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今日は大晦日・・・天気予報では、雪が降る・・・と言っていたのにこちらでは、予想に反して、かなり冷たい大雨になってしまいました・・・。そして、今年も、いよいよ・・・あとわずかとなってまいりました。今年は、皆さんにとって、どんな年でしたか?私は、今年の後半に、父の病気や自分の引越しなどが重なり、精神的にも、肉体的にも、かなり疲労度が大きかった年でもありましたが、そんななかでも、7月から始めた『楽天日記』で、様々な方に出会うことが出来たことは、自分の世界を広げる上で、とても大きな収穫となりました・・・。なかでも、自分の知らない職業の世界の方々が、いかに心を砕いて、その仕事に励んでおられるか・・・また、仕事をしながら、その合間を縫って勉強に励んでおられる方々のご苦労を、日記を通して読ませていただくことで、自分が如何に甘かったか・・・また、そのことで謙虚な姿勢で他の人に学ぶことの大切さを教えていただいたように思います。そして、自分の想いを文字にすることで、自分の心の中身を整理することが出来て、意外にもストレス解消に役立ったのは、思いもかけないことでした・・・。今では、長い期間、日記を書かないでいると、精神的にもかなりしんどくなってしまうほどです・・・。歴史のネタについても、ありがたいことに、詰まってしまうということは、ほとんどありませんでした・・・(詰まってしまったら、日記を止めていたかも知れませんね!)ストックは、常に2~3個確保してありますが、タイムリーな時期を見計らって出そうと思ったり、自分の中で熟成させる時間が欲しかったりして、溜め込んでおくものもあります。今は、書いてみたい人物や、訪れてみたい歴史遺産がたくさんあって・・・夢がどんどん膨らんできています。また、まだまだ拙い歴史日記を評価して下さった方が現れて頂いたことも、驚きと同時に、書く上で本当に励みになりました。(実は、子供の頃から、人に褒められることがあまり無かったので・・・ちょっと戸惑ってしまいましたよ!)書き込みをしていただいた方々には、本当に感謝しています。来年も、拙い日記は続きますが、ご迷惑でなかったらお付き合いの程、どうぞよろしくお願い致します。来年も皆様にとって、良い年でありますように・・・心からお祈りいたしております。
2004年12月31日
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先日、スマトラ島沖で、マグニチュード8とも9とも言われる大地震が発生し、その影響で、インド洋に面する沿岸をこれまでに聞いたことも無いような巨大な津波が襲った・・・。一番、被害が酷かったのはタイのプーケット島とのこと・・・。あの辺は、豪華なリゾートホテルも多く、日本からのツアー客も多い・・・恐らく、ビーチで遊んでいた観光客が真っ先に被害を受けたのだろうか・・・本当に心が痛む・・・。そして、インド洋に浮かぶ真珠と言われる、サンゴ礁(ラグーン)に囲まれた美しいモルディブ諸島も、今回、被害にあったという・・・。実は、以前、モルディブに行ったことがあるので分かるのだが、あの島々は、島の周囲が200メートルくらいのものから、1キロ程度の所など、本当に小さな島の集まりから形成される、海抜0メートル地帯である。あんな小さな島に津波が押し寄せてきたら、それこそ、逃げ場はないだろう・・・。モルディブに行った際、いろいろとお世話になったポンポン船の船長さんはご無事だろうか・・・?ふと・・・そんなことが頭をよぎる・・・。そんなことを考えていたら、モルディブの思い出があれこれと蘇ってきた。 (あまりにも綺麗過ぎるけど・・・一応、自分で撮った写真なんだよ~!)モルディブには、シンガポール空港経由で、丸一日がかりで空港の島に到着した。島の一つ一つがあまりにも小さいので、首都の島などあれこれ島ごとに役割がある。その空港の島は、細長く、まるで空母のようであったが、そのような島に、よくあんな大きな飛行機が着地出来たものだと、今思うと本当に恐くなってしまう・・・。空港に到着後も、まだ難関が残っていた・・・。モルディブ共和国は、厳格なイスラム教の国である・・・。日本から持ち込まれた雑誌・週刊誌の類に、もし女性の裸などが載っていたら、即刻、没収!私の持っていたファッション雑誌でさえも、女性が多く載っているということで、細かくチェックしていたくらいだ・・・。税関も無事に通り抜け、ホッと一息つくのもつかの間・・・空港を出ると、今度は、機関銃を持った兵隊が道の両脇をずら~っと並んでいる・・・。「普通、ハワイとかだったら、きれいなお姉さんが、観光客の首にレイをかけてくれるところだろうけど、モルディブは兵隊さんがお出迎えだったよ~!」などと、今だから冗談で済むが、その時は、あまりの張り詰めた空気に、「ここで、もし、スッ転んだりしたら、機関銃で蜂の巣にされるんじゃないか・・・」そんな緊張感が旅行者の間に漂っていた・・・。ホテルのある島は、空港から船で10分ほど・・・ここは、フランスのある有名なリゾートクラブが所有する島だが、どちらかというと、島の雰囲気を存分に生かした、カジュアルで気楽に過ごせるホテルである。話が遠回りしてしまったが、船長さんとは、ホテルの無人島ツアーに参加したことで知り合った。船長さんは、私達のために、海に潜って捕ってきたお魚を焼いて食べさせてくれたり(手で、焼けた魚をほぐすのには驚いたが、せっかく作ってくれたので、食べないわけにはいかなかった・・・)伊勢海老が泳いでいるところを見せてくれたり・・・本当にサービス精神旺盛で、笑顔の優しい方だった。船長さんは、現地人・モルディブの人である。首都の島マーレに家があるが、船長としての仕事があるため、週に一度しか家に帰れないという・・・。そして、イスラム教の人にありがちな一夫多妻を地で行く人で、なんと、彼には奥さんが5人もいると言う!?(誰だ~!羨ましいなんて言ってるのは・・・)多分、たくさんの奥さんや子供さんを養う為に、こうやって一生懸命に働いていたんだろうな・・・。そんなことを、お互い、たどたどしい英語で、楽しく話し合っていたが、一つ、気にかかったことがあった。それは、このホテルには、欧米人や日本人のスタッフの他に、ベッドメーキングや清掃、調理助手を務める現地人スタッフが多数働いているが、彼らには、食事としてカップラーメンしか与えられていないのだという・・・。こんな食事を続けていたら、栄養が片寄って体を壊してしまうだろう。船長さんの顔に、ふと、暗い影が横切る・・・。(そんな馬鹿なことが許されていいんだろうか?)それとなく、日本人スタッフに、「彼らの食事・・・もう少し、何とかならないのでしょうか?」と訪ねると、「自分達も気にはなっていたが、でも、上の連中が決めたことなので、どうすることも出来ない・・・」とのこと・・・。上の連中とは、欧米人のホテル幹部やマネージャーのことか・・・?彼らから見たら、現地のモルディブ人など、奴隷同然の存在なのだろうか・・・?そういえば、客として来ているフランス人やドイツ人も、何処と無く日本人を見る目が冷たい・・・。そういえば、ドイツ人のオヤジには、「ヨーロッパの歴史を、東洋人はもっと勉強すべきだ!」なんて説教されてしまったし・・・(こっちは、中国4千年の歴史だい!!)欧米人のアジア・アフリカに対する差別意識を、まざまざと見せ付けられたような気がした。皆が皆とは言わないが、確かに、こういう連中なら、植民地支配などしても、良心の呵責さえ覚えなかったことだろう・・・。それにしても・・・バイキングの食事がたくさん余るのに・・・せめて、これを、現地スタッフの皆さんに分けてあげられたら・・・なんか、理不尽な気持がする・・・。そんな時、首都の島マーレで、クーデターが起きたという!ホテルに居るお客さんたちも動揺していたが、ホテルの島には影響がないので大丈夫とのこと・・・。こんなに美しい海と空がある美しい国でクーデターが起きている・・・しかも、自分は、そのすぐ側の島で平和な時間を過ごしている・・・その事に、複雑な心境だった・・・。そんなもやもやを抱えたまま、船長さんともお別れの時を迎えた。もう会えないかもしれないけど、自分たちを覚えていて欲しい・・・そんな想いから、日本から持ってきた帽子を船長さんに手渡す・・・。船長さんも、私たちのことを決して忘れないと言ってくれた・・・。今回の津波で、様々な思い出が怒涛のごとく蘇ってきたが、あのとき30歳ちょっとだった船長さん・・・そして、大勢のご家族の皆さんの無事を、心から祈っていきたいと思っている。人気blogランキング モルディブ共和国(外務省のホームページ)
2004年12月28日
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つい先日、愛知県幡豆町にある三ヶ根山に登り、「殉国七士の墓」というのを見てきた。「殉国七士の墓」については、内田康夫氏の「三州三河殺人事件」という本で、ちらっと読んだことがあって、機会があれば一度は行ってみたいと思っていたのだが、その「行ってみたい」が、このところ急に「行かねばならない・・・」という使命感にも似た気持に駆り立てられてきた。この「殉国七士」とは、太平洋戦争(第二次世界大戦)の責務を問われ、アメリカ・中国・イギリスなどの11カ国による極東軍事裁判で、A級戦犯に指名され、処刑された東条英機、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、武藤章、木村兵太郎、広田弘毅の7人のことを指している。(このとき、刑務所と処刑場に使われたのが、あの池袋サンシャインシティが建っている場所にあった「巣鴨プリズン」だったりする!私も、内心、最初にサンシャインに行ったときは恐かった~!)三ヶ根山スカイラインという有料道路の、まるで日光いろは坂のような、くねくねとした山道を登ると、眼下には三河湾の美しい眺めを望むことが出来る・・・。その有料道路の主線から、奥に入り、ひっそりとした木立の中を分け入った中に、突然、巨大な七国七士の碑が姿を表し、その先には、公園のような整備された光景が広がっていた。 正直、A級戦犯の墓というのだから、藪の中にひっそりと小さな石碑が立っているだけだろうと思っていただけに、この立派さに驚いてしまった・・・。 石碑によると、昭和23年12月23日に処刑された7人のA級戦犯らの遺体、または遺骨の遺族への引き取りが、当時占領軍として来日していたマッカーサー指令部からの許可が降りなかった為、それを不憫に思った担当弁護士の発案で、火葬場長・火葬場そばの寺の住職らの協力を得て、遺骨を米軍の目を掻い潜りながら持ち出す作戦に出たらしい。しかし、遺骨の前で線香をあげてしまったことから、この匂いを不振に思った米軍により取り返されてしまった・・・。(ちょっと間がぬけてないか?)そこで、翌日の24日、クリスマスイブで米軍が浮かれまくっている最中、これ幸いとばかりに黒装束身を固めた弁護士ら(ここまでくると、はっきり言ってお笑いだ!)が、見張りの目を盗みながら、暗闇の中、7人の遺骨奪取に成功した。それからしばらくは、伊豆の山中にこれらの遺骨は隠されていたのだが、GHQも去り、ほとぼりが冷めた昭和35年8月16日、ここ愛知県の三ヶ根山に墓碑が建立されたとのこと・・・。この石碑を建てた人物が、黒装束の弁護士ということで、石碑の内容が「いかに自分達が苦労して遺骨を取り出したか」に終始していたので、ちょっと引いてしまったが、要するに、ここがA級戦犯の方々が眠る、本当のお墓というわけである。そのほかにも、ここには、海外の戦地で亡くなった兵隊達の慰霊碑が数多く建っている。 こういう場所に来ると、普通は霊が集まっているような空気のよどみを感じるところだが、ここは、不思議とそういうものは全くなく、清浄な雰囲気に包まれている・・・この清清しさは、もしかしたら、国のために立派に戦って、散っていった兵士達のプライドの表れなのかもしれない・・・。この方達にとって戦争とはなんだったのであろう?何故、日本はあの戦争に突入しなければならなかったのか・・・?A級戦犯は、本当に罪があったのだろうか・・・?中には、戦前の日本を、まるで今の北朝鮮のようであったかのように、「あの時、経済封鎖されたから、戦争ふっかけたんだろ?」なんて、思う人もいるかもしれない・・・しかし、それは大きな間違いである。戦争とは・・・太平洋戦争が日本の真珠湾攻撃から始まったとされているように、ひとつひとつ単体のものとして区切って語られるものではないと思っている。日本が戦争に関わらざるを得なくなったきっかけを語るには、1840年、中国(清国)で起こったアヘン戦争にまで遡らなければならない。このアヘン戦争とは、当時、中国から紅茶を輸入していたイギリスが、それにかわる輸出品がなかった為、国内で禁止されていたアヘンを中国に輸出し、中国の人民を退廃させてしまう。そして、そのアヘン輸入を禁じた中国に、イギリス側が自由貿易を口実に戦争をふっかけたものである。しかし、眠れる大国・中国は、近代化が遅れていたこともあって、イギリスにボロ負け・・・戦争の賠償金として、莫大な銀と香港の領土を取られてしまった・・・。「中国は弱い!」そのことに味をしめてしまった欧米諸国は、次々と難癖をつけては中国に戦争をふっかけ、その度に多額の賠償金と領土をせしめるようになる。それは、まるで中学生の不良が、金持ちだけどケンカの弱いボンボンを脅しては、際限なく金を巻き上げている構図と同じように思える・・・。やがて、日本にも、ペリーの艦隊がやってきて開国を迫まってきた・・・傍らで中国の悲惨な状況を目にしていた日本としては、戦争と言う圧力で迫ってくる馬鹿でかい奴らが、それはそれは恐ろしかったに違いない・・・日本も、それ相応の力を付けなければならない・・・開国後、明治維新を迎えた日本は富国強兵という対策をとって欧米列強に立ち向かわなければならなかった。そうしなければ、植民地化されてしまう・・・食うか食われるか・・・そんな瀬戸際だったに違いない。誰が好き好んで富国強兵や戦争などしたいと思うだろうか・・・?そして、日本は、太平洋戦争で、フィリピン・タイ・マレーシアなど植民地化されたアジアの国々を欧米から解放した。このことは、奴隷のように扱われプライドもずたずたになっていたアジアの人々を勇気付けた・・・。「あんな小さな国でさえ頑張っている・・・自分達も、やれば独立できるかも?」そんな希望を与えられたアジアの国々は、戦後、欧米に立ち向かい、次々と独立していったのである。(戦後、日本に帰らず、独立戦争に参加した日本兵もいたらしい・・・)しかし、日本は戦争に負けてしまった・・・。勝てば官軍・・・どちらが悪いのかはどうでもよく、戦争とは、結局は勝ったほうがすべてである。こうして、日本は、戦勝国から裁かれることとなってしまった・・・。日本は本当に悪かったのか?あの状態で戦争と言う道しか選ばざるを得なかった日本で、A級戦犯に、それほどの責任があったのだろうか?「殉国七士の墓」を見つめていると、そんなことが頭をよぎる・・・。奇しくも、明日は12月23日・・・A級戦犯の処刑日である・・・。もしかしたら、私は、彼らに呼ばれたのではないか・・・?おこがましくも、そんなことを思ってしまった・・・。戦争体験者が教師の中にも少なくなり、戦争を伝えられる教師が少なくなっている今(それでなくても、教師には左の人が多いし・・・)戦犯とされた方々、戦地で亡くなった兵隊の方々の無念の気持が伝わってくるような気がする・・・。「私は、戦争を語るには非力な者ですが、それでも、皆さんのお気持・・・伝えるつもりです。英霊の皆さん方、どうぞ力になって下さいね。」三ヶ根山を後にし、そう思いをこめながら、私は、日記に書くことを心に堅く誓っていた。
2004年12月22日
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今日は、12月14日・・・以前にも書きましたが、今日は忠臣蔵討ち入りの日ですね・・・。そして、その裏を返せば、赤穂浪士たちに討たれた吉良上野介義央(よしひさ)の命日にも当たるわけです。毎年、この日になると、吉良さんの地元・愛知県幡豆郡吉良町の、吉良家の菩提寺のある華蔵寺(けぞうじ)では、吉良さんの毎歳忌が行われています・・・。ドラマの『忠臣蔵』では、極悪人として描かれている彼も、地元の人からすれば、「おらが殿様」・・・まさしく地元に貢献してくださった英雄なのです。そんな訳で、この時期の吉良町に行ってみることにしました。・・・と、その前に、腹ごしらえ!というわけで吉良町のお隣にある一色町の一色さかな広場へ!ここの「むさし」というおすし屋さんは、市場の新鮮なお魚を使っているせいか、ネタはピチピチ、その上、めちゃくちゃ安くて美味しいんです。お勧めは「店長おまかせ握り」1,550円也! でも、土日はかなり混みます!お昼時は1時間は覚悟ですが、その価値は十分にあります。まぐろにアジ、鯛の昆布巻き、サバ、ひらめのエンガワ、イカ、はまち、卵焼き・・・そして、なんと言っても、特筆すべきは「うなぎ」でしょうか?ここ一色町は、なんと!浜名湖をしのぐ日本一のうなぎの産地なのです。「むさし」で使われているうなぎも、もちろん地元の物を使い、ふっくらと焼き上げていて、まるで穴子のような柔らかさ・・・ほっぺたが落ちてしまいそうな美味しさです。そんなことを言っている間に、本題を忘れそうになってしまいました・・・吉良家の菩提寺・華蔵寺です。 吉良町では、吉良上野介のことを親しみをこめて、「吉良さん」と呼んでいます。吉良家は、元々、足利家の出であり、そして、その足利家は清和源氏の嫡流です。(だから、吉良さんの義央という名前の「義」は、足利義政・義満、源氏の源義経、木曾義仲などから引き継いでいるのかもしれません。)北条政子の妹婿である足利治郎太輔義兼公は、政子から大変可愛がられ、源家の重宝・鬚切丸の短刀と白旗一流を賜って、彼を三河の守護(県知事みたいなものかな?)となりました。そして、その息子が西尾(現・西尾市)に居城を構えたことで、足利から吉良の姓を名乗るようになったというのです。地元の人によると、吉良さんは、赤馬(農業用の雑馬)に乗りながら、農民達に「作物の出来具合はどうだい?この辺の話をきかせてくれや!」と優しく声を掛けてくれるような、とっても温情あふれた、心温かい殿様だったのだそうです。その他、新田開発や堤の建設など、地元にも大変貢献されておられます。『忠臣蔵』に書かれているような極悪非道の殿様とは、全く同一人物とは思えないなあ・・・と思われる人もいるでしょう。そりゃそうです・・・もともと『忠臣蔵』のお話は、『仮名手本忠臣蔵』という江戸時代に書かれたお芝居の脚本だったのですから・・・「あだ討ち」が世間の人々のうっぷん晴らしになっていた時代、吉良さんを一方的に極悪人に仕立て、面白おかしく書き上げていたとしても不思議ではありません・・・。しかし、この『忠臣蔵』があまりにも大ヒットしてしまったことから、まるで事実であったかのように今の時代まで伝えられてしまいました・・・。吉良町の人々の肩身はますます狭くなり、吉良さんも、これではうかばれないことでしょう・・・。少しでも、吉良さんのお人柄を世間の人々に知っていただきたい・・・華蔵寺では、そんな意味もあって、毎歳忌を催しているのだそうです。 討ち入りに関する古文書も、ほとんど残っていない状態では、何が真実かを明らかにすることは難しいかもしれませんが、吉良上野介に、このような一面があったことは事実です・・・。面白かった?もし、面白いと思ったら人気blogランキングにクリックしてくださいね!
2004年12月14日
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田舎の朝は、すこぶる早い・・・。日が短い今の時期は、朝6時を過ぎないと夜が明けず、空は真っ暗・・・それでも、6時前から起きている人が多いのか、外を眺めると、所々、家の灯りが燈っているのが見える。きっと、子供達やお父さんのお弁当、朝食作りに励むお母さんたちが、こんな早くから起きているのかもしれないし、超高齢化社会となってしまった田舎では、5時ごろには目覚めてしまうお年寄りの方々も大勢おられるからなのかもしれない・・・そんなことを考えながら、まだ暗闇の中、車を走らせた・・・。実は、今朝、たまたま早朝から出かける用事があったので、こんなことを思ったのだが、よく考えてみると、この町の人々が早起きなのは、この理由だけではなさそうだ・・・。それというのも、ここは漁港があり、それに伴い、魚市場もある。魚屋さんや旅館・割烹・レストラン・スーパーなどの業者さんが買い付けに来るのはもちろん、この魚市場は、一般の人も出入り出来るよう、小売もやっているのである。そんなわけで、早朝に出かけたついでに、私も、以前から、かねがね行ってみたいと思っていた魚市場に行ってきた。そこは、朝早くから、犬の散歩がてら近所からやってきたオバちゃん方や、親子連れの人たちなど、皆、いつも来ておられるのか、とても慣れた様子で、魚の目利きをしている。それにしても、魚の安いこと・・・。アジなんて、10匹入って200円とか300円だし、イカやタコ、ニギスなども大量に入って300円、400円という破格!こんな値段に慣れてしまったら、スーパーでは買えなくなってしまうかもしれない・・・。魚市場のオバちゃんによると、「アジは刺身でもイケるし、酢で絞めても美味しいよ!この辺の人は、ホントに上手に料理してるよ~!」とのこと・・・。魚を料理できなければ、まだまだ半人前ということか・・・私も、もっと頑張らなければ・・・。結局、お気に入りのニギスを300円で購入!その他、メヒカリの干物14匹入りを600円で買った。市場を出る頃には、空も白々と空けてくる・・・淡いブルーの空に浮かび上がる明けの明星と下弦の月が美しかった・・・。家に帰える早々、なれない手つきで、ニギスを新鮮なうちにさばく。朝取れたてのニギスは、肝も白子もぴかぴかで新鮮!捨てるのがもったいない気がした・・・。ニギスを、さばきながら数えてみると、何と!17匹も入っていた。16匹は開きにして、小分けし冷蔵庫に保管。あとの一匹は、そのまま塩焼きにして朝食へ!焼きたてのニギスは、香ばしい焦げ目に湯気が立ち、ほこほことした白身が、しみじみと美味しい・・・。あまりにも美味しかったので、猫にも少し分けてやった。皆、夢中になって食べている・・・。「美味しかったかい?また、魚市場に行って、美味しいお魚、買ってきてやるからな!」人気blogランキング(もしよろしかったら、ここをクリックしてくださいね!)
2004年12月10日
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昨日は、日本全国を、まるで台風のような、季節外れの嵐が吹き荒れていましたが、皆様のところは大丈夫だったでしょうか?ところで、明日は、いよいよ、拉致被害者の曽我さんがご主人のジェンキンスさんと共に佐渡島に向かわれる日となりました・・・。ジェンキンスさんについては、様々なご意見があるかと思いますが、曽我さんが、これまで重ねてこられた苦労と涙の数を思うと、あの北朝鮮相手に・・・ほんとうに、ここまで、よく頑張ってこられたね・・・やっと、家族4人が日本で暮らせるようになってよかったね・・・と、心から思います。ところで、人事ながら心配なのは、果たして、佐渡島でジェンキンスさんがやっていけるのだろうか?ということです・・・。それに関することで、この間、テレビで面白いことを紹介していました。驚いた事に、佐渡島は、6万5千あまりの人口の1%にあたる650人が、なんと、外国人なのだそうです。主に、ブラジル系やアジア人などが多いのですが、それでも、このような田舎の、企業などが進出していない島に、これほど大勢の外国人が住んでおられる事に、少々驚いてしまいました・・・。北国の島というと、とても排他的なイメージがあるのですが、この数字を見る限り、佐渡島は、恐らく、島民の方々が、余所者や外国人を受け入れるだけの度量が大きく、閉鎖性の薄い島なのでしょう・・・。その中には、ジェンキンスさんと同じアメリカ人の方もいれば、カナダ人、オーストラリア人などのヨーロッパ系の人もおられるそうで、その中でも、佐渡島の風景にすっかり魅せられ、島の風景を描き続けているというアメリカ人のアーティストの方のお話によると、佐渡島は、全体的に、島民の文化度がとても高いのだそうです。例えば、農業をやっている人が能や浄瑠璃をやっていたり、新聞配達人が歌を詠んでいたり、クリーニング屋さんが染色をしていたり・・・日常の生活の中に、芸術が息づいている・・・決して、偉そうな顔して芸術をやっている訳ではない・・・そんな所が、佐渡島の魅力なのだそうです。思えば、佐渡島は、鎌倉幕府の転覆を図り失敗した順徳上皇(後鳥羽上皇の息子)や、能の世阿弥、日蓮宗の日蓮上人など、位の高い方が島流しにあった場所でもあります・・・。佐渡島に能や浄瑠璃が行われ、古刹が多く残っているのも、きっと、そのためなのでしょう。もしかしたら、佐渡島には、順徳上皇の子孫が、今でも残っているのかもしれませんね・・・。(世が世なら、皇族の家系になっていたでしょうに・・・)こう考えると、なんだか、佐渡島って、自然豊かで、農産物・魚介類も豊富、そして歴史と文化の深い、まさに理想郷じゃないか~!と、私の方が感動してしまった訳なのですね・・・。このような自然と文化豊かで、外国人も多い島だったら、ジェンキンスさんもやっていけるでしょう・・・。きっと、あのアメリカ人アーティストが最後に言われていた「なんとかやっていけるっちゃ!」の言葉のように・・・。人気blogランキング面白かったかな?もし面白い~!と思われましたら、ここをクリックしてくださいね!
2004年12月06日
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暖かい、暖かい・・・と思って、気がついたらもう師走・・・。あっという間に、年末がやってきました。年末と言えば、『年末ジャンボ宝くじ』を買いに走る人もいるだろうし、会社の決算や、年賀状プリントに追われる人もいるでしょう・・・(あ!そういえば、まだインクジェット年賀状買ってないや!急がないと・・・)しかし、やっぱり、なんと言っても、年末と言ったら毎年欠かせないのが『赤穂浪士』じゃないかな~?(って、そんなの見てないよ!なんて言わないで下さい・・・)多分、きっと、何故か年末になると、お父さんやお祖父ちゃんが、テレビにかぶりついて見てた~って人も多いことと思います。『赤穂浪士』の事件は、その名の通り、兵庫県赤穂市の赤穂藩の殿様であった浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり=戦国武将・浅野長政の子孫)が、元禄14年(1701年)、江戸城・松の廊下で、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)を斬り付け、その処罰として浅野内匠頭は切腹!(ギター侍じゃないよ!)浅野家はお家断絶となったことから始まります。(余談ですが、その後、赤穂藩に入ってきたのが、岡山県津山藩の森家=織田信長のお小姓だった森蘭丸の弟の家系です。)浅野内匠頭に刺された吉良上野介は、愛知県の三河湾の中央に位置する幡豆郡吉良町の出身です。ここは、江戸時代、塩作りが盛んで、たくさんの塩田がありましたが、吉良が塩の名産地であることは、今はあまり知られていません・・・。恐らく、塩作りに関しては、全国的に名の知れた赤穂の方が有名でしょう。そんな訳で、浅野家と吉良家は、恐らく、塩の利権のことで、もめていたのではないかという説もあります。(その事に気づいたのが、空から赤穂と吉良の地形を見ていた、飛行機のパイロットの方だそうです。学者さんでないというのが面白いですね!)殿様は切腹!お家断絶までに追い詰められた浅野家の敵を討とうと、立ち上がったのが大石内蔵介ら四十七士の浅野家家臣たちです。こうして、元禄15年、雪の舞う12月14日の深夜、大石内蔵介ら四十七士は、吉良邸に討ち入り、見事、首を討ち取ります。昔から今まで、赤穂浪士の話は、無念の中に死んでいった殿様のあだ討ちをした美談として伝えられ、吉良上野介は完全に悪者扱いされていますが、日本中の中で、唯一、愛知県幡豆郡吉良町の人々は、年末に『赤穂浪士』のテレビドラマを見ないそうです・・・。やっぱり、地元に貢献してくれた吉良上野介に感謝しているのでしょうね・・・。歴史と言うのは、立場が違うと、全く見方が変わってしまうのが面白いところです。今日の小ネタ「久々に実家に帰ったら、母親がポラリスネックレスを持っていた・・・切腹!」(これ事実・・・) 人気blogランキング面白い!と思われたら、是非、ここをクリックしてくださいな!
2004年12月02日
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