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皆様・・・こんにちわ!今日は、寒波のせいか、風が強くてとても寒いですね・・・。皆様の住んでいらっしゃる地域は、雪など大丈夫でしょうか?ところで昨日は、知人が描かれたという絵を見に行くために、名古屋まで足を運んだのですが、久々に都会(?)に出たもんで、周りはビルばっかり・・・田舎もんの私はキョロキョロするばかりで、非常に疲れてしまいました~。(歩きすぎて、足にきましたわ~!)大阪に住んでいた頃は、毎週のように難波やら心斎橋やら梅田などを歩き回っていたというのになぁ~!!やっぱ、年なのかな・・・田舎の方が落ち着きますわ・・・ふ~。余談はそのくらいにして・・・と・・・ここだけの話!この間、すご~く面白いもの見つけたんですよ!それはね・・・インド人もびっくりのカラーリング剤、『ヘナ』!ご存知の人も多いと思うけど、これは、インドに5000年前から伝わっている方法なんですけど、『へナ』というオレンジ色の染料効果のあるハーブの木の葉っぱを粉末にして、それをお湯などで溶いた物を頭に塗りつけると、髪が染まるというものなんですよ~。私達が普段、(白髪染めも含めて)髪を染める時は、美容室や理容室を利用するか、または市販されているカラーリング剤を買ってきて家で染めていると思うんだけど、これらカラーリング剤のほとんどが、当たり前だけどケミカル(化学物質)な訳じゃないですか~?ナイスミドルteruさんのサイトにも書かれていたけど、カラーリング剤って、パーマ液よりもかなり毒性が強いらしいんですよね・・・。そういえば、私なんて、一番最初にカラーリングしたときは、もう頭がピリピリ痛くて、美容師さんに「すごく痛いです!」って訴えたけど、我慢してくださいって言われるだけで、何もしてくれなかったのね・・・。(「痛い時は言って下さいね!」って、あれは口先だけか・・・。もし、頭皮に何かあった時はどうするつもりじゃ~!!)それに、美容師さんたちの体にも良くないらしくて・・・液剤から出る臭気で気分が悪くなったり、手が荒れたり、挙句の果ては体にしみこんだ液剤で、肝臓壊したりして、美容師を辞めざるを得なくなった・・・ってことよく聞きますからね~。そんなこと言っても、もう10年近くカラーリングやってるからどうしようもないかもしれないけど・・・でも、この間、体調悪い時にシャンプーしたら、頭がチクチクしてきて・・・その時、シャンプーでさえこうなんだから、カラーリングなんてどうなっちゃうんだろ・・・?60歳くらいで薄毛になっちゃう女性とか最近多いけど・・・もしかしたら自分もそうなっちゃうかもしんない・・・って考えたら、「もう、カラーリングや~めた!」って思ったんですよね・・・。でも、そう思っても、髪は染めたいですからね・・・。そんな時、ハーブで髪を染めたって人の話聞いて、自分でも検索してみた所・・・あるじゃない!『へナ』っていう面白いものが!!早速、取り寄せて、試してみましたよ~!天然のへナは、まるで抹茶のような、くすんだ緑色の粉末・・・。これを、お湯で少しずつ・・・ダマにならないようにマヨネーズ状になるまで溶いていって、一晩寝かせます。こうすると、液体が落ち着いて、入りやすくなるんですね。そして、色味を調整するには、紅茶やコーヒーの煮出し汁を使うと少し落ち着いた感じになるし、レモン汁を混ぜてみると色の定着が良くなるらしいです。一晩置いた物を、もう一度、湯煎で暖めなおして・・・わくわくしながら、頭に塗りたくりました~!ヘナは、頭皮に塗ってもいいんですよ~。かえって、頭皮に溜まってしまった毒素などを排出してくれるし、なにより、とっても気持ちよくて、心底リラックスできる感じです・・・。頭皮から髪全体に塗りたくった後は、ラップを巻いて乾燥しないようにして、その上からタオルやヘアキャップを被って3時間ほど置きます。時間を置けばおくほど、染まりが良くなるらしいです。それに、ヘナは、髪を傷めないどころか、逆にトリートメントしてくれるので、一石二鳥なんですよ! (染め上がった髪です!)もともと、私の髪は、カラーリングで黄色がかっていたので、この上に色が入って、ワインレッドのようになりましたが、ヘナは、もともと白髪染め用なので、黒髪の人には、ちょっと染まりにくいかもしれません・・・。多分、光に当てると色が見えるヘアマニキュアのような感じになるかもしれませんね!****************************************************このように、何もかも便利になってしまった現代で、手間隙をかけて、昔ながらのやり方を経験するのも面白いものですよ~!なにより、体に優しくて、エコにもいい・・・というのが嬉しいところです。人気blogランキング
2005年01月30日
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皆さん、こんにちわ!すっかりご無沙汰してしまって、ホントに申し訳ありませんでした~!(10日ぶりの日記です・・・。)実は、先週、書こうと思っていた貴重なネタを、何となく気乗りしなくて、一つボツにしちゃったんですね・・・。(ちと、もったいなかったかな?また、機会があったら・・・ということで)今回は、愛知県の知多半島の真ん中にある、美浜町という所に行ってきました!ここは、あの源義経のお父さんである義朝さんのお墓があることで有名な野間大坊もあるし(また、あとでね~!)、そのほかにも知多四国88霊場があったりして、なかなか見どころの多い場所でもあるんですけど、今回の目玉は、『和訳聖書発祥の碑』を見に行く事だったんです!皆さん、日本で一番最初に聖書を和訳したのは、学者さんでも、牧師さんや神父さんでもなくて、実は、江戸時代の田舎町出身で、身分もない、唯の3人の船乗りさん達だとしたら・・・?ちょっとびっくりじゃないですか?私も、はじめ聞いた時は、びっくりでしたよ~!!その3人の方達の生まれ故郷が愛知県美浜町にあるというので、ちょっと尋ねてみました・・・。 (とても風が強く、波が荒いです・・・対岸に微かに見えるのは、鈴鹿山脈!)聖書を和訳した岩吉、久吉、音吉の3人の船乗りさんは、江戸時代後期の生まれで、伊勢湾に面した愛知県知多半島の小野浦という港を拠点に、宝順丸という、江戸や大阪に米や海産物など様々な物資を運ぶ千石船に乗り込んでいました。そして、運命の船は、1832年(天保3年)10月11日、三重県の鳥羽を出発し、江戸に向かう途中だったのでしょうか?静岡県沖の遠州灘で嵐に巻き込まれ、遭難してしまいます・・・。宝順丸の乗組員14人は、無事に嵐を乗り切ったものの、潮に流されるまま、見渡す限り海以外何も見えない太平洋を、1年もの間、さすらっていたんですね・・・。でも、千石船ですから、米もたくさんありますし・・・食料に困る事はありません・・・。でも、人間、新鮮な野菜や果物を食べないで居ると、ビタミンCの欠乏によって、壊血病という体中の血管がボロボロになって、ついには死に至る、恐ろしい病を引き起こしてしまうんですね。昔の長航路の船員さん、軍隊の人たちは、難破や爆撃でなく、この病気で亡くなる人のほうが多かったらしいです。宝順丸の乗組員の14人のうち、11人がこの壊血病で亡くなりました・・・。 (美浜町・小野浦の良参寺にある宝順丸乗組員のお墓)生き残ったのは、岩吉、久吉、音吉の3人・・・このうち、久吉と音吉はまだ14~5歳くらいの少年でした。この若さも、生き残った一つの理由だったのかもしれません・・・。1年ほど漂流を続けた後、やっと、カナダのバンクーバーから程近いフラッタリー岬に漂着します。これで、何とか助かった~!と安心するのもつかの間、彼らは、アメリカンインディアンに捕まり、奴隷にされてしまいます・・・。しかし、彼らのこの悲惨な事情を知ったイギリスの商社・ハドソン湾会社の援助によって、彼らは日本へ帰る道が開かれることになったのです!その後、イギリス軍艦イーグル号に乗り込んだ3人は、1834年11月バンクーバーを出発し、サンドイッチ諸島(ハワイ)に立ち寄り、南アメリカ最南端(南極の方ね!)のホープ岬を通って大西洋に抜け、イギリスに向かいます。1835年6月、イギリスに到着し8日間ほど滞在した後、今度は、大西洋を南に下り、南アフリカのケープタウン経由でインド洋に抜け、1835年12月、当時、中国最大の貿易港だったマカオに、ようやく到着するんですね!しかし・・・当時はスエズ運河も、パナマ運河もなかったから・・・すごい遠回りというか・・・まさに世界一周してしまった訳なんだけど、この間にも、彼らはすっかり英語をマスターしてしまっていたんでしょうね・・・。このマカオに1年半ほど滞在している時に、ギュツラフというプロテスタントの一派であるウェスレー派の牧師さんから、聖書の日本語訳の話を持ちかけられます。しかし、岩吉、久吉、音吉たちは、日本で、耶蘇教(キリスト教を)に関わる事がどんなに恐ろしいことになるかを良く知っていますから、最初は抵抗があったことと思います・・・。(戦国時代のキリシタンの悲劇や、お寺の檀家制などもそうですね・・・)でも、結果的に、この仕事に関わる事を選んだという事は、長い航海の間に、自然とキリスト教を受け入れていったという事なのでしょう・・・。彼らの翻訳は、今の聖書からすると、非常に面白い言葉に訳されています。例えば、新約聖書ヨハネ伝では、「始めに言葉ありき」という所を、「はじまりに賢きものござる」と訳しています・・・。ここで言う「言葉」というのは、単なる言葉ではなく、ギリシア語の『ロゴス』(神の真理のようなもの)ですから・・・きっと、彼らも、かなり頭をひねって考えた挙句出てきたものなんだと思います。そう考えると、なかなか鋭い言葉だな~と思いますね・・・。そして、いよいよ、彼らも日本へ戻れる日がやってきます!それは、1837年7月・・・あの宝順丸で遭難してから、約5年もの月日が流れていました・・・。いよいよ・・・ふるさとの小野浦も目の前だ・・・!ようやく生きて帰ってこれた!恐らく、彼らの胸の中は、父や母の顔・・・ふるさとの風景で一杯だったかもしれません・・・。しかし、当時の日本は、鎖国政策をとっており、外国の船はそう簡単には入れませんでした。彼らの乗った船は、沿岸で日本からの容赦ない砲撃を受けます・・・。ようやく日本に帰ってこれたというのに・・・目の前の港にたどり着けない悔しさが込み上げてきたことでしょう・・・船は、やむなくマカオへと引き返さざるをえませんでした。 ******************************その後の、3人はといえば・・・岩吉、久吉の二人はイギリス貿易監督庁(商務庁)で通訳として働いていました。そして、音吉は、アメリカに渡った後、上海に戻り、イギリスのテント商会の高級社員となって活躍し、1854年の日英和親条約の締結の際には、通訳として長崎に上陸したそうです。その時、幕府に捕まるのが恐く、身分を中国人として偽って入国した彼の目には、ふるさと日本がどう映ったのでしょうか・・・?そして、明治に入り、政府からの遣欧使節らが、ヨーロッパやアジアの情勢を聞くために音吉を訪ねたそうです。その中には、あの福沢諭吉も居ました・・・。しかし、諭吉は、情報収集には熱心だったようですが、音吉の事を「たかが漁村の息子じゃないか・・・」といった感じで、冷ややかな眼差しで見ていたとか?何だか、「天は人の上にも人の下にも人を作らず」などどほざいた諭吉の言葉が、ひじょ~に空しく響きます・・・。明治になっても、音吉ら3人は日本に帰ることなく、異国の地で亡くなりました・・・。しかし、通訳を務めるなど、彼らの国際的にも目覚しい活躍振りには、目を見張る物があります。苦しい中にも、自分自身の人生を輝かしいものに変えていった彼ら・・・恐らく、もともと頭の良かった人たちだったのかもしれませんが、日本に居る限りは、どんなに優秀であっても、ここまで出世する事は出来なかったでしょう・・・。余談ですが、音吉の息子は、故郷に帰りたい・・・という父親の思いを継ぐために日本に戻り、神戸の商社で働いていたそうです・・・。また、日本からの難破船の乗組員を助け、本国に帰れるように手配もしたという音吉・・・そこには、「故郷に帰りたい・・・」という気持が、痛いほど込められていたのかもしれません・・・。 (岩吉、久吉、音吉の記念碑です。この方達は、故郷の誇りなのでしょうね!)参照:三浦綾子『海嶺』人気blogランキング今日のネタ:昨日の『笑点』では、波田陽区のネタがたくさん見れて嬉しかったな~!来週はアンジャッシュだそうですよ~!あの笑点も若手お笑いブームに乗ったか?
2005年01月24日
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冬のソナタ・・・って、もう日本じゃタイムリーな話題じゃなくなっているかもしれないけど、本場・韓国じゃ、日本で爆発的な人気が出た事から、また再放送されて人気を呼んでいるらしいね・・・。日本で冬ソナファンっていうと、お年を召して、「更年期もとっくに終わっちゃったわ~!」っていうようなマダムを思い浮かべちゃうけど、でも、先入観とか取り除いてドラマを見てみると、これが、結構面白いのよ!特に、昨年の暮れにNHK-BSで放映していた韓国語版の方が、役者さんの声もそのままで面白かったね・・・。それに、すごく興味深かったのが、高校生時代の最初の2話かな?男子高校生の詰襟の服も、女子の制服も日本とほとんど変わらないし、学校の校章なんかつけてるトコとかも、授業が終わった後、先生に礼をして終わるトコなんかも日本と一緒だ~!っていうか、あまりにも違和感のない風景に、日本語版で見てた時なんて、これが韓国のドラマだってことを忘れちゃうとこだったよ・・・。多分ね・・・これ、戦前の日韓併合時代の名残だろうね・・・。でも、決して、日本は植民地支配していたわけじゃないのよ!(この辺が誤解されやすいんだけどね・・・)あくまでも日韓併合!・・・これは、明治時代、あの初代総理大臣の伊藤博文が「韓国が自立できるような国力を蓄えられるようになるまで、日本と合併して、教育・ライフラインを日本と同様に整えて、援助していこう。」という名目で日本の教育者や技術者をどんどん韓国に送り込んで行ったらしいね・・・。(でも、その真意が伝わらなかったのか、伊藤博文は安重根っていう運動家に暗殺されちゃったけどね・・・)それで、未だに、韓国の学校でも「起立・礼・着席」の号令も残っているみたいだし・・・冬のソナタに見るように、日韓併合時代の名残が至る所に残されているという訳なんだろうね・・・。教育事情だけでなく、言葉にも日本語との共通点が見出せるんだね・・・。例えば、高校生時代のチュンサン(ぺ・ヨンジュンが演じた人)が、アメリカに発つためにタクシーに乗っていた時、ユジン(チェ・ジウ)に借りた手袋を見て・・・いきなり「約束があるんだ!」と言って、タクシーを降りて行っちゃうシーンがあったんだけど、この「約束があるんだ!」というのは、韓国語で「ヤクソギ イッソヨ」って言うんだね・・・。厳密に言うと「ヤクソク イ イッソヨ」で、「ク」と「イ」がリエゾンされてヤクソギになっちゃうんだけど、要するに、ヤクソクは日本語と同じ約束から来ているものなんだね・・・。他にも、都市・市民など全く同じ発音で同じ意味のものから、写真(サジン)、主婦(チュブ)とか、同じ漢字から来ている単語もあったりして、結構、面白かったりするんだよね。多分、都市だの写真だのって言葉は新しいものだと思うから、これも日韓併合時代の名残かな・・・って思うんだけど、「約束」はどうかなぁ・・・?かなり古い言葉だったりする場合、逆に韓国から日本に入ってきた言葉ってこともありえるからね・・・。日本に最初に文字が伝えられたのは、4世紀から5世紀にかけてのこと・・・。百済(現在の韓国南部)の王仁(ワニ)博士によって漢字や儒教が伝えられたそうだ・・・。漢字や儒教は中国のものだけど、中国から直接伝わったものではないんだね・・・。その頃から、日本には、百済系の渡来人が多く移り住むようになって、大和(飛鳥地方)を中心に活躍していた東の漢氏(やまとのあやし)や、河内(大阪東部)に勢力を持っていた西の史氏(かわちのふみし)などに代表される豪族が登場して、その後、6世紀後半の聖徳太子の時代には、天皇家にも恐れられていた蘇我氏のような大豪族までも生み出すようになったんだ・・・。そんな感じだから・・・日本という国の文化や言葉の中に、如何に韓国からのものが入り込んでいるか・・・それはもう、数え切れないものがあると思うよ・・・。例えば、日本最古の木造建築で世界遺産の法隆寺にある、国宝の百済観音もそうだし・・・河内地方(藤井寺市)にある辛国(からくに)神社なんていうのもそうだろうね・・・。また、「奈良」という都市の「ナラ」は、韓国語で「国」を表す言葉だというね・・・。(今でも、韓国の人は「ウリナラ」という言葉を良く使うけど、これは、「ウリ」=「私達」「ナラ」=「国」・・・「私達の国」という意識を常にもつ愛国心の表れなんだろうね・・・。)これらのことを振り返ってみても、日本語と韓国語に共通の言葉が多いっていうのも、考えてみれば、不思議じゃないよね・・・。今、「冬のソナタ」のお陰で、日本と韓国の距離がグンと縮まってきたけど、これも、ただ単に、飛鳥時代以前の日本と韓国の本来の関係に戻りつつあるってことなのかもしれないね・・・。人気blogランキング参考資料:「日本古代史と朝鮮」 金達寿(キム・タルス)
2005年01月13日
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皆さん、こんにちわ!もう、すっかりお仕事にもなれて、お正月ボケからも醒め始めた頃でしょうか?(でも、また明日から三連休なんだよね・・・)そういえば、お正月にテレビ東京系で放映していた、「月10万円で暮らせる町」とかいう番組・・・あれ面白かったですね~!ただ単に、魚や野菜が安い!ってだけじゃ、田舎の方では、そんなの当たり前だから、別に驚かないけど・・・(だって、いつも市場で50円のほうれん草や200円で15個も入ったみかん買ってるし・・・魚は鯵10匹で200~300円だし・・・。)でも、兵庫県の温泉町(ホントにそういう地名があるのよ!あの『夢千代日記』の舞台になった湯村温泉のある所よ!)あそこは凄かったわ~!何つったって温泉湧き放題だから・・・!月1,600円の温泉使用料を払うだけで、蛇口から出る温泉使いたい放題よ!もちろん、水道料やガス代なんてかからないのよ~!奥さん!!それに、温泉で茹でた野菜は、色も瑞々しくて、栄養満点で美味しいらしいわよ~!おまけに、日本海側のカニもお安いんですって!セイゴカニが一匹10円ですって!!なんだか、私まで移住したくなっちゃったわ~!ちょっと喋り方が、KABAちゃん.風になっちゃったけど、狭い日本でも、いろんなところがあるのよね・・・。私も、今まで色んな所に住んでたことがあったけど、中でも、一番インパクトの強いのが大阪かしら・・・?なんっつったって、家を借りる時からがスゴイのよ・・・。関西では、礼金・敷金の代わりに、保証金っていうシステムがあるんだけど、その保証金がメチャクチャ高いのね・・・。今はそうでもないらしいんだけど、ちょっと前までは、およそ家賃の10倍が目安だったらしいわ・・・。(10万円の家賃だったら、100万円用意しなきゃならないのよ!もちろん、その半分くらいは出るときに返ってくるけど・・・でなきゃ、ぼったくりよ!)10倍っていうのは、おおよその目安だから、大阪でも環境の良い、豊中や千里あたりの住宅地ってなると、もっと高くなるわね・・・その上、ペットOKの物件っていったら、更に上乗せよ!あたし?え?もちろん、そんな所に住めるわけ無いじゃない!お金の用意できない人間は、大阪の中でも、それなり・・・の所に住むしかないのよ・・・その上、ペットOKの物件だったら、それなりの場所の・・・さらに条件が悪いところになるわけよ!あたしの借りた家っていうのが、これまたスゴイところで、目の前は片側3車線x2の大通沿いで、24時間、車の騒音がゴーゴー聞こえてくるわ、おまけに北西向きで日当たり悪いわ、ホームレスが、マンションのゴミ捨て場を見に来るわ・・・っていう感じだったんだけど、でも、商店街は安いし、人情味あるし・・・下町の風情を、それなりに楽しんで住んでたわけよ~!そんなあたしの日常は、新聞のローカル版をチェックする事から始まるの・・・。凄いわよ~!家の近くでオヤジ狩り(ちょっと古い言葉だったかしら?)、放火・・・そんな事は日常茶飯事で、これ以上のことは、大阪市民の名誉にも関わることなので、ちょっと言えないかしらね・・・。(はしご車を見て喜んでたのは、近所の子供とうちの猫くらいよ!!)中でも、一番ショックだったのは、年寄りが自分の住んでいる文化住宅に火をつけた・・・って事かしら?関東では、文化住宅って言い方あまりしないけど、関西では、木造のとってもふる~い、戦前に建てられたようなアパートを文化住宅って言うのね・・・。風呂なしで家賃も15,000円くらいだから、国民年金だけで生活しているお年寄りの方でも、無理なく払っていける金額だし、皆さん、きっと、昔から住んでいらして、楽しくご近所付き合いをしていたんじゃないかしら?でも、ある日突然、文化住宅の建て替えの話が市から持ち上がってしまったの・・・もちろん、鉄筋に建て替えれば、家賃は相場の10万円前後になってしまうわね・・・。そんな金額、文化住宅の住民の方々に、払えるわけ無いじゃない?そんな感じで、お年寄りの方々は窮地に追い込まれてしまったのね・・・。その中でも、ちょっとノイローゼ気味で、気持のやり場が無くなってしまった人が、自分の家に火をつけてしまったのかもしれないわね・・・。でもね・・・木造の古い文化住宅は、すぐに火の手が回って全焼しちゃうケースが多いから・・・焼け出されて家の無くなった他の住人の事も考えて欲しかったわね・・・。でも、そんな事が結構、多かったのよ・・・たとえ歴史バカでアホな私でも、その時ばかりは、世の中の無常を知ってしまったわね・・・。他にも、露骨な被部落差別・・・在日外国人への差別問題・・・増え続けるホームレス・・・様々な問題を抱える場所だったけど、でも、大阪・・・嫌いじゃなかったわ・・・むしろ大好きだった・・・。バスの運転手のオッチャンも、とっても親切に道を教えてくれたし、自転車屋のオッチャンも・・・いつも優しくて、無料でパンク見てくれたし・・・。人に迷惑をかける事を極端に恐れていた私に・・・「別に迷惑かけてもええやん!お互い様やないか!」と、大きな懐で優しく包んでくれた大阪の町を・・・最もエキサイティングな人生を送らせてくれた大阪・・・今でも大好きよ・・・。(でも、もう一度、あの家に住め!って言われたら、勘弁してほしいわ・・・)、人気blogランキングに投票よろしくね!PS:今日・・・13年あまり飼っていた金魚が亡くなりました・・・大阪でも姫路でも一緒だった金魚くん・・・お正月に死ぬのは申し訳ないとおもったのでしょうか?声を掛けると、前ひれを動かして、「大丈夫!」と言っていた金魚くん・・・死ぬまで義理堅くて、ホントに可愛かったです・・・また、天国で会おうね!
2005年01月07日
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皆様、遅くなりましたが新年、明けましておめでとうございます。本年も、お付き合いの程、どうぞよろしくお願い致しますね!それにしても、年が明けてから3日目を迎え、昨日あたりから帰宅ラッシュが始まっているそうですね・・・。そういう私は・・・今年もまた、お正月に帰ることが出来ませんでした・・・。でも、普通なら車で6時間の道のりも、この時期だと10時間以上もかかってしまいます・・・ましてや、3匹の猫連れの身としては、この距離と時間は、かなりしんどいものがありまして・・・実家に帰るのは、いつも、何も無い閑散とした時期を狙って帰っております・・・。もちろん、望郷の念が無いわけではないんです・・・。自分の家に帰ると落ち着きますし・・・いつも、がんじがらめに自分を縛っていたものから、暫しの間解き放たれて、本当に楽な気持になれますから・・・。そんな両親(良心?)への罪滅ぼしの意味合いも込めて、今回は、望郷の念・第二弾として遣唐使・阿倍仲麻呂を取り上げることに致しました。 *****************************「天の原、ふりさけみれば春日なる、三笠の山に出でし月かも」昨年の10月に、阿倍仲麻呂と同じくして奈良時代(717年)、唐(中国)へ入国した「井真成」という人物の墓誌が、中国の西安(昔の長安)で見つかったという記事が新聞に載っていた。その墓誌には、「姓は井、字は真成。国号は日本。開元22年(734年)正月、急病の為、36歳で死去。(中略)遺体は異国の土となったが、魂は故郷に帰る。」ということが漢文で記されていた・・・。36歳という若さで、しかも、異国の地で亡くなられたとは・・・どんなに無念な気持であっただろうか・・・彼の心の痛みが、1300年もの時を越えて、私達にようやく伝わった事で、やっと、彼も、天国で安堵していることだろう・・・。その井真成と、同じ船で同行した阿倍仲麻呂もまた、生きて日本に帰り着くことのなかった一人である。阿倍仲麻呂は、少年の頃から秀才の誉れ高く、16歳にして遣唐使のメンバーに選出された。そして19歳の時、唐(中国)の首都・長安に向けて出発!学問も文化も遅れた当時の発展途上国・日本から来たハンディも、言葉の壁をも物ともせず、がむしゃらに勉強を続け、ついには、唐の最難関の仕官試験(科挙)に合格し、日本人としては珍しく、唐で、高等官として国立図書館長など様々な役職を歴任し、玄宗皇帝の(あの絶世の美女!楊貴妃を愛人にしていたという超ラッキーなオッサンですわ・・・)厚い信頼を得るまでになったという・・・。しかし、優秀すぎるのも玉に瑕(きず)・・・阿倍仲麻呂は、何度か、帰国の申請を申し入れるものの・・・玄宗皇帝は、彼を気に入るあまり、なかなか日本に返そうとはしなかったそうな・・・。だが、唐に入国して36年あまり経った753年の冬、チャンスはやってきた!彼は、唐からの使節団として一時帰国が認められたのである!(う・・・これじゃ、北OOに拉致された某一時帰国者と変わらんような気も・・・)ようやく・・・一時的とはいえ日本に帰れる・・・大分中国に馴染んじゃったけど・・・でも、故郷の風景は今でも目に焼きついている・・・そんな気持が、出発する前に船の上で詠んだ、あの「天の原、ふりさけみれば春日なる、三笠の山に出でし月かも」(あの空に浮かんでいる月も、春日(奈良)の三笠山から出ている月と同じものなんだろうな・・・)という歌になって表れたのではないだろうか?しかし、不運な事に、彼の乗った船は、沖縄から奄美に向かう途中で嵐に巻き込まれ難破・・・命からがらたどり着いた場所が、なんと、ベトナムの安南(アンナン)だったそうな・・・。せっかく、日本が目の前という所に来て、またもや引き戻されてしまった・・・なんと言う運命だろう。だが、もしかしたら・・・その時、彼はこう思わなかったのだろうか?「中国では自分達は難破して亡くなってしまったと伝わっているだろう・・・このまま日本に、黙って帰ってしまおうか?」しかし、そんな冒険が出来るほど、彼は若くなかったのだろうか?それとも、長年の中国での生活に愛着が出てきてしまったのか?「自分の帰る場所はやっぱり、中国しかない・・・」阿倍仲麻呂は、56歳の老体にムチを打ちながら、かろうじて長安に戻ったのである。その後、長安で再び官僚生活に戻った阿倍仲麻呂は、難破で漂着したベトナムの安南に赴任した後、73歳の寿命を全うして、長安で亡くなった・・・。その時、彼の心に浮かんだのは、三笠の山の月だったのだろうか?それとも、50年以上も住み慣れた長安を愛しながら逝ってしまったのだろうか?そういえば、家の母なども、親のいなくなってしまった実家よりも、住み慣れた今の家の方がいい・・・と言っていたなあ・・・。望郷の念にも、複雑なものが入り混じっている事に気づき始めてしまった今日この頃だったりする・・・。(あ、これじゃ家に帰れない事への罪滅ぼしにならないか・・・?)よかったら、人気blogランキングにクリックお願いしますね!今日のネタ:「ぷーたろです・・・年賀状、68枚も書いたのに、元旦に到着したのは8通でした・・・ぷーたろです・・・。」(まあ、引越ししたばっかりだから、しょうがないか・・・)
2005年01月03日
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