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2011年05月18日
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前回からの続きですが、生物界では個体の死は他の生物の






生存にとって利益となる利他的な行為となっているが、その原理が







そのままで人間の場合にも当てはまるのかを考えてみようと思います。






しかし、元々自分自身の意思でこの世に生まれてきた者など






昔から誰も居ないわけですから、その様に受身で始まった人生の






最後だけを自分の意志で「思うまま」に完了させることは出来ない







理屈でしょう。私たちに辛うじて許されているのは「利他的な生き方」をする







だけ、ということになりますね。家族の為、親類縁者のため、地域や






コミュニティーに役立つように生きる。社会や国、延いては全世界の為に役立つ













捧げる。それだけではありませんね。地球環境の保全に務める。他の生物






例えば絶滅が危惧されている動植物の保護活動にミッションとして参加する。






などなど目的や意識、思考のあり方が異なるとはいえ、つまり利他的な人生を生きる






という点では共通なわけですし、その様に生きることは誰にとっても






その気にさえなれば、決して不可能なことではありません。しかし






私がここで申し述べたい事は、このような謂わば意識的で模範的な






生き方だけをクローズ・アップし、それを自他に推奨するということではありません。






傍からみてどんなに「無意味」あるいは「利己的」、又は「自分勝手」な






生き方であったとしても、個々人の生はその根底の所で「利他的」である






ように謂わばソフトがプログラミングされているという、誠に有難い事実






を指摘し、皆さんがたの注意を喚起したいことなのです。誰が一体そんな風に













個人は徹底して自己のみの限定された生に徹頭徹尾、強く、そして執拗に






執着して止まない存在ですが、そうした狭隘な個人本位な意識や生き方は






はっきりと間違いだと、そう主張したいのであります、はい。人類全体が






地球村の住人となった今日、非常に鮮明になったこと。個人は人類全体の







一部にしか過ぎないという事実。このことを改めていま明確に自覚しよう














くださっている「存在者」に虚心坦懐に合掌し、純真無垢な幼児のような







赤心にもどって感謝の誠を捧げようではありませんか!私たちは実に、有難くも







生かされている。そしてそれは全体との調和の中で絶妙に、実に精妙にして







不可思議な仕方で。肩の無駄な力を抜いて、安心して、伸び伸びと生きてみよう。






そう感じないわけにはいかないではありませんか、どうでしょう。















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最終更新日  2011年05月21日 22時38分58秒
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