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自分がHPやらブログをやっていたら
絶対この本のこと書くのになあ。

でも、まあ、私には一生縁のないことだろうなあ。



なんて思っていたのに
ブログを始めることになったので
この間止まらなくなって書いてしまいました。

この本はいわゆるチャネリングものなのに
「物質主義に溺れている未開の地球人たちに教えを垂れる」
的なところがなく


旅先からこっちに出してくれた53通の旅行記
みたいなものとなっています。

なんといっても、もとはこっちにいた人からの手紙ですから
こっちが心底知りたいとことを、たくさん書いてくれています。


今後、こんなに一冊の本に入れ込んで
書いたりすることはないと思いますので
今回だけはお許しを・・・




「死者Xから来た手紙」1996年 同朋舎出版
編者:キャシー・ハート
著者:エルザ・バーカー
訳者:宮内もと子



検索するとバッチリとアップしてくださっているサイトもあり
原書では、PDFで本全部がアップされているところもあるようです。

重複するかもしれませんが
あまり知られていないようなので
自分なりにこの本のよさが伝わりそうな所を書いてみたいと思います。





1869年ヴァーモント州レスター生まれ
教師、速記記者、新聞記者、編集者の職を経たのち、詩人、劇作家、小説家としての地位を確立する


“あの世”からの手紙書いた人 : デイヴィッド・パターソン・ハッチ判事
1846年11月22日、メイン州ドレスデン生まれ
1872年に、ミシガン州セントポールで弁護士としての開業を許可され、まもなく市の検察官に任命される。その三年後、サンタバーバラに移り、そこで1881年に上級裁判所判事に選出された。
長年にわたってハッチ判事とともに働き、最終的にその弁護士業務を引き継いだ人物は、彼が亡くなったとき、長い弔辞を書き、故人を、“魂の哲学者”と呼んでいる。


        以下、活字になったその弔辞の抜粋、のそのまた抜粋です。



ハッチ氏は、ひたすら書物に顔をうずめているような弁護士ではなかった。氏の視線は、書物の向こうにある正義の顔を真っ向からとらえていたといえる……氏は法の原則を知り抜いていたのである……


ハッチ氏は七年にわたってサンタバーバラ郡上級裁判所の判事を務めたのち、その職を辞してロサンジェルスで弁護士業についた。氏の仕事は、南カリフォルニアの実業界に君臨する大物の弁護から、“慈善事業”にいたるまで多岐にわたったが、氏の依頼人はいずれもまたとない優秀な弁護士にめぐり会ったといえよう……


ハッチ氏の出勤は早かった―――たいてい八時前には職場に来ていた。しかし、定例業務や規則に心をわずらわせることはあまりなく、“存在するものはなんであれ正しい”ということばを座右の銘としていた。


ハッチ氏は、日曜だからといって、月曜や金曜に世間に示さないような性格や行動を示したりはしなかった。氏の日々の行動において自らの哲学の限界ぎりぎりに近づいていたので、これは卑見であるが、口で語るよりも、日常の行いによってその哲学をよりよく説いていたと思う。


氏は、筆者が親交を結んだ人々の中では、だれよりも偽善に遠い存在だった。常に本音で通し、従って弁解することもなかった。牧師が自分の説く教義を実践する以上に、氏は自分の哲学に忠実に生きた。ここで、“哲学”と言うのは、氏にとって宗教や教義はピラミッドの下層部にすぎないのに対し、哲学者である氏自身は、宇宙に目を向け、神と直接語らっていたからである……


氏は心やさしく物言いも柔らかな人だったが、きっぱりと、かつ丁重に「ノー」と言い、その言を決して撤回しない気概もあった。筆者は氏とともに十年近く仕事をしたが、その間氏のことばによって傷付けられたことは一度もなく、従って言い争いをしたこともなかった。ハッチ氏は、固陋さとは無縁だった。過ちを指摘されれば潔く認め、改めるにやぶさかではなかった。


筆者の印象では、ハッチ氏の哲学は、氏が五十歳に達したころ、すなわち1896年か97年までは、まだ真の発展をとげてはいなかったように思う。しかしそれ以降、その哲学は、飲酒、肉食、喫煙の習慣を断つことから始まり、意志による肉体の征服、深遠な哲学的瞑想、研究、著述活動などの形をとるようになっていったのである。


1899年ごろ、ハッチ氏は自分の主宰する事務所とその業務を筆者に譲り、ブリティッシュコロンビア州山中の、クートネイ湖付近に赴く。氏はそこで五年あまり隠遁生活を送り、興味を寄せていたある鉱区払い下げ請求地のすぐそばで暮らした。その間に、通信教育で鉱山学の過程を終了している。しかし、その隠遁生活の主たる目的は、肉体的、精神的に、自然により近い哲学的視座を得ることだったと思われる。ブリティッシュコロンビアの原野で、氏の精神主義哲学はみごとに開花した……




また、この本のあとがきには


1914年の夏、《ニューヨーク・サンデー・ワールド》にブルース・ハッチ氏のロングインタビューが掲載され、その中で氏は、『手紙』は、自分の父でロサンジェルスに住んでいた、故デイヴィッド・パターソン・ハッチ判事の書いた文章に相違ないと確信している、と表明した。

という部分もあります。


エルザ・バーカーとハッチ判事は
ハッチ判事がポール・カリシュカの筆名で書いた『20世紀のキリスト』と題する作品が縁で知り合い、親交を深めたそうです。





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Last updated  2007.12.09 07:03:23
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