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オヤジといえば、僕には実の親父がいる。でも、もうひとり職場にこの人は自分の親父だと思える人がいる。僕はこの上司を勝手に、“職場の親父”だと思い込んでいる。顔はコワモテで、怒ると迫力がある。僕は反射的に「すみません」と謝ってしまう。何故か・・・・・。恐いからである。でも、後でよくよく考えてみると、怒られたのは自分が悪いからであって、それを真剣に怒ってくれる上司の存在はありがたい。いま、真剣に怒ってくれる上司がどの位いるだろう・・・・。部下の顔色を伺いながら、オドオドしている人間が増えた。僕もそのつまらない人間のひとりである。昔から出来の悪い僕は、よく怒られてきた。実の親父からは当たり前のように、殴られてきた。ワルサをすると、近所のおじちゃんからも殴られた。学校の先生からもよく殴られた。でも、憎いから殴るわけじゃない。「殴ったときの手の痛さは、殴られたときの痛みよりこたえるんだよなぁ」最近、それが分かってきた。それでも、殴ったり、怒ったりしてくれる人は偉い。“職場の親父”には感謝しております。
2007.01.31
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今日は、小型船舶操縦士の免許更新に行った。行って講習を受けてビックリ。法改正により、1級から5級まで区分されていた船舶操縦士の免許が、1級と2級の2つに統合されたそうな。僕が取得したものは、4級小型船舶操縦士の免許だった。資格は、●5マイルまでの航行が可能●5トンまでの船舶重量の船の航行が可能というものだったのが、なーんと船舶重量が20トンまで操縦できるようになったらしい。「ほほっー、すごいじゃん。まるで石原裕次郎の世界だぜ!」なーんて思っていたのだが、考えてみれば、そんな船を買う金なんかねぇよ。写真は、講習で使ったテキストで~す。
2007.01.25
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天神・渡辺通り、電気ビルの近くに日本料理店Hがある。初めてこのお店に行ってから、3年位たつ。この店の女将さんは、いつもお店で着物を着ている。普段は長い黒髪の美人さんである。着物を着ていて美人さんとくれば、とてもおしとやかな人をイメージするが、そうでもなかったりする。お酒も強いし、「がはははっ」と男のような声で笑ったりする。いつも元気で、人懐っこい性格で羨ましい。今日は、小型船舶の免許更新が意外と早く終わったので、女将さんの家に遊びに行った。コーヒーを出してくれたり、肌荒れにアロエを切って塗ってくれたり、女性らしい心遣いをしてくれる。いつもありがとね。
2007.01.25
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山口県萩市に旅行に行き、松下村塾を訪れた。松下村塾は、木造瓦ぶき平屋建てで、わずか8畳の小さな建物だった。しかしここが明治維新の胎動の地になった。松陰は、身分や階級にとらわれずに門下生を受け入れて、若者たちを指導激励。わずか2年半の間だが、久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら、明治維新の原動力となり、明治新政府で活躍した多くの逸材を育てた。安政の大獄に連座して松蔭が幕府から処刑されると、それに激怒した高杉たち門下生が、塾の柱を刀で切り付けた跡が生々しく残っていた。それを見ていると、当時の血気盛んな若者たちの熱い息づかいまで伝わってくるようだった。
2007.01.23
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12月30日は、2006年競輪グランプリが東京オーヴァル京王閣で開催された。僕は故郷の佐世保競輪場でグランプリの様子をじっとモニターで見つめていた。車券は、吉岡の1着流し。観客たちは「吉岡は引退するのか」、「まだわからない」と吉岡の話題で持ちきりであった。以下は、グランプリ終了後のスポニチの記事。 ↓吉岡は大歓声の中、ラストラン 吉岡、完全燃焼――。30日に行われた「KEIRINグランプリ06」で9着に敗れた吉岡稔真が17年間の選手生活に別れを告げた。レース終了後はバンク内でファンにあいさつした。 ファンで立すいの余地もなく埋まった京王閣競輪場。ラストランとなる吉岡にとっては、これ以上ない最高の大舞台になった。11R終了後の選手紹介の時から延々と続く吉岡コール。「涙をこらえるのに必死だった」。スタートしてからも地鳴りのように「吉岡」の名前が連呼される。1周、2周、3周目…。「周回を重ねる度に涙があふれてきて前が見えなかった。最後は踏んだけどレースにならなかった…」。こん身の力を振り絞って7番手からまくって出たが、結果は9着に終わった。 敢闘門に戻った時に待機していた父・孝浩さんの「お疲れ」の一言に、吉岡の緊張の糸は切れて涙の抱擁。初めて息子のナマの競走を見た孝浩さんが「よくやった」と背中を叩く感動の場面では検車場で待つ選手、関係者の涙を誘った。 グランプリ表彰式後、施行者の計らいで吉岡のラストラン・セレモニーが行われた。気温は5度。帰る者は誰もいない。敢闘門から入ってきた吉岡に大歓声の渦が二重三重にこだまして、ゴーッという音に変化した。「ありがとうございます。吉岡稔真は、これだけのファンの皆さんの前であいさつができて幸せ者です。17年間、本当にありがとうございました」あいさつ後のラストラン。スタンドのどこからか「よーしおか、よーしおか」の声。これに同調するように、スタンド全体から波が起こり、再び、大歓声の渦となってこだました。前代未聞のラストランは吉岡がどれだけファンに愛されたかを示すメモリアルランでもあった。 一方、90年代をともにリードしてきたライバル神山のコメント。 ↓▼神山雄一郎 吉岡君と対戦して思い出に残るレースはたくさんあるけど、僕は96年の競輪祭が一番印象に残っています。吉岡君が逃げて僕がまくって優勝したレースです。吉岡君の存在があったからこそ僕も頑張れた。17年間、お疲れさまでした。 競輪に魅力を感じた最大の要因は吉岡の走りだった。 吉岡のレースを一体どれだけ見ただろう。 そのレースひとつひとつに一喜一憂した。
2007.01.03
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