草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2016年08月03日
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第 七十六 回 目


 己が生き、生活している、この世の森羅万象と心を通わせること。鳥や虫の声に耳を

傾けること、それだけではなく、声を持たない草や木や、山や川の息吹を感じ取り、

遂にそれらとも心を交流させる。生命が無いとされる土塊の果に至るまで、全ての物

に佛の声を聞き、御仏の力を感じることである。

 古来我が国で、神と呼びならわしてきたものも、以上の如き意味の佛に、根本は

通いあっていると思える。それは謂わば、予感の如きものである。実体や姿のない、甚だ

漠然とした、掴み所のないものではある。ーー 言葉、言葉の芸術である和歌。その

形だけがあって、実体の無い媒体を使用して、この世の真実、乃至、己の真実を掬い上げ、



唯一の拠り所でもあった。義清の戦いに於けるや、武器にも防具にも、唯それだけしか

与えられていなかった。

 円満具足の仏の境地たる理想と、迷い・苦しみ・淋しさの連続である現実との懸隔は、

実に目も眩むばかりに凄まじい。ともすれば絶望に近い不安感から生ずる、焦燥と苛立ちが

更に大きく、不安を広げる。しかし、洛中での日常生活から解放された、山寺の僧坊を

中心とした山家での起臥は、義清に苦悩ばかりを齎らすものでは無い。爽やかな朝露の湿り

と匂いを含んだ、暁の風の訪い。深い、澄み渡った緑色の静寂(しじま)。その静けさを一層

際立たせる野鳥の囀り。誰にも煩わされることのない、甘い午睡の夢。榾を焚く火の、軽く

弾ける音。昼なお暗い森林の奥から漂ってくる、樹々の芳醇な香り。清冽な渓流のたたずまい。

湧泉の清浄無垢な姿。又、それ等自然の美に見惚れ、放心する際の、恍惚たる味わい。

 それ等、目には見えない磁気の如き自然力の影響が、義清の精神と肉体とを次第に練磨し、



教え、同時に、それに耐えることを、彼に強いた。激しく頻繁な山歩きの修練は、頭脳だけでなく

躯全体で思考することの意義を、教えた。文字に書かれた経典ではなく、自然の中に無数に

鏤められた仏神の表現を、直接体幹で感じ取る術を、学んだ。

 季節によっては、文字通り野宿に近い山岳生活を、何日も送ることがあった。木の実や草の根

を専ら口にし、杣人の姿すら終日目にすることのない、山伏に近い、原始の生活である。そうした



一種の法悦境にほかならなかった。

 白い霧に埋まった、深く静かな、湖の底の様な山中で、義清は伝説の山姥に遭遇した。棚引く

霧を見紛う絹の如き光沢を有した、純白の寛衣を纏った女は、長々と蔓草のように地上近く

迄伸びた黒髪を振り乱して、義清の前方を駆け抜けて行ったー ゆっくりとした動作であった

ようにも思えるし、電光の如くに瞬きする間の瞬時に現れ、瞬時に消えたようにも思えた。

どのような顔と表情であったのか…? 見覚えのある顔付きであったようにも、又、眼も鼻も

ないのっぺりとした、青白さだけの印象とも取れた。誰かに似ていたとすれば、それは妻であった

のか、それとも、待賢門院か、或いは、皇后の藤原得子であろうか。そのいずれにも見做し

得る態のものである。義清は何者かに、強力な力で背中を突き押された如くに、山姥の没し去った

霧の中に、駆け込んでいた。結局、二度と再び、山姥の姿を眼に捕える事はできなかったが、

彼女の気配を感じつつ、細く険しい沢の奥へ奥へと、別け入るにつれて、性的な興奮に近い

心の緊張が歓喜を呼んで、義清の身体全体を、激しく揺さぶっていた…。それが果たして仏教的な

悟りや、成仏へと道を通じているものなのか、それとも、修羅に堕し、地獄に転落する不吉な

兆しであるのか、全く見当もつかない……。


 都近くでの仏道生活に倦み疲れた義清が、その精神的立ち直りを策して計画したのが、高野から

伊勢へと廻り、熊野に至る長旅であった。

 高野山では、真言密教の根本経典である大日経を手に入れること、そして伊勢では古人の

詠じた歌枕を実地に探訪すること、最後の熊野では、那智の滝に打たれる荒行、と言った

それぞれの場所での目的を持ってはいたが、全体としては都から遥かに隔たった、僻遠の地に

自らを追いやることによって、世俗から孤立した自己の姿を改めて見詰め直す、契機にしようと

考えたのである。だが、旅に出て直ぐ気付いた事は、みやこや親しい人達と離れる寂しさよりは

浮世の束縛から脱して生きることの気安さ、浮き立つような楽しさであった。

 都近くでの僧坊生活は、捨てた浮世との距離が近いだけに、却って無意識の裡に俗世に

囚われ、努力して忘れようと務めるだけ、一層心が俗事に拘泥し、出家者の真の自由が保ち

難かった。旅に出て初めてそれが解った。そして、出家した者の本来の喜びを知り、本当の

自由を覚えた。

 道々、親類の縁に連なる者達の屋敷を訪れ、そこで例外なく心温まる饗応に与ったのだが、

それもこの旅が教えた貴重な、もうひとつの楽しみであった。中央貴族の世界から見た場合

には、卑賤な田舎武士に過ぎない彼等も、実質的には豊かな財力を蓄えた、地方の豪族であり、

旧家の伝統と誇りを今に伝えていた。義清の身内に流れている名門の血が、世を捨てた現在も

この世を生きる便(よすが)として尚、強力に働きかけていたのである。


 夜に入ってからも、蒸し蒸しとする不快な暑さが納まらずに、冷たいビールでも口にしない

ことには、気分が晴れない感じであった。眞木は風呂上がりに妻と一緒に飲んだビールが意外に

利いたのか、夕食の後軽い眠気に襲われて、二階に上がった。

 寝室のベッドに横になると、今度は変に神経が昂ぶっているのが意識され、深夜まで眠れなく

なってしまった。





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最終更新日  2016年08月03日 08時38分19秒
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