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札幌といえばラーメンである。「ラーメン屋」と調べると700の店舗が専門店であるが、喫茶や居酒屋等を含めると1000店以上が「ラーメン」を提供する都市である。こんな街が他にあるだろうか?イッセンテンである。凄いラーメンの街なのだ。札幌のヒトは「ラーメンはこのみである」という。そうなのだ、ラーメン哲学を有していて評論できるほど食べつくしている。肌が白く艶のある顔で云う。札幌はラーメンでしょう!と。函館の塩。旭川の醤油。そして札幌の味噌が有名である。札幌のラーメンは何故?ここまで有名になり、たくさんの人を唸らせ、美味しいのか?今日はその秘密を公開してみせましょう!I love Sapporo Ramen heartily.今日は用事を済ませて「未確認ラーメン」へと足を運んだ。そう、札幌ラーメンとはこのようであるのだ。それは、札幌の寒冷な風土や大自然が育んだ味。濃厚で味が深く、まろやかで適度な油がここちよく、シャキシャキのモヤシがトッピングされる。サッパリ!スッキリ!サラサラ!のものは札幌ラーメンではない!それを求めるならば全国にあるではないか。そこでこのラーメンの他では真似できない秘密を書いてみる。■それは水なのである。■私は全国を渡り歩いた経験がある。いささか閉口してしまった問題は「水」であった。特に関東、関西、中部の水は飲めなかった。札幌の私は腹をこわすからだ。札幌市の水道局がボトルドウォーター「さっぽろの水」を売り出した。これは札幌市民が水道で飲んでいる水だが、本州では飛ぶように売れてしまった。売り切れなのだ。そう、札幌の水道水は母なる川、豊平川上流定山渓渓流が水源。そこは緑豊かな支笏洞爺国立公園や国有林野内にあり、また、冬のあいだに降り積もった雪が天然のダムとなって初夏まで蓄えられるなど、恵まれた環境にある「雪の水」なのである。いいかえれば大自然が育んだ本当のミネラルウォーター。札幌の家庭では蛇口をひねると、この水が噴出する。この水でつくるのと、他の都心水で作るスープの味は、残念ながら一目瞭然!丸みと味が断然ちがってくるのだ。■甘みとコクの正体を見たり!■札幌ラーメンはコクと甘みが自然で特筆すべきもがある。スープなのにフルーティーな味わいが生きているのだ。札幌の特産に「さらら」というタマネギがある。これも私が本州で驚いたことだが、本州のタマネギはボワァっとしていて味が薄く、痛みやすく芽がでる。この札幌さららは味が濃く透明度があり、石のように硬く栄養も味の深みも本州のそれとは比べ物にはならない。半分以下でも味がでるし、深みは真似るここが不可能であると感じる。そして、春になっても「芽が」でずに、そのままの味が低下しないのだ。この素材を皮のままに寸胴に放り込み、一日かけて旨さを引き出したスープは軽く深く、清新でいて素晴らしい味がする。そう、札幌が元祖のスープカリーの命も「さらら」なのだ。これだけは真似ることは不可能だ。私は秋に20キロ1200円で農家からいただくが、深みが違う。「さらら」を昔からふんだんに煮込んだスープが札幌ラーメンの血液なのだろう。■再会への道しるべ■慕情への憧れ10分のドラマ再会までの余韻札幌ラーメンにはドラマが生きている。それは憧れと余韻による表裏一体の物語なのだ。これも本州で生活して感じたことだが、北海道(札幌)の人たちは本州の平均よりも極端に加工食品を食べない。それは、新鮮で美味しく、しかも安価な食材が揃っているからだろう。素材を活かすのが食の王道であるなら、この点は北海道は恵まれている。だから、加工食品をいただく機会が減るのは当然でもある。新鮮で安く、相当に美味しいカニがあるのに、誰が添加物タップリの「かにかま」を買うだろうか?身もとろけるような美味しい「男爵芋」がそこらに転がっているのに、誰が加工を極めた外国のマッシュポテトを好むだろう。そうなのだ、北海道の人は添加物をあまり食べない結果となり、人工調味料に敏感になり得るのだ。だからラーメンも同じ。リン酸塩(味をつける粉等)が多く混入されたスープはスグに飽きるし、その店は長続きしない。天然自然の出しが効いたスープは優しく、いつまでも後味がここちよく、人々に「慕情」をあたえるのだ。札幌ラーメンは風土と自然と人の営みが作りだした真似出来ない味。チャーン店で食べても札幌の本店が美味しい理由がここにありますね。正統派!札幌ラーメンの王道!多聞のオススメ。「未確認ラーメン」住所:札幌市北区屯田4条3丁目2-2電話:011-772-7347営業時間:11:00~20:00定休日:毎週火曜・第3月曜駐車場ありあーあぁ。あと二ヵ月は雪に覆われる札幌。札幌は寒いから、身体が油分を求めるのですね。冬の夜ラーメンが食べたくなるゆえんなんでしょうか。秋から冬にかけてラーメンはその売り上げを倍増させますね。北海道の生活食でもあるんですね。じゃ、またラーメンかきますね。バイバイ。■今日のお別れポエム■喝 采 の 道 遥か北を目指す鉄の道に揺られいまさら置き去ったもの達を想うこだまする汽笛ふるさとへの道色あせたシネマの思い出が招く儚く崩れたつかの間の青春物語繰り返し贈ったカーテンコール二度と幕は開くことがないのに車窓に吹雪いた結晶はあてた手の形に解けて激しい日本海を映し出す身体にそそいだ振動は僕の心を揺り起こして激しい慕情を掻き立てるカーテンコールが聞えてくるランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.31
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■川を見つめて■川の流れは穏やかになり、激流ともなり、落ち跳ねては大海を目指す。その水面は人生の場面を思わせるように数々の表情を現し、全ての生命と共存しながら流れるからこそ、無数の環境と自らを浄化して、その生命を謳歌する。人はこの営みを見つめて美しいと感じる。しかし川が川である意味と、この世界に川がどれだけ必要なものであり、地形や生態系にどのような幸をもたらし、どこまでの能力を秘めているのかほとんど知る由もない。その偉大な働きは近年になり「重要」であることが知られてはいるものの、そのほんの一部でさえも解明はされていないように思う。人の心も穏やかになり、激流ともなり、落ち跳ねては大志を目指す。そして人の行動は人生の場面を思わせるように数々の表情を現し、全ての生命と共存しながら生きるからこそ、無数の繋がりと自らを昇華して、その生命を謳歌する。私はこの営みを見つめて美しいと感じる。しかし人が人である意味と、この世界に自分がどれだけ必要なものであり、地球や人々にどのような幸をもたらし、どこまでの能力を秘めているのかほとんど知る由もない。人心の偉大な働きは近年になり注目され研究はされて来ているものの、そのほんの一部でさえも解明されていないように思う。■知っているのに知らないこと■第一、私たちには知らないことが多すぎる。いいや、知っているのに分からないことが多すぎるのだ。鳴りそうだと思った電話が鳴りだす。逢いたいと願った人が突然現れる。同じ言葉を考え一緒に云ってしまう。不安にかられた日に、それが事実となる。これは、日本古来より「虫の知らせ」として私たちが知っている現象の一部である。しかし、どうしてかは説明できないし知らない。そもそもこの「虫の知らせ」とは「第六感」といわれるものだ。これは人が持つ知覚能力の内、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、以外の、一般常識としては存在しないと信じられている感知能力のことである。それらの能力は現代まで「テレパシー」とか「霊能力」などと呼ばれてきたが、そんな特別なものだろうか?もし、「虫の知らせ」が「テレパシー」とか「霊能力」だとしたら、これは特別なものになってしまう。何故かといえば「いかがわしく」なるからだ。■川の流れのように■川の流れを見つめるように人を見つめ解明しようとした人がいる。それは自分を知ることが「不明を明らかにする」ことを知り、探し求めた人々だ。1500年前の天台は「八識・九識」といい。20世紀のフロイトは「集団的無意識」といい。現代のシェルトレイクは「形態場」といった。それは、人が持つ意識は偉大であり、素晴らしい営みを内在していて、意識の深いところでは全ての心が「繋がっている」と明言している。これは現代になってやっと実験証明されてきたが、その一部しか知る由もない。しかし、わからないが解ること。「虫の知らせ」を解明している。そう、人はテレパシーでもなく霊能力でもなく、自分のもっている無限の力量(つながり)を知ることで本来の自分を見つけることができるのだ。捜し求めているものはこの心の奥底にひっそりとたたづむ垣間見た者は涙するだろうただ喜びに 静かに人は自分を知るために生まれて来た。それは実験でもあり挑戦でもあるが、とても長い道のりなのだと感じる。現代の科学は証明でできないものを「無いもの」としてきたが、それでは中世の科学者を痛めつけた「魔女狩りの教会」となんらかわらない所業ではないだろうか?知っているのに知らないもの。それは川であり人であり、全てである。そんな懐がいまこそ大切な時代になってきた。■スピリチュアルという言葉■21世紀は心の時代といわれる。なぜなら、いままで人々は物質に支配されてきた。その反省と後悔がこの言葉を作り出したかにも見えてくる。川の流れが激しく、自分に見合っていないのならば川を掘り、流れを変える。そのデメリットも知らないままに。自分が気に食わなければ、人の心に土足で上がり込み、命さえも奪ってしまう。そんな人間の「業」に皆があきあきしてきたのだろうか。スピリチュアルという言葉がある。これはスピリチュアリティ(Spirituality)の略でもあるが、この国では「霊性」といかがわしい訳をする。ちがうのだ。「意識論的、あるいは精神論的生き方」だと私は理解している。とってつけたようにスピリチュアルな先生がテレビやメディアに登場して「生き方」を説明するが、彼らは決して意識や心を説明しない。それはまるで、飛行機には乗せるが飛行機の飛ぶ論理を説明していないことに等しい。不安である。知りたいが解らない。とても不安である。だからこそ商売にもなるのだ。これはとても罪なことであり、人間の一番の崇高な部分を商売にしていることが許せないのである。この混沌として、何でもありえるであろう現代に意識を深めつながりを求めることは、私のスピリチュアルにはとても大切だと感じるが、それは自分でしか知ることの出来ない、自分の孤高な能力だ。知ってはじめて「つながり」を理解し、人生を転換できるものだとおもう。無限の力にたどりつけるのはメディアでも雑誌でもなく孤高の自我の確立であり、しかも、それは見渡すことにより、どこにでも営まれている自然のことわりの中に生きているのだ。■わからないのに効果があるもの■チャネリング(channeling)という言葉もある。これは常識的な通信手段では情報をやりとりできないような相手(何か高次の存在・神・霊界人・未来人・宇宙人など)から、特別な能力によって情報を交信することだとされるが。私は深層意識に潜り込みつながりを自覚する行為に他ならないと感じる。それほど人のスピリチュアルは優れていると感じるからだ。入り口が違うのだ。このままでは宗教に埋没してしまい、苦しむ人々もいるだろう。本当の人間の能力とは開放されるものであり、それだから発達し駆使できる時代が訪れるはずだ。宗教というひとくぐりに束縛されるほど、本来の人間性は愚かではないと感じる。そこで「開放」という言葉を考えて見る。セラピスト(therapist)という言葉もある。人を癒し、病気や怪我や社会環境から人々を救い、社会復帰させようとする素晴らしい療法士のことだ。その手段はたくさんある。イルカ。イヌ。ヒト。香り。運動。物語。声。音楽。。。。それらに随時に人々を触れさせて幸福と癒しと復活を促す人々のことをいう。しかし、説明はできないことが多い。このような実績がある。との経験論でのことも多いのだが「結果」がついてくるから素晴らしい療法なのだと感じる。触れさせること。「つながる」こと。それはやはり自分を自覚し知る過程でもある。その自分は自分でもわからない大きな川。いまこそ、精神の世紀が訪れた。だからこそ、本当のスピリチュアリティを探す時代になったこと。それが少しのことでも、私は喜んでいる。*** 今日のお別れポエム ***海 を 渡 る 風 数珠繋ぎのテトラポットを登りいつも地平線のありかを探したカモメは空で首をかしげながら背伸びする僕に不思議そうだね心は遠く海を渡ってゆくけれど身体は海を歩んでいけないんだ優しい家族がいた彼女の元へは波よテトラポットを濡らしてよ僕の絆を湿らせて強く滑らかに数珠繋ぎの想い出をいだくままもっと大きく背伸びをしてみたランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.28
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ついに火星人発見か!?火星人が弓で狩をしている!?写真提供:NASA/JPL-Caltech/Cornell University 火星探査車Spiritから送られてきたパノラマ写真の一部に興味深い画像が写っていた。これがその画像だ。撮影されたのは米国時間2007年11月6日から9日にまでの間だという。僕が見る限りこのように思う。この被写体は人間に見える。しかも口にはショールのようなものを巻き、足元まであるスカートのような物をまとっている。?明らかに豊かな乳房が確認でき、肉付きからも女性に見える。こちらの動きに驚いたように、中途半端な姿勢にも見えるが、こちらは丘の上から遠くを眺める小さな探索車。数キロも離れた場所からの撮影なので「この人」はコチラに気がついていない可能性がほとんどだと思われる。右手は動きを見せるように撮影されているではないか?なにかの作業中なのだろうか?よく見ると(これが人間なら)手には50cmくらいの棒状の道具をかざし何かを念じているようにも見える。そしてこの棒状の先は太くなっている。両手で握っているのが分かるし、顔もその道具の先端を見つめているようだ。真剣に仕事をこなすようにも。誰がこれを火星にある岩や自然の造形物だと思うだろうか。いいや、あくまでも写真でしかないので、本当は自然現象の一部かもしれない。でも、僕は人であると思うんだ。きっと火星に住む僕たちの仲間だろうと。あなたならどんな解釈でこの映像を見ますか?これは火星人ですか?なんだか、とっても面白くなってきました。この写真をネガ処理してみたんですが、明らかに周りの岩とは光の反射が一線を隔していて、その影は美術でいう曲線のグラデーションを描いて見える。広大なパノラマ写真の左下がこの映像らしいが、丘に囲まれたくぼ地なので、生活に関係する「水」を探しているのかな??日差しが強く、寒暖の差が激しいので地下に住居をもっているのか?この棒状のものを持つのに手をまくりあげているので、スピリチュアルで高度な技を?まてまて、もう少しこの人?の目線を追ってみよう。おお!驚いた!この写真は狩をしているのではないだろうか?これが人間(A)だとすれば30メートル先(B)には四足の動物(C)が見える!するとなにか?左の片膝をついて、踏ん張るように見える構えは、戦国時代の武将が矢を弓で射る姿勢にも見えてくるではないか!!これは僕が見つけた推測ですが、そう見えて仕方がなくなったのです。興味は尽きず、物語まで浮かんできました。火星人だと面白いのにね。こういうの大好きな人、トラバってくださいね。ところで、ミッシェルさんの炊飯器で作る!りんごケーキがあんまり美味しそうだったので真似しました。ベージングパウダーが少し足りなかったけど、とっても美味しかったよ。火星の表面みたくなっちゃった。笑しかし、炊飯器で作る料理のたくさんあること!オススメはこちらだよ。■関連記事■※国際時事新聞: NASAが公開した写真に“火星人の骨”?※nasaのアニメで火星探索の旅を楽しんでください。※宇宙や科学に興味があれば「横浜こども科学館」のページが理解しやすいよ。■今日のお別れポエム■情 熱 私って幸福になれないよそんな弱音を口にする人追えば追うほど・・・恋の女神は逃げていく手を伸ばすとそこには誰も数えきれない昔のこと遠い世界の息吹に吹かれ熱と熱がぶつかり合った君はそこで生まれたそして忘れているんだね君は時さえ操れる君は大地を見とおせる思い出してごらん忘れかけた情熱を備わった本当の力を明日になったらね君は倒れた場所に立ち上がるランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.26
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中国「秦」の始皇帝(しこうてい、紀元前259年1月 - 紀元前210年7月)は、若返りと不老不死の妙薬を求め膨大な苦労と財産を使い果たした。しかし、その甲斐なく、詐欺にあい騙されて憔悴して亡くなった。今日ね、みなさんに始皇帝が求めていた妙薬を(それに近い?)教えましょうね。◇動物達が選んだ若返りの食材◇私が子供の頃、我が家では採卵用にニワトリを育てていた。そして、その世話をするのは子供の仕事。私はニワトリと友達だった。そして驚いたのは砂や石、貝殻や石炭まで食べるニワトリに驚いた。(石炭を食べさせたら卵の殻が黒くなった。。。)「美味しいのかな?」私も口にしたが、とても食べられるしろものではなかった。するとオヤジが教えてくれた。「動物にはそれぞれ特徴や身体の機能があって、美味しくなくとも必要なものを本能が選んで食べようとする。」と。では、草食動物はどうだろうか?動物園の飼育係りの人に聞いたことがある。ウサギ。ロバ。ラクダ。馬。鹿。重労働を余儀なくされたり、獰猛な肉食獣から駿敏に逃れなければならない動物たちの前に何種類ものフルーツや野菜を並べて見る。するとどうだろう、有無を言わさず、それらの動物が真っ先に喰いつく食材があるのだそうだ。飼育係りの人が言うには、きっと彼らは「好み」というより、本能が求めて食べているように見えるという。私のニワトリの貝殻と同じく、身体が求めていうと云うのだ。その食材とは「人参」だ。草食動物の本能が選ぶ食材なのだ。草食動物にとって「老い」や「病気」は即座に「死」を意味してしまう。だからこそ、彼らはいつまでも若くハツラツとしなければならないのだ。何たることだろう!?人間とは自分が必要とするミネラルやビタミンを忘れ去り、愚かな飽食のみに走るハクチになってしまった。身体と心が別々になり、大切な本能さえも気がつかないわだかまりに生きてゆかなけえばならない環境を作ってしまったよ。心と身体は一つのもの。それを自ら隔ててしまった現代人は、環境や自然の恩恵を無視して生きているんだ。病気になるに決まっている。一番心配なのは心。心こそ大切なんだ。それが食べ物や思想で壊れてきた。その集大成が地球の破壊や温暖化であることを考えていきたいな。◇人参の効能について◇肉食動物と違い、人間は体内でビタミンCを生成することが出来ない。なぜなら数百万年前から人間はビタミンCを含んだものしか(あるいはそれ中心に)食べていなかったので、生成する理屈がなかったのだ。そしてカロチンはビタミンAだ。やはり人間は黄色や赤のフルーツや木の実、野菜を中心に食べてきた。ニンジンには心臓や内臓を活発にし若返らせるカリュームやカルシューム。そしてカロチンやビタミンC。整腸作用を行い、脂肪を燃焼させる話題の繊維質までも内蔵している。ニンジンはアフガニスタンを原産とされるセリの仲間。ことに、ニンジンのカロチンは肌で抗酸化力を発揮するので、紫外線によって発生した活性酸素を消去し、色素沈着や、シミ、シワを抑え、ダメージをかなり受けた肌も、1日1本のニンジンを食べれば痛んだ肌が修復されるという新陳代謝の食事。またニンジンジュースを継続して飲むと、花粉症や食物アレルギー症状を起こしにくい体質になることはこれまでの研究でも確認されたが、最近の研究では、その有効成分がカロチンであることが明らかになったのです。ガン防止+美肌+抗アレルギー+脱肥満効果=(若返り×不老)素晴らしいバランスのスーパー食材であり、野生動物が推薦する食べ物なのだ。そこで、私は肌荒れやアレルギー(花粉症)で悩む知り合いに食べ物を聞いて回ったことがある。やはり、緑黄色野菜が嫌いな人が多かった。中でも特に風邪をひきやすい人はニンジンが嫌いと答えていた。残念ながら「秦」の始皇帝の時代、アフガニスタンまでのシルクロードは未だ開通していなかったのだろうか。四十代で亡くなった彼の無念さが伝わる。(矢傷による後遺症とも)シルクロードの交易が盛んになり、ニンジンが広がる後世には、やはり北方地方の民族の寿命は延びている。◇長生きする人々の秘訣◇先日、札幌市のリサイクル工場を拝見してきた。ビン、カン、ペットボトルを資源化する工場なのだが係りの人は云った。「裕福な住宅街ではビンが多いのです。比較的所得が低い住宅街ではペットボトルが多いのです。」と。彼が言うにはワインはビンであり、焼酎はペットであるから。。。とのこと。アルコールの度合いが似た飲み物であるが、地域によって明らかに差別されるという。私はそこで職業別平均年齢を調べる。一位-僧侶二位-医者・・・・所得が比較して高い職業が長生きをするらしい。そしてそれは飲み物や食べ物によるのかもしれないと思う。(ちなみに最低寿命を記録したのは詩人でした。。。涙。。。)そう、お金が足りなくたって「考える」宝物があれば健康になれるんだよ。ちょっとした学習と経験なんだね。◇そして多聞は昔からニンジンが大好きだった◇昔からニンジンを食べると「安心」していた。何故なのか解らないが、煮物や炒めものにニンジンが入っていると肉よりも芋よりも選んで食べていた。決して好きなわけではなかった。子供の時から身体が野生動物の「それ」のように動いていたんだと思う。美味しいとかの嗜好ではないと感じる「安心」を食べている感覚なのだ。安らぐのだ。だから、わたくし多聞は人とは多少違うところがあります。それは第三者からよく言われることですが次のようなものです。(自慢ではありません。今日は皆さんのへの若返りの秘法のため、恥を偲んで書きます。)1、何歳か解らない人だ。あるいは年齢より若い。2、思考のレスポンスが早く、応用に優れている。3、生活感を感じないのは、元気だからだろう。そして、私自身、以前から感じていたことは次の通りです。1、髪の毛の発育が早く、新陳代謝が人よりかなり早い。2、病気をしズライ。あるいは病気になってもスグ治る。3、体力が通常以上にあり、持続性がある。ニンジンはね。若返り以上に病気やダイエット。そして美容に素晴らしい効果をもたらします。特にこの冬に色々な工夫をして食べてくださいね。僕の一番のオススメは鍋料理(カレーやシチューも)や、なんと言っても複合効果があり美味しい「ぬか床」で作る漬物かもねと思います。■今日のお別れポエム詩■別れた人がいる。会いたい人がいる。探している人も。人には慕情があり、心があるからこそ切ない想い出にすがることができるのかもしれないよ。きっとそれは自分を知るマテリアでもあるんだ。会いたい。ただ会いたい。もう一度あいたい。でも会うだけでいい。そんな愛が雪の降る夜に巡ってきます。今日は僕の「流星旅行」でお別れです。みんな!健康で!だからこその素晴らしい毎日を送ってくださいね。バイバイ。流 星 旅 行 窓に薄明かりが滲む夜にはかけがえのない時が訪れるこの凍てつく空に船を出し過ぎ去った人達を探しゆく雪よ貴方に心があるならば星の光りで照らし出してよ星よ貴方が命を司るならば遠き別離を返してください灯りが 消えてしまう前に窓に薄明かりが見えた夜は流星の船は高く舞い上がる見つけた人達をつれづれにただ逢わんが為に旅をする 松尾 多聞※【つれずれに】:(古語:そのままに)ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.25
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北海道の開拓は風雪との闘いでもあった。 農地や牧場。あるいは民家の周辺に防風林を築き、開拓民は風雪をしのいだ。 その中でもポプラは柳科であり、丈夫で成長も早いことから、今でも痕跡を残す沢山のポプラの防風林が存在する。 北海道大学構内や美瑛のものが有名だが、身近にある私の散歩道のポプラ並木も素敵だ。 ここは、昔に使われていた子供たちの通学路。親達が子供を想い、無事であるように協力して植樹したことだろう。 地吹雪は命を奪うこと。それを経験から皆が知っていた。(地吹雪動画)そして子供達は、目も霞む石狩平野の地吹雪の中、この大きく林立する防風林を目指して帰途に就いたことだろう。 なんにせよ、最近まで、北海道の冬に生きることは、数々の意味で命がけだった。それが通学だったとしても。今は誰もいない歴史の路。私はたくさんの心や想い出を探すようにこの美しい路を闊歩する。 既に樹齢を重ねたポプラだが、開拓の心を表現しているように、天に向かい手を差し伸べ、背伸びをしているように私には見えるのだ。 それは今でも地域を見守っている「心の防風林」でもある。 人は人に寄り添って育つ。人はそれを受け入れて生きてきた。あまつさえ、それはあたりまえのことだった。人は人を思いやり、人は人の想像力で助けられてきたはずだ。人の人としての想像力は、いつか形になり必ず残るはずだよ。人は人であることを愕然と知る時が、いつか絶対に訪れるよ。路も町も草も木も空も大地も歴史も営みも全てが存在するね。人は人が行ってきたことを省み思い出し、そこに生きるんだ。人が人であることの証は、人が積み重ねて来た心を知る旅だ。人が苦しみと向き合い築いたポプラの路は僕を人に近づけた。みんな!雪が溶けたら北海道においでよ!どこにいても、素敵な優しい心が降ってくるんだ。日差しでさえ、白い雲でさえ、吹く風でさえ、映る景気まで、人々の心が染み渡ってあなたを迎えてくれますよ。雪が降る。大きなボタン雪なんだ。白くてふわふわだ。とっても美しく見とれてしまうんだ。そんな女性を羨望した僕の青春。雪が降ると思い出す。今日は【冬の人】でお別れです。みんな!元気に!負けないで!大丈夫だよ。バイバイ。(僕はこの作品のBGMを聴くと泣いてしまいます。どうして分からない。題名をクリックしてね。勇気がわいてきます。)冬 の 人 想い出詰まった綿帽子春待つぼたん雪が降る大好きだった貴方を想う終わることなき囁きで心の中に広がった白く綺麗な綿帽子いつも夢見るぼたん雪僕は貴方を追っていたふわふわ輝くぼたん雪ホタルのような綿帽子貴方をそっと触れてみた知らなかったよ冷たいよにわかにそれは溶け消えた松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.22
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北海道は寒い日が続いています。そんな寒い外での話し。何故か、僕は【物事を】について若者達から、その個別の感慨を聞かれる事が多いのですが、今日は「差別」について聞かれてしまい、僕自身が考えてしまいました。寒いから逃げ出したかったけれど、しばらく話し込んでしまったよ。「多聞さん。あなたは人間を差別しますか?」「また、あなたは障がい者を差別しますか?」これは、真剣な質問でしたので、私は真剣に答えることにしました。なぜなら、答えることは重要だと思ったのです。それは、彼らは、私がボランティアをしていること。また、障がい者との付き合いが長いことを知っているからです。僕はいいました。君ね、って。例えば僕が若者だったとします。若いなりに苦労して職について、初めて給料を貰い、やっと一人前に成れたと思った。そして初めてのボーナスをいただいたよ。僕には憧れが三つあった。いつも焼酎で我慢してるオヤジに高いウィスキーを買うこと。酔っ払いのオヤジにあいそが尽きたオフクロに旅行券を贈ること。二つは簡単に出来たし、凄く喜んでもらえたんだ。オフクロなんて近所に自慢して回るし、オヤジにいたっては、その酒を無理にも飲んだのだろうか?次の日に病院に駆け込んだほどだよ。そして、僕の願いも叶った。それは北海道の有名な寿司屋で思い切り【お好み】で寿しをつまむこと。叶ったのです。「おーー!若いの!ボーナスだって?よっしゃ!手塩にかけてにぎっちゃる!」ものすごくおいしかったし、感動した。しかしだ!僕は質問して来た彼らに聞いた。「憧れの寿司屋さんに入ってニメートルもある黒人の大将がね、握っていたら違和感はないかい?」って。「いやだ!」「考える?」「ビックリ?」「にげるう?」って答えが圧倒的だった。それは。。。それは当然だよ。だってインパクトがありすぎて、経験にないものだからね。でも、どうだろう。そのニメートルが友達で、君も一緒に修行した仲間ならね。絶対に二メートルの腕を信じているならね。どうだろうか?そう、人々は経験で生きているし、それ以外のことには「うとい」のかも知れない。だから、知らないことにはインパクトがあるし、ビックリしてします。しかし、それはこちらの問題であり、相手を差別する理由にはならないんだ。だからこそ人間は「知り」、「わかり」、「想像」する愛こそが必要であると言った。しかし、僕はどうだろうか?差別はある!絶対にある!だからこそ僕はヒューマニズムと言う、より大きな哲学を知り、学び、創造しなければならないと思った。ニメートルの寿司。若い僕だったら逃げ出したと思うから。若者達は、寒さに震えながら僕の話を30分も聞いてくれた。そして、僕は障がい者を僕とは差別します。だって、それを知らないと仲間になれないから。明らかに違うこと。それを理解できないと、僕が人間的になれないし、彼らのすばらしさも理解できないから。そして、自分さえも理解することが出来ないから。でも、本当は差別なんて言葉はいらないんだ!「知らない!」そんなことだよ。「知る」ことが全てであり君たちは知るために生きているんだ。知ること、学ぶこと、経験すること。それが生きていることであり、繋がりだ。差別はあるんだ。それは知ろうとしない人間の無知であり、恥ずかしいこと。しかし、我慢することでもなければ、訴えることでもないよ。互いを明らかに出来る人間性にね、全てがあるんだ。今日はそんなこと話し合って僕は自分の詩を皆にプレゼントしたよ。諳んじて語る僕の身体は既に固まって震えていた。寒かった。でも、みんな熱かった。TOMODATI 手が動いているよ自由にしなやかに美しく動かしたい君の手は動かない固まって動かない僕の心は動いてる君の心も動いてるねぇ不便なんだね僕の手は自由だねねぇいいじゃないかそんな形なんだもの動かない君の手はね人の心を動かすんだねぇいいじゃないか喋れない君の声はね人を止まらせるんだ自分しか見えない僕を確かに止まらせたんだ何を思われてもいいよ辛いことがあってもね君は僕の友達なんだよ僕は友達を探していた尊敬できる本当の友をいつかきっと輝くまで僕達が自由に輝くまでずっと歩んでいこうよ自由にしなやかに生きようよ横目で見られたっていい邪魔にされたっていいよ涙にくれても生きられる夢が壊れたっていいんだもっともっとしなやかに僕達は生きられるんだね僕と、僕達と同じ悩みだねでも少しだけ違うことはほんの少しだけ違うこと君は本当に美しいよ君は本当に優しいよ君の涙は偽りがない君は君は正直でいる生きることは芸術だね君も僕も生きているよねぇ死ぬまで生きてやろうなぁ僕も同じく生きていくありがとう!君達!ありがとう!友達!僕もくじけないでいくねランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.21
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Yahoo登録サイト(カテゴリー)を目指せ!今日はSEO対策だよ。個人が運営するサイトが、Yahoo登録サイトを目指し、登録していただけるのは夢のようなことですが、皆が望むことでもあります。まぐれでもありますが、僕はこの偉業を成しました。きっと行って来た手順が成功の鍵であったと思うのです。今日はそのヒントを公開しちゃいますね。SEO対策とは?サーチエンジンの検索結果のページの表示順の上位に自らのWebサイトが表示されるように工夫すること。(YAHOOカテゴリーに登録されている僕のページ)自分のページトップを(INDEXでなくともよい)多数の検索エンジンやリンクに定型文を作って登録しますが、その前に、ロボットの読みやすいMETAタグをページに貼り付けます。例(このサイトはYAHOOカテゴリに登録されている)-----------TITLE>恋愛詩集「恋詩織」/TITLE>META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">META NAME="robots" CONTENT="index,follow">META NAME="description" CONTENT="癒しの庭へようこそ。恋の想い出は宝物。優しい気持ちで読んでください。">META NAME="keywords" CONTENT="詩集,詩,ポエム,love,恋愛,恋愛詩集,poem,愛の詩集,投稿詩,愛">META http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css">----------------※タグを表示させるために行頭の「
2008.01.19
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はぁーー、、、釣りしたい。しかし、、、札幌は雪模様です。朝から自宅の除雪作業に追われていました。二時間の重労働でクタクタですわ。そして、こんな寒い日には鍋料理が恋しくなりますね。新鮮な魚でミソ仕立ての鍋は、北海道の定番。その中でも美味しいとされる旬の料理が「鍋壊し」なんです。??「何?その料理?」って思われる方に説明を。昨年、北海道は長万部沖で、船を出しカレイを釣っていると、そのカレイを追いかけて獰猛なカジカが喰いつきました。でかい! そう、これがカジカ。 北海道ではカジカ鍋は、「あまりにも美味しく、皆で鍋をつつくものだから、鍋が壊れる。」という意味から「鍋壊し」と呼ばれます。 身がタンパクでありながら出しが美味しく、アンコウにも勝る一品です。味噌仕立てでいただきます。 料理方法はコチラを参照。 三杯もおかわりしてしまいました。(自分で作ったけどうまかった!)本州の方も、手に入ったら挑戦してくださいね。決して鍋は壊れませんから。笑◇今日のお別れポエム◇人々には心の拠り所があります。恋人であり故郷であり友人であり仕事であり家族であり目標であり記憶であり大志でありたくさんの繋がりが林立して心の防風林を築き上げています。寒風から己を守る力がそこには備わっています。あなたに防風林はありますか?あなたの防風林はなんですか?僕の作品「防風林」でお別れします。寒い週末。ウガイを忘れないでね。ばいばい。♪BGMです。クリックしてから読んでくださいね。 防 風 林 アスファルトに沸立つ雨が降る雨をすり抜ける風は温度を失い焼けつく胸を冷却しようと寄せる幾千万の夜を越えて秋を迎える大地の鼓動を聞いた飾られた全ては幻に消えていくそうだね僕は一人で生きてきた泣きながら何もわからないままでも今なら話すことができる信じて欲しいから本当は淋しいから貴方へ僕の鼓動を伝えたい僕に沸立つ雨が降る心をすり抜ける風は想いを君へ運ぶ僕が本当の僕を知ったから雨に光る遠い防風林は浮かんでるここにおいでと呼んでいる今までもこれからも何人も守るため悔しくて負けないでいた僕を呼ぶ僕を包んで守ってくれる場所がある遠くにいる貴方に伝えたい雨は降ることをやめて故郷へ急ぐ僕の車の跡には跳ねあがる水滴が虹になったランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.19
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寒い!北海道の江丹別という旭川に近い町で、今朝、今年の最低気温が更新されました。-33.3℃。 新聞記事はこちら実感のない方もいましょう。そこで何度も体験した私が、どんなものなのか説明しますね。身体偏1.肌を出しているところは針を刺すような痛みがくる。特に鼻と耳が痛む。2. 帽子を被らなければ頭が痛み、口にはマフラーをしなければ歩けない。3. 粘膜を守るため涙と鼻水が溢れ、瞬きするとまぶたがクッツき、鼻ミズはツララになる。4. ちゃんと喋ろうとしてもロレツが回らない。5. と息はどこまでも白く広がり、キラキラ輝く。自然偏1、木々の水分が凍結膨張し、大音響で樹皮が割れる。「凍裂(とうれつ)現象」(遠くで大砲が撃たれているような音がこだまする。)2、ぬれタオルは5秒で棒状となる。3、消化栓には焼酎を加えておかなければ凍結することもある。4、遠くの音や景色がはっきりとするので、星も綺麗だ。5、歩くと「キュッッキュッ」って鳴るので楽しい。ダイヤモンドダストが美しい。生活偏1、雪の上で酔っ払って寝ると確実に命を落とす。2、みんな家にいるので、この寒いのにアイスがよく売れる。3、車のエンジンが、そりゃもう、かかりズライ。バッテリーもあがりそう。4、窓が美しく凍結模様を見せてくれる。5、お酒も売り上げがあがる。大体、午前7時までにー20℃大まで温度が回復しなければ学校は安全のため、授業を先延ばしたり、休校にしたりしますね。凍傷になると困るからね。そんな感じですよ。今日は僕の作品「凍笛(とうてき)が鳴る道」でお別れ。じゃ、またね。バイバイ。凍 笛 が 鳴 る 道 雲は流れて空高く凍笛が聞え来る低く遠い音色が木々をも眠らせた背中を丸め暖炉に蒔をくべいれるあの冬に父が踏んで創った雪の道高く冷たい雪壁を辿りもがいてた背中だけを信じながら母と続いた凍笛が襲いかかる寒さを呼び込み大地に響いて家族を一つに導いたくべる炎に映し出す命をかけた道父が拓いた細く長く吹雪に霞む道いま私の目前にもつづいて見える私も踏みしめ私の道を拓いてゆくこの作品の背景を私がテレビで朗読しています。こちら。【 凍 笛 】 シベリア寒気団が南下して北海道に厳寒を運ぶとき、上空高く無数の霧笛が鳴り響くような音が続き、暴風を伴って大地は吹雪に染まります。その不気味で恐ろしい音に私が「凍笛」(とうてき)と命名しました。 ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.17
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ボランティア「札幌豪雪救援隊」の活動が来月後半から再び始まる予定です。昨年の札幌は思いの他、雪が少なく「社会福祉協議会」からの依頼があまりありませんでしたが、今年はこれからの豪雪積雪が見込まれるため、活動を再開させていただくことになりそうです。過去の活躍の模様はテレビで報道されてます。こちら。自分達が準備して、自分達が勝手に行う!ありがとうもいらない!心と身体と時間に自己完結を抱いた素晴らしい仲間達が集まります。何故か?心ある人々は「イケメン」であること。それが素晴らしくもありますよ。ボランティアとは、自分の心の実現であり、それは自らが感じ、自らが昇華してこその多大な努力を必要とします。葛藤の向こうには「支援」という素晴らしい結末が待っているのです。しかし、参加してくれる若者たちは「徹底的にやる。」終われば去る。「やらせていただく!」この心をもって、凄まじい活動を展開してくれます。通りがかりの人々さえも、その姿に感銘を受け、前掛けをつけたまま、買い物ブクロを横に置いて、子供さんを伴って、手伝ってくれます。「私も活動に感銘して黙っていられないのです!何かやらせてください。」「おまえら!なにやってるんだ?そうか、そんなら俺にも手伝わせろ!」つかの間でもかまわない。できることだけでかまわない。僕たちはあなたの心が嬉しい!今年もがんばりますね!応援!よろしくお願いします。今日のお別れポエムは、このメンバーが活躍する「ふるさと札幌」の歌です。想い出が積もる街ふるさと札幌は遠い街風が行き交う白い街人が落とした想い出がとても優しく積もる街一人きりでもかまわない心が悲しく痛んだらいってご覧よあの街へ涙が小さく消える街風に心をなびかせて暮れゆく街を覗いてごらんふるさと札幌は僕の街夢が行き交う光りの街心を覆う寂しさをとても優しく包む街思い出してもかまわない貴方は貴方でいるように歩いて生きたいあの街をたたずむ人を照らす街いまマフラーをなびかせて自分を見つけてみてごらん通りすぎたもののなか笑顔は再びよみがえるふるさと札幌は遠い街風が行き交う白い街人が落とした想い出がとても優しく積もる街※この活動に共感していただける皆様にお願いがあります。遠い北国でも、自分の時間とお金と労力を提供して、ただ、純粋に、見返りのお茶一杯をも阻んでがんばっている若者達がいます。どうかトラバックをいただき、この心をたくさんの人に伝えてください。お願いいたします。NPO 札幌豪雪救援隊 隊長:松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.14
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こんばんは!温泉が恋しい季節ですね。今日は地元の温泉でゆっくり過ごしていました。ブラックシリカ(黒鉛珪石)の温泉「湯楽 しのろ」は凄く温まりました。いつも思うのですが、いつかこの石で自宅風呂を作ったら、なんて素晴らしいだろうと感じます。とにかく汗が退きません。このブラックシリカ(黒鉛珪石)は北海道の檜山管内・上ノ国町でしか産出しないといわれる石。 常温で遠赤外線を放射しマイナスイオンを多量に発生させることが発見されたスーパーストーンなのです。すんごいよ! だから、天然温泉でありながらこの石を浴層やシャワーノズルにまで設備した「湯楽 しのろ」は断然オススメの390円です。サウナや露天も勿論完備されているし、蕎麦やラーメンは400円からとお得なんですよ。JR篠路駅から徒歩3分。是非、お立ち寄りください。湯けむりパーク湯楽しのろ札幌市北区篠路2条7丁目5-15電話:011-774-1126 さてここで「北海道!地名クイズだ!」北海道には難しい地名が山ほどあります。あなたは何個読むことができるでしょうか??まずは準備運動に常識問題から。1・稚内 2・礼文 3・札幌 4・羽幌 5・釧路 【答え】1.わっかない 2・れぶん 3・さっぽろ 4・はぼろ 5.くしろ むぅ。これは簡単すぎますね。では、ちょっと難しく出題します。1・天売 2・焼尻 3・留萌 4・興部 5・留寿都 【答え】1・てうり2・やぎしり3・るもい4・おこっぺ5・るすつなかなか難しいですが、北海道の人なら全部読めますね。では、地元も汗する問題を。1・丸瀬布 2・音威子府 3・置戸 4・占冠 5・神恵内【答え】1・まるせっぷ2・おといねっぷ3・おけと4・しめかっぷ5・かもえないいかがですか?ええ?まだ読める地名がありましたか。じゃあ、これが読めたらあなたに北海道博士の称号を贈りましょう!1・花畔(石狩市) 2・生振(石狩市) 3・濃昼(石狩市) 4・渚滑(紋別市) 5・芭露(湧別町) 6・志撫子(湧別町) 7・文庫歌(小樽市) 8・覚生(苫小牧市) 9・珸瑤瑁(根室市) 10・梨野舞納(共和町) 【答え】1・ばんなぐろ2・おやふる3・ごきびる4・しょこつ5・ばろう6・しぶし7・ぶんかた8・おぼっぶ9・ごようまい10・りやむないさぁ!まいったか??なんてね。北海道ではアイヌ語の地名が多数を占めていますから、当て字が多いのです。朱鞠内(しゅまりない)幌加内(ほろかない)など、「内」のつく地名は「谷」がある場所だとか。それとは反対に当別(とうべつ)江別(べつ)札幌:サリポロベツなど「別」のつく地名は水が氾濫する場所。ですから内とは山手で内陸のことが多いし、別とは平野や盆地であることがわかります。では、アイヌ語からできた市町村名を挙げてみましょうね。 ●稚内市(わっかない)語源: アイヌ語「ヤムワッカナイ」(給水場)。●枝幸郡枝幸町 (えさし)アイヌ語「エサウシ」(岬)。●紋別市 (もんべつ)語源: アイヌ語「モウペット」(静かな川)が訛ったもの。●士別市 (しべつ)語源: アイヌ語「シペツ」(川の岸辺)。●名寄市 (なよろ)語源: アイヌ語「ナイオロプト」(渓流に注ぐ口)が訛ったもの。●留萌市 (るもい) 語源: アイヌ語「ルル・モウ・ペツ」(静かな湖水がある場所)。●増毛郡増毛町 (ましけ)語源: アイヌ語「マシケナイ」(カモメの多い所)。●網走市 (あばしり)語源: アイヌ語「チパ・シリ」(祈りの聖地=幣場)が訛ったもの。そう、北海道の地名を調べると、行かずともその地名には地理や特徴が込められているんですね。面白いですね。では、今日はここまで。エッセイはお休みしますね。僕の作品「美瑛の丘にて」でお別れします。バイバイ。美瑛という地名は、十勝岳からこの辺りへと流れる美瑛川が硫黄分で白く濁っていた事から、アイヌの人たちがこの地を(油ぎった川)という意味のアイヌ語で「ピィエ・ペツ」と呼んだことが始まりと言われる。美瑛(びえい)の丘にて ここはねカムイの土地と貴方が言ったとき風は吹く丘をすり抜ける閃光に風は草原を海原にして民が創った作物の幾何学は大空に向かう飛行場のよう心を大地に託しながらも丘に飛び立とうとしているこの風道を拓いた人々よカムイに背かぬ歴史達ようねる土地をせき止めて防風林は輪郭を作るけれど受け止めて捧げあってきた生きることが美瑛にあった ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.12
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この記事は前回の続きですよん。■受け賜ることの普遍性■「いいもん!だって詩人だから。」そう、僕の詩人生活は「なりきり」から始まりました。「人生とは演技であり、演技は習慣に変わり、習慣はやがて、その人の本質になる。」僕は、僕の信ずるところを実行する努力を真剣にはじめました。もちろん作品にも取り組みましたが、五感から詩人になることに努めていました。いつもは気がつかない近所の庭に可憐な桔梗が咲いていました。普段は目にとめることも無かった花。「うわぁ。美しく見える。詩人だから。。。」仕事がうまく運び終わってカンパーーイ!のときも。「僕は仕事もできたんだなぁ。詩人なのに。。。」イタリアなどの派手なブランドの服を着ていたのですが、ダーク系の服装になったり。「うん。渋いぞ!詩人だから。。。」咳き込み熱を出して病院で点滴を受けているときなどは、「おいおい、僕って詩人みたいだなぁ。。。」(勝ってな解釈含)まぁ。このあたりはどうでも良くなってきましたが、とにかく詩人になった自分がとっても嬉しく、それを楽しんでいる帰来がありました。そして、「詩人スイッチ」を入れたままに、詩を書くのです。いいえ、描きたいのですが、どうもこれが上手くいかない。「心を表現したい!」しかし、上手くいかない。「心を探したい。」でも、わかりはしない。そんな日々が続いていたあるとき、僕はまた、近所の桔梗に出会いました。そのときには彼女はもう、満開で気品があり、少女が大人になったような雰囲気を与えてくれました。そして、彼女に見つめられて僕は下を向いてしまった。恥ずかしくなったのです。「何をカッコつけてるの?詩人さん。」「だって、詩を書こうとしてるんじゃない。」「詩人さんって、がんばるのですか?」「馬さんは速いけれど、それがあたりまえ。」「鳥さんは飛ぶけれど、それがあたりまえ。」「人は呼吸するけれど、それがあたりまえ。」「みんなあたりまえに生きているのに。」「そんなことさえ意識していないのよ。」「私は咲いているだけ。それがあたりまえ。」「詩人さん。あなたは詩を書いているけど、詩は描かなければいけないの?」「私は花を綺麗に咲かそうと努力しなければいけないの?」「ただ、あなたの周りの全てが笑っているわ。」「なにをカッコつけてるの?詩人さん。」僕は、そんな声が聞こえてきて、ただ恥ずかしくなった。力いっぱいペダルを押しながら苦しみ、そしてその「抵抗」に苦しんでいた。でも、ここで「身体を微細化」して「溶け込まねばならないこと」を知ったのです。アイシュタインのあの公式を実践するには、心をもっと大きくしてこの世界と同化しなければならなかったんだ。大きいから重たいものではない。大きいから軽くなれるんだ!自分の心のみを見つめることは、あるいは探すことは、それは小さな世界でしかない。そうなんだ。僕もこの世界のように「ひとつ」になれば風よりも軽く、羽ばたく翼よりも柔軟に、走る閃光よりも空高く。僕は生きていけるような気がした。大きな自然に生きている者たち。それは決して争わず、求めず、ただ生きている。ただ、己をまっとうしている。人間はどうだろう?僕はどうだろう?上手くいこうと思ってないかな?損はしたくない。もっと良くなりたいし、邪魔されると怒り攻める。しかしこの自然は、こんな小さな庭にも、あるいは見上げる山岳にも生きていて、あまりにも完璧である。そして私達を魅了して止みはしないよ。僕はそれを「受け賜る」ことができるだろうか?それに自分から溶け込もうとしているだろうか?僕は僕の詩人から抜け出して、より普遍的になれるだろうか?この大自然の本源を、僕の本源を統一して自分を魅了できるだろうか?詩とは「ひとつ」の心であるならば、自分から離れて、より大きく軽い世界から魅せるものではないか。「人は生かされている」。僕はそんなことを信じている。命とは「賜る」ものならば、詩も藝術も全てのものは「賜り」にあり、あたりまえのもの。その真髄は生きることや、魅せることを人々に強要し、しかし、その強要が「やすらか」であるはずだ。ありのままを知る。もっと大きな命を知り普遍的になれば、僕は詩人でいられる。書くことだけ。上手く書くことだけを求めていた僕は、ある意味で正直になろうとおもったんだ。そして未熟でも人の心に成りすまして描いた作品が「愛しい人へ」だった。僕はこの作品で「素直」になれた。きっと「少しだけ」近づいて初めての一歩を踏み出した。そして一年。あの桔梗がまた咲いた。僕は彼女に感謝して、何時までも、何度でも見つめていた。そんな時。僕の大好きな「お母さん」リンクのあけみ様が僕に素晴らしい思い出と心をくれた。「そして、私は花は桔梗です。」と。僕は少女だった彼女の思い出と人生を賜って「桔梗の詩」を書かせていただいた。この作品は今では僕の代表作となった。「人生とは演技であり、演技は習慣に変わり、習慣はやがて、その人の本質になる。」しかし、僕は詩人でいて、なってみようと決めて思った。「演技とは探求と努力であり、そこから生まれる習慣とは賜りに気がつき、この世界のように大きくなること。」だと。そう、気が付いた。「E=mc2」(Eはエネルギー、mは質量、そしてcは光の速度)物理学は心の発露であり、アインシュタインの「相対性理論」は、すべての可能性を明らかにしようとした理論の入り口であると感慨を憶え、僕は彼を大好きになり、その優しさに心を馳せていた。彼はバカにされたことがありましたが、このような理論を世に発表できた、数少ない偉人でした。きっと彼は狂ったように「云い切り」、優しく説明したのだろうと感じています。つづく。今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。実はこの「心の偉人になる方法」は、出版社のリクエストなのですが、描いているうちに、とっても心が燃えてきました。まだまだつづきますので、どうかお付き合いください。今日のお別れは、記事にもありました「花とあけみ様」から「賜った」作品。「桔梗の詩」です。じゃね、次回に。バイバイ。桔梗(キキョウ)の詩 口もとをまるで風船のよう膨らませては溜息のひとひとり静かな夏の日に窓をおでこに押し当てて熱を逃がして逢いの時ひと重ふた重の藍の空ポンと飛び出し駆けてゆけ風に揺られて咲いてゆけ涙を溜めたつぼみ花膨らませては待っているひとり静かの花桔梗清楚に貴くたたずんで熱を逃がして愛の詩ひと重ふた重の藍の花悲しみ吐いて咲いてゆけ空に染まって咲いてゆけ私の弟は「だいせい」(大生)というダイナミックな名前。北海道は札幌で社会保険労務士事務所を営んでいます。(僕に似てますか?)いままで大きな賞を小説でいただいてきた彼。僕も応援していますが、このたび携帯小説にチャレンジして12000作の難関をくぐったらしく、最終投票に残りました。文芸作品の短編としては、素敵な作品です。もし、よろしければ読んでいただき、作品の一番下の「評価」をお願いいたします。作品「冬の惑星」/作::松尾大生←クリックもし、よろしければこの小説のトラックバックなどもよろしく。URL : http://ncode.syosetu.com/n2043d/Trackbackランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.10
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ぐうたら詩人の創り方。その4■宇宙を支配する法則のこと■ 「E=mc2」(Eはエネルギー、mは質量、そしてcは光の速度)アインシュタインの「相対性理論」によると、物体に速度が加わるとその質量は増大し、物体が光の速度に達するとその質量は無限大になってしまうことを示す方程式がこれだ。物体の速度が光速度に達するならば、この数式の結果が無限大となる。しかし、ここで大切なことは、物質の質量はゼロにもなること。そう、永遠かつ絶対と思われる時間でさえ、流動的なものなのだと目の前の数式は語っているんだ。これは未だ、感覚的なものだけれど、哲学さえ包含していて、僕たちの人生に関る大きなことでもある。今日はそんなことをつらつらと、そして真剣に書いてみたいのです。■風に吹かれて歩むこと■僕は自転車を走らせることが好きなんだ。季節の風に吹かれて飛ぶように移ろう季節の風景を心に描写しながら進む。しかし、ペダルを踏めば踏むほど風は吹く。高速になればなるほど、一生懸命なほど「抵抗」と言う風は行く手を阻みだすんだ。ここにもあの数式を感じながら僕は進む。何故?僕は自転車を走らせているのだろうかと。それにはきっと目的があったはずだ。歩んでいても感じることの出来ない感慨を持ちたいから。あるいは目的地に早く着きたいから、またあるいは今よりも健康になりたいから。人は同じ場所に留まることは出来ない。そう、風が吹かなければ生きていけないものなのかもしれない。「命、生命」とは限りなく変化を遂げるもの。だからこそ、そこには風が吹いていなければならないと感じた。あまりの向かい風にペダルを緩めることもあるだろう。そして自分が定めた方向に逸脱してハンドルを切る安寧に陥ることも。それが人生であり、人間であるとも感じてしまうんだ。ならば、地球の氷河時代が生物を劇的に進化させたように、「今」を生きる私たちにも「抵抗」が必要であり、それこそが命を輝かせる本源であることが理解できるようになった。ならば重いペダルを諦めずに踏み続けてみるのも生きていることだと。■ある日のこと詩人になった僕■もう10年くらい前のこと。ある日、僕は詩を書いてみた。そしてそれをささやかではあるがネットで公開してみたんだ。反響はすごかった!「情けない。」「これが詩なの?」「学校はでたの?」「読むに耐えない。」こんなのばっかりで、ナイーブなところを未だ少々持ち合わせている僕には大変なショックだった。あの作品はたしか「あの時 僕は君と海が見たかった」だったかな。ショックで、情け無く惨めだった。でも、、、待てよ!いいや違う!確かに未熟な作品かもしれない。うん、確かに未熟なんだろう。でも、描いた僕は描いた時に泣いていたんだ。僕が生きてきて、感じて、泣きながら描いて何が悪いだろう。ネットで公開したことは悪かったけれど、僕は感謝と愛しか書いていないよ。そんなに個人が書いたものを悪く言うことはないでしょう。「悔しい!」もう、いきなりすごい風が吹いたのです。風は我侭で無責任でした。そして一文一句をバカにする凄まじいものでした。「よっしゃ!この風に乗ろう!詩人になろう!」僕は体育会系の単細胞なので簡単に決めてしまいました。いま思えば「決めたこと」が素晴らしいことであり、心を蝕んだ風こそが僕を導いてくれた。僕はペダルを意地でも踏み続けることを決めたのです。■詩人生活のはじまり■「わたくしは詩人である。」そう決めたのです。それ以前に僕は心に決めていた言葉がありました。きっと初めて目にする方々は首をかしげるでしょうが、こんな言葉なのです。「人生は演技である」パスカルが言うように人間とは弱く、風になびき、とめどない生き物であるが、考えるからこと偉大である。「人間は考える葦である。」そして、僕は考えて、考えていましたが、考えるとは伝えることであり、伝えることとは実行しかないのだと感じました。そう、人間は行うことの有用性に人生があり、その結末は言葉がいらないもの。人生とは演技であり、その演技を続けることは大きな苦痛であり「抵抗」であるが、その苦難に立ち向かう人々の心と行動はやがて習慣となり、やがては、その人の本質となる。その本質とは風を多く集めながらも、人々さえも集め行くもの。僕は、詩人になることを決めたのです。バカだ!最低だ!文学ではない!人間性がおかしい!たくさんの言葉が僕を励ましてくれました。そして詩人の生活を始めました。詩人になるためには演技から始めなければならないから、私の思う「詩人の生活」実行しました。上司に叱られたとき。「だっていいでしょ?詩人だもの。」仕事に追われたとき。「もう、いいや、詩人だもの。」笑これは悪い例ですが、見るもの全てが美しくなり、あるもの全てに意味があり、私自身にも使命があるように感じることができるようになりました。風はドンドンかさみ、僕の心を蝕みましたが、僕は自分の心の質量を軽くして微細化してあの公式と向き合うことを憶えたのです。だって、詩人になると決めたから。エネルギーとは方程式で説明もできるのですが、心の質量も無限に増大していくのです。(つづく)今日は疲れたのでまた後日書きます。誰でもが心の偉人になれるのです。次回は歴史と偉人たちの本当を描き、そして分かりやすく哲学しましょうね。読んでくれてありがとうね。そして僕は詠い続けている。どうして書いているのかな。今日はその理由を描いた僕の作品でお別れします。いつもね、読んでくれてありがとう。心から感謝しています。ここを読んでくださる皆様に、かならず幸福がくるように。じゃね、次回に。バイバイ。僕が歌う詩 僕の全ては夜を駆け巡っていた焼きつけられた映画のフィルム映像が一瞬で替わって行く想い心の内側で塊たちが叫んでいる力強く繊細な声で呼んでいる「ここから早く出してください」言葉をどうしても作れなかった虹に憧れて海を聞いて空に涙して炎に語って人に触れてそっと感動すべき時の中で大きな呼吸を吐き出した瞬間心は彩られた発露を投げ出す魂の詩を織り成していくんだめくり忘れた暦のよう僕の想い出は魂となって生きていた流れていく時間の中で無垢な純白に忘れない君のこと愛することは生きている証だから想い出は美しく輝くべきもの僕たちはまだ魂が繋がっているんだそして救われる時を望んでいたんだね悲しい時が昇華される僕たちの命なんて素敵なことだろう僕の全体は長い夜に駆け巡る深い夜に魂を吐き出すためにそして今日も詠いつづけているランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.07
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ベートーヴェンは醜い小男で品がなく、聴力を失う前後から奇行を噂されていました。 1700年代のヨーロッパでは音楽家は、才能があっても、ただの貴族に仕える召使にすぎない存在でしたが、彼は身分制度を憎み、社会に反骨しています。 また、保守的な形を重んじた当時の音楽に新たな形式や楽器の導入を行なったことで有名です。 彼は11歳の時から酒乱の父に代わり両親と、二人の弟の家計を背負いました。激情的な性格でしたが音楽はショパンにも認められ、才があったのです。 後にウィーンに出ても才は認められるのですが、人間関係がダメなのです。貧困は増長していきました。生涯に70回も引越しをしました。 熱き恋もしました。彼は「同じ人間に生まれてどうして貴族が良い生活で身分も違うのだ」と、心から思っていました。自分が恋した女性は貴族の子女で、身分の違いにより恋は実らないのです。「エリーゼのために」は、社会に反脱し、恋を貫こうとした彼の切ない胸の内が叫びのように聞えてくる曲です。 フランス革命が起きました。当時の音楽家は格式を重んじて保守的です。そして貴族のためにしか楽曲を書きませんでした。フランスの一兵卒「ナポレオン」が、民衆とともに戦う姿に感動した彼は、「英雄」を創作しました。民衆のためにはじめて作られたのです。 しかし、後のナポレオンが皇帝になったと聞いて、彼の夢はまた、打ち砕かれて行くのです。 そしてその時にはもう、彼の耳は聞えなくなっていました。限られた人としか会わず演奏会も行ないませんでした。彼に恐ろしい暗黒が訪れました。 人間関係の悩み、貧困、世話をした親族との諍い、恋人との許されぬ恋の破局、夢の崩壊、そして音楽家の命である聴力の失効・・・彼は31歳で遺書を書きました。死にたいといいました。 苦しみ、もがいたのです。幼少の時から、アルコール依存症の父に苦しめられ、一生懸命に働き、誰からも認められない・・・ しかし、遺書を書いて自分を見つめて、彼は、はっきりと変わったのです。何千人も貴族はいるが、ベートーベンは一人なのだ! もう、耳が聞えないことを隠すのはよそう!私はわたしなのだ!私は、はだかになって私でいよう!私に残されたものは音楽だけなのだ! 彼は、自分の出来る唯一のことに、没頭していきました。「交響曲第五・運命」は、あまりにも有名です。その頃に彼が作りました。 指揮者が彼に聞きました。「この楽曲は、どのようにして表現しましょうか?」 彼は答えました。「私の運命が、ドアーを叩いているように・・・・」 彼は、彼であることを決めました!音楽にすべてを託したのです。その後、はじめて、各地の貴族に認められて、耳の聞えない指揮をとったのは有名です。 貧困のボロボロの指揮者でした。楽曲は「交響曲第九、喜びの歌・合唱つき」楽曲が終わった後、彼は演奏者達の戸惑った表情を目の当たりにして「分かって貰えなかった・・・」と、立ち尽くしていました。演奏者の一人が耳の聞えない彼に近づいて、後ろを見るように促しました。 それまではなかったこと、観客が立ちあがって拍手をしていました。 観客の目には涙が光って輝いていました。彼はヨロヨロと歩き、音は聞えないけれど、みんなのあり様に体を震わせて泣き尽くしていました。拍手はいつまでも、消えることはありませんでした。 こんなに不幸な人を私は見たことがありません。しかし、苦悩の末に苦悩を昇華させた彼は,世界の人々の心に響き続ける音楽を数多く輩出しました。 あの、コンサートの日記には次のようにしたためられていました。 「苦悩を乗り越えて、歓喜に至れ」と、、、57歳、ウィーンで行なわれた葬送を数万人の市民が見送りました。 (ベートーベン:Ludwig van Beethoven: 1770~1827)著・松尾多聞季 節 の 果 て に --この詩を人々に贈る--冷たい雨が遠い空からふいに肩をかすめ去る首を縮めて僕は走ったあとわずかの時だけが覚醒の季節を提示した真白い紙を広げていた秋の色にも誰の色にも決して染まらない空白輝きに舞う創造の純粋戸惑う僕が恥ずかしいこの季節の雨の果てにこの短い人生の果てにこの空白の時の果てにほんの短い今上の生で僕は何を綴るのだろう遠い想い出が交錯して切ない夢がふくらんでつづるには遥かな量でふっと人であると泣いた人であったと愕然とした僕の言葉が白抜きになり人々の心に色彩になれと願いつづけることにしたほんの短い季節の冷雨に僕は背筋に震えを憶えた詩作::松尾多聞 *******お願い*******私の弟は「だいせい」(大生)というダイナミックな名前。北海道は札幌で社会保険労務士事務所を営んでいます。(僕に似てますか?)いままで大きな賞を小説でいただいてきた彼。僕も応援していますが、このたび携帯小説にチャレンジして12000作の難関をくぐったらしく、最終投票に残りました。文芸作品の短編としては、素敵な作品です。もし、よろしければ読んでいただき、作品の一番下の「評価」をお願いいたします。作品「冬の惑星」/作::松尾大生←クリックもし、よろしければこの小説のトラックバックなどもよろしく。URL : http://ncode.syosetu.com/n2043d/Trackbackランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.05
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皆様!あけましておめでとうございます!遅ればせながら新年のご挨拶を申しあげます。 とってもお世話になった人。その人の家に新年の挨拶に伺いました。もう70歳の人で奥様には、とても善くしていただいたのです。お子様がいないので子供のように可愛がってくれたのです。「おやじ!おめでとう!」「おう!良く来たな!お前は毎年来るな。うれしぞ!」「あれ?おかあさんは?」「うん。。。そこにいる。。。」オヤジさんが顎で誘った先には仏壇がありました。僕の大好きな「お母さん」は昨年の11月に急性の白血病で亡くなっていました。僕は、腰が抜けてしまい、這うようにして仏壇に安置された遺骨を抱きしめ泣きました。「オヤジ、なんで教えてくれないんだ!」「お母さん。。。ごめんなさい。。。ごめんなさい。。。」もう、リタイヤして久しいので、親族だけで密葬をしたんだと聞きました。でも、あまりのショックで立つことさえままならない状態でした。命のこと。帰ってきて、おかあさんのことをずっと考えていました。お母さん。。。ごめんなさい。今日は新年の挨拶なのにね、あまりのショックだったことを書いてしまったけれど、また、彼女のことを考えてしまう僕がいました。お母さんは森のように優しく、地球のように大きな人でした。新年最初の僕のブログは彼女を偲び「命の構造」です。命の構造 松尾多聞私達の周りには、言葉で説明のつかないものがなんと多いことでしょう。言い表すことは出来ないけれど、感じること。私は、そのようなものがとても大切だと思います。その一つに「生命・命」があります。生命を一言で私が定義することができるならば、それは・・・「常に限りなく変化を続けるもの。」私は、この命題について何度もここで説明してきましたが、今日は私のイメージをもっと解りやすく書こうと思います。ひと時の快楽に傾倒すること。人への怒りを抱き続けること。帰らぬ悲しみに埋没すること。復讐に躍起となり生きること。自分のことしか見つめぬこと。目に見えぬ不安を恐れること。命とは、本当はそんなに小さなものではありません。私は、いつも考え続けて、ある結論を(ほんの一端)を見つけました。「命とは常に変化を遂げるもの。」その実態をわかりやすく説明させてください。*********人は昔から人工で作られたものを「林」とし、自生する古代からの自然を「森」として区別してきました。そう、生まれてきた人間の「命」は林のように見えます。最初は更地のような土地ですが、親や社会や自然からいただいた「種」がたくさん植えられている土地です。その土地には、やがてたくさんの苗が芽生えることでしょう。そして、たくさんの若木が育ちます。その木々の名前は未だわかりませんが、貴方の成長と共に理解できるようになります。貴方はやがて木々の名前を知るのです。木々の名は「やる木」、「根木」、「勇木」、「負けん木」等なのかもしれません。木々は生長しやっと林を構成します。しかし、やっと形成された林でさえも、とても危ういものです。そこには四苦八苦の風が吹き、貴方は寒さに耐えかねて、一時しのぎに木を犠牲にしながら焚き火をして、大切な木を失ってしまうこともあるからです。忍耐を続ける人の林は、やがて大きくなり、最後には森に繋がることでしょう。それを知った貴方は、森へと足を運び、見上げるような大木に囲まれた本当の命を知ります。そして、その森はたくさんの林とも繋がっていることを発見するのです。その森にも四苦八苦の風が吹き込みますが、森はその生命力で、その風を四季に代えて、木々を彩ることを知っています。森を知った貴方の林は、それからますます繁栄し、たくさんの木の実を落とすことでしょう。その種は木を倒してしまった他の林の人々の下へ。生まれてきた林の更地へ。きっと運ばれるのです。ついには、貴方の林は森と一体となり、区別がつかなくなることでしょう。私は思います。目に見える命とは「林」に見えますが、それは本来のふるさとである「森」があるから出来上がったもの。そして、森を知った人々は他の「林」までも繁栄させる力を内在することになるでしょう。身近に感じる「命」とは林のようなものでも、「森」という繋がりに満ちたふるさとによって成り立っています。やはり私は「人は生かされている」ことを知るべきだと感じます。私達の命とは自分が思う何千、何万、何億倍も大きく素晴らしいものだと思うのです。 僕の大切な「お母さん」は、いま、森に帰り、私達を見守っています。今日は僕の作品「愛を語っていよう」でお別れします。今年もどうぞよろしくお願いします。素敵な新年をお過ごしくださることを心から願っております。家族を、友達を、つながりを大切にしてください。それはあなたの宝物です。愛を語っていよう 切なくなるような愛を語っていよう野に咲く花は枯れ散ってしまっても限りなく生きているから知っていることはほんのわずかでも見つめているのは偶然の出来事でも何かを説明できるから寂しさに包まれて愛を望むのならば野に咲く花のように愛を好きになろう永遠を信じていけるから切なくなるような愛を語っていよう人は大地に倒れても繋がりに起きあがるいつか自分を愛せるのだからランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。テクノラティプロフィール
2008.01.05
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