感激し、気づけば近所の逆縁の者にもこの感激を語り尽くしておりました。 その後しばらくは、山あいの母の実家に身を寄せる生活となりましたが、御本尊様から頂く生命力ですべてが楽しく、いつも胸に湧き上がるは、大聖人様の御金言と「何かあっても大丈夫」との浅井先生の仰せでありました。1階は壊滅してる訳ですよね。2階部分が残っていても、生活できる建物か?てのが問題でしょう。倒壊のおそれがあり、生活できない状態なら守られたと果たして言えるのか?顕正会員の思考能力て、小学生程度しか無いのかと感じてしまいます。【新居に御本尊様を】 また御本尊様を一日も早く安全な場所に御安置申し上げたいと真剣に祈る中、ガソリンが少なく不動産屋へも行けず困っていたのが、不思議な経緯で軽油が満タンに入った車を借りることができ、震災後わずか一〇日ほどで一関市千厩町に手頃な借家が見つかったのでした。 住み慣れた海の町を離れることにはなりましたが、無事、新居に御本尊様を御安置申し上げることが叶ったときには、有難さでいっぱいになったものであります。家を借りる余力があるのなら、家ぐらいは直ぐに見つかるでしょう。なんぜ、条件を度外視すれば良いだけですから。 さらに近所への買出しの折、知人に偶然会い、一関市の市議会議員を紹介されました。そして私が被災して気仙沼から移り住んだことを話すと、その議員は親身になって聞いてくれ、なぜか冷蔵庫等の家電用品を譲ってくれ、わざわざ私の自宅まで届けてくれたのでした。このことには、名ばかりの入信だった母も感嘆し、御本尊様のお力を感じて朝夕の勤行を欠かさず実践するようになり、未だ逆縁の父に信心を勧めるまでに変わった姿に、驚くばかりであります。知人ね。一関に移り住んだとか連絡していなかったのか?・・・また、この議員てどこの政党の議員なのか気になるし、浅井会長は、議員のことを散々悪く言っていて、その議員から布施をもらうのて、ありなんですかね?・・・毎度事ながら、顕正会員のご都合主義には、開いた口がふさがりませんね。【経済的にも御守護】 そして私が諫暁書を片手にこの議員を折伏すると、入信には至りませんでしたが、議員を通じて知り合った、自営業を営む女性から仕事の話を持ちかけられ、息子を見ながら空いた時間に仕事ができる運びになったのでした。 また先日は、議員の方から突如わが家を訪ねて来たかと思うと、「被災して家を借りた場合、二年間は家賃が無料になる」とのことで「その手続きは自分が済ませておくから」と必要な書類まで持って来てくれたことに、ただ驚嘆したものであります。 また親戚や知人から我が家に救援物資が次々と届き、置き場所に悩むほどの量となり、次の災害に備えての蓄えまで叶っております。さらに第四十四隊で御奉公する夫も、勤務先の母体会社から六十万円もの義援金をもらうという功徳を頂き、この別感の功徳には、有難さが込み上げるばかりであります。義援金をもらったから功徳?・・・じゃ、行政機関とかの義援金はもらわないで下さいと言いたい。赤十字などに義援金として送られたものには、顕正会員以外の義援金が大半です。なら、間接的に謗法者からの布施をもらう行為になりますね。判らなければいいてのも通用しないでしょう。それとも義援金をもらって、謗法のお金だけど、顕正会の広布供養に出せば、功徳がもらえるから、全額寄付しましょうとか、裏でこっそり言い出したりしないかな?・・・【すべてに御守護】 思えば本年二月、私の両親と同居することになったため、それまでの借家を引き払い、自宅拠点は私の実家へと移転しておりました。 このたびの津波の被害と激しい火災により、自宅拠点があった地域周辺は跡形もなく、また息子を預けようと考えていた近所の保育園も津波に呑まれたとの事実を知るにつけ、すべてにおいて御守護を頂き、一家で命拾いをさせて頂けましたこと本当に有難く、これも宿命転換の叶う偉大な御本尊様に値い得、正しき師匠・浅井先生に師事し得たればこそと、報恩感謝の念でいっぱいであります。されば今まで頂いた功徳に決して甘えることなく、一日も早い一五〇万達成を見つめ、人生の杖・柱を知らずに苦悩する宮城・岩手の人たちを救う戦いを巻き起こし、以て無二の師匠・浅井先生に断じてお応えしてまいる決意であります。 (女子部班長会より)被災を免れたからと思わせるような感じもしますが、結局被災してますよね。
2011年05月26日
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顕正新聞5月15日号より。【周囲壊滅の中海辺の我が家は無事 家族も守られ経済的にも御守護】男子部第四十四隊組長 細川 ○○ 私は平成十年四月、妻の折伏により入信させて頂き、以来、数々の功徳を頂くなかに、微力ながら広宣流布の御奉公の末席に連ならせて頂いております。 そしてこのたびの東日本巨大地震において、私も「御本尊様絶対」の確信を命の底からつかませて頂きました。 【走行中に大地震】 と申しますのは、私は岩手県釜石市で運送業の仕事をしておりますが、地震発生時、私は釜石市から大船渡市の海辺にある木材工場に荷物を輸送するため、大型トラックで走行中でありました。 大船渡市の手前に差しかかったとき、突如、緊急地震速報が鳴り響き、道路の左側に停車すると、その直後、大型トラックが横転するのではと思うほど、今まで体験したことのない強い揺れに襲われたのでした。 目の前の道路は次々と亀裂を生じ、命の危険を感じる中、「津波が来る」と直感した私は、直ちに家族に連絡して避難するように伝え、自分も避難を試みました。【もし数分早く出発していたら・・・】 すでに釜石市と大船渡市の間の国道四五号線は各所で通行止めになっており、ラジオからは大津波警報が繰り返し報じられ、焦りと緊張のなか、海に目を向けると、凄まじい勢いで海水が引いており、それから間もなくして巨大な津波が瞬く間に押し寄せて来たのでした。 見慣れた街がわずか数分で次々と破壊されていくさまは「悪夢でも見ているのか・・・」と思うほどの光景で、終始呆然と見ていることしかできず、「もし数分でも早く出発して工場に到着していたら・・・」と思うと背筋が凍るような恐ろしさを感じると同時に、大聖人様の御守護を強く肌身で感じたものであります。対応としては冷静な判断ですね。この登壇記事を読んで、いぜんに紹介して別な記事で、地震後、車を運転して移動したとか、地震情報をラジオで聞いてないとか、津波のことを何も考えてないみたいな登壇とかが多々ありましたね。 そのような登壇記事を思い出して、浅井会長の為めにとか、顕正会の同志を励ますためにとか、作文を頑張っていたのかと感じてしまいます。【家族全員と再会】 しかし、ここからが信じられない御守護の連続でありました。 私が立ち往生していた通行止めの区間内に同業者の車庫があり、トラックを預かってもらえただけでなく、自宅のある釜石市まで、山沿いを迂回して向かう従業員の車に同乗させてもらい、無事に到着することができたのでした。 すでに辺りは真っ暗でしたが、不思議と落ち着いて行動することができ、三女が通う保育園で近くの小学校に家族が避難していることを知り、足早に向かうと、避難所は騒然として避難者であふれておりました。 薄暗い中で家族を捜すのは困難かと思われましたが、避難所の入口で保育園の先生にバッタリ会い、三女と妻は妹夫婦のアパートに避難していることを知り、急ぎアパートに向いました。 そこには妻と三女と私の両親が避難しており、一歳四ヶ月になる三女の顔を見た瞬間、安堵感から涙があふれて止まりませんでした。 震災翌日、長女の避難先が津波被害が最も大きかった地域だったので、瓦礫の山を乗り越え数時間かけて捜しに行くと、無事に長女と再会でき、その二日後には、大槌町の高校に通う次女とも避難所ですぐに会うことができました。 この大震災の中、離れ離れになった家族と連絡手段もない中に、わずか数日で全員が再会できたことに、「日蓮大聖人様絶対」との有難い思いが、幾度となく込み上げたものであります。【壊滅の中我家だけ無事】 そしてこの後、もっとも不思議な現証を目の当りにいたしました。 それは大地震発生より一週間後、被害が大きく封鎖状態であった自宅アパート付近に立ち入りができるようになり、覚悟してアパートに向いました。 途中、津波で流された巨大タンカーが岸壁に乗り上げて防波堤に突き刺さっていたり、倉庫や家屋が壊滅的に破壊されている光景を目にいたしました。 しかしアパートに到着すると、信じがたい光景が目に飛び込んで来たのでした。 周囲の家屋は一軒も跡形もない更地の中、私が住む三階建てのアパートだけが、ポツンと残っていたのです。TV報道を見る限り、鉄筋コンクリートの建物は、残っているところが大半でしたよ。だから、この登壇者のアパートだけが特別ってことではないでしょう。【浸水の形跡もなし】 しかも一階と二階節分の部屋は窓ガラスが割れ壊滅状態で廃虚と化しておりました。 ところが私たち家族の住む三階を見ると、隣の部屋はべランダの手摺が津波で破壊されて窓も割れ、津波が激しく襲ったのは明らかだったのですが、私たちの部屋は何と窓が閉まつたままの状態で、ベランダには娘が地震前に干していた洗濯物がそのままの状態でありました。 泥まみれの階段を上がり、恐る恐る部屋に入ってみると、あり得ないことに、我が家には浸水した形跡が全くなく、顕正新聞や書籍など一滴の水も被っておりませんでした。 台所には藤斎支隊副長から格安で購入した玄米三〇キロもそのまま残っており、物置小屋にあった私の大事な釣竿も無事でありました。 目の前が海でありながら、すべての私財が無事であるという、まったく信じがたい御守護を頂き、この不思議な現証に、「御本尊様絶対」の有難さで五体が震えたものであります。部屋の位置関係や建物の位置が気になります。隣の家はベランダの手摺やガラスがとありますが、津波の水かさが2階までで、漂流物がぶつかって壊れたと考えられます。だから、隣の家も浸水してないでしょう。仮に浸水していたら、この方の部屋も浸水してるはずですが、それがないのを裏付けるように、隣の部屋が浸水とかは触れてませんね。【両親も守られる】 そして震災の影響で物資の調達が困難な中、勿体なくも浅井先生のご配慮により本部から物資が届けられ、先生のご慈愛が本当に有難く、家族全員で「顕正会員で本当によかった」と涙したものであります。物資が届けられたと言っても、会館か自宅拠点の一部でしょう。自宅拠点に関しては、地元会員が輸送したんでしょうけど。 また後からわかったことですが、私の妹と両親は車ごと津波に流されたのですが、死と直面する絶体絶命の状況で、津波が引いた一瞬の隙を見た父親が車のドアを開け、三人で車外に脱出したところを、近くにいた人たちにロープで引っぱり上げられ救助されたとのことでした。 私自身、信心に一分の理解を示し始めていた両親までも大聖人様に強く守って頂けたものと、有難い思いでいっぱいになりました。助けてくれた人が他宗教をしていたら?と考えますね。顕正会員の親族だからと言うより、人の人情でしょう。それに両親は顕正会員ではないのだから、守られることはないてなるでしょう。一分の理解といっても信心をしてないのですから、守られたと言うのは、いささか疑問に感じます。【経済的にも御守護】 そして震災後も功徳は止まらず、これまで住んでいたアパートが入居の際、強制的に地震保険に加入させられていたことで、「今回の震災で地震保険が適用になる」と連絡があり、「地震で被害にあった家財を申告して下さい」と言われたのですが、壊われたものはコップ一個しかなく、私は他人事のように聞いておりました。 ところが数日後、郵送された申請書を見ると、今回の震災は被害が甚大であり、通常は申請をもとに調査を行い保険額が支払われるのですが、今回に限って航空写真をもとに「全壊」と判断され、保険金の全額百万円が支払われることになったのでした。 このことで経済的にも大きく守られ、「災い転じて福となる」との先生の指導を実感とし、感激でいっぱいになったものであります。部屋に物が何も無いのか!と思ったりもしますが、そんなことはないでしょう。地震と津波の衝撃でコップ1個て、あり得ないでしょう。ま、壊れたと言う事で、食器類があまりなかったか、戸棚にしまってあったから大丈夫だったかですかね?ただ、他の物は散乱していて、破損はしてないてことではないかと思います。そして、航空写真を元に全壊て、建物が崩れてるか傾いてるてことでしょう。 コップ一個で保険金が下りるの?・・・保険会社関係の方がいたら、再調査した方が良いですね。保険金をもらう資格が無いってことでしょう。【御報恩の折伏を】 そして私も頂いた功徳にお応えせんと、前法戦の最終日に折伏を実践し入信を叶えることができ、一分なりともお役に立たせて頂けたことに有難さが込み上げたものであります。 三月度総幹部会において先生は「今回の巨大地震を仏法の限で見れば、これまさしく広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、同時に、いよいよ広宣流布が成就し全日本人が救われる大瑞である」「まさに広宣流布は最終段階の直線コース、もうゴールが見えて来た。諸天の活発なる動きに、もし地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない」と叫ばれましたが、被災地で御守護を頂いた自身こそ一切の甘えを排し、捨身で戦わんとの闘志が此の底より込み上げるものであります。 されば本年の一五〇万と三年後の男子五万結集を一点に見つめ、御報恩の折伏戦を展開し、広布を限りなく急がれる無二の師匠・浅井先生に、東北・岩手の地より断固お応えしてまいる決意であります。 (男子部班長会より)東北方面の法華講員諸氏。ぜひ、顕正会員を重点的に折伏してもらいたいです。今回の震災で個人の自宅拠点がある程度絞り込めますし、落ち着いたらぜひ、拠点を重点的に訪問していただきたい。
2011年05月25日
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更新情報映像1号館に体育文化祭映像(後半)をUP参照今頃ですが・・・ はなこさん田中氏に法論を申し込みましたが逃げられている最中の者です。この人は大聖人様の仏法云々以前の問題で、学会員に近いですね。脱会し正法に帰依した、自分の元支隊の人間を監禁したのか詰めたのか、代理人と称して「今後は一切連絡を取るな」とすごい剣幕。本人の携帯電話を勝手に操作し着信拒否設定&電話番号の削除、正宗の数珠や経本も取り上げて田中氏が返しにきました。本人の意思だと言い張って。力づくでないと守れない組織の長なんて苦しいだけだろうに・・と少し同情します。また、こういった行為そのものが田中氏にとって、多大な業を積んだと思うと、ちょっと哀れに感じますね。はなこさん。とても面白いコメントありがとうございます。 法華講員からの法論を逃げ回ってる話を多々聞きますが、全国規模で逃げ回ってることが良くわかります。特に幹部クラスは、法華講員と聞くと逃げ回りますね。 さて、コメントの中で興味が湧いたのが、田中隊長の行動です。閲覧者諸氏も気がついたと思いますが、顕正新聞での登壇記事で、学会云々て記事の内容が、そのまま、田中隊長の行動そのものですね。(笑)今後の進展とかありましたら、差し障りの無い程度でコメントをしていただけたらと思っております。男子都第五十八隊支田中隊長!班長会とかで、法華講員に法論を申し込んだが逃げた。とか作文は無しですよ。さて、田中隊長は、表舞台から消えるかな?・・・参照Re:浅井教祖講演2 御書根本さんざっくり読みましたが、大地震があると折伏が出来るとありますが、災害が無くともけっこう人生に行き詰まっている人は多いと思います。自殺数をみればわかるはずです。世界中で深刻な災害が起こり皆苦しんでいます。日本以外でもドンドン救済はしないのですかね。顕正会の場合、宗教に感心があり意識が高い海外では、通用しませんね。だから、海外での活動がほとんどないのが実成でしょう。まして、浅井会長の話など海外では通用しないでしょうね。 例外として台湾がありますが、親日でもありますし、日蓮正宗・創価学会と台湾での活動があるので、その関係で顕正会の言葉巧みな勧誘に誘い込まれる方もいるでしょうが、あまり実態が無いような感じがしてます。
2011年05月25日
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参照奇跡ですよ。 釈子・創価門流さん>>あと数年もしたら、学会・顕正会からの入構が増えるでしょう。⇒「入講」が増えると言うのは、有り得ないでしょう。 そもそも、創価学会は日蓮正宗法華講員の脱講運動を過去に大規模に展開しており、日蓮正宗の登山・寺院建立・無任所僧の増加など、縮小している事は明白であります。縮小とは、学会が宗門に在籍していた時代を基準にされてると思われますが、こちらは、学会破門後を基準にしております。釈子・創価門流さんが書かれてるように、学会が居た時代と比べたら縮小でしょうが、破門後から考えたら増加してます。 さて、登山に関しても、増加はしてますが、たいした伸びではないと思ってます。また、寺院建立に関しては、現在700数ヶ寺があるのですから、そんなに建立する必要も無いでしょう。まして、何年かしたら、正信会になってる寺院が戻ってきますし、そうなると、寺院建立の必要が当面はないとも言えるでしょう。無任所教師の増加ですが、毎年得度者がいるのですから、増えるのは仕方がないことです。だから無任所教師が増えてるからと言っても、総合的に縮小してるとは言えないでしょう。 日蓮宗側の者からみても、日蓮正宗が増えると言う事はないとみておりますがね(笑)増加がないと言うのは、日蓮宗のどこの派の意見かは知りませんが、日蓮宗全体的には、増加すると見ていますよ。(宗門高僧の光久氏が、日蓮正宗と創価学会の和解を提案したが、話にならなかった事が良い事例でしょう。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1453721394 )これは、創価学会という組織全体でのことですよね。筆者が言いたいのは、個人の入構です。 学術的・文献学的・書誌学的に日蓮正宗は耐えれず、将来、創価学会の出現のように隆盛する事は、絶対にありえません。将来に学会みたいな外郭団体を作ることはあり得ないでしょう。そして、学会が居た当時見たく、飛躍的に伸びることも無いでが、地道に伸びると見ています。「学術的・文献学的・書誌学的に日蓮正宗は耐えれず」とありますが、寛師教学と言われてるものを採用してる学会自体もダメージを受けるでしょう。まずは、寛師教学を採用しないで、学会独自の教学体型を確率しない限り、学会自体のダメージもあると言うことを、見逃していると感じますね。そして、個人的持論では、諸問題はクリアーしてますし、受け止めています。ただ、宗門公式見解とは意見が違う部分もありますので、その辺の議論に関しては、時が来たらするかも知れないし、しないかも知れません。 ま、日蓮正宗ネタに反応するばかりではなく、ご自身の所属してる創価学会。池田名誉会長に対しての顕正会浅井会長の発言とかに、もっと反応をされたらと思います。自分のところの名誉会長。そして、組織としてあそこまで好き勝手に言わせていて、相手にしてないとか情け無いことは無いでしょう。日蓮正宗VS創価学会のことを議論したいのであれば、法華講員が開設してるブログ。HPなど多々あります。そちらの方で議論されては如何でしょうか?ここは、前にも申しましたが、顕正会問題を中心に取り上げています。個人的には、学会・宗門問題を重点的に取り上げるつもりは今のところありません。ハッキリ言って、双方の機関誌とか、同人誌で応酬してるような内容だけでは、語れないことも多々あります。ま、この様な複雑な問題を取り上げるとしたら、自分が正宗信徒を辞めた時でしょうね。そして、それまでは、いろんな意味での奥の手は出しません。
2011年05月25日
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【第六天の魔王との戦い】 大聖人が三大秘法をお弘めになるとき、なぜこのような大難が起こるのかといえば―― 当時の日本国は、念仏・真否等の邪法の僧で充満していた。これらの輩は、大聖人の破析により自宗の非が明らかになれば己れの地位と利権を失う。そこで民衆を煽動し、国主に讒言(ざんげん)し、大聖人を亡きものにしようとしたのです。 この本質は、第六天の魔王が下種の御本仏の化導を妨害せんとしたところにある。第六天の魔王は、まず国中の邪法の坊主の身に入り、ついで国主・民衆の身に入った。かくて日本国中が寄ってたかって、一人の大聖人の御命を奪わんとしたのです。 詮ずるところ、仏様と第六天の魔王との戦いなのであります。 ここに大聖人様は身命に及ぶ大難をご覚悟の上で「今度、強盛の菩提心ををこして、退転せじと願じぬ」と仰せられたのです。 この大慈大悲を拝し奉れば、ただ拝跪合掌(はいきがっしょう)のほかはありません。【金剛のごとき御誓願】 凡夫の菩提心というのは、悪縁にたぶらかされてすぐに崩れる。松野抄の仰せのごとくですね。 ところが仏様の大誓願・御決意というのは、金剛石のように堅い。そして一貫不変です。 ですから、その後の御化導の一切は、すべてこの立宗のときの大誓願・御決意によって貫かれている。 いいですか。立宗ののち、波のごとく大難が押し寄せ、ついには竜の口で御頸を刎ねられんとし、さらに佐渡へ流された。 その佐渡の雪中において大聖人様は何と仰せられたか。 「詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。乃至、父母の首を刎ねん念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし。 我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず」と師子吼あそばした。 この「誓いし願」とは、まさしく立宗のときの御誓い、大誓願であられる。【立宗の大誓願に一代御化導の全てが】 そして、以後の戒壇の大御本尊御建立も、日興上人への国立戒壇建立の御遺命も、日本の広宣流布も、中国・印度・一閻浮提の広宣流布も、すべてはこの立宗における大誓願の中に含まれているのであります。 大聖人様の御化導がいかに雄大、そしてその御慈悲がいかに昿大であられるか。 報恩抄には「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。……日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。 いいですか。全世界への広宣流布、そして妙法の唱えが永遠に地球上に流れていくのも、実に日蓮大聖人の慈悲昿大によるのです。 だから私は常に、広宣流布は大聖人御一人の力によって或る、と言っているのです。【世界広布の鍵は日本の広宜流布】 そして世界広布は、日本の広宣流布が成就すれば一気に成る。日本が広宣流布すれば、中国共産党の独裁政権は忽ちに崩壊し、中国十三億の民は渇して水を慕うごとく、南無妙法蓮華経と唱え奉る。次いでインドに広まり、さらに全世界に流布するのです。世界広布の鍵が日本て元々日本から広まるのですから、鍵もなにもないでしょう。しかし、いくら顕正会が広宣流布と言っても、それは、浅井教祖の思い描く広宣流布であり、日蓮大聖人の広宣流布ではない。まして、顕正会では広宣流布など絶対に出来ないのである。日本国民が全員顕正会員に入会とは、あり得ないからである。中学生以下の子供は、顕正会員になれないからね。(笑)【日本の広布は最終段階に】 されば世界広布の鍵は、日本の広宣流布にある。 その日本の広宣流布も、いよいよ今、最終段階に突入している。 その徴が大地動乱です。御在世に次ぐ巨大地震がいま発生した。さらにこれから巨大地震が連発する。 もう日本は、日蓮大聖人の仏法を立てなければ立ち行かない。そういう時代を迎えているのです。 このとき、大聖人様は無数の地涌の流類を呼び出だし、広宣流布に戦わしめられる。 いま顕正会が御本尊様の功徳を弘めて、日本国を独走している姿がそれであります。 広宣流布は近い。さあ、いよいよ強盛の大信力を取り出だし、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。 以上。
2011年05月24日
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顕正新聞5月15日号より。【立宗の大誓願の中に一代御化導が 世界広布の鍵は日本の広宣流布に 日本の広布もいま最終段階に突入】開目抄に宣結わく日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば、父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来たるべし、いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに、いわずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕つべし、いうならぱ三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ。 二辺の中にはいうべし、王難等出来の時は退転すべくば一度に思ひ止むべしと且くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。我等程の小力の者須弥山はなぐとも、我等程の無通の者乾草を負うて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者恒沙の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしととかるるはこれなるべし。 今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ。 本日は、日蓮大聖人が御年三十二歳の建長五年四月二十八日、始めて南無妙法蓮華経とお唱え出だされた大事な日であります。よって御報恩のため、勤行会を奉修させて頂いた次第であります。 【久遠元初の仏法出現】 この日の夜明け、大聖人様はただ御一人、房総半島南端の清澄山の頂に立たれた。そして折から太平洋上を昇らんとする旭日に向って「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」とお唱えあそばされた。その朗々たる音声は、十方法界に響きわたったのであります。 まさにこの時、全人類成仏の大法たる久遠元初の名字の妙法、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経は、始めて地球上に出現したのです。 そしてこの日こそ、三大秘法広宣流布の戦いが開始された日だったのであります。 以来、大聖人様は「母の赤子の口に乳を人れんと励む慈悲」を以て、一切衆生に「南無妙法蓮華経と唱えよ」とお勤め下された。この大慈悲によって、いま私たちは有難いお題目を唱える身となれたのであります。【立宗の大誓願】 さて、この三大秘法広宣流布の戦いを起こすに当って、大聖人様はどのような御決意であられたか――。 その御心が、ただいま拝読の開目抄に記されております。 まず「日本国に此れを知れる者、但日蓮一人なり」と。 大聖人様は何を知り給うたのか。それは末法の全人類の成仏が叶う大法は「南無妙法蓮華経」以外にはない。そしていま日本国に充満している念仏・真言・禅・律等顕正会の諸宗はことごとく、人を堕獄せしむる邪法である。 このことを大聖人様は日本国でただ一人、深く深く知り給うたのであります。「これを一言も申し出すならば、父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来たるべし、いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに、いわずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕つべし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ」――もしこのことを一言でも言い出すならば、父母・兄弟もこれを止め、師匠も反対し、国家権力による大難も必ず来るであろう。しかし知って言わなければ無慈悲になる。よってこのことを法華経・涅槃経等に合わせ見るに、もし言わなければ、今生は無難で済むが後生は必ず無間地獄に堕つる。また言うならば、三障四魔が必ず競い起こるであろうと記されている――と。「二辺の中にはいうべし、王難等出来の時は退転すべくば一度に思ひ止むべしと且くやすらいし程に」――言うべきか、言わざるべきか。この二つの中には言わなければいけない。しかし、もし国家権力による流罪・死罪等の大難が起きたときに退転するぐらいならば、最初から言うべきではないと、しばらくやすらいしほどに――と。 この「しばらくやすらいしほどに」とは、躊躇(ちゅうちょ)・逡巡(しゅんじゅん)の意ではない。思慮をめぐらし、深く重くご決意されたことを表わすお言葉です。 「宝塔品の六難九易これなり。我等程の小力の者須弥山はなぐとも、我等程の無通の者乾草を負うて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者恒沙の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしととかるるはこれなるべし』と。 ここに大聖人様は、宝塔品の「六難九易」を引き給うた。釈尊は法華経の宝塔品において、末法に、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を弘めることがどれほど困難であるかを、讐えを以て説かれた。それが「六難九易」です。 ――宝塔品に、我等ほどの小力の者が須弥山を投げることができようとも、我等ほど通力のない者が乾草を背中に負って大火に入り焼けぬことがあろうとも、我等ほどの無智の者が無数の経々を暗記することができようとも、末法に南無妙法蓮華経を弘めることはもっと難しい、と説かれるのはこのことである――と。 この六難九易こそ、日蓮大聖人が流罪・死罪の大難を耐え忍んで三大秘法をお弘めになるお姿を、釈尊が予言証明したものです。 ここに大聖人様は、身命を賭して南無妙法蓮華経を弘め、日本および全世界の人々を救わんと、大誓願を立て給うた。その御決意が「今度、強盛の菩提心ををこして、退転せじと願じぬ」なのであります。
2011年05月24日
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顕正新聞5月15日号より。【諫暁書より七年ついに大罰の時代に 嘲笑った怨嫉者たちの愚かさ】女子部総務、第二・第十三女子部長 河野尚子 大罰の時代に突入した歴史的な三・四月法戦、一万六千突破の大折伏が成し遂げられた感激は言葉になりません。 第二女子部におきましても、大震災で数々の御守護を頂くなか、大聖人様の立宗の大慈大悲に応え奉らんと皆で戦い抜いた結果、全区が達成突破し、一二一%の弘通が叶いましたこと、有難さでいっぱいであります。 またこのたび、私ごとき者が北海道・第十三女子部長兼務を拝命し、緊張感でいっぱいであります。一昨年九月の札幌会館御入仏式において、浅井先生からご命令頂いた「北海道大会」実現に向け、日本最北端の同志と共に必ずや大成長を遂げてまいる決意であります。部長兼任とは、150万に顕正会員が増えても人材が居ないと言うことを、世間に教えてるようなものでしょうね。そして、今では忘れ去られた「三千人、北海道大会」の言葉が出てくるとは、触れて欲しくない過去の話題ではないかと思ってます。本年の北海道会員数が、10579名いますが、三分の一の三千名を集めることも出来ないのですから、来年に三千名大会も無理でしょうね。そして、大会自体はいつの間にか開催しないで、スルーするのではと思います。開催しても、全国から参加者を集めて偽三千名大会でも開催するのかて感じでしょう。 ま、神奈川大会2万名開催がされませんでしたが、神奈川に2万人の会員も存在しない。というより、2万という人数だと、全国規模になるから、最初から無理な大会を浅井会長はぶちあげたんですね。 四月度総幹部会において胸に突き刺さったのは、先生が私達を励まされる中にも、今法城を「一五〇万の関所」と密かに思われていたことであります。 そして三月十一日に起きた巨大地震により、戦いにさらなる困難が予想されるなか、先生は何よりも東北顕正会員の生命を案じて下さり、不思議にも全員が御守護を頂いたのでありました。 そしてそこから全顕正会員に「地涌の菩薩の魂」が湧き上がり、結果、未曽有の大震災がかえって大勝利の因となったこと、先生の強きご一念に低頭するものであります。 振り返れば、先生が法戦開始に当り「鋼のような強き心で、今度こそ」と叫ばれたこと。 また震災後の初の日曜勤行において呵真謗法滅罪抄の「何なる世の乱れにも・・・」との御文を引いて指導下さったこと。 さらに三月度総幹部会における「戦いは長の一念で決まる」との指導。 松野抄講義録が出来し、「仏法を得べき便りは今」と全員が命に染めさせて頂いたこと。 そして立宗御報恩勤行会において 「今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」との大聖人様の鉄石の御誓願を拝しての指導等々。 まことに、何もかも先生に手を引いて頂いていたのだと、報恩感謝の念は尽きぬものであります。2回連続の敗退てことは、長の一念。浅井会長の一念が足りなかったて事でしょう。もんだいは、5・6・7月の勧誘がどうなる家でしょう。4月は、中学卒業と同時に顕正会員にシフトする子供がいます。その辺の人数を最初から計算した、目標設定でしかないでしょう。 先生は「六万恒河沙の地涌の菩薩は、大地震裂してその中から涌出した」と述べられましたが、今後、大地動乱の列島全域において、続々と地涌の流類が出現するのだと、全く新たな歓喜に沸き立つものであります。 ここに「一五〇万は必ず成る」との確証をつかませて頂き、決意はいや増すものであります。累積人数で言えば150万はなるでしょう。しかしこのまま累積人数で換算していたら、いつか日本の総人口を超える会員数になりますね。(笑)と言っても、そこまで顕正会が存続してることも無いですし、消えかかりの蝋燭状態の顕正会。勢いがあるように見えて、実際は、風前の灯火でしょう。 先生は、今回の想定外の超巨大地震は「仏法より事起こる」と改めて示されました。そして今後懸念されるのが、今回の大地震が引き金となって起こる首都圏直下地震であり、さらに東海・東南海・南海・日向灘連動の巨大地震が西日本を襲うこと。その上、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついに他国侵逼に至る「広布前夜の大罰の姿」を示され「すべては、日蓮大聖人の御化導を助けまいらせる諸天の働きによる」と断ぜられました。 大慈大悲の御本仏を怨み、御頸を刎ね奉らんとした日本国の大罪は現当に逃れ難く、この諸天の怒りを感じられた先生は、七年前に諫暁書を著わされ、前以て「大罰」を言い切られたのでありました。日本国の大罪と言っても、現代の人間が直接関わったことでもないし、まして、日本の国土がしたことなら、人には関係ないことでしょう。 これを見て、仏法の道理も知らず嘲笑った学会・宗門の怨嫉者に対し、先生は「もし、そうなったらどうする」と心中深く思われていたことも明かして下さいましたが、ただ胸を締め付けられる思いでありました。 しかし七年を経た今、ついに大罰の時代に突入し、もう誰も嘲笑うことができなくなった事実に、先生に対し畏敬の念でいっぱいになったものであります。7年前のダ本ばかり持ち上げてるが、平成9年のダ本の中身に関しては、どのように答えるのか?・・・彗星が現れて、地震・飢饉・他国侵逼・自界叛逆と大罰の当来と言っていたはずです。そして、平成19年に核戦争で日本が滅びると断言したことに対して、笑っただけであり、仏法の道理も知らずにと言ってる浅井昭衛以下顕正会員の方が、仏法の道理に疎いでしょう。 先生は「『大事には小瑞なし』と。いよいよ広宣流布して戒壇の大御本尊が国立戒壇にお出ましになるほどの重大事に、小瑞しか現われぬということはない。ここに正嘉に次ぐ巨大地震が起き、未曽有の大罰が起きる。これこそ大瑞である。この大罰の中に、大聖人様は必ず日本をお救い下さる」と叫ばれ、最後「今後の御奉公を思えば、胸が高鳴る」と述べられました。先生がずっと待ち望まれた、広宣流布の直線コースに突入した今こそ、大成長を固く決意するものであります。 されば秋の一五〇万法城屹立を見つめたこの五月、一切の油断を排し、機関紙拡大と先手の折伏を推進し、必ずや全員でお応えしてまいる決意であります。他の幹部の似たような内容の話ばかり。幹部といっても、LV0の幹部が大半ですから仕方がないのでしょうね。
2011年05月24日
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参照そのことは、聞いたことがあります。 パールさん御講の前に前泊して、土曜日の午後一時半の御開扉を受け、翌日の午後一時半の御開扉を受けるということを聞いたことがあります。これは、塔中坊信徒の方の場合ですね。どちらも添書登山扱いか、片方だけ支部登山で片方が個人添書て形でしょう。これは、昔からあることですし、支部登山の人数としては、支部登山の方に参加した方だけなので、問題はないでしょう。Re:ネタにされる前に暴露する! ちゃりさんえっ?添書で連泊して二回御開扉受けることありますよね~?ご希望があれば支部登山でも二回受けることもありうるんでは?まちがい?上でも書いてますが、添書登山は支部登山参加者の人数には入りません。今回問題にしてるのは、支部登山参加者の人数の水増し行為です。支部登山では1回の登山で1回の御開扉で、支部登山参加者とカウントされます。しかし、個人で添書登山の場合は、支部登山参加にはならないので、支部登山→添書登山でも1回の支部登山参加と成ります。その逆の添書登山→支部登山でも同じです。1回の登山で2回の御開扉は出来ますが、支部登山とは宗門から参加人数のをカウントしてますし、末寺単位で全講員の参加をとぶちあげてます。 しかし、実際問題として全講員登山は、年数回の支部登山があっても無理でしょう。場所に寄っては、全講員の半数に満たない参加人数とかもあるみたいです。そんな少ない参加人数だと何をしてるのか!とおしかりを受けますね。だから、支部登山の参加人数の水増し行為が行われています。 病気欠席でも登山に来たようにしていたりとか。そこまでして、支部登山の総参加数を所属信徒の総数に近づけなければいけないのか?確かに全講員が年一回の登山は大事でしょう。しかし、そのためにも育成が確り出来てないと無理なことでしょう。その育成を疎かにして、登山結集と言っても無理がありますよね。Re:ネタにされる前に暴露する! 大将さん支部登山→一泊して添書登山っていうふうに参加している人はうちの支部でいましたよ~ ただ今は九州に単身赴任中で九州のどっかの寺の預かり信徒になっていますが。。遠方の方は結構されてる方はいますね。この場合は、支部登山1回のカウントですし、問題は無い行為でしょう。育成。。うちの支部は二世以外(自分の代から信心始めた人)の方のまとまりはいいのですが、二世三世の方とはちょっと壁があるようです。。中が悪いということでなくなんというか元々の境涯が違いすぎるからなのかわかりませんが。。うちら自分の代から信心を始めたものは折伏も含め、座談会やお寺の行事を、ある意味凄く楽しんでやっているのがみてとるようにわかるのですが、二世さんたちは、楽しくないとはおもっていないでしょうが、子供の頃からの習慣みたいな感じで行事参加しているきがします。。ただやはり二世さんたちの方が色んな意味でしっかりしていますが。。どちらにしてもいい意味で楽しく真剣に信心できる環境をつくりたいですね!!ごもっともな意見ですね。末寺でよっても違いますし、また正宗信徒になる前の信仰歴てのも問題だと思いますよ。 自分の代から求めて信心した場合だと、行事参加も楽しくてしょうがないでしょう。ここで問題なのが、自分の代でも折伏されててケースですね。この場合は、紹介者がいれば、その方が確り面倒を見るべきなのでしょうが、折伏を頑張ってる方は、次の折伏と忙しくて折伏した方の面倒を見ることが疎かになるケースが多いです。 やはり、ある程度一人でも行事参加するぐらいの人材に育成させなければ、数をおう折伏。顕正会で言う勧誘と変わらないでしょう。 地涌倍増と言ってますが、御講の参加人数てあまり変化が無いところが多いみたいな感じを、話を聞いてるとします。これって、育成が疎かになってるから参加人数の変化が無いと言えるのではと思います。で、二世ですが、活動家はのほほんとしてますが、信心は確りしてると感じます。しかしそれ以外はとなると、いささか疑問があります。年1回とかしか見かけないとか、そんな感じでしょう。家族の育成は家族の役目。しかし、やかましく言っても反発したりすることもあるでしょう。ならどうしたらいいのか?と成りますが、楽しく真剣に信心ができる環境を作ることは、本当に大事だと思います。 個人的には、育成、環境整備の時だと思ってます。あと数年もしたら、学会・顕正会からの入構が増えるでしょう。そうなったら、今の体制では、育成もままならないし、育成する人材も不足してる状態では、講中自体のまとまりが無くなるでしょうね。そして、古い信徒と新しい信徒での見えない壁みたいなのもできるでしょう。先を見つめて環境整備をしなければ、日蓮正宗の未来の変化もないと思ってます。
2011年05月24日
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顕正新聞5月15日号より。【被災地の惨状に言葉失う「もう広宣流布しかない」の決意わく】第六婦人部幹事・横浜支区部長 菊池 ○○ 三・四月法戦、誓願を大きく突破する一万六千二一七名の大法弘通とお聞きし、大興奮さめやらぬものであります。 総幹部会で先生より「三・四月の法戦こそ一五〇万への関所であった」とお聞きし、新生横浜支区もその大事に間に合った感激でいっぱいであります。 今法戦は、松野抄講義録の感激のまま夢中で戦ってまいりました。法戦開始に当り誓願の十倍を決意いたしましたが、その瞬間から横浜支区は心が一つになり、弾んだ空気の中で「浅井先生に十倍の成長を以てお応えしたい」との熱き思いで戦った結果、誓願比一七六%の弘通が叶いました。今、さらなる大折伏の決意が五体に充満しております。 三月十七日には、念願であった台湾の高雄を初めて訪れました。 昨年、八十歳で亡くなった武者馨さんは、パーキンソン病の身体で車イスに乗り、高雄中学の同級生を次々と折伏七、台湾・高雄広布に命かけて戦いました。その武者馨さんの台湾広布への思いに衝き上げられ、私も高雄での弘通を念願しておりました。 現地では、日本から同志が毎月通っての数年間にわたる死身弘法があり、高雄の同志の純粋熱烈な信心には、私も尊敬と感動で一杯になりました。 私は台湾の地でお題目を唱えるたび、報恩抄の「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」の御金言が胸いっぱいに広がり、全世界に広宣流布して南無妙法蓮華経が地球上に流れていくことを一分なりとも実感させて頂き、胸の奥から広宣流布への熱き決意が湧き上がってまいりました。 そして三月十一日の巨大地震において、東北の全顕正会員が御本尊様の御守護により無事であったとの報に、地涌の流類を諸天はかくのごとく守ってくれるのだ!と、有難さで一杯になりました。 四月一日、私も支区員と共に、余震が続く岩手・宮城に赴きました。テレビ報道により激甚の被害は想像しておりましたが、村山班長の実家がある岩手県山田町が近づくにつれ、眼前にした凄まじい惨状には言葉を失いました。 どこまでもどこまでも、見渡す限りは瓦礫の山でした。この瓦礫の山を見て「日本はもう復興などできない、もう絶対元には戻れない。御本尊様におすがりするしかない、もう広宣流布しかない、地上の戦いをもっとむっと速めたい」との決意が湧いてまいりました。関東大震災。戦後の復興。阪神の復興と経験してる不屈の日本人は、絶対に復興させることができるでしょう。広宣流布に成ったからって、復興などするわけ無いでしょう。何もしないでも、諸天が復興させるわけでもないのですから、人間が復興作業するてことには変わりがない。 村山班長の妹の川村さんは、漁業を営む夫と家に居る時に地震が来たそうです。夫は「津波が来るかもしれない」と港にある船の様子を見に行きました。川村さんもすぐ夫の後を追って外に出て海の方を見ると、すでに津波が押し寄せてくるのが見え、夢中で高台に走って逃げ、そこに自衛隊のヘリコプターが来て無事に避難所に行くことができました。自衛隊のヘリてあまりにも対応が早い気がしますね。話からすると、地震が起きて直ぐに港に行ったとなるでしょう。まだ、警察・消防・報道機関のヘリが飛んだぐらいでしょう。県内の自衛隊がといっても、そこまで対応が出来たか? 川村さんは名ばかりの入信でしたが、夫は先祖からの日蓮宗に執着して大反発をしていました。名ばかりとはいえ顕正会員の川村さんは御本尊様に命を救って頂くことができ、大反発の夫は津波にさらわれ行方不明となっていました。名ばかりの顕正会員では、守護は無いはずだったのでは?しかし、夫を引き合いに出して、他宗はというのは、輝子さん。いけないなぁ~ そして数日後、夫は三十キロくらい離れた瓦礫の山から遺体で発見されました。その時の自衛隊員の話では、首だけの遺体や、手足のなくなった遺体もあることを聞き「無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時」の御文が胸に浮かび、息が止まるほどの大衝撃を受けました。 大自然の猛威の前には人間の力などまことに小さいものであり、松野抄の「生死無常・老少不定の境あだにはかなき世の中」を実感し「財産も地位も名誉も、福運が尽きればあっというまに崩れ去る。いや人生そのものが、わずか数十年のはかなさである。……一生をむなしく過ごして、臨終に悪相を現じて地獄・餓鬼・畜生等の悪道に堕したなら、いつの日にか再び人間に生まれ、成仏を得る機会があろうか」との先生の指導が胸に迫ってまいりました。 御本尊様にお値いすることもできず、「南無妙法蓮華経」を一度も唱えることもできず、「助けて」「助けて」と叫びながら流されて行った人もいると聞いては胸が締め付けられ、地上の戦いを遅らせてはいけない、もっともっと急がなければとの広宣流布への燃える決意が湧いてまいりました。御本尊様にお逢いて意味では、日蓮宗でもありでしょう。まして、お題目なら学校の教科書でも出ているのですから、一度は唱えたこともあるでしょう。しかし、御本尊に会うことも、お題目を唱えることも出来ずに、助けてと叫びながら流されたと聞いてて、そんなの判らないでしょう。あったこともあるかもしれないし、お題目を唱えたこともあるかもしれない。 宮城県名取市に実家がある一組長も、避難してきていた母戦と妹を「もう御本尊様しかない」との大確信で、それまで弱々しかったのが嘘のように力強く折伏し、入信させることができました。 また入信を拒んでいた高校生が入信したり、「これ以上、誰も死なせたくない」と三名を入信決定させた組長、「広宣流布しかない」と奮い立った台湾の組長等、地震により支区員の信心も「有難い」と「広宣流布」への思いで様変わりとなりました。これらの姿を見て、「広宣流布は大聖人御一人のお力で成し遂げられる」を大確信したものであります。広宣流布は大聖人様がてことなら、浅井昭衛があと何年で広宣流布みたいなことを言うこと自体、おかしいことでしょう。なぜ、そのようなおかしなことを言ってる浅井昭衛の言葉に疑問を抱かないのか? しかしこれはどの大惨事ですら巨大地震連発の始まりであり、種々の災難が続発した後、ついに他国侵逼が起こるのであれば、「日本国一時に信ずる事あるべし」は甚だ近しと大確信するものであります。仮にあっても顕正会を信じることは無いでしょう。日本国一同てのも無理。赤子が信じる?園児は?となると無理でしょう。 四月度総幹部会の席上、私ごとき信心微弱な者が第六婦人部幹事の大任を拝命し、身の凍るような緊張感でいっぱいでありますが、面接の析、浅井先生からもったいないまでのお言葉を頂き、この有難さと感激は「何を以てかこれを報ぜん」の決意となり、横浜支区・茨戦支区一同ともに全員で大成長いたします。 この五月よりさらなる広宣流布への大情熱で、一五〇万を速める戦いを開始し、月々日々に成長の証(あかし)を顕わし、無二の師匠・浅井先生に必ずやお応えしてまいる決意であります。神奈川のどこかで、ぜひ遭遇したいですね。 気分が悪くなるような内容の新聞ですよね。
2011年05月23日
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ある方からのメールで、登山会の問題点が判明した。この件に関しては、筆者が判断して独断で問題定義をするものであり、メールをくれた方には一切責任がない。ことの始まりは、支部登山に行ってきました。とのたわいのない内容で、登山会の出来事などを話した内容でしたが、その中で、問題になる内容が含まれてました。1回の登山で2回の御開扉を受けた。とあり、そんなことは可能なはずはないのだが、一泊登山で、当日と翌日の2回に渡っての御開扉をした。これは、支部登山者の人数を水増しする行為であり、本来は行われてはいけないことである。 登山事務所では、登山者の名簿が提出されるか、その辺のチェックもしてないのかと思うが、宗務院公認なのか?裏でOKが出されたのか定かではないが、登山者人数を目標(ノルマ)を達成させるための苦肉の裏技でも使ったのか?・・・そこまでしなければならない、末寺の状況も考えた計画を考えてもらいたいものである。新報・フェイクなどで、供養集めの登山会と言われているが、この様な行為が横行してるのであれば、供養集めの登山会と言われても仕方がないことだろう。戒壇の大御本尊様に会うための登山会であるが、進んで登山会に参加するような人材育成。また、登山会に参加して良かったと思うようなことを行えば、不正行為をしなくれも登山者は増えるだろう。御山に行っても自由時間を設けたりと考えるべきではないかと思う。年数回行く方なら、自由時間など無くても良いと思うが、年1回しか登山しない方なら、本山に来たのだからゆっくりしたいと思うのもあるだろう。まして、初登山とかなら、尚更である。慌ただしい登山会なら疲れるだけで、活動家でない方だと、もう行きたくないと思ってしまう可能性もあるだろう。ぜひ誰もが、また登山に行きたくなるような登山会をしていただきたいと願う。さて、話が変わるが、法華講では、創価学会を救いたいと顕正会と同じようなことを言っているが、折伏して勧誡した方に対して、育成が確り出来ているのか?と疑問に思う。 どこの末寺でもと思うが、元顕正会員。学会員の定着率が悪いだろう。比較的定着率が良い場所は、元顕正会員。学会員が多い末寺であり、逆に定着率が少ないところは、元々の法華講員が多い末寺である。 これは何を意味するのかと考えると、法華講員は育成が下手なのである。学会を破門して独自の組織運営を行うようになったが、いままでの墓檀家とか言われてる時と違い、組織拡大を図ることが苦手なのだろう。なんせ、20年経っても組織運営もまだ、ぎこちない感じがよく見られる。どうしたら改善が出来るのかと考えるに、もっと若い世代の意見も聞き入れるべきだろう。年長者・信心歴が長い人のはなしは、確かに凄い物があるが、育成とか組織運営に関しては、平成の時代にあってない。時代の変革に対応できない組織など伸びることはないだろう。まずは、育成を確りするべきであるが、折伏、育成を同時に出来ないのであれば、育成を優先にするべきだろう。 折伏優先で育成を疎かにするのであれば、顕正会の数をおう勧誘と変わらない。数の上で信徒数が増えても、活動家が居なく、名簿上の信徒しかいないのであれば、いくら結集をかけても苦しいだけだろう。また、外に向かってばかりでなくて、中も見つめるべきだろう。信徒個人の悩みの相談も出来ないような雰囲気がある末寺が多いみたいである。そんな身内の悩みの相談も出来ないような所で、学会員を救うとか逝っていても説得力などない!まずは、現在の所属信徒の意識改革をして、お寺に来たい雰囲気を作り出せば、自然に活動家は増えるだろう。ま、所詮理想論であるが、その理想論も達成できなくて、広宣流布など無理なことである。 法華講員諸氏は、いろいろな思いがあるだろう。山門はけしからんと思うのなら、堂々と意見を交わすことをしてもらいたい。どうも書き逃げするような法華講員のコメントは、ハッキリ言って不快である。自分の主張だけして、逃げる行為など、顕正会員と同じでしかない。
2011年05月23日
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継命新聞5月15日号より。【正信会問題Q&Aの欺瞞】Q・日顕上人は、日達上人から血脈相承を受けたことをいまだに証明できていないのではありませんか。A・日蓮正宗の血脈相承は、「唯授一人」の語が示すとおり、御当代法主上人と次期法主上人とのお二人の間でなされるものであり、そのほかの者は、その内容の一分すら、窺い知ることはできません。よって、御相承について「証明」などと言い出すこと自体、信仰の筋目を全くはき違えています。―略―今日に至る三十余年にわたって、「自分が日達上人から御相承を受けたなどと、だれも言い出していないことも、一つの大きな裏付けと言えましょう……」正解・日達上人は急逝され、語られないのですから、あとは阿部師が経過と根拠を明示するのが当然の理屈です。 貫主に説明責任は無く、説明を求める大衆は信仰の筋目を違えたとの暴言には、法も道理も無くこれを世間では非常識と言います。だから貫主絶対主義と批判もされます。 その挙げ句、日興上人と五老僧の例をひき、証明しても信じない奴は信じないなどと開き直るのは悪い性格です。 しかも、証明できない弱みでしょうか、「誰も受けたと言わないことが」つの大きな裏付け」だとは、言行不一致も甚だしい。裏付けとは証拠、証明の意味です。 やはりできることなら証明をしたいと言うのが、本人も取り巻きも本音のようです。正信会では、精力的に反論文を掲載してますが、正宗・法華講側はとなると・・・
2011年05月23日
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継命新聞5月15日号より。【「正信会問題の沿革―迷走した正信覚醒運動―」に反論する(4)】 前回まで、宗門が正信会を訴えている「名称裁判」について説明しました。 大聖人は、大集経の文を引いて、末法という時代は争いや訴訟が絶えず、正しい法が失われると警告して下さっております。 その大聖人の仏法を標榜する宗教団体が、血脈相承という大事を誤魔化し、誰もが納得できる説明・証明もできないまま、相承に疑いは無いと主張し続けています。 その上、「日蓮正宗」を名乗れるのは自分たちだけだとして、突如訴訟を起こすことは自ら闘諍言訟の姿を現じるもので、滑稽という以外に無いでしょう。 また勝った裁判は、錦の御旗と喧伝する一方で、今回の「名称裁判」のような不利な、負けた裁判は信徒に知らせないのは道理を欠いています。 宗門信徒の皆様には、宗門の発表・発行物だけでなく、広く世回に目と耳を転じて、ぜひ「名称裁判」のことも知っていただきたいと思います。そして僧俗を交えて、大いに議論していただきたいと願います。 さて、この冊子が発売されてから、半年が経ちます。初めの頃こそ、意気盛んな宗門信徒が冊子を手に、正信会破折を試みていたようです。 しかし、この冊子を突きつけられて、困ったり脱会した正信会信徒を寡聞(かぶん)にして知りません。 宗門でも、今はそれほどこの冊子を推薦しているようにも感じません。 当記事では、冊子の発売理由を「名称裁判の不利を言い訳するため」と推理していました。 ところが、内容を読めば読むほど、正信会問題を掘り下げるというには、ボリューム不足であり、教義的な主張も希薄です。 なにより、正信会が追及し続けている「阿部日顕師の相承問題」について、ほとんど触れていません。 冊子の年表でもわずか一行で説明されるだけで、意図的にこの話題を避けているように思えます。 正信覚醒運動の発端、創価学会との確執、宗内を二分した阿部日顕師の相承問題、正信会の発足、どれもそれぞれが複雑に絡み合い、容易に語りつくす事のできない難問ばかりです。 それがわずか150余ぺージで、わかりやすく解説できるものでしょうか? 阿部日顕師の相承について、宗門は長らく「証明を言い出すことがすでに謗法法である」という立場をとっています。証明すること、証明を求めることが悪いことであるように言い続けています。 しかし、今の宗門が正信会に対してできる最大の破折は「日達上人から阿部日顕師への相承が間違いなくあったと証明する」ことです。 これほど簡単で絶大な効果を持つ破折は他にないはずです。 それが宗門は、この30年間、一切具体的な証拠・証言を出していません。 これは結局、阿部日顕師に相承がなかったことを裏付けるものではないでしょうか。「相承に証明を求めるのは謗法」「唯授一人の血脈を理解できていない」という理屈は聞き飽きました。 本当に阿部日顕師に相承があったのであれば、もういい加減何かしら証拠を出してもいいのではないでしょうか? もしくは、阿部日顕師自ら「自分は間違いなく相承を受けた法主である」という地位確認の裁判を起こしてはいかがでしょうか? 宗門では、相変わらず「御命題達成」を旗印に人数確保に躍起になっています。 この冊子が発売されたのも、名称裁判の言い訳はもちろん、正信会信徒を切り崩し、少しでも人数を上乗せするためではないでしょうか? いずれにしろ、この冊子は先にも述べたように、現在の法主を無条件に崇め奉るという、日運正宗としてあってはならない信仰観に立脚して書かれています。 改めて、冊子の内容を糺しつつ、正信会と、日蓮正宗の正しい信仰のあり方について述べていきます。大白法では、反証の反証がされてませんが、このままにしとくのか?・・・最初だけ反証の反証をして、あとは放置てのは無しにしてもらいたいですね。最初に仕掛けて、放置てのは、酷いとしか言えませんよ。あ!内容に関しては、各自で判断していただきたい。
2011年05月23日
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更新情報映像1号館に体育文化祭映像(前半)UP前編必見!ぜひこの機会に見て下さい。おもしろさ満点ですよ!妙境23年3月号より。 (前略) 私の場合は、顕正会員だった後輩と縁があり、一昨年折伏を成就させていただきました。 顕正会員だった松本さんには、三年ほど話をしてきましたがその中で、私の家の御本尊様の前で話をし、帰り際に「御本尊様に一緒にお題目三唱しよう」と言ったところ、彼女は三唱することはありませんでした。私はこの姿を見て一日も早く彼女を日蓮正宗によって救っていただかなければとの思いを強くしました。 松本さんの折伏が叶い、その年の十二月、初登山で期待と不安でいっぱいの当日、松本さんが顕正会に入会させた原本さんから突然電話がありました。登山から帰るとすぐ折伏をして、原本さん一家四人を年末に入信に導くことができました。その折伏が大きな機運になって、他の地区長さんも十数年来、折伏し続けてきた顕正会の方を日蓮正宗に帰依させることができ、その方も顕正会でのお友だちを次から次へと日蓮正宗に帰依させていらっしやいます。 その上うに松本さんも入信直後は、顕正会の人とは接触を持ちたくないと言われていましたが、最近は御住職の御指導に触れ、自分が入会させた方を救っていただかなければと、思う上うになってこられたようです。 これからはその波紋がどんどん広がっていきそうです。(後略)知人からのネタ提供です。妙境平成23年3月号の中にあった、記事から抜粋。ネットでは流れてない話みたいですが、じわじわと顕正会員の折伏が進んでるみたいですね。
2011年05月23日
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参照班長会。 ジャスティさん>最新号の顕正新聞で班長会の参加人数の発表がありました。>一万六千七百余名と成ってますが、全国の班長とそれに準ずる方(組長)も含まれてるので、班長会の参加人数の2倍か3倍が実働人数の限界ではないでしょうか?・・・入信したての役職無しの者も浅井会長と広宣流布を目指す同志なら参加しても良いっていってますよ。早めに囲い込んでしまおうってことですかね。まっ、地方の隊長か副長なり隊幹事の独断決定でしょうが、そこまでしないと人数が確保出来ない状態なんでしょうね。昔にいた幹部(所属や隊は不明)の姿が最近見られないんですが、転勤でもしたのかな。それとも顕正会を辞めたか謹慎か…。ほんま顕正会は闇ばっかですわ。Re:コメントレス かんちゃんさん入信したばかりの人どころか、未入信者を結集しろと言われた事もあります。班長会という名前をやめて○月度○○部集会にしたらいいでしょうねジャスティさん。かんちゃんさん。コメントありがとうございます。お二人とも男子部だと思うのですが、男子部の一部?なのか、ほとんどなのかは、不明ですが、実際の班長会は、名目だけしか存在しなく、組長、役職無し。また、顕正会員に入会してない方の参加もあったとなると、大本営発表の参加人数も怪しくなりますね。壮年部が存在していたときは、壮年部でも同じような事が行われていたのか?また、女子部・婦人部でも同様の行為が行われていたのか?・・・自分が所属していた組織でも同様のことが行われていた。と言うか違いましたら、ぜひ、コメントなりで、教えていただけたらと思います。また、班長会だけではなく、幹部会でも同様のことが行われていた。てのも募集しております。 些細なことではありますが、この様な誤魔化しが行われているとなると、幹部会参加者も怪しいとなります。そうなりますと、顕正会の行事そのもの。幹部会、班長会と言っても会員または、非会員総出の集会と判断しても差し支えないとなるでしょう。次回予告。あの忌まわしき体育文化祭の映像を後悔公開!平成7年の映像であるが、顕正会の映像の中で一番面白いと思う。2時間と長いものであるが、こんなに面白いものとは思わなかった。ただいま作業中なので、映像UPは後日で。
2011年05月22日
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参照この方のご主人は、公開拠点となっている星川○○67隊支隊副長です。 たくチャンのパパさん宮古市もかなり強い揺れに見舞われ、震災当日は、岩手県を含む東北地方全域は停電であったハズです。あの強く長い揺れの中、何も倒れず定時まで勤務を続けるとは考えられません。沿岸部に住む方は、津波警報が発令されたら高台に避難するのが常識です。ましてや、今回の地震では東北地方太平洋沿岸部には、大津波警報が発令されたのですから、避難せずに勤務を続けるなんて有り得ないでしょう。また、4月15日号の顕正新聞によれば、横田総男子副部長は、「星川副長の自宅拠点は氾濫した河川から数百メートルしか離れておらず、避難勧告からまもなく津波が押し寄せ、足腰の弱った八十五歳になる父親を連れ、無事避難できたとのことでした。」と述べており、「その日、年老いた母親はたまたま弟の家に手伝いに出向いており助かり、もし高齢の両親二人を副長一人で避難させることになっていたらとうてい間に合わず」とも述べております。このような状況の中、同じ宮古市内で津波から避難せず定時まで勤務など出来る訳がありません。また、婦人部星川班長は登壇で、震災より二週間後には自宅に戻った。と語っておりますが、横田総男子副部長は、「(星川副長は)十八日には避難所から自宅に戻り」と述べております。(震災より一週間)ですが、この婦人部星川班長は、震災より二週間後に自宅に戻った(震災より二週間後は、3月25日。)と述べており、一体どちらが正しいのでしょう。作文ですから、矛盾が出てきてますね。それにしても、横田さんと本人の記事で矛盾が出てきてるのは、大失態でしょう。 また、津波の避難警報でも、他の登壇者は、避難したのに、この方だけはしてないってのもおかしいでしょう。ま、今後の登壇記事でも、今までの地震登壇との矛盾が出てくるかも知れませんね。Re:この方のご主人は、公開拠点となっている星川○○67隊支隊副長です。(05/16) 水無月さん>たくチャンのパパさん鋭いご指摘はさすが東北で活動してこられたゆえのこととお察しします。明らかに矛盾が生じる星川発言と横田発言は今後やりだまに上がることは間違いないでしょう。そして、いつもは2回しか行なわない星川宅でのビデオ上映を5月総幹は3回にするのか。震災後三陸地域の入信者が増えているかのような印象を与えようとしているのか、そして5月班長会あたりでそのようなインチキ登壇をさせるつもりなのか。いずれにしても全国的にネタが乏しくなっているためにあえて震災をネタにインチキ登壇を増やしている厳しい懐具合がわかります。みんなで考察・検証すると、見逃してる部分が明らかになりますね。今回の記事は、決定的な矛盾の証明になるでしょう。 詳細な考察が出来てませんが、地震発生からの登壇で、地域ごとに話の内容を検証すると、新たな発見があるかも知れませんね。今後の登壇記事も楽しみになります。^^最新号の顕正新聞で班長会の参加人数の発表がありました。一万六千七百余名と成ってますが、全国の班長とそれに準ずる方(組長)も含まれてるので、班長会の参加人数の2倍か3倍が実働人数の限界ではないでしょうか?・・・
2011年05月21日
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更新情報4月幹部会・浅井会長講演UP参照Re:浅井会長講演4(05/19) ANPさん平成九年・・・彗星の年でしたね。その十年後核戦争・・・いやはや、偶然ですね。あと台湾の方の体験発表は無いんでしょうか?今は、地震特集なので、台湾の方の発表は当分無いでしょう。それに、台湾会員と言っても、実数も怪しい感じですしね。
2011年05月20日
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【広布前夜の大罰の姿】 広布前夜の巨大地震の連発がどのようなものか、これでよーくわかりますね。 まずマグニチュード9・Oの東日本巨大地震が発生した。そしてこれが引き金となって首都圏直下地震が起こり、さらにマグニチュード9クラスの東海・東南海・南海・日向灘連動の巨大地震が西日本を襲うというものです。まさに大地の咆吼であります。 いいですか。東日本がマグニチュード9・O、西日本も同じく9・0クラス。そして列島中央の首都圏は直下の大地震。その上に国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには恐るべき他国侵逼が起こる――これが広布前夜における大罰の姿なのであります。広布前夜の巨大地震と言われても、根拠が乏しいだけではなく、浅井昭衛の願望でしかないでしょう。そして、広布前夜の大罰の姿と言ってるが、歴史を無視してる時点で、信憑性がありません。それに、顕正会浅井昭衛の描く広宣流布とは、災害が多発して、日本が国として維持できないほどの危機的状況にならなければ、訪れないような広宣流布など、広宣流布しても、復興や他国から侵略された状態で、どのように日本国として、復興していけるのか?という、課題が残されますね。また、顕正会員は、中学生以下ではなれません。そうなると、顕正会の広宣流布の定義。日本国民が全員入会という、問題が解消できませんので、広宣流布には絶対にならないと、自分達が決めたことで自分達の頸を絞めてる事すら気がつかない、哀れな顕正会員! すべては、日蓮大聖人の御化導を助けまいらせる諸天の働きによるのです。 日本国は、この国に出現された大慈大悲の御本仏を怨み、御頸まで刎ね奉らんとした。この大罪は、我が父母を百千万億人殺すよりも重い。 下山抄には「教主釈尊より大事なる行者」と。これは久遠元初の自受用身ということです。日本国は、この尊貴なる日蓮大聖人を、法華経第五の巻を以て頭を打ち奉ったうえ、御頸を刎ね奉らんとしたのです。仏が無慈悲に法を広めるために災害を起こすなんて、あり得ないでしょう。この様な発想こそ、カルト宗教の特有のものです。また、浅井k会長はモウロクでもしてるのでしょう。日本国が頸までをて、日本の国土から手が伸びてきて、大聖人様の頸を刎ねようとでもしたのか?・・・日本国=国民ていう意味なら多少は理解できますが、実際に事に当たったのは、一部の人間。そして、それを知らない人間の方が大半でしょう。そんな身に覚えも無いことや、出来事すら知らないのに、その罪を償うのは理不尽もいいところでしょう。で、日本国は法華経第五の巻でとありますが、日本国がしたわけでもないし、もう、ついて行けない次元に成りつつありますね。「この大禍は現当二世にのがれがたし」と大聖人様は仰せられている。「現当二世」というのは、通常は現世と未来世を意味するが、この場合には日本国の現当二世です。すなわち御頸を刎ねんとした当時の日本と、背き続ける未来の日本国という意味です。日本国の現当二世て、もう、違う世界の住人に成ってますね。浅井会長! ここに諸天は、御在世においては正像二千年に未だなき正嘉の大地震と蒙古の責めという大罰を以て一国を諌めた。 このとき日本国の一切衆生は、大聖人様の絶大威徳に心中頭を下げ、逆縁の中にも未来仏に成る種を下して頂いた。これが御在世の逆縁広宣流布であります。 そして末法濁悪の未来において、一国の謗法と門下の御遺命違背が重なるとき、諸天は怒りをなして御在世に次ぐ大罰を以て「まだ日本は背いているのか、早く日蓮大聖人を信ぜよ」と一国を諫めるのです。正嘉の大地震を強調してるが、それ以前の二千年でも、巨大な地震は起きてます。 なぜ、正嘉の大地震を起点にしか物事を考えることが出来ないのか?・・・【怨嫉者たちの嘲笑】 この諸天の怒りを感ずるゆえに、私は七年前の諫暁書「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」において「まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、……ついには亡国の大難たる他国侵遥か起こる」と言い切ったのであります。平成9年のダ本の内容にはいっさい触れないのですね。やはり、恥ずかしくて触れることも出来ないのかな?・・・それぐらいの羞恥心は持っていたのですかね?・・ これを見て、学会・宗門の怨嫉者たちは「そんなことが起こるものか」とあざ笑った。 私はその悪口を聞きながら 「もし、そうなったらどうする」と、いつも心の奥で思っておりました。平成19年に核戦争で日本が滅ぶとは思ってないし、まして、平成25年に顕正会員が一千万人になって、世界核戦争から救われるとも、起きるとも思ってませんよ。それに平成9年に小田原地震がまもなく起きる。と言っていたのに、起きないで14年の歳月が過ぎてます。もっと言えば、国立戒壇なんてあり得ないし、せいぜい、国主立戒壇でしょうね。 彼等には仏法がわからないのです。浅井昭衛おまえが言うか!仏法ゴッコをして、御山の大将で喜んでるような、小さな人間が仏法を語るか! いいですか。大聖人様は「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。讐へば宅に柱なければたもたず」と仰せられているではないか。 もし日本一同が日蓮大聖人に背き続け、さらに正系門家が大事の御遺命を破壊しても、なお日本が栄え続けるというのであれば、仏法は嘘になってしまうではないか。 彼等は、国立戒壇の御遺命を堅持する顕正会を怨嫉するあまり、この仏法の大道理すらわからなくなっているのです。顕正会員は相手にしてもらえないから、宗門・学会を怨嫉するのであります。仏法の道理以前に、世間の常識も道徳も通用しない顕正会員。人としての存在理由が果たしてあるのでしょうか?と疑いたくも成りますが、大聖人様の法を貶める魔の眷属団体としては、存在理由がありますね。(笑)/font> 柱なき家は潰れる、日蓮大聖人に背き続ける日本は必ず亡ぶ。ここに時来って、ついに今、大罰の時代に突入したのであります。日本国の柱は大聖人様でいいでしょう。さて、世間一般での柱は?壮年の方々ですよね。(例外もありますが。)その壮年部を廃止して、組織が持つわけもないでしょう。柱を自分で撤去した顕正会に未来はもうない! もう誰もあざ笑うことはできない。大聖人様を軽賎する者、そして怨嫉者たちが、大罰の恐ろしさに顔を引きつらせる時が、広宣流布なのであります。「大事には小瑞なし」(大悪天善御書)と。 いよいよ広宣流布して戒壇の大御本尊が国立戒壇にお出ましになるほどの重大事に、小端しか現われぬということはない。 ここに正喜に次ぐ巨大地震が起き、未曽有の大罰が起きる。これこそ大瑞であります。揚げ足取りですが、「大罰の恐ろしさに顔を引きつらせる時が、広宣流布なのであります。」て、東日本は広宣流布しちゃったてことにでも成るんでしょうかね?・・・そして、戒壇の大御本尊様が顕正会が描く国立戒壇に安置されることはないでしょう。個人的には、国主立戒壇に安置が一番良いと思ってます。【御本仏の大誓願】 この大罰の中に、大聖人様は必ず日本をお救い下さる。 ゆえに佐渡の雪中で「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず」と。 この師子吼が、いかにいかに大慈大悲の重き御誓願であられるか。全日本人がこの大現証を眼前に拝し、掌を合わせ頭を地につけ「南無妙法蓮華経」と唱え奉る時は、まもなく来る。 この重大御化導のお手伝いを申し上げるのが、広布前夜に召し出だされた、地涌の流類の大軍勢・顕正会であります。 その顕正会は、本年秋にはいよいよ一五〇万になる。今後の御奉公を思えば、胸が高鳴る。 さあ、全顕正会員が参加して一つ一つ石垣を積み、みごと秋までに一五〇万法城を築き上げ、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)大軍勢て、実際に数万しか居ないのに、虚しく響くだけですね。150万会員に成ろうとしてるのに、5万人大会すら開催できないで、150万と言っても虚しいだけ。それよりも、10万人国会誓願デモをして、本当に150万人の会員が居ると実証して見せれば、話が早い。 所詮、神奈川2万大会も出来ないほど、会員がいませんと実証しちゃってるのですから、いくら会員数が伸びてると言っても、顕正会員いがいは、誰も信用しませんよ。どうせ、実態がない数字でしか無いとしか思ってませんしね。
2011年05月19日
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更新情報映像2号館にて、4月幹部会映像UP(会長講演は、後日UP)お知らせアダ○トからの書き込み多数ありますので、以下のドメインからの書き込み規制を執り行います。規制ドメイン「dti.ne.jp」一般閲覧者で、上記ドメインを利用していて、コメントが残せない問題がありましたら、メッセージの方に連絡をして下さい。参照Re:更新情報&コメントレス(05/17) 釈子・創価門流さん>>明らかに嘘と判ることを平気で述べている顕正会員の言葉は、話半分も信用できないと言うことなんです⇒ごもっともの御意見であると思います。 もう一点あるのですが、他組織からの移籍者の登壇。その内容にも、恣意的または、悪意がある内容が多数あります。特に元学会員の話になると、明らかに嘘と判る内容を、毎回平気で発表して、その上、大げさに誇張してる内容が目立ちます。多少の誇張なら許せる範囲ですが、あまりにも酷い内容だと、所属組織は関係なくて、個人的には許せません。顕正会員の学会にたいしての認識は、幹部の認識と口コミの誇張された認識しかないから、添削しても、どうしても違和感が出てくるんですね。 そんな学会ネタを取り上げて考察・検証をしていても、それを生かす能力が顕正会幹部にはない。 相変わらず顕正会員は、着信拒否!または、別番号で書けても速攻で切る。何とも顕正会員とは、ヘタレな幹部が多い!(笑)
2011年05月19日
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【首都圏直下地震】 しかし、これらの余震とは別に、さらにいま強く懸念されているのが、今回の巨大地震で誘発される、首都圏直下地震と、東海・東南海・南海地震であります。 首都圏直下地震については、このところ多くの専門家が一斉に言及しております。中でも東京大学地震研究所が四月二十二日「東日本大震災の影響で、首都圏の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっている」という解析結果を発表している。 さらに、小田原地震・東海地震・首都圏地震について前々から言及していた石橋克彦・神戸大学名誉教授が、週刊朝日でこう述べております。「3・11の巨大地震で、小田原地震がいよいよ起こりやすくなったばかりか、今や小田原地震を待たずに、首都圏直下地震が起きる可能性が出てきた」その理由として「首都圏直下地震を引き起こす地下のプレート接触面に沿う変形が、少し上乗せされるような動きが生じたと推定される。したがって、首都圏直下地震が起こりやすくなったと言える」と説明しております。 首都圏の人口は三二〇〇万人ですよ。日本の国土のわずか三・六八ーセントの面積に、総人口の二六八ーセントに当る人々がひしめいているのです。この超過密・ハイテク巨大都市群がもし巨大地震に襲われたら、それは石橋さんが曽て警告したように、まさに「人類にとって初めての体験」であり、「人類がまだ見たことのないような様相を呈する」ということが事実となる。 そしてこの東京には、政治・経済の中枢が集中しているから、もしここが壊滅したら、日本は半身不随になってしまう。国家機能が麻疹してしまうのであります。【西日本にも巨大地震が】 さらに、3・11の巨大地震で日本列島が活動期に入ったことで、「東海・東南海・南海の地震発生が早まった」との観測が、いま多くの専門家によりなされている。しかもこの三つの巨大地震は連動するといわれている。 文部科学省の研究プロジェクトが四月七日に発表したところによれば「東海・東南海・南海地震が連動して起こると、宮崎県沖の日向灘でも地震が同時発生し、この四つの地震の断層は長さ七〇〇キロに達し、マグニチュード9クラスの巨大地震になる可能性がある。この場合、震度5強以上の揺れと大津波が西日本の大半を襲う」とある。浅井会長があげた場所って周期性があるから、いつ来てもおかしくないって言われてる場所でしょう。だから、その学説をただ、会員に説明してるだけであり浅井会長の預言でも予測でもない。ただし、以前に小田原地震に関しては、言い切ってるから浅井会長の預言ですので。預言といえば、平成25年に顕正会員が一千万にならないと、世界が滅ぶて言ってますね。そんな危機的状況で、のんきに150万とか言ってる場合じゃないと思いますが、平成19年同様、発言自体が無かったことにして、黙殺でもするのでしょうか?・・・【浜岡原発が危ない】 この四地震の中でことに東海地震は、浜岡原発の問題があるから深刻であります。 浜岡原発の危険性については、石橋克彦さんが前々から警告しておりました。石橋さんは、浜岡原発が東海地震の震源域の真ん中に建っていることから、「浜岡原発を直ちに止めよ」と政府に進言した。しかし容れられないので、「学者としての良心が許さない」と言って、政府の委員を辞任した人です。 その石橋さんが、改めて昨日の東京新聞でこう述べておりました。 「東海地震はマグニチュード8・Oと想定されているが、もっと大きくなる可能性がある。しかも震源域から遠かった福島の場合と違い、浜岡は震源域の真ん中であり、揺れを生む断層面も浜岡直下なら十五キロほどで浅い。浜岡で大事故が起きれば、東京や名古屋も強い放射能汚染を受ける恐れがある」 さらに「東日本大震災では、別々に起こると想定されていた複数の地震が連動した。東海、東南海、南海の三地震も連動する可能性がより現実的になった。大余震の続発や、千数百年に一度起きるとの説がある『超巨大東海地震』も、(浜岡原発においては)考慮されていない。制御棒が入らなかったり、原子炉を冷やす機器や配管が同時多発的に壊れる恐れがある」-と述べているのです。 この見解の中で「東京や名古屋も強い放射能汚染を受ける」というところは見逃せないですね。東京がもし「避難区域」に指定されたら、千二〇〇万人の都民はどこに避難するのか。行くところはない。難民になってしまうではないか。 このように、やがて起きるであろう「西日本巨大地震」は、まさに東日本巨大地震に匹敵する超巨大地震なのです。浜岡が危険というより、そもそも、地震大国である日本に原発を作ること自体、危ないて事ですよ。それに浜岡がて、東京や名古屋だけで済むとは言い切れないでしょう。風向きで日本の原発がどこかで問題が起きても、国内には、となるんですね。だから、原発に頼らないエネルギーを考える次期に来ていると言えるでしょう。けど、危ないて言っても顕正会員が、浜岡周辺に住めば、別感の御守護があるのですから、浜岡を守ってもらえるでしょう。だから、急遽、浜岡原発の横にでも浜岡会館でも建設して、日本を救う顕正会とアピールしたらいいでしょう。もっと言えば、大信力がある浅井会長が、浜岡市民に成ればよいだけ。食べ物もおいしいし、のどかで良いところだから、浅井会長は率先して、転居していただきたいですね。それに、国立戒壇を建立する静岡県ですから。^^モチベーションが上がりませんね。
2011年05月18日
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【「想定外」】 だからみな大衝撃を受けたようです。これまで皆こう言っていたのですよ。「宮城県沖で約三十年間隔でマグニチュード7クラスの地震が起きてエネルギーを放出しているから、東北ではそれ以上のものは絶対に起きない」と。ところが今回の巨大地震は、宮城県沖を含む四つの領域が一斉に連動し、南北五〇〇キロ、東西二〇〇キロという巨大な震源域となって列島を揺さぶったのです。 まさか四つの領域が連動するとは思わなかった、四つの岩盤が同時に割れるとは思わなかった――これが学者たちのいう「想定外」ということだった。 で、大衝撃を受けて、東大名誉教授で政府の地震調査委員会・委員長を務めている、あの有名な阿部勝征さんはこう言った。 「地震の見方を改めさせられた」と。地震学者が、自信を失っちやった(大笑)。 【「仏法より事起こる」】 ではなぜ、誰も想定すらできなかったのか。 それは、この巨大地震は「仏法より事起こる」ゆえと、私は確信しております。 だから、四つの震源域連動などという、全く考えられぬ原因で、超巨大地震が発生したのであります。 ちなみに、気象庁ではマグニチュード7以上を「大地震」といい、7・9以上を「巨大地震」と呼んでいる。7・9というと、大正十二年の関東大震災がそうです。7・9以上を巨大地震というのだから、マグニチュード9・Oは「超巨大地震」というべきです。しかし想定されてないから呼称もない。 マグニチュードというのは地震の規模を表わすものですが、これが一つ上がると、エネルギーは三〇倍になるのです。したがってマグニチュード7の三〇倍がマグニチュード8、その三〇倍がマグニチュード9です。 だから9・Oという地震はたいへんなもの、全くの想定外。まさに「仏法より事起こる」巨大地震だったのであります。「仏法より事起こる」意味が分かりませんね。そして、根拠も無いし、ただの脳内妄想でしかないでしょう。なんせ、確信してるて言ってるんですから。【列島全体が新しい活動期に】 地震発生以後、多くの学者がこの巨大地震を解析して、今後の影響について見解を述べておりますが、それらの見解は「3・11の巨大地震で、日本列島は新しい活動期に入った。もう列島のどこで、いつ、大きな地震が起きても全く不思議はない」ということに集約されます。「日本の面積は、世界の面積の400分の1。そこに世界の地殻エネルギーの10分の1が集まってます。」だから、日本は地震大国であり、いつどこで地震が有っても不思議でもない。だから、いまさら煽っても仕方がないこと。 マグニチュード9・Oのエネルギーは、日本列島にかかる力の構造を、すっかり変化させてしまったのです。 国土地理院の観測によれば、日本列島は東北から関東さらに中部地方にかけて、東西に引き伸ばされ、最大で5メートルも東に動いたという。この巨大なエネルギーが、未だ曽てない多数そして大規模な余震を引き起こしているのです。 四月二十七日までに起きた余震は、マグニチュード7クラスが五回、マグニチュード6クラスが七五回、マグニチュード5以上の合計は五〇〇回を超えたという。まだ収まる気配は全くない。今後、数年から十年は続くと言われております。 そしてこの余震において、もっとも懸念されているのが、マグニチュード8クラスの地震ですね。本震がマグニチュード9であるから、それから1を引いた8クラスの余震が起きる、というのが専門家の共通認識です。 その震源は、本震の震源域内あるいはその北か南といわれている。北ならば青森県の沖、南ならば房総半島の沖ということになる。学説の解説はいいとして、だから、信心に関係するのかな?・・・ただの地震お宅の叔父さんが、何か言ってるて感じにしか捉えることは出来ませんね。
2011年05月18日
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顕正新聞5月5日号より【広布前夜の「大罰の時代」見つめよ 大聖人様は大罰の中にお救い下さる 全顕正会に地涌の菩薩の魂みなぎる】 きょうも、大震災の中に守られた数々の体験発表が相次ぎましたが、本当に有難さが込み上げてまいります。顕正会員は、ただ大聖人様の御守護を頂いているのであります。大聖人様が御守護とは、さすが~顕正会特別ですね。仏に守護してもらうなんて、顕正会しかない!他では、加護しか頂けないんですけどね。【立宗の御心に応え奉る】 さて、この三・四月法戦、未曽有の大震災があったにもかかわらず、誓願を大きく突破する一万六千二一七名の大折伏が、ついに成し遂げられました。 大聖人様の立宗の御心に、一分でも応え奉ることができたと思えば、有難さでいっぱいであります。 皆さんには、さまざまな苦難を乗り越え、よくぞけなげに真心を尽くし切ってくれた。三者とも、まことに立派でした。私は、よき男子部、よき女子部、よき婦人部を持ったことを、誇りに思っております。この三・四月法戦が、いかに大事であったか。いいですか。本年は一五〇万を成し遂げるべき年ですよ。国まさに亡びんとする日本国において、日蓮大聖人の御遺命を堅持する一五〇万の地涌の大集団が出現するということは、いかに重大か。さすがに顕正会は特別だ!柱である壮年がなくても平気なんですからね。人生経験、社会経験が豊富な壮年を、疎かにしてるのは、顕正会しかないでしょう。そんな顕正会が日本を救うとか言ってること自体、笑い話?としか思えないですね。【150万への関所だった】 しかし、初陣二月は、まだ力が発揮できなかった。そこで三・四月の法戦こそ、一五〇万への関所であると私は密かに思っていたのです。初陣?今年初めてて意味でも、1月も勧誘が行われていたのですから、初陣て事はないでしょう。今年の初陣ではなく、ただの初陣なのですから、顕正会再建から53年間、継続した戦いではないのでしょうかね?・・・毎回、初陣て事は、継続した戦い。広宣流布に向かっての流れが、毎回リセットされてるって意味でもあるでしょう。たぶん、これが本音なんでしょうね。 ところが三月十一日、日本列島をゆさぶる巨大地震が発生した。弘通は困難になって当り前と思われた。私はただ東北の十数万顕正会員の身の上だけを案じた。 だが――、不思議にも、全員が、御本尊様の御守護を頂いたのです。無事だったのです。ここに皆が、大聖人様の「湿れる木より火を出し・・・」の御守護、また「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば・・・」の有難さに感泣したのであります。名簿上の十数万会員。実数が無いのだから、虚しい数字を挙げて、自己陶酔してるだけの哀れな会長さんとしか言えませんね。【地涌の菩薩の魂にめざめる】 そして、この巨大地震を機に、顕正会にはかえって広宣流布の熱情がたぎってきた。東日本はもとより、西日本、全顕正会員に、地涌の菩薩の魂が湧き上がってきたのです。 法華経の涌出品を拝見すれば、上行菩薩に将いられた六万恒河沙の地涌の菩薩は、大地震裂してその中から涌出したと説かれている。 いま顕正会員はこの巨大地震によって、全員が地涌の菩薩の魂にめざめた。「たとえ我が身はつたなくとも、いま広布最終段階に大聖人様に召し出だされ、お題目を唱える身となれた。何としても御奉公しなければ申しわけない」この地涌の菩薩の魂に、みなが目ざめたのです。戦列から離れていた者まで続々と復帰してきた。新入信者も地涌の流類として瞳を輝かせた。 かくてこの三・四月法戦、みごと大震災を乗り越え「一五〇万は必ず或る」の確証をつかんだのであります。 巨大地震の余震はまだ激しい。今後さらに続く。まさに「大地動乱」でありますが、その中に油断なく、いよいよ強盛の大信力を取り出だし、秋までには一五〇万法城を断じて築き上げたい、こう念願しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)「地涌の菩薩の魂にめざめる」て今まで、地涌の菩薩の集団とか言っていて、自覚も認識も無かったて事なんでしょうかね?・・・ 士気をあげるようなことを言っても、妄信してる会員以外の方は、口先だけのリップサービスかて程度にしか思わないでしょう。 さて、大地動乱のことですが、日本には優秀な地震学者が大勢おります。しかし、今回のマグニチュード9・Oの巨大地震だけは、これを想定していた学者は一人もいなかったですね。相手は、自然現象ですし、想定してなくても仕方がないことでしょう。それでも震度8までの想定はしていたのですから、建物の倒壊とか阪神震災の時よりは、少ない。そういう意味では、耐震対策は良く行われていたと言えるでしょう。ただ、津波対策はいまいちでしたが。ま、学者云々と言いつつも、浅井会長自身も東日本でとは、想定外だったでしょう。だから、学者云々とか言うことも変だし、その学者の説を利用して、巨大地震が来る~て騒いでるのは、浅井会長自身でしょう。まったく、わがままな叔父さんですね。 ハサミと顕正会員は使いよう。て、思われてるんだろうなぁ~
2011年05月18日
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顕正新聞5月5日号より。【大津波の気仙沼港から間一髪で避難!咄嗟の判断・行動全て御守護頂く】男子部第59隊支隊長 熊谷 ○ 私は平成九年十一月、婦入部でご奉公する母の縁で顕正会に入信させて頂き、以来微々たるご奉公にもかかわらず、御本尊様より数々の功徳を頂き、有難い思いでいっぱいであります。 そしてこのたび、三月十一日に発生した東日本大震災において、御本尊様絶対の大確信を深めさせて頂く貴重な体験をさせて頂きました。【気仙沼港一瞬のうちに惨状】 私は現在、宮城県気仙沼市において、船舶のエンジンを整備する会社に勤務しておりますが、大地震当日も通常どおり出動し、地震発生の午後二時四十六分は、気仙沼港に停泊中の船内にまさに乗り込もうとした瞬間でありました。突如襲ったマグニチュード9・Oの大地震は未だ曽て経験したことがない衝撃で、それはあたかも胸ぐらを掴まれ、思い切り全身を揺さぶられているような感覚で、立っていられないのは勿論、咄嵯にしがみ付いた大きなワゴン車でさえ、ひっくり返りそうな勢いでありました。 しかも地震の揺れは想像以上に長く強烈で、その威力を物語るように、ブロック壁はみるみるうちに音を立てて崩れ落ち、まさに一瞬で辺り一面は惨状と化しておりました。 私は、あまりに大きな地震であったことから大津波が来ることを直感し、いったんは岸壁から道路まで走って避難いたしましたが、すでに辺り一帯は液状化か始まっており、目の前でアスファルトの地面が地響きを立てて大きく裂け、さらにその裂け目からは泥水が容赦なく噴き出し、まさに眼下に迫り来る自然の猛威にはなす術(すべ)もありませんでした。星野さんは定時まで仕事をしていたと発表してますが、この違いはなんなんでしょうかね?・・・【「10メートル」の津波警報】 そして激しい揺れが収まった後、私は大津波が来たら車なしでは絶対に逃げられないと思い、肚を決めて崩れかけた岸壁付近に停めた車へと向かい、同僚の先輩を車に乗せて一気に逃げることにいたしました。 しかし停電の影響ですでに信号機は作動しておらず、また道路は「我先に」と避難しようとする車で大混乱であったことから、私はいったん会社に戻って状況を把握することにいたしました。 ようやく会社まで辿り着いたものの、その直後、気仙沼市内一帯のスピーカーから、大きなサイレンと共に、大音量で「大津波警報発令、予想される津波の高さは一〇メートル」との放送が流れたのでした。ここでも似たような感じで、津波警報のサイレンが鳴り響いてとありますが、星野さんはそれでも仕事をしていたんですね。【お数珠だけは・・・】 そして避難警報発令と同時に、ほとんどの社員は脇目もふらず一斉に各々の車に乗り込み、アクセル全開で逃げ始めたのです。 しかし私はどうしても、十一年前の成人式で浅井先生より頂いたお数珠を持ち帰りたく、ひとり更衣室に向かい別行動を取ってしまい、気がつけば周囲より逃げ遅れてしまったのでした。 そして焦る思いに駆られる中にもお数珠を握りしめ、自分の車を目かけて走り始めたところで、不思議にも先輩が「逃げるぞ、早く乗れ!」と車を出してくれ、そのまま成り行きで先輩の車で避難することになったのでした。 しかし会社を一歩出た途端、すでに周囲は大津波から逃げる車や人でパニック状態に陥っており、私の乗った車も大渋滞に巻き込まれ、身動きひとつとれなくなっておりました。数珠を持ち歩いてないなんて、さすが顕正会員ですね。しかし、開眼もしてない数珠てただの物でしかないし、それを取りに行く神経も疑いたくも成ります。【間一髪で高台に避難】 「これでは津波に呑み込まれる・・・」との思いから、必死に心の中でお題目を唱えていると、先輩は急速「自分の家の近くの高台に避難しよう!裏道を抜ける!」と叫び、そのままアクセル全開で横道にそれ、それ以降は見たこともない細い裏道をひたすら走り抜け、結果、大渋滞の影響を受けず高台まで避難することができたのでした。 そして高台に避難したあと、携帯電話のニュースをつけて愕然といたしました。 自分たちが逃げてきた道を巨大な大津波が襲い、気仙沼市内を一気に呑み込む様子が映し出され、まさに間一髪のところで避難することができたのでした。【御守護に滂沱たる涙】 振り返れば、すべてがご守護でありました。 まず、もし地震直後、岸壁が崩れる状況を恐れて車へ戻らず、ひとり走って逃げていたら、遅かれ早かれ大津波に追いつかれていたことは間違いなく、また会社に戻った際、お数珠を更衣室に取りに行っていなければ、状況的に自分の車で逃げており、その場合、道に疎い私は大渋滞の大通りで身動きがとれず、ここでも大津波に呑み込まれていたことは疑いありませんでした。 さらにあとで分かったことですが、先輩の運転する車で会社を出た直後の分かれ道で、もし左右逆の道へ車を走らせていたら、道路は寸断されており、逃げ場を失った私と先輩は、やはり大津波の被害を受けていたことは間違いありませんでした。 気仙沼市における死者・行方不明者は併せて約二千名といわれておりますが、その甚大な被害を受けた市内の最後尾ともいうべき気仙沼港から、大津波に呑み込まれず避難ができたこどこそ、一つ一つの判断や行動が御本尊様に守って頂けたゆえと思わずにいられず、まさに三月度総幹部会において浅井先生より指導頂いた、呵責謗法滅罪抄の「何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けんが如く、強盛に申すなり」との御文を深く実感するばかりであり、滂沱たる涙の中に、心から有難さでいっぱいになったものであります。車を運転していた先輩って、顕正会員ではないですよね?・・・なら、守られたて登壇者本人というより、運転者の先輩の影響が大きいのではと思います。 この先輩に勧誘していて、逆縁とかなら面白いのですがね。【支隊員全員無事】 また私のお預かりする支隊内でも、同じ気仙沼市において大津波や大火災から命を救って頂いた体験は数多く、いま震災被害の大きさが判明するほどに、支隊員全員が守られたことは決して当り前ではなく、すべては大聖人様の御守護と強く噛みしめずにはいられません。 この御報恩の思いを強く胸に懐き、大事の三・四月法戦、一切の言いわけぬきで戦った結果、支隊誓願を突破する七名の御奉公を以て」分なりともお応えできましたこと、有難さの極みであります。 そしていま被災地の現状を見るにつけ、「水すくなくなれば池さはがしく」との仰せのままに、救援物資をめぐって些細なことで喧嘩になったり、市の職員を装って募金をだまし取ったり、車上荒らしや金品強奪事件まで起きており、国が亡びんとしている時に、心がバラバラの世相を見るにつけ、腐敗する日本を救うは異体同心の顕正会のみと大確信するばかりであります。 されば頂いた功徳に決して甘えず、東北の先陣切る人材に必ずや大成長し、男子十万を明日のごとく急がれる無二の師匠・浅井先生に、日目上人縁の地・東北宮城より断じてお応えしてまいる決意であります。腐敗してる顕正会首脳部が居て、日本を救うなど、笑い話でしょうか?・・・ま、それよりも、一部の不心得者が居たからって、心がバラバラてことではないでしょう。どちらかというと、国難を乗り切るために心が一つになってる状態で、顕正会員だけが、不協和音を奏でてるのでしょう。炊きだし、瓦礫の撤去。支援物資の搬入作業とか何一つ手伝わないで、勧誘に走ってる顕正会員。そんな顕正会員が日本を救うなど笑い話でしょう。しかし!日本を救うと言ってるのですから、福島に決死隊で行ってください。ま、別感の功徳で守られてる顕正会員ですし、総男子部長を筆頭に、部長、総支隊長、隊長とみんなで福島での作業をして、ぜひ、日本を救ってください。そうしれば、顕正会はなんて凄い団体なんだ!と入会者も増えるかも知れませんよ。ま、入会者が増えても広宣流布は絶対に出来ませんけどね。なんで、高校生以下は会員になれないのだから、広宣流布の日本国民がみんな入会て条件を満たすことが出来ない顕正会。だから、顕正会の描く広宣流布は絶対に出来ないってことですよ。
2011年05月17日
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更新情報顕正新聞5月5日号UP参照あれあれ? 水無月さん>自宅拠点である我が家において、三月度総幹部会ビデオ放映が無事に開催できたときは有難さでいっぱいになりましたあれ?顕正新聞3月15日号で3月総幹ビデオ会場一覧が発表されたあとに確か東北での会場の変更が顕正会公式HPの「隠しページ」で発表されましたよね。そこに星川さん宅は書かれていなかったはずですが・・・。あ、実際にやっていたのならそれはそれで別にどうでもいいですけど、一体誰が参加したのかな♪?御家族のみ?登壇の本文から。「家族と共に避難所に一週間寝泊りしました。」「地震発生から二週間足らずで家族全員が自宅に戻って生活できるようになり」とあるので、三週間は利用できない状態ですね。ま、予定にないビデオ放映を開催ですが、郵便物の配達も困難ですし、仙台会館に購入(配布?)をしに行ったとして、復旧で燃料が必要なときに、無駄な燃料の消費をする顕正会員。どんな状況でも自分達さえと言う思考は、日本国にとっての○○○でしょうね。参照Re:おなかいっぱいの学会ネタ(05/16) 釈子・創価門流さん顕正会の話は、話半分でよいのではないでしょうか? 日蓮正宗に、顕正会に、日蓮宗に、顕本法華宗に、多少なりとも行く事もあるでしょう。 だから、と言う事では。組織の移籍てことに関しては、話半分以上でも問題ないですが、その経緯に関しての内容が、話半分でも、疑わしい内容が多いので、話半分以下ではと思った次第です。 牙城会の担当に付いていて、勤行をしないてことはありませんよね?・・・任務前。任務後には朝晩の勤行をされるとでしょう。任務に就いてる時間帯にもよりますが、まったく勤行をしないてことは無いでしょう。それとも、近年は勤行もしなくなったてことではないですよね。?この様に、明らかに嘘と判ることを平気で述べている顕正会員の言葉は、話半分も信用できないと言うことなんです。
2011年05月17日
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【諫暁書で正義にめざめた学会員一家「学会員を救いたい」と折伏に立つ】男子部第68隊支隊副長 小林 ○○ 「大罰の時代」が到来した緊張感の中、私も真心尽くし御奉公しておりますが、そのなか「八百万学会員を救いたい」との浅井先生のご一念に守られた有難い展開がありました。【九州で一家入会】 三月度総幹部会において平野支隊長が発表した、九州福岡市で諌暁書に感激して学会から入会した母子は、唯一正しき団体・顕正会に縁できた感激のまま、猛然と折伏に立ち上がりました。 そして二人の感激は、学会員の家族にすぐに伝わり、顕正会の正しさに気づきながらも入会には踏みきれなかった父親も、ついに三男と共に感激の入会が叶いました。 【父は古参学会員】 入会した父親は、昭和三十年代に信心にめざめた古参の学会員でしたが、十年ほど前から池田大作に嫌気がさし、最近では勤行もしていなかったそうです。 しかし入会後は、直ちに学会版本尊を学会に返却し、遥拝勤行を実践するようになり、「顕正会の勤行は凄くいい」「戒壇の大御本尊と直接結びついているのが有難い」と大感激しております。しかも学会時代は折伏をしたこともなかった父親が折伏の決意に立つ姿には、家族が驚くほどであります。 また三男も学会では勤行も折伏もしておりませんでしたが、入会後は朝夕の勤行が有難いと折伏にも立ち、先日も愛媛在住の学会員の祖母を救わんと、福岡から松山まで赴き入会を叶えました。三男は兄と同様、牙城会に属していたのですが、学会の異常さを嘆いております。 たとえば、学会では日常の唱題の中で、阿部日顕等の敵対者の不幸を祈り、事故や病気などがあれば「池田先生の敵に現証が出た」と大歓喜する者もいるとのことです。三男はその異常さに辟易し、昨年のある時期から牙城会の任務をボイコットしていたそうです。はぁ~!作文でしょうね。牙城会にいて、勤行をしたことがないて、あり得ないからです。そんな人材を牙城会に入れるわけもないし、また、任務の時には、勤行をするはずです。だから勤行をしたことがないて時点で、嘘なんですよね。 顕正会員だって、任務が終わったら、一緒に任務に就いていた者同志で勤行をするでしょう。それと同じ事が牙城会でもある。本当に、顕正会の登壇記事て信用できないものばかりですね。話半分も最近は疑いたくも成りますよ。 また「中国から多くの勲章等を貰っている池田大作は、なぜ中国共産党のチベットやウイグルヘの弾圧を諌め、やめさせようとしないのか」との疑問に対し、学会幹部は返答できなかったとのことで、「池田はもう仏法破壊者だけでなく、国賊だ」と憤り、池田に馴されている学会員を救わんと決意しております。 その思いは母親も強く、今法戦、学会員の妹と知り合いの学会員二名を入会させております。内政干渉をすると国際問題になるからですね。ま、政治家ではないからその辺は難しいが、池田会長がと言う前に、浅井会長にも言った方が良いでしょう。 浅井会長は、幹部会や会員の前だけで、耳障りの良い言葉を言ってるが、行動を示してもらいたいですね。ぜひ、中国に行って諫暁をしてきてもらいたい。お金が掛かるから~とか無しね。会員から集めた資金があるでしょう。 ま、何かしらの理由を付けるのであれば、浅井会長が中国共産党に対して中国に直接諫暁に行くので、募金をお願いしますって、やってあげますよ。きっと、渡航費用は集まるでしょう。ぜひ、実行してもらいたいですね。【説得に来た学会大幹部閉口】 現在、学会はこの一家をマークし、学会大幹部が訪ねて来ては学会に戻るよう説得を重ねる一方、地域の学会員に対し「この一家と一切の接触を断つように」と組織防衛を因っております。 しかしこの妨害を一家は却ってバネにし、母親は「これが怨嫉ですか、諌暁書を手にもっと折伏すればいいんですね。折伏をしていると嬉しくなってきます」とさらに感激し、父親は「ワクワクします、負けないよう頑張ります」と決意を固め、次男と三男は「学会の妨害に負けないスピードで学会員を救っていきます」と燃えております。 先日も、説得に来た県ならびに区の学会大幹部二人が「国立戒壇は御書にない」「御遺命の戒壇は民衆立」等とお決まりのたばかりを言うのに対し、次男と三男が「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を手に反詰したところ、大幹部は回答不能になってしまったそうで、兄弟は国立戒壇の正しさを大確信しております。区クラスで大幹部なんですか。区の大幹部て言っても、県クラスになると大したことが無くなるし、そもそも、区程度で大幹部てありえないでしょう。顕正会員の認識って、正確じゃないから、違和感がありますね。学会の大幹部てせめて、県クラスの長からでしょう。【「顕正会の勤行はそんなにいいのか」】 この、学会時代とは比べ物にならぬ情熱あふれる一家の姿を見た学会幹部の中には、顕正会に関心を示す者も現われ、説得に来たある幹部などは「そんなに顕正会の勤行はいいのか?」(笑)と聞いてくるほどで、諫暁書と新講演集もしっかりと受け取ったそうです。 また功徳も顕著で、母親は長年患っていた膝の痛みと顎関節症の痛みが消えたうえに花粉症も治ったり、怒りっぽかった父親は性格が優しくなったり、次男は酷かった花粉症が完治したり、一家和楽になったり等、功徳の歓喜が満ちあふれております。 この一家の燃えるような信心に触発され、他の同志も続々と折伏に奮い立ち、今法戦、小林班は一〇名の弘通が叶いました。先生仰せのごとく、我が班にも地涌の菩薩が集いつつあるのだと、有難さでいっぱいであります。最近の学会ネタもマンネリて感じですね。どの登壇記事も、表現が違うけど、内容的には同じような内容ばかり。これって、作文だからできる不思議な技なんでしょうね。(笑)ま、補足突っ込みでも、指摘でもあれば、学会員さんにお任せします。【自身も宿命転換】 また私事ではありますが、自身も宿命転換させて頂きました。 私は五年前に単身赴任を終え関東勤務になってから、組織も現在の平野支隊に移籍し、ゼロから御奉公を開始しました。しかし毎日深夜にわたる残業のうえ、折からの不況で残業手当も消え給料は激減、マイホーム購入も断念しておりました。 そして御奉公にも支障をきたすほど行き詰まる中、ただ仏弟子として折伏誓願だけは絶対に破ってはならぬと肚を決め、愚直に戦ってまいりました。 すると、三年前に始めた副業が大成功したことで、路頭に迷わずに会社を辞めることができ、しかも退社直前には、一時は諦めていたマイホームも破格で入手することができたのです。 その後、会社を設立して念願の独立も叶い、そのうえ広告宣伝費を使わず顧客の口コミだけで事業が順調に発展し、悩みの種であった多額の借金まで完済でき、今ではサラリーマン時代とは比較にならぬほど、時間的にも経済的にも自在を得た生活に激変させて頂きました。本業も活動も忙しいのに、副業できる余裕があるんだ。そして、副業って何?・・・顕正会員さん。誰か副業が何か教えてもらいたいな。もしかして、明かせないほどやばい副業?(笑) また勉強嫌いで偏差値四〇だった息子も、早稲田大学に無事に合格する等、その他数々の功徳を頂いており、今では入信前には想像もつかなかった境界に変わらせて頂き、御本尊様に感謝しない日はありません。 まさに先生の指導の通り、自身の宿命を見つめ仏道修行を生活の根本に据え、毎法戦、体をぶつけて御奉公していけば、必ず宿命は変わり自在を得させて頂けること、大確信いたします。 されば本日の浅井先生の指導を心肝に染め、力ある人材・組織に大成長し、重き師恩に報いてまいる決意であります。早稲田大学に在学中の学会員さん。法華講員さん。登壇者の子どもが居るか調べてもらえないでしょうか?・・・多分、勧誘してるから噂ぐらいは流れてくるでしょう。 しかし、顕正会員て本当に増えてるのか?と感じますね。山門の同級生に顕正会員がいれば、接触なり、ダ本が送られてくるでしょう。それもないし、職歴から言っても、どこかしらから名簿が流れてと思うのですが、それすらない。また、友人、知人からも話しも聞かない。150万に成ろうとしてる顕正会なのに、こんなに接触する機会がないなんて、神奈川の顕正会員て、実数が少ないんでしょうね。
2011年05月16日
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悪意ある記事を掲載する顕正新聞5月5日号より。【38メートルの大津波、全員が御守護を頂く 潰滅状態の宮古市でも入信者続々】婦人部岩手支区班長 星川 ○○ このたび東日本大震災を体験し、「広宣流布は大聖人様の絶大威力。によって必ず或る」を大確信させて頂きました。【大津波の凄まじさ】 私は岩手県宮古市に住んでおり、地震発生時は職場で働いていました。今まで体験したことのない激しい揺れに耐えながら必死でお題目を唱えていると、すぐに津波警報のサイレンが鳴り響きました。 しかし職場も自宅も海からニキロ離れた所にあるため、津波は来るはずはないと全く心配せず、通常通り夕方五時まで仕事をして家に帰りました。津波警報が鳴ったのなら、避難するのが当たり前。出だしから作文決定ね。 自宅付近の宮古駅前に来ると、道路が濡れて物が散乱し、駅から自宅までの脇道も通行止めとなり、嫌な胸騒ぎを覚えながら自宅へ辿り着くと、玄関前には泥まみれの自動販売機、洗濯機、タンス、浴槽、瓦礫などが無残な姿を晒しており、「なぜこんな物がここにあるの?」と一瞬事態がのみ込めませんでした。 玄関を開けると、一階部分は泥だらけで、まさかここまで津波が来るとは想像もしていなかったので、大衝撃を受けました。 消防団から「この辺は危険だから」と避難所に連れて行かれ、家族と共に避難所に一週間寝泊りしました。 津波の被害は本当に凄まじく、言語を絶するものでした。流されて来た車は家の間に挟まれて三白も重なり、街路灯は半分から折れ曲がり、陸橋の下には大きな船が食い込み、一瞬にして変わり果てた街の様子にただ愕然といたしました。これは本当かな?・・・絶句してしまうほど、内容が変としか言いようがない。あの地震で普通に仕事していた?場所的に言って、地震の状況などを把握するために会社社長とかがTV報道などを見ていたと思うのが普通だろう。そして、津波の被害がリアルタイムで流れていて、その影響下にある地域で、のんきに仕事などしてる状態ではないと思うのだが?避難警報をとあるように、作文だから話がめちゃくちゃになってる。 【御守護を頂く】 しかし、その中で我が家は床上浸水だけで済んだのでした。掃除すれば住める状態でしたので、日中は避難所から自宅へ片付けに帰り、周囲の人々が不安や余震の恐怖に慄(おのの)くなか、日々私たちは強い生命力を頂いているのを感じ、地震発生から二週間足らずで家族全員が自宅に戻って生活できるようになり、自宅拠点である我が家において、三月度総幹部会ビデオ放映が無事に開催できたときは有難さでいっぱいになりました。 一方、逆縁であった隣家は、腰まで浸かるほどの大波が押し寄せ、家の中はグチヤグチヤでとても住める状態ではなく、御本尊様の賞罰歴然を身震いの中に確信いたしました。家の位置関係が判らないですが、床上浸水で済んだと述べていますが、隣家は腰まで浸かるとなると1メーターほどの浸水ですよね。この方の家も同じぐらい浸水してるでしょう。床上浸水も腰までの浸水も同じ浸水で差がない。それを、顕正会員だけは、特別みたいな言い回しですが、自分の家も掃除しなければ住めない状態て事なのですから、誇張してるとしか言えませんね。また、家の前に自動販売機がとありますが、あの重い自動販売機が流れてくるなど相当の影響を受けてるでしょう。あ!多分、仏壇も水浸しになってるでしょうね。そして、自宅拠点と言うことは、顕正会版本尊が安置されているのではと思われますが、御本尊に関しての話題がないのが、気になりますね。【全班員が無事】 また班員全員の無事を確認できた時には、安堵感でいっぱいになり、そのような中、日曜勤行において浅井先生より頂いた「呵責諦法滅罪抄」の指導はたいへん有難く「どれほど世の中が乱れようとも、けなげの信心を貫く門下の人々を、『御本尊そして諸天助け給え』と強く強く祈っている」との大聖人様の御心を伺い、みなが御守護を頂いた有難さを幾度も噛み締めました。 さらに浅井先生のご配慮により、救援物資が交通不便のなか宮古市にまで届けられ、どこまでも顕正会員を思われる先生のご慈愛に咽び泣き、先生に対する報恩感謝の思いは、何としても折伏でお応えするのみと強く決意ここは、会長ヨッショのテンプレートでしょう。【入信者が続々】 すると御奉公に出掛けようと家の玄関を出た途端、以前逆縁だった息子の同級生のお母さんとバッタリ再会したので、その場で折伏しました。今回の地震を号鐘として、国家破産・異常気象・食糧危機が次々と巻き起こってくることを語ると、彼女は素直に頷き、そのまま我が家で入信勤行が叶い、有難い思いでいっぱいになりました。ここで、入信勤行とあるから、顕正会版本尊を安置している拠点てことが決定ですね。さて、先の部分で、御本尊に関してのことを触れてないのが、やはり気になります。「床上浸水だったが、不思議にも御本尊様だけは無事で」とか、言いそうなのに、それがないところを見ると、何かしらの問題があったと思いますね。それとも、2階に仏間があったとしても、「仏間が二階にあったので、御本尊様には何一つ被害が無く」て感じの言葉があっても良さそうでしょう。 顕正会員の発表の傾向からして、怪しい内容ですね。 また姑の従姉妹が震災見舞いに我が家を訪れたので、姑と一緒に真心こめて折伏しました。我が家が御本尊様のお力で守って頂けたこと、これからもまだまだ地寝か起きることを語っていくと、とても素直な入信が叶い、姑も石垣を積ませて頂けた有難さに感激しておりました。床上浸水してるのっだから、守られてないでしょう。全くの被害がないて事じゃないのですから。申し訳ないが、この方は相当病んでるとしか思えない。 宮古市内は電車やバスも復旧が十分ではなく、車での移動も困難なため、このような展開で次々と対象者と会わせて頂けることは、これこそ御本尊様の御守護と強く感じ、どんな災害の中でも手を引いて頂き必ず戦いが進むことを実感いたしました。 また船木組長は、宮古市在住の友人二人を折伏するため、三月十二日に会う約束をしていましたが、地震により会うことができず、二人の安否をとても心配しながらも、後日改めて折伏に向かいました。 二人は無事であり、お互い涙を流しながら喜び合いました。折伏すると、一人は逆縁でしたが、もう一人の細越さんは、組長の「地震はこれで終わりじゃない、絶対に守られるから一緒にやろう」との言葉に素直に入信決定し、有難い入信が叶いました。日付も怪しいね。どうせ、作った日付でしょう。【38mの大津波】 そのあと船木組長が生まれ育った宮古市鍬ヶ崎にも足を運びましたが、町は壊滅状態で、見るも無残でありました。 地元の人の話では、地震直後に海を見ると、岸壁からニキロ離れた灯台の下まで波が引いていたそうです。また公式発表では、津波は五波まできたと報道されていますが、実際は十波くらい来たかもしれないと語っておりました。引き潮によって威力も高さも増し、第二波で人も家もすべて呑み込んだ状況を身近で感じ、津波の恐ろしさに震えが止まりませんでした。 その後の調査により、宮古市田老町では津波の遡上高が三十八メートルを記録していたことを知り驚愕しました。 地元住民は、防波堤があったことで津波警報が鳴っても逃げようとせず、多くの人が津波に呑み込まれて亡くなりました。大津波に備えて作られていた防波堤があっという間に破壊され、安全神話が筒単に覆された姿を見て、もう広宣流布する以外に、国も人も助かる方法はないのだと確信を深めました。 そして私自身このたびの大震災を体験し、大聖人様に身も心もお任せした途端にすべての執着が消えてしまい、願うは広宣流布と一生成仏のみと信心が改まったことが大功徳だったと、いま深く噛み締めております。 大震災の直撃を受けた我が班も、大聖人様の立宗の御心にお応えせんと昨日まで真心込め戦い抜き、班誓願を達成させて頂き、また岩手支区も誓願突破が叶い、ただただ有難い思いで一杯であります。 されば瓦礫と化した宮古市に、生まれ変わった信心で大潮流を巻き起こし、浅井先生に断じてお応えしてまいる決意であります。38メートルて今回の津波の高さなのかな?ググッて見たが、「日本において確実とされる津波の最大波高は1896年の明治三陸沖地震津波の際の38.2メートルである」ぐらいしか見あたらない。ただ、本文に「遡上高」とあり、この辺がタイトルとの誤解を生む原因だろう。編集者さん。嘘のタイトルはいけませんね。あたかも38メートルの津波がきたと誤解させる記載。そこで、調べてみましたが、「遡上高が30メートルだとしても30メートルの水の壁が来たことを意味するわけではない」ということなので、38メートル地点まで、津波の水が流れてきた。と言うことになるでしょう。ま、これは、顕正新聞編集者の悪意ある表現と言えるでしょうね。それとも、ただの無智なのか?・・・それにしても、壊滅状態の宮古市て・・・・編集長が無能だからその部下も無能なのでしょうかね?・・・
2011年05月16日
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参照この医者サイテー 水無月さん病院名わかってます。いわき市の各方面に投書しておきます。顕正会短信の方でも、タイムリーにこの話題に触れてますね。記事を読んで思ったことなのですが、医者としての倫理がと考えると、顕正会員の医者には、やはり掛かりたくないですね。もちろん、看護師の方もです。顕正会短信
2011年05月16日
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顕正新聞5月5日号より。【壊滅状態のなか八戸会館は無事 大震災乗り越え全区が誓願達成】第十六女子部長 工藤 安子 一万四千の大号令下った三・四月法戦、第十六女子部も大聖人様の立宗の御心に応え奉らんと、昨日まで真心を尽くし戦ってまいりました。 青森を中心に戦う第十六女子部は本年一月、浅井先生に結成して頂き、東北先陣を願われる先生に、第十六女子部こそお応えせんと全く新たな決意に立たせて頂きました。【八戸会館は無事】 そして三月十一日、あの国内観測史上最大の東日本巨大地震が発生したのでした。 今まで経験したことのない長く大きな揺れの後、ゴオーという地鳴りと共に何度も余震が続き、自治体の避難勧告により、海岸近くに位置する八戸会館は二日間の閉館を余儀なくされましたが、勧告解除の後に一堂に会して勤行を申し上げた時には、皆の御本尊様への恋慕渇仰の信心は却って強まり、滂沱たる涙のなか「広宣流布甚だ近し」の大確信に立たせて頂きました。八戸会館が無事て、その周辺も無事だから、何も顕正会の会館だけがてことではないですね。参照そして「恋慕渇仰」て顕正会だけが言う言葉ですね。正宗とかは「渇仰恋慕」で、「仏を恋い慕う気持ちがあり、仏に出会えた(恋慕)。」と言う感じであり、顕正会の「恋慕渇仰」だと、「仏を恋い慕うけど、仏に会えないで渇き苦しんでる」てことに成ります。(【渇仰】渇いた者が水を切望するように、仏を仰ぎ慕う意「筆者解釈なので、公式解釈だとどうかは謎」) 八戸の主要産業の多くは壊滅状態となり、その甚大な被害には大自然の猛威の凄まじさを思い知らされましたが、不思議にも八戸会館はいっさい被害がなかったことに、改めて大聖人様の御守護を実感すると同時に、堅牢なる会館を建てて下さった浅井先生に対し、感謝の念がとめどもなく溢れたものであります。八戸会館はいっさい被害がとありますが、川沿いに神社がありますが、そこも平気みたいですよね。だから顕正会の会館だけがてことではないでしょう。 また輸送経路が寸断されていたため、会館をはじめほとんどの同志の手元に顕正新聞が届かなかったのですが、数名の自宅に届いた顕正新聞三月十五日号をコピーしては、皆で繰り返し拝読を重ねました。「心こそ大切、信心に距離は関係ない」の大見出しにはたいへん勇気づけられ、戒壇の大御本尊様と繋がっている安堵態と有難さを皆で噛み締めました。「心こそ大切、信心に距離は関係ない」て確かにそうなのですが、顕正会員は「戒壇の大御本尊様と繋がっている」てことは、無いです。受戒をしてないし、受戒をしたときに、御本尊様を頭に当ててもらうことをしないでしょう。御本尊様を頭に当ててもらうことにより、御本尊様と繋がると、筆者は思ってますが、確認はしてないので、私見です。【皆が別感の功徳】 その中、同志が頂く別態の功徳は凄まじく、ことに地震・津波・放射能に見舞われた福島県南相馬市に住んでいた宮本班長は、祖母の救助に向うとき、とっさに山側を通る判断ができたことで津波被害を寸前で免れ、無事に祖母も救出でき、またひと月にも及ぶ避難生活も御本尊様を信じ奉る者の生命力で乗り越え、救って頂いた命を広宣流布に使って頂きたいと連日戦っております。 また津波で流された水産加工会社で働いていた班長は、当初は地震発生の翌日にあたる三月十二日までの契約でしたが、怨嫉により突然八日付けで解雇になったことで被害を免れたのでした。突然の解雇てのが、少し気になりますね。契約期間が4日しかないのですから、そのまま雇用した方が、金銭面では会社に有利でしょう。4日分の給料+突然の解雇てことで、契約違反の違約金の発生も考えられます。なら、どちらが会社に取って良いかて判りますよね。ただ、それでも解雇したいほど、この方は、仕事に対する向き合い方が酷かったのか?とも考えることができるでしょう。ま、憶測でしかありませんが、顕正会員と一般人を比べると、何か有るのではと思いたくも成りますよ。 このように、皆が頂いた御守護の体験を聞くほどに、日曜勤行における「どれほど世の中が乱れようとも、大聖人様は、不可能をも可能にする強き御一念で、諸天に対し『けなげの信心の者たちを助けよ』と、強く強く申し付け給うておられる」との先生の指導を実感し、有難さでいっぱいになりました。不可能を可能にするて、あり得ないし、宇宙の法則を無視した言動ですね。さすが、カルト宗教顕正会員らしい言動でしょう。不可能を可能にするのなら、顕正会員の祈りで、福島の放射能を除去して下さいよ。どんな願いでも正しい顕正会なら叶うのでしょう。それも150万の会員に成ろうとしてるのですから、巨大な祈りになるし、大信力がある浅井会長がいれば、不可能も可能になるでしょう。津波で亡くなられた方を生き返らせろとは言いませんから、顕正会の信心で、不可能を可能にして下さい。【学会員の罰に身震い】 一方、学会員の罰を目の当りにする出来事もありました。学会員が多く住み、津波被害の大きかった岩手県野田村で戦う佐々木組長は、村全体が壊滅的被害を受けるも、組長をはじめ現地の同志は全員守られる一方、顕正会に怨嫉していた地元の学会地区部長は、親子ともども津波にのまれ死亡したのでした。組長はこの賞罰歴然の姿に身震いし、功徳を失った学会員を救わんと立ち上がり、一名の入信を叶えました。学会員が多く住んでいるのなら、数名が亡くなられることもあるでしょう。で、この野田村では、顕正会員て何名いるのかな?数名程度でしょうね。それと、守られたてことは、家とかも無事なのかな?・・・学会員と違うというのなら、というより違うと言いたいみたいですが、他の学会員は無事だったんでしょう。功徳を失ってる学会員云々とか言うのなら、学会員全部がてならないとおかしいでしょう。本当に顕正会員て恣意的で、悪意があることを平然と言う神経を疑いたくも成ります。 また八戸市における津波による唯一の死者は学会員でありましたが、その人の長男が三月二十七日、顕正会に入信が叶いました。 その人は、何度も押し寄せる津波の危険の中に母親を捜索し、泥まみれになった母親の遺体を発見したときは絶望感で夜も眠れず樵悴しきっておりました。 しかし入信翌日より毎朝八戸会館に参詣し、浅井先生の指導に大慾激しては、母親に功徳を回向せんと、悪口中傷にもめげず連日折伏に戦っております。また学会の御遺命違背を知ったときには、「池田に騙されていたのか」と憤りを露わにしておりました。八戸市における津波でてのが気になりますが、一人だったのか?調べないと判らないから、保留とおもったが、ググッテ探したら、確かに1名ですが、行方不明者が1名居るから保留でしょうね。他にも細かいデーターが出ている「東日本大震災の地域別の被害状況」と言うところがあったので、参考までにリンクを張っときます「東日本大震災の地域別の被害状況(参照)」【松野抄講義の有難さ】 このたびの大震災を通して感じたことは、常に大聖人様仰せのままの指導を浅井先生より頂ければこそ、歓喜と確信で正しき仏道修行が叶う有難さでありました。「大聖人様の仰せのままの指導」ができるのは、御当代だけである。それを、浅井昭衛ができることなどあり得ないのである。所詮、顕正会の女子部長と言っても、無智でしかないのである。 大震災前に松野殿御返事の講義を頂き、さらにいま講義録の拝読を重ねるなかに一文一句が実感を以て身に迫り、私達がいま一生成仏の叶う三大秘法に巡り値い、求めれば得られる恵まれた環境に身を置かせて頂けることは、決して当り前ではないことを強く噛みしめては、「有難い」と「広宣流布」への大情熱で驀進し、深き師恩に報いてまいらんと決意するばかりであります。【全区が誓願達成】 大感動であった歴史的な三月度総幹部会において先生より、今般の巨大地震は御在世の正嘉の大地震に次ぐもの、そして「広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、同時に、いよいよ広宣流布が成就し全日本人が教われる大瑞である」との重大意義を教えて頂けたことで、全員が広布最終段階の烽火を上げた東北の使命に奮い立ち、大罰の時代に間に合って結成して頂いた第十六女子部こそ、被災地で毅然と立ち、杖・柱を持たず迷いと不安の中にいる日本国民を救っていかん、本年秋の一五〇万を断じて遅らせてはならじと決意し、戦い抜くことができました。 かくて歴史的法戦に大聖人様の御守護と浅井先生のご一念に守られ、四月十七日に第十六女子部の誓願突破が叶い、全区達成、誓願比一二九%の弘通を以てお応えできましたこと、今生人界の思い出となる忘れられない法戦とさせて頂きました。【加護】神仏がその力によって衆生を守り助けること。【守護】1 まもること。「国家を―する」2 鎌倉幕府・室町幕府の職名。文治元年(1185)源頼朝が勅許を得て国ごとに有力御家人を任命して設置。軍事・警察権を中心に、諸国の治安・警備に当たった。室町時代に至り、しだいに領国支配を進め、守護大名とよばれるようになった。守護職。余計な説明は要らないと思うが、大聖人様を貶める顕正会員こそ、本当の仏敵と言えるだろう。 しかし大罰の時代は始まったばかりであれば、第十六女子部は「なにの兵法よりも法華経の兵法を用い給うべし」の御文を胸に、油断せず、臆せず、いよいよ強盛の大信力に立ち、広布最終段階の直線コースを明るく逞しく駆け抜けてまいります。大罰の時代が始まったとは、明治からの戦争は罰だと言ってるのだから、罰の時代が始まって100年以上が経過してるので、始まったとは言わないだろう。ただ、序?と言っていた気もするが、それでも始まりではない。罰に前振りも要らないだろう。 さればこれより頂く浅井先生の指導を心肝に染め、迎える五月、機関紙購読推進と先手の折伏を進め、鉄壁の組織を構築し、以て東北青森の地より、無二の師匠・浅井先生に断じてお応えしてまいる決意であります。機関誌購読推進など要らないだろう。志があり求める気持ちがあれば、自ずから機関誌購読をする。推進をしなければ購読しないようであれば、それまででしかないのである。ま、これは、どこの組織でも当てはまると筆者は思っている。また、先手の折伏ではなく、小手先の勧誘の間違いだと思っている。しかし、部長のクラスの登壇は、突っ込み満載で面白いね。 さて、近いうちに、部長交代とかあったら、筆者の評論の性になってしまうのかな?・・・
2011年05月15日
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【地震、津波、被曝、大混乱の医療現場 医師として震災の悲惨眼前にする】男子部第78隊支隊副長 小野寺 ○ 浅井先生が「大罰の時代到来の号鐘」と断言された東日本大震災が襲った三・四月法戦、東北地方を主戦場とする小野寺班も、法戦最終日まで戦ってまいりました。 私は現在、地震と津波の被害に加え、原発事故とその風評被害の真っ只中にある福島県いわき市で整形外科勤務医をしておりますが、いまだ続く余震と、放射線被曝という見えない恐怖の中にあって、信心□唱に徹するなか、不思議にも守られ切った生活が送れますこと、有難い思いで一杯であります。顕正会員の医者て個人的には、見てもらいたくない。状況によっては、勧誘されるでしょうし、現代医学では治らないけど、顕正会の信心をすれば、治るから入会しなさい。とか言われたら?・・・【医師として勤務の病院で被災】 去る三月十一日、東日本を襲った史上最大級、マグニチュード9・Oの大地震を、私も医師として勤務する病院で被災しました。 その時、病院中をひっくり返したような揺れに襲われましたが、ちょうど手術と手術の合間のわずかな時間帯であり、もし手術中であれば取り返しのつかない事態になっていたと、御本尊様の御守護を実感せずにはいられませんでした。 しかし地震直後からライフラインは完全に途絶え、辺りは爆発音や救急車のサイレンが響き、病院のロビーは、避難住民や救急隊の搬送でごった返すようになりました。 さらに運ばれてくる患者はみな家屋に押し潰されたり、津波にさらわれていたり等、これまでに経験した救急医療の範疇を逸脱しておりました。 しかもいざ救急処置を施そうにも、病院は自家発電でやっと明かりが点く程度で検査もままならず、三次救急病院への連絡も不能で、大混乱に陥りました。 私はこの凄惨さを目の当りにし、諸天の治罰の厳しさ・凄まじさを痛感するとともに、通信情報手段の途絶える中、東北顕正会員の無事を祈らずにはいられませんでした。諸天の性にするなぁ~なにか、大聖人様がと誤解されてしまう発言は、仏敵であり、大聖人様の名を下げる魔の軍団だからなんでしょうかね?・・・「諸天の治罰」なら、生後間もない幼児とかまだ、生まれる前の状態ならと考えると、前世の罪業がてしかなりませんが、それを消し去るために今生に生まれて来て修行する予定が、修行できないって、とても可哀想でしかないでしょう。 それでは、衆生救済をする大聖人様の法が、役に立たないとか言ってるようなものではないでしょうか?・・・【原発事故パニックに拍車】 さらに翌日以降、流通が完全に遮断され、燃料、食料、医薬品が全く入ってこなくなり、このあと発生した福島原発の爆発事故は、市民のパニックに拍車をかけ、一般住民のみならず医療関係者の県外流出や医薬品の欠乏は病院機能を崩壊させ、震災での直接被害では一命を取り留めたものの、その後連切な治療が受けられず亡くなった人や、重度の障害を残す人が続出しました。流通て意味では、関東だって同じだし、医薬品に関しても同じ。 しかも原発事故の収束の困難さは誰の目にも明らかで、市内の小中学校の運動会や遠足等が中止となり、春というのに通学には帽子・手袋・マスクに上下のカッパを着込むという異様な光景になっています。 加えて、先の大地震より一ヶ月後の四月十一・十二日に連続して起きたM7・Oの巨大余震は、いわき市内陸直下であり、地盤沈下・崖崩れが頻発し、病院内も激しい横揺れで甚大な被害を受け、つい二週間前までは病院ですら断水となり、手術もままならない状態に陥っておりました。病院ですら断水てそんなの当たり前でしょう。病院だから浄水道を特別に儲けているわけではないのですから。ライフラインはどもも一緒。 同じ震度六弱でも直下型地震の破壊力を思い知らされ、これから起こる首都圏直下型地震の被害は、まさに国家機能を停止させることは間違いないと、思わずにはいられません。 現在福島は原発事故により、先の見えないトンネルに入ったごとくであり、復興というよりは諦めムードで、医療従事者の県外避難は続き、他県からの医師の応援も見込めない状況で、私を含め医師・看護師の疲弊は極限状態です。医療従事者の云々てありますが、県外避難て全くないとは言えませんが、大げさなほどでもないでしょう。それに、他県からの応援て、被害が酷かった被災地に行ってるのですから、優先順位てものがありますよ。それに、全国的に相当な人数が向かっていますね。 同じ医者が頑張っているのに、あたかも人命を救う医療従事者が、その使命を放棄してるとも取られかねない発言をしてる医者て、医者の風上にもおけないね。【「何があっても大丈夫」】 そのような中、私が以前折伏した医薬品メーカーの数人が、メールで私に安否確認をしてきました。 私はその者たちに再折伏のつもりで「諫暁書に記された巨大地震の連発がついに始まり、今後、首都圏を始めとして巨大地震が連発し、他国侵逼が必ず現実になる。その悲惨から救われるには、日蓮大聖人の仏法に帰依する他ない」と伝えると「確かに今回の震災はただ事ではなく、日本国・日本人に対する罰と思えてならない。頂いた諫暁書を再度読み返してみます」と返信があり、混沌とした不安の中、誰もが持つべき杖・桂を求めているのだ、との思いを深くいたしました。医薬品メーカーの人を勧誘って、医者の立場を利用してるのでしょうね。そして、この方は、攻殻対象に成ってるんだろうなぁ~ また東北に点在する班員たちも全員が無事で、大きな地震被害を免れたり、不思議にガソリンや食料が手に入ったりと、さまざまな御守護を頂き、感激のまま折伏の決意に立つなど、震災を機に変わった姿がたいへん有難く、また何よりも有難かったのは、中学生と小学生の息子が、顕正会員が頂く格別の御守護の姿を見て、朝夕の勤行に連なるようになったことでした。 これらを通し、私自身、不安と恐怖の中にありながら、大聖人様絶対の確信が不思議と湧き上がり、浅井先生が常に指導下さる「何があっても大丈夫」とはこれなんだ、との思いがこみ上げ、有難くて仕方ありません。登壇者の子どもが勤行に連なるようにてありますが、いままでしてなかったて事ですよね。ま、正式な会員ではないから問題ないて意識なんでしょうか?・・・親の背中を見てという言葉がありますが、子どもが信心をするような環境では無いと言うことなんでしょうね。そして、中学生以下は、顕正会員になれない。なれないと言うことは、全国民が入会出来ない。そうなると、広宣流布にならない。さて、この矛盾をどう解消するのか?・・・だから、顕正会の描く広宣流布、国立戒壇建立など絶対に出来ないって、自教団で足かせをかけてることに気がつかない顕正会員て・・・・【仏法に背く罰!】 一方で、仏法に背く罰と思わずにいられない出来事もありました。 私の所属する大学病院で教授選挙があり、常識的には現在の教授が推薦する学内の准教授が当選確実のところ、当て馬として候補に上がった他大学の候補が下馬評を覆して当選してしまい、一時、医局崩壊寸前になるという事態になってしまいました。 このことにより、私の折伏に大反発だった現教授のメンツは丸つぶれとなり、おまけに本来盛大に行われるはずだった退職記念パーティーも、大震災の影響で中止になるなど、寂しく現役を去る様は哀れでならず、所詮、仏法に背いては、いかなる肩書きを持った者も身が持たないことを実感いたしました。勧誘に大反発したから罰が出るとは限りませんね。それに、根拠が乏しいし、因果関係もない。 ま、メンツが丸つぶれてことで言えば、浅井会長自身は、罰が出まくりて事になるでしょうね。長男の失脚。加藤女史の問題。勧誘成果2回連続の敗退。本尊問題での自爆発言。あげたらきりがないですが、これって、顕正会流で言えば罰でしょう。それとも、魔の働きとか言うのかな?・・・・ 浅井先生が「広宣流布はすでに直線コース」と師子吼された本年、年初から東北地方を襲った有史以来の大雪害と、中東騒乱のさなかに起きた今回の大震災で、広布最終段階は浅井先生のご見識、ご確信のままに進むを身を以て実感すると共に、浅井先生が四年前の東北大会で号令下さった「東北先陣」をいよいよ事実とせんと、心するものであります。 されば本日の浅井先生の重大指導を心肝に染め、「日本の命運は、顕正会の死身弘法にかかっている」と叫ばれる無二の師匠に、断じてお応えしてまいる決意であります。「有史以来の大雪害」て、おかしいでしょう。現代より、昔の方が被害が多いはずですし、医者て大学を出てるエリートと言えるのに、本当に大丈夫?と思うことしか出来ませんね。「広宣流布はすでに直線コース」で「日本の命運は、顕正会の死身弘法にかかっている」と繋げると、今回の震災は、顕正会の死身弘法が遅れたから起きたんです。てことにも出来ますよね。ま、いくら顕正会がと言っても、中学生以下の子どもが、会員になれないのですから、広宣流布は絶対に出来ないて、矛盾を解消しないとダメでしょう。(笑)
2011年05月15日
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更新情報4月幹部会音声UP参照海外拠点 ANPさんネパールがあるみたいですね。あとパキスタンやアフリカ?にも昔創価の真似して文化祭などなどやってたみたいですけど気に入らなくなったんですかね?文化祭ですが、会員に評判が良くなかった。ま、いつもの思いつきなんでしょうけど、文化祭とか開催すると費用が掛かる。組織負担ですし、そんなのしたら、収益が減ると気がついたから止めただけでしょう。 それと、学会の文化祭とかは、信心と関係がないと批判していたはずですが、浅井会長の発言は、思いつき。ご都合主義でしかありませんね。Re:海外拠点(05/14) 水無月さんANPさん>ネパールがあるみたいですね。あとパキスタンやアフリカ?にも>ネパールもいまはあるかどうかわかりませんよ。現地の話がわかるのはFさんが数年に一度の「出張勧誘」に言ったときぐらいですから。同様にモンゴルもMさんが言ったときにいろいろ報告されますが果たしてどこまで本当やら。ところで、三年前あれだけハシャイだ「台湾」の話はいまどこへ?ネパールに拠点を設けたて話は聞いたことがないですね。モンゴルに関しても、怪しいと思います。モンゴルで気になったのが、香木をどうしてるかです。普通に香木といえばあちらでは手にはいるでしょうし、トウ樒という八角の実が採れる樒があるみたいなので、それを使用しないで、日本の樒でなければダメとか訳の分からないことを言っているのか?と思わずには居られませんね。^^レス ANPさん水無月さんあっ、そうでしたか。よくわからなかったもので。すみません。台湾には会館があるぐらいですから閑古鳥の行列くらいはあるでしょう。台湾会員は500名以上して、今年か来年には、1千人台湾大会を開催すると言っていましたが、神奈川大会をなし崩しで中止したように、台湾大会も行わないでしょうね。 所詮、顕正会大本営発表ほど、信用できない発表はありませんよ。
2011年05月15日
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こどもの日は関係ない、顕正新聞5月5日号より。【福島原発勤務の夫が別感の御守護 原発への召集が一転 自宅待機に】女子部第48区班長 坂井 ○○ 私は平成七年、学生時代の先輩であった岩田組長の折伏により、柏崎事務所において素直に入信させて頂きました。 以来十六年間、微力ながらも毎月の法戦に連なり、現在では入信以前には考えられないほどの生命力を頂き、仕事においてもピアノ講師として自宅で教室を開くことが叶い、自在を得る環境へと変わらせて頂きました。 そしてこのたび、格別の御守護を頂き、御本尊様絶対の確信を強めさせて頂いたものであります。「格別の御守護」て、違和感がありすぎですよ。仏様から見て、六界衆生は皆同じ衆生で差別などありません。それなのに、顕正会員だけが「別格の御守護」て、あり得ないでしょう。 顕正会員だけに、特別に増量の守護=守るてことがあり得ないからです。諸天が守護なら判りますが、御本尊様は加護して下さるのです。【夫は福島原発勤務】 と申しますのは、先月発生した束日本大震災の際、男子部・第二十四隊組長として御奉公する夫は、東京電力の協力会社の社員として、福島第一原発構内の現場で勤務しておりました。 地震発生時、私は柏崎の自宅におり、テレビで映し出される凄まじい光景に、思わず「夫とは二度と会えない」とショックで涙が止まりませんでしたが、事態の深刻さを受け止め、必死にお題目を唱えておりました。 するとその直後、不思議にも夫と連絡がついたのでした。夫の無事を確認できたときには、安堵と御守護を頂けた有難さで胸がいっぱいになったものであります。タイトルを読むと東電の社員?とか思うはずですが、協力会社の社員てことは、勤務と言って良いのだろうか?と思いますね。常駐してるのか定かではありませんが、この方の場合は、出張・単身赴任て感じがするのです。柏崎に住んでいて福島勤務てことが、引っかかるんですね。【14メートルの大津波】 その後、夫より聞かされた地震発生時の様子は、全身が凍りつくような衝撃的内容でありました。 現場事務所は凄まじいまでの揺れによって物が散乱し、その直後に海を見たところ、なんと海水が不気味なほど一斉に引いて行くのが確認できたとのことでした。 夫はとっさに現場の同僚と高台の免震重要棟に避難したそうですが、避難直後には、想像を遥かに超えた十四メートル級の大津波が襲ってきて、燃料タンクをはじめ業務車両などが、まるでおもちやのように流されていったそうです。細かいことではあるが、「燃料タンク」て、流されたの?・・・その燃料タンクてなんの燃料タンクか個人的には知りたい。何かの燃料タンクがあったとしても考えられるのはN2(窒素)のタンクぐらいだろうが、燃料とは言えないし、考えられるのは、構内で使用する車両用の燃料ぐらいだが、地上タンクという形では置いてないから、なんの゙燃料タングか知りたい。 すでに報道されているように、この大津波により、緊急時に作動するはずの原子炉を冷却する炉心冷却装置が停止してしまい、また地震直後に現場の状況確認をしていた当直員なども津波に呑み込まれて死亡する等、多くの被害と犠牲が発生したのでした。【震災翌日に帰宅】 そのような中、とっさの判断で行動した夫は有難い御守護を頂けましたこと、御本尊様に対し感謝の念尽きぬものであります。ここの部分て、結局は、自分だけがて感じしかしないんですよ。もっと言えば、顕正会員全体の記事で、自分さえ良ければとしか、思えない内容ばかり続いてると感じるのは、筆者以外にも沢山いるのではと思っています。 その後、夫の住んでいた寮が会社の原発対策本部となったことで、夫は上司より新潟へ帰るよう指示を受け、帰宅することになりました。 大地震の翌日、原発構内で水素爆発事故が起こった際には、すでに夫は警戒区域より外に出ており、夜には無事に柏崎の自宅に着くことができました。 しかし帰宅直後、すぐさま福島原発への召集がかかり、仕事とはいえ、放射性物質が蔓延する現場に夫を送り出さなければならない現実に、私は茫然となりました。 そのような中にも、柏崎事務所の御本尊様に必死にご祈念申し上げると、「何かあっても大丈夫」との大確信が込み上げ、いかなることが起ころうとも、大聖人様にすべてをお任せする肚が決まりました。【召集が一転自宅待機に】 すると、何とまたも不思議な御守護を頂いたのです。それは震災より三日後、福島への出発直前になって、なぜか福島にいる直属の上司と連絡がつかなくなり、その状況は数日過ぎても変わりませんでした。 その後、他の社員は状況の悪化する原発へ次々と現場入りする中に、本当に信じられないことですが、結局、本社と対策本部のやり取りの末、夫には自宅待機の指示が出されたのです。地震の復旧作業で人手が居るのに、一時帰宅てのが、少し気になります。そして、同僚が福島に向かってるのに、登壇者の夫は上司と連絡が取れないからて理由で待機?て、他の同僚の一部の方にも当てはまる事でしょう。もし、この方だけがとなれば、最初から指示があり現場に向かった。となるし、「本社と対策本部のやり取りの末、自宅待機」てのも、人手が欲しいときにあり得るか?と思うのです。 顕正会員だから問題があり、必要ないからて事なのか?それとも、現場に居なくても良いような立場だからとか?それとも、大変な状況の中で、ダ本配布して回って作業の邪魔をしていたのか? この様な諸事情が裏に存在しているのではと、思いますね。 そして現在に至るまで夫は柏崎に滞在しておりますが、まさに御守護以外には考えられず、「何なる世の乱れにも」との仰せを強く実感し、有難さで胸がいっぱいになったものであります。 現在夫は、福島第二原発内で被災して柏崎に避難してきた同志と再会し、一緒に柏崎事務所に参詣し、日曜勤行やビデオ放映に参加したり、また柏崎刈羽原発に勤務していた時の同僚や知人を次々と折伏しております。ここで、「原発内で被災して避難してきた同志」とあるが、同じ作業員なのか?それとも、原発の避難地域の人なのか?判らない。作業員としてなら、「同じ原発で働く同志も、別感の御守護」を受けてとか言うでしょう。逆に原発避難地域なら、住むところも無くなり、守られてる?とは言えないでしょう。 さて、守られた?守られない?とどっちなんでしょうかね?・・・【同志の決意も様変わり】 私も大罰の時代到来の覚悟を固めると、その中に班員たちの決意も様変わりしてまいりました。 神奈川で戦う矢崎組長は現在妊娠中でありながら、夫の大怨嫉にもめげずにけなげに御奉公に励み、三月二十一日に友人を一人で折伏し、一時間かけて神奈川会館に連れて行き入信が叶いました。 また昨年入信の村山さんも、このたびの大震災により「この仏法以外にない、早く皆に教えていかなければ」と自発で立ち上がり、大事な法戦を戦い切ることができました。 さらに長野で一人戦う田辺組長のもとに、毎月「感激を伝えたい」との思いのまま赴き、わずかな時間しか会えずとも励まし続けるなか、組長は肚を決めて会社の同僚を折伏し、有難くも入信が叶いました。現在では班一丸となった御奉公がなされ、感激で戦うところ必ず前進できるとの確信のなか戦い切った結果、この三・四月法戦、誓願達成のご奉公が叶い、すべては大聖人様が御照覧下さること大破信したものであります。長野で一人てのが面白い。他にも顕正会員が居るわけであり、組織分けの弊害で孤立してるて事なんでしょう。組織運用を確りさせて地盤を固めるのなら、地域分けが一番効率が良いわけです。この辺は、学会の組織分けは、さすがと言えるでしょう。【震災により夫婦で「有難い」に】 そして今まで夫が単身赴任であったことから、ゆっくり話す時間もありませんでしたが、震災によってかえって話す時間が増えただけでなぐ、このたび頂いた別感の御守護により、夫婦の会話も「有難い」との思いで弾み、同時に生活への執着がなくなり、お互いに一生成仏と広宣流布を見つめ、励まし合って戦うまでに変わらせて頂けたことが本当に有難く、これも値い難き御本尊様に巡り合い、正しい師匠に師事し得たゆえと感謝の思いでいっぱいであります。生活への執着が無くなりてのが理解できませんね。なら、生きていても仕方がないて事なんでしょうか?・・・ 同時に「広宣流布は眼前」と大確信しては「仏法を得べき便りは今」との肚を固め、いよいよ強盛の大信力を奮い起こさんとの決意が湧き上がってまいります。 されば頂いた大功徳に決して甘えることなく、本日の浅井先生の指導を命に染め、先生を長岡の地にお迎えするまでに必ずや大陣容を整え、広宣流布を一日も早くと念願される無二の師匠・浅井先生に、柏崎の地より断じてお応えしてまいる決意であります。広宣流布を念願してるのは浅井会長ね。で、広宣流布をするのは、大聖人様任せでしょう。なら、浅井会長の願いを叶える為めの広宣流布てことにならないかな?・・・ 爽やかな朝から、幹部会の映像を流して聞いているが、爽やかな朝には不向きであり、これって、夜中とか娯楽として見るのが一番なのかな?・・・(笑)
2011年05月14日
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継命5月1日号より【正信会問題のQ&Aの欺瞞】Q.正本堂建立に際しては、私も御供養しました。何故、解体する必要があったのですか。A.やはり正本堂が池田の大慢心の中心・根源で ―略― そこで、池田大作および創価学会の大謗法の象徴となった正本堂を解体・撤去し、その邪念の根源を一掃しました。つまり、正法を厳護するために正本堂を解体したのです。したがって、その筋道を見誤り、正本堂解体を□実に宗門を非難するならば、結果として池田大作の大慢心と同じ視点に立ち、創価学会の大謗法に与することになるのです。 *******正解.宗門が断行した正本堂解体を非難する者は与同罪だと、ヒステリックに絶叫する姿はどうみても理知的な説明ではないし、説得力がありません。 正本堂解体の正当性を強要するよりも、創価学会の誤りの原因を解明し、再発防止策を考えるのが「信仰の筋道」ではありませんか。 当時、活動家僧侶と呼ばれた人々もその点を危惧して、日達上人と宗務院へ具中しました。日達上人もそれを配慮されて、当時の宗門教師全員からアンケートを取るなど、活動家僧侶の建言に理解を示されました。 御先師の急逝に乗じて、突然に名乗り出た阿部師の自己申告相承には、誰もがあ然としました。しかし、その場で詐称とは決めつけずに我々は様子を見たのです。阿部師が池田大作氏と創価学会の善導に努力し、富士の立義を護持する僧であるならば、正信会は全面的にこれに隨いご奉公する意志があり、またそう願っていたのです。ところが期待に反して、阿部師の学会擁護は次第に明瞭となり、本人も「しのぶれど色に出にけり……」とばかり本性を表し始めたのです。そこで改めて自己申告相承の真偽を問いましたが、応ずる素振りも見せず、いまだに明快な返事ができないまま今日に至っています。 それにしても、かつて阿部師が「正本堂は世界の民衆が懺悔滅罪する戒法の根本道場」だとか、「大御本尊を安置する広布の根本なる堂宇、すなわち正本堂こそ本門の戒壇」と追従した賛辞が、「池田大作の大慢心と同じ視点に立ち、創価学会の大謗法に与すること」にならない理由は何故なのか、説明をしないのは理不尽でしょう。 以上のような事実経過を知るものには、現宗門のヒステリックさも、説得力のある理知的説明ができない理由もよく分かります。 宗門は堂宇に八つ当たりしたり、下手な□実を考える前に、正信会追放を理由に、学会の教義違背を黙認した謗法与同の罪を懺悔することが先決す。 俗に「理屈と膏薬はどこへでもつく」と言いますが、つかない屁理屈だってあるのですから。正本堂!あってもなくてもこじれる問題。そんな気がしますね。筆者の認識不足と思いますが、正本堂の解体理由は、顕正会浅井昭衛会長の諫暁では無いと、断言は出来ますが、他の理由については、維持・管理にお金が掛かる。耐震問題がある。との理由で、解体したと認識してました。 他の建物に関しては?・・・
2011年05月14日
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継命新聞5月1日号より。 【「正信会問題の沿革 ―迷走した正信覚醒運動―」に反論する(3)】正信会 布教部 前回、正信会と宗門では、行っている化儀に違いはないと紹介しました。 これに対して、宗門からは「信仰の中身が違う」と言う主張が聞こえてきます。 確かにその通りです。 同じ事を行っても、中身が違えば、そこに備わってくるものには雲泥の差が生じます。【宗門では「師は断惑の位」】 宗門は、阿部日顕師の詐称登座以降、法主の威光を高め、貫主絶対思想を徹底することに躍起になってきました。 日蓮正宗の本来の信仰観、師弟観とは「師弟ともに未断感、三毒強盛の凡夫」であり、それゆえ「法華経の行者である師弟が互いに切磋琢磨し合い『ともに成仏する』」ことを志すものです。 師である者は、弟子が自分の言うことを聞くのは当たり前だと決めつけてはいけません。 弟子もまた、師の教えを鵜呑みにせず、疑問を持ったときには遠慮なくそれをぶつけるべきです。 仏法の師弟とは、俗世間の単純な上下・信頼関係だけではありません。 お互いの立場を弁える事はもちろんですが、師弟の間に迷い・疑いが生じるのは、むしろ当たり前のことです。 それをお互いの精進努力で乗り越えることこそが、真の本因妙の仏道修行ではないでしょうか。 【変貌した宗門教学」】 大聖人は、一人一人が題目を唱えていけば、それが十人になり、百人、千人と増えていくと仰っています。 しかし、いついつまでに信徒数を倍増せよと時間・人数を区切って目標を達成せよなどということは仰っていません。 数を増やすことに血道をあげる指導をする僧侶も混乱していますが、こんなことを言われて、嬉々として『御法主上人猊下の御命題だから必ず達成する』などと応える宗門側信徒も迷走の極みです。 こんなことが、本当に日蓮正宗の師弟の在り方、信仰の姿なのでしょうか? 宗門は現在の貫主を崇め奉る体制を作った結果、富士門流本来の信仰の在り方を失っています。 貫主とは、宗門僧俗を代表して大石寺において毎日、丑寅勤行を修し、御本尊様にお給仕する立場です。 僧俗の模範となる立場であっても、絶対的な権力者ではありません。 【硬直が始まった宗門】 阿部日顕師以降の宗門は、相承詐称をごまかすことに執着するあまり、日蓮正宗僧俗が師事し、お給仕すべき、宗祖・開祖・三祖のお姿をも見失い、代わりに貫主への給仕が宗・開・三祖へのそれであるかのような指導を行っています。 常に富士の立義を求め精進を続ける正信念と、貫主絶対の体制を維持するために硬直した宗門では、確かに「信仰の中身」が違います。 どちらの信仰が宗・開・三祖にお褒めいただけるかは、法華経の道理に照らせば、一目瞭然です。「正信会問題の沿革 ―迷走した正信覚醒運動―」に反論する。であるが、しばらくは連載になるのだろうか?・・・ 内容に関しては、閲覧者の判断にお任せする。双方の主張を公平に比べるためである。余談ではあるが、継命新聞は購読者を選ばずで、誰でも自由に購入が出来る。日蓮正宗宗務院の名前であろうが、顕正会であろうが、拒むことがなく、広く受付をする姿勢は、立派だと思う。 顕正新聞だとどうだろうかと気になるが、会館とかでは会員以外には販売しないから、ダメかも知れない。
2011年05月13日
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大白法5月1日号より。【大謗法対治の時 妙法の功力により力強く復興・再生へ】 一年の三分の一が過ぎた。この四ヵ月間の何と目まぐるしく凄まじかったことかと振り返るが、彼の大震災は序章である。 東北・北関東は三月十一日に天変地夭の現実に引きずり込まれ、二夜にして戦後の焦土のような状態に置かれた。押し寄せた津波でなぎ倒され返す波にさらわれ、大規模火災で焼き尽くされ、家も家財も車も、そして族まで何もかも無くしてしまった人々がいる。今なお多勢の人々が避難生活を続けており、物資の支援はもとより精神・身体共に保護・治療等が必要な状況はこの先もまだ続く。家族を亡くした苦しみに何年も苛まれることともなった。 当初、大地震の被災国であった日本は、原子力運用の技術はあったであろうが未熟な意識によって福島原発事故を世紀の大事故となし、世界中に汚染物質をまき散らす加害国となった。国内でも東北・関東圏に住む者は、放射性物質と長く付き合っていくこととなった。 『立正安国論』の正義を顕揚する時の到来に符号して起こった大震災を、ゆめ風化させてはならない。他人事であってはならない。もうこれ以上震災が起こらないという保証は、誰もできない。 もちろん、私たちはこれから、力強く復興に立ち上がらなければならない。たとえば放射性物質で汚染された土地を洗浄し、再び耕すことのできるようにしたり、地域の生活・経済を再生したり等々。 また同時に、これからはますます入り乱れ錯綜(さくそう)する情報から真偽を選り分ける力が、必要になってくる。 そこで大切なのは、たびたび御法主日如上人猊下より御指南賜っているごとく、あらゆる事柄の根底に妙法を根本としなければ、真の解決はできないということである。立ち上がるエネルギーは一人ひとりが持っている。しかし、十年後、二十年後を見据えた、付け焼き刃でない復興の枠組み作りには本来、妙法の大人格が要求されるのである。 このたび、法華講連合会委員長並びに副委員長が交代となった。 私たちも決意を新たに、今、何を置いてもなすべきことである折伏を、速やかに行動に移そう。日本一国の大謗法を、全国の各地で同時に、「立正安国」を掲げ対治する時である。福島問題であるが、最悪の状態になってしまった。今頃の発表て感じもするが、水蒸気爆発が起きた時点で、「情報規制・情報操作の発表だね。」と友人と話していた。今後数十年間は封地なるだろう。 この先の宗門・法華講の対応が注目されるが、どのように行動するから問われる次期に来たのではないかと思う。 ただ、顕正会員みたい愚行だけは犯さないで欲しいと願うばかりである。
2011年05月13日
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顕正新聞5月5日号より。一段目 【大罰の時代の号鐘】東日本巨大地震M9.0「東北の同志は・・・」地震が起きて、士気向上してる顕正会ではありますが、ちゃんと所在とか掌握してない会員も居るので、顕正会員だけがてのは、偽りと言えます。二段目「全員が不思議の御守護!」すごーい!!」全員が不思議のてまずあり得ない。そもそも、因果があり、因縁があり、結果として存在するのですから、不思議という摩訶不思議な訳が分からずえのは、ほぼあり得ないでしょう。 ま、顕正会員の場合、思いこみ。勘違いて部分が大きいので、浅井教特有の出来事だと言えますね。 三段目「何(いか)なる世の乱れにも・・・」「けなげの信心」の同志を大聖人様が守って下さった」顕正会員だけが守られた。別感の守護とか言っていますが、顕正会員だけが特別って事はありません。そもそも、法華経の行者を守るのが、諸天の働きであり、御本尊様から守られることを、加護といいます。 それに、顕正会員だけが守られた。て言っても、家が守られた。とあったり、家は流されたとか、同じ守られたでもまちまちですよね。 逆縁の所は、家が流されとか言ってる訳であり、じゃ、家が流された顕正会員は?と成るわけですよ。 顕正会員の登壇内容は、正反対なことを全部、守られたと矛盾してることを平気で発表してるんですね。四段目「諸天の動きは活発 地上の戦いを一気に進めよう!」「広宣流布は近い!」諸天の動きが活発て、明治から昭和にかけての戦争の動乱。これは、大聖人様に背く罰て浅井会長は言っていたわけですよ。罰の時代て事ですね。それが、今回の震災から「大罰の時代の号鐘」てなってる。それって、始まりて事でしょう。100年近く前から始まっていたのが、再度始まりとか言ってるのって、変ですよね。 これこそ、浅井マジック!ご都合主義~て事です。そして、地上の戦いとは、他に地下・天空とか別な世界での戦いでもあるのかという表現でしょう。筆者なら、「今生の戦い」とかいうかな。ともかく、顕正会の戦い。広宣流布が近いと言っても、ゴールすら見えてない虚しい叫びでしか無いでしょう。そして、顕正会員諸氏。一気に戦いを進めるのなら、逃げてないで対論でもしませんか?各所から入ってくる話にしても、顕正会員が逃げてる話しか聞きません。相手を選んでる場合ではないでしょう。そして、御遺命を捨てた宗門法華講員から逃げてどうするんですか?・・・一番最初に、破折なりしなければならない、諸悪の根源でしょう。広宣流布を目指すなら順序が逆に成ってますよ。だから、法華講員との対論には逃げないで下さいね。最近の法子ちゃんは、つまらない。作者さん。昔見たくいじりがいがあるような内容にしてもらいたいですよ。
2011年05月13日
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更新情報4月度・日曜勤行UP参照浜松会館 釈子・創価門流さん先日の教義観のお話しあいは、管理人さんのHPにそぐわないので、自粛いたします。 本日、浜松会館の写真を撮って参りました。何処へ掲載すればよろしいでしょうか?釈子・創価門流さん。ご理解して頂きありがとうございます。 個人的な事ですが、教義論とか諸問題に関して、まるっきり無関心と言うよりは、個人的には関心があることであり、研鑽してます。 ただ、公の場での持論に関しては、展開したいとは今は思ってませんし、下手に書いても、己義と言われてしまうのが落ちでしょう。なら、各所問題に関して、宗門が公式見解を出して対応することを望んではいます。 結局は、宗門が公式見解を出さない限り、信徒が言っても持論・己義でしかないと言われてしまう。 自分の所属組織を守ろうと思っても、後ろから殴打されるような行為は、あまりしたくないのです。さて、写真掲載の件ですが、画像UP掲示板とかを用意してないので、下記のメールに添付をして頂くか、ファイルバンクに自由にUPできるスペースを設けてます。メールに関しては、ステアドでかまいませんので、どちらかの方法でお願いできたらと思ってます。sanmoniriguti@yahoo.co.jp「メール」「ファイルバンク」
2011年05月13日
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参照Re:おうおう、勇ましいねぇ(08/13) 水無月さん>> されば第三十九隊は、このような三類の強敵を撥ね除けながら、西日本全県に会館を建設して頂けるだけの大潮流を巻き起こしてまいること、堅くお誓いするものであります。>>勇ましいこと言ってますけど、果たして西日本全県とはどこからでしょうか。仮に名古屋・四日市より西だとしても、滋賀・京都・和歌山・奈良・兵庫・岡山・山口・徳島・香川・福岡・佐賀・熊本と、12府県残ってるんですけどね~。>その前に隊長さん更迭されちゃわないようにね~。----古い話の自己レスになりますが、とうとうこの隊長さん、更迭させられましたね。まだ西日本全県会館立ってないのに。登壇から9ヶ月。結果もだせぬままサヨウナラ・・・か。入れ替わりの激しい顕正会幹部。そして、人材が居ると思わせて、兼任が多い顕正会幹部。上級幹部が兼任するようでは、人材がいないって事を、世間にアピールしてるだけって気がつかない顕正会!150万人もいて人材がいれば、兼任ではなく、専任で良いはずなんですけどね。^^
2011年05月12日
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顕正新聞5月5日号より。【信心の大動脈たる「顕正新聞」誇りを以て力強く推進しよう!】副理事長 横田 高明 迎える五月は年一回の「顕正新聞」購読推進の月であります。 申すまでもなく顕正新聞は御本仏・日蓮大聖人の仏法を正しく伝え、会員の信行増進に資するものであり、同時に、御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を推進する唯一の言論機関であります。大聖人の仏法を正しく伝えて、会員の体験を聞くだけで正しく伝えてることには成りませんね。まして、作文がてんこ盛りなのですから、会員を騙すための機関誌と言えるでしょう。ま、会員の妄信増進には、大活躍はしてますけどね。(笑) いま日本全国、さらには海外においても、浅井先生より頂く指導が一糸乱れず徹底され、同じリズムで広宣流布の前進がなされていることは、まさに顕正新聞の力によるものであります。海外って台湾だけじゃないかな?・・・そもそも、多国語の新聞て出してないでしょう。台湾で思い出したのですが、ニュース記事で浅井会長の同類?と思われる記事が出てました。(以下転記)参照---------------台湾中部・南投県埔里で予言者を名乗る自称「王先生」という男性が「東日本大震災から2カ月の11日に震度14の大地震が起き、高さ170メートルの津波が台湾を襲う。100万人以上が死亡する」などと予言。4月下旬からインターネットで広まり、埔里にはこの話を信じる一般市民ら数十人がコンテナ約200個でシェルターを作る騒ぎとなった。 台湾気象局は「『震度14』は存在せず、予言に科学的根拠はない」として惑わされないよう呼び掛けた。しかし、シェルターには飲料水や米、燃料などの物資が大量に運び込まれた。予言した地震発生時刻の午前10時42分37秒が近づくにつれ、見物人や台湾メディアでシェルター周辺はごった返し、警官約100人が出動した。-------------- 顕正新聞には、総幹部会・御書講義・日曜勤行等における浅井先生の重要指導が写真や御真蹟を交えて掲載されておりますが、素晴らしい講義を頂いた上に、活字を通して拝読することで大事の指導が深く命に刻まれ、いっそう深き信心に立たせて頂けるのであります。御書講義てここ2年間は冊子にしてるから、掲載してないでしょう。また、日曜勤行の重要指導て、数ヶ月も前の指導が重要だから掲載ってのもおかしな話でしょう。重要なら、最新号に掲載するはずですがね。また、御真蹟てどこから転用してるのかな?・・・顕正会では、何一つ保持してないでしょう。 また数多く掲載される同志の体験発表は、御本尊様より頂く信心□唱の大功徳が実感でき、一回一回の顕正新聞からどれほどの勇気と確信を頂き、御奉公の決意に奮い立たせて頂けるのか、計り知れぬものであります。 まさに読むほどに信心が深まり、広布の人材へと成長させて頂けるのであります。揚げ足取りだけど、顕正会で言う「大功徳」て、いかにせこいものかが良くわかりますね。 ま、利益信仰を全面に出して、餓鬼界の信仰だから仕方がないけど、本来求めてる成仏とは何か?と考えた方が良いでしょうね。 何より、浅井先生より頂く指導は、仏法上からの深き洞察・ご見識による、世間の識者も遠く及ばぬ鋭いご指導であります。歯の浮くような台詞を、よく言えるなって感心します。「仏法上からの深き洞察」て、ただの思いつきでしかないでしょう。また、見識て言っても、元にしてるネタがあり、学者の説をただ、利用してるだけ。なにも、オリジナルで最初に言い出したものなど何もない。二番煎じの二流な人てだけですね。だから、世間の識者と比較して、会長は凄いと褒めないと、誰も認めてくれないから、自画自賛的な言葉を言うようになるんですね。 本当に凄い内容見識なら、認めてくれる人も居ますよ。けど、誰も評価してる話は聞かないから、結局、評価されない内容って事だけでしょう。 日本の亡国が刻々と迫る今、そのよって来る根本原因を明かされ、来るべき国家破産、修羅の大国・中国の脅威、さらにはこのたびの東日本大震災等の三災七難の仏法上の意義など、仏法を知らぬ者も、顕正新聞を通して先生の指導に触れるや、眼を開かれ仏法の大事に気づき、入信を願い出る姿を眼前にすれば、一人でも多くの日本人に、顕正新聞を通して先生の指導に触れさせたいと、強く思うものであります。 またこのたびの大震災の中に、顕正新聞の威力と有難さを実感として味わったところであります。根本原因の最大の原因は、顕正会浅井会長の存在でしょうね。 顕正会(妙信講)による、内乱が勃発して、解散処分になった。それを切っ掛けに、世の中の景気が一時悪くなった。で、本門寺改称がと好き勝手に騒いでるときも、景気が悪くなった。で、ダ本が出されると、何かしらの社会的問題が増えてくる。これも、大聖人様の名を落とす顕正会の行動が引き金になってると言えるでしょう。なんせ、顕正会の会館が建つ所って、ろくな事が起きないですからね。 すなわち、同志との連絡もままならぬ被災地の会員が、顕正新聞にどれほど感激し奮い立ち、力づけられたことか、また逆に、被災地の同志が守られた功徳の体験や、悪条件をものともしない活動報告に、全国の顕正会員がどれほど勇気と力をもらったことか。 まさに顕正新聞こそ、顕正会員に信心の血液を送る大動脈なのだと思わずにはおれません。信心の血液て・・・・どす黒い血液でも流してる?血液を流してるのは、浅井昭衛て事なんでしょうね。なんせ、顕正会の心臓なのですから。そうなると、浅井昭衛は・・・・ なれば我ら顕正会員こそ、顕正新聞を熟読して信心の血肉とし、「顕正新聞が一部伸びるごとに広宣流布は近づく」との大確信で、誇りをもって力強い購読推進を図ってまいろうではありませんか。 購読料・手続きとも前回と同じであり、購読推進の本部における締め切りは五月三十日であります。 以上。「顕正新聞が一部伸びるごとに広宣流布は近づく」いぇ、今、何部発行してるのかな?・・・20万部程度?そして、購読者も重複購読してるから実数が伸びてない。伸びてないってことは、広宣流布が~て、全然遠い話でしかない。遠い話でしかないから、150万会員といっても、所詮は、累積であり、実態のない会員が多いて事でしょ。150万会員がいるのですから、50万部~75万部ぐらいは、発刊してないとね。もちろん、一家に一部で出はなく、会員一人に対してですよ。一家に一部なら30万部でも納得するけど、実際は違いますね。 ま、広宣流布のゴール近しと言っても、浅井会長が存命してる間だけ騒いで、そのあとはとなれば、虚しい現実を突きつけられて、途方に暮れるだけなんでしょうね。
2011年05月12日
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顕正新聞4月25日号より。【大惨事を見て動揺する船長等を折伏 寄港地・大分で乗務員11名 入信勤行】男子部第七十四隊支隊長 松崎 ○○初陣二月、御本尊の御守護と浅井先生の大信力に強く守られ、般崎支隊は誓願突破のご奉公が叶い、迎えた三・四月法戦はさらなる決意で臨んでまいりました。【大手外航海運会社】 私は国内の大手外航海運会社に勤務しておりますが、今回の東日本大震災の発生時は、瀬戸内海の山口県光市の港で、アメリカ向けの鋼材荷役の監督として、船内において作業中でした。 岩手県沖から光市までは直線距離でも千百キロ離れ、しかも瀬戸内海という内海にもかかわらず、地震発生の一時間後には津波警報が発令され、岸壁損傷などを考慮して港外退去指示となり、沖合いに避難しましたが、当日の夜には一メートル弱の海面上昇が観測されたとのことでした。【動揺する船長等を折伏】 当時この船には、私が以前に指導し教育したフィリピン人の船長、一等航海士等二十名が乗船しており、この震災と津波の被害の実態をテレビ中継で眼にした彼等は、同じ状況に遭遇するのではと動揺しておりました。 これを見て私は、距離や地形、これまでの実績から直接の被害は考えられないことを説明したものの、彼等の不安は拭い切れないようでした。 そして私がこのテレビ中継を見ながら港湾関係者に電話連絡し、冷静に対応する態度を見ていた船長・一等航海士が「なぜこの大惨事を見て動揺しないのか」と尋ねて来たことから、私は「日本には日蓮大聖人という絶大威力の仏様がおわします。大聖人様がお説きになられた仏法を実践すれば必ず御守護を頂ける。私は仏弟子として御奉公が叶う立場にあり、何があっても大丈夫である」と大聖人様の御威徳を力強く語っていくと、最終的に総員二十名の乗組員がみな入信を願い出てきたのでした。幹部会で作文部隊長が登壇して、この登壇記事の内容を語っていたが、本人が登壇しても問題ない内容ですね。なぜ、集会程度の発表なのか?・・・新聞記事にならなければ、集会参加者だけしか聞くことのない内容。 さて、こちらの記事では鉄鋼資材搬入の監督と言うことですが、幹部会では「上層部に勤めて」との記載になってます。 資材搬入の監督て現場仕事だから上層部?て言うのは、微妙でしょうね。上層部の人間が、現場指揮の監督ってほぼしませんし、仮にあっても名目だけで、ほとんど新人・若手が現場の監督をすることが多いでしょう。ただ、この方が、船長を指導教育したことがある。てなってるので、なんの指導教育かで、立場が明確になるでしょう。 それと憶測でしかありませんが、職権乱用で圧力をかけた入会強要て感じがしますね。本社の人間に逆らったら、職を失う。また、船長がとなるとその船の船員も同じて事です。なにか、実態のない入会て香ばしい香りがしてきますね。【大分会館で11名が入信勤行】 当時の津波警報の影響下で船内の要員安全を確保しなければならず、光市からでは入信勤行のできる場所まで遠く、多数の外国人船員の入港地以外への移動の制限等を考慮して、入信勤行を諦めかけましたが、次の寄港地・大分には港から車で十分の所に大分会館があり、翌日入信が叶うようご祈念いたしました。 不思議にも大分港において数日間港外待機の予定がなくなり、また陸上施設の定期点検で作業が終日中断し、乗祖員が上陸できることや、上陸のためのボートも安価で手配できる等、すべての条件が整ったのでした。 当日の午前中、七名がボートで上陸し、大分会館において無事入信が叶いました。午後にはボートが出せないような荒れた海となりましたが、不思議とボートの操縦士が上陸を敢行し、四名の入信も叶いました。 思い返しても、この十一名の入信はまさに大聖人様の御守護以外なしと、大感激いたしました。この時点で11名の入会ですが、残り9名の入会は、いつどこで行われたのか?・・・・話の流れからして、出向して海外に向かっていると思うのですが?・・・【外国船の寄港拒絶で需要増加】 今回の地震発生と余震の連続、ことに福島原発の事故発生により、海運事情の変化は興味深く、海外船の日本への寄港を回避する動きの中でも、とくに重要な輸入物資の船舶の占有率が高い中国船が用船市場からいち早く撤退した状況に、来るべき兵糧攻めの先相を見た思いとなりました。 そして外国船舶が日本への寄港を拒絶する中、手持ちの船を有する私の会社では、船の手配に苦労するほどの需要となっております。 しかしながら、中国向けの輸出品には残留放射能検査の証明書が義務付けられ、また放射能汚染を知り、日本に寄港するなら船を降りたい」と希望すぶ外国人船員が出始めており、日本の原料・食料・製品の輸出入を担う国内海運会社の支配船で、外国人のみ、あるいは外国人との混乗が進んでいる状況を鑑みるとき、今後の事態の推移を真剣に憂慮するものであります。この辺も誇張してるのではと感じますね。なにも、東北方面に荷物を持って行かなくてもいい訳でありというか、持って行けませんがね。関東だと横浜とかがありますが、そこも敬遠されたとして、神戸港とか九州とか西の地域に荷下ろしを変えて、輸入て回避措置も考えられます。これなら、地震・原発問題の影響は受けないでしょう。ま、伝手をたどれば海運関係の人から話が聞けますが、そこまで手間をかける必要も無いでしょうね。【支隊員も御守護】 また支隊員においても、食品加工会社の製造管理者である吉渾班長の会社では、震災の影響でパーティーや宴会の中止が相次ぎ、注文が落ち込む中に、班長が担当する仕出し弁当等の惣菜品の全体的な欠品で受注が急激に増える事態となり、班長の社内での立場が守られております。自分の担当部署がてだけで、守護てのもおかしいでしょう。そもそも、仕出し弁当て、こういうときは繁盛するてのが相場です。また総菜の欠品で注文が増える?て、おかしいですよね。仕出し弁当を作ってる。その総菜が欠品してる。だから増産してる。当たり前の事でしょう。総菜がないと弁当が作れないのですから。そして、弁当の注文が増えたからって社内の立場が守られた。てのもおかしいでしょう。この人は、製造管理であり、注文を取ってくるのは、営業の仕事。だから、注文の量に限らないで、立場を良くも悪くもなるのは、営業の人であり、製造の現場はなんの関係もない。ただ、味とかで人気が出る。出ないはありますが、これは、無理矢理、功徳話にしてますね。さらには震災翌日に中国人パート十数名が一斉に帰国し、急濾雇用した日本人スタッフの教育担当となった班長は、さっそく就業初日にスタッフを折伏し入会が叶っております。 このように御奉公と仕事の両面において別感の功徳を頂き、呵責諸法滅罪抄の「何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けんが如く、強盛に申すなり」の御金言のごとく、大聖人様の御守護を支隊一同、実感させて頂いております。ここでも、職権乱用。自分の立場を利用した勧誘でしょうね。 さて、この景気の悪いなか採用されたとして、教育担当と言うことは、見習いであり、指導してる方が、使えないね。となれば、正式採用にはならないと言う、暗黙のプレッシャーがかかるでしょう。これは、自分の身に置き換えてもいいでしょう。 そして、海外ではあり得ないですが、日本民族特有の社会性が影響してると言えるでしょう。 さらに小田原で戦う有川班長は、粘り強い戦いで初陣から続いていた逆縁を破る一名の入信を決め、直前に戦列に復帰していた葛生組長を励まして先日の日曜日、有難い入信を叶えております。 松崎支隊、誓願九名に対して現在十七名の弘通がなされておりますが、三月度総幹部会の大感動と松野抄講義録の感激を原動力に、三年後の男子五万の結集を見つめ、新たな人材を急ぎ糾合し、無二の師匠・浅井先生に断じてお応えしてまいる決意であります。 (第七男子部集会より)
2011年05月12日
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顕正新聞4月25日号より【震災前に松野抄講義頂けた有難さ震災で全員の信心が生まれ変わる】第十七女子部幹事・第六十区長 庄司 ○○ 一万四千の大号令に、山形・岩手で戦う第六十区全員で赤誠を尽くし、立宗の大聖人様の大慈大悲に何としてもお応えせんとの闘志でいっぱいであります。 三・四月法戦、松野殿御返事の大感激を胸に、顕正会員として「仏法を得べき便り」の使命に燃えて戦うなか、三月十一日、あの未曽有の東日本大震災が起こりました。【有難さに涙あふれる】 山形においても経験したことのない激しい揺れ、そして岩手においては想像を遥かに超える十メートル以上の大津波に襲われ、その中に、自分たちが頂いた格別なる御守護に、呵責諸法滅罪抄の「何なる世の乱れにも・・・」との、大聖人様の強き祈りにより守って頂けたのだと、その大慈大悲の有難さで涙が後から後からあふれ、言語を絶する震災を通し、全員が「大聖人様絶対」の大確信に立たせて頂きました。 さらに、巨大地実にも微動もしなかった堅牢な山形会館に、どんな時も参詣でき、御本尊様にお値いできる有難さが込み上げました。 また山形会館に救援物資が届いたことに、私たちはどれほど先生の深きご慈愛に守って頂けているのかと、浅井先生に対し報恩感謝の念は尽きません。 先生の弟子であったればこそ御守護を頂き、三災七難もしなやかに乗り越えられ、かえって信心の色を増し、広宣流布に勇み立っていけるのだとの大確信・大情熱に立たせて頂いては、自身の有難い宿縁に咽び泣く中に、報恩の大折伏の決意を幾重にも固めさせて頂きました。【警察職員の総班長】 地震直後より岩手県の同志とは連絡が取れず、街が潰滅した大船渡市を中心に戦う佐々木総班長と連絡が取れたのは震災の五日後でした。 総班長は警察職員ゆえ、いろいろなことを見聞きしており、頂いた格別な御守護の体験を聞いては、有難さが込み上げました。 地震と大津波の発生時、総班長は警察署の四階に避難し、窓から巨大津波が街をひと呑みしていく光景を目にしました。家屋や車や人が何キロも次々と流されていく惨状には目を覆いたくなり、「これが諸天の怒りなのか」と息を呑み、「もう広宣流布しかない、早く皆に伝えなければ」と決意したそうです。 警察署内でもライフラインは完全に寸断され、真っ暗闇の中に聞こえてくるのは警察の無線だけで、「もうどこにも逃げる所はありません!」と叫ぶ警察官の声が署内に響いていたと聞いては、日曜勤行における「もう日本国中、ここは安全というところはない」との先生の仰せが胸に迫ったそうであります。警察署だからって、ライフラインが保たれるて保証は無いし、警察署だから特別だとでも思ってるんでしょうね。確かに、通信手段とかは別回線で存在してますが、結局は、基地局がダメージを受けたらどうにもならない。【不思議な御守護】 そのような惨状の中にも、佐々木総班の総班員および家族全員が、危機一髪のところ不思議な御守護を頂いていたことを聞いては有難さでいっぱいになり、また総班長も御守護を頂き、大津波が警察署の五十センチ手前で止まり、警察署近くのアパートも車も、水が一滴も入らず無事だったそうで、何から何まで守って頂き、有難さで一杯になったものであります。佐々木総班のて、班員全員て事ですよね。なら、全員個別に体験発表でもしてもらいましょう。なんせ、全員不思議な守護を頂いてるんでしょう。 総班長は警察署での二十四時間のボランティア勤務となりましたが、今まで当り前に過ごしていた生活がいかに恵まれていたのか痛感したそうです。 何より、電話が通じないため同志と連絡がとれず、何ともいえない孤独感に襲われたそうですが、時間を見つけては警察署 内で勤行申し上げると、「私たちはお題目で繋がっているんだ!」との思いが湧き、生命力が湧いてきたそうです。 震災で命が助かっても、この惨状に耐え切れず自ら死を選ぶ人も多くいる中に、一回一回の勤行でどれだけの生命力を頂けたかわからず、顕正会員で本当によかっなと、総班長は宿縁の有難さを噛み締めておりました。ここで、ボランティアて出てきますが、顕正会では、ボランティアはダメて言っていたはずですね。ただ、この方は「警察職員」て事なので、警察官ではなく、事務とか雑務をしてる方なのかと思ってます。で、ボランティアて事ですが、無報酬で仕事をしているのか?て事です。24時間勤務て、24時間フルで働いてるわけでも無いのですから、「二十四時間のボランティア勤務」てのは、誇張表現でしょう。多分、職場での労働ですから、給料はでているのですから、ボランティアてことでは無いでしょう。 例えば、サラリーマンが仕事が終わらなくて、残業しても終わらせたとします。しかし、残業をしないで仕事を終わらすことが出来なかったのですから、残業分は無給になり、ボランティア残業だよ。てことはありますが、登壇の内容からして、ボランティアてのは、いささか疑問に感じます。【「人生は儚い」】 また瓦礫の街の中から自衛隊がさまざまな物を捜しては拾得物として警察に持ち込むそうですが、その中で多いのが金庫で、中には何億円も入っている金庫もあったそうです。 しかし持ち主は亡くなっている可能性が高く、総班長は見たこともない大金を数えながら「人生は儚く、地位も名誉も財産も、死ぬときには持っていけない」と痛感したそうです。この方の職務がなにかとハッキリしないから、お金を数えたて行為について、ボランティアで行うような作業か?と謎があります。遺失物であるのですから、警察官が数えて、報告書に纏めるはずですが、遺失物の保管業務に携わってるのなら、数えることもあるでしょう。この場合、金額的に見て相当ある。一人で数えるのは問題がある。複数人の立ち会いで数えると思われます。 だからこの方が警察官なのか?一般事務の職員なのか?ハッキリさせていただきたい。しかし、「人生は儚く、地位も名誉も財産も、死ぬときには持っていけない」て、正論ですね。だけど、顕正会員の大半は、全部ほしがってるでしょう。浅井会長自身、会長職にしがみついている。地位、名誉に執着してますよね。まして、一生懸命財産も残してますし、そんな会長が言う台詞なのか?て思いますよ。だから、顕正会員て、矛盾する行動をしていて何とも思わないのでしょうかね?・・・ローンを組んで家を建てた。無理して家を建てる必要はないでしょう。財産なんて死んだら持って行けないのですから。 そして総班長の胸には、松野抄における先生の指導が浮かび、一生成仏の大事をよりいっそう命に刻んでは、震災前に松野抄講義を頂けた有難さを語っておりました。 また総班長は今回の震災で、何度折伏しても逆縁だった友人を亡くしてしまいましたが、「自分がもっと慈悲を持って折伏していたらと思うと、胸が張り裂けそうです」とも語っております。 この震災を体験し、改めて新尼抄の「諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」との仰せが強く胸に突き刺さり、これほどまでに重き仰せと実感したことはなく、ただひれ伏す思いで一杯になりました。ここでも、逆縁で亡くなった人がてありますが、遠回しに罰て言いたいだけでしょう。今までの数々の登壇内容からして、罰て勘違いさせる意図があるとしか思えません。【全員信心が一変】 山形の同志に加え、戦列に復帰した者も岩手の戦いに励まされ、諫暁書を片手に折伏に飛び回わっておりますが、このたびの震災で皆の信心が生まれ変わり、いま第六十区員の胸にあるは「戦いを遅らせては申しわけない」との思いであります。 そこに先般の歴史的総幹部会の席上、先生より今回の巨大地震につき、正嘉元年の大地震に次ぐものであり、これ一回では終わらないこと。今回の地震は、広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、広宣流布が成就し全日本人が救われる大瑞であること。そこに「ゴールは見えて来た」とのご断言をお聞きしては第六十区一同、確信と情熱の塊となり、諸天の働きを上回わる、うねるような大きな戦いを断固なしてまいらんとの、さらなる決意と闘志が全身にみなぎるものであります。 されば「東北先陣の、そのまた先駆けを」とのご命令を頂いた第六十区こそ「軍には大将軍を魂とす」との仰せを肝に銘じ、松野抄講義録を原動力に大信力を奮い起こし「地上の戦いが遅れては申しわけない」と叫ばれる無二の師匠・浅井先生に、誓願大突破の証拠を以て必ずやお応えしてまいる決意であります。(第十七女子部集会より)ここでも、正嘉の大地震て言ってますが、正嘉地震の次ぐものではないと、立証してるので、「今回の地震は、広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、広宣流布が成就し全日本人が救われる大瑞であること。」て、根拠にはなりませんね。 そもそも、150万会員で広宣流布のゴールが見えてきた。てならないでしょう。いや、気持ちの問題と言っても、総人口の10%もいってないのですし、120キロ先がゴールとしてまだ、150メータしか進んでないのと同じですよ。どんなに平地でも120キロ先は見えないでしょう。そんな虚しいことを言ってるのに気がつかない顕正会員は哀れとしか言えないですね。リアルが多忙なので、更新時間が作れません。すこし、やっつけ仕事になってますが、ご了承下さい。
2011年05月11日
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顕正新聞4月25日号より。【「先生の諫暁書のとおりになった!」もう黙っていられない!と奮起】婦人部八戸支区 折笠○○ 私は平成十九年、十年前の教え子の母親である対馬組長の折伏により入信させて頂きました。【初心の功徳】 私は小学校の教師をしており、入信以前は学校・家事・子育て等、生活に追われて毎日をこなすのが精一杯で、笑って楽しく過ごせずにおりました。 そのようなとき折伏を受け、軽い気持ちで入信させて頂いたのですが、入信後は素直に朝晩の勤行を実践していくと、以前よりも早起きするようになり、「さあ今日も頑張ろう」と生命力が湧き上がるのを感じるという、初心の功徳を頂きました。心法の変化として、初心の功徳と言うには、勘違いも度が過ぎますね。 また私は、家庭内で問題のある生徒を一年生の時から受け持っており、その生徒の母親は育児を放棄し、遠足代も支払わず、行事があるたびに学校を休ませる等、私の悩みでもありました。 しかしお題目を唱えていくと、その母親が遠足代を支払ったり、子供のお弁当を作ってくれるようになる等、手を煩わされることがなくなり、この現証には有難さが込み上げたものであります。家庭内で問題のある生徒て、本人に問題があるみたいでしょう。「家庭内に問題がある」のと大違い。で、これいつ頃の話なのでしょうかね?1年生から何年も担任になってるような表現ですよ。子ども手当が支給されてからの話なのか?でも違ってきますし、これで、小学校の教師て、昔の教師に比べて質が落ちてますね。【勤行を怠ける】 しかし私は仕事が忙しくなると、勤行がおろそかになり、支区集会やビデオ放映も自分の都合に合わせての参加で、「せめて朝晩の勤行だけでもやらなきゃいけない」と思っていたものの、とうとう勤行が全くできなくなってしまったのです。そこに昨年四月には娘が生まれ、現在も育児休暇中なのですが、ますます忙しくなって生活に追われておりました。 そのようなある日、学校から電話があったのでした。 聞けば、息子が瞼(まぶた)を切るケガをしたとのことで、息子は三針も縫われ、医師から「もう少しズレていたら失明していた」と言われた時には、恐みしさに身震いいたしました。 さらにインフルエンザの予防接種を受けたにもかかわらず、息子だけがインフルエンザに罹る等、息子に次々と現われる出来事に、私は初めて罰だと気づいたのです。 山口総班副長にメールを送ると、「大聖人様が気づかせて下さったんだよ、この現証を罰と分からせて頂いたのだから、本当に有難いね。信心で乗り越えさせて頂こう」と励まされ、それからは「家族を守るため」と思い、毎日勤行を実践させて頂きました。イーフルエンザの予防って、かからなくするのではなく、発症しても症状が酷くならないためにする予防なのですから、だからなに?と言いたい。 憶測として子どもが、勤行をしていたとしたらどうなるか?子どもに勤行を強要していなかったとも言えないでしょう。そうなると、子どもが積んだ功徳が無いのかな?と感じるのです。 【信心口唱の功徳】 すると次々に功徳を頂いたのです。 勤行を始めてから数日後、警察から電話がありました。実は昨年、車上荒しに遭ってカバンを盗まれ、そこに大事な財布も入っていたのですが、何とそれが戻って来たというのです。車上荒らしにあったのっていつ?話からして、顕正会に入会したあとですよね。時期的に、勤行をしなくなった時なのか?それなら、このとき罰てならないのかな?・・・また、カバン、財布が戻ってきたて、中身の現金とかは無くなってるでしょう。それならば、入れ物など捨てるのですから、戻ってくる可能性だってあるでしょう。大事な財布を無くした=罰なのか?それとも戻ってきた=功徳なのか?無理矢理、功徳体験にしようとするからロジックが生まれてしまうんでしょう。 さらに、下水道工事の方に水道を三ヶ月貸したことにより、水道代を払ってもらえる等、退転していた私にも大聖人様が功徳を下さることに、有難い気持ちでいっぱいになり、信心口唱とは何と凄いのかと改めて分からせて頂きました。三ヶ月の水道代て、5千円以下でしょう。ま、それは良いとして、水道工事てことは、工事関係者て神棚拝んでるはずだけど、謗法からの布施になるんじゃないのかな?・・・ 私は、謗法者からの布施を受けました。てなると思いますね。^^【諌暁書の通りに】 そしてその直後、あの恐ろしい東日本大震災が起きたのです。 青森市は一日だけ停電となり、次の日には復旧しましたが、一晩じゅう暗くて寒い中で過ごしただけでも、とても不安で不安で、余震が来るたびにお題目を唱えていました。 またガソリンも並んで入れたり、今までおカネを出せば当り前のように買えていた物が買えないという現実を目の当りにした私は「浅井先生が諫暁書に著わされたとおりになった!。もうこうしてはいられない、私も大事な大にこの仏法を教えていかなければ!」との思いが衝き上げてきました。顕正会流の思想を伝播するのではなくて、一般社会で通用する道徳とか子どもに教えたほうが良いと思いますよ。学校の教師として復職するんでしょう。【先生のお心に涙】そのようななか、自宅近くの山崎総班長宅が自宅拠点となり、私も襟を正して御入仏式に参列させて頂きましたが、御本尊様がお出ましになった瞬間、ただただ有難くて涙があふれ、同時に「今までの私じゃ駄目!数々の功徳を頂いているのに!大聖人様にお応えし、お役に立ちたい」と固く決意させて頂きました。 そして翌日の日曜勤行にも参加し、浅井先生が顕正会員をご心配下さるそのお心に、涙があふれました。さらに呵責謗法滅罪抄を引かれての「大聖人様は不可能をも可能にする強き一念で、諸天に対し『けなげの信心の者たちを助けよ』と、強く強く申し付け給うておられる」との指導を頂き、何と有難いことかと、ただただ涙が溢れてまいりました。「けなげの信心の者たちを助けよ」て、家とかが被害にあった顕正会員て、けなげな信心じゃないてことになりませんか?【もう黙っていられない】↑顕正会の嘘・偽り・誇張をしてる作文を黙って見過ごしては居ません。^^ また歴史的総幹部会のビデオ放映では、大震災の中で頂く顕正会員の数々の功徳の体験を聞き、「もう、大聖人様に助けて頂くしかないのだ。こんな私でも、大聖人様は諸天に申しつけ、我ら仏弟子を助けて下さるのだ」と大確信しました。 同時にこの大地震が、広宣流布の直線コースに入った今、諸天怒りをなして起こすところの大罰の現証であることを分からせて頂き、「もう黙っていられない」との思いが衝き上げ、幼なじみの和島さんを救いたいとの思いで折伏しました。難しいことは何も言えませんでしたが、数々の功徳の感激を語っていくと素直な入信が叶い、有難い思いでいっぱいになりました。諸天が起こすて、さすがに大聖人様がてなるでしょう。ずいぶん無慈悲な仏だね!てなるから、止めなさい。だから、顕正会は、大聖人様の名を貶める、仏敵といえるでしょう。 すると折伏したその日に、大功徳を頂きました。 実は、小学四年生の息子のおねしょが気がかりで、五年生になると一泊する行事もあるためどうしようかと思っていたところ、なんと折伏したその日からおねしょがピタリと止まったのです。 さらに息子は一人で実家に泊まりに行ってもおねしょするととなく、息子はもちろんのこと家族全員が「凄いね」と喜び合い、大聖人様から頂いた功徳だと大確信しました。 この感激のまま父を再度折伏すると、有難い入信が叶い、この重大なときに上品の親孝行が叶った有難さでいっぱいであります。 広宣流布直線コースに入った今、このたびの大地震によって私自身、信心を生まれ変わらせて頂けたことが本当に有難く「諸天の活発なる動きに、もし地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない」と叫ばれる浅井先生に、私もお応えしたいとの思いでいっぱいであります。仮に諸天の活発な動きでもいいでしょう。地上の戦いって、どこか異世界での戦いでもあるのかな?(笑)ちょっと脱線しましたが、地上の戦いが遅れたらて、平成25年までに一千万の誓いがあるのですから、遅れまくっていますよね。そうなると、地上の戦いが遅れてる顕正会のせいで、諸天が怒ったのかな?てこともいえるでしょう。 されば「諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」との御金言を噛み締め、頂いた功徳に甘えることなく、この有難い仏法を一人でも多くの人たちに伝え、一五〇万法城を急ぎ願われる無二の師匠・浅井先生に、断じてお応えしてまいる決意であります。 (第五婦人部集会より)顕正会員の登壇て、自虐登壇て感じませんか?・・ 4月の幹部会で第13女子部の部長の交代がありました。早くも部長の交代と思うのですが、こんどは、第二部長と十三部長の兼任て、顕正会には人材が居ません。て言ってるのと同じでしょう。(笑)
2011年05月10日
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顕正新聞4月25日号より。【「浅井先生のおっしゃる通りです」市議会議長が諫暁書を読み、入信】女子部第70区総班長 星野 ○○○ この三・四月法戦、浅井先生より松野殿御返事講義で頂いた「有難い」の三文字と「広宣流布」の四文字を胸に、断じて勝ってお応えせんとの決意、強く込み上げるものであります。 群馬県で戦う星野総班にとって、何よりも有難かったことは、法戦開始直後に第十八女子部が一堂に会して語り合いが行われたことでした。一人ひとりの功徳の体験には感涙を抑えられず、星野総班一同、全く新たな決意に立たせて頂きました。 そしてこのたび、私の居住する市の市議会議長の入信を通して、諌暁書の威力を実感することがありました。 私は保険の仕事がらその市役所に出入りすることが多く、議長にも諌暁書を渡せる機会があったので、三月二十日に手渡すことができました。 議長は最初は驚いていましたが、「最初から最後まできちんと読ませて頂きます」と快く受け取りました。 すると翌日、なんとその議長から連絡が入り「昨日頂いた本、ぜんぶ読ませて頂きました。実は平成十六年にも、同じ本を、誰からか分かりませんが頂いたようで、そのときも読んで感激し、昨日もまた新たに感激しました。仕事がら多くの本を読み、一年に一度は本を処分するのですが、この本だけはなぜか捨てられず、本棚にしまってありました。浅井先生のおっしやる通りだと思いました。ぜひ入信させて下さい。思い立ったが吉日です。ぜひ今日、宜しくお願いします」と言われたのです。 私はたいへん驚き、諫暁書で浅井先生に折伏して頂いた!なんと有難いのか!との思いで胸が熱くなりました。そして謗法は不幸の根本原因であることを伝えると素直に納得し、無事に自宅拠点の我が家において入信が叶ったのでした。 その際、議長が平成十六年に渡された一冊目の諫暁書を見せてくれましたが、表紙の「まもなく起こる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産・異常気象・食糧危機・大疫病等が続発し、そののち他国侵逼の大難がこの国を襲うであろう」との部分には、マーカーが引いてありました。 議長は当時「この通りになったら、日本はどうなってしまうのか」と思ったそうですが、この不思議な展開の入信に、諌暁書出来より七年を経て、いよいよ東日本巨大地震が発生し、諌暁書の重みが一段と増したのだと実感いたしました。 その後も議長は勤行を実践し「七十歳とは思えない生命力で市政に取り組めることが有難い」と語っております。 先日は、選挙のため迦葉山で祈祷会があると聞いたので、それは謗法であることを伝えると、議長は「わかりました。私の本意ではないので、すぐに役員にやめさせるように伝えます」と言い、また先般の総幹部会ビデオ放映も終始、正座をして視聴しているまじめな姿を目の当りにしては、先生のご一念により、あらゆる立場の人々の中から、地涌の流類が集い来たることを大確信させて頂きました。 同時に「広宣流布近きにあり!」を強く確信せずにいられず、さらなる群馬広布への決意が五体に充満したものであります。 されば「もう広宣流布以外に、人も国も救われない」ことを大確信し「諸天の活発なる動きに、もし地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない」と叫ばれる無二の師匠・浅井先生に、群馬県北の地より、断じてお応えしてまいる決意であります。ここに出てくる議長であるが、本当に顕正会員になったのか気になる。 そこで、「群馬」「迦葉山」のヒントで調べてみると「沼田市」とわかり、議長のが誰なのかを調べたら「布施 辰二郎」氏と判明した。 沼田市に在住の方がいたら、ぜひ、事の真相を聞いてきてもらいたいと思ってる。顕正会員の自覚がと疑問に思ったのは、「謗法は不幸の根本原因であることを伝え・・・」とあり、ダ本を相当読み込んでる印象が本文では伺える。しかし、「祈祷会があると聞いたので・・・」と後半に出てくるが、顕正会以外の宗教行事は、謗法だから禁止。ダメと伝えていないのか?と思ったのである。 難しい説明をするより、どこまでが許されるか、おおざっぱには理解できると思うからである。また、「祈祷会」自体は、講演会で開くとしても、一言本人に相談してからの開催だと思うが、その時点で本人が、○○の理由でそれは、行わないで欲しい。などの旨を伝えていてもおかしくないのではと思うからである。
2011年05月09日
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まだ続く、顕正新聞4月15日号より。【転がる遺体、見渡す限りの瓦礫 想像絶する惨状に「広布を急がねば」】女子部第十一区班長 斎藤 ○○○ 私は平成十四年三月、喜藤総班長の折伏により素直に入信させて頂き、岩手県南を中心にご奉公させて頂いております。【想像絶する震度六強】 三月十一日、東日本大震災が発生し、私も震源地の震度七を観測した宮城県栗原市の隣・岩手県一関の職場において、震度六強という強烈な揺れを初めて体験いたしました。私はデパートに勤めておりますが、地震発生直前、店長の携帯電話の緊急地震速報が鳴ったため、大きな地震が来ると分かり、お客を非常口へ大声で誘導していると、瞬く間に、立っていられないほど床も壁も激しく揺れ、建物が崩れるのではないかと一瞬不安になりました。地震警報が鳴って、いきなり誘導て危ないでしょう。まずは、「地震警報が鳴りました。地震が来るので、ご注意して下さい。」と注意を呼びかける方が、安全だと思いますよ。 非常階段を降りようとした時、さらに激しく揺れ、棚は大きく動き、ガラスの壁は倒れて割れ、落ちた天井の粉塵で店内は視界が悪くなりました。すぐに停電で真っ暗闇になり、悲鳴が上がる中、階段を降りる際に再び大きな揺れが襲い、恐怖でお客が座り込み、いくら引っ張っても動かなくなってしまいました。 コンクリートに囲まれた非常階段での大きな揺れは、想像を絶するもので、気がつくと私は必死に大声でお題目を唱えており、いったん揺れが止んだ隙に、無事お客を外に避難させることができたのでした。地震の凄さを伝えたい意志は判りますが、非常階段を下りてるときなら、転倒事故に繋がる可能性もあるでしょう。落下物もあるのですから、地震のときは、落下物を避ける為めに、テーブルの下に隠れるとか、周りにある物で頭を保護する。倒壊に関しては、防ぎようがないですし、日頃から、地震が起きた場合の行動をどうするか考えるは必要ですよね。【先生のご慈愛に有難さが】 また同志の安否を確認するにも携帯電話はつながらず、車にガソリンを入れることもできなかったため、歩いて班員宅へ赴くと、みな怪我一つなく守られ、大聖人様からの御守護を実感し、有難さが込み上げました。震災後の話なら、職場放棄でもしたの?と、取れますね。 地震後は三日間停電し、スーパー等はすべて閉まり、外で販売する店には長蛇の列ができ、一般車にガソリンを入れてくれる店を探すのも大変な状態が、二週間以上続きました。 そのような中、一関市の自宅拠点に行くと、浅井先生のご配慮により救援物資が届けられており、私も阿部組長と共に物資を頂くことができました。様々な食品が入っており、その量の多さに浅井先生のご慈愛を感じ、心の底から有難さが込み上げ、このご恩は折伏でお応えせんと、さらなる決意に立たせて頂いたものであります。自宅拠点に救護物資が届いたのなら、顕正会員は、避難所に行かないで、拠点か会館に非難すればいいでしょう。どうせ、避難所に行っても、勧誘していたりして、周りの迷惑。邪魔ばかりしてるのですから、いない方が良いですよ。【「骸骨路に充てり」】 震災三日後、以前逆縁だった同級生より突然電話があり、凄まじい惨状を聞きました。 同級生の妹さん家族は、被害の大きかった南三陸町に住んでおり、家族は全員助かったものの家が流され、実家のある一関市へ向かう道中、安全な道路に出るまで、あちこちに転がる遺体を跨いで歩いたとのことでした。 被災者の精神的・肉体的に過酷な現状に、胸が締め付けられる思いになる中、立正安国論の「牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり」との御文が頭をよぎり、広宣流布が最終段階の直線コースに入っていることを、肌身に実感したものであります。【惨状に言葉失う】 また津波により壊滅状態となった陸前高田市は、以前総班長と共に諌暁書配布をしましたが、邪見でほとんどの者が受け取りませんでした。 配布した場所は海岸線より二〇キロ離れた場所だったため、恐らく津波の被害はなかったろうと思い、先日、再度総班長と赴きました。 あと十数キロで市内という所まで来ると、異臭が立ち込め、巨大な岩が転がり、道路は割け、見覚えのある家並みが現われたと思った瞬間、突然、一面に瓦礫の光景が広がり、眼前の想像を絶する有り得ない惨状に、言葉を失い涙が止まりませんでした。 配布先で残っていたのは鉄骨のアパートのみで、無惨にも外壁だけを晒し、辺りは瓦礫の山と化しておりました。多数の家屋があった場所は、巨大なドラム缶や船が打ち上げられ、橋も足場を残して崩れ、道路も所々で未だに水が引かず、破壊された街では、行方不明者や遺留品を探す人々の絶望的な姿があり、これらを目の当りにして、「広布を急がねば」との焦る思いが衝き上げました。 海は津波が来たとは思えないほどに穏やかな反面、陸地では遠くまで瓦礫が広がり、その光景の大きな違いには驚愕の他はありませんでした。今後、諸天の怒りによりこのような惨状が各所で起こるとも、いかなる科学技術も、経済力も、軍事力も役に立たず、日本を根本かち救う遠は広宣流布以外なしと肝に銘じたものであります。 諫暁書を配布してほとんどが逆縁だったから、罰て言いたいとしか読めませんね。 逆に考えると、ダ本を、ほとんどに配布したせいとも、とらえることが出来ますよね。【再び震度六強】 さらに四月七日の深夜、震度六強の直下型の余震が起こりましたが、さらなる御守護を頂きました。 それは、地震で自宅のガスボンベを抑えていたチェーンが切れて倒れてしまいましたが、一般の家庭よりも大きな我が家の約六〇キロのガスボンベは、ゴムホース一本で支えられていた状態で、もしこのゴムホースが切れたら、ガス漏れによる爆発が免れなかったと思ったとき、日曜勤行における四条金吾殿への「すぎし存命不思議とおもはせ給へ」との大聖人様の仰せが有難くも我が身と重なり、さらに油断なき強盛の大信力で御奉公を貫かんと決意させて頂きました。ガスボンベの元の部分には、安全装置が付いてます。ガスの急激な放出が起きた場合、止まるようになってますよ。もちろん、転倒しても、ある程度機器本体が破損しない限り作動はしますね。 三月度総幹部会において、浅井先生は今回の巨大地震を「御在世の正嘉元年の巨大地震に次ぐもの」と位置づけられ、また「これまさしぐ広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、同時に、いよいよ広宣流布が成就し全日本人が救われる大瑞である」と叫ばれましたが、このたびの震災を体験した自身こそ、一国総罰の中にも顕正会員は格別なる御守護を頂き、「広宣流布は必ず成る」との大確信のまま、広布を明日のごとく急がれる無二の師匠・浅井先生に、誓願勝利を以てお応えしてまいる決意であります。 (第六十一区集会より)「御在世の正嘉元年の巨大地震に次ぐもの」て、もう、嘘てことは証明しました。24回も正嘉地震を上回る規模の発生があるのですから、正嘉につぐて言えないでしょうと言うより、正嘉地震を超えてるものが沢山あるんですけどね。さて、浅井会長には、正嘉の大地震に次ぐもの根拠を説明してもらいたいですね。それとも、浅井会長の脳内歴史認識は、御在世からいきなり平成にワープでもしてるのでしょうか?(笑)しばらくは、「御在世の正嘉元年の巨大地震に次ぐもの」てフレーズが出てきたら、「脳内歴史」でと、突っ込みますかね?(笑)
2011年05月08日
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