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2026年09月29日
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カテゴリ: 社会
倉本聰の訃報に触れたとき、私は一つの時代が静かに幕を閉じたのだと感じました。享年91歳。創作の現場に立ち続けたまま人生を終えたという事実は、彼が最後まで「生きることの意味」を問い続けた人であったことを象徴しています。

私は彼のドラマをほとんど観ていません。作品の評価や名声は知っていましたが、どうしても積極的に触れようという気持ちになれませんでした。それでも、倉本聰という人物が日本文化の中で特異な位置を占めていたことは、強く理解していました。特に富良野塾の存在は、損得勘定を超えて若者を育てるという、現代ではほとんど失われた「共同体の倫理」を体現していたと言えます。

しかし、彼の語ることに触れると、どこか疲労感が伴うのも事実です。正しい。しかし軽やかではない。これは、倉本聰が生涯を通して提示し続けた「日本人らしさ」が、現代社会の価値観と根本的に異なる方向を向いていたからでしょう。

倉本聰の思想の中心には、
自然への畏れ、共同体への責任、手間をかけることの価値、そして“生きる力”の回復
がありました。彼は自然を単なる背景としてではなく、人間の倫理を試す場として捉えていました。富良野自然塾で森を再生する活動を続けたのも、自然を「資源」ではなく「関係性」として扱うべきだという信念の表れです。

この価値観は、タイパやコスパが支配する現代日本とは明らかに対立します。効率化は人間を楽にしますが、同時に「突破する力」を奪う。倉本聰が晩年に語った「期待しない社会」「生きる力の弱まり」は、まさに現在の日本の姿を予見していたと言えるでしょう。

彼自身の人生もまた、思想の延長線上にありました。疎開でのカルチャーショック、睡眠時間を削って脚本を書き続けた末の挫折、大河ドラマ『勝海舟』の降板。何度も絶望し、そのたびに環境を変え、最後には富良野という土地そのものを創作の拠点にしてしまった。自分の価値観を守るために、世界の方を作り替えてしまうような、徹底した不器用さがありました。

私は富良野に行きたいと思ったことはありません。しかし、あそこで損得を超えて挑戦する人々の姿には、どこか尊敬の念を抱いていました。文化が土地を変え、土地が人を変える。その循環を生み出したという点で、倉本聰は地域文化の創造者であり、日本の「共同体の倫理」を最後まで支えた人物だったのだと思います。もし沖縄でも同じような文化の磁場が生まれれば、状況は変わるのかもしれません。



倉本聰の死は、単なる一人の文化人の死ではなく、
日本がかつて持っていた“生きることの重さ”を引き受ける文化の終焉
を象徴しているように思えます。

個人的に親しみを感じるタイプの人ではありませんでしたが、彼の活動が日本文化に残した影響の大きさは否定できません。深い敬意を込めて、ご冥福をお祈りいたします。

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↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります!





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最終更新日  2026年09月29日 10時59分32秒
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