草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2012年03月14日
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この世に、赤裸で、たった一人きりで生まれ


そしてまた、たった一人きりで死んでいく。どんな高貴な出自であっても


私のように貧しい、庶民の子供として生まれたものであろうと


孤独で生まれ、孤独に死んでいく人間が本来、宿命的に持っている


或いは持たされている定めには、なんら変わりがありません。そういう


意味では人は平等です。絶対的に孤独である、それを自覚した瞬間には。


しかし、私は・草加の爺は今回はこの動かし難い一大命題に対して


全く違った回答を、結論として提出したい。そう考えています。


私の自問自答は、いつでも徹底して掘り下げた、それ故に





考察でありますので、簡単に、万人に御理解いただけるようなテーマでは


ないのですが、それを承知で、子供にも分かるような平易な言葉で


説明するように努めていますので、見方によってはとんだ誤解を招く



事にもなり兼ねない。それを百も承知で、敢えて誤解も恐れずに


「老いの繰言」を飽きもせずに繰り返しているのは、私なりの使命感


のなせる業。と言いましたら、世の識者達からお叱りを受けるでしょう。


にも拘らず、形振り構わず、物を申しているのは止むに止まれぬ


老婆心ならぬ、いつもの「爺のお節介」とご承知置き下さい。さて、


私は、人間は孤独ではない、と主張したいのです。人間は、私達は


誰でも「大きな、広大な慈愛に包まれてこの世に生を受け、その何とも


有難い慈愛の中で毎日を生き、そしてその暖かな、そして優しい慈愛に





一生を全うする。そういう存在なのですよ、断じて口から出まかせの


法螺を吹いているのではありませんから。前回にも書きましたが


私たちにそれを「理解」する事は不可能です。出来るのは「信じる」ことのみ。


絶対者・神の概念が如何しても必要になる局面ですが、その対象が


私たち「微小な部分」に過ぎない存在には理解が及ばない。くどいようですが





これっぽっちも有りませんよ。宇宙のあり方が複雑で奥深いように


私たちの存在のあり方も、同様に複雑で奥深い、実際の所が。


それが私の主張を、一見のところ胡散臭い物に感じさせる原因なのですね。


絶対と 遊び を通して交わり、現代人がとっくの昔に忘れ去ってしまった


本当の「信仰心」を復活させ、真実に信ずべき対象を信じる、信じきる。


そのためにFYC(ふへん・ゆうこう・くらぶ)と言う謂わば現代の


プレイスポットを用意したのは、こういった深い謂れがあったのです。


どうぞ、興味と関心をお持ちになられた方は、FYCの扉をノックして下さいませ。


詐欺や騙りの類ではありませんので、基本的に御代は頂戴いたしては


おりません。真剣に、ご自分の限られた人生をより良く生きたいと心底


念願していらっしゃるお方のみ、お待ち申して居りますゆえ、どうぞ


遠慮なくご相談下さい。心よりお待ち申し上げております、本当に。







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最終更新日  2012年03月14日 15時16分09秒
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