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皆様、こんにちわ☆昨日のバーレーン戦見ました?あれ・・・なんでしょう?オウンゴール・・・?自殺点!?得点者の名前が、サルミーンだって・・・もう、彼は、日本に帰化するしかありませんね。ところで、デジカメが壊れる夢を見ました・・・。シャッターが切れないんです・・・かなり、うなされました・・・。・・・って、これじゃあウラぷーたろになっちゃうじゃないかぁ~!!と、つまらないことを書いてしまいましたが、まあ、そのくらい、今の私にとって、デジカメというのは、自分の一部というか、かなり大切な存在になってきているんですね~。出かける時も、もちろん欠かせません。これがなかったら、何の為に出かけているのか分からないくらいです。たまに、バッテリーが入ってなかったとか、SDカードを忘れた~!・・・って事もありますが、そんな時は、かなりテンションが下がります・・・。昔は、旅そのものを楽しんでいたけれど・・・今は、記憶でなく記録で残す・・・そんな時代なのでしょうね~。そんなデジカメ君の醍醐味を発揮する機会が、またまた訪れました。愛知県蒲郡市で開催された『春まつり』の目玉でもある、『東三河遠州 手筒花火競演』です。これはスゴイです!初めて見ましたけど、もう、度肝を抜かれました・・・。5~6人の若い男性達が一斉に並び、火薬の入った大きな筒を抱えているんです・・・。筒から吹き出る火柱は、高さ10メートル・・・いや、それ以上でしょうか?はっきり言って・・・命知らずな行為です。ただ炎が噴出するだけでも見ごたえがありますが、なんと言っても、手筒花火の醍醐味は最後に、轟音と共に、筒の下が爆裂することでしょう。この爆裂を、ハネと呼んでいます。ここまで来ると、ほとんどホラーです・・・。この手筒花火は、花火師が放揚者であり、自分の打ち上げる花火を自身で制作し、火薬も詰めるのだそうです。火薬を詰める竹を自分で切り取り、竹を火で炙って油分を抜き、縄を巻きます。そして、火薬をその中に詰め込みますが、隙間が開くと爆発しますので、それはそれは慎重に作業が行われます。自分自身の命が、この作業にかかっているといっても過言ではないでしょう。こんな命知らずな男達が、夜空の下競い合う三河手筒花火大会は、450年もの歴史を持つ、まさに花火の原点であります。もちろん!江戸発祥の「たまや~!かぎや~!」の打ち上げ花火よりも、100年以上前から存在している訳です!この手筒花火は、日本でも、愛知県東部の三河地方、もしくは、静岡県西部の遠州地方のみでしか行われていないそうです。三河地方は、徳川家康の生まれ故郷でもあるため、江戸時代以降も、家康の鉄砲隊の子孫に特別に火薬の使用が認められ、観賞用花火の生産が盛んに行われてきた場所でもあるのです。もし、皆さんの地域で、このようなお祭りがあるとしたら、それは、三河・遠州の方々が出張で行かれてるんだと思いますよ!その起源は、戦国時代の、のろしが大きくなった物が原点とも言われていますが、火薬自体は、鉄砲の伝来と同時に入ってきたものと思われます。愛知県豊橋市の吉田神社がその発祥の地と言われ、吉田神社に残る記録「三河国古老伝」に「永禄元年(1558)天王祭礼祀ノ花火ト云フ事始メル」又「吉田神社略記」に「花火ノ創始ハ羽田吉田綜録ニ永禄三申庚(1560)今川義元公吉田城城代大原肥前守知尚公花火ヲ始ムトアリ・・・つまり、1560年ごろに、あの家康を人質に囚えていた今川氏が花火を始めたということです。そして、現在のような巨大な火柱が立つ手筒花火になったのは、正徳元年(1711)と書いてあります。主に、五穀豊穣、無病息災 家運隆盛 武運長久を祈る物だったそうです。そして、若者の手造ということで、大人への門出、そして、勇気の証しを示す物として、子々孫々に連綿と伝えられてきました。これは、もはや、三河・遠州地方が誇る、独自の文化と言っていいでしょう。まさに、勇敢な三河武士発祥の地だけあります。これぞ、男の心意気!ですね。ほら・・・モリゾーとキッコロも応援しているよ!人気blogランキング
2005年03月31日
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皆様、こんにちわ☆またまた、大ひんしゅくなコーナー「ウラぷー」の登場です♪意味深なタイトルに、「どきっ☆」となさった方もいらっしゃるでしょうが・・・もちろん、これは私のことではありません。その昔、私の妹が、妊娠中一ヶ月間ほど入院していたときのことです。遠路はるばる、見舞いに駆けつけた私に・・・妹「あのさ~。頼みがあるんだけど・・・」私「何?」妹「・・・ホラーマンガ雑誌、買ってきてくれない?」私「ええっ?・・・それって、胎教に悪いんじゃないの?」妹「隣の人が貸してくれる少女マンガ、すんごいつまんなくって かったるいのよね~。」私「だからって・・・何もホラーマンガじゃなくても・・・」妹「いいのよ!! 胎教、胎教って!別に驚かなきゃいいんだから! 早く買ってきてよ!!」・・・と、青木さやか並みにブチ切れる妹・・・仕方がないので、一番ソフトなホラーマンガを買っていくと・・・妹「あのさ~。あのマンガ・・・全然、恐くも面白くもなかったわ!」あの時の子は、今、9歳・・・すっかり、おばけ好きに育ってしまいました・・・。人気blogランキング妊娠中のホラーマンガは止めましょう・・・
2005年03月28日
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皆さん、こんにちわ☆いよいよ、本日、愛知万博『愛・地球博』が開幕いたしました~!10年前は、万博会場となる長久手地区の森が切り開かれる事で、希少生物の危機などが囁かれてきたこともあり、ちょっと複雑な気持もしましたが、出来るだけ森を残し、環境に配慮する方向で決着したようですね・・・。せっかくですから、私も一度は行って来ようと思っておりますが、果たして、どのくらい混雑するのか・・・もう少し様子を伺ってから行くつもりです。万博レポートは、もう少々、お待ちくださいませ。他にも、今年は、セントレアの開港などで注目される愛知ですが、そんな愛知の強さの秘密は、戦国時代の三大武将(織田信長・豊富秀吉・徳川家康)の時代に隠されているような気がするのです・・・。そのヒミツを探るべく、今回は、家康の生まれ故郷である岡崎に乗り込んでいくぞ~!お~!!(っと、いきなり戦国モードに入ってきたぞ・・・)家康の本陣に乗り込む前に・・・まずは腹が減っては戦が出来ぬ!戦に勝つために、「名古屋名物、みそかつ」を食べに行くとするか。な、なんじゃ、このまろやかなソースは!誠に、び・・・美味じゃ!!これが、話に聞く、八丁味噌を使ったというみそかつか・・・!もしかすると、家康の強さの秘密は、この赤味噌にあるのかもしれん!それならば、この愛知独特の赤味噌「八丁味噌」工場を探ることにするのじゃ。八丁味噌というブランドは、実は、この岡崎市の八帖町にある、「まるや」と「カクキュー」の2件のみの特許となっておるのじゃぞ。八丁というのは、岡崎城から数えて八丁目にあたる場所という意味じゃ。この2件以外で、八丁味噌を名乗っているメーカーがあったとしたら、それは、ばったもんじゃ!おぬしらも、気をつけなされ・・・。(こちらは、カクキューさんの資料館にあった、むかしの味噌つくりの様子じゃ!)まずは、創業660年の歴史を持つという八丁味噌の元祖「まるや」さんに殴り込みじゃ!「は~い!いらっしゃいませ~!」工場見学の予約は入れていないが、「まるや」さん・・・親切じゃないか!マンツーマンで工場の説明をして下さっただけでなく、味噌のお土産と、田楽の試食まで頂いてしまったよ・・・。(ちょっと弱気)八丁味噌は、大豆100%の豆味噌じゃ!豆を煮るのではなく、蒸しておくことで、黒っぽい独特の色合いが出るのだそうじゃ。豆と塩以外、添加物は一切使用しておらず、色の濃さとは対照的に、塩分は以外にも低いのだそうじゃ。そうか・・・豆の豊富な栄養が、家康軍の強さの秘密じゃったのか!!だが、八丁味噌だけでは、どうしても、味に酸味を感じてしまうらしく、今では、信州味噌とブレンドしてまろやかさを出しているらしいぞよ。そういえば、大河ドラマの『利家とまつ』で、唐沢寿明演じる前田利家が、妻のまつに向かって「麦味噌よりも豆味噌の味噌汁が飲みたい。」と申した時、松嶋奈々子演じる「まつ」が、「男なら、文句言わずに、出された物何でも食わんかい!」と言う様なことを言ってたなあ~。その頃の豆味噌とは、ち~っと違うのかも知れんな~。この井戸は、その昔・・・豊富秀吉がまだ日吉丸と名乗っていた頃、この「まるや」さんの味噌蔵に忍び込んで、味噌を舐めていたのを蜂須賀小六に見つかって、逃げ回っていた時、この井戸に水を投げ込んで、井戸に飛び込んだように見せかけるという細工をした場所だったそうじゃ・・・子供の頃から悪知恵が働いていたのじゃの~。まあ、そのくらい歴史のある店だっていうこっちゃ!さて、味噌のヒミツも分かったことだし、次はいよいよ、家康の本陣!「岡崎城」に乗り込むとするか!と・・・思ったら、まるやさん・・・「車なら、ここに置いて、歩いてお城まで行ってきなよ!」と言ってくださった。う~ん・・・岡崎市民、あなどれん!どこまでも親切すぎる・・・。お~!!岡崎城じゃ!!5万石の城にしては、大きくて立派じゃの~!岡崎城は、1452年ごろの室町末期、三河の守護代・西郷弾正によって築城された城だと言われているのじゃ。やがて、西郷氏に婿入りした松平氏の勢力が大きくなると、歴代松平氏の中でも特に傑出した清康は急激に勢いをつけ、西郷氏に代わり、岡崎に入城することになる。以後、松平氏の本拠となったとのことじゃ。しかし、清康が尾張守山で殺されると急激に勢力が弱まり、織田氏と今川氏に挟まれ苦難の時期が来た。そんな中、1542年、岡崎城で、竹千代(徳川家康)は誕生したのじゃ。(家康が生まれた時、浸かったという産湯の跡じゃ!)つまり、竹千代こと徳川家康は、松平家の出身で、その9代目にあたるのじゃな・・・。しかし、可哀想なことに・・・竹千代が6歳になった時、織田信秀の下で2年間、その後、今川義元の人質として約12年間も駿府(静岡)で過ごす事になったのじゃそうな・・・。その今川氏の下で、十四歳の時(1555年)、竹千代は元服して、今川義元の元の字を賜り「松平元信」と名乗るようになったのじゃ。その時の、家康の気持はどんなものだったのだろうな~。しかし、その後、元信から元康へと名前を変更している・・・。恐らく、武将として高名だった祖父・松平清康にあやかったのだろうなあ。その後、1560年、桶狭間の合戦で今川義元が亡くなると、元康は、人質からも開放され、岡崎城に戻ることになる。そして、元康は、今川氏から独立したことを示すものとして、名前を松平家康と改名し、ここから家康の独自の活躍が始まるのことになるのじゃな。(二の丸跡に建てられた、三河武士の館・・・ここに来れば、複雑な戦国時代のことが一目瞭然じゃ!)でも・・・松平家康・・・って?じゃあ、「いつから、徳川家康になったの?」って思うじゃろ?それは、1566年、家康が24歳の時、三河の一向一揆をおさえた家康は正親町(おおぎまち)天皇から許可を頂いて三河守の任官を受けたんじゃけど、その時に、三河一国を支配下に治めた事を明確にする目的で、「徳川」という姓に変えたと言われているのじゃな・・・。その後の家康の活躍は、1575年の、武田軍との「長篠の戦い」や、豊臣軍と戦った、1583年の「長久手の戦い」(万博の会場付近じゃな!)日本諸国の武将が、東軍(徳川・加賀の前田など)と西軍に分かれて戦った「関が原の戦い」などでもお分かりのことじゃろう。この時、負けた西軍にいた、現・山口県の毛利氏、鹿児島県の島津氏は、外様大名として、その後、不遇な扱いを受けていた訳なのじゃが、それが幕末の戦いで逆転し、明治政府の要人となるのだから・・・歴史は面白いわけじゃ!そんなことで、天下の大将軍となった家康の聖地として、岡崎城は、その後も幕府から手厚い庇護を受け、岡崎の町も、独自の産業をいくつも生み出す豊かな文化都市となっていったということじゃ。さて!この辺で、引き上げるとするか!・・・と、八丁味噌のまるやさんにお礼のご挨拶・・・のつもりがあ~っ!!ここの売店・・・美味しそうな地酒がいっぱい置いてあるじゃないの!!愛知の銘酒「ほうらいせん」の誘惑に、ついふらふら~っと、酒呑みの私は3本も買ってしまったじゃないのよ!くわ~っ!!またしてもやられた~!!さすがは、家康の本拠地!わしの完敗じゃ!一斉に引き上げるぞよ~!
2005年03月25日
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皆様、こんにちわ・・・すみません・・・またまた、大不評のウラぷーたろです。最近、よく悪夢にうなされます・・・ヘンなオッサンが、家の中に入り込むんです・・・一体・・・これは、何者?悪霊・・・?それとも私の鬱屈された心理が作り出した幻か・・・?そんなくだらないことを考えているとHPのアクセス記録に、不穏な名前のプロバイダが一日に何度もアクセスしてくることに気がついた・・・ひどい時は、一日に10回以上・・・もしかして・・・私は、誰かに監視されているのではないか・・・?・・・・ストーカーか?その名は、inktomisearch.com ・・・不気味だ・・・そんなプロバイダ聞いたこと無い・・・落ち着け・・・!調べてみるんだ・・・・・・調査中・・・結果は、意外に早く出た・・・これは、単なる、Yahoo!の検索エンジンロボットだったのだ・・・心配して、損した・・・人気blogランキング暗くてすみません・・・これで許して・・・ Designed by unamama
2005年03月22日
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皆様こんばんわ・・・この度は、九州の皆様方にお見舞い申し上げます。九州に地震とのことで、大変驚きましたが街並みの復帰と、人々の心が少しでも癒されますようにと・・・心からお祈りいたしております。こんなときに、ウラぷーたろが出てきては不謹慎なヤツだ!!と、お叱りを受けてしまうかも?と思いましたが九州の皆様に、少しでも、お元気になっていただければとあえて、うらぷー劇場を登場させることに致しました。どうぞ、よろしくお願い致します。先日のこと・・・友人Tさんと電話でお話をしていたら彼女が、うちの猫の声が聞きたいと言ってきた・・・。じゃあ、それならばと、猫の口元に受話器を持っていくとうちの猫は、「にゃー・・・」とは鳴かずに一言、「ブヒッ」と鳴いた。豚飼ってるんじゃないっつーの・・・人気blogランキング関係ない話ですが、今日、うしろ姿だけが仲間由紀恵さんな人を見かけました Designed by unamama
2005年03月20日
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皆さん、こんばんわ☆今回はウラではなく表のぷーたろですので、ご安心ください。ここで、いきなりですが、11,111番をゲットされたのが、ココログのぼんやりさんでした~!ありがとうございます~。他のブログの方はお名前が普通はでないんですけど、丁度、書き込みをしてくださったので、気がつくことが出来ましたよ。この方は、『平家物語』に関する事については、関連書籍から、フルタのフィギュア、そして、大河ドラマで放映しているタッキー主演の『義経』の情報などなど、たくさ~んの情報をお持ちでいらっしゃる、とっても楽しいお方なんですよ~!是非、遊びに行ってみて~!ところで、最近は、柄にも無く漢文学に関することを調べておりまして~。漢文学っていうと、ちょっと印象が堅いけど、でも、ことわざの「五十歩百歩」とかは孟子の言葉だし、「青は藍より出でて藍よりも青く」は荀子(じゅんし)でしょ・・・例をあげたらキリがないくらい、日本人には馴染みの深い言葉が、い~っぱいあるんだよね~。でも、本を読んでて、一番ビックリした・・・っていうか、インパクト強かったのは、やっぱり「司馬遷(しばせん)」かなあ??司馬遷は、紀元前150年くらいの漢の時代の人なんだけど、『史記』って言う、中国で一番最初に歴史の本をまとめたことでも知られているんだね。司馬っていうと、小説家の司馬遼太郎を思い出す人も多いと思うけど、実は、司馬遼太郎は「司馬遷に遼(はる)かに及ばず」ってことで、自分のペンネームを付けたらしいんだよね~。まあ、それだけスゴイ歴史家だったんだよね~。実はね、司馬遷が、どれだけ『史記』の制作に命を賭けていたか・・・っていうことを物語る、ものすごいエピソードがあるんだよ!それは、司馬遷の友人でもある武将の李陵(りりょう)が、匈奴(きょうど=モンゴル人)との戦争に負けて責任を取らなきゃいけなくなった時、漢の武帝に対して、彼をかばった発言をしてしまった為に、死刑を命じられてしまうんだ・・・。でも、司馬遷は、お父さんから受け継いだ『史記』が、未完成のまま死ぬ事だけはどうしても避けたい!そこで、考えた挙句、司馬遷は「宮刑」という、死刑よりもむごく、人間として最も屈辱的な刑を受ける事を、自ら選び取ったんだね・・・。宮刑が、何かって?いや~!女性の私からは、とても口に出来ない刑でございますよ・・・ま、いわゆる去勢ってやつです。それはそれは・・・男性なら想像つくでしょうが、七転八倒の痛みは大変なものだったらしいですわ・・・。そして、この刑が、やがて、宦官(かんがん)という去勢済みの男性官吏に繋がっていくんでしょうね~。(これと纏足だけは、日本人もマネできなかったというから、納得~!)まあ、こんな屈辱的な思いまでしたんだから、宮廷に対しても、ものすご~く怨みがあったんだろうね~。『史記』の中には、当時の王族の人たちが、如何にメチャクチャな奴等か・・・っていうことを赤裸々に書いちゃったんだね。例えば、父親である皇帝の葬式の日に、息子が、父親の愛娼と関係を結んでしまうとか、男性が好きだったとか・・・普通、ここまで書いたら、殺されちまうわな・・・ってことまで、あからさまに書いてる・・・(確かに、歴史家っていうのは、ジャーナリストと一緒で、時には勇気をもって真実を書かなきゃならないことも多いけど・・・)多分、自分が死ぬまで、これを表ざたにするつもりはなかったのかもしれないね・・・。そんな『史記』の「刺客列伝」の中から、「聶政(じょうせい)」という面白いお話を一つ・・・「聶政は、斉(さい)の国で、食用犬の屠殺をしていた人で、年老いた母と未婚の姉と共に住んでいた。そこへ、厳仲子(げんちゅうし)という偉い大臣が、聶政に暗殺の依頼にやって来る。単なる犬殺しの彼を、篤く敬ってくれた厳仲子に対し心打たれるものの、母親と姉のことを思うと、それは出来ない・・・とお断りした。しかし、母が亡くなり、姉が嫁ぐと、もう思い残す事はないとして、厳仲子の依頼を引き受けるのである。そして、暗殺は成功・・・だが、聶政は、自分に礼儀を尽くしてくれた厳仲子と、最愛の姉に迷惑がかからないようにと、自分の顔の皮を剥ぎ取り、目を抉り出し、腹を裂いてはらわたを取り出して、自害し果てる。恐らく、自分の身元が分からないようにするためだったのだろう・・・。その噂を聞きつけた姉は、弟は私の為に、名も無い者として葬られようとしている・・・それでは、あまりに可哀想だ・・・と、弟の名を残す為に、姉も自らその場で命を絶つのだった。」司馬遷は、こういった日の当たらない刺客たちの話まで、歴史書に残してくれたんだね・・・。命がけで、後世に残る歴史書を完成させた司馬遷・・・司馬遼太郎が、「遼に及ばず・・・」と謙遜した理由が分かるような気がするな!人気blogランキング(司馬遷に遼か及ばないどころか、どん底に落ち込んでいる私に愛の手を・・・)
2005年03月18日
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皆様、こんにちわ・・・死して屍拾うもの無し・・・ウラぷーたろです。実は、昨日・・・とあるショッピングセンターで・・・私にしては珍しく、「たまには、ブランド品でも見てみるか・・・」とコーナーの敷地に、一歩足を踏み入れてみた。すると、その時!ピルルルルルル!!!!店のブザーがけたたましく鳴り響き店員が、慌てて駆け寄ってきた~!!私は、心臓がドキドキして「すみません!!何も盗んでいません!!」と、弁解しようと思っていたら・・・ただ単に、店の電話が鳴っていただけだった・・・人気blogランキングもう、あの店には、恐くて近寄れません・・・Designed by unamama
2005年03月16日
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皆様、こんばんわ・・・ウラぷーたろです。うちのでぶや猫たち・・・普段は不味そうな療養食を、「まいう~!まいう~!」って食べてる。そんな感じだから、ねこの缶詰、面倒だからあげないでいたら或る日突然・・・ストライキを起こした!!・・・と言っても、押入れから出てこなくなっただけ・・・ほっておくと、ず~っと出てこない・・・かなり粘っている・・・仕方ないので、労使交渉の結果一日、3匹に一缶ということで決着がついた・・・それにしても、一体、どこでこんな知恵をつけたのか・・・?まさか・・・?テレビ○日の、○○ステーション見てたか?まさかのミステリー!?人気blogランキングDesigned by unamama
2005年03月12日
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皆さん、こんにちわ☆やっと、まともな日記を書くことが出来ました。ウラぷーたろは、ねじが10本くらい外れて、漢字もめちゃくちゃですが、それは、そういうものとして、遊んであげてくださいね。ところで、本題です!この間は、愛知県の渥美半島先端部にある、伊良湖に行ってまいりました~☆強い日差しに青い海と空、そして、色とりどりのお花・・・伊良湖は、もう、すっかり春ですよ~♪ まずは・・・渥美郷土資料館で、地元の情報を仕入れに行きましょう! うは~!立派な建物です・・・。でも、無料で見られるなんて、嬉しいじゃないですか~。こういう町は、恵まれていますね・・・自動車輸出港がある田原も近いし・・・トヨタの恩恵かしら?それはともかく・・・この資料館では、主に、あの奈良の大仏さんで有名な、東大寺の鎌倉時代の再建に使われたという瓦が展示されています。ここ、渥美半島は、今ではすっかり廃れてしまったものの、その平安から鎌倉時代にかけて、良質な焼物の窯元があちこちにたくさんありました。今でも、残っていたら、間違いなく日本六古窯(にほんろっこよう:備前焼、信楽焼、常滑焼、瀬戸焼、丹波焼、越前焼)に加えられ、日本七古窯になっていたかもしれませんね。そこで、重源というお坊さんから、是非、東大寺の瓦を焼いてもらいたいとの依頼がありました。恐らく、それは、伊良湖と奈良の地理関係も、理由として、大いにあったことでしょう。伊良湖の地図この地図でもお分かりのように、伊良湖と三重県の鳥羽は、とても近い距離にあります。フェリーだと、だいたい1時間くらいでしょうか?昔は、物資を運ぶのは船が中心でしたから、伊良湖~鳥羽を経由して、川を登って奈良まで運んだとしても、そんなにかからなかったと思いますね。ちなみに、東大寺は奈良時代(710~794年)、聖武天皇の時代に、聖武天皇が皇太子(基王)の供養にと、728年に建立した金鐘寺が東大寺の始まりとされています。そして、741年、聖武天皇が護国信仰に基づいて、日本全国に国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を、国分寺の総本山である大和国分寺として「金光明寺」と名前を換えました。その後、743年に、聖武天皇が大仏造顕の詔(みことのり=天皇のお言葉)が発せられ、745年に金光明寺にて造営が開始された際に、「東大寺」と名称を変えたのだそうです・・・。大仏は752年に開眼供養が行なわれましたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年とのこと・・・。出来あがりまでに、奈良時代のほとんどが費やされたのですね・・・。(まさに、奈良の大仏だね!!修学旅行では、東大寺の柱の穴をくぐり抜けて遊んだアホが、クラスに必ず3~4人はいたはず!!)その後、時代は平安時代後期、源氏と平家の戦いが激しさを増してきた最中、1180年に平重衝が放った火によって、残念な事に、伽藍が焼失してしまいました・・・。そこで、鎌倉時代になってから、東大寺再建をされた源頼朝によって、瓦が岡山県万富と、ここ渥美半島の伊良湖に発注されたのですね。(ちなみに・・・現在の伽藍は1709年に再建されたものだそうです・・・)東大寺の瓦が見たい人は、渥美郷土資料館のHPへ・・・(ちょっとだけ、公開されています。)そして、もちろん・・・その窯のあった場所にも行って来ましたよ! でも、何だか窯元っぽくないというか・・・実感が無かったです。その後、伊良湖フラワーパークへ!南国風の花々が咲く温室館と、屋外の菜の花やポピーなど、様々な花が咲く庭園があり、規模は小さいけれど、春らしい優しさが溢れ、心が和みました・・・。ちょいと小腹が空いたら、道の駅も兼ねている、伊良湖の旅客ターミナルでラーメンを食べたり、恋路が浜にある灯台茶屋っていうお土産屋さんで、三河名物、大アサリを食べるのもお勧め!!めっちゃでっかくてビックリだけど、美味しいよ~!ここに来たら、食べなきゃソンだよ~!! 他にも、苺狩り(1,500円)なども楽しめるし・・・春を先取りしたい人には、是非、お勧めの場所ですね~。きっと・・・そろそろ・・・海からの風も和んできたことでしょう・・・。春霞の中、菜の花が咲き乱れる伊良湖にサイクリングなんて・・・素敵ですよ! 人気blogランキング気に入ってくださったら、一回押すだけ!簡単よ!
2005年03月10日
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皆様、こんばんわ・・・今日の私は、ひどく落ち込んでいます・・・というのも・・・さっき、鏡で顔を見たら・・・バビル2世の黄泉様のようなクマが、目の下に出来ていました・・・明らかに寝不足です・・・人気blogランキングこんなん、どうでもいいですから~!誰か、黄泉の世界から救い出して~!歴史日記、近々、後悔予定!口語期待?・・・乞うご期待!とりあえず、写真だけ・・・
2005年03月08日
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皆さん、こんにちわ・・・突然ですいません。これから、時々、思いついたときに核?・・・間違えました・・・書く「ぷーたろウラ日記」を後悔・・・いえいえ公開していこうと思います。ところで・・・昨日の、アンジャッシュの言葉遊びのコント、面白かったですね・・・。「今月、大仏買っちゃって!」「今日奈良マニアいます。」「良い太鼓とは何ですか?」これ、何のことかわかります・・・?答えは・・・「今月、大分使っちゃって!」「今日なら間に合います。」「言いたい事は何ですか?」メール打ってると、時々ヘンな言葉が出てきますよね・・・。ごめんなさい・・・あんまり真剣に読まなくてもいいですから。人気blogランキングこんなものも・・・クリックなさらないで結構ですから・・・そ~っとしておいてください・・・。それでは、さようなら・・・あ・・・もしかして・・・奈良マニアって・・・多分、私のことかもしれません・・・奈良旅行地理検定試験、受けちゃいましたから・・・
2005年03月06日
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皆さん、こんにちは☆今日は、3月3日、ひなまつりですね~。さっき、お隣さんが、長崎に伝わるという、おひな祭り用のお菓子をおすそ分けしてくださいました。ほんとに、感謝感激!お陰様でいいお祝いが出来ました☆ところで、昨日のトリビア・・・見ていた人はご存知だと思うんだけど、3人官女の真ん中の座っている女性が既婚者で、両脇の立っている二人が未婚なんだってね・・・!?何でも、平安時代は、既婚者は眉を剃って、ひたいにマロのような丸いものを描いていたらしいね~。もう、そんなこと全然知らなかったから、目からうろこでしたわ~♪そして、お内裏様とお雛様は、実は結婚式を挙げているところで、初夜がすんだ次の日に眉を剃ってしまうんですって!!なんだか、そう思ってみてみると、おひなさまも感慨深い物があるよね~。でもね・・・最近の子供たちは、昔ながらのおひなさまの顔が恐いらしくて、顔の丸くて目の大きなマンガチックな顔のおひなさまに人気が集まっているとか?まあ、気持は分かるけど・・・『足助のおひなさん』を子供達が見たら恐がっちゃうかと思うと・・・ちょっぴり残念だよね~。なんて・・・前置きが長くなりましたが、今日は、歴史のお話はちょっとお休みして・・・前回好評だった天然素材100%のヘアカラー『へナ』の第二弾、究極の手作りシャンプー『ヘナシカシャンプー』を取り上げてみたいと思います。これは、カラーリングの材料でもあるヘナと、洗浄成分のあるシカカイという植物の粉末が主になってるからヘナシカシャンプーっていうんだけど、これも、めちゃくちゃ使用感が気持よくって、頭皮に塗った時のひんやり感が、これまたなんとも・・・。それも、髪の毛がサラサラになるだけじゃなくって、くせっ毛も、いい感じに真直ぐにしてくれるから、重宝してるんですよ~。雨の日なんて、今までくしゃくしゃになってたけど、その悩みからも解消されたみたい!ホントに・・・今まで使ってた市販のシャンプーはなんだったんだ~って感じだよ!お陰で、念願のロングヘアに挑戦できそう!松嶋奈々子ヘアも夢じゃないかも・・・(って顔が違うよ!)作り方を知りたい人のために、もしよかったら・・・レシピです☆ (左から、へナ、シカカイ、瓶がモッティアロッシャオイル、カチュールスガンディ、アムラ)材料は、お湯200~250ccに対して、へナ:大さじ2 シカカイ:大さじ4 アムラ:大さじ2 カチュ-ルスガンディ:大さじ1を、ダマにならないように良く混ぜます。そして、一晩寝かせた後、モティアロッシャオイルを数滴入れて、100円ショップで売っているようなドレッシング用の入れ物に移すだけ・・・。それだけ・・・たったそれだけのことなんだけど、それ、一体どこで手に入るんじゃい!って思うよね・・・。もし、ちょっと興味のある人は、こちらにどうぞ!アートビーングでもね・・・これ、出来上がりがヘンな色だし、泡が立たないし・・・なんじゃこれ?って思う人も多いかもしれないけど、しっかりと頭皮の汚れも落ちるし、リンスがいらないくらい髪がサラサラするから、全然大丈夫だよ!また、これも、へナと同様にインドに古くから伝わるもので、天然のハーブ100%だから、とっても安全だし、アトピーや化学物質過敏症の人なんかにもお勧め!(植物アレルギーのある人は、事前にパッチテストをしてから使ってね!)インドの人も、つい最近まではこれを使ってたみたいだけど、ここ10年ばかりは、アメリカの影響がすごいらしくて、合成シャンプーがのさばってきたとか・・・。でも、どんなに優れたシャンプーも、やっぱり、これには勝てないんじゃないかな・・・って思うよ。私は、特にエコロジストとか自然派主義って訳じゃないけど、ただ単に、髪の毛に気持いいものを選んでいたらこうなった!って感じかなあ?それに、シャンプー以外にも、肌が弱いってことで無添加の石鹸や洗剤を使っているけど、これが自然環境を守ることにも繋がるんだったら、一石二鳥で嬉しいよね~。歴史のお話を期待していた方には・・・ホントにごめんなさいね!でも、慌しい世の中に、こうやって・・・時間と手間隙をかけながら、ゆっくりのんびり、インドの世界に浸りながらっていうのも、リラックスできていいものだと思うよ。*********************************今日のネタ:インドといえば!細木数子さん特製カレー!作ってみたら、めっちゃ美味しかった~!にんにくを最初に炒めて、肉と大き目の野菜を入れた後、塩でしっかりと味付けして、仕上げに牛乳を入れるだけ!それだけで、まろやかで美味しいカレーになったよ!よかったら、試してみてね!(でも、上のシャンプー用のハーブと、カレーのルーをごちゃまぜにしちゃダメだからね~☆)よかったら、ここをクリックしてみてね~!人気blogランキング
2005年03月03日
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