草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2012年08月28日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
最初のうちは、「学」というほど大袈裟な物でなくても


幸福に関する研究でよいのですが、昨今は何々学と言うのが


大流行のようですので、時流に乗り遅れてばかりいる私・草加の爺も


一寸だけ真似してみようという気になったのです。CDA(キャリア


カウンセラー)の資格をとってから、仲間と勉強会に参加して


勉強を続けてはおりますが、兎に角この道の専門家ではありませんので


自分なりの、つまり素人としての「キャリア論」のようなものを


いつか纏めてみたいと腹案を練ってもいたのです。今日になって、ふと



ああそうか、無理にキャリアに焦点を合わせなくとも、FYC流の





はたと思い至った次第。つまりそれがタイトルに掲げた「幸福論」乃至


「幸福研究」の勧め、ということになるのですね。現代は癒しとか


和みとか、とにかく様々なストレスからの開放(― というよりは


生きる努力からの一時的な逃避願望)が大きな関心事になっているようですから


各自が銘々の幸福獲得法について研究し、実践する必要性が大いにある訳。



例えば、今再び大きな問題とされマスコミなどで話題となっている


学校での虐めの問題。「私共の学校には虐めは存在しません」とか



「虐めかどうかの判定が難しい」、「虐めを証明するのは至難」とか


様々に言われる。いちいちご尤もな発言のように聞こえる。そこに欠落しているのは


当事者意識である、責任感の欠如。DV(家庭内暴力)にしても、相対的な


弱者が何時の場合でも被害者になって、その殆どが弱者の側の「泣き寝入り」






圧倒的強者でない者は、陰に籠ったマイナスの権力誇示行動、つまり弱者虐めをする。


これは紛れもない人間性の一面です。虐めは時と場所を選ばず、年齢の如何に


かかわらず必ず発生する。少なくとも大前提として、その様な認識が先ず


必要なのですよ。人間社会から暴力や、大小の戦争行為が絶対なくならない



ことと無関係ではない。根本的にそういう人間認識がない綺麗ごとの






平和論や平和へ向けての行動が「無力」に見える原因なのですが。



それでは、弱者である個人の立場から、例えば「虐め問題」に如何対処したら



よいのか。難しい問題ですが、この世に絶対的な強者が存在しない以上



個人としては自分が弱者の立場に立った場合の、対処法について様々に


考え、工夫を重ねる必要が、常時あるのですね、残念ながら。そして


絶対的な処方箋もありえない。となると、あらゆる状況下で「うたれ強い」


人間などいないのですから、36計逃げるに如かずと古人は教えていますから


さっとばかり逃げ出す「脚力」を備えておくことが、何よりも有効なのかも。


難解な事態に対しては常に、絶対的対処法がない以上、様々な


解決策を模索する不断の努力が欠かせない。何とも生き辛い世の中ではありますが


絶望するには、及びませんよ。苦労や苦しみを楽しみや、幸福に変える



術を、神や天は私たちに与えていて下さる。要は個人の心がけと、努力次第



と言う事になりますが、大人も子供も等しく日常生活の中で自分自身を


鍛え上げる心構えが必須なのでしょうね、如何しても……。天は自ら


助くる者を助く、なのですし、それなりの幸福の代償は金銭ではなく


別個の方法で支払わなければならないようですよ。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年09月07日 07時42分07秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: