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2012年07月03日
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古人は「衣食足って、礼節を知る」と言いましたが


飽食の時でさえ、そして消費が美徳だと騒がれた時代でさえ


礼節が重んじられた形跡は皆無、と言っても誇張に過ぎること無いのでは……。



では「礼節」とは一体何かを、極分かり易く考えて見ましょう。辞書によると


礼節とは「その社会の秩序を保つ為の、礼儀作法や、節度のある行動の仕方」


とあります。江戸時代の学者・伊藤仁斎は禮(礼)の本質を恭敬・謙遜の



心にあると説いている。自分自身を一段低くして、相手の立場を尊重する精神



ということでしょうか。人間が社会的な存在である以上は、その大切な


社会の秩序を節度ある快適なものにする為には、西洋由来の「自己主張」







厩戸の皇子・聖徳太子も「和を以って尊しとなす」と宣言されていますね。



こうして考えてくると、衣食が十分に満足する状態になれば、自ずから



自然に、放って置いても礼節を弁えるようになる、と考えるのは明らかに間違い。教育



それも正しい教育、愛情ある真の、行き届いた教えと、育みとがどうしても



必要だという事になりそう。ところで、その様な教育は、昨今、何処で


一体実施され、実践されているのでしょう。皆さん方に、真正面から



大真面目でお伺いしたい。ご家庭で、この様な教育をなさっていますか。



あるいは、義務教育の小中学校で誠意ある優秀な先生方の手で行われているのでしょうか?



どなたか、肯定的な、建設的なお答えをお寄せ下さい。社会の乱れ、モラルの


荒廃、ここに極まれり、といった世相が目について仕方が無いのですが


私ひとりの、繰言のための繰言なのでしょうか……。もし、礼節と





大不安は、こと礼節に関してはマイナス材料にはならないので、一安心。という


訳にも行かないところが、人間社会の複雑さ。貧困は、経済的な不健全さは



社会の混乱に輪をかける様に作用するのではないか、そんな心配が兆す。


ここのところを、私たち大人は篤と、腰を据えて考えてみる必要が


あるのではないか、実際のところ。そんな事に、かまけている暇など無い。







本音があちこちから聞こえてきそう。日本は、もうとっくの昔に、実質的に


滅亡してしまっている―、そんな恐怖が入道雲の様に行く手にのしかかってきて


私の足は時に、すくんでしまう。しかし、私は、このような駄文を縷々



書く連ねているからには、まだまだ本当には絶望していない。愛すべき


子供たちや、純真無垢な若者達の姿が目の前に見えるから、なのですよ。



どうして、絶望などしていられましょうか!何か感じる事が御座いましたら


メッセージをお寄せ下さい。お待ちしています、是非に。








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最終更新日  2012年07月03日 12時42分28秒
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