草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2016年10月23日
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 佐々木法子は、自分の事を少しは心配してくれているのだろうか?いや、そうでは

ないだろう、昨日、教頭に校長室へ呼ばれたことも、そして血圧の上がった教頭が発作で

倒れた事も、綺麗さっぱりと忘れて、楽しい夢の世界をたどっているに、相違ない。眞木は

寂しげにそう判断した後で、娘たちの寝顔を、思い浮かべていた…。毛布やタオルケット

を部屋のあちらこちらに散乱させ、締まりのない恰好で寝呆けている、悦子と和恵の寝姿

が彷彿とする。恐らく、子供たちの意識の中でも、父親の病気のことなど、完全に忘却

されているであろう。

 それでも、後何時間かして眼を覚まし、少ししたら、自分の事を厭でも思い出すことに



思い出すことは、ないかも知れない。 ―― そんな風に考えを辿って来て、眞木は理由も

なく悲しくなった。一体、あの少女は、自分にとって何なのだろうか…?

 眞木は少女に対する、自分のこの奇妙な感情を意識し出してからは、何一つ行動していない。

いや、行動できないのだ。少女に対して、校長の指示を受けて、それを口実に、幾分は

積極的な働きかけを、始めてみる心算になった様に錯覚した。が、恐らく何事も為し得ない

ことは、最初から決まっていた。大体、現在の自分の少女に対する臆病で、消極的な態度の

原因を、常識外れの年齢の隔たりに置いているが、そのこと自体既に、見せかけの逃げ口上

にしか過ぎない。それは、自分でもよく承知している。……幾度も、己の少女に寄せる、

奇妙な恋情を反省し、バカバカしいと打ち消し、忘れ去ろうとして果たし得ない、虚しい

反芻を繰り返していると、仮令、今彼が佐々木法子の初々しい恋の相手に相応しい、十代前半

の少年であっても、眞木が眞木である限り、結局は優柔不断で、行動を伴わない、敗北主義



 眞木は唯、理由もなく、恐ろしいのだ。少女の「正体」を知るのが。現実に働き掛け、傷つく

ことが。謎めいていて、見かけは魅力に満ち溢れている現実が、突如身の毛のよだつ恐怖に

変貌することが…。

 要するに、在りの侭の真実に触れるのが、ひどく憚られるのだ。現実と、一定の距離を保って

いる限り、常に逃げ場を確保出来る……。



幻影を、その魅惑に満ちた、美しいイメージを、大切に慈しみ、育てて行きたい。それは誰にも

迷惑を掛ける恐れはない。純粋に「個人的な行為」である。そう、丁度小説や詩を鑑賞する

様なもの。

 小説と言えば、一週間かけて読み終えた、例の小説は何を意図して、書かれたものなのだろう?

特別に興味を惹かれた訳ではないのだが、ただズルズルと、最後まで読んでしまった。

 やはり佐々木法子に対する心の昂ぶりが、小説を読むという異常な行動に、大きく作用していた

と思う。あの小説の作者は、きっと自分のように非行動的性格の人物で、しかも自分などよりも

遥かに物狂おしい心の昂ぶりを、経験したのではあるまいか。それが如何なる心の状態であるのか、

判然とは解らないが、それでも今の眞木には、作者の心情の幾分かが、汲み取れる様な気がする。

考えてみれば不思議なことである。四十年余りの半生を、文学とか、小説とかに全く興味も

関心も持たずに過ごして来た男が、突如、十三歳の少女に恋心を覚えた興奮に駆られた如く、

無名の作家の小説に熱中して、読み耽ったりしたのだから。おまけに、作者の創作時の心情の

一部を、理解するに及んでいるのだから……。

 眞木の精神と肉体の両方に、ある種の異変が起こっている事実は、今や疑いようのない事実

である。突然、眞木の頭に「死」という言葉が浮かんできた。自分は近い将来、脳溢血が

原因で死ぬのであろうか。死期が近づいた為の異変と考えれば、少女のことも、小説のことも

幾分の説明になるかも知れないから。…それ以上に適当な理由が思いつかない以上、それはもう

間違いのない厳然たる事実の様に、思えるのだ。―急に、深い底無しの奈落に、突き落とされた

ような、救いようのない恐怖が、悪寒の様に、眞木の全身を襲っている。と同時に、何故か

言い知れぬ後悔の念が、自分は取り返しのつかない失敗ばかりを、繰り返して来たと思う

絶望的な想いが、洪水の如く押し寄せて、たちまちに彼を呑み込んでいた。自分が今日まで

やって来た事の全てが、涙の出るほど、悔いられてならない……。

しかしながら一方では、眞木は確信していた。自分はまだ死なないであろう、と。恐らく八十を

過ぎる迄生き伸びるであろうし、この一時の病的状態から心身共に、健康に復した暁には、又ぞろ

以前と寸分違わない生き方を、続けるであろうと。そして、佐々木法子という少女の事も、小説の

事も、綺麗さっぱりと忘れ去ってしまうであろと。


 ――― いつの間に、眠り込んでしまったのか、眞木は夢の中で、白髪の老爺であった。万朶の

桜花が吹雪となって散り敷いている山麓を、ただ独り経廻りながら、彼は今、己の墓所を心楽しく

物色している所なのである……。

― ねがはくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃  ―



                        《  昭和53年7月末日  一応未完  》







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最終更新日  2016年10月23日 20時24分34秒 コメントを書く


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