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顕正新聞1月25日号より。(試験模様)参照あ、またフライング(笑) 水無月さん>そして今般、先生より「男子五万結集」のご構想が打ち出されたことを伺いました。これ、成人式での登壇ですよね。浅井さんからの「男子5万」公式発表は1月総幹ですよね。ということはこの段階では未公表ですよね。成人式での講演には「男子5万」はなかったね~。サンビャクマンさんが前に「新宇都宮会館フライング」の件を指摘してましたけど、顕正新聞って最近とってもズサンですよね~。顕正新聞社の編集委員の能力が、最大でLV0ですし(笑)ま、それよりも、情報の通達のずさんさが気になります。宇都宮会館の件は、地元会員には知らせていたんでしょ。それを、公式発表前に、登壇の記事で出すのですから、アホと言えるでしょう。 男性部5万結集にしても、男性部には、流れていたのか?と気になりますが、幹部は知っていた。また、女子・婦人部に関しては、上級幹部は知っていたでしょうね。結局は、公式発表前に地元幹部に流して士気をあげるための手法が、顕正会ではあると証明されただけですね。こういう場合は、班長会の時に、「総合男子部長から話があり」みたいな事を言ってから、「センセイのお考えを聞いて」みたいな、書き方が良かったでしょう。あ!成人式と言えば、幹部の祝辞が掲載されてません。試験の合格者発表なんか掲載して、発刊が遅くなるようなことをしてるので、顕正新聞編集者て本当に能力LV0ですね。 少し能力がある編集者なら、試験内容の報告と受験者数、そして合格者数を掲載して、個別の名前は次号に回すとかするでしょう。誌面の関係もありますが、ページ数を増やしても問題ないですが、新聞のページを埋めるために、ただ差し込んだとしか思えないです。そして、試験と言えば、掲載した写真ですが、3枚ある内の一枚です。なぜ、これを選んだかと言うと、掲載してる受験会場の様子で、受験者は1名分の空きがあるのに、この会場は、3名が並んでます。これって、カンニングしたくなくても、目線を少しずらせば、回答が見える配置ですね。他にも似たような会場があるかも知れませんが、試験の公正さから言って、この試験会場はないでしょう。だから、試験の合格者数にしても当てにならない。当てにならないと言えば、回答の採点方法も怪しいですね。過去に改ざんした経緯もありますし、改ざんが無かったとも言い切れないし、顕正会ですから信用できません。四級試験で確認したのですが、回答記入が182箇所。そして、筆記問題が二問。記入問題が一問0,5点として筆記一問が9点で100点ですね。この辺も回答(正解)欄に記載してもらいたいです。採点基準が不明瞭ですね。ついでに三級試験だと89箇所の記入で、筆記が4問。この場合は、どのような点数配分なのか?気になります。で、登用試験も気になるので、調べたら220箇所の記入。これは、一箇所0.5点は無理でしょうね。100点超えてしまうし。(笑)一箇所0.45で99点計算か?ま、0.5点で点数を取りやすくするのか?それとも禁断の採点法!一箇所1点で100点を取りやすくするとか?(笑)220点満点で、120点以上が合格とか?・・・・しかし採点基準と何点で合格かの基準が不明だから、教学試験と言うなを使った洗脳試験としか思えませんね。そういえば、遁走した御仁も合格できたのかな?・・・
2011年01月31日
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○みむめもの最初が抜けてる、顕正新聞1月25日号より。【「五万人男子部大会」に衝撃!大器に成長し先生にお応えせん】男子部第十二隊支隊長 亀滝 ○○○ 一五〇万法城が屹立する歴史的な本年を迎え、抑え難き闘志をどうすることもできません。 かかる重大な年の成人式において、人生の門出を無二の師匠・浅井先生に祝って頂けますこと、有難さの極みであります。 私は平成十八年、高校入学と同時に両親の縁で入信させて頂きました。 しかし当初は信心の大事が分からず、夢であったダンサーになることをめざして、日々ダンスの練習に明け暮れておりました。 そのよう時に、不思議な経緯で現在の高橋総支隊長と出会い、正式に男子部に引き継がれることになり、男子部の一員となってよりは、励まされるまま会合や日曜勤行にも参加し、折伏も実践するようになりました。 すると、それまでダンスにおいてなかなか結果が出せなかったのが全国大会に出場できたり、悩んでいた人間関係の問題が一気に解決できる等の功徳を頂き、有難い思いでいっぱいになったものであります。 そして私自身、信心の転機とさせて頂いたのは、三万男子部大会の誓願式たる、船橋アリーナでの男子部幹部会をみつめての戦いでした。 当時、私は支隊副長として御奉公しておりましたが、それまで戦っていた後輩が、魔障により次々と歓喜を失ってしまい、組織は完全に沈滞しておりました。 しかしそのような中、平成二〇年の三月度総幹部会において「誓願式開催」の報に接し、「このまま誓願式に参加したら必ず後悔する。絶対に支隊長となって誓願式に参加させて頂くのだ!」との決意が肚の底から込み上げ、それよりは連日真剣に祈り、戦いを開始いたしました。 すると一人また一人と人材が立ちはじめ、誓願式直前の法戦においては、お預かりする三箇班で二〇名の弘通が叶い、念願であった亀滝支隊を結成して頂き、誓願式に支隊長として参加が叶った時には、「これで一分なりとも、三万の男子部大会に戦う資格を得た」との喜びでいっぱいになったこと、昨日のごとくであります。恣意的に見れば、出世欲があったて事でしょう。 そして歴史的・三万男子部大会をみつめ、さらなる決意で戦う中に、どれほど宿命転換させて頂けたのか計り知れず、これも今後の男子十万結集を戦うための貴重な経験と思えば、まさに今生人界の宝であります。歴史的て何の歴史なんでしょうね?それに、偽男子部三万大会と言う汚名が歴史に残るだけでしょう。 そしてつくづく思いますことは、いまこうして御本尊様の功徳に歓喜し、広宣流布の大ロマンを胸に充実した人生を送れますのも、偏に自分を大切に生み育ててくれた両親と、そして何より、ただお一人御遺命を死守され、半世紀以上の長きにわたり孤忠を貫かれる浅井先生に師事すればこそであり、言葉に尽くせぬ報恩感謝の念でいっぱいになると共に、まずは本年大事の一五〇万を一日でも早める大折伏を決意するばかりであります。センテナンスが長いと某所でつっこまれるかも知れませんね。ま、それはおいといて、「広宣流布の大ロマン」て、ぶっちゃけ夢って事でしょう。仮にも隊長が言う言葉かな?・・・広宣流布はもうすぐ成ると顕正会で言ってるのですから、不自然な表現でしょうね。隊長でも、上長のチェックが入ってるはずなので、チェックした上長て、失点じゃないかな?・・・ 年頭の辞において浅井先生は、御遺命のゆえに理不尽な解散処分を受けた顕正会が、本年ついに一五〇万に達せんとしていることにつき「これ全く大聖人様の御守護以外にはない」と仰せでありますが、かかる現証を拝見しては、「顕正会こそ、大聖人様に召し出された地涌の菩薩の大集団」との大確信が、肚の底から込み上げてまいります。何度も繰り返しますが、理不尽な解散処分ではなく、正当な理由がありますね。 そしていま「大罰未だ畢らず」との仰せのごとく、大聖人様に背く日本国に、中国め侵略が物凄い速さで進んでいることを実感といたします。 先生は「遠からず中国は『漁船』の大船団を繰り出し、『漁民を装った民兵を上陸させ、尖閣を実効支配するに違いない。これに連動して、やがて朝鮮半島の動乱も起こされよう。そして二〇一二年をみつめて台湾統一も進められよう」と仰せでありますが、他国侵逼が刻々と近づく様には慄然とし、まして中国の国産空母は二〇二一年に実戦配備される予定が、数年も前倒しになることを伺っては、全身に電流が走ったものであります。 同時に「客観情勢がその必要を迫ればいつでも立つ」との先生の師子吼が胸に衝き上げ、「男子十万結集を本当に急がねば間に合わない」との熱鉄の闘志、此の底から込み上げるものであります。毎回思うのですが、客観情勢てなに?具体的に言ってほしいですね。そして、140万会員が居ても男性10万結集も出来ない顕正会て・・・で、10万と言えば、100万人達成での10万人によるデモはどうなったんでしょうね?^^ そこに先生が「五万人の男子部大会」を決意されていることを伺っては、大地にめり込むような大衝撃を受け、男子五万、十万を成す鍵は、一にも二にも自身が大きな器に成長する以外なしと心し、何としても本年中に二倍、三倍の陣容を構築し、先生のご構想実現に大きくお応えせんと決意するばかりであります。冷静に考える事が出来ないのが顕正会員の特徴ですね。140万人の会員が居ると豪語してるのに、5万の結集も出来ないて事を、疑問に思わないのかな?・・・「広宣流布はすでに直線コースに入っている」と仰せられ、ひたすら驀進される先生のお姿を拝見するほどに、「広宣流布の戦いは残りわずか、国立戒壇建立の日も、御生骨を拝見させて頂く日も、本当に眼前なのだ」との大確信と大歓喜でいっぱいであります。浅井会長が存命中に「国立戒壇」も「御生骨」を見ることはないでしょう。 そこに今こそ「仏法を得べき便り」と心し、御本尊様の功徳の感激を原動力に、明るく弾けた前進を以て、全力で広宣流布までの一戦一戦を戦い抜き、地涌の菩薩の使命を果してまいりますこと、ここば堅くお誓いするものであります。 されば亀滝支隊一同は、これより頂く浅井先生の重大指導を心肝に染め「この大仏事に、人生をかけ、命をかけ、何の悔いがあろうか」と叫ばれる無二の師匠・浅井先生に、若き情熱のすべてをかけてお応えしてまいる決意であります。若き情熱を掛けるのなら、もっと有意義なことに掛けた方がいいでしょう。将来、必ず後悔しますよ。それに、情熱があるのなら、法華講員の話にも耳を傾けて、自分の目で事実を確かめてみればいい。
2011年01月31日
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能力LV0の編集者が作る・顕正新聞1月25日号より。【三万人男子部大会が信心の転機に゙天生原の御供゛まで先生と運命を】男子部第五十八隊支隊長 小川○○ 本日、御本尊様の御前において無二の師匠・浅井先生に、二度となき人生の門出を祝って頂けますこと、無上の喜びであります。 いま、この有難いお題目を何の憂いもなく唱えさせて頂けるのも、今日まで育ててくれた両親と、入信以来はげまし続けてくれた先輩、そして何より大聖人様の御心に通じる信心を教えて下さる浅井先生のお蔭であれば、この深き師恩に報いる戦いを本日を機に何としても巻き起こしてまいりますこと、ここに固くお誓い申し上げます。顕正会の過ちに気がついたとき、後悔するでしょうね。可哀想に。。。。まして、大聖人様の心に通じる信心ではなく、浅井昭衛の心に同心する新興宗教ですからね。 私は顕正会で御奉公する両親のもとに生まれ育ち、幼い頃より勤行を実践する中に、さまざまな功徳を頂いてまいりました。また中学二年生の時には、祖父の美事な臨終を眼前にし、難しいことは分かりませんでしたが、「御本尊様は絶対」との確信を持っておりました。 そして高校入学と同時に晴れて顕正会員とならせて頂いてよりは、すぐさま折伏にも立たせて頂きましたが、当初は好きな野球と御奉公の両立に悩み、悶々とする日々が続いておりました。 そのようなとき平成十八年に歴史的な男子部臨時幹部会が開催され、席上、浅井先生より男子十万を具体的に進めるための第一段階として「男子三万結集」の大号令を頂き、「自分は何と大事な時に生まれ合わせたのか」との思いが湧くと同時に、「今やらずしていつやるのか」との熱鉄の闘志が五体を駆け巡ったこと、昨日のごとくであります。 このことにより私は、それまで打ち込んできた野球への執着がなくなり、肚を決めて部活の顧問に対し、仏法に懸け切ることを言い切りました。 以来、浅井先生の指差されるまま折伏・指導に体をぶつけ切り、有難くも毎法戦、組織の先陣を切る戦いが叶いました。公証140万も居て、10万の男子部結集も出来ない顕正会って、虚しいですよね。そして、登壇者は、野球と信心の両立も出来ないような信心で、社会に出ても両立する信心が貫けるのでしょうか?・・・しかし、野球の執着がなくなったのなら、たかが、国立戒壇の名称の執着も切れないのでしょうかね?・・・ しかし最初は功徳を実感し感激していた後輩も、親の反対や教師の煽動により退転してしまい、さらには怨嫉する側になる等、私は後輩の信心を守り切れなかった申しわけなさに涙したこともありましたが、そのたびに浅井先生の指導に強く励まされ、戦い切れましたこと、有難い思いでいっぱいであります。 そして一昨年の歴史的・三万男子部大会は、信心の大きな転機とさせて頂きました。 大会場を埋め尽くした、白一色の男子三万人の光景を眼前にした時には、「男子部臨時幹部会で決意してより三年、見つめ続けてきた瞬間をついに迎えたのだ」との抑え難き感動と興奮が五体に充満したものであります。偽男子部三万大会!三万大会の言葉が出る限り、偽大会と指摘しますよ。もう、3万人収容できない会場での三万大会と立証もされてるし、本当に三万人集めたのなら証明してもらいたいですね。ついでに、白一色とか言ってますが、必ず上着を白にするように通達してるのですから、何も自慢することではないでょう。 また全員総起立の中、先生が叫ばれた「あと十二年」との師子吼には激しく命が揺さぶられ、「天生原の御供が叶うその日まで、浅井先生と運命を共にさせて頂かん」との決意を、大拍手を以て誓わせて頂きました。虚しいよね。浅井会長も12年後なんて生きていないでしょうし、仮に生きていても、あと○○年とか新しい目標を打ち立てて、12年前の事などスルーしてるでしょう。 それよりは「誓いの虚しからざるを何としても色に表わさん」と真剣に戦っていくと、不思議にも、親の怨嫉に負けない同志が続々と集ってまいりました。 家を追い出されても「仏法だけはやめない」と親に言い切る高校生や、家族中から大反対され、時には暴力を振るわれても信心を貫く人。ことに河野組長は、私が一年半の間、十数回の折伏を重ねる中に、自ら罰を感じて入信を願い出てまいりましたが、今では小学校の校長を務める父親の怨嫉を乗り越え、戦いを起こしております。 このような純粋・けなげな同志と共に御奉公させて頂けますこと本当に有難く、これも偏えに大聖人様に一筋の忠誠を貫かれる浅井先生に師事すればこそと、報恩感謝の念、尽きぬものであります。今の時代。親に心配を掛けるような、信仰姿勢など親不孝でしょう。まして、未成年なんですから。この様なことが平気でまかり通るのが、カルト宗教であり、顕正会の特徴の一つですね。 昨年の十二月度総幹部会において浅井先生は、法華取要抄の御文を引かれ指導下さいましたが、大聖人様は日本の歴史上、未だ曽てない「王と王との闘諍」を仏智を以て御断言になり、その後、両統迭立・南北朝の大乱という未曽有の様相となって現われたことを伺っては、仏智の偉大さ、諸天を従える仏様の絶大威徳に、ただひれ伏す思いでいっぱいになったものであります。 そしてすべては大聖人様の仰せのままに歴史が動いていることを実感としては、「大地を的」との広宣流布の御断言も必ず事実となること、大確信したものであります。 そこに、御在世の大蒙古と酷似する軍事超大国・中国はすでに出現し、先生より「その地球規模の侵略的マグマは、いま東アジア制覇に向って噴き出している」として、昨年九月の尖閣諸島事件をはじめ、今後の朝鮮半島の動乱、二〇一二年をみつめての台湾統一、さらに中国の国産空母実戦配備が数年も前倒しになることを指導頂いては、急加速する亡国のテンポに身震いを禁じ得ず、同時に「今こそ広布最終段階」を実感とし、かかる重大なときに生まれ合わせ御奉公が叶う我が身の宿縁に、感涙を抑え難きものであります。 そして今般、先生より「男子五万結集」のご構想が打ち出されたことを伺まいります。 されば小川支隊一同は「もう中国の日本侵略も最終段階、そして顕正会の御奉公も最終段階。すでに広宣流布は直線コースに入っている」との先生の師子吼を命に刻み、若き情熱のすべてを懸けて戦い、広宣流布を明日のごとく急がれる無二の師匠・浅井先生に、断じてお応えしてまいる決意であります。男子部5万結集て、ただの思いつきじゃん!(笑)140万の会員が居て、5万の結集も出来ないなんて、情け無いでしょう。まして、壮年部を廃止して、男性部5万結集ですよ。本当に、140万の会員が居るのなら、年内か来年には5万の男性部大会でもすれば、信じてあげますよ。^^ 今日も、公式HPは更新されてませんね。本当にくどいようですが、顕正会員て能力がある人材ばかりですね。
2011年01月31日
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星界の道調査部のエージェントが、傍聴してきました。顕正会の訴えは棄却です!判決のみの言い渡しなので、詳細は不明ですが、兎も角、「宗教法人・顕正会」の国を相手に損害賠償を求めた裁判は、顕正会側の敗訴で決まり。 さて、この裁判費用は、顕正会側の負担ですが、会員の供養から出てることになるでしょう。以前にも顕正会として負けた裁判の費用並に、罰金てどうなったのでしょうかね?・・・7件の裁判の内の一件だと思いますが、残り6件はどうなるか?・・・ただのパホーマンス裁判なのか?酒田事件・長野事件・茨城事件・千葉事件の四件の裁判は、どのように進行してるのか?
2011年01月31日
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参照やはり3万程度でしたか 水無月さん5級については、いまのところ昨年の登用合格者が2千3百名ぐらいストックされてますから、もしやってれば受験者合計3万3千というところでしたね。これに本部行事で本部会館で行なわれる浅井会長出席の行事に参加できる幹部を2千と見積もって、あわせて3万5千。実数はこんなところでしょう。今回、試験を受けなかった人と、ビデオ放映参加する程度の人もいるので、実態がある会員は4万ぐらいだと思います。ま、顕正会員の実数は、どんなにかき集めても4万から6万の範囲だと思いますよ。新聞の発行部数が20万部ですし、平均3部~4部としたら、5万人ぐらい。売れ残りも換算してなので、新聞発行部数から考えてこの程度じゃないかなって。一点補足として、毎年、脱会と入会者のバランスがとれてるみたいなので、勧誘数の横ばいも根拠になると思うのです。だから、実働人数の変化がない。され、試験の受験者数の発表がありましたが、詳細を書くと、三級試験2097名四級15288名全国128会場で一会場当たり135,8人とう人数ですね。登用試験は北は北海道から南は台湾まで参加です。114会場に12976名受験で一会場あたり、113,8名です。ちなみに平成22年の受験者は、113会場で13309名会場数が1増えてますが、これは台湾の分の増加でしょうか?そして、前年に比べて、受験者が減ってます。不合格者の再受験がどれぐらい居るか謎ですが、結局横ばいなんですね。そうそう、合格者発表を掲載するのなら、まとめて掲載すればいいでしょう。掲載するために発刊を遅らせるなんて、無能者のすること。結果がでてから、臨時号を出すなり、頁数を増やして掲載すればいいでしょう。兎も角、顕正新聞社の編集長の能力がLV0を物語ると言えるでしょう。
2011年01月30日
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編集方針を考えた方がいい、顕正新聞1月25日号より。一段目「仏法なんてやらないわよ!」「いまだこりず候」もう、やる気がないのか、意味すらわかりませんね。さて、仏法をやらないとは、顕正会の仏法ゴッコをやらないて意味で、良いでしょう。二段目「なによ!この話のために私を呼んだの?」「いまだこりず候」ここで、顕正会の実態を暴露してますね。「この話のために」とは、散々勧誘をしていると言うことでしょう。で、顕正会の話だと相手が出てこないから騙して呼び出したから、怒ってる。ごく当たり前の反応ですね。それを「いまだこりず候」て、顕正会で言う罰が出ても懲りない、て意味合いなんでしょうが、それなら、一段目にはいらない台詞でしょう。そして、「候」て、いつの時代の言葉だよ!!武士語が流行ったからって、その影響でもないでしょう。三段目「お前らぶっとばすぞ!!」「いまだこりず候」ここも、狂信男子部員が、反論不能になったら、よく言う台詞ですね。で、「いまだにこりてないね。」と顕正会員に言いたい台詞ですよ。四段目「さあ150万大法城よ!」「広宣流布はすでに直線コース!」150万と言っても虚しく響くだけですね。累積会員数とは、今回の試験で実証されたも同然でしょ。しかし、「広宣流布はすでに直線コース」て、最初から直線コースでしょ。顕正会が好きな、「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」てあるのですから、直線コースてことでしょう。
2011年01月30日
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1月30日、日曜勤行より。そして国の周りを見ても、日本国憲法にある様に日本国民はですね、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、なんて言って、日本の国の周りの人たちをみんな信頼しなけりゃいけない。これで戦後ずっとやってきたけれど、見て御覧なさい。中国が信頼できますか?北朝鮮が信頼できますか?ロシアが信頼できますか?この様な国を、信ずべきでないものを信じていったらば国が危うくなってしまう。そこで今、どうですか?この極東が、東アジアが緊張してきましたね。信ずべからざる国が周りにあるからです。そして、このチュニジアからエジプトでもってこのところ民衆のデモがある。この民衆のデモが次から次へと中東の各国に伝染病の様にはびこっている。中国・ロシア・北朝鮮が云々という前に、浅井昭衛会長自身の一千万の誓い。御書発刊の約束。神奈川大会開催の約束など、信用できない発言がたくさんありますね。こんな浅井会長を信用できますか?・・・・この様な信用できない会長の言葉を信じてるから、経済苦とかいろいろな苦労が顕正会員には多いんですね。さて、教学試験。三級・四級・登用試験の受講者人数が発表されました。「空前 三万三六一人が熱烈・歓喜の受験」と顕正新聞1月25日号の見出しにあります。空前て、全部合わせての人数ですから、今までにない人数で当たり前でしょう。しかし、ほぼ、全会員が受験する試験が、たかが3万ちょいとは、顕正会の実数人数も今までの仮説の範疇に収まったと言えます。一級・二級の資格者はそんなに居ませんし、今回無かった、5級の資格者もたかが知れてますね。試験に参加出来なかった人を入れて、甘く見ても6万人以下しか会員は居ないでしょう。せいぜい、顕正会員の活動家と言われてる人数は、4万人が限度でしょう。で、多少行事参加する人を含めて6万人。しかし、こんな実態で5万男子部大会と豪語しても実際は、壮年を合わせて3万が限度でしょう。実際は、三万も無理ですけどね。
2011年01月30日
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参照レス ANPさん赤羽隊は作文隊ですね。国立戒壇ですが私が持ってる折伏教典(提供はしばらくお待ちください)ではちらっと出ておりましたが、天生原という文字はどこにも見あたりませんでした。おそらく、広宣流布したらもう国教だから国立と書いたのでしょう。ケンショーカイのように戒壇造ったら無理矢理押しつけるのとは違いますね。「天生原」と言う場所の特定ですが、宗門自体が古文献を詳細に調べてない時代に、要法寺からの口伝が流入して定着した説が妥当でしょう。 だから時代に依て、「天生原」「天生山」「天母山」「天母原」などの、名称が出てきてると思いますよ。で、顕正会の望む「国立戒壇」ですが、憲法改正が前提であり、その後、国教化をはかり、信教の自由は無くなるでしょうね。 浅井昭衛は、国教化した後の信教の自由については、明言してないはずです。広宣流布すれば、誰もが顕正会の信心をする。てことで、信教の自由の廃止の是非には触れてないんですね。 もし、信教の自由を奪う、法案を作るなどの事を言い出したら、顕正会はけしからん集団だ。このような集団に宗教法人などを与えるな。みたいな、運動も起こりかねませんし、信教の自由については、触れたがらないんでしょうね。 その割には、信教の自由を主張して権利だけは守れみたいな自己中心的思想集団が顕正会です。冒頭だけでもツッコミ満載 水無月さんこの佐々木某さん、昭和35年に沼津で入信し、男子部隊長として頑張った。しかし池田大作氏会長就任以降ほどなくして「国立戒壇」と聞こえなくなった。そして昭和41年に学会を脱会して岩手に戻った。ということから、いくつか指摘しよう。一、昭和35年は既に池田氏の時代。学会がそのときに「国立戒壇」を大事にしていたのなら、池田氏の会長就任演説に必ず「国立戒壇」と発言しているはず。二、昭和35年入信とあるが、1月1日に入信したとして、池田氏会長就任まで5ヶ月。佐々木某さんはいつ男子部隊長になったのか。三、「会長になってほどなく国立戒壇の声が聞けなくなった」とあるが、この「ほどなく」とはいつのことか。四、「国立戒壇といわなくなった」にも関わらず男子部隊長をしていたのはなぜか?えっと、知り合いに古い静岡地域の学会のことを良く知ってる人がいますので、この「佐々木某さん」については調べさせていただきますよ。言葉はいらないですね。(笑)創作文確定でしょう。そして、36隊の発表は今後「作文部隊」の登壇で決まりですね。あと茨城にも作文部隊がいますね。それと凄く気になるのが、なぜか、創作文か誇張作文が多いのが、「タクシードライバー」の方のような気がします。茨城の日蓮宗僧侶云々もタクシードライバーの作文ですし、職場の人間と接する機会が少ないから、ばれないという、甘い考えなのか?とも感じます。【大日蓮・昭和49年12月号より。】院第二四三四号昭和四十九年十月十四目 日蓮正宗宗務院 元妙信講講員各位 先般、去る八月十二日妙信講が解散処分に付せられてより六十日以内に所属寺院の変更を申出られるよう御通知いたしましたが、この程その六十日を経過いたしました。 その間において元妙信講の一部の者の煽動により、常軌を逸した暴力事件が起されたことは、甚だ遺憾にたえないところであり、これらの指導者に対しては厳しい方針をもって臨む考えであります。 御法主上人猊下におかれましては、これら一部の者を除いた大多数の人は善良な信徒であると思われるので、それらの人々に対しては、更に期間を延長して所属替えの申出を受けるべく取り計らうように、との深い御慈悲のお言葉がありました。 依って、期間を更に十月三十一日まで延期いたしますので、その期間内に東京常泉寺、常在寺、妙光寺、大阪蓮華寺のうち、いづれか一ヶ寺を選び、所属替えの申出をせられるよう願います。 若し、右期間内に申出がなければ、日蓮正宗信徒としての権利を放棄したものと認め、信徒の地位を喪失することになりますので、よく御考慮せられ、猊下の御慈悲を謹んで拝受せられるよう望みます。 以上資料あさりをしていたら、目に飛び込んできた記事です。 妙信講解散=信徒除名処分ではない、証明になるでしょう。しかし、浅井昭衛は、会員を言葉巧みに騙して事実を伝えなかったのか?はわかりませんが、宗門としては、とれる最大限の事をしたことには間違いないでしょう。それを、解散処分=信徒除名みたいな恨み節を歌いながら、宗門に対して悪口罵詈を言うのは、筋違いですね。仏法の因果応報、自業自得なのです。 平成からの顕正会員は知らない事でしょうし、また、当時の妙信講員はと言うと、どこまで知っていたかは謎ですが、良識ある妙信講員は平成10年の御遺命守護を境に消えていったと思います。未だに顕正会にしがみついてるのは、人生の大半。青春時代を無駄にしたくない思いがあるのではと思ってます。しかし、その時間は無駄ではないと思います。今からでも遅くないいから、宗門に戻ってきた方が、後生の為めに良い選択だと思いますよ。 このまま、浅井昭衛さんと地獄に付き添いたいのでしょうか?・・・元妙信講員を何とも思ってないから組織の柱である壮年部を廃止にしたんでしょう。どこの組織に柱を切り捨てる組織があるのか!どこの組織でも、壮年人工は少なくいといえ、人生経験豊富な壮年を(柱を)切り捨てたりしないでしょう。いや、男子部になって、バリバリに頑張るてのも、情けないでしょう。がむしゃらに進むのが青年時代であり、壮年はそんな青年世代を見守り、育てて、いざって時には盾になり、青年世代を助ける頼りになる壮年で居るべきではと思うのです。
2011年01月29日
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顕正新聞1月15日号より。【池田大作の代から「国立戒壇」が消えた先生の諌暁書で「正本堂崩壊」を知る】男子部36隊組長 佐々木 ○○ 私は平成二十年十月、顕正会本部から紹介を受けた赤羽隊長の折伏により、盛岡会館において創価学会から入会しました。 私は昭和三十五年、二十一歳の時に静岡県沼津市において同僚に折伏され、学会に入信しました。 当時の学会は大へん活気があり、みなが「国立戒壇」を叫び、私も学会男子部の隊長として、御遺命成就の日を一点に見つめ、仲間と共に日々ご奉公に励んでおりました。赤羽隊長は作文・誇張の常習犯ですね。さて、どのような創作文を展開するかしか意味をなさない記事です。まず、昭和35年に学会入会とありますが、当時「国立戒壇」を叫び活気があったてのは、もう、嘘ですね。折伏大行進の時代の話ですが、国立戒壇ではなく、「広宣流布」を目指して、活気があったので、国立戒壇てのが、嘘なのです。知らない時代の事を、創作するからおかしくなるんですね。こういう場合は、当時の書籍を読むとか、当時の事を知ってる方から詳しく話を聞かないと、矛盾が出てきます。昭和40年代の正本堂、国立戒壇ばかりを強調した浅井昭衛のダ本しか読んでないから、このようなミスを犯すんですね。 【「国立戒壇」が消えた】 しかし池田大作が第三代会長に就任してほどなくすると、学会内では「国立戒壇」の声が全く聞かれなくなり、また時を同じくして、これまで共に戦ってきた仲間たちが一人また一人と戦列を離れていきました。 私生活においても空回わりをするようになり、「どうして急にこんなことになったのだろうことの疑問が日ごとに大きくなっていきました。 この悶々とした気持ちをなんとかしたいと、さらに真剣に学会活動に体をぶつけましたが一向に心は晴れず、学会への不信感は募る一方で、昭和四十一年、二十七歳のとき、ついに創価学会を退会し、地元の岩手県盛岡市に戻ってまいりました。戸田会長の時代でもそんなに国立戒壇て名称は出てきてないでしょう。仮にでてるのなら、浅井昭衛のダ本に戸田会長が国立戒壇と言っていた。と言うような記事が、たくさん紹介されてるはずです。【「正しい信心がしたい」】 すると静岡の組織から連絡が入っていたのか、盛岡に戻った私に対し、地元の学会員から「学会に戻ってほしい」との電話が執拗に続き、自宅まで押しかけて来ることもたびたびありましたが、「もう学会に戻る気はない!」とキッパリ断わり続けておりました。 しかし創価学会の活動に対する不信感はあるものの、胸の奥にはいつも「大聖人様の仏法は本物だ」「正しい信心がしたい」との抑えられない思いが渦巻いており、それより一日も心晴れることがないまま、四十数年の月日が過ぎておりました。学会を脱会して、静岡の組織から連絡って、引っ越し先もわからないのに連絡ってのは、あるのか?・・・実家に戻ったのなら、可能性がありますが。【諌暁書に大衝撃】 そのようなある日、職場の休憩室でくつろいでいたところ、なぜか部屋の片隅に無造作に放置された一冊の本に目が留まり、不思議に心が惹かれ手に取って見ると、それは平成十六年に浅井先生が一国を救わんと心血を注ぎ著わされた諫暁書でありました。 「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」との気魂こもる強烈な見出しを見た瞬間、電流で打たれたような衝撃が全身に走りました。 思わずそのまま持ち帰って拝読すると、四十年前に必死に御供養した正本堂が崩壊していたことを初めて知り、「この本は凄い。もっと詳しく話が聞きたい」との抑えがたき思いが湧き、諌暁書に記されていた顕正会本部に翌日に電話しようと決意しておりました。 すると翌日、仕事で車を運転中に「冨士大石寺顕正会盛岡会館」の大標識が目に飛び込み、「こんなことがあるのか!」との驚きのなか、勤務中であったため、はやる気持ちを抑え、非番の日を待ち盛岡会館に赴くと、顕正会本部を介して赤羽隊長を紹介されました。職場の休憩室にダ本がおいてあったと言うことは、職場に顕正会員がいる可能性があるのでは?と思わないのかね?そして気になるのが、この方は現在タクシードライバーをしてるみたいですが、この時点でもタクシードライバーではと思うのです。そのドライバーが盛岡会館の存在を知らないってのも不自然ですね。○○会館とか目印になるような建物は、覚えるのが基本ですし。【「本物の団体に巡り値えた」】 高ぶる感激を抑え切れなかった私は、開ロ一番「この本は凄いですね。顕正会とはどういう団体ですか?」と尋ねたところ、隊長は大聖人様の御威徳、顕正会に溢れる功徳の体験、そして御遺命の大事を一つひとつ丁寧に教えて下さいました。 そして池田大作が学会の会長に就任して間もなく、政治野心から国立戒壇を抛ち、加えてそれを制止すべき宗門までもが池田に諂って御遺命違背に加担してしまったこと。 そして浅井先生だけがただお一人、命がけで戦われ、大事の御遺命を守り奉られたことを伺い、「やっと本物の団体に巡り値えた」と、四十数年ずっと胸につかえていた疑問が晴れ、隊長の「一緒にやりましょう」との確信みなぎる言葉に命が震え、素直に入会させて頂き、言葉にできないほどの清々しさ、安堵感に包まれたこと、生涯忘れ得ぬものでありました。本当に顕正会幹部って、あほの一つ覚えなのでしょうかね?・・・浅井昭衛一人が命かけて戦ったて嘘じゃん!甚平さんや、当時の妙信講員などが居たから戦ってこられたんでしょう。そして、命かけてて、浅井昭衛は安全な場所から劇をとばすだけで、先頭になど立ってない。立ったとしても、講員に守られた安全な状態とかでしかない。ここで、宗門の人間ととかあるでしょうが、安全が保証されているからであり、どちらかというと、日達上人などは、命を取られる覚悟で、浅井親子との面談に応じたのです。ことあるごとに、浅井親子は、流血の惨事がと脅してるのですから、如何に、浅井親子の卑劣さがわかりますね。【功徳を実感!】 それより欠かさず勤行を実践していくと、生命力が湧いてくることを実感でき、数々の功徳を頂きました。 私は現在七十一歳になりますが、現役のタクシードライバーとして勤務しており、これまでは雨や雪、道路が凍結するような悪天候の日は憂鬱だったのですが、勤行を始めてよりは毎日の仕事が楽しくて仕方がなくなり、また会社から定期的な収入を得られる仕事を任されたことで、目標額を簡単に達成できるまでに変わらせて頂きました。 さらに「売り上げを伸ばしたい」と思っていると、高速道路を使用するなど長距離を利用するお客が乗車してくる等の御守護も頂き、仕事時間は減っているにもかかわらず売上げが伸び、入信以前とは様変わりした毎日に感激を抑え切れません。 【折伏に立つ】 この頂く功徳の感激を原動力に、諸先輩に励まされるなか折伏も実践し、有難くも入会よりすべての法戦に入信が叶っており、一分なりとも広宣流布のお役に立たせて頂いておりますこと、有難い思いで一杯であります。 途上身内から怨嫉が起き、信心を試されることも起こりましたが、魔が出来するたびに肚を決め乗り越えさせて頂くと、七十七歳の吉田さんという、共に信心に励む同志を頂きました。 この吉田さんの信心はたいへん純粋で、友人・知人に会うたびに仏法の感激を素直に伝え、折伏をしております。 吉田さんのその生命力と功徳あふれる元気な姿に、吉田さんが経営する店の従業員も「仏法は凄い」と感じており、仕事の合間に新講演集や顕正新聞などを皆で読んでは感激しており、歓喜の輪が広がっていることを実感しております。勘違い功徳。しょぼい功徳の話ばかりですが、大聖人様の妙法の功徳がこんなちゃいいものではないのですが、顕正会員の話を聞くと、うさんくさい、ちゃちい功徳話が多くて困りますね。今は、顕益の時代ではなく、妙益の時です。それに、利益信仰を強調する事じたい、カルト特有なんですよね。「鹿児島、宮崎県境にある霧島山系新燃(しんもえ)岳の噴火で、火口付近で火砕流が起きていたことが分かった。」とニュースになってますが、宮崎と言うと鳥イーフルエンザも発生して大変ですね。顕正会ウオッチャーとしては、鹿児島会館・宮崎会館が出来てから、災害が多発してきてるのかと心配してます。顕正会会館が出来る地域て、災害が多発してますしね。
2011年01月28日
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参照ビックリ! ANPさん被告 国!何を訴えたのでしょうね?1月末日が楽しみだ。Re:ビックリ!(01/26) 水無月さんANPさん>被告 国!>何を訴えたのでしょうね?1月末日が楽しみだ。-----被告が「国」ということは、国家賠償請求です。原告が顕正会となっているのは、会員個人の告訴が却下、あるいは不受理だったから、顕正会が代わって「憂さ晴らし」をしてあげているのです。一通り説明しますと、今回の裁判が過去のどの事件に対するものかはわかりませんが、個人の告訴が受理されなかったために、パフォーマンスとして、「顕正会員が警察による不当逮捕や家宅捜索をされて精神的苦痛を受けたので賠償せよ」という訴えを「国」を被告として起こしたものと推察します。顕正会は組織崩壊を会員の目からそらそうとして、いわゆる「学会の謀略」を主張し、会員らに多くの刑事・民事告訴をさせていますが、ほとんどの場合、刑事告訴は事件性がないなどとして受理されません。そのため、民事訴訟を乱発しているのです。しかし、告訴したことは報じても、その判決については頬かむりしているようで、一例として、平成20年に出た「妙観講講頭に対する名誉毀損敗訴」高裁確定判決については一切スルーしています。今回の1月末日の判決は過去のどの事件のものなのか、私も大変興味があります。ANPさん。水無月さんがコメント付けてくださったので、管理者の方からは、特にコメントを付ける必要がないと思うので、省略させていただきます。ただ、皆さんも裁判の内容が気になるところですが、星界の道調査部の人間が、当日、傍聴に行ければ、詳細な速報が流せると思います。 顕正会のずさんは今に始まったことではありませんが、もう、末期症状ですね。壮年部廃止は、一部の歴史に残る出来事でしょう。そのうち、婦人部解体で、女子部・男子部の二部性になるのか?・・・いぜんから、男子部大会ではなく、男性部大会と言っていましたが、こんどから、堂々と男性部大会が開けますね。しかし、女性も混じってる大会ですから、果たして、男性部大会と言えるのか?疑問も残りますが。そんな男性部が5万大会を開催するみたいですが、詳細は新聞が出てからです。しかし、その新聞も、発刊日を過ぎても発刊されてない、超無能な顕正新聞編集者!
2011年01月27日
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参照テンプレート作文です 水無月さん>ANP様顕正会のこの手の登壇文章を比較すると、ほとんど内容は同じなんですよ。学会時代は選挙にへきえき、勲章話に嫌気、勤行もしなかったのに顕正会に入ったらするようになった・・・ちょっと肉付けすればいくらでも登壇原稿ができちゃうんですよ。それから作文の特徴として、時系列がメチャクチャで、いろいろと誤解を招く書き方を毎回してますからね。よ~くわかります。ま、「数が足りないから」という理由で誘う幹部はいませんし、そう言われたから会館に行くような姿勢は「素直」でもなんでもなく、そんな姿勢では功徳もないでしょうね。こういう人が顕正会に行ってもらって本当にヨカッタヨカッタ。もう戻ってこないでネ。水無月さんのご指摘のように、テンプレート内容は、時系列がめちゃくちゃだったり、内容に荒があって、学会に詳しくない幹部が添削した内容とわかってしまいますね。 学会の内情を顕正新聞や会員の口コミ情報でしか知らないから、活動してる会員誌かわからない事をあまり出せない。ま、だしても、つじつまが合わないような部分もあるから、悪意ある改ざんとしか思えないでしょう。 しかし、最近内容がマンネリ化してきて、飽きてきましたね。(笑)創価新報1月19日号より。【「クリスマスは謗法」の日顕宗】 日顕宗の機関紙「大白法」の小中学生向けの連載「広布に羽ばたけ」なる記事に、天に睡する下らない一文が載っていた。昨年12月16日付、タイトルは「クリスマスは謗法ですか?」。 読者の質問に答える形を取った記事は、クリスマスを゛イエス・キリストの降誕を祝う儀式が元になっている゛としたうえで、こんなことが書かれていた。 「皆さんが、たとえ他宗の記念日を祝う気持ちがないとしても、クリスマスのイベントに参加することで、キリスト教の記念日のお祝いに知らず知らずのうちに荷担していることと同じことになり、やがては自分の生命が謗法の教えに染められてしまう」「皆さんの周りの『クリスマス』を楽しんでいるお友達にも、本来は宗数的な行事であり、知らないうちに謗法に毒されていくことを教えてあげることが大切」「誤った宗教に関わる行事に参加していては、本当の幸せを得ることはできません」つまり、クリスマスのイベントに関わるだけで「謗法」で、それが「不幸」の因となると決めつけているのだ。 では、「大白法」編崇子よ、この写真をどう釈明するのか。 1984年(昭和59年)12月、親修と称してアメリカ・ニュー∃ークを訪れた日顕は、ロックフェラー・プラザの大きなクリスマスツリーの前で、高価な毛皮のコートで着飾った女房の政子と記念撮影。満面の笑みで写真におさまった。 わざわざクリスマスツリーの前で記念撮影をして悦に入っている日顕こそ、「大白法」がいうところの、「クリスマスのイベントに参加する」 「クリスマスを楽しんでいる」そのものではないのか。 であるならば、日顕も政子も、「謗法に毒され」 「本当の幸せを得ることはできない」ということになると思うが、いかがか。 子どもたちに対して、「皆さんのお友達にも、教えてあげることが大切」などと偉そうに言っている前に、自宗の隠居法主の謗法とやらを諌める方が先ではないのか。 ちなみに、この記事では、謗法を見て見ぬふりをするのは「与同罪」とも書いている。つまり、クリスマスツリーの前で喜んでいる法主夫婦も、それを注意しない坊主も、そろうて地獄行き――。日顕宗の教義によれば、こういうことになる。笑止千万!今回は、微妙な記事ですね。クリスマスはキリスト教の記念日。キリストの誕生日と思われてますが、そもそも、キリストの誕生日とあとからこじつけされたもので、実際はキリストの誕生日ではありません。日本で言えば、「冬至」と同じものが始まりみたいです。太陽の再生を祝う冬至の祭りと融合し、キリスト教で取り入れて、キリストの誕生日になったわけです。ま、これにも民間信仰、風習から発生したとか、元には、宗教儀式が関係したとかありますが、大元は風習としてとらえてもいいでしょう。大白法編集者は、その辺を理解してなかったからこのような記事になったと思います。さて、クリスマス=キリストの誕生日を祝うて意識が日本人にあるか?無いかで言えば、無いでしょう。ただの、ケーキを食べて、プレゼントを交換。子供は、プレゼントをもらう、もう、風習の域ではないかと個人的には思います。キリストの誕生日を祝うのなら、賛美歌を歌ったり、お祈りをして初めて、誕生祝いをしたことになるからと。で、問題のクリスマスツリーの下で写真撮影したから謗法てのは、いささか極端だと思います。極端な例で言えば、富士山は、山岳信仰の対象物です。なら、信仰の対象の富士山を背景に写真撮影をしたら、謗法になるのか?また、どこぞの、神社・仏閣が写っていても謗法になるのか?・・・たかが、ツリー。電球を木に掛けて光ってるものですよ。オブジェを背景に写真を撮ったからって、極論すぎじゃないかな?・・・ 公になってないと思いますが、歴史的建造物て宗教が絡んでるものが多数あります。そのような場所で写真撮影してる会長の姿もあったはずですが?・・・それに、クリスマスツリーの下で写真撮影をしたら謗法なら、クリスマスツリーを自宅に飾ってる学会員はどうなるのでしょうか?・・・また、クリスマス会に参加してる学会員は?もっと、極端な事を言うと、幼稚園・保育園とかでも、仏教系・キリスト系の場所もあります。そういう場所に、仕方が無く通わせてる親の身にもなったら、明確なガイドラインを設けるべきでしょうね。ま、日蓮正宗自体、ガイドラインを設けてなかった問題があります。民間風習が問題ないとなってますが、その発生を調べたら宗教儀式が元になってる可能性のものもあるでしょう。時代に合わせて取り入れたりしてるのですから、明確なガイドラインを作ってもらいたいです。 あ!節分がもうすぐですが、「恵方巻き」て、謗法になるのかなって?・・・関東では近年になって入ってきたものですが、関西方面では昔からあったものですし、公式見解で、問題あるなしを知りたいですね。しかし創価新報の記者さん。日顕上人憎しだから、何でもかんでも謗法と叩く口実にするのは感心できませんね。昨年の折伏達成寺院の記事。表現の問題が多生はあるにせよ、内容的には、正攻法で書かれてると思います。下手な、誇張とかしないで、地味でも正攻法でいった方が、後々になってダメージがあると思いますよ。逆に正宗側も同じですがね。平成になっての指針。いままで、無関心でいた事に関して、明確な指針を出した方が良いのかと思います。どこまでが、謗法でどこまでが、セーフかとかね。
2011年01月26日
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参照コメント ANPさん勲章話はここ最近でしょう。勲章が増えたのは90年代ですから。昔は池田先生が外国へ行ったとか、文化祭の映像があったみたいです。(前者は元学会の家族から後者は動画サイトから)ありがとうございます。結局、勲章云々は近年の事であり、登壇者の話は、作りはなしか、時系列を無視し、あたかも昔から勲章の話があったように、悪意ある表現ですね。ま、何も知らない顕正会幹部が添削した内容て事で、決定ですね。さて、1月幹部会の速報情報提供がありました。壮年部廃止で、男子部に融合。そして、5万結集の話が裏で流れてるみたいですが、男子部5万大会を開催するのか?・・・兎も角、背水の陣で、目先に大会をぶら下げて、会員を勧誘に走らせる目的でしょう。この、組織再編成で、神奈川大会の事など、吹っ飛んで忘れ去られてしまうでしょう。また、平成25年の一千万の誓願も。浅井昭衛は、老い先短いから、自分が死んだ後のことなどお構いなしで、思いつき発言を今後、連発してくると思われます。顕正会裁判が間近に近づいてきました。東京地方裁判所平成22年(ワ)1382号原告 顕正会被告 国1月31日、午後1時10分より民事13部の予定。この裁判で、判決が言い渡されるみたいです。当日行く予定がある方は、事前に日程、時間を再確認して行った方がいいみたいです。また、傍聴される方がいましたら、ぜひ、判決内容のコメントを頂けたら幸いです。
2011年01月26日
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【立正佼成会で会計担当実態は金儲け 顕正会「広布御供養」の清らかさに感激】女子部第28区班長 山口 ○○ 私は平成二〇年四月二八日、立宗の日に入信いたしました。 私は高知県で生まれ育ち、高校卒業後、美容師の資格を取るため千葉に出てきた時に夫と出会い、二一歳で結婚いたしました。 しかし嫁ぎ先は邪教・立正佼成会を信仰しており、その罰により、夫は腎臓病が悪化して人工透析を受けるようになりました。そして同居していた義理の両親も離婚してしまいました。 宗教の正邪を知らなかった私は、夫の病気が心配で、誘われるまま佼成会で活動するようになり、約一〇年間、教会に通い、掃除、電話番、当直の食事の用意の当番をしたり、法華経や子育ての勉強会にも参加し、会計担当をしたこともありました。【年中「布施」集め】 佼成会では「お通し袋」が売られており、そこに一〇〇円を入れ、参詣のたびに賽銭箱に入れるのです。 また支部ごとに目標金額があり、年中、布施を募っていました。行事の前に会員に袋を配り、行事の当日、会計係が玄関に並んで受付けたり、また高額の布施ができそうな会員宅を回わることもあり、私も義父と五〇万円ずつ計一〇〇万円の布施を二度もしたことかありました。 しかし実際は、集めた活動費を使い切るため、年の暮れに幹部の食事会やイベントをすることもあり、会員の布施が幹部の飲食や娯楽に回わされていることに、憤りを覚えました。 さらに幹部や会員の三毒にまみれた姿にも不審を覚え、私自身、家庭内が空回わりしたり、車が廃車となる事故を起こしたことも重なって、ついに家族全員で佼成会を脱会しましたが、夫婦も親子の間でも心が通わず、殺伐とした重苦しい毎日でした。 そのようなときに高山総班長から折伏を受け、「もっ宗教には絶対に手を出さない」と決めていた私でしたが、総班長の確信に惹かれ、「宿命転換できるなら」と入信しました。 入信勤行後は心も体も軽くなり、仏様のお力をすぐに実感しました。顕正会の金集めは、上限が決まっていて、と言いたいのでしょう。しかし、立正佼成会で、毎回100円としても年間36500円と顕正会よりやすい!そもそも、供養は、期日を決めて行うものではないでしょう。 毎月少しずつ貯めて、年末にまとめてする方もいるかもしてません。また、毎月末にする方もいるかも知れません。また、毎回少額を供養する方もいるかも知れません。供養とは、真心なのですから、何々するから供養を募るのなど、供養ではなく、ただの布施をよこせ。まるまる基金と変わらないでしょう。 なにかするのなら、供養の名を出さないで、○○基金とお金集めの目的を明確にするべきですね。 【義父母も入信】 以来、一家和楽を願って勤行を実践し、入信二ヶ月後に義父を折伏すると、素直に入信が叶いました。 また義母は再婚したものの、脳梗塞で手足の麻痺が残っており、「義母にも幸せになってほしい」と折伏すると、平成二一年二月に入信が叶いました。 義母の入信勤行の際、元夫である義父と会館でばったり出会ったのですが私たちの心配をよそに、二人がいたわりの言葉をかけ合う姿に、宿命の氷を溶かして下さる仏様のお力を確信し大感激しました。【夫も入信】 さらに私は肚を決め夫を折伏すると、最初は大逆縁でしたが、挫けずに折伏を重ねると平成二一年三月、ついに入信が叶いました。 その後、名ばかりの入信となってしまった夫でありましたが、椎間板ヘルニアの激痛により休職を余儀なくされ、このことを機に信心口唱できるようになり、痛みに不安を抱えながらもビデオ放映・日曜勤行等に参加していきました。 すると医師や上司が夫を労わってくれるようになり、また手術せずに職場復帰も叶い、この賞罰の体験により夫も信心にめざめ、有難い思いとなりました。 そして息子たちも入信して一家広布し、今では義父の同居も叶い、いたわりあい、励ましあう、念願だった一家和楽が実現しましたこと、大聖人様に対し感謝の思いでいっぱいであります。またこのたび、大きな御守護を頂きました。現世利益を強調した方が、受けがいいですが、それが本当の信仰なのかなって?・・・【キャッシュカード盗まれる!】 それは平成二二年八月、夫が車上荒しに遭い、キャッシユカード二枚を盗まれ、気づいた時には三五〇万円が引き出されていたのです。 動揺した夫から電話を受けたとき、私は冷静に受け止めることができ、「大丈夫だから、警察と銀行に届け、あとは大聖人様にすべてお任せしようこと夫を励ましました。 おカネのことよりも、やっと立ち始めた夫の信心を守りたい一心でした。 またそのおカネは、夫が自分に「もしものことがあった時のために」と残してくれていたものと知り、私は夫の思いを知り心が温かくなり、その思いだけで充分だと思いました。他力本願て、大聖人様の信心じゃないでしょう。まして、カードの盗難ですが、暗証番号が簡単にわかるのか?・・・3回入力に失敗したら、カードは使えなくなるのですから、その辺が不自然と感じます。 【夫婦で御奉公】 九月度日曜勤行における浅井先生の、開目抄の「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」の御金言を引かれての指導には、夫婦ともども大へん励まされ、御奉公に体をぶつけました。 私は父と姉を再び折伏するため高知に帰り、姉は逆縁でしたが、父は驚くほど素直に入信決定し、身支度を整え、自宅拠点まで自ら車を運転し、無事入信が叶いました。 夫も会社の人に講演集を渡したり、ビデオに誘い折伏し、逆縁ではありましたが、夫が対象者を思い「救いたい」と涙するまでに変わった姿に、言葉に尽くせぬ有難さを感じました。そのなか夫の引き継ぎが叶い、今では壮年部の方々と溌刺と集い戦っており、私のはうが励まされる思いであります。【思いがけぬ全額補償!】 そこに十月に入って銀行から連絡があり、今回の補償限度額は当初二〇〇万円と言われていたのが、驚いたことに全額の三五〇万円と、さらに利息四円も補償されるというのです。 それは夫に過失がないと認められ、銀行と保険会社の話し合いにより全額補償で合意できたこと、金融庁から「最近はカードの盗難等が多いので配慮するように」との指導があったとのことで、このすべてが揃ったことにより、通常半年はかかるところ、ニヶ月という早さで結論に至ったようでした。立正佼成会にいたわりには、貯金がありますね。これで、顕正会に入ってからは、貯金が減っていく可能性が大でしょう。5年10年たったらどうなってるのか、体験発表してもらいたいですね。【「何があっても大丈夫」】 また先日ある報道で「平成二一年度のカード盗難被害に対する補償件数は全体の五四%」との現状を聞いては、補償を受けられること自体が御守護だと思いました。しかも夫は車の中にカードを置いていたことから、本来は「過失」と見なされるため全額の補償は有り得ず、この一件を通し「大聖人様絶対!何かあっても大丈夫」と、夫婦そろって大確信に立たせて頂きました。【「広布御供養」の清らかさ】 入信以前、カネ儲けだけの邪教の実態を目の当りにしてきただけに、年一回しかも上限があり、広宣流布だけを目的とした顕正会の「広布御供養」の清らかで崇高な精神には大感激し、顕正会の正しさを大確信しては、班員みなでお役に立ちたいと真心こめ推進しております。 罪障深き自分も、いま信心口唱で功徳と御守護に満ちた日々を送れますこと本当に有難く、凡夫を成仏に導いて下さる大聖人様の大慈大悲に感謝の念は尽きません。 されば広宣流布と勝浦会館建設をみつめて戦い、千葉の地より、大聖人様そして浅井先生にお応えしてまいる決意であります。金儲けの邪教にいたわりには、確り預貯金を残してますよね。で、顕正会員は、毎月の生活費がギリギリの生活をしてる方も多い。顕正会にいても、生活を守られる方など、ごく少数でしょう。財の供養が供養と思われがちな現代。身の供養もあるのですから、供養の精神を今一度考え直すべきじゃないかと思いますね。少欲知足ですよ。今一度、1世紀前ぐらいの、少欲知足の心を取り戻してもらいたいですね。
2011年01月25日
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「行動実践の年」の日蓮正宗でありますが、1月は、唱題会月間。それはいいのですが、本山で行ってるからと言って、末寺までに強要することはないでしょう。 僧侶は、仕事おつとめでもあるのですから、時間はあるからいいけど、信徒は時間の問題もあり、毎日、毎週など参加出来ません。参加するのが信心?ていうのなら、移動時間を考えて自宅で唱題をしてる方が、唱題時間も多くて、効率的でしょう。 そのようなことも考えないで、何が何でも参加しなければ、信心が無いように思うのは、表面しか見ていないとしか言えない。 表面、結果重視だから、折伏決定しなければ、折伏とは言わないで、下種しただけと言われる。顕正会見たく勧誘ではないのですから、折伏しました。その後は?・・・・となると、人材が育ってないのが、現状ですね。一部、元顕正会から来た方々はがんばっておりますが、それ以外の他からの人はというと、さっぱりてのがどこの末寺でも悩みの種でしょう。人材を育成する環境がいまいちなのが、現在の法華講です。学会破門から20年間何をしていたのかと問いたい。学会破門後の折伏成果にしても横ばいか減ってる状況。信徒数が増えても、折伏成果に繋がらない。結局、活動家の人数が横ばいで変化がない証明ですね。ま、この部分は、実態のない勧誘を行ってる顕正会と変わりませんが。さて、目に見える行動が、信心をがんばってる。てのは、ただ、会合、唱題会などに参加していればいいって事ですが、それでは、信心ではないでしょう。自行化他なのですから、見えない部分でもがんばってる人はがんばってます。組織だから、成果、結果主義に陥りやすいですが、それは、信心じゃないでしょう。折伏・下種をして結果が足りないのは、本人の信心。唱題が足りないみたいな言われ方も、おかしいのではと言いたい。自分たちの力で折伏をするのではなく、御本尊様に真剣に祈って結果が出る。と言ってるのですから、真剣に祈って結果が出なくても、それは、御本尊様がその方はまだ、時が来てないから今は、信心に尽かせないとの御仏智と見るべきじゃないのでしょうか?・・・自分たちは、御本尊様のお手伝いをするだけであり、あとは、御本尊ざまのお心次第でしょう。だから、50%増の初年度が75%の末寺が目標達成と言っても、残り25%が達成できなかった。と言うことは、全体で負けは、負けなのです。末寺単位の個人成果ではなく、全体成果として見るべきでしょう。横の繋がり(末寺単位)も嫌うのは、自分の末寺の成果が大事で、宗門全体=広宣流布に向かって進むと言うことを見失ってると思うのです。どこの末寺に入講してもいいではないですか。正宗の信心につけたのをなぜ、喜ぶことが出来ないのか!このような、末寺単位での成果がと言ってるから、学会から、勧誘だとか、寺の維持だけの信徒集めとか言われるのです。地道にがんばってる人が報われないような組織などいらないですね。さらに、形だけの組織で、内情が伴ってないもの問題があるでしょう。組織活動、運営に関しては、学会より数十年は遅れてるでしょう。そして、学会の組織運営を真似してる顕正会よりも、まだ、劣っているのが、現在の法華講でしょう。 いまさら、学会の組織運営の真似をしたところで、折伏大行進の時代と違うのですから、通用はしないでしょう。なら、現代にあった組織運営を考えて、進むべきだと言いたい。今の、組織運営は、もう、時代遅れ!!地道に顕正会問題を考えて評価されなくてもいいから、それなら、宗門僧侶がちゃんとした、行動を起こして、見本を見せてもらいたいですね。無任所教師が200名近くいるのですから、そういう方々を対応させればいいでしょう。人材、資料があるのに使わなければ、ただの宝の持ち腐れ。創価新報で、無駄飯くらい、とか言われても仕方がないかと思ったりもします。こんな事を書いて、宗門に反旗をと思う方は思ってもらっても結構!自由な発言も出来なく、改善、自浄作用が無ければ、創価学会。顕正会がカルト集団と言っても、第三者から見れば、日蓮正宗も同じじゃんと言われていても、違いますとも言えない。まして、創価学会・顕正会を生み出したのは、日蓮正宗なのですから、その後始末をするのも日蓮正宗の役目でしょう。 ともかく、僧侶が率先して動かないで、「実践行動の年」と言うのは、虚しく響きますね。手始めに、正信会末寺を僧侶が回って、一ヶ寺ずつ話をして言ったらと、提言します。それぐらいの、行動を示してこそ、「実践行動の年」でしょう。情報化、ネット社会なのですから、行動の是非もいち早く流れますよ。それと、宗内の不祥事も隠さないで、情報公開して改善するようにするべきです。いくら、情報を隠しても隠しきれる時代ではないのですから。フェイク、創価新報でネタにされてる事ぐらいは、何とかしないとだめじゃんと思いますよ。最後に、富士学林の図書室ぐらい、信徒に開放するぐらいの広い器がほしいですね。数十人の為めに、無駄に維持費が掛かる建物など、必要ないでしょう。それなら、信徒に図書室ぐらい開放した方が、ましだと思います。 普段着の折伏と言ってるのですから、普段の行動次第で折伏になります。それなのに、会合・行事参加ばかり強調するのが、普段着の折伏に繋がるのか?・・・
2011年01月25日
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顕正新聞1月15日号より。【「顕正会は暴力集団」息子の入会に猛反対顕正会の正しさ知り妻と共に入会】男子部第22隊 田中 ○○ 私は息子の田中勝男組長に折伏され、平成二十二年一月、創価学会から入会しました。【学会で家庭不和】 私の母は昭和三十八年に入信して以来、平成十九年に亡くなるまで学会で熱心に活動しておりました。 私が学会に入信したのは昭和四十年で、母の勧めによるものでした。 母は自宅を拠点として提供しておりましたが、私は生活が苦しかったので出稼ぎで一年の半分を留守にし、そのため、熱心に学会活動をしていた母と、入信を拒んでいた妻とで次第に折合いが悪くなり、一家和楽とはほど遠い家庭となってしまいました。 私は学会に入信していたものの、活動はほとんどしておりませんでしたが、幹部から「人数が足りないから」と声がかかれば、会館で行われる本部幹部会の衛星放送や拠点での座談会には素直に参加しておりました。 いま考えれば恐れ多いことですが、正本堂にも幾度も足を運び、知らずとはいえ不敬の登山を重ねておりました。不敬の登山なら、なぜ、妙信講は、正本堂が完成したときに、登山願いをだしたのか!結局は、浅井昭衛のご都合主義で、登山も出来ない妬み、恨みで、不敬の登山と言ってるだけでしょう。 【学会に疑問】 またある日、学会経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字が削除され、池田大作への報恩を強いる内容に変わったときには、強い疑問を懐いたものであります。 そして常日頃、選挙になると猛烈に私たちを選挙活動に駆り出すにもかかわらず、「選挙が終わればあとは知らん顔」といった学会の活動に対し、訝しさを感じておりました。【「顕正会は暴力集団」】 そのようななか、平成二十一年、息子の勝男組長より「顕正会に入会した」と聞かされたのですが、このとき正直、私は驚いてしまいました。 と申しますのは、私は「顕正会は暴力集団」と学会幹部から聞かされて鵜呑みにしていたからです。私と妻は心配のあまり猛反対し、息子を無理やり顕正会から脱会させようとしてしまいました。 しかし息子は顕正会の正しさを確信しており、学会幹部に対し堂々と、顕正会で信心することを言い切り、次々と折伏を進めていったのでした。【ビデオ放映に感動し入会】 そして息子は、私と妻にも熱烈に信心の感激を語ってくれ、私たち夫婦は息子の熱意に負けて、とうとう顕正会のビデオ放映に参加することになったのでした。 初めて参加するビデオ放映は大へん感動的で、今まで学会時代に散々見せられたものは、仏法とは全く関係のない池田大作の勲章の自慢話ばかりであったため、「確かに顕正会という団体は学会とは違う。信心一本だなあ」と感嘆したことを覚えております。 そして学会の時には頑として入信を拒んでいた妻も、何かを感じたのか、そのまま一緒に晴れて顕正会に入会させて頂きました。8ミリ放映時代、学会ではどのような物を放映していたから解らないので、勲章云々は最近のことでしょう。【始めて知った御大会式】 入会してよりは、学会時代は全く身に付かなかった勤行も不思議と毎日実践できるようになり、ビデオ放映や日曜勤行等にも参加するうちに、次第に確信と感激が込み上げてまいりました。 ことに十一月に行われた「御大会式ビデオ放映」は、言葉に尽くせぬものでありました。学会に在籍していた四十数年間、私は仏弟子にとって最も大事な御報恩の儀式たる「御大会式」の存在すら全く知らなかったため、このような厳粛な儀式を拝見するのは初めてであり、何よりそのとき頂いた浅井先生のご講演は大へん素晴らしく、ただただ大感動でありました。学会にいて、「御大会式」は知らなくて当然でしょう。なんせ、「御大会式」は、顕正会でしかない儀式ですし。学会・宗門で言えば、「御大会」か「御大式」のどちらかですし、40年間いて知らないというのは、嘘ですね。本当に知らなければ、新聞も読まないし、活動など一切してない、名前だけの会員てだけでしょう。【悪辣な「K対策」】 そして十月度総幹部会において松野第二十二隊長が発表したごとく、このたび学会は、息子の勝男組長が顕正会に入会させた元学会員を唆しては警察へ訴えさせるという、「K対策」そのままの悪辣な謀略を行ってきたのでした。 しかも「池田」という者をはじめ本部長・支部長・地区部長の学会幹部らが一斉に動いて来たことには、学会の゛焦り゛を痛感したものでした。 まず「池田」という者は、学会員を次々と折伏する勝男組長の信心活動を妨害せんと「学会員を折伏すれば、不法侵入で訴える」などと脅し、また本部長・支部長・地区部長らがそろって我が家を訪れ「世話してやったのに、なぜ一言も言わず顕正会に入ったのか。勝男くんは、顕正会の活動をやればやるほど困るようになるぞ。顕正会をやめるなら今だ。泣いてすがっても二度と学会に戻れないぞ」と威圧して来たのでした。 さらに松野隊長の登壇により、「池田」は「K対策」のままの自分の言動が顕正新聞に掲載されてしまったことによほど動揺したのか、松野隊長の登壇が掲載された部分のコピーを持って再び我が家を訪れ、「あの時、近所の人など出て来ていないし、大声も出していない」などと苦しまぎれの釈明をしてきました。 しかし肝心の「K対策」や私への脅迫については一切触れることができず、この何も言えぬ部分こそ、学会にとって一番痛い部分であったことを確信いたしました。このような学会幹部の焦りには哀れさすら感じ、学会の崩壊近しを実感したものであります。学会て部分を顕正会とすると、そのまま当てはまる内容てのが笑えますね。なにがなんでも、学会と外に目を向けさせないと、組織維持も難しい状態だからでしょう。なりふり構ってられないのが、現状ですね。【報恩感謝の念】 思えば、学会当時は信心の大事すら分からずにいた私と、宗教嫌いで入信を拒んでいた妻が、いま共に信心口唱により功徳を頂いておりますこと、本当に不思議であります。 またかつては手の付けられなかった息子の勝男組長が、信じられないほど優しくなり、孝養心を持つようになったことが有難くて仕方なく、先日の日曜勤行において浅井先生より頂いた「千日尼御前御返事」の「御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ」との御金言を引かれての指導を噛み締めては、大聖人様の御心のまま、信心の大事を我らに指導して下さる先生に報恩感謝の念尽きぬものであります。 されば本日の浅井先生の指導を心肝に染め、一五〇万法城が成る重大な年に、新潟県長岡の地に浅井先生をお迎えすることを思えば、私も何としても広布の人材に成長し、断じてお応えしてまいる決意であります。つまらん、作文だなって思うだけ。
2011年01月25日
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参照Re:更新情報&コメントレス(01/24) 大東亜の星さん三文手前と言ったかな~、「狂学教学試験の勉強のしすぎで、小細工昭衛の小細工も見抜けないほどの、節穴の目をお持ちみたいですね。 浅井昭衛のダ本しか読んでないから、仕方がないで無いんでしょう。」などと独りよがりの駄文を書き連ねて悦に入っているよだが、お前さん、拙者が少し遊んでやるから下記の板に来たらどうなんだぃ。「小細工も見抜けない節穴」とは良く言ったもんだ。ただ拙者は、悪坊主日達の論文か、説法かは存知していないが、のどの部分を浅井氏が都合良く小細工を施したのか、その両論を併記して、具体的に指摘したらどうなんだ。と言っているのだよ。それすらも出来ないで「小細工も見抜けない節穴」等と、一方的に非難する事に終始してないで、浅井氏の小細工の部分を明確に指摘すべきではないのか、と言っているのだよ。ここでは次数に限りがあるから下記の掲示板で待っているよ。 http://6908.teacup.com/0105/bbs 逃げんなよ。大トンマのポチへ 通りすがりさん分からん奴だのー。既に比較対象はアップずみだと言っておろうが。それと「山門入り口さん」と「山門手前さん」は“べ・つ・じ・ん”だっちゅうの!もう少し状況を把握しろよな。こんな凡ミスするような輩の言を誰が信用するのかな?笑止千万だよね。「トチロ~さんのHP」トチロ~さんのブログより、一部転記。--------------------------------------------------------------新春を迎へて 宗門ますます大興隆の下、昭和五十年の新春を迎えることを、宗内皆様と共に心よりお慶び申しあげます。昨年十二月二日は、御法主日達上人猊下の御登座十五周年に当り吾等一同心より奉祝申しあげた次第であります。思うに、猊下の御威光は宗の内外に光被し、正本堂建立第四年の本年に当っては、僧俗一致の結束もかたく、更に広布への大躍進が招来されるものと思われます。 御法主上人猊下には、昨年十一月十七日の創価学会本部総会において、広宣流布は近きにありと高唱あそばされ、日本全民衆の三分の一が純真かつ確実な信心を持った時は広宣流布であり、またその時僧俗の関係首脳協議の上で本門寺と称することもありうるという、広宣流布の一大指針を御指南あそばされました。まことに時と望意に叶いたまう鳳詔であると拝察いたします。 吾々正宗の僧俗は本仏大聖人の御遺命たる一期弘法抄の「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の金文が七百年後の今日、現実にどのような形で実現されるのであるかを待ち望んでおりました。 宗祖大聖人当時の政治や宗教の情況を考察し、又現在の世界の情勢をふまえて広宣流布の現状を観ずるとき、このたびの大指針こそあらゆる点から考えて、世界広布の一大基盤としての日本広布に関する、本仏大聖人の大慈悲に尤も適合し奉るものと拝するのであります。また大聖人の御遺命御金言を現実の広布の上に指南あそぱされる唯一人の御方こそ、血脈付法の法主上人にあらせられます。 大聖人の仏法には侵掠や強制の要素は微塵もありません。その目的は大慈悲を根底とする一切民衆の生命の開覚にあり、従っていかなる広布の途上においても、終りにあっても、基本的人権はもちろん信教の自由を否定するものではあリません。しかし水が低きに、流れるごとく、大御本尊の功徳により南無妙法蓮華経と開覚した生命の素晴らしさを識る人が次第に増えて、国中の三分の一に満ちたとき、他の宗教や政治に対する圧力は微塵もなく、しかも浄化し純化し強化された民衆により、政治、経済、家庭、教育、その他あらゆるものが常楽をかなでる幸福な杜会が顕れることを確信いたします。 また全信徒の指導者たる法華講総講頭池田大作先生も至極お元気で、世界に妙法広布の楔を打ち、偉大な足蹟を残される半面、猊下と宗門を常にお守り下さっておられます。 この僧俗一致の姿こそ大本門寺建立につながる広布の基盤であります。 吾々は、法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標をめざし、本年を起点として僧俗一致し、大いに行学と折伏に邁進致そうではありませんか。宗内御一同様のいよいよ御健康と御精進をお祈りいたします。(大日蓮 昭和50年1月号13~14ページ)これが日顕上人猊下の原文です。緑の字で記載した部分が浅井昭衛が引用した部分、赤字で記載したところが改竄部分です。浅井昭衛は日達上人の御講義は「取意」としてはおりますが、この日顕上人猊下のご挨拶に関しては「取意」だとも、抜粋だとも、何の断りもつけずに文章を切り刻んで勝手にくっつけております。こんな小細工をしなければ顕正会という存在は維持出来ないのでしょうか?本当に恥ずかしいものです。何が正々堂々か!------------------------------------------------------------トチロ~さんのブログに書かれてると紹介しているのに、閲覧しに行ってないのか!ま、それはいいとして、比較した文を掲載しているのだから、見逃してる大東亜の星くんの落ち度だろう。そして、ここでは文字数がと言ってるが、複数回に分けて投稿すれば、問題はない。文字数をいい訳に、よそ様の掲示板に誘導して、逃げる算段なのだろう!「逃げんなよ」とは、こちらの台詞である!明治以前に国立戒壇の名称を使用した猊下の文証を出してください。て、宿題がまだで、逃げ回ってるのは、大東亜の星くんではないか!さっさと、宿題をしてから出直しでおいで。通りすがりさん。つっこみコメントありがとうございます。
2011年01月25日
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顕正新聞1月15日号UP参照Re:更新情報&コメントレス(01/23) 大東亜の星さん省略されている部分は、この御説法で日達上人が一番伝えたかった内容を話されているのです。とにもかくにも、“・・・”だけでは無く、浅井昭衛はこの日達上人の御説法部分をムチャクチャに切り刻んで、更に勝手な小細工を施し、原文の意味するところとは全く違うものに仕立て上げております。かなり悪質です。この部分は私も時間をかけて、しかるべき手続きを踏んだ上でアップしてみたいと思っております。悪坊主日達の説法を「浅井氏が切り刻んで、勝手な小細工を施した」等とあるが、悪坊主日顕の説法とやらの前文を挙げて、浅井氏がどのように細工を施したのか、明確にしたらどうなんだぃ? お前さん、浅井氏に難癖をつけるなら両文併記して、小細工部分を明らかにすべきではないのかなRe:更新情報&コメントレス 通りすがりさん既にトチロ~さんは貴方がコメントする前にアップしてるでしょうが。お前さんは馬鹿か?大東亜の星さんは、相変わらずですね。狂学教学試験の勉強のしすぎで、小細工昭衛の小細工も見抜けないほどの、節穴の目をお持ちみたいですね。 浅井昭衛のダ本しか読んでないから、仕方がないで無いんでしょう。しかし、宿題はまだなのでしょうか?・・・誰も訪問もしてくれない掲示板で寂しく、浅井昭衛の武勇伝を虚しく書き連ねているから、かまってほしいのかな?・・・「トチロ~さんのHP」さて、昭和49年1月10日の顕正新聞を見たのですが、その中で「浅井先生挨拶」との文字を見て、浅井甚平さんかと思ったのですが、甚平さんは、「講頭先生」の表記で浅井昭衛のことだったのです。 昭和49年以前は、本部長と表記されていたのですが、創価学会池田会長を意識して、「先生」と呼ばしていたんでしょう。結局、当時から名誉欲があったてことですね。また、編集者が書いてる概略文なのですが、今現在と変わらない書き方。浅井昭衛自信が書いてると言われてる概略部分ですが、当時から書いていたんでしょう。それにしても、よく恥ずかしくもなく、自分をヨッショするような内容を書けるものだと感心しますね。
2011年01月24日
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映像2号館で、12月幹部会映像公開。参照Re:偽3級教学試験(01/22) トチロ~さんおはようございます。“・・・”と省略されている部分は、この御説法で日達上人が一番伝えたかった内容を話されているのです。とにもかくにも、“・・・”だけでは無く、浅井昭衛はこの日達上人の御説法部分をムチャクチャに切り刻んで、更に勝手な小細工を施し、原文の意味するところとは全く違うものに仕立て上げております。かなり悪質です。この部分は私も時間をかけて、しかるべき手続きを踏んだ上でアップしてみたいと思っております。過去の日達上人の発言 raidenさん過去の日達上人の発言をあげて、悪口中傷するのであれば、浅井会長の過去の誓願破り、顕正寺の問題、妙観講との対決、八木直道師の追放、村松禎道さんの追放、血脈否定、法論からの回避をあげて浅井会長の自語相違をつついていいのですかね?今のせんせ~の指導が大事とは言わせませんよ~。過去のせんせ~の発言あぶり出しますよ~。トチロ~さん。raidenさん。浅井昭衛が如何に、都合良く、切り貼り文を作り、正宗を貶めようとしてるのは明白ですね。ここまで酷いのは、悪意しか感じません。顕正会員に対しては、自分で調べて比較することをしないから通用しますが、教義論争や武勇伝を根拠に、宗門はと言ってくる顕正会員に対しては、問題箇所の前後、中略を含めて、正確な文意がわかるものを提示するのが、一番だと思ってます。 そして、浅井昭衛の発言が信用できるのかと、過去の矛盾発言を全部あぶり出し晒すのが一番でしょう。今回の3級・4級試験に関しては、試験をしない会員にもテキストを読ませる意味もありますし、浅井昭衛にとって、背水の陣の洗脳試験だと思ってます。その、試験テキストを徹底的に、破折するのが、今、迷ってる顕正会員を救う一番の近道ではないかと思う次第です。
2011年01月23日
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次の号も遅くなりそうな予感の顕正新聞1月15日号より。 三級・四級の教学試験が一月九日、全国一二八会場で施行された。出題範囲は四級試験が「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」、三級試験は同書に加え「最後に申すべき事」。問題は各試験ともに別掲の七問であった。(□□に記入の「正解」は下段に掲載されているが、採点においては「同義語」も配慮されるとのことである)さすがに受験者人数を明記出来ない辛さがありますね。一会場当たり、100人として一万二千八百人。登用試験が大体一万人から一万二千人ぐらいとして、二万五千人も受験していれば上出来てことでしょうか?・・・で、熱心な活動家が約3万人。行事参加者を入れて5万人として、大体の実数と思われる人数に当てはまる感じがします。自称140万会員がいてもこの程度なのが顕正会なんですよね。(笑)【三級試験問題】問一 「舎衛の三億」のたばかりを破祈せよ。問ニ 「広宣流布は終着点のない流れ自体」のたばかりを破折せよ。問三 「国教でないから国立戒壇はない」のたばかりを破折せよ。問四 「世界宗教だから国立戒壇はない」のたばかりを破析せよ。記入問題でありますが、回答をチェック出来る人材すら少ないのに、どのような回答が正解の基準になるのかが気になります。さて、問い1に関しては、トチロ~さんがブログ内で解説してるので、興味がある方はそちらを参考にしてください。多分、問い4間では、何かしらの反論を掲載すると思うので、ここでは、省略と言うか、もう、さんざんネタにしてきた内容ですし、今更ということもあるので、手抜き省略です(^^;そして、問い3,4に関しては、重複問題と言えるでしょう。さすが、顕正会教学室ですね。(笑)問五 王仏冥合について述べた次文の□□を埋めよ。 皇室が日本本有の(1)であることは、日本国の仏法上の(2)に由来する。日寛上人は「日本国は(3)日蓮大聖の(4)にして、本門(5)広宣流布の(6)なり」と。 かかる(7)有縁の(8)ならば、この仏法を守護し奉る(9)が存在しないはずがない。それが日本の皇室である。 されば「久遠下種の(10)の守護神」たる天照太神は(11)として王法の基礎を堅め、また(12)は第十六代(13)として百王守護の誓いをなしている。皇室の世界に類を見ぬ(14)は、実にこの仏法上の大因縁と使命による。 日興上人は広布の暁の王城の所在について(15)においては殊に(16)を撰ぶべきなり。就中、仏法と王法とは(17)なり。(18)随って相い離るべからざるか。乃至、尤も(19)と(20)と一所なるべき由、且つは(21)の佳例なり、且つは日蓮大聖大の(22)の所なり」と。 「仏法と王法とは(23)とは、(24)たる天照太神および八幡大菩薩の(25)は(26)であり、下種の三大秘法(27)のため日本に(28)して善神と顕われたことをいう。その大使命を受け継いでいるのが日本の皇室である。ゆえに゛広宣流布の暁には(29)と(30)は一所でなければいけない。これが「日蓮大聖人の(31)の所」である゛と日興上人は仰せられる。これこそ王仏冥合の(32)である。 このように(33)の大使命を有する皇室ではあるが、もしこの使命を自覚せず、仏法の正邪に迷って(34)を行ずれば、忽ちに(35)を失う。大聖人(36)の皇室がそれであった。また(37)の滅するを見て捨てて(38)しなければ、忽ちに(39)は傾く。(40)以後の今日の皇室の姿がそれに当ろう。 ただし、敗戦を経てもなお皇室が(41)されなかったことは、将来皇室が果すべき仏法上の(42)のゆえと、その不思議を歎ぜざるを得ない。問六 細井日達管長の次の二つの自語相違について□□を埋めよ。 「1」国立戒壇について 正論「富士山に国立戒壇を(1)せんとするのが日蓮正宗の(2)である」(大白蓮華、昭和35年1月号) 誑言「国立戒壇は(3)の(4)ではない」(大日蓮、昭和50年9月号) 「2」事の戒壇について 正論「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する(5)の(6)を建立することでございます。勿論この戒壇は、(7)の時の(8)の戒壇であります」(大日蓮、昭和36年5月号) 誑言(9)在すところは(10)・(11)でも、そのところは即ち事の戒壇であります」(昭和45年4月27日、教師補任式)問い6で「正論」と「狂言」て書かれてますが、浅井昭衛の言葉自体、「狂言」でしょう。 「3」日興上人御遺誡の「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」の文意について 正論「後世の総本山の代表たる貫首であっても大聖人の仏法に(12)して自分勝手な(13)を立てて固執するならば、その(14)は勿論、その(15)を用いてはならない。日興上人は大聖大の仏法を守るためには、かくの如く実に(16)であったのである」(昭和36年7月20日、講義録) 誑言「時の貫首とは、現在の(17)であり(18)である。管長であるから宗門を運営するに当って、誰を(19)し(20)してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な(21)を立て、しかも注意されても改めない人を(22)いてはならない。つまり、時の(23)の(24)を示されているのである」(昭和47年7月20日、講義録) なんとも恥しらずな自語相違ではないか。この誑言を以て、池田大作の(25)破壊を助けたのである。問七 次文の□□を埋めよ。 日寛上人は依義判文抄において 「『日蓮一期の弘法』とは即ち是れ(1)なり。『本門弘通』等とは所弘即ち是れ(2)なり。戒壇は文の如し。全く神力品結要付嘱の文に同じ云々。秘すべし、秘すべし」と仰せられているが、細井日達管長はこの文意を歪曲して「日寛上人は『戒壇は文の如く全く神力品結要付嘱の文に同じ云々。秘すべし、秘すべし』と仰せになっている。ここが大事なところです。結要付嘱とは本門の大御本尊であります。『(戒壇は)それと同じだ』と、はっきりここで日寛上人がことわっている。だから結局……戒壇の大御本尊まします所が、すなわちこれ(3)の戒壇であるはずであります」(昭和45年4月22日・臨時時局懇談会)と述べた。この発言は、正本堂を(4)の戒壇と欺くためになされたものである。 まさしく依義判文抄の正念は、神力品結要付嘱の文と一期弘法付嘱書は共に(5)を説き、しかもその(6)まで本尊・(7)・(8)と全く同じである甚妙を、「(9)すべし」と仰せられたのである。すなわち神力品においては「以要言之」以下に(10)を説き、「是故汝等」以下で(11)を説き、「所在国土」以下で(12)が説かれている。また一期弘法付嘱書では「日蓮一期の弘法」は(13)、「本門弘通」等とは所弘すなわち(14)、戒壇は「国主此の法を立てらるれば云々」の文のままであるから、日寛上人は「(15)の如し」と仰せられている。まさに釈尊から(16)ヘの付嘱も(17)、また日蓮大聖人から(18)への付嘱も(19)、しかも(20)の説順も同じという不思議甚妙を、ここに「全く同じ、(21)すべし」と嘆ぜられたのであって、細井日達管長の「本尊と(22)は全く同じ」などの解釈は全くの歪曲である。「昭和45年4月22日・臨時時局懇談会」からの問題が出てますが、「臨時時局懇談会」が何に掲載されていたのかが不明です。「大日蓮」「大白法」には掲載されてないので、「大白蓮華」に掲載されているのでしょうか?・・・そして注目なのが、「・・・」と省略されてる部分ですね。多分、都合が悪いことが書かれているので、省略したと思います。そして、この懇談会で、「国立戒壇論」の論議が為されたはずなのですが、浅井昭衛は反論すらまともに出来なく、絶句していたはずです。別な、資料を見ると、詰問・つるし上げ状態だったとも。どちらにせよ、反証が出来てないてことだけは変わらないでしょう。その後、公式見解や訓諭などが出されていたはずです。結局は、傍聴者の賛同ももらえない程度の論証しか出来なかったてことですね。【三級試験正解】問五 (1)王法 (2)特質 (3)本因妙の教主 (4)本国 (5)三大秘法 (6)根本の妙国 (7)三大秘法(8)妙国 (9)本有の王法 (10)南無妙法蓮華経 (11)皇祖 (12)八幡大菩薩 (13)応神天皇 (14)永続(15)王城 (16)勝地 (17)本源体一(18)居処 (19)本門寺 (20)王城(21)往古 (22)本願 (23)本源体一(24)皇祖 (25)本地 (26)釈迦仏(27)守護 (28)垂迹 (29)本門寺(30)王城 (31)本願(32)事相 (33)仏法守護 (34)邪法 (35)威光勢力 (36)御在世 (37)正法 (38)擁護(39)王位 (40)敗戦 (41)廃絶 (42)使命問六(1)建設 (2)使命 (3)本宗(4)教義 (5)本門寺 (6)戒壇 (7)広宣流布 (8)国立 (9)戒壇の御本尊 (10)何処 (11)何方 (12)違背 (13)説 (14)説 (15)貫首(16)厳格 (17)管長 (18)法主(19)採用 (20)任用 (21)説 (22)用 (23)貫首 (24)権限 (25)御遺命問七(1)本門の本尊 (2)本門の題目(3)事 (4)事 (5)三大秘法 (6)説順 (7)題目 (8)戒壇 (9)秘 (10)本門の本尊 (11)本門の題目 (12)本門の戒壇 (13)本門の本尊 (14)本門の題目 (15)文 (16)上行菩薩 (17)三大秘法(18)日興上人 (19)三大秘法 (20)三大秘法 (21)秘 (22)戒壇御書からも出題が無くて、教学試験とは笑わせる内容ですね。浅井昭衛の武勇伝を覚えさせるのが、狂学試験なのが顕正会。 もう少し、まともな、教学試験を実施できないのでしょうかね?・・・登用試験もそうですが、顕正会教学室と言う部署があるけど、実態がない部署。普通なら、教学室室長が試験のことを発表するのに、室長が出てこない。この時点で、実態がないと言うことです。どうせ、七光りや太鼓持ちの上級幹部が作った問題でしょうし、この程度の能力しかないのが、顕正会幹部の実成ですね。ま。ここで比較するのもどうかと思いますが、創価学会の初級試験の方が、教学試験らしい問題ですし、良くできてますね。公式HPの更新まだなんでしょうか?・・・本当に、顕正会本部職員て、無能な人材ばかりですね。
2011年01月22日
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12月日曜勤行音声UP図書館に3級・4級試験問題&回答UP参照Re:コメントレス 睦月さんまっ、裁判所の本尊返却命令も無視するようなお人ですからね、昭衛さんに裁判云々など、言うだけ虚しいだけかもしれませんね。やはり浅井会長に対しては、今後も法儀上と、あと顕正会の場合もっとも重要な一般常識で批判していくしかないのかもしれませんね。国法より重い仏法とよく言いますが、仏法より軽い国法すら守れない浅井会長てことなんですよね。そして、法義論争にしても、「議論の為めの議論はしない」理論書には書かれてますが、顕正会員相手の場合、議論する為めの議論が必然的に必要になりますね。それは、教学が無いからいきなり、教義論争をしたくても意味がわからない。その説明の議論を最初にしなければならないとなります。だから、顕正会員相手に教義論争も無理なんですね。理解出来ないですし。最後に、一般常識ですが、これもくせ者なんです。のめり込んでる会員は、正しい仏法を保ってる顕正会。人々を救うためなのだから、多生のことはあり。という、暗黙の了解みたいなのが存在して、非常識行動を正当化する傾向にあります。また、一般常識をわきまえてる方に関しては、活動家ではないてことですね。一番わかりやすいのは、教義論争でも一般常識論でもなく、御金言に準ずる浅井昭衛の発言から出すしか無いでしょう。ま、自語相違。二枚舌の浅井昭衛会長ですからいくらでも質問のネタはつきませんが、質問した時点で思考停止になる会員が多い。結局その時点で、「浅井センセイの言葉は正しい」「自分(私)は信じてる」と根拠の無い台詞を言い、おきまりの、「浅井センセイを馬鹿にすると」「顕正会を馬鹿にすると」「地獄に堕ちる」「罰が当たる」などの捨て台詞を吐いて逃げ去るのが、大半ですね。 幹部や狂信的な会員が特に、その傾向があります。少しでも話を聞いてくれる会員は、まだまともと言えるでしょう。それでも、顕正会が浅井昭衛の言葉がなぜ正しいかと説明を求めても、答えることができないのが、顕正会員ですね。あ!閲覧してる顕正会員諸師の皆様。顕正会が正しいと思うのなら、幹部に連絡をして、ここに登場してもらって、論破してもらうなり、法論をしてくれるように頼んでみてください。絶対に、いい訳を言って拒否しますから。そんだけ、幹部といっても、ヘタレしかいないのですよ。浅井会長を筆頭に、上級幹部が全員逃げ回っているのですから。(笑)
2011年01月22日
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【四級試験正解】揚げ足とりではないですが、「正解」ではなく、「回答」てするべきでしょう。さすが顕正新聞編集者はLV0の能力者そろいですね。^^さて、問題を見るより、回答を見ると意外なことが解ります。第三問の回答の答えが、第5問の説文に出ています。ほかにも似たような部分があるので、回答のヒントなるような問題の出し方は、さすが顕正会教学室て思います。問一 (I)立義 (2)先師 (3)御弘通 (4)広宣流布 (5)身命 (6)随力弘通 (7)時の貫首 (8)仏法に相違 (9)己義 (10)用 (11)衆議 (12)仏法に相違 (13)貫首(14)摧問二 (1)家 (2)土 (3)仏国 (4)御本尊 (5)南無妙法蓮華経 (6)仏国 (7)謗国 (8)三災七難 (9)現世 (10)成仏 (11)本門戒壇の大御本尊 (12)徳 (13)妙 (14) 仏国 (15)秘術 (16)国家意志 (17) 魂 (18)本門戒壇の大御本尊 (19)魂 (20)仏国 (21)国家 (22)国立戒壇 (23)信徒 (24)宗門 (25) 国家権力問三 (I)解散処分 (2)細井日達(3)三分の一(4)広宣流布 (5) 大石寺 (6)御遺命 (7)富士山本門寺(8)三分の一 (9)広宣流布(10)舎衛の三億 (11)富士山本門寺(12)正本堂 (13)富士山本門寺本堂(14)戒壇 (15)本堂 (16)正本堂 (17)完結 (18)開創七百年 (19)平成二 (20)阿部日顕問四(1)国家 (2)国家 (3)成仏 (4)認識 (5)尊崇守護 (6)冥合 (7)国家 (8)王 (9)天皇 (10)国政 (11)大臣 (12)本門戒壇の大御本尊 (13)南無妙法蓮華経 (14)大御本尊 (15)身命 (16)護法心 (17)末法濁悪(18)手続(19)天皇 (20)詔勅 (21)幕府(22)国会 (23)内閣 (24)護持(25)国家意志の表明 (26)国家意志の表明 (27)手続 (28)仏国 (29)仏国 (30)個人 (31)団体 (32)民衆 (33)護持 (34)天生原 (35)勧誠 (36)大地 (37)身命 (38)勧奨 (39)以前 (40)以前 (41)仏国(42)邪正 (43)謗法 (44)広宣流布 (45)国家意志の表明 (46)富士山天生原 (47)国立間五(1)大本門寺 (2)事の戒壇 (3)将来 (4)国立戒壇 (5)国立戒壇(6)宿願 (7)国立戒壇 (8)本願 (9)事の戒壇 (10)国立戒壇 (11)使命 (12)国立戒壇 (13)宿願 (14)大目的 (15)正本堂 (16)本宗(17)御書問六 (1)事相 (2)義理 (3)道理 (4)三大秘法抄 (5)条件 (6)事実 (7)事の戒壇 (8)本門戒壇の大御本尊 (9)義の戒壇 (10)事相 (11)戒壇 (12)義理 (13)事相 (14)広布 (15)勅命 (16)安置 (17)宝蔵 (18)義 (19)戒壇の本尊 (20)本門寺 (21)広宣流布(22)国立 (23)事の戒壇 (24)御宝蔵 (25)奉安殿 (26)正本堂 (27)何処 (28)何方 (29)事の戒壇 (30)直 (31)事の戒壇 (32)時 (33)直 (34)事の戒壇 (35)事 (36)天生原 (37)戒壇堂問七 (1)あらゆる社会生活の原理 (2)民衆 (3)池田先生 (4)建築許可証 (5)大石寺境内 (6)前以て建ててよい (7)国立戒壇 (8)正本堂 (9) 上 (10) 日興上人 (11)日淳上人 (12)下 (13)日蓮正宗(14)外 (15) 一国 (16)登山 (16)学会 (18)正本堂 (19)学会 (20)生活 (21)御宝蔵 (22)御開帳 (23)御開帳 (24)生活回答を見て気がつくと思いますが、回答の答えが重複してる部分があります。「本門戒壇」「国立戒壇」とか目立ちますが、ほかにも重複してるものが多々あります。有能な人材が豊富な顕正会!公式HPの更新もまだされてません。勧誘成果を記載だけですが、11月現在の記載であるのですから12月の一ヶ月もあれば、準備出来るでしょう。そして、新年早々に更新。このようなことも出来ないような有能な顕正会員で、凄いですね。
2011年01月21日
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狂学教学試験掲載の顕正新聞1月15日号より。【四級試験問題】問一 日興上人「遺誡置文」について、次の条目の□□を埋め、ニ箇条においては文意を略述せよ。一、富士の(1)、聊も(2)の(3)に違せざる事。一、未だ(4)せざる間は、(5)を捨てて(6)を致すべき事。一、(7)たりと雖も(8)して(9)を構えば、之を(10)うべからざる事。 (文意)一、(11)たりと雖も(12)あらば、(13)之を(14)くべき事。 (文意)相変わらず虫食い問題ばかりで、御書からの出題がなくて、教学試験とは、笑える内容ですね。教学と言う内容ではなく、ただ、浅井昭衛の武勇伝を暗記させるだけの試験が教学試験。さて、第一問の説文は、わかりにくい。穴埋め問題をした後に、文意を述べよとの説文は、問題を制作した教学室の人材の能力を疑いたくもなります。穴埋めなら穴埋めに統一するべきだし、文意の記載問題なら最初から、記載問題の形式にするべきでしょう。問二 次文の□□を埋めよ。 本門戒壇建立の目的は、国(1)・国(2)の成仏、すなわち(3)実現のためである。本門戒壇建立以前であっても、(4)を信じて(5)と唱え奉る者は個人として成仏させて頂ける。ただし(6)が実現しなければ、(7)の失により国土の(8)を免れることはできない。ゆえに個人の真の(9)安穏は国家(10)と共にある。 まさしく本門戒壇の建立とは、(11)の功(12)・(13)用により、日本および全世界を(14)と化する(15)なのである。すなわち日本国の(16)の表明により本門戒壇が建立されれば、日本国の(17)は(18)となる御本仏を(19)とする国は即(20)ではないか。 本門戒壇建立の目的がわかれば、(21)と関係ない戒壇建立などあり得ないのは自明となる。しかるに創価学会の「国立戒壇について」の政府への回答書に云く「一時、本門戒壇を(22)と呼称したことがあったが……建立の当事者は(23)であり、(24)の事業として行うのであって、(25)とは無関係である」と。これ正本堂が偽戒壇であることを自ら示すものである。問三 「本門寺改称」について述べた次文の□□を埋めよ。 (1)の三月後、池田大作は(2)管長に、本門寺改称について次のごとく述べさせた。 「日本全人口の(3)が入信すれば(4)であり、その時には(5)を、大聖人(6)の(7)と改称することもあり得る」と。この「(8)入信で(9)」こそ、池田大作のいう(10)の謀りであった。 もし大石寺を(11)と改称すれば(12)は自動的に(13)となり、一期弘法付嘱書の「富士山本門寺(14)また百六箇抄の「富士山本門寺(15)」の御金言を偽ることができる。 これまさしく(16)の誑惑の(17)である。池田大作はこの陰謀の実現を、大石寺(18)に当る(19)年と定め、その慶讃法要の席上、(20)管長にこれを宣言させる心算であった。問四 三大秘法抄の文意を述べた訳文の□□を埋めよ。 「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、(1)が日蓮大聖人の仏法こそ(2)安泰・衆生(3)の唯一の正法であると(4)決裁して、これを(5)することである。 「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とは、王法と仏法が(6)した時の、具体的な(7)の姿相を示されたものである。すなわち日本国の(8)たる(9)も、(10)の衝に当る(11)も、全国民も一同に(12)を信じて(13)と唱え、この(14)を守護し泰るにおいては(15)も惜しまぬ(16)に立つ時である。大聖人はかかる状況が(17)の未来日本国に必ず現出することを確言され、その時を、戒壇建立の「時」と定め給うたのである。 「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、戒壇建立に際しての(18)の定めである。「勅宜」とは(19)の(20)、「御教書」とは当時(21)の令書、今日においては(22)の議決・(23)の決定がそれに当る。すなわち「勅宣並びに御教書」とは、まさしく正法を(24)し奉るとの(25)である。 大聖人はこの(26)を、なにゆえ戒壇建立の必要(27)と定め給うたのであろうか。それは、戒壇建立の目的は(28)の実現にあり、その(29)実現は、一(30)・一(31)あるいは漠然たる(32)の帰依などでは叶わず、国家が公式に三大秘法を(33)してこそ始めて実現するゆえと、拝すべきである。 「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは、富士山(34)である。 「時を待つべきのみ」とは(35)である。勧とは、広宣流布は(36)を的とするところであるから、(37)を惜しまず弘通せよとの(38)]。誠とは、広宣流布(39)に戒壇を立てることを禁ずるの意である。もし広布(40)に戒壇を立てれば(41)の実現も叶わず、一国において(42)肩を並べて(43)を容認することになるからである。 まさしく御遺命の本門戒壇とは、(44)の時、(45)を以て、(46)に建立される(47)戒壇である。問五 「国立戒壇」についての先師の文証と、細井日達および池田大作の自語相違の文の□□を埋めよ。 第五九世日亨上人は「唯一の国立戒壇、すなわち(1)の本門戒壇の一ヶ所だけが(2)でありて、その事は(3)に属する」と。 第六四世日昇上人は(4)の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。(5)こそ本宗の(6)なり」と。 第六五世日淳上人は「蓮祖は(7)を(8)とせられ、これを(9)と称せられた」と。 第六六世細井日達管長も曽ては「富士山に(10)を建設せんとするのが、日蓮正宗の(11)である」と。 池田大作も「(11)の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の(13)であり、また創価学会の唯一の(14)なのであります」等と正論を述べていた。 だが偽戒壇(15)建設の後は、細井日達は「国立戒壇は(16)の教義ではない」と曲げ、池田大作も「国立戒壇は’17)にはない」等と誑かし、御遺命を破壊せんとした。問六 本門戒壇の事と義について述べた次文の□□を埋めよ。 事とは(1)の意、義とは(2)・(3)の意である。すなわち(4)に定められた(5)が整った時に(6)の姿として建立される戒壇を(7)といい、それ以前に(8)のまします所を(9)という。 ゆえに日亨上人は「戒壇について、(10)にあらわるる(11)堂と、(12)の上で戒壇とも思えるのニつがある。(13)の堂は将来一天(14)の時に(15)で富士山下に建ち、乃至、それまでは本山の戒壇本尊(16)の(17)がまずその(18)に当る」と。 細井日達管長も曽ては「事の戒壇とは、富士山(19)を安置する(20)の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は(21)の時の(22)の戒壇であります」と。 だが細井日達は突如、事の戒壇の定義を改変して「この戒壇の御本尊在すところは(23)でございます。だからその御本尊が、たとえ(24)にあっても、あるいは唯今(25)に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする(26)に安置し奉っても、その御本尊在すところは’27)・(28)でも、そのところは即ち(29)であります」と述べ、また阿部日顕も「戒壇の本尊のおわします所、(30)ちに(31)である」と謀った。 だが日寛上人は「未だ(32)至らざる故に、(33)ちに(34)これ無し」と仰せられ、さらに事の戒壇建立の場所まで特定され「(35)の戒壇とは、即ち富士山(36)に(37)を建立するなり」と教示下されている。問七 次文は、阿部日顕の三大秘法抄曲会を総括した文、および正本堂の正体を明かした文である。□□を埋めよ。 阿部日顕は、池田大作に諂って、「王法」を「(1)と歪曲し、「王臣」を(2)と欺き、「有徳王」を(3)と諂曲し、「勅宣・御教書」を(4)とたばかり、「霊山浄土に似たらん最勝の地」を(5)と偽り、「時を待つべきのみ」を(6)欺誑し、以て(7)を否定して(8)の誑惑を助けた。 まさしく正本堂こそ、(9)は日蓮大聖人に背き奉り、また二祖(10)より六五世(11)に至るまでの歴代先師に違背し、(12)は(13)全信徒をたぶらかし、さらに(14)には(15)を欺いた偽戒壇であった。 ゆえに完成後、たちまち学会と宗門に不和が生じ、池田大作は学会員の(16)を禁じた。細井日達はこれを憤り「もしどこまでも(17)が来なければ、それは(18)を造ってもらって有難いけれども……もし(19)が来なくて、こっちの(20)が立たないと云うならば、御本尊は(21)へおしまいして、特別の人が来たならば、(22)を願う人があったら、(23)してよいと云う覚悟を、私は決めた」 と述べた。(24)が立たない」などとは何という言種(いいぐさ)であろうか。正本堂とは、かかる建物だったのである。
2011年01月21日
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参照Re:コメントレス 睦月さんそう言えば忘れてましたが、以前に顕正会(当時妙信講)の「日蓮正宗」の名称差し止めに関する裁判があったのでしたね。当時の昭和五十二年四月の裁判では、和解という形で、名称差し止めに関しては、宗門側は妙信講に対して当初から訴えていた「日蓮正宗」の名称を差し止める訴えを取り下げ、そして妙信講側も、日蓮正宗信徒としての立場を放棄するというような内容だった訳ですよね。しかし、宗門側が名称差し止めの訴えを取り下げたのは、あくまで妙信講が今後日蓮正宗信徒としての立場を主張しないというのが前提としてあった訳ですよね。しかし、その和解後も妙信講は日蓮正宗を名乗り、後に冨士大石寺顕正会と名乗るようになった訳ですが、世法上の解釈はともかく、仏法上はあきらかに顕正会は現在でも日蓮正宗(富士大石寺)を名乗っている訳ですから、これは和解の意思に反しているということにはならないのでしょうか?どなたか当時の裁判に詳しい方にご説明して頂けたら幸いです。和解の記録文を見たことがないので詳細は不明ですが、浅井会長が、和解の意志を守ることなど無いでしょう。 たしか、100万世帯達成まで、妙縁寺から持ち出した本尊を借用することになっていたはずですが、返却する気など毛頭無いて言動しか見受けられないですしね。参照Re:虚しいよね・・・ 元会員さん 顕正会のご供養ってただのお金の搾取ですよね。スケールはこっちの方が大きいですけど中国の明王朝の万暦帝の悪政みたいな感じです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%9A%A6%E5%B8%9D参考リンクを見ましたが、政治権力を持てば、浅井会長は悪王になれる素質はあるでしょうね。で、顕正会の供養に関しては、お金の搾取以外のなにものでもないでしょう。世間では年末募金ですが、顕正会では年末供養厚集め。ま、供養の名を利用した金集めでしかないですね。供養に期日を決めるのも変ですし、金額の設定自体、供養の精神からかけ離れてるでしょう。ただ、上限を決めているから、良心的と思わせたいだけの、詐○師の手法とおなじですね。参照回答 ANPさん全支部達成ではないのですが、私のところのお寺は寺報がなくて布教区の広報のみあります。総会の内容を書いたものです。詳細なデータが集まってませんが、布教区で広報誌を出してるところは、全支部が達成してる場所が多いみたいですね。そして、寺報とか発行も意欲的な気がします。折伏推進委員の方は、その辺の詳細を調べて、どのようにしていけばいいか検討する価値はあると思いますね。
2011年01月21日
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年末集金を考えての行動を掲載する、顕正新聞1月15日号より。【「広布御供養奉告勤行」奉修】「広布御供養」奉告勤行が十二月二十九日、本部会館の早朝勤行において浅井先生により奉修された。 この日、本部会館御宝前には、全会員の広布御供養の目録が供えられ、一千五百余名が参列した。勤行ののち、先生は、参列者一同に次のごとく御挨拶をされた。一千五百名の会員て、幹部ですよね。だから、本年末の集金の為めの布石記事でしょうね。【大聖人様に通ずる広布御供養その功徳は必ず我が身に具わる】 ただいま、全顕正会員の広布御供養の真心、謹んで大聖人様に御奉告申し上げました。 大聖人様は供養の功徳について、御書の各所に仰せ下されております。 たとえば、むかし得勝童子(とくしょうどうじ)という童(わらべ)は、釈迦仏の乞食行を見て、沙(いさご)の餅、砂で作った餅を供養した。その功徳によって百年後、インドに生まれて大王となったという。これが有名な阿育王であります。 また飢えたる世に、自分が食べるべき一杯の稗(ひえ)の飯を辟支仏(ひゃくしぶつ)に捧げた猟師は、後の世に大福運の長者となったという。これが釈迦仏の弟子の阿那律尊者(あなりつそんじゃ)であります。 釈迦仏に供養する功徳すらなおこのように大きい。いかに況んや末法下種の御本仏に供養し奉る功徳においておやです。 このことを妙楽大師は「供養有らん者は福十号に過ぐ」と。「十号」とは釈迦仏の十の呼称です。下種の御本仏に供養する功徳はこの十号に勝ると、釈しているのであります。譬喩を出してますが、供養する心が大事で、その中身ではないと言うことを言いたい譬喩ですね。で、福十号を出して、大聖人様にと強調する浅井昭衛。しかし、功徳を積ませていただける供養を年一回とは、功徳を積むチャンスを阻止してる悪人としか言えないでしょう。また、顕正会の場合、下限を決めているのは、此の譬喩にあるように、志であり、1円でも10円でもいい訳であり、1万円からじゃないと功徳を積むチャンスを持たせないとは、本当に無慈悲な浅井会長てことを、強調してる自滅記事でしょう。 あの上野殿は、信心のゆえに幕府に睨まれ、わずかな領地しかないのに不当な重税を課せられ、ために生活が窮迫し、地頭とはいいながら自身乗る馬もなく、妻子に着せる衣類も乏しかったという。 しかしその中に、身延山中にまします大聖人様の御身をいつも案じては、真心の供養を続けられた。その功徳、上野殿は晩年において、大石寺を建立するほどの大福運の長者となっておられる。大福運の長者てね。長者では無かったでしょう。供養をして、後に大福運の長者になれるような、利益信仰を強調するのが、浅井昭衛の手法でしょう。そもそも、現世に長者になってもあの世に持って行けないのですから、意味がないでしょう。 いまこの大不況の中、顕正会員はただ広宣流布を願って、広布御供養を大聖人様に供え奉った。この赤誠は、必ず大聖人様に通ずる。そしてその功徳は、必ず我が身に還り具わるのであります。 どうかこの旨を、みなさんから、組織の人々に伝えて頂きたい。以上。いままで、新聞に供養の報告記事が出たことはありません。記事には出なかったが行われていたか?・・・ご存じの方がいたら、コメントをお待ちしております。さて、今回でた記事をどう見るか?・・集金金額が少なくて、年末を見て、この話を幹部がだして、供養を募るための布石ではないかと見るか?・・・それとも、思ったより供養が集まったから、もっと、搾り取ろうとの魂胆なのか?・・・どちらにしても、供養の名を借りた金集めでしかないですね。 年1回しか、顕正新聞の合併号を出さなくなって、資金繰りが少し厳しくなってきたんでしょうかね?・・・ま、浅井会長以下、上級幹部や役員の報酬、給料を下げればいいのにね。
2011年01月20日
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相変わらず編集発刊が遅い、顕正新聞1月15日号より。【日蓮大聖人に背くゆえに 災いを千里の外より招く】 「十字御書」に宣給わく 今正月の始めに法華経を供養しまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし。 今日本国の、法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねき出せり。此れをもってをもうに、今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。正宗では、新年は「十字御書」とさんざん言っていたから、今回は、十字御書を出してきたのかな?・・・ 全国の顕正会員の皆さん、平成二十三年の新春、明けましておめでとうございます。(おめでとうございます) ただいま、本年始めての元旦勤行が行われましたが、本部会館をゆるがす全顕正会員の一糸乱れざるこの力強い勤行こそ、広宣流布を無頼する地面の菩薩の熱き息吹であります。勤行をしただけで、ゆるぐ程度の会館なんですか?・・・^^ 今年は元日から、首都圏を除いて列島全域に悪風が吹き荒れ、大雪が降っております。元旦早々のこの悪風、これからの日本の姿を表わしているかのごとくであります。 この濁悪の日本国において、いよいよ本年、日蓮大聖人の御遺命を奉じて立つ顕正会が、一五〇万の弘通を達成するのであります。 日蓮大聖人の御遺命とは、広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。国立戒壇を建立してまず日本を仏国となし、さらに地球上を寂光土と化し全人類を救わん――これが大聖人様の大願であられる。 ゆえに国立戒壇の建立の大事を、別しては日興上人に、総じては全門下に御遺命あそばされたのであります。 だが、広宣流布の前夜になって、魔にたぶらかされた池田大作は「国立戒壇を主張すれば選挙に不利になる」として、忽ちに国立戒壇を捨て、俄に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。そしてあろうことか、時の貫首まで学会にへつらい、これを承諾してしまった。 この御遺命破壊を見て、もし黙っていたら、大聖人に対し奉る不忠これに過ぎるはない。 ゆえに顕正会は立ち上がり、連々と諫暁したのであります。 池田大作は顕正会の口を封ずるため、宗門に顕正会を解散処分せしめた。 宗門の解散処分を受けて、弱小非力の一講中がどうして保つか。潰れて当然であります。 ところが顕正会は潰れもせず、ついに今、日本国を独走する一五〇万の仏弟子の大集団となったのです。こんな不思議なことはない。 これ偏えに、大聖人様が、けなげに御遺命を守り奉る顕正会をごらんあそばし、「不憫である」と御守護下された。そして「御遺命を守り奉った顕正会こそ広宣流布に御奉公せよ」と命じ給うたのです。ここに現在の顕正会の姿があるのであります。解散処分、解散処分て、本当にくどいですね。もう、ここまで執着するのは、怨念と変わらないでしょう。講中解散処が妙信講の口を封ずるて、言論の自由があるのですから、解散処分になろうが、口を封ずることにはならないでしょう。で、たかが講中解散でつぶれて当然てのも違いますね。あの、オウム真理教自体、未だに存続してるのですから、たかが講中解散処分でつぶれることなど無いでしょう。結局は、浅井昭衛自信が行った行動で、信徒除名になったことを恨んでるとしか思えない発言でしかないでしょう。【災いを千里の外から招く】 ただいま拝読の御書に「今日本国の、法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねき出せり」と。 これ、当時の日本国が、日蓮大聖人を怨み敵対し、ついに大蒙古国の責めという大罰を受けたことを仰せられている。 当時の日本国にとって、大蒙古国がどれほど恐ろしい大国であったか。兵衛志殿御返事には「一閻浮提のごとくなるかたき」とも仰せられている。 まさに大蒙古こそ、ユーラシア大陸を征服した、地球規模の侵略的大国家だったのです。 そして今、中国も同じく「一閻浮提のごとくなる」侵略国家になりつつある。その急激に膨張した軍事力は、マグマのごとく世界各地に噴き出して軋轢(あつれき)を起こしている。 そしてその侵略の鉾先が、いよいよ日本に向けられてきたのです。その第一段階が、昨年九月の尖閣諸島沖領海侵犯であり、さらに朝鮮半島、台湾の緊張状態であります。 この災いは何によって起きるのか。 これ「法華経をかたき」とするゆえであります。 日本はいつまでも日蓮大聖人に背き続けている。そのうえ正系門家まで大事の御遺命に背き奉った。ゆえに諸天はもうこれを許さず、ここに隣国が日本に侵略の意志を懐くのであります。 この根本原因は、政治家も学者も軍事評論家も、誰一人知らない。これを知るのは、日本国の中には、ただ大聖人様の弟子たる顕正会だけです。 よって顕正会は連々と「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」と叫び続けているのであります。何でもかんでも、侵略とか亡国とかに結びつけたがる浅井昭衛。 大聖人様に背きと言うより、当時、法華経を保つ人々と言われてる部分でしょう。だから「今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。」と、法華経を保つ人は幸いをと言われてるのです。近代で言えば、法華経を保つ宗派は多いですが、日蓮大聖人様の仏法となると別ですね。で、ここで、大聖人様の御遺命を守る顕正会員はて、出てこなかったところを見るに、そこまで頭が回らなかったんでしょうね。【広宣流布は直線コース】 中国はすでに、人民解放軍の将軍たちが実力を得て、実際の政治を動かすにいたっている。その証拠に、将軍たちの発言を、胡錦濤・温家宝等の政治家が追認している光景がしばしば見られる。 これら人民解放軍の将軍たちは、戦争推進一本槍であります。 ゆえに、中国の日本侵略も最終段階、これを迎え撃つ顕正会の御奉公も最終段階、広宣流布は直線コースに入っている――と私はいうのであります。 この時に当って、日本国に、日蓮大聖人に忠誠を貫く一五〇万の地涌の大集団が出現せんとしている。その意義の重大さは言葉には尽くせない。 大聖人様は顕正会の戦いを御覧あそばす。そしてお待ちあそばす。 さあ一人ひとりが、大聖人様から功徳を頂きつつ、全員でこの一五〇万大法城の石垣を、歓喜の中に積ませて頂こうではありませんか。以上。150万、150万と叫んでも、1千万の誓いは消えることはありません。理論書283ページを見れば、平成25年までに一千万と誓いを立ててますよ。このネタは、平成26年までは、ことあるごとに使い回しますし、今更、理論書を改訂しても、もう遅いですけどね。 あがけばあがくほど、自滅の道を進んでる、浅井昭衛ですね。
2011年01月20日
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誓願目標達成寺院の皆様、おめでとうございます。北海道第一布教区 * 日正寺 * 大慈院 * 聞佛寺 * 正法寺 * 成妙寺 * 深妙寺 * 法弘寺 * 信隆院 * 護念寺 * 久昌寺 * 知法寺 * 興教寺 * 興正寺 * 本久寺北海道第二布教区 * 宝龍寺 * 安立寺 * 志願寺 * 開道寺 * 法清院 * 妙峰寺北海道第三布教区 * 興徳寺 * 得成寺 * 法眼院 * 妙立寺 * 長円寺 * 法海寺青森布教区 * 玄中寺 * 専妙寺 * 行妙寺 * 法典院 * 速成寺 * 法浄寺 * 東漸寺 * 具道寺岩手布教区 * 感恩寺 * 得道寺 * 専正寺 * 東光寺 * 安穏寺 * 法王寺 * 宝器寺 * 本寿寺 * 妙応院 * 常説寺秋田布教区 * 妙華寺 * 法種院 * 能信寺 * 寿泉寺 * 勝法寺 * 正境寺 * 本要寺 * 法説寺山形布教区 * 正命寺 * 実説寺 * 信妙寺 * 法益寺 * 法樹院宮城布教区 * 一乗寺 * 上行寺 * 仏眼寺 * 日浄寺 * 妙教寺 * 福量寺 * 善修寺 * 信正寺 * 妙遍寺 * 妙圓寺 * 広安寺 * 大聖寺 * 徳妙寺福島布教区 * 広布寺 * 妙法寺 * 法船寺 * 寿海寺 * 実成寺 * 正徳寺 * 万宝寺 * 満願寺 * 広宣寺栃木布教区 * 蓮行寺 * 真修寺 * 信行寺 * 真徳寺 * 覚徳寺 * 教徳院 * 顕照寺 * 楽大寺 * 仏城寺 * 仏行寺群馬布教区 * 最勝寺 * 覚王寺 * 本応寺 * 勝妙寺 * 浄蓮寺 * 浄法寺 * 常行寺 * 善成寺 * 正見寺 * 正林寺茨城布教区 * 本妙寺 * 光顕寺 * 照境寺 * 法正寺 * 法高寺 * 興源寺 * 正善寺 * 本證寺 * 行道寺 * 法悦院埼玉布教区 * 妙本寺 * 法生寺 * 能持寺 * 正興寺 * 宣行寺 * 妙乗寺 * 本泰寺 * 開徳寺 * 仏説寺 * 真教寺東京第一布教区 * 本行寺 * 常在寺 * 妙國寺 * 妙證寺 * 本修寺 * 白蓮院東京第二布教区 * 昭倫寺 * 法忍寺 * 仏寿寺 * 大願寺 * 仏乗寺 * 大修寺 * 常修寺事務所 * 妙安寺 * 善福寺 * 妙真寺千葉布教区 * 法道寺 * 一月寺 * 仏心寺 * 蓮清寺 * 本乗寺 * 真光寺 * 本城寺 * 自得院 * 法経院 * 正願寺 * 浄徳寺 * 智妙寺 * 妙聡寺神奈川布教区 * 応顕寺 * 大歓寺 * 蓮久寺 * 宣法寺 * 大経寺甲信布教区 * 法修寺 * 信盛寺 * 威徳寺 * 妙照寺 * 妙相寺 * 常楽寺 * 実境寺 * 開法寺 * 恵光寺 * 大教寺 * 覚宝寺 * 正光寺 * 有明寺 * 白蓮寺 静岡北布教区 * 蓮光寺 * 下之坊 * 法明寺 * 寿命寺 * 法善寺 * 要行寺 * 妙泉寺 * 忠正寺 * 妙蓮寺 * 本妙寺 * 心教寺静岡東布教区 * 本広寺 * 蓮興寺 * 蓮興寺蓮華講 * 龍眼寺 * 本円寺 * 養源寺 * 蓮徳寺 * 持妙寺 * 持妙寺妙華講 * 慈光寺静岡西布教区 * 妙盛寺 * 寿量寺 * 順妙寺 * 正説寺 * 妙重寺 * 法音院 * 遠信寺 * 宣正寺新潟布教区 * 教光寺 * 実行寺 * 妙護寺 * 正安寺 * 正覚寺 * 専光寺 * 聞正寺 * 信善寺 * 一道寺 * 法秀寺北陸布教区 * 善済寺 * 妙顕寺 * 福徳寺 * 本徳寺 * 妙喜寺 * 最教寺 * 大興寺 * 浄源寺 * 是生寺愛知東布教区 * 泰福寺 * 仏土寺 * 正啓寺 * 勧持院 * 教明寺 * 久修寺 * 開源寺 * 法布院愛知西布教区 * 普宣寺 * 妙道寺事務所 * 本長寺 * 浄顕寺 * 興道寺 * 妙経寺支部 * 妙通寺三重布教区 * 普見寺 * 浄修寺 * 顕要寺 * 本慧寺 * 妙徳寺 * 仏境寺 * 蓮昌院 * 仏徳寺 * 光徳寺岐阜布教区 * 本玄寺 * 久成寺 * 経行寺 * 開顕寺 * 経説寺 * 長昌寺 * 得浄寺 * 慧日寺 * 本栄寺北近畿布教区 * 本地寺 * 啓道寺 * 慧照寺 * 法乗寺 * 法妙寺 * 法源寺 * 若法寺 * 本縁寺京都布教区 * 妙清寺 * 宣照寺 * 住本寺 * 本感寺 * 顕妙寺大阪北布教区 * 妙栄寺 * 浄妙寺 * 覚仁寺正義講 * 聖教寺 * 調御寺 * 経王寺 * 本説寺 * 妙恵寺 * 本教寺 大阪南布教区 * 本伝寺 * 妙輪寺 * 善正寺 * 法住寺 * 興妙寺 * 順行寺 * 弘妙寺 * 平等寺 * 栄正寺 * 澄明寺 * 実法寺 * 正円寺南近畿布教区 * 妙住寺 * 仏覚寺 * 見仏寺 * 寧楽寺 * 隆妙寺 * 宝相寺 * 覚法寺 * 真福寺 * 福生寺 * 妙海寺兵庫布教区 * 善本寺 * 妙言寺 * 浄教寺 * 正蓮寺 * 妙永寺 * 徳成寺 * 浄福寺 岡山布教区 * 宝清寺 * 法命寺 * 究竟寺 * 音教寺 * 妙霑寺 * 法龍寺 * 妙種寺 * 園林寺 北中国布教区 * 日香寺 * 法真院 * 常福寺 * 蓮照寺 * 大善寺広島布教区 * 正教寺 * 興福寺 * 円照寺 * 開妙寺 * 本浄寺 * 長妙寺 * 順正寺 * 善聴寺 山口布教区 * 妙宝寺 * 法蓮寺 * 大栄寺 * 弘法寺 * 覚正寺 * 妙頂寺 * 普照寺 * 本因寺 * 興本寺 * 防府教会香川布教区 * 福成寺 * 妙行寺 * 正伝寺 * 城山寺 * 玉林寺 * 立正寺報恩講 * 龍王寺 * 西山坊 * 泉要坊 * 城山教会愛媛布教区 * 明海寺 * 善覚寺 * 正顕院 * 応供寺南四国布教区 * 敬台寺 * 成顕寺 * 皆妙寺 * 妙眼寺 * 法信寺 * 照栄寺福岡東布教区 * 普遍寺 * 妙境寺 * 要言寺 * 徳蔵寺 * 法貴寺 * 法縁寺 * 常照寺 * 遍照寺 * 正妙寺福岡西布教区 * 霑妙寺 * 本仏寺 * 妙流寺 * 法恵寺 * 教説寺 * 宣明寺 * 諦聴寺 * 信法寺西九州布教区 * 了源院 * 覚源寺 * 本隆寺 * 法光寺 * 弘宣寺 * 法義寺 * 広大寺 * 法敬院 * 聞法寺 * 宣妙寺 * 法成院 * 法通院熊本布教区 * 涌徳寺 * 護命寺 * 真法寺 * 正宣院 * 知広寺 * 法観寺 * 長照寺大分布教区 * 本土寺 * 得妙寺 * 寿福寺 * 妙益院 * 法柱寺 * 蓮覚寺 * 善妙寺宮崎布教区 * 定善寺 * 仏知寺 * 妙善院 * 本源寺 * 法蔵寺 * 妙長院 * 善教寺 * 本蓮寺 * 寿正寺 * 実報寺 * 専唱寺南九州布教区 * 西大宣寺 * 正遍寺 * 海王寺 * 仏命寺 * 慈海寺 * 浄願寺 * 恵楽寺 * 蓮秀寺 * 深教寺 * 立安寺 * 光明寺 * 妙隆寺 * 仏法寺 * 唱行寺特別布教区 * 報恩坊 * 理境坊 * 久成坊 * 浄蓮坊 * 総一坊 * 石之坊 * 蓮成坊 * 蓮東坊 * 広布坊 * 遠信坊 * 東之坊 * 妙住坊 * 南之坊蘇生講 * 理境坊妙観講国 名 寺院・布教所・事務所アメリ力 * 妙法寺 * 妙説寺カナダ * バンクーバー布教所アルゼンチン *アルゼンチン布教所スペイン * 妙昌寺ガーナ *法華寺韓 国 * ソウル布教所 * 釜山布教所台 湾 * 本興院 * 法秀院 * 正行院 * 妙行院 * 本照院香 港 * 香港事務所シンガポール * 開妙院セルビア -インド -スリランカ -スイス -ドイツ -【全支部達成布教区】青森・岩手・宮城・新潟・静岡西・愛知東・岐阜・北近畿・大阪南・山口・熊本・南九州全支部達成布教区の皆さんに質問です。寺報以外に、布教区の広報とは、発行されているでしょうか?・・・
2011年01月20日
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参照Re:現場は辛いけど・・・ 霜月改め睦月さんところで自称「冨士大石寺顕正会」への名称差し止め裁判は起こさないのですかね。正信会は一応は僧侶主導の組織で、それなりに富士門流の化儀化法を行じている団体ですが、顕正会などは、似て非なるどころか、もはや似てすらもいない新興宗教団体の上に、本部をはじめ、各会館施設を家宅捜査されるような団体なのですから、このような教団に本宗の名称を名乗られるのは、はっきり言って正信会以上に甚だ迷惑な話です。是非宗門には、顕正会に対しても名称不使用の裁判を起こしてもらいたいものですね。「冨士大石寺」の名称差し止めは難しいと思います。尖閣問題でも出てきましたが、「大石寺(おおいしてら)」と似たような寺院名があります。そして「冨」「富」の違いもあるから、別物とか言い出すこともあるのではと思うのです。で、法人所得には「顕正会」だけですし、自称・冨士大石寺顕正会と名乗っても、名称差し止めは難しいと思うのです。ただ、出来るとしたら、民事の方で、家宅捜索を受けた顕正会。その自称名称で、当宗の名誉を毀損される誤解が生じたので、それに関しての裁判なら出来るか?て程度だと思います。ま、どちらにせよ、紛らわしい名称を使うこと自体、本当に迷惑ですね。御遺命を捨てた「日蓮正宗」を名乗るのもと浅井昭衛自信述べているのですから、その御遺命を捨てた、「大石寺」の名称も使わないのが、道理でしょう。結局は、浅井昭衛お得意の自己中心的、ご都合主義なんですよね。
2011年01月20日
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継命新聞1月15日号より【稚拙にすぎる正信会批判】 昨年11月、早瀬宗門から正信会批判の「正信会問題の沿革」なる冊子が刊行された。その内容は従前の正信会批判と何ら変わらぬものであるが、正信会の信徒に向けて、阿部早瀬両師の支配する宗門に還っておいでという勧誘らしい。時が流れて既成事実がすべてに優先と考え、阿部・早瀬両師の語るすりかえが通じるとでも思ったのだろうが、自ら起こした名称裁判でその地位を認められなかったと同様に天につばすることとなるは必定。【法主簒奪の罪科】 発刊に当たってでは「正信会問題の推移を解りやすくまとめた」というが、あいかわらず阿部・早瀬宗門に都合良く事実をねじ曲げてつなぎ合わせたにすぎない。約三十数年前、濁流のごとき池田学会の邪義謗法と非道をただしたのは誰なのか、逆に池田学会と内通して日達上人や正信覚醒を願う僧俗を裏切っていたのは誰なのか。冷静に歴史を検証すれば阿部師とその与党の悪逆は明らかである。節操もなく我田引水の上に正信会を非難することはまさに天につばする行為といえよう。 現在の早瀬宗門は昭和54年7月、日達上人の御遷化を襲い、法主管長の座を奪った阿部日顕師による傀儡の宗門である。阿部師は虚言によってその座を奪ってからほしいままに権力をふるったものの、自らの相承については偽りであるからまったく証明できず、今に続く混乱の元凶となっていることは宗の内外の常識である。我われ正信会との訴訟でも「いつ・どこで・どのようなかたちで」を明らかにすれば良いだけの、極めてシンプルな答えにも対応できなかったことは御承知のとおり。 彼らは「大御本尊をはじめとする下種仏法の一切は、日興上人以来の御歴代法主上人によって、現代まで日蓮正宗総本山大石寺に正しく伝えられてきました。よって、大聖人の仏法を受持し、一生成仏を願うならば、総本山大石寺に伝わる唯授一人の血脈を尊崇し、現御法主・第六十八世日如上人のもとに信仰することが必要不可欠です」という。あまりに単純で歪んだその血脈観についてはあきれてしまうが、仮りにその理屈を認めたとしても、阿部師への相承がまったくの偽りであったのだから、この一点だけでも彼らの論理と主張が成り立たないことは自明である。その証左として一昨年、彼らは正信会の一部寺院・布教所に対して日蓮正宗の名称を使用させないとする訴訟を起こしたが、一審・二審ともに原告を認定することができないとして、訴えそのものが却下されている。すなわち、原告の早瀬日如がはたして日蓮正宗の法主・管長であるかを裁判所は判断できないというのである。それは早瀬師を日蓮正宗の法主・管長であると認定するためには、早瀬師の任命権者である阿部日顕師の正当性を認めなければならないが、阿部師の地位を認証することはできないということに基因する。すでに最高裁では正信会による「阿部師の地位不存在について」の訴えに対して、阿部師の地位について、最高裁は判断しないという結論を出しているのであるから、その延長線上に展開される争訟には関わらないということであろう。 いずれにせよ早瀬宗門僧俗の思い込みや願望とは裏腹に、客観的事実として阿部・早瀬両師の地位が司法によって正当と認定されてはいないのである。【悪しき権威主義】 彼らは「唯授一人の血脈を否定する正信会とは直ちに縁を切り、本宗寺院に所属しなければなりません。―略―日蓮正宗に一刻でも早く帰られることを祈ってやみません」というが、ここには創価学会が利用した悪しき権威主義の残滓を見る思いがする。否、現在の早瀬宗門にはすべてが実態を無視した悪しき権威主義が横行しているといってよい。彼らの主張の中心には常に「仏法とは道理なり」という宗祖のご精神ではなく、「日蓮正宗(教団)への帰依」が強調される。しかし、その内容は検証されることもなく確かめられることもない。現在、日蓮正宗を実効支配している阿部・早瀬宗門に、ただ一方的に従えというのであるから乱暴に過ぎる論理。まして、その座は虚言によって奪い取ったものであるから笑止千万である。 現在の阿部・早瀬宗門のような唯物的本尊観と貫主本仏的な血脈観、その背景にある徳川幕府体制下の本山統治主義のような主張には、単純な権威主義がにじみでている。「御法主上人が・本山が」といえば、皆黙って従うものという誤った権威主義がはびこっているのである。 宗開両祖は依法不依人の誠めを常に仏道の基本とされていた。ひたすら妙法への帰依を説かれその信仰を尊重されたが、統治を第一義とする世俗的な権威主義をそのまま容認されることはなかったのである。この一事をみても早瀬宗門の信仰的誤りは明白であろう。とりあえず、反論だけしとこうと言う趣旨の内容って感じですね。「創価新報」1月19日号より 相承なきニセ法主・日顕、日如のみっともない悪あがきに、宗内からもため息が漏れている。 昨年11月、日如は、正信会問題の沿革―迷走した正信覚醒運動―」なる冊子を発刊。「新刊書籍の御案内」なる通達とともに、宗内にバラ撒いた。 正信会とは、昭和52年の宗門事件で日顕の血脈相承を否定して、宗門を締め出された坊主と信徒のグループである。 通達では、正信会との騒動について、「問題の経緯やその本質が明瞭に理解できる内容となっております」などと書いているが、まったくお笑いである。 今回の駄本発刊の背景には、宗門が、正信会との裁判で惨敗し続けている焦りと動揺がある。 その裁判とは、正信会寺院のうち34力寺が、寺の看板等に 「日蓮正宗」という名称を使っていることに対して、宗門側から名称使用の差し止め等を求めて起こしたもので、現在、1審(東京地裁)、2審(東京高裁)とも日顕宗が敗訴している。 正信会側は、そもそも、原告代表者と称している早瀬日如は、日達法主から相承を受けていない詐称法主の阿部日顕により次期法主として選定された。従って、原告の代表者たりえず、裁判自体が成立しないと主張。 これに対して宗門側は、日顕の血脈相承を裏付ける証拠を何一つ提示できなかった。 さらに、宗門側は、改正した宗規の「管長推戴会議は、法主となった者を新管長に選定する」との条文の解釈について、新管長の要件は、実際に「法主となった者」ではなく、推戴会議の構成員らが、「法主となった者」と゛認識゛さえすれば管長に就任できるという、何とも珍妙な論を展開。 つまり、実際に相承を受けた法主でなくても、推戴会議の構成員が「法主となった者」と認識すれば、管長になれるというのである。 これでは血脈相承などあったものではない。 苦し紛れとはいえ、宗門の根幹であるはずの相承を自ら否定するとは前代未聞。しかし、裁判でこんな幼稚な屁理屈が通用するわけもなく、1、2審とも、宗門側の主張は一蹴された。わざわざ冊子まで出して事実を検証するならば、せめて裁判で出せなかった相承に関する物証や証人が出てくるのかと思いきや、肝心の相承については、「御相承について『証明』などと言い出すこと自体、信仰の筋目を全くはき違えています」などと逃げの一手を打つ始末。 これには宗内坊主からも「恥の上塗りだ」「何のために冊子を出したのか」と非難囂々。 他に書いてあることといえば、「(相承は)御当代法主上人と次期法主上人とのお二人の間でなされるものであり、そのほかの者は、その内容の一分すら、窺い知ることはできません」と、これまで破折され尽くした大ウソの言い逃れ。 日顕の前代である日達法主が相承を受ける時や、その前の日淳法主の時など、歴代法主の相承の模様は、宗門の機関誌「大日蓮」に克明に記録され、一般信徒にも公開されている。 なぜ日顕には、それができないのか。 結局、駄本では、「昭和53年4月15日、日顕上人へ血脈を御相承(内付)あそばされました」と言い張るだけで、4月15日の、いつ、どこで、どのように相承がなされたかについては、これまで通り、何一つ答えられていない。 言い訳すればするほど、惨めで哀れな失態をさらすだけ。今回の冊子発刊も、単なる゛負け犬の遠吠え゛に終わっている。正信会の問題に便乗した内容ですが、当事者より、一生懸命なところがいいですね。ま、この書籍が出て読んでみたのですが、予想できる反論内容でしょう。そして、正信会問題に関しては、僧侶が出て行って話をすればいいだけでしょう。それが、「実践行動の年」の本年に当てはまるし、正信会信徒を個別に折伏に行くより、効率的でしょう。まして、正信会側の僧侶は、話し合いの場を待っているのに、日蓮正宗側が避けてるということなので、ぜひ、本年は、僧侶主導の行動をしめしてもらいたいです。 なにか顕正会では、300万の後退だけではなく、男子部結集が10万から5万に変更になったみたいですが、これが事実なら、もう、顕正会も末期でしょうね。
2011年01月19日
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参照ミラーサーバーの動画 ANPさん動画を見ようとしたら再生できませんでした。何か問題でもあるのでしょうか。原因は不明ですが、しばらく放置していたので、ファイル凍結か削除状態で、再生が出来ないと思います。
2011年01月19日
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参照Re:コメントレス&50万記念?・・・(01/16) ANPさん水無月さん、山門入り口さん大変ありがとうございました。お忙しいところすみませんでした。向上心を持つことは、大変良いことですし、これからもどんどん疑問・質問がありましたら、気軽にしてくださいね。Re:コメントレス&50万記念?・・・ 元会員さん50万いったんですねいろんな視点から顕正会について詳しく書かれてますからなるほどって思いながら読んでましたσ( ̄▽ ̄;)うれしいお言葉、ありがとうございます。顕正会問題をどのように伝えたら、うまく伝わるか日々悩んでますが、少しでも顕正会問題を考えるための手助けになれば幸いです。Re:コメントレス&50万記念?・・・ 911さんおめでとうございます。現役の顕正会員にも参加して貰いたいですね。本当に、現役会員さんに登場してもらいたいです。教義論争でも、また、普通の話でもいいから登場してもらいたいと思ってます。さて、フリーページに、興師会・宗祖お誕生会の記事を掲載。顕正会では、宗祖の誕生会が行われない、不恩の団体ですから、ぜひ、今年は宗祖の誕生会を開催してもらいたいですね。そして、顕正新聞平成6年5月5日号をUP. 顕正新聞と言えば、今回も発刊が遅いですね。年末合併号なので、新年号の準備をしていたはずですし、次号の15日号の準備期間はあったはずですし、さすが、顕正新聞編集部は、有能な人材が豊富ですね。
2011年01月17日
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50万ヒット!ありがとうございます。顕正会問題をメインに扱ってる、マイナーなブログですが、閲覧者の皆様のおかげで、顕正会問題を扱ってる場所としては、そこそこの結果を出せたと思っております。 これからも、いままでのスタンスは変えないで、地道に更新をしていきますので、陰ながらでも良いので、声援のほどよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m記念企画が~て、特に無いので、顕正会映像のミラーサーバーを作っておりましたが、もう、必要がないと思うので、公開します。参照最近の映像は載せてませんが、YouTudeで消されてしまった、映像はだいぶ残ってます。 ちなみに、管理者本人もどのような映像をUPしていたか、覚えてません。(^^;コメントレス。参照質問 ANPさん資料の件はメールで送ったと思います。質問ですが、大化城という建物があったそうですが何だったんでしょうか?あと跡地には現在何がありますか?冨士美術館 水無月さん以前は普通に「富士美術館」所蔵の美術品の一般公開をしてましたが、いまや大石寺に学会員はほとんど行きませんので学会が開けておいても無駄だと判断して、所蔵品を東京富士美術館に移設し、運営から手を引いたのでしょう。その後は宗門の建物として運営されているようですが、運営費もバカにならんでしょう。まずは「検索」しましょう 水無月さんこまごまと質問を出すよりも、まずは「検索」をかけてみることをお勧めします。「大石寺 大化城」をキーワードにしてみると色々と出てきますよ。調べたのですが・・・ ANPさんいろいろと調べたのですが大化城が何だったのかはわからずじまいです。また、富士美術館もなかなかサイトがなくて・・・・・Re:調べたのですが・・・(01/15) 水無月さん>ANPさん大化城は僧侶のか信徒のかは分りませんが「休憩施設」だったようです。昭和63年に解体されてしまい、現在はその跡地一帯は広場になっているようです。富士美術館についてはInternet Archive Wayback Machineを使って、過去のログを拾ってみるのもひとつの手ですが、方法についてはご自分でお調べになってください。あ、そうそう。Internet Archive Wayback Machineですが、携帯ではアクセスしないほうがいいですよ。水無月さん。懇切丁寧な、回答ありがとうございます。ANPさん。検索されても解らなかったと言うことなので、調べても解らなかったと、一言添えていただければ、解る方が回答してくれるかも知れません。ちなみに、山門も解らなかったので、検索をしてみましたが、答えが見つかりませんでした。そして、手持ちの書籍をあさってみましたら、質問の回答を見つけることが出来ましたが、水無月さんが回答してくれたので、補足程度で。富士美術館に関しては、省略させていただきますが、「大化城」に関しては、現在の客殿前広場に大化城がありました。日帰り登山者の休憩房として使用されていて、120畳の広間が8室あったと言うことです。それにしても、大化城一つで顕正会々館、何個分かと思うと、デカい建物だったんでしょうね。 資料整理のために設備投資をしたのですが、クオリティーの高い資料保存をと考えていたら、マシンパワーが厳しく、UPするにしてもファイルサイズが大きくなりすぎて、妥協できる範囲にするために、試行錯誤してます。 一番理想なのが、切り貼りの再編集なのですが、1ページを編集するだけでも時間が掛かり、いまいち理想的じゃないとなぁ~て・・・
2011年01月16日
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参照コメント ANPさん富士美術館が宝物殿になってからの後は見に行きました。色々な物がありましたので、よかったです。私が言いたかったのは宝物殿より前の富士美術館には何が展示されていたかということです。宝物殿は見に行かれたんですか。(^^;富士美術館の返還以前ですが、学会問題勃発後は、展示展はほとんど開催されてないと記憶してます。で、破門以前は、絵画展等の展示展を定期的に開催していました。常時何かを行っていたのかは不明ですが、学会員の方がコメントをしてくださるかな?・・・と密かな期待を込めて。^^ さて、サンビャクマンさんのブログが更新されてました。「後退する顕正会を見つめ続けて」記事一部転用。1月14日の聖教新聞に「神奈川男子部が5000人の大会」という記事が掲載されていました。場所は横浜文化体育館とのことで、念のためだが会場の収容人員などを確認してみましたが、同所のHPによると、2階席1723、3階席504、アリーナ内仮設着席数3024とのことで、5000を少し超えるぐらいとなります。公称827万世帯と言われる学会ですから、神奈川男子部だけで5000人集めるのなど簡単なことでしょう。かたや顕正会といえば、一昨年の3月20日、神奈川県民ホールで四者あわせて4017名が参加した(顕正会発表)「神奈川決起集会」を行い、浅井会長がその集会に寄せたメッセージには「明年(2010年)2万人の神奈川大会を開き、相模の国より広宣流布の烽火を上げる決意」と仰々しく書いておきながら、昨 2010年に「2万人の神奈川大会」なぞ開かれもしませんでした。創価学会の神奈川男子部大会の記事は見ましたが、五千人も結集できるのなら、その中の有志が、顕正会対策とかしてくれる方とかいないのかと、思った次第です。(中略)「神奈川県民ホール大ホール」の収容人数は、公式HPによると2432席です。通路まで入れても4017名というのはどうも胡散臭いですね。大本営発表の水増し発表確実ですね。通路とか入れても三千名も厳しいでしょう。結集もかけていたわけですし、参加人数の大体の数字はわかっていたのですから、会場に予想以上の人数が集まった。と言う、言い訳は通用しませんね。完全に、消防法を無視した確信犯行為でしかないでしょう。さて、今年「20000人の神奈川大会」はあるのか?そして浅井会長が2008年に「3年以内にヤル」と宣言していた「1000人の台湾大会」はいよいよ今年が最終期限。本年も神奈川二万人大会は、開催されないでしょう。二万人も神奈川で会員を結集することは無理ですし。(笑)そして、台湾大会は、会場の調査とか出来ないから、水増し発表で開催する可能性もありますが、お金が無いから厳しいかもしれませんね。大会と言えば、北海道の三千人大会。九州の一万人大会とか、開催されるのかな?・・・ 詳細な内容は、サンビャクマンさんのブログで確認してください。 企画準備で、ネタ作りもままならない今日この頃なのですが、きな臭い情報がだいぶ流れてきてます。 また、宗門関係でも、困ったことが明るみに出てしまいましたね。 個人的には、設備の増強をしたので、資料の提供方法とかも考えなくてはと思っています。
2011年01月15日
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参照Re:コメントレス 大将さん水無月さん・管理人さん ありがとうございました~早速明日いってみます!何かの面白い発見などありましたら、ぜひ、コメント欄にでも発表してくださいね。質問&関係ない?資料 ANPさん前に富士美術館に関する記事がありましたので質問させていただきます。そこには何が展示されていたのでしょうか。また関係ありませんがケンショーはどうして富士を冨士と書くのでしょうか?あと学会の資料が家に少しあるのですが・・・(戸田会長逝去すぐの折伏教典など数冊)一昨年には、大石寺の宝物展を開催してましたが、現在は行われていません。個人的には、登山がある日は、公開してもらいたいです。顕正会が「富士」を「冨士」と書くのは、はっきりとした理由はわかりませんが、宗祖の時代に「冨士」と表現されていたからか?顕正会日寛上人が書かれた「冨士」て文字から「冨士」と表現するようにしたかのどちらかではないかと思います。資料がお手元にあると言うことなのですが、折伏教典の発行年月日とか教えていただけないでしょうか?ほかの資料も凄く気になります。当方が持ってないものなら、お貸しいただくか、譲っていただきたいです。詳しくはメッセージか、メールをしていただけると幸いです。sanmoniriguti@yahoo.co.jpコメントレスなんにしろくだらない。 numbさん沖縄はもともと先祖崇拝。お葬式や法事で坊さんを読んで経はあげるものの、仏神をあがめたりはしていません。沖縄の運命がどうとかおっしゃられていますが、それはあまりに酷い勘違いですね。この方の日蓮大聖人様にも失礼です。仏教でもそれぞれ教えが違ってきますが、共通するのは「慈悲の心」だとわたしは考えます。慈悲の心に驕り高ぶったような考え、行動発言は教えを説いた神々に対して失礼きまわりないどころか、教えの本質を見失ってはいませんか?沖縄県民の方は、神仏を崇めたりしていないのですか。大変勉強になりました。ありがとうございます。さて、顕正会・浅井昭衛会長の発言ですが、「慈悲の心」があるようでない。上っ面の、口先だけだと思います。 numbさんのおっしゃるように「慈悲の心に驕り高ぶったような考え」は、ありますね。ま、日蓮大聖人の教え、名前を利用して、浅井昭衛会長独自の宗教。新興宗教でしかありません。
2011年01月14日
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参照Re:試験前に2・・・・ 大将さん今回の記事もありがとうございます!ちょっと記事とはズレるのですが、昔、浅井さんが正本堂の意義に賛同し、「ほうあんでんから正本堂に御本尊様が移るのを慶事といい、御供養を喜んでしましょう」っていっていた富士っていう新聞があったようですが、富士という新聞はどこかの図書館とかに保管されているものなのでしょうか?Re[1]:試験前に2・・・・(01/12) 水無月さん>大将さん管理人さんに代わって「冨士」も「顕正新聞」も東京の国立国会図書館にほぼすべて保管されています。利用者登録(無料)をすれば無料で閲覧できます(貸出は不可、複写は有料)。補足として、国会図書館で閲覧できるのは、78号(昭和45年2月号以降の物になります。あとは当ブログの資料置き場「図書館」に冨士のファイルを公開しております。「図書館」ダウンロードの仕方がわからなければ、下記参照にダウンロードの解説をもうけております。参照ついでに、顕正会関係の捜し物をしております。現物提供または、データ、貸し出し、とかでもかまいませんので、お持ちの方がいたらご協力をお願いいたします。「捜し物リスト」
2011年01月13日
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「学会・宗門」抗争の根本原因」より(p224~p226) 【本宗の血脈について】ここで、正信会が問題にした阿部管長の相承疑義について触れておく。およそ本宗の血脈相承とは、付嘱の法体は戒壇の大御本尊にてまします。そしてこの法体の付嘱について、唯授一人・金口の相承がある。日寛上人はこの付嘱相承について「祖師(日蓮大聖人)より興師(日興上大) へ御付嘱また是れ三大秘法なり。興師より目師(日目上大) へ御付嘱もまた是れなり。……目師より代々今にいたるまで廿四代、金口の相承と申して、一器の水を器に瀉(うつ)すがごとく三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり」(寿量品談義)と仰せられている。 古来より記録によれば、歴代御法主の相承の儀は、おおむね大石寺の客殿において、丑虎の刻(こく)に行われる。内陣に屏風(びょうぶ)をめぐらせ、外陣を役僧に警護せしめ、静寂の中に数時間にわたって行われる血脈相承の儀は、思うだに厳粛畏敬の念に打たれる。 かくて、御本仏日蓮大聖大より日興上人への御付嘱すなわち「血脈の次第日蓮・日興」(一期弘法付嘱書)を本源として、日興上人より日目上人、日目上人より日道上人と、一器の水を一器に瀉すがごとく、金口の相承を以て法体たる戒壇の大御本尊が付嘱相承されてきたのである。 この血脈相承こそ本宗の命脈であり、この付嘱を受けられた上大は即「下種の僧宝」であられる。すなわち僧宝とは、別しては日興上人、総じては嫡々代々の御法主である。 では、もしこの付嘱相承の儀が省略されるようなことがあったらどうなるのか――。そのような非常事態が万一あったとしても、血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。御本仏の下種仏法は金剛不壊である。法体たる戒壇の大御本尊は厳然とましまし、金口の相承(御大事)また厳然である。万一相承の儀式が省略されたとしても、大聖人の御意に叶う法器だにあれば、法水また不断である。 金口の相承とは、いわゆる口伝(くちづた)えのごときものではない・濫(みだ)りの言挙(ことあ)げは畏れ多いのでこれ以上の言葉は慎むが――考えてもみよ、御本仏が下種仏法を万年の外(ほか)尽未来際まで久住せしむるのに、どうして途中で断絶するような方法をお用いあそばすであろうか。甚深の御仏智に、深く信を取らねばならぬ。いかなる事態があろうとも、本宗の血脈は絶対に断絶するものではないのである。 では、正信会のいう阿部管長への疑義は如何といえば、このような疑義を受けること自体が、御遺命に背いた罰といわねばならぬ。御遺命に背けば、たちまちに法主の徳・僧宝の徳は失せる。かるがゆえに、法主として最も重大なる相承授受において、六十六代細井管長に「授」(じゅ)なく、六十七代阿部管長に「受」なしと、大衆より疑われる事態を招いたのである。 ただし重ねていう。六十六・七代のいかんに関わらず、御本仏の三大秘法は金剛不壊であり、金口の相承・血脈はまた不断である。ちなみに、現在正信会に籍を置いているか否かは知らぬが、久保川法章の戒壇の大御本尊と血脈についての所論のごときは、未だ初学の慢心者が、学会憎しのあまりに血迷って吐いた大謗法の邪説に過ぎない。「『学会・宗門』抗争の根本原因」で、浅井昭衛は、血脈について述べている。この血脈に関しては、まともなことを述べているのだが、平成10年の正本堂戒体があり、御遺命守護完結式を大々的に行った手前、御遺命守護のあとに浅井昭衛が会員に約束したことが実現不可能と見るや、180度方向転換をして、血脈断絶を打ち出した。『学会・宗門』抗争の根本原因で、「いかなる事態があろうとも、本宗の血脈は絶対に断絶するものではないのである。」と述べているのだから、現在、血脈が断絶したと述べているのだから、その根拠、理由を明確にすべきだろう。1月8日の記事で(参照)「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」で、正本堂の誑惑を懺悔したのことを示したが、今現在でも正本堂云々を言ってる行為自体、ナンセンスな行為だと言える。また、血脈に関しても自語相違発言を会員にはなんの説明もしないご都合主義な浅井昭衛。 まずは、顕正会員と対論することがあるのなら、正本堂の懺悔は済んだ。血脈に関しての自語相違に関しての説明を求めるようにしてもらいたい。いろいろな、へりくつで血脈が断絶をと言ってきたら、それは、大聖人様の仏法を御本尊様を本当に信じてないから、そのような言葉がでるのだと、言い切ってもらいたい。 国立戒壇論に関しては、時代背景も理解できない顕正会員に説明しても無駄なので、歴史の勉強をしてから出直してくるようにでも、言うのがいいだろう。 兎も角、枝葉の議論はしないで、要点だけの議論で、顕正会員と対論を進めてもらいたい。細かい注意点に関しては、各自で考えて自分の言葉に置き換えて話をしていただきたい。「実践行動の年」なので、僧侶主導の率先した行動を示してもらいたいですね。
2011年01月12日
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参照Re:コメントレス ハンマー高山さんなぜ、顕正会は若い人が多いんですか?なぜ、顕正会には、若い世代が多いと思いますか?まずはご自身の考え、考えを示して、自分で考えて見る必要もあると思いますよ。ま、顕正会に若い人が多いのは、利益信仰を全面に押し出した勧誘。そして、サークル活動の延長線上で、仲間意識が多いから若い世代が多いんでしょう。特に、自分で物事を考えて判断しない。そういう、世代の人間が多いでしょうね。
2011年01月11日
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参照記事と関係ないのですが 11221310 さん「両岸滝のその日まで」のリクエストありがとうございます。自分で携帯から音を流してパソコンで録音を試したのですが、うまくいかなっかたので。お役に立てて良かったです。以下、リトル・ベブルと言うカルト教壇関係者のブログから、一部抜粋転用。エズス:愛する子どもたちに、イエズスが話をする。東京ドームでのテロが起きる。みな警戒しなさい。テロを起こす人々は、無差別に人を殺そうとしている。いち早く、逃げなさい。一人もほろびないように、天は願っている。祝福する。司祭の祝福を、東京ドーム付近に住む人々にお願いする。ジャンマリー神父・ソーンブッシュ・リトルヨハネ:全能の神、父と子と聖霊とが東京ドーム付近に住む人々を祝福し給わんことを。アーメン。(中略)ジャンマリー神父・ソーンブッシュ・リトルヨハネ:このことに関しては、日付けは与えてくれる?イエズス:愛する息子(ジャン・マリー神父)の質問に対して、イエズスが答える。テロは、10日から15日の間に起きる。このことを伝える。---------------------------------------------------------------2011年1月2日 午後2時40分 イエズスからのお知らせ。 東海・南海・東南海地震のこと。東海大地震が起こる。日付は、2月15日。もっともやられるのは、静岡県の浜松、愛知県も被害をこうむる。大津波も起きる。その次におこるのは、南海大地震、そのあとに東南海大地震。日付は、南海大地震が4月10日前後、東南海大地震が6月3日。南海大地震も、東南海大地震も大津波が起きる。---------------------------------------------------------------- 通常の周期で起こる関東大地震より、来年の1月31日に襲う関東大地震は、周期をすぎている分、より大きなものになる。関東一円は大被害を受け、東京は壊滅するので、日本の首都は大阪になる。------------------------------------------------------------------しろくまハウス2号カルト教壇教祖は、どこも似たようなことを言いますね。顕正会・浅井昭衛会長も、過去に東海地震・小田原地震・首都圏を襲う地震、ソビエトが、北朝鮮が、中国が攻めてくる。また、平成19年までに、広宣流布しなければ、核戦争で日本は滅ぶ。平成25年までに一千万にならないととか、核戦争で世界が破滅とか、本当に、カルト教壇教祖て危機を煽る手法が専売特許のように似たようなことを言いますね。「 実践行動の年」の本年、僧侶主体の折伏の実践を是非、期待しております。なんせ、600数十ヶ寺の内、誓願目標を達成した寺院が425ぐらいだったと・・・・大白法辺りに、達成寺院と未達成寺院の名前掲載ぐらいしてもらいたいですね。あれだけ、達成寺院の名前を挙げて煽ってるのですから、その成果発表をするべきでしょう。顕正会みたい、結果主義に走ってるのですから、中途半端なことは止めてもらいたいと個人的には思ってるので。
2011年01月10日
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参照教えてください。 佐野さんこんばんは。是非教えてください。仏教哲学大辞典は全部で何巻あって合わせて何ページ有るのでしょうか?私を顕正会に入信させた人に問い質したいのです。ちなみに私は2年前に脱会し現在法華講員です。仏教哲学大辞典は全6巻で別冊1巻になります。一冊が1000ページちょいなので、50音部分のページだけで5000ページ以上になります。ちなみに、仏教哲学大辞典の縮刷版があるので、正本堂の誑惑に引用されているのは、6巻セットの方からの引用だと思います。
2011年01月09日
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今月に顕正会の狂教学試験と称した、武勇伝を学ばせる試験が行われるが、全文を検証しようと思ったが、PCのトラブルにより、データーが消失してしまったので、簡単に要点のみの考察にする。 はじめに「正本堂の誑惑」p39から下記の文を抜粋。 折伏教典には 「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。……昭和四十七年には、事の戒壇たる正本堂が建立される」(p39)右側画像に折伏教典p119の該当箇所を掲載。赤線の部分が「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。」と書かれているのだが後半の「……昭和四十七年には、事の戒壇たる正本堂が建立される」の部分は「折伏教典」のp376に記載されている。いくら「・・・」の中略でも、200ページも離れた部分を繋げるのは、小細工としか言えないだろう。折伏教典p376は、下記画像の赤線部分。そして、同p39の仏教哲学大辞典からの文書が続く 仏教哲学大辞典には 「日蓮大聖人は本門の題目流布と、本門の本尊を建立され、本門事の戒壇の建立は日興上人をはじめ後世の弟子檀那にたくされた。……時来って、日蓮大聖人大御本尊建立以来六百九十三年目(昭和四十七年)にして、宗門においては第六十六世日達上人、創価学会においては第三代池田大作会長の時代に、本門の戒壇建立が実現せんとしている」 さらに「正本堂建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現である」と。 まことに天を地といい、白を黒といいくるめるほどの欺瞞・誑惑・たばかりではないか。(P39)さて、仏教哲学大辞典から該当箇所を探そうとしたが、数千ページの中から探し出すのは、無理があった。辞典だから、関連用語「正本堂」「戒壇」「国立戒壇」「御遺命」等を当たって探してみたが見あたらない。この場合は、仏教哲学大辞典の何巻何ページとか、○○て用語からの引用と、引用箇所を示すべきだろう。 先に挙げてある折伏教典のように、小細工してるから該当ページを示さないのだろう。 浅井昭衛の引用は、中略の部分が不都合になる可能性があるから、省略し、切り文して誤魔化したりする事が多々ある。ほかの引用部分も全部ではないが中略で誤魔化しが多々ある。(P35) 「『大御本尊いま眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此の所即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山・事の寂光土』とあるでしょう。だから、戒壇の大御本尊まします所は御宝蔵であれ、奉安殿であれ、また正本堂であれ、事の戒壇といっていいのです」「原本」といって示された毛筆の本は、日応上人の御筆跡ではなかった。いずれにしても、文の全体を拝見しなければ部分の文意はわからない。ここで、浅井昭衛は「文の全体を見なければ、部分の文意がわからない」と述べているのだから、有言実行で文意がわかる範囲の引用をすべきだろう。ついでに、「日応上人の御筆跡ではなかった。」て、そんなに簡単に判断ができるのか?と思うのだが、日応上人の筆の文書をそんなに見る機会があったのか?と思う。最後に、「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」と229ページにも及ぶダ本を出したが、要点は下記の部分に集約されているだろう。 この重大なる不敬を謝し、御遺命違背の大罪を償う道はただ一つ。 速かに、戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。 これ以外には断じてありません。いまこれを為すべき責務と、為し得る権限は、宗門においてただ阿部管長の一身にあれば、速かに懺悔の心を以て大罪を償われんことを、強く願い求めるものであります。(p212)浅井昭衛自身「この重大なる不敬を謝し、御遺命違背の大罪を償う道はただ一つ。 速かに、戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。 これ以外には断じてありません。」と述べていて、重大なる不敬は解消されたのである。だから、今更、正本堂云々とかいってること自体、おかしな行為だろう。もう、不敬は解消されたのだから・・・しかし、国立戒壇の御遺命を放棄したというのだろうが、戒壇の名称に執着してる哀れな浅井昭衛。御遺命とは一天四海の広宣流布であり、本門寺の戒壇堂建立は、たかが通過地点でしたないのである。 試験後に顕正会員が、法論とかにくるかもしれないが、「最後に申すべき」に関しては、宗門発行の破折本を参考にするか、邪義班のHPで該当文書を参考にしてもらいたい。「正本堂の誑惑」に関しては、最後の赤で強調した部分を示して、不敬は解消されたのだから問題ないと、ほかの部分に関しては、相手にしなくてもいいだろう。あとは、国立戒壇の名称云々だけなのだが、この辺はさんざん扱っているので、省略したいと思うので、各自、復習をしていただきたい。 年末に知り合いのPCを修理とリカバーで時間を無駄に過ごして、年頭には自分のPCのトラブルで、2回リカバーする羽目になった。 ネット接続は、セカンド、サードのPCがあるから問題はなかったのだが、作業をしてるメインPCのトラブルには、さすがに堪えた。
2011年01月08日
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参照Re:12月幹部会1 大将さん 明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願い申し上げます!彼女の弟が、去年まで10年間入会はしてたものの、ほとんどやってなかった顕正会の活動を今年になって急にはじめました。。 骨が折れますが、これも大聖人様が与えてくれた修行とおもい競り強く折伏していきたいとおもいますので、今後も記事をチェックさせてください!明けましておめでとうございます。 顕正会でも、掘り起こしをしてる最中ですから、その影響ではないかと思います。大将さんのおっしゃるように、大聖人様が与えてくれた試練と思って、彼女の弟さんを折伏して、一緒に正宗の信心ができるようにがんばってくださいね。BBSにリクエストがあったので、加藤女史映像1本UP。動画変換してないFLV形式なので、対応プレーヤーを入れてない方は、自力で対処してください。しばらくは、PVのメンテのためにこった作業ができません。
2011年01月07日
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【南北朝の大乱】 そして、この幕府滅亡のとき皇位にあったのが、後醍醐天皇ですね。すでにもう幕府の干渉はない。よって後醍醐天皇の王政復古によって両統迭立は終止符を打つかに見えた。 ところが事態はさらに悪化して、南北朝の大抗争へと発展してしまったのです。幕府の干渉て、国主が家臣の干渉を受けてしまうようなことですよね。 浅井会長は、再度、王政復古を願っているのかなって感じますね。そして、軍国主義・帝国主義になってもらいたいと、時代の逆行を願っているんじゃないかと思います。 これも「真言亡国」。謗法の罰ですよ。 後醍醐天皇の真言密教への傾倒ぶりは半端ではない、凄かったのです。「五壇法」という真言密教の祈祷法がある。不動明王を中心とした五つの壇を作り、各壇ごとに護摩を焚いては祈祷するというものです。このような真言密教の怪しげな祈祷を後醍醐天皇は何度も行なっていたのです。 しかも、日目上人の「日目、先師の地望を遂げんが為に後日の天奏に達せしむ」との、命かけての御諌暁を用いなかった。 ために「建武の中興」はわずか三年で崩壊し、後醍醐天皇は臣下の足利尊氏に攻められて吉野山に逃げ込み、そこで「吉野朝廷」を立てた。これが天覚寺統の南朝です。 一方、足利尊氏は持明院統の光明天皇を擁立して北朝を成立させた。 かくて、二人の天皇が並び立って争うという南北朝の大乱が五十七年も続き、それが、その後百数十年にわたる血で血を洗う戦国時代を招いたのであります。 このように、一国に二人の国王が並び立つという自界叛逆は、北条一門の中に起きた「同士討ち」とはまた次元を異にする、まさに日本国を揺さぶる深刻なる自界叛逆であった。これを大聖人様は法華取要抄に、仏智を以て予言し給うたのであります。【「是くの如く国土乱れて後」】 そして、この未曽有の自界叛逆と、これまた有史以来の他国侵逼が事実となって現われたとき、いよいよ大聖人様は全人類のために、「本門戒壇の大御本尊」を建立あそばされた。その仰せが「是くの如く国土乱れて後、上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無き者か」との仰せであります。 そして末法濁悪の未来に、再び「一閻浮提の大闘諍」が起こるとき、大聖人様はいよいよ広宣流布をあそばす。 このとき大聖人様は、無数の地涌の流類を召し出だし戦わしめられる。ゆえに顕正会には、今後続々と、瞳を輝かせた地涌の流類が必ず集い来たるのです。世紀末・戦乱を願ってるとしか思えない。顕正会の主張する広宣流布とは、戦乱が起きなければ実現できない広宣流布であり、戦乱がなくても広宣流布できるように、願っていくのが、本来あるべき姿ではないかと思う。 このような世の乱れを願うのは、カルト教団に共通する思想ですね。 【大きな器となれ】 これらの同志を、温かく励まし、守り、育てていくのが、この総幹部会に参加している全幹部であります。どうか、全幹部一人ひとりが、百人・千人・万人を率いる大きな器になってほしい。 器というのは容れる力があるから器というのです。器が小さければ、みなこぼれてしまうと百人・千人・万人の信心を守り奮い立たせる、その大きな器になってほしい。 そして功徳の歓喜で弾むような、明るい組織を作ってほしい。自分が幸せになりながら人を救っていく。これが広宣流布の戦いなのであります。大きい器の幹部って、浅井昭衛自心、器が小さいでしょう。(笑)ま、器の大きい幹部さんは、逃げないで対論をしてもらいたいですね。【世界大恐慌が大闘諍の引き金に】 いま刻々と「一閻浮提の大闘諍」は近づきつつある。 私は前々から、世界大恐慌が一閻浮提大闘諍の序分である――と言ってまいりました。 二年数ヶ月前に、リーマン・ショックによる金融恐慌が起きましたね。これを乗り切ろうとして、世界各国は競い合って財政出動をした。その結果、金融危機は表面収まったかのように見えるが、実際は何一つ解決されていないのです。財政出動は民間の不良債権を国家の帳簿につけ替えただけだから、こんどは国家財政が危なくなって来た。 そしていよいよ世界恐慌の第二幕がいま開かれんとしているのです。 いいですか。 いま眼前となっているEU諸国の財政破綻、日本の国家破産、中国のバプル崩壊、そしてアメリカの経済崩壊。これは世界大恐慌の四つの震源地であると、私は思っております。この四つは相互に連動して世界大恐慌を起こし、それが世界大闘諍の引き金になるのです。リトル・ベルブと言うキリスト系のカルト教団がありますが、同じカルト教団らしい浅井昭衛の発言。どのように似てるかと気になる方は、「しろくまハウス2号」の記事を読んでみてください。「しろくまハウス2号」【直線コースに入った】 まして二〇一二年には、北東アジアの政治情勢はその顔つきを一変させる。 中国は習近平体制になるが、実質的には中国を動かすのは人民解放軍ですよ。いよいよ軍が表面に躍り出て、北東アジアの制覇を進めるのです。 もう中国の日本侵略も最終段階、そして顕正会の御奉公も最終段階。すでに広宣流布は直線コースに入っているのであります。 広布前夜に生まれ合わせ、この大事な御奉公が叶うということは、何と有難いことか。もし退転なく貫けば必ず一生成仏を叶えさせて頂ける。 さあ明年の一五〇万こそ重大であります。全員で勇躍歓喜の大前進をして、何としても、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。 (大拍手)広宣流布の直線コースて、立宗の時から直線コースで広宣流布に突き進んでるんですね。だから、いまさら広宣流布の直線コース云々でもないですね。ま、顕正会の目指す広宣流布は、日蓮大聖人が目指す広宣流布と全然違うものですが。
2011年01月06日
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【法華取要抄の重大な御予言】 さて、日曜勤行で拝読した法華取要抄のことですが、先はどから多くの登壇者がその感激を述べておりました。あの御文は法華取要抄の結びの御文で、まことに重大な仰せであります。「二つの日並び出づるは一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍なり。乃至、是くの如く国土乱れて後、上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無き者か」と。――二つの太陽が並び出るのは、一国に二人の国王か並び立つ相である。天皇と天皇との闘諍である。このように国土が乱れた後、「上行等の聖人出現」すなわち久遠元初の御本仏が出現して、本門の三大秘法を建立する。すなわち三大秘法総在の「本門戒壇の大御本尊」を建立される。そして日本および全世界に南無妙法蓮華経が広宣流布することは断じて疑いない――と仰せあそばす。【仏語は実にして虚しからず】 二人の天皇が並び立って相争うなどということは、日本の歴史上、未だ曽てない。 だか大聖人様は、佐渡からお還りになる直前の文永十一年一月二十三日に、「二つの日並び出づる」の天変をごらんになり、これこそ日本に二王か並び立つ凶兆であると、断言し給うたのであります。 「仏語は実にして虚しからず」です。この御断言はその後、両統迭(てつ)立・南北朝の大乱という、日本国を揺り動かす未曽有の事態となって現われた。 まさに大聖人様の仰せのままに歴史は動いているのであります。 このことを観心本尊抄には「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」と。 仏法は体、世間は影であれば、仏法の奥底を識り給う大聖人様には、世間の動きの本質がおわかりになる、ということであります。【両統迭立 南北朝抗争】 先般の日曜勤行でも少し触れましたが、両統迭立・南北朝の抗争は重大な仏法上の現証でありますので、本日重ねて、少し説明しておきます。 まず両統迭立ということですが―― 文永九年二月、この月は顕正会員ならみんな知っている。大聖人様が開目抄を著わされた月ですね。この月に、第八十八代の天皇であった後嵯峨上皇(ごさがじょうこう)が亡くなられている。上皇には二人の皇子がおられ、第一皇子は八十九代の後深草(ごふかくさ)天皇となり、第二皇子が九十代亀山天皇となられた。 そして父上皇崩御の後、この天変こそ、諸天の怒りなのです。 日本の帝王には守護付嘱を果すべき使命がある。しかるに、御本仏この国に出現して三大秘法を弘め給うに、幕府は大聖人様を流罪・死罪に処し、天皇は捨てて擁護しなかった。ゆえに諸天は怒るのです。 この天変をごらんになって大聖人様は「二つの日並び出づるは一国にニの国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍なり」と断言あそばされたのです。 まさしく「王と王との闘諍」は、両統迭立に始まり南北朝の大乱となっているのであります。 【幕府滅亡の二因】 この両統迭立は五十有余年も続き、ついに鎌倉幕府をも巻き込んでしまった。 ということは、どちらの皇続から天皇を立てるかについては、幕府の意向が大いに与(あずか)って力があった。そこで両統それぞれ自分の系統が有利になるようにと、猛烈に幕府に働きかけたのです。この醜い皇位継承の争いが、かえって幕府に亀裂をもたらし、これが鎌倉幕府滅亡の一因になったのであります。 ついでにいえば、幕府滅亡のもう一つの、これか決定的原因ですが、それは大蒙古の侵略です。 蒙古襲来は文永十一年と弘安四年の二度ですが、幕府は二度で終わるとは思っていなかった。だから「二度目はいつ来るか」「いつ来るか」と、数十年にわたって脅え続けたのです。ゆえに毎年毎年、九州の防備に力を注いだ。この軍事ストレスか幕府の体制を揺るがし、ついに滅亡をもたらしたのです。 まさに両統迭立と他国侵逼が鎌倉幕府を亡ぼした。これ、大聖人様を怨んで流罪・死罪に処した大罰であります。 平成になって、天皇家のお家騒動でも起きないかと思ってるような内容ですね。 亡国・亡国と騒ぐが、鎌倉時代と平成の現代では、時代背景とかちがうし、同じように当てはめることは無理でしょう。
2011年01月06日
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ページ数を稼ぐために前振りが多い、顕正新聞1月5日号より。十二月度総幹部会が二十一日、川口総合文化センターで開催された。この日、班長以上の代表幹部で場内は埋め尽くされ、冒頭より爆発的熱気につつまれた。 初めに、男子部・西田崇泰第二十一隊支隊副長、婦人部・岡村俊子大阪支区組長、女子部・佐藤千香子第四十七区総班副長の三人が体験発表。ついで「正義にめざめて」を男子部・田中利治さん(第二十二隊)。「活動報告」は男子部・櫻井雄一第十二隊班長。「教学試験をめざして」は女子部・神山なつみ第十四区組長と女子部・安曽紀子第二十七区総班長の二人。「日曜勤行の指導を聴聞して」は、婦人部・鈴木里美横浜支区部長。ついで「一月度本部行事ならびに人事」が発表されたのち、行成公一郎男子第一部長と婦人部・小野恵子大阪支区部長の二人が代表決意。 最後、浅井先生の講演は約二十分。先生は先般の日曜勤行に引き続き、大聖人様が「法華取要抄」の結文に御予言された、日本国をゆるがした「王と王との闘諍」という自界叛逆について、重大な講演をされた。【会長浅井先生講演・十二月度総幹部会/平成22年12月21日】【法華取要抄に「王と王との闘諍」を御予言 大聖人仰せのままに歴史は動いている「一閻浮提大闘諍」のとき必ず広宣流布】 きょうの総幹部会も素晴らしいですね。大感動を味わいました。 そして本年も、きょうが最後の総幹部会であります。あっという間の一年でしたが、本年の前進はまことに偉大でありました。前進といっても、実成が伴っていないから、虚無な行為ですね。結局、入会報告書を大量に作っただけでしょうしね。【年間の大法弘通六万八千に及ぶ】 そうでしょう。全顕正会員の弛(たゆ)みなき折伏弘通は、なんと年間、六万八千ですよ。「いまだこりず候」の慈悲と忍耐で、三毒強盛の大衆をかくも多数、日蓮大聖人に帰依せしめた、難信難解の御本尊を信ぜしめたということは、たいへんな功徳であります。 この力強い大法弘通を見れば、明年の一五〇万は必ず或る。まさに大地を的とするの思いであります。 また、四者の部長から常に報告を受けておりますが、毎月行われている隊、区、支区、地区の集会も月々に水かさを増し、ことにこの十二月は熱気といい、参加人数といい、過去最高であったという。 まさに顕正会の前進は「月々日々につより給へ」の仰せのままであります。 しかもこの前進の原動力は功徳の歓喜でしょ。「御本尊様の功徳は何と有難いか」と。この歓喜か一切の原動力となっているのであります。顕正会員の総数から換算して、集会参加者の人数が少ないのですから、実際の会員数が如何少ないかといってるようなものでしょう。 【全員で石垣を】 その中で、最近、目立つことがある。それは、入信しても自覚のなかった人、組織から離れていた人々が、いま続々と信心にめざめ立ち上がっていることです。 すべては「時」なのです。 今の日本の状態を見れば、これから一体どうなるかと、誰もが不安を感ずる。そして「顕正会のいうとおりになって来たではないか」「信心しなければダメなんだ」と。ここに退転していた人も、改めて御本尊様の賞罰にめざめ、顕正会の使命にめざめ、いま続々と戦列に加わりつつあるのであります。 もう広宣流布の時は来ている。だから全員を立たせたい。そして全員で喜びなから、石垣を一つ一つ積んで明年の一五〇万法城を築きたい。こう私は思っておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)140万の会員がいても、130万人が退転か幽霊会員ばかりでしょうし、信心に目覚めて立ち上がってきたといっても、消える人数の方が多いから、結局は、増加などしてないのが、実成でしょう。 相変わらず、公式HPの更新が遅いですね。11月時点の会員数を発表するだけなのですから、新年早々に会員数のUPぐらいできるでしょう。さすが!有能な人材が多い顕正会だからHP更新も時間がかかるんでしょうね。
2011年01月06日
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参照Re:コメントレス たくチャンのパパさん>今日、初登山だったみたいで、どこかですれ違っていたかも知れませんね。^^・・山門入り口さんも3日の初登山でしか。いつか御山でお会いする機会がございましたら、お茶したいですね(^^)初登山は、毎年参加してるので必ず、どこかしらに徘徊してますよ^^;ほかにも、年何回かは登山してるので、機会がありましたら御山でお会いしたいですね。 新年早々、PCのトラブル・・・年末に、知り合いのPC2台修理していて、時間の浪費をしていたのに、自分のPCのトラブルで24時間も時間を浪費て・・・・さすがに、顕正会資料を詰め込みすぎて、PCもおかしくなったのかなって?(^^;
2011年01月06日
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【「なぜ学会員は功徳を失ったか」で入会 夫の良き臨終に感謝、息子も立つ】婦人部大阪支区組長岡村 ○○ 私は平成七年十一月、創価学会・法華講を経て顕正会に入会させて頂きました。【昭和44年学会入信】 私は昭和四十四年、学会で熱心に信心していた夫の縁で学会に入信しましたが、当時は御遺命違背など知る由もありませんでした。 私は三歳の息子を連れての再婚で、だんだんと息子が手に負えなくなり、息子が中学生のころより学校・警察等からの呼び出しか数え切れず、夫との間で板挟みとなり、その辛さのあまり息子に対して「一緒に死のう」と言ったこともありました。 さらに経営する不動産業もうまく行かなくなり、罰は顕著に現われてきました。 そのようななか夫は、学会の選挙活動や聖教新聞・書籍の推進等の活動に疑問を感じ始め、加えて高額の供養を何度も要求されたことに不信感が強まり、昭和六十四年一月、家族で学会を退会いたしました。平成元年まで学会にいて活動をしていたと言うことは、妙信講問題を知っていたわけであり、顕正会の主張する御遺命破壊を知らないわけがないでしょう。あれだけ、大騒ぎをしていたのですから、明らかに、「御遺命破壊」を強調したいだけの恣意的な文書ですね。で、子供のことに関しては、ハッキリ言って普通でしょう。当時ならごく当たり前に男子なら多少なりともぐれていますね。この辺は、信心云々ではなく、家庭環境や、親の教育でしょう。【「日顕に信伏せよ」】 平成四年のある日、神戸市兵庫区にある宗門末寺・法恩寺の法華講講頭と婦人部の者が訪ねてきて、便箋のような書面に署名・捺印を求めてきました。 そこに記載されていた「日顕に信伏随従せよ」との趣旨の文言に私は愕然とし、夫もたいそう怒りました。 この一件を通して法華講もおかしいとハッキリとわかり、それよりは一切、宗門とも関わりを持たず、夫は「大聖人仰せのままに信心する正しい団体か必ずあるはず」と、ありとあらゆる書物を読みあさりました。この時点で作文決定!出だしに法華講を経てと有りましたが、法華講には所属してないですね。法華講員が学会を脱会して正宗に帰依するための書面をもってきたと言うことは、正宗信徒になってない!そして、「日顕上人に信伏随従せよ」てのも大げさな表現です。原文がどうなのかは判りませんが、時の猊下は、大聖人様の代官であり、それに付き従わないのは日蓮大聖人様の仏法を保つことにはならないような内容でしょう。 で、大聖人様の仰せの信心をする団体があるとあらゆる書籍を読みあさったと言うことですが、これも、片手落ちのようなものでしょうね。単純に一般書店で購入できる範囲の書籍しか読んでいないと思われます。 少し専門的な仏教関係の書籍を読んでいれば、顕正会などに決して入会しません。【先生の著書に出会う】 そしてついに「なぜ学会員は功徳を失ったか」と題された浅井先生の著書の新聞広告を見つけたのです。広告に目が釘づけとなり、すぐに書籍を取り寄せて貪るように拝読するや、「これだ!」と直ちに本部会館に電話し、平成七年、私と娘は晴れて顕正会への入会が叶いました。 しかし夫は「自分はこの神戸市長田区の丸山帯で、百名もの人を学会に入会させた。自分一人が先に顕止会にいくわけにはいかない、その人たちと共に顕正会へ移る」と言って、一人ひとりを折伏しましたが、誰一人として首を縦に振る者はおりませんでした。そして一年後の平成八年、夫も顕正会に入会したのでした。 入会前の平成七年一月十七日には、阪神・淡路大震災に見舞われました。住んでいた丸山は高台に位置しており、眼下に広がる惨状は今も眼に焼き付いています。 幸いにも我が家の被害はありませんでしたが、学会員が多く住む長田区の凄絶な状況に、御遺命に背く罰の恐ろしさを感じたものであります。長田区に学会員が多く住むて、学会員の人数が多いのですから何ら問題ないでしょう。学会員が多く住んでいたからて何か問題があるのか!ただ、顕正会員が少ないてだけでしょう。法華講員も住んでるし、他の宗教や無宗教の人も沢山住んでいますよ。で、自分の家は被害に遭ってないとは、嘘でしょう。大なり小なり被害には遭ってるはずです。 震災1ヶ月後に長田区には、復興作業で一月以上通っていましたので、見た目は大丈夫そうでも、亀裂やその他被害は絶対にあっているはずです。 こういう、明らかに学会がと思わせたい内容の文書を書くのは、悪意があるとしか思えませんね。 仮に学会・法華講側でも同様の内容の記事があれば、指摘しますので。 【夫の良き臨終】 その後夫は、大阪会館御入仏式二日前の平成十七年十二月九日に臨終を迎えました。 色黒だった夫が御金言のごとく、色白く、柔らかく、軽く、見事な成仏の相に、有難さは言葉に表わすことはできず、大聖人様に平伏し、浅井先生に報恩感謝の思いでいっぱいになりました。単純に、生命活動が停止して、血が下に沈殿したような状態になったので、白くなったとも言えるでしょう。貧血で顔が蒼白くなるのと同じですね。 また手を焼いた息子も、平成十一年に顕正会に入会してよりは驚くほどまじめになり、大阪会館の衛護も経験するなか、今では男子部総支隊長補として御奉公させて頂いております。 息子か先生から頂いた「孝養」の指導を心に染め、私をねぎらい優しい言葉をかけてくれたときには涙があふれ、本当に有難く夢のようでした。単純に30代の子供でしょう。いい加減に真面目になって当たり前。顕正会に入会したからとか言えないでしょう。 【折伏に立つ】 私は最近まで「折伏は他の人がするもの」と思っていましたが、日曜勤行等で先生の指導を拝聴し、詰り合いに参加していくと、「私もお役に立たせて頂きたい」とご報恩の恩いが湧き上がりました。 そしてその思いを片岡支区長に伝え、約束の取り方から一つずつ教わり、思いついた人に連絡を取りました。 元来、人前で話すことなど考えられない性格の私か、折伏の場では功徳の感激のまま、御本尊様の有難さ、顕正会の正しさを、自分でも驚くくらい語っております。 逆縁か続いて落ち込むこともありましたが、励まされるまま御奉公を重ねると、行方かわからなかった甥から突然連絡があり素直な入信が叶ったり、初めは「やらない」といっていた人も、こちらが讃嘆行に徹していくと入信決定したりと、有難い順縁を頂くようになりました。10年以上も名目だけの顕正会員でしたと、告白してるようなものですね。(笑) 平成二十二年七月には、諫暁書配布の縁で有難い入会が叶いました。 この方も学会・正信会・法華講を経て、七十九歳の今、やっと顕正会に縁ができました。法華講員の息子さん夫婦は未だ反発していますが、多くの学会員・法華講員が早く正義にめざめてほしいと願っています。法華講を経てとあるが、どこの末寺を経てか書かれてないし、名字の記載もないのは、怪しい内容ですね。名字と末寺の記載があると、裏を取られる可能性があるからあえて隠してる。このような場合、怪しいと判断するのが妥当でしょう。通常なら、○○寺の法華講員が顕正会に入会!顕正会の正しさを全面に出した内容の登壇を今までしてきてますが、ここで、必ず検証されるので、それを恐れて、裏取りをするヒントを出さないようにしてる時点で、怪しいと断言できます。 【耳の手術成功】 そしてこのたび、さらなる大功徳を頂きました。 私は現在七十一歳ですが、生まれた時から左耳が全く聴こえず、右耳も補聴器を着けて十五年になります。 六年前に病院で手術をするように言われたときは、「そんなしんどいことは嫌」と断わったのですが、最近だんだんと聴き取りにくくなり、右耳が痛くなってきたことも重なって、「先生の指導や同志の人たちの感激が聴けなくなるのは困る」と手術を決意いたしました。 耳にはたくさんの神経が交差しており、手術に際して、顔面神経痛や言語障害等の多くの障害が残る可能性かあると説明を受けましたか、先生の「何かあっても大丈夫」との指導を支えに、不安は全くありませんでした。 手術は無事に成功し、先日の日曜勤行の際には、左側にいた人の咳が、七十年以上も聴こえなかった左耳で聴こえたことには、驚きと有難さが込み上げました。 兵庫医大の主治医から、私の左耳は、ことし.百件以上も手術をしている中で悪いほうの三本の指に入る症例で、大きなポリープもあったことを聞いてビックリしました。 術後の経過もよく、人工鼓膜がきれいに張られていると聞き、本当に有難く嬉しいです。 また住まいにおいても、女子部で御奉公する娘の住居近くにちょうど良い物件が見つかり、すんなりと転居か叶い、独り暮らしにも不安がなくなりました。 そしてこのたび、神戸市北区の我が家を自宅拠点にして頂く運びとなり、先生への感謝の思いは言葉に尽くせません。これは、病名も判らないからどれぐらいの状態なのか判断しかねますが、現代医療の進歩により、手術自体そんなに危険でも無かったと思われます。結局、誇張して大げさに表現してるだけではと思われます。【何もかも有難い】 先生に師事し得たことで、夫の成仏も叶い、息子・娘ともに信心し、孫にも恵まれ、私自身、何の心配もなく.家和楽で過ごさせて頂き、何もかも有難く感じる口々に「こんなに幸せになっていいのかしら」と、大聖人様そして浅井先生への報恩の思いでいっぱいです。 もう功徳は十分に頂きました。あとは先生に利き切り、広宣流布・国立戒壇建立のお役に立たせて頂きたい、それだけが私の願いです。 されば、広宣流布を急がれ、「兵庫にも早く会館を」と願っておられる浅井先生に、兵庫・神戸の地より真心の御奉公を以てお応えさせて頂きます。功徳を十分に頂きましたって、ほんとに、利益信仰をしてるとしか言えないですね。そもそも、最大の功徳とは成仏でしょう。それは、臨終まで続く仏道修行であり、功徳をどれぐらい積んでるなんて判らないのですから、仏向ゴッコをしてるだけの無知な集団にいるから出てくる言葉ではないかと思われます。 あ!それと、現在が一家和楽でとは、正宗在籍時代に学会で頑張って積んできた功徳があるからであり、今後顕正会に居る限り、罪障を積んでしまい、功徳もなくなり、最後を考えると不憫で仕方がないですね。
2011年01月04日
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【十字御書】(現代語訳) 蒸餅(むしもち)百枚、果物一籠を頂戴しました。 正月の一日は日の始めであり、年の始めであり、そして春の始めであります。この正月一日を正法をもって祝う人は、月が西から東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡っていくにしたがって明らかになるように徳も勝(まさ)り、また人々にも愛されるのです。 さて、地獄と仏とは、どこに存在するのかと探求したとき、あるいは(地獄は)地の下にあるという経文もあり、あるいは(仏は)西方等におられるという経もあります。しかしながら、詳細に探求してみると、私達の五尺の身の内に(地獄も仏も)存在すると説かれてます。そんなふうとかもしれないと思われることは、私達の心の中に花と実とが見られるようなものです。仏というのも私達の心の中にいらっしゃるのです。たとえば、石の中に火があり、珠(たま)の中に財(たから)があるようなものです。私達凡夫は、まつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができません。私達の心の中に仏がおられるのを知らないでいたのです。 ただし、疑問に思うことは、「私達は父母の精子と卵子が変じて人間となったのであるから三毒の根本であり、婬欲(いんよく)の源である。どうして仏がおられることがあろう」と疑問に思うのだけれども、また繰り返し繰り返し考えてみると、その道理もなるほどと思われます。蓮(はす)は清らかなものですが、泥から生え出ます。栴檀(せんだん)は香りのよいものですが、大地から生じます。桜の花は趣のあるものですが、木の中から咲き出ます。楊貴妃(ようきひ)は美人ですが、身分の低い女性の腹から生まれています。月は山の端(はた)から出て、山を照らします。禍(わざわい)は口から出て身を破ります。幸いは心から出て、自身を飾るのです。今、正月の始めに法華経を供養しようと思われる御心は、木から桜の花が咲き、池から蓮のつぼみが出、雪山の栴檀の双葉が開け、月が始めて出るようなものでしょう。今、日本の国は法華経を敵として、禍(わざわい)を千里の外から招き寄せてます。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。影は体から生ずるものであり、法華経を敵とする人の国は、体に影が付き添うように禍がくるでしょう。栴檀によい香りが備わっているようなものです。またまた、申し上げましょう。正月五日 日蓮 在御判 重須殿の女房御返事要望があったので、現代語訳掲載。
2011年01月04日
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顕正新聞1月5日号UP 参照Re:年の瀬 911さん今年もいろいろ勉強させていただきありがとうございました。良いお年を(^O^)911さん。つたないブログではありますが、情報発信をして、参考になればと思っております。そして、本年もよろしくお願いいたします。良いお年を。 ユタさん 今年は失言でご迷惑をお掛け致しました。しかしながら、創価学会が顕正会よりも素早く動き、手強い所であるということだけは学習できたと思います。来年もブログを拝見させて頂きますので、よろしくお願い致します。こちらの行動に対して相手がどう出るかを予測しながら、対処する方法などを学んで行けば良いと思います。失敗を肥やしにして、一回りも成長していただけたらと思っております。そして、何事にも奥の手を用意しとけば、対処には困らないと思いますよ。浅井会長に告ぐ 水無月さんどんなに威勢のいい号令かけようとも「1千万をあと15年で」という請願は映像で残っている。浅井会長よ!一刻も早く自身を「口舌の徒」と認めよ。来年もどんどん顕正会を討伐して参る。追撃の手は緩めない。浅井会長の誓願とは、御本尊様の前で誓願をしてないから、破っても良いのが前提の、口先だけの誓願なんですよ。本年は手始めに、試験会場の出待ちでドンドンアタックを掛ける行動が効果があるかと思っています。 さあ!顕正会問題を考える諸氏の皆様。近くの試験会場にGO!Re:年の瀬 元会員さん結局会長はまた今年も口舌の徒であることを証明してしまいましたねでは良いお年を神奈川大会開催が無かったので、顕正会員に会ったら、なぜ、神奈川大会が開催されないのか!?と問いただしていきたいですね。参照Re:謹賀新年 ずわいがにさんこちらのコメントは初めてかも知れませんが、あけましておめでとうございます。今年も顕正会の検証を頑張ってください!毎回楽しみにしています。初コメント有り難うございます。今年も精力的に、顕正会問題を中心に頑張っていきますので、ぜひ、考察の参考にしていただいて、顕正会対策に役立てていただけたら幸いです。Re:謹賀新年 山門手前さんあけましておめでとうございます。新年もよろしくお願い申し上げます。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。^^新年お目出とう御座います。 たくチャンのパパさんご挨拶が遅くなりました。新年明けましておめでとうございます。本年も色々と勉強させて頂きます。宜しくお願い致します。新年明けましておめでとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願い申し上げます。今日、初登山だったみたいで、どこかですれ違っていたかも知れませんね。^^参照又使い回しかな? raidenさんこれ、手前が天母山の写真でしょ。画像が小さくてわからないけど冨士の表紙の写真に似てる気がする。富士山の山頂に富士山レーダーらしき物が見えるけど。使い回しかな?Re:又使い回しかな?(01/02) 水無月さん>raidenさん手元にある富士の336号の表紙の写真と、雪の積もり方が酷似してます。もしかしたら色合いとか、立ち木の消去とか、画像の編集かけてるかもしれません。雪煙なんかは容易に消せますし・・・。raidenさんの気がつかれた、気象レーダーですが、新聞で確認できます。そして、水無月さんのご指摘の冨士336号を確認しましたが、写真は同じものです。画像トリミングか、時間帯が少し違うかで、雪の積もり方は細部まで一致してますね。 以上の点から、今回の顕正新聞一面の写真は、使い回しと決定です。参照こんにちは。 ユタさん この櫻井班長、私が現役会員の頃から体験発表してました。実際に、本部の茶寮でお会いしたこともあります。ただ失礼な話、元ヤクザさんだったせいなのか、お1人でいらっしゃると、話しかけ辛い空気を放っておられていたのを覚えています。普段、川口駅で客待ちをしているようですが、私はまだ見たことがありません。営業エリアが変わったのか、それともタクシー会社自体を転職されたのか……。私が行った時には、たまたまいなかったのか分かりません。現役時代に話しかけて、発表の内容について聞いておくべきでしたね。元やくざやさんですか。某大手タクシーも多いですね。ま、それにしても、あまりにも不自然な内容とか、時系列とかがおかしいので、ほとんど作文登壇ばかりだと思ってます。 宿題が溜まってしまって年越しをしてしまいましたが、今月は、顕正会員にとって大事な試験が開催されます。逆に、試験勉強を元に法華講員に接触してくる顕正会員も増えると思うので、「最後に申すべき事」に関しては、邪義破折班のHPか書籍を参考にして、対処していけば問題ないでしょう。「正本堂の誑惑」に関しては、いまだ作業中なのですが、全体での対応ではなく、ポイントで対応するように現在、考察中です。ま、一番の問題点は、国立戒壇の名称問題と疑惑本尊問題に尽きるとおもうので、そこの部分だけを確りと押さえれば、あとは枝葉程度なので、何の問題もありません。浅井昭衛著の武勇伝は、話2割程度の信憑性しか無いので。
2011年01月03日
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新年早々から作文掲載の顕正新聞1月5日号より。【同志の体験発表が会社の掲示板に 上司が感激し「皆もしっかり読め」と】 男子部第十ニ隊班長 櫻井 ○○ 我が班は、九月法戦に申しわけなくも誓願を達成できず、「何としても十・十一月法戦こそ!」との思いで、浅井先生が常に仰せられる「功徳の歓喜」と「有難い」を根本に、そして広宣流布を見つめた大きな志で戦いを開始いたしました。 すると御守護としか思えない展開が相次ぎ、一人、二人と班員が折伏に立ち上がっては次々と入信が叶い、結果十・十一月法戦、十名の折伏の証拠に顕わすことができ、有難い思いでいっぱいであります。 そしてこの戦いの中、タクシードライバー歴四十五年の永留組長の体験発表が掲載された顕正新聞が、突然、会社の掲示板に張り出されるということがありました。 この登壇記事が掲載された顕正新聞は、組長が上司に渡したものですか、永留組長の登壇原稿を読んだ上司がたいへん感激し、「みなも永留さんの体験発表をしっかり読んで仕事に励むように(笑)」と貼り出したとのことでした。 その後、組長か「恥ずかしいから剥がしてくれ」と上司に頼んだところ、上司が今度はコピーして(笑)皆に配り始めたのでした。 従業員の中には「こんな新聞を配っていいのかこと怨嫉する者もいたそうですが、上司は「信教の自由は憲法で保障されているんだ。お前こそ、そんなことを言ってると逮捕されるぞっ!」(大笑)と、顕正会員でもないのに確信ある態度で(大笑)言い返したそうです。新年早々から嘘くさい内容ですね。一上司が、宗教関係の新聞記事を掲示板に掲載するか?と言う疑問が出てきますね。で「信教の自由は憲法で保障されているんだ。お前こそ、そんなことを言ってると逮捕されるぞっ!」てのは、顕正会員以外、思いつかないフレーズですね。そもそも、信教の自由を言うのなら、会社の掲示板に貼りだした時点で、信教の自由を奪う行為でしょう。サラリーマンですし、会社の方針に従わない場合、解雇される可能性もあるのですから、自由を奪う行為ですね。だから、この文書は、作文と思われます。 永留組長は現在七十三歳になりますが、広宣流布への情熱はすさまじく、夜勤明けでも寝ずに折伏に戦うこともあり、逆縁でも諦めず根気よく折伏を重ね、担当エリアのタクシードライバーのほとんどに諫暁書を配布しております。 また、後輩の什事や生活の悩み相談にも乗ってあげており、自分勝手で短気な者が多い職場の中で信頼も厚く、まさに「日本中のタクシードライバー全員が顕正会に入信し、宿命転換してほしい!そして誇りを持って仕事に従事してほしいことの熱き思いのまま戦い、前法戦も見事二名の折伏弘通をなしております。 そして組長は、今までギャンブルにさんざん使っていたおカネを広宣流布に使って頂ける有難さをかみ締め、広布御供養に組員とともに進んで参加し、真剣に教学研鑽にも励んでおります。73歳てもう引退の年齢でしょう。個人タクシーなら別ですが。さて、顕正会入会歴が判りませんが、ギャンブル云々とは顕正会員になってからもしていたのか?・・・そして、73歳まで仕事をしないと生活が出来ないほど、顕正会員になってからも生活が苦しいのか?・・・て、謎が残りますね。 組長の折伏で入信したタクシードライバーの広木さんは、朝晩の勤行を実践し、集会には欠かさず参加していますが、先日、子供か急に飛び出して来て、自身が運転する車と接触してしまいました。 しかし何事もなく済んでしまい、「これが御本尊様のお力か、勤行の功徳はすごい!」と感激し、二大綱目も喜んで参加しております。相変わらずご都合主義な考えですが、子供が飛び出してきたこと自体、守られていないとも言えるでしょう。 また同じくタクシードライバーの猿山さんは、勤行をしていないにもかかわらず、組長に対しては「勤行をしている」とウソを言ってごまかしておりましたが、勤務中に事故を起こして会社をクビになってしまい「これが勤行をサボった罰か」と実感し、心を入れ替えて真剣に勤行をしました。 するとすぐに別のタクシー会社に就職が決まるというご守護を頂き、抜山さんも喜んで二大綱目に参加する決意を固めております。タクシー業界は、人の出入りも激しいし、次の仕事は直ぐに見つかるでしょう。大手タクシー会社て、正社員じゃなくて、日雇いみたいな方もいますしね。だから、顕正会の勤行との因果関係は証明できないでしょう。 まさに御本尊様の賞罰、功徳の歓喜で広宣流布は進むことを実感するとともに、私自身、父親ほど年の離れた永留組長の情熱には本当に頭が下がります。 組長は「入信して人生か一八○度変わった。以前のギャンブル漬けで借金だらけだった日々から、何と穏やかな日々を過ごせるものか。すべては御本尊様のおかげ」と常に語っており、信心ですべてを乗り切る組長の姿を目の当りにしては、私も早く宿命転換しなければと思うものであります。と言いますのも、実は私は現在、裁判所からの判決で給料の四分の一を強制的にカットされています。 それは私自身、自分が連帯保証人になっていたことも忘れていたのですが、借主が夜逃げしてしまい、そのため連帯保証人の私の給料は毎月、返済分を天引きされているのです。 私自身、もし仏法を知らなければ「どうして自分がこんな目に遭うのたと嘆いたり、また夜逃げした者を恨んだり、愚痴をこぼしたりするところですが、因果の法則を説き切る仏法に照らし合わせれば、すべては過去此の宿業であることが明白であり、ましてや私の場合、今生に積んだ悪業は数え切れず、そのため悩むまでもなく、即「信心で乗り切るしかない」と肚を決めており、お蔭で止められなかった煙草を止めることもできました。たばこて~ただ、値段が上がって購入がてだけじゃないのかな?・・・それに、禁煙て意志の問題だから止められなかったてのは、意志が弱いてだけでしょう。なにも、顕正会員だからとか利益とか全く関係ないですね。 櫻井班は本日現在、広布御供養・登用試験ともに昨年比一割増しの推進が叶っておりますが、本年入信した全員を広布の人材へ育てあげ、個人も組織も大成長してまいります。 まずは本日の浅井先生の指導を全身で受け切り、明年秋の一五〇万に、櫻井班も大きくお応えしてまいる決意であります。広布供養の名の下の資金集めが、一割り増して・・・ 作文ばかり書いてる班長ですね。
2011年01月02日
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【鎌倉における御化導を偲び奉る】上掲の写真は空から見た鎌倉の全景である。 鎌倉は中世に幕府が置かれた古都で、三浦半島の西側付け根に位置する。東・北・西の三方が緑深い山々に囲まれ、南には青一色の相模湾が広がり、かなたには霊峰・富士も見える。 【大聖人の主戦場】 この鎌倉を政都とした相模の国は、大聖人一代御化導における生戦場であった。 大聖人は立宗ののち、直ちに房総半島の西海岸より船で三浦半島に渡り鎌倉へ向われた。そして名越の松葉ヶ谷に小さな庵室を結ばれた。以来、竜の口大法難までの十八年間、この地で、身命を捨てて弘通あそばされたのである。 すなわち、大聖人が正喜元年の大地震をごらんになったのもこの鎌倉、また松葉ヶ谷の草庵が襲撃されたのもこの鎌倉、諸宗に公場対決を迫られたのも、良観と祈雨の勝負を決せられたのも、この地であった。 そしてついに大型人は竜の□において、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏として成道を遂げ給うたのである。四条抄には 「娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜の口に、日蓮が命をとどめをく・・・」と仰せられている。【竜の口の大法難】 竜の口大法難については、その始終が「下種本仏成道御書」に明記されている。 左の図は文永八年九月十二日、大聖人が武蔵守(佐渡守護職の北茶宣時)の邸から、頸の座に至る経路(赤線)を、同抄に基づいて推定したものである。 同抄によれば、十二日の深夜(午前零時ごろ)、大聖人は武蔵守邸を出発され、刑場へと向われている。【八幡大菩薩をご叱責】 ご一行が若宮小路にさしかかったとき、大聖人は馬を止めさせた。警護の兵士たちは"なにごと"と騒いだが「各々さわがさせ給うな、別の事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事あり」と仰せられ、馬から降り八幡宮に向い、大高声で仰せられた。「いかに八幡大菩薩はまことの神か。……日蓮今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請を用いぬ神にて候いけれと、さしきりで教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぽさば、いそぎいそぎ御計いあるべし」と。【四条殿を召し出す】 再び馬に乗られた大聖人は、由比ヶ浜に出たところで、兵士たちに「しばし殿ばら、これに告ぐべき人あり」とて、熊王という少年を四条金吾殿のもとに遣わされた。 急報に驚愕した四条殿は裸足のまま駆けつけ、馬の轡(くつわ)を取って竜の口までお供申し上げた。 大聖人様は四条殿の肩越しに、諄々と仰せられた。「今夜頸切られへまかるなり。この数年が間願いつる事これなり……」と。 四条殿は顔も上げ得ず、ただ泣きながら馬の轡をとりた。 頸の座における大聖人の師子王のごとき御振舞いについて、浅井先生は「下種本仏成道御書」講義で、次のように述べられている。「ご一行が竜の口刑場にお着きになると、頸の座と思われるところに、大勢の兵士が取り囲み騒いでいる。これを見て四条殿は『只今なり』と泣き伏した。大慈大悲の大聖人様が、いま理不尽にも御頸刎ねられんとしている。この無念、この悲しさ、四条殿はただ泣くばかりであった。 四条殿はこのとき重大な決意をしていた。"もし大聖人様に万一のことあらば、直ちに追い腹切って御供申し上げん"と。 四条殿のこの命かけての大忠誠を、大聖人様は後々までお誉めになっておられる。四条殿にこの大信心あればこそ、御本仏の成道に立ち会いが許されたのである。『只今なり』と泣き伏した四条殿に大聖人様は『不覚のとのばらかな、これほどの悦びをばわらへかし。いかに約束をば違へらるるぞ』と仰せられた。 四条殿は弟子であり凡夫だから泣いた。しかし大聖人様は仏様なるゆえ悦び給うたのである。 大聖人様は静かに頸の座に着かれた。時刻はちょうど午前三時ごろ、陰陽中間の丑寅の刻である。 いよいよ太刀取りの越智の三郎が大刀をふりかざして傍らに立つ。そして大刀まさに振り下さんとしたとき、突如として巨大な満月のごとき光り物が江の島の方から出現し、東南から西北にかけて輝きわたった。 その光りがいかに強烈であったか。太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏した。またその衝撃がいかに凄まじかったか。刀はいくつにも折れてしまった。 この光景を見て、取り囲んでいた兵士たちは恐怖のあまり、一斉に百メートルあまりも逃げ出し、あるいは馬から下りてかしこまり、あるいは馬上にうずくまってしまった。 その中に大聖人ただ御一人、大音声で叫ばれた。『いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや』と。 だが、誰一人として近寄る者とてない。さらに大聖人は叫ばれた。 『頸切るべくは急ぎ切るべし。夜明けなば見苦しかりなん』と。 しかし返事をする者もいない。まさに全員が腰をぬかし、へたり込んでしまったのである。 国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切らんとして切れず、ついに御本仏の御威徳の前にひれ伏してしまったのである。 このような不思議の光景が、地球上において、人類の歴史において、果してあったであろうか。これこそ、宇宙法界を我が身と開き給うた下種御本仏の成道のお姿であられる。 まさしく"仏様とはいかなるものか"を、理屈抜きに一切衆生にお示し下されたのが、この竜の口の大現証であった」と。 まことに大聖人様の、鎌倉における身命も惜しみ給わぬ御化導を偲び奉れば、ただ拝跪合掌するのみである。顕正新聞新年号としては、新しい企画みたいなのだが、合併号で編集期間が有ったにもかかわらず、一ページを割いて、半分を写真、半分を文書で、ページ数を稼ぐとは、如何に編集部の能力の無さを伺わせるだろう。
2011年01月02日
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【年頭の辞】【広宣流布はすでに直線コース】冨士大石寺顕止会会長 浅井昭衛 本年は日蓮大聖人御入滅七三〇年に当る。そして御遺命のゆえに解散処分を受けた顕正会の死身弘法は、本年ついに一五〇万に達する。御遺命のゆえに解散処分など嘘!相変わらずであるが、解散処分になったのは自業自得の結果であり、師子身中の虫であった浅井昭衛が行った行為で解散処分になっただけである。結局は、責任転換してるだけである。 日蓮大聖人の唯一の御遺命は、広宣流布の暁に富士山に建立される国立戒壇である。 この国立戒壇が建立されれば、「本門戒壇の大御本尊」の功徳・妙用によって、日本が仏国に成るのみならず、全世界の人々もこの大法を受持して仏に成らせて頂ける。そのとき地球上から戦乱と飢餓と疫病は消滅し、事の寂光土か現出する。これこそ御本仏の大願とされるところである。国立戒壇が建立されたからって、仏国土になどならないだろう。「裟婆即寂光土」なのであるから、正法を保つ人々の信心に余って、その場が仏国土になる。だから、国立戒壇が建立されようが関係ないのである。結局は、正法を保つ人が日本にあふれれば、自然と仏国土になるわけであり、戒壇建立など一閻浮堤広宣流布の通過地点でしかないのである。 だが、これほどの大事の成就を、第六天の魔王が座視するはずがない・ゆえに広宣流布が近づけば、万一自ら打ちくだって、正系門家の内部から御遺命を破壊しようとするのである。 天魔はまず、正系門家における最大実力者であり、政治野心に燃える池田大作の身に入った。池田は忽ちに「国立戒壇」を捨て、「民衆立」と称して、学会員だけで建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。細かく言うのも面倒なので、正本堂建設の供養に妙信講も参加。法華講員も参加。学会員だけで建てたと言うのは、嘘でしょう。もう、耄碌してるのか?それとも、無知な会員を騙すための口舌の徒の発言なのだろうか?・・・ このような大それた御遺命破壊、もし「時の貫首]さえ毅然としていれば、誰人が成し得よう。だが池田大作には、絶対権威の「法主」をも、思うままに操ることができたのだ。この力はまさに「形は人なれども、力は第六天の力なり」(上野抄)の仰せのままであった。時の貫首を思うがままに操る事など有り得ない。それは、大日蓮などの掲載文を読めば明確である。これも、浅井昭衛の脳内妄想でしか有り得ないのである。 顕正会は大事の御遺命を守り奉らんと、必死に宗門・学会を諌めた。池田大作は顕正会の口を塞かんと、宗門に解散処分を下させた。このとき顕正会は一万二千であった。 しかしこの理不尽な解散処分により、顕正会はかえって御在世の清純な信行に立ち還った。これより、戒壇の大御本尊を遥拝しつつ、熱烈の死身弘法が展開された。理不尽な解散処分ではないだろう。浅井昭衛率いる妙信講の行動に問題があり、世間を騒がせた責任を理不尽とは、因果を無視した新興宗教の教祖の言葉としか思えないですね。 この前進を恐れた池田大作は、こんどは公権力を動かして顕正会の弘通を阻止せんとした。だがこの卑劣な謀略も虚しかった。 そして顕正会のたゆむことなき死身弘法は、本年ついに一五〇万に達せんとしているのである。 これほどの不思議はない。解散処分を受けた非力弱小の一講中か、一五〇万の地涌の大集団となったのだ。公権力を動かしてて、顕正会の行動が、世間を騒がせる行動だから、公安警察とかが動いてるだけでしょう。結局、自業自得なんですよね。で、150万の大集団てまだなってないでしょう。(笑)それとも、もう、入会報告書だけは、150万人分を準備されているのかな?・・・ これ全く大聖人様の御守護以外にはない。 いま日本国において、日蓮大聖人の御遺命を奉じて立つ仏弟子の大集団は、ただ顕正会だけなのである。全世界において、日蓮大聖人様の法を貶める行為をしてるのは、顕正会しか無いのである。 そして日本国には、いま亡国が近づきつつある。 大聖人様は佐渡雪中で師子吼あそばした。 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国よりせめらるべし」と。 日蓮大聖人を信ずるか否かによって、日本国の有無、人類の存亡は決する――これが下種御本仏の大境界・絶大威徳であられる。 かかる大聖人を流罪・死罪に処した鎌倉幕府は、仰せのごとく忽ちに北条一門に同士討ちが起こり、その後、大蒙古の責めを受けた。まさしく日本国の柱を倒さんとした天罰である。 さらに御入滅後も、日蓮大聖人に背き続ける以上は、自界叛逆・他国侵逼は年ごとに激化増大する。これ仏法の定理である。ゆえに日興上人は「法華本門を建てられざるの間は・・・自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」と仰せられた。 この現証は歴史が証明している。大聖人御入滅より幕末までの五百数十年は両統迭立、南北朝の大乱、戦国時代と、内戦すなわち自界叛逆の時代であった。明治以降は日清、日露、日中、日米戦争と、他国との戦いに引きずり込まれた。しかもその災厄は歳ごとに増大しているではないか。 だが――大罰は未だ畢ってない。 なぜなら、日本一同は未だに御本仏に背き続けている。加えて、あろうことか正系門家が御遺命に背き奉ったのである。諸天いかで怒りをなさぬことかあろうか。 ここに大聖人御予言の「前代未聞の大闘諍、一閻浮提に起こるべし」が事実となるのである。 すでに御在世の大蒙古と酷似する軍事超大国・中国は、忽然として隣の大陸に姿を現わしている。その地球規模の侵略的マグマは、いま東アジア制覇に向って噴き出している。 それが昨年九月の尖閣諸島事件であった。遠からず中国は「漁船」の大船団を繰り出し、「漁民」を装った民兵を上陸させ、尖閣を実効支配するに違いない。 これに連動して、やがて朝鮮半島の動乱も起こされよう。そして二〇一二年をみつめて台湾統一も進められよう。 中国の国産空母は現在二隻が建追申であるが、二〇二一年に実戦配備するとの予定が、数年も前倒しになると伝えられている。 中国の日本侵略はすでに最終段階、顕正会の御奉公も最終段階。広宣流布はすでに直線コースに入っているのである。広宣流布が直線コースて、そんなの最初からでしょう。「大地を的とすべし」と有るように、脇道も無いのだから直線でしか無いのですね。で、顕正会の最後の御奉公って、浅井昭衛が亡くなるまでの間。すなわし、自分が死ぬまでの最後の御奉公て意味でしょうね。 もし朝鮮半島と台湾が中国の手に落ち、空母機動部隊が日本列島を威圧するに至れば、日本の命運はここに尽きる。そのとき全日本人は始めて、国亡び命を失う恐怖に怯え戦くことであろう。 この時、大聖人様は広宣流布をあそばす。すなわち「日本国一時に信ずる」の日か来る。日本一同に「南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経」と唱え奉る日が来るのである。 この重大の御化導を手伝いまいらせるのが、御遺命を守り奉った顕正会である。 全顕正会員は、もったいなくも大聖人様に召し出だされた地涌の菩薩である。この最終段階の御奉公こそ「仏法を得べき便り」と歓喜し、断固としてその使命を果たし、一人ひとりが仏果を遂げさせて頂こうではないか。 平成二十三年元旦日亨上人は、「天変地夭の災難を現代に言うのは良くない。利用の効果はなく、むしろ悪効が有る。天変災禍を利用されたのは、その時代には効果が有ったから用いられたのは仏の大慈悲による。」(日亨上人講述)と述べられている。浅井昭衛よ!日亨上人様の仰せを無視するのか! 顕正新聞新年号から、全く疲れる内容である。作文や、編集者の能力LV0ぶりが満載である。
2011年01月02日
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