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2014年09月29日
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 見出しの言葉に、前回は直接的には、ほとんど

何も触れて居りませんので、あるいは何のことやらと訝しく

感じられたお方もおられたかもしれません。しかし、注意深くお読みいただいて

いる方なら、充分に 意味 が伝わるようには書いているのでして、殊更

謎かけをしたり、読者を惑わすつもりなど毛頭考えてはおりませんよ。何より

私・草加の爺は必死なのであります、命懸けなのでありますね。従って、余裕がないのであります、はい

ただ、それだけのことですので、多少の 説明不足はお許し下さい。

 さて、綺麗は汚い、でした。綺麗と汚いは反対の概念を代表するものとして提示しましたので、



つまり、両極端と見えるものは実は、その本質において同義である。融合して一つに合体してしまう。

見分けがつかなくなってしまう。その様な意味合いを含意していました。何故、そうなるのか?

私たちを生み出した宇宙なり、絶対的存在がその様な矛盾や謎を孕んだ存在であるから…。禅問答

のようで、この種の本質的な命題に不慣れなお人には、難解と思われる真理なのでありますよ。

 私達、人間の理解力というものは実は 狭隘 で非常に限定的なのであります、実際には。

分析的、合理的、客観的、科学的、などという現代人にとって非常に「魅惑的な」言葉は

絶対的な存在者の側から見れば「井の中の蛙の戯言」にしか過ぎない。驚くべきことに!

「直感」という一見怪しげな言葉こそ、人類という 儚く また 脆い 存在にとって

絶対者に回帰する唯一の方法なのであります、実に、悲しいことに…。

 私は以前に、自分自身がこの世に生まれてきた意味が知りたかった、というふうに

表現しました。そして、71歳を過ぎた今、普通では 遅きに失する年齢になって開眼し



意気込んでいます、張り切っています、実際。しかし、それは一面の事実であり

言葉の綾というもので、実は、心は澄んでおります、意外でもなんでもなく、実に

穏やかで、落ち着いてさえいます、不思議ですね。でも、絶対者から見れば当たり前のこと。

何時も、人生の重要事は「差し迫っている」のであり、それゆえに、腰を落ち着けて

「急がば回れ!」の精神を忘れてはならないのでありますよ。浮ついた、拙速な態度では











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最終更新日  2014年09月29日 11時01分39秒
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