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皆さん、こんばんわ☆いよいよゴールデンウィークに入りましたが、いかがお過ごしですか?私の場合・・・せっかくだから、ちょっと遠出したいな・・・と思ってたけど高速道路は込んでるし・・・テーマパークなどの人の多いところは嫌なので本宮山という昔からの修験者の山に登って(・・・でも、車で登ったので修行してませんけど・・・)、温泉で汗を流して、さっぱりしてきました!私って、やっぱり・・・こういうふうに、のんびりと過ごすのが好きかも?でも、明日からは、東京に勉強しに行きます・・・と、言っても、怪しいセミナーとかそういう部類の勉強ではありませんから・・・!とりあえず、漢文学のお勉強・・・楽しんできます♪その間、コメントのお返事も、お休みになってしまって申し訳ないのですが、どうぞ、皆さんも、お体にお気をつけて、良いゴールデンウィークをお過ごしくださいね☆
2005年04月30日
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皆様、こんばんわ☆昨日の、尼崎の列車事故は、本当にすごかったですね・・・。時間が経ち、詳細が明らかになるにつれ、その衝撃のすさまじさが、心の中にじわじわと入り込んでくるような気がします。普通に電車に乗っているだけで、まさかこんな事故に遭うとは、夢にも思っていなかったでしょうに・・・本当に亡くなられた方には心からお悔み申し上げます。私も、関西に住んでいたことがあったので、この事故については、いろいろと思うところがありますが、それにしても、オーバーランのウソや、置石の言い訳には、あきれてしまいました・・・。(JR西日本は、事の重大さを実感しているのでしょうか?)このニュースに釘付けで、頭が思考停止状態にありますが、今日は、久々にデジカメについて書いてみようと思います。今回は、「ホワイトバランスを使いこなしてみよう!」というテーマでいきましょう。デジカメのモードを選択すると「ホワイトバランス」または「WB」という欄があるのを、デジカメユーザーの方々は、ご存知のことと思います。このホワイトバランスとは、『デジカメの基礎知識』によると「白い紙に晴天時の太陽があたっているとき、夕日があたっているとき、電球の灯りがあったっているときでは、それぞれの白が違うため、 白いものが白く写るように色の補正をおこなう機能」の事をいいます。太陽のマークは、晴天の日に屋外で自然な色に写ります・・・という意味で、曇りマークは、写真がグレーっぽく写ってしまいがちの曇りの日に使うと、少し明るい色合いが出ます。また、蛍光灯マークは、蛍光灯自体が青みが強いので、このモードでかなり温かみのある色合いになり、逆に、黄色っぽい電球が特徴の白熱灯(電球)では、青みをプラスして自然な色合いが出せるようになっています。このお写真は、室内を、フラッシュを焚かずに、温かみの出る蛍光灯モードで撮ってみました。(フラッシュを焚くと、真っ暗になってしまいますからね・・・私は、あまり使いませんが、焦点がボケやすいので、注意が必要です。)そして、その他にも、こんな面白い使い方も出来ます。 う~ん・・・ここはエーゲ海?思わず、「Wind is browing from the Asian~♪」と歌いたくなってしまいます。(これを知ってる人は、結構、年やな・・・)海を、白熱灯(電球)モードで撮ってみました!海の青さが強調されて、な~んかカッコいいでしょ?(プロが、沖縄とかの海を撮影する時は、たいがい、これを使ってるかもよ?)写真を撮ってみて、「あれ~?何か、イメージと違うな~?」と思ったら、このホワイトバランスを調節してみてくださいね☆今までとは、一味違う写真が撮れると思いますよ♪Blogランキング
2005年04月26日
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皆様、こんばんわ☆お元気でお過ごしでしょうか?私は、不甲斐無くも、風邪を引いてしまいました・・・!ここ数年、風邪と言う物に縁がなかったので、すっかり油断していたのかも・・・。ちょっと熱っぽいので、何かヘンなことを書いてしまうかもしれませんが、その時は、笑って受け流して下さいね!今回のテーマは、東海道五十三次を訪ねる旅!御油(ごゆ)~赤坂宿です。場所は、東名高速道路、音羽・蒲郡を降りて豊川方面に2キロ程向かったところ、電車でしたら、名古屋鉄道の名電赤坂駅か、もしくは御油駅になります。 詳しい地図は、ここをクリックしてくださいね!地図をご覧になるとお分かりかと思いますが、御油と赤坂は、松並木を挟んで、非常に近い位置にあります。その距離、16町(約1.7km)で、東海道で最も短い宿場町となっています。まず、御油(ごゆ)宿ですが、ここは、前回の日記でも書いた、桜並木のとても美しい場所でもありますが、地元の人以外、あまり知られていないような気がします・・・。(ホント・・・もったいないなあ・・・でも、人がいないほうが風情があっていいかも?)最初は、御油の、松並木資料館で、当時の宿場町の様子を調べる事にしましょう!今は、すっかり寂れてしまった御油ではありますが、当時は、大名行列のお殿様や後家来衆の宿泊所として使用された本陣・脇本陣や、一般の旅籠が63件もあったそうです。そこでは、飯盛女と呼ばれる女郎衆が大勢生活していたり、東海道の顔役でもあった「駿河屋源六」が、身寄りのない子供達を引き取って育て、体の弱い人に医者を世話するなど、人情味溢れる江戸の賑やかな宿場町の風情が漂っていたのだとか・・・。また、御油では、参勤交代のお殿様の荷物を運んだり、旅人達の駕籠や馬に乗せるために、人馬を無償で提供する、『助郷(すけごう)』の村にも指定されていました。農業で忙しい村の馬も、差し出さなくてはならなかったのですから、それはそれは、はた迷惑な制度だったと思いますね・・・。(それが、地域の農業を衰退させてしまった理由とも言われています・・・)資料館を出て、御油の宿場町をしばらく歩いていくと、松並木が現れます。う~ん・・・これこそ、東海道の風情満点です!この600メートルも続く松並木は、慶長9年(1604年)に植えられたもので、地元の人たちに大切に保存されてきたそうです。この「御油の松並木」にちなんだお話が、弥次さん、喜多さんでおなじみの、十辺舎一九著『東海道中膝栗毛』に出てきます。伊勢参りを目指した二人が、吉田宿(愛知県豊橋市)を通過し、夕闇も迫ってきた頃、喜多さんが、「夕べの宿は、中くらいだったから・・・今晩はあっしが先に赤坂まで行って、いい宿をとりやしょう!」と先に出かけていった。後を追いかけた弥次さんが、御油に差し掛かった頃、宿場の女に「この先の松並木には、悪いキツネが化かすから、ここにお泊りなされ。」と脅されるものの、喜多さんが待っているはずなのでと、誘いを断り、先を急いだ・・・。しかし、夕闇の松並木はさすがに恐く、キツネの話が頭を離れない・・・そして、喜多さんは、宿を取り、この松並木で弥次さんを待っていたところ、弥次さんは、恐さのあまり、喜多さんをキツネの化け物と間違えてしまった。そして、手拭いで喜多さんを縛りつけ、赤坂まで連れて行ったとか?(まあ、あんまり面白くもない話なんだけど・・・)そんな、逸話を思いながら歩くのも楽しいものです。この松並木を抜けると、赤坂宿です。御油に比べると、割と、昔ながらの建物が多く残っているような気がします。赤坂宿には、見張り番を置いた、見附がありました。東京の赤坂見附というと、銀座線と丸の内線の乗り換えが便利な場所ですが、ここも、もちろん、同じように見附があった場所だそうですよ。そして、お昼ごはんは、古い宿屋を改造した場所で、地元の主婦達が集って調理している、「愛燐(あいりん)」で、600円のたけのこ御飯定食を食べました~☆やっぱり、料理の鉄人も、家庭の主婦の味に負けた・・・というのが良くわかります。お惣菜ばっかりで、地味~だけど、一品一品に愛情がこもっていて、すご~く、おいしかったですよ♪また、赤坂宿には、江戸時代から続く旅籠「大橋屋」さんがあります。建物の内部は、昔ながらの風情そのままで・・・嬉しくなります。主に、東海道マニアの人たちが、泊まりに来られるとか?女将さんも、気さくな方で、地元の観光ポイントを親切に教えてくださいます。プチ江戸時代を味わいたい方に、ぜひお勧めの、御油・赤坂宿の旅・・・古刹も多く、しっとりと落ち着いて、いい風情ですよ!
2005年04月22日
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皆様、こんにちわ☆先日、大量の花が100円という超特価で売っていました。でも・・・それらは、ビニールの中にぎっちぎちに詰め込まれぺしゃんこに押しつぶされてしまっていました・・・。なんだか、可哀想になってしまったので、家に持ち帰ってあげると・・・花々たちは、すっかり、花としてのプライドを失ってしまったかのようにぐったりと萎れてしまっています・・・。彼らは、形が不ぞろいの・・・売り物にはならない、規格外の花でした・・・。「なんとか、頑張って持ってくれよ!」祈るような気持で、花を水揚げし、活けてあげると・・・次の日、自信を取り戻した花たちは、見事に、生き返ってくれました。 花も、人間と同じ・・・どんな規格外の、ぶっちゃいくな花でもちゃんと愛情をもって、活けてあげるとそれぞれが、自らの役割を発揮して、イキイキと輝き出すんです・・・そして、昨日、旧東海道・御油宿の桜並木で・・・散り行く桜を楽しんできました・・・。 普通でしたら、「ああ・・・見ごろを逃してしまった・・・」と思うところでしたが・・・昨日は、不思議と・・・散り行く桜に、満開とは、また別の味わいを見出し桜と気持を同調させるかのように夢中で、シャッターを切っていました・・・。すると、その時、一陣の風が吹き桜の枝が強く揺れ出しました・・・「こ・これは・・・ブレてしまったかも・・・」しかし・・・仕上がりは、意外なものでした・・・ 散り際の桜が、これほどの主張性を持っていたとは・・・これは、きっと・・・花の妖精のしわざに違いありません・・・。Blogランキング
2005年04月18日
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皆様、こんにちわ☆こちらでは、先週の土曜日あたりから桜の見ごろを迎え、もう葉桜になりつつありますが、皆様のところではいかがでしょうか? これからいよいよ、緑まぶしい、新緑の季節。今度は、どこに遊びに行こうかな・・・♪などと、悠長なことを考えながら、本や書類の山を整理していると、何やら下の方から、見覚えのある2冊が・・・「ん?これは・・・?図書館から借りた本?返却が9日?あ~っ!!期日がとっくに過ぎてる~!!」と、あわてて必要な箇所だけコピーして、図書館に謝りに・・・。(でも、全然、怒られなかったです・・・よかった・・・けど、ごめんなさい。)そんな感じで、春で、頭がボケっぱなし・・・ではありますが、先週は、名古屋城へ桜を見に行ってまいりました! う~ん!満開の桜とお城が、見事にマッチしています・・・が、あ・あれ?お城の上に、金のシャチホコが乗っていな~い!!(見えにくい方は、写真をクリックしてみてください。)「あり~?どこいったんだろ~?」と、あたりを探してみると、ありました~!! でも、これは、名古屋城の中に展示してあったレプリカ!ホンモノは、こちらの中に! 実は、今、名古屋城では、『新世紀・名古屋城博』なるものを開催しておりまして、この金のドームの中に、金シャチが納められておりました~。(残念ながら、撮影禁止でした・・・)この名古屋城博では、な~んと!金のシャチホコに直に触ることも出来るんですよ~!え?別に触りたくない?そんな失礼な!シャチホコは、名古屋人の心!魂!シンボルそのものなんですよ~!(現に、金シャチに触るのに、30分待ちの状態だったんですから~!)名古屋城は、1600年(関が原合戦の年ですね!)、当時、まだ勢力の強かった豊臣家の大阪城に対抗する前線基地として、徳川家康により、織田信長の生誕地・那古野城跡に建てられたものです。家康の権力で建てられたものですから、それはそれは、豪華絢爛!金のふすまに、見事な天井画の数々でありましたけど、せっかくですから、今回は、金シャチを中心にやっていきましょう!金のシャチホコは、今でこそ名古屋名物になっていますが、シャチホコがあるお城は、名古屋城だけではありません!大阪城もそうですし、その他、彦根城、会津城なども乗ってますね!でも、日本で一番最初に、シャチホコを乗せたのは、滋賀県にある、織田信長の安土城だと言われています。そして、そのシャチホコの原型とされるのは、中国の伝説上の海獣・鴟尾(シビ)であります。それは、お寺の屋根の両脇に、大きく反り返ったシッポのような形のもので、それが日本の飛鳥時代に伝わって、主に、飛鳥寺、法隆寺、唐招提寺、東大寺、薬師寺の屋根に使われていました。鴟尾は、火事がなによりも恐れられていた時代、水を現す守り神として、乗せられていたのでしょう。名古屋の金のシャチホコは、上質の金を使って作られ、金銭的には現代のお金に換算すると約4億円ですが、当時の生活レベルを考えると、それ以上の価値はあったものと思われます。そんな金シャチですから、江戸の享保の改革など、財政的に苦しい時代、シャチホコのウロコを売っては、藩の財政を助けていたとか・・・?(それで、「尾張名古屋は、城で持つ」って言われてたのね!)そして、そんな価値の高いものが、屋根の上に野ざらしになっているのですから、大凧に乗って、屋根まで登り、金のウロコを盗もうとした大バカ者もいたようです。(もちろん!大失敗!風にあおられ、凧の紐ごと金シャチに撒きつけられたらしいよ・・・。)その後、版籍奉還で時代は明治になり、城の取り壊し、金シャチは鋳つぶしにされ政府に献上・・・という危機に直面します!でも、名古屋城の文化的価値を認めてくれた、ドイツの公使・プラントさんの提言によって、かろうじて、名古屋城も金シャチも生き残ることが出来たのです。そして、ウイーン万博などに出品されるために海外を飛び回り・・・明治11年にようやく古巣の名古屋城の屋根に戻ってきました。しかし・・・ここまで人々に愛され、大事にされてきた金シャチも、昭和20年5月14日の大空襲で、城ごと炎上し、333年の歴史に幕を閉じる事になりました・・・。(くそ~!!アメリカのやつ~!!)その文化的損失は計り知れないものがあり、今残っていたら、間違いなく、姫路城と一緒に世界遺産に登録されたと思いますが、金の襖などは前もって非難させておいたので・・・それだけが救いだったかもしれません。現在の名古屋城は、昭和34年完成したもので、再び造られた金シャチは、名古屋の人々に、盛大なパレードをもって迎えられました・・・。如何に、金シャチが名古屋人の心そのものであったか・・・しみじみと感じさせられる出来事ですよね!名古屋城博に行くと、金シャチの波乱万丈の歴史が、詳しく説明されています。金シャチドームに一歩足を踏み入れると、あなたも、いつのまにか金シャチのとりこに・・・。元気ハツラツ名古屋人の仲間入りが出来るかも?Blogランキング
2005年04月15日
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皆様、こんにちわ☆先日、万博よりもはるかに賑わっている中部国際空港「セントレア」のお土産を頂きました。その名も・・・謎の旅人 フーおじゃる丸のような・・・ちちんぷいぷい(知ってる人は知っている)のような・・・なんとも言えない、不思議なキャラです・・・。ちなみに、携帯に付けてみました。・・・少々、大きすぎたようです・・・。彼は、どこへ旅立とうとしているのでしょうか・・・?そういえば、先日、某番組で、「自分探しの旅」というのを特集していましたね・・・。いわゆる、自分では気がつかない、深層心理に眠っている本当の姿をさぐるというものでしたが、どうも・・・あの番組の信憑性について、最近、疑わしいものばかりのような気がします。自分を知りたいのであれば、もっと手っ取り早い方法があると聞きます。それは、あなたの嫌いな人が・・・実は、あなたの最もいやな部分を反映している・・・ということらしいです。やたら男性に色目を使う女性が嫌い・・・と思う人お金や権力になびく人に、嫌悪感をもよおすという人は・・・もしかしたら、その人自身の中に、そういう部分があるのかもしれません・・・。そんなはずはない・・・と思いたいですが・・・本当の自分を認めるということは、かなり勇気がいることなのかもしれませんね・・・。ちなみに・・・私は、中野美奈子アナと、南野陽子さんが、あまり好きではありません・・・。(ああっ!、殴らないで下さい・・・)日記プログランキング
2005年04月12日
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皆様、こんにちわ☆この間、髪を切ったら、シャギーを入れられすぎて、髪がバリバリ・・・。ちょっとブルーになってましたけど・・・昨日、へナを塗ってみたら、見事、髪が復活!今日は、久々、気分がいいので、歴史日記でも書いてみよっかな~♪と思います。(愛知から、一足飛びに、東京だ~い!)********************************************東京にお住まいの皆様、お待たせしました。今回は、『江戸城』をテーマにお送りします☆現在、天皇・皇后両陛下が住んでおられる皇居・・・これ、昔は、江戸城として、将軍の住まい、兼、政治を行う場所に使われていたことは、説明するまでもないかと思います。あの江戸城・・・テレビ時代劇の『暴れん坊将軍』では、白亜のお城が大写しになってますけど、あれは、うそですから~。テレビで写っているのは、現在の姫路城でして・・・本物の江戸城は、熊本城や松本城のように真っ黒いお城だったそうですね~。明治初期に、本丸御殿などが壊されて、江戸城としての面影が薄れてしまいましたけど、それでも、所々に、昔の面影を見つけることが出来るんですよ☆これは、地下鉄東西線・竹橋駅近く、毎日新聞社前にそびえる平河門です。こういうのを見ると、ちょっとイメージすることが出来るでしょ?江戸にはじめてお城が造られたのは、長禄元年(1457)のこと、扇谷上杉持朝の命で同家の執事太田道灌(中国の諸葛孔明のような人です。)が建造したそうです。もちろん、今のようは立派な堀も石垣もありません。その頃の江戸は、家もまばらで、100件程度しかない、はっきり言って、ど田舎もいいとこでした・・・。家康が江戸に入ったのは1590年・・・当時、関東に拠点を置いていた北条氏を倒した豊臣秀吉は、家康に江戸城を譲り渡した訳です・・・ど田舎に追いやるという意味もあったかもしれません。しかし、家康が天下を治めるようになると、立派な江戸城を立てるべく、伊予(愛媛)の大名・藤堂高虎に設計を任命し、各地方の大名に、江戸城の工事を要請します。まずは、土台となる石垣です。。。これは、主に西日本の大名が担当しました。平河門の石を見てくださると分かると思いますが、これだけ大量の大きな石を、一体何処から?そして、それを当時の技術と輸送手段で、よくここまで運んできたな~と思いませんか?江戸城の石垣の中でも、大きな物は、伊豆の東海岸あたりから、船で運んできた物が多いのだそうです。大滝・七滝あたりの山中から切り出された石を、山の斜面をすべり落とすようにして運ぶ際、石につぶされて亡くなった人も大勢いたと聞きます・・・。あの江戸城の石垣には、そんな人たちの犠牲が礎になっていることを・・・当時の大名、又、将軍達は知っているのでしょうか・・・?それを思うと、何とも複雑な気持ちになりますね・・・。こうした民衆の血と汗と、外様大名の財産の上に成り立った江戸城は、1636年、ようやく、今現在の石垣・外堀の輪郭が出来上がりました。当時の江戸城天守閣は、現在の大阪城の倍の面積を誇る、五層6階建て、高さ60メートルという、日本最大の木造建築物でもあったそうです。その後・・・江戸の町も、莫大的に人口が増えましたが・・・その反面、火事も多く、明暦3年(1657年)の振袖火事で江戸城にも火が回り、天守閣が焼失してしまいました・・・。これは、本丸に残されている天守閣跡の石垣です。炎の熱によって石の角がとれ、所々、黒っぽくなってます。如何に、当時の大火が激しい物であったか・・・焼け跡がそれを雄弁に物語っています。その後、天守閣は再建されることはなかったそうです・・・。時代は流れ、260年続いた徳川政権も、1868年の明治維新により、終わりを告げることになりました。江戸城が明け渡された後、西の丸が皇居として使用されることになりましたが、本丸、二の丸、三の丸の方は皇居東御苑として、一般の方に無料で公開されています。今は、丸の内で働く人たちのオアシスともなっている本丸跡です。。。こんな広々とした緑豊かな環境が、都会のど真ん中にあるなんて、贅沢でしょ?これからの新緑の季節・・・お近くの方は是非、江戸城に行って森林浴と殿様気分を味わってみませんか~?お勧めの穴場スポットですよ~☆人気blogランキング
2005年04月08日
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皆さん、こんばんわ☆今回は、ウラぷーでも、歴史オタクのぷーでもありませんがな・・・。実は、前回の足助編で、お写真に対するお問い合わせが多かったものですから・・・つい、いい気になって、デジカメについての私の思い入れなどを、ちょっくら書いてみようかな・・・なんて、思っちゃったりしたんですね~。そんなわけで、ご迷惑でしょうが、ド素人による、デジカメウンチクなどを述べさせていただきまする。あ・・・私、素人なんで、くれぐれも、難しいツッコミなどは、止めてくださいね!(いじめないでね・・・)初回は、私の使っているカメラについて、お話したいと思います。現在のカメラは、去年買った、パナソニック製、LUMIXの12倍ズームのものです。LUMIXというと、あゆ(浜崎あゆみさん)のCM「あゆはブレない」でおなじみの、手ブレ防止機能が売りのカメラですね。この手ブレ防止機能は、かなり良いです!夜景や室内撮影などシャッタースピードが落ちる場合でも、ビックリするくらい綺麗に撮れます! 室内でフラッシュなしでも、ほ~ら、こんなにブレない!・・・ってB'zかよ!それと、LUMIXのもう一つの売りは、世界に名だたるライカレンズですね!もちろん、ホンモノのライカレンズではありません。そんなすごいものを使ったら、3~4万程度でデジカメが売れる訳ありませんから・・・ライカからライセンスを頂いて作ったものでしょう・・・。でも、それでも、すごく良いものには違いありません・・・。パナソニック 500万画素 光学12倍ズーム光学式手ブレ補正ジャイロ搭載デジタルカメラLUMIX DMC-...同タイプのカメラです。すごくレンズがでっかくて、カッコいいです!このカメラに行き着く前は、デジカメ初心者でしたので、光学レンズもズームもない、薄くてごくごく小さな、持ち運びに便利なカメラを買いました。それが、FUJIのFINEPIX A50です。これも、人肌がほんのりと綺麗に写ると評判の、女性にはもってこいの、お気に入りデジカメでした☆フジフイルム FinePix F450Silver(シルバー) ミニ 三脚つき♪ 【即納】こんなんよりも、ず~っとちゃっちいカメラでしたけど、A50は名機だったと思いますよ・・・。これが、FINEPIXで撮影したチューリップです。ピンク色が綺麗に発色するせいでしょうか?花の撮影には、最高でしたね!それに、単焦点レンズでしたけど、結構、良い感じで背景がボヤけてくれるんですよ。これが・・・。 これも、同じカメラですね・・・ちょっと画像が荒いですけど・・・。気に入ってるカメラだったけど・・・でも、城崎温泉に行ったとき、温泉の湯気でレンズがやられて、ダメになっちゃいました・・・。そこで、LUMIXを買ったわけです~。どうせ買うなら、もっと綺麗に花を撮りたい!ってことで、マニュアル操作が可能で、ズームもど~んと12倍のものにしちゃいました☆ うん!やっぱり、新しいカメラは仕上がりが違います・・・大満足です。あ、それと、カメラを買う時、デジカメドットコムを参考にしてみました!お店の最安値が書いてありますから、この値段を基準に考えて、カメラ屋さんで交渉するっていうのも、一つの手だと思いますね。それでは、また、気が向いたら・・・書かせていただきます。
2005年04月05日
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皆様、こんばんわ☆前回、3日前に花火を特集したばかりだけれど・・・また思い切っていっちゃいましょうか・・・!今回は、大好評シリーズ第三弾と題しまして、『足助、カタクリの花と三州足助屋敷』です。足助は、今、カタクリの花が満開に咲き誇っていますよ~! ってことで、もう、今回は、理屈ぬき!!へたっぴなお写真で申し訳ないけれど・・・足助ワールドを楽しんじゃって下さいな☆ 写真をクリックすると、大写しになります。 こんな小さな花が、山の斜面を薄紫色に染めているんです。 そして、カタクリの花だけではありません!まだご紹介していませんでしたが、足助には、『三州足助屋敷』という、昔ながらの田舎の生活を再現した、ユニークな施設があるんですよ。 これは、母屋です。昔、子供の頃訪れた、おばあちゃんのお家って、こんな感じじゃなかったですか~?軒下には、ゆべしが吊るされていましたよ。 母屋の中に入ると、囲炉裏の炭のいい香りが家の中にたち込めて、思わず「なつかし~!!」って言葉が出ちゃいそうになります。匂いっていうのは、奥深くに眠っている人間の記憶を呼び醒ますものなのですね・・・。そして、ここでは、牛やにわとり、犬などの動物達も飼われています。まさに、田舎ならではの風景ですよね~。 牛のはるこちゃんです。耳に、識別番号がついているのが・・・ちょっと哀愁をそそります・・・。また、ここでは、わら草履を編んだり、機織り、紙漉き、炭焼き、鍛冶、藍染めなども行われており、まさに、自給自足だった頃の生活を再現しています。これらのものは、今では、すっかり工芸品になって、職人芸そのものと言った感じでしたが、昔の農家の方々は、皆さん、きっと、普通に出来たんじゃないかと思いますね・・・。また、今の時期は、三州足助屋敷にて、『~昭和のまち~昭和30年代』と題した、レトロ感たっぷりの展示物が、たくさん並べられていました~!30年代の映画のポスターやオートバイ、たばこ、カキ氷屋さん、黄金バットの紙芝居・・・レトロファンには、たまらない一品が勢ぞろいでっせ~!もっと写真を見たい!!という方は、よろしかったら・・・ぷーたろ本舗の写真館へお越し下さいませ☆締めくくりは、ライブハウス「足助のかじやさん」でお昼ごはん。ママさんの優しい笑顔と、美味しい御飯を頂いて・・・いや~!今回も、命の洗濯になりました。 ありがと~!!足助の町!また来るよ!4月1日から豊田市と合併しちゃったけど、このままの素朴な足助でいられるよう、頑張って下さいね☆応援してます。人気blogランキング
2005年04月02日
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