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2017年01月01日
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第 百十六 回 目


 今回は、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」という学校の教科書などにも取り上げられている、

人生訓、非常に為になり、励みにも、慰めにもなる、また面白くもあるお話ですね。


          「塞翁(砦・とりで に住む老人)が馬」

 昔、昔(二千年以上前の)、外国の中国でのお話です。中国は昔からとても広い国土を有する所

ですが、その北の方の、小さな要塞のある土地に、ひとりの老人が住んでいました。

 要塞とは、外国の侵略から国を守る砦のことです。この要塞の更に北には、異民族の

胡(こ)が住んでいました。

 さて、或る時に、この老人の馬が胡の国の方に、逃げてしまいました。この地方の



慰めの言葉を掛けたのです。すると老人は、「これが、幸福にならないとも、限らないよ」

と悲しむ様子もないのです。ああ、言い忘れましたが、老人は未来を予測する占いの術

に長けていたのです。

 しばらく経ってからのこと。逃げ出した馬が、胡の馬を沢山引連れ、戻ってきたのです。

 そこで、近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言ったのです、「これが

災いに変じないとも、限らないね」と。

 しばらくすると、その老人の息子が馬から落ちて、足を怪我してしまった。人々はまたもや

可哀想な老人に慰めの言葉を、発したのですが、老人はまたも、「このことが、幸福を呼ぶ

かも知れないね」と答えたのでした。

 一年が経過した頃、胡の軍隊が攻撃を仕掛けてきたのです。城砦近くの若者は全て、この

戦争に駆り出された。そして胡から自分の国を守ることが出来た。しかし、若者の多くが



いることが出来たのです。足の怪我で、義務であった戦争に行かずに済んだから…。

 この様に、世間で起きることは、幸福と不幸とが複雑に入り組んでいて、目先だけでは

判定が出来ない。不幸は幸福の種となり、その幸福は次の不幸を招く原因を作るかも知れない。

今倖せだからと言って、安心ばかりしていてはいけないよ。また、現在の不幸な状況は

何時までも長くは続かない、くよくよしないで希望を持って、苦難に立ち向かおうね ―



 さて、今日は新しい年の始まり・元旦ですから、それにふさわしく根源的な考察を、この

エピソードを手始めにして、人生に対して、私たちが「生きる」ということの深い意味に関して

、加えてみたい。そう考えました。

 私たちは誰もが、お母さんの子宮からスタートして、狭い産道を経由して、この世に誕生する。

そしてその第一声が、おぎゃーという産声でありますね。苦しい、苦しかった、の発声で

あると同時に、生れ出てこれて (本当に、嬉しい) の歓声でもある、誰も覚えては居りません

が…。

 そして又、死という新たなる出発地点に向けて、旅立つ。それぞれの人生を歩み始める。

 ですから、人生という道程は、もうひとつの 産道 として捉えることが、その様に

解釈することが許されてよい。産みの親の産道が狭く、苦しい過程だった如くに、人生という

過程も、新たなる苦しみと、悲しみの連続として、私たちに受け止められやすい、確かに。

でも、でも、楽しみもあれば、喜びも満ち満ちている。感動もあれば、驚きも沢山に与え

られもする。愛を感じ、友情を覚え、恋する大きな、そして決定的な出合いさえ、経験するのだ。

何と、なんと、素晴らしいの一語ではないか、私たちが生きているということは!

 だから、こうした考えの延長線上に、四苦八苦では無く、四楽八楽の人生と言い直して

悪かろう筈がない、断じて。苦と感じ、楽だと受け止めるのも、「同じ物」の裏と表の、

一面的な見方にしか過ぎないと、悟ったならば、どうして超楽天的・全肯定の態度で、物事

に対処して不都合が、あろう道理がないではありませんか、如何?

 「お目出度い、奴め…」と、私・草加の爺を冷笑する、へそ曲がりな御仁は、だいぶ

人生にくたびれ、疲れきった自虐的自己チュウの、重症患者に相違ありませんよ。なお、この

カタカナ表記の「チュウ」は、中心主義者と同時に、中毒患者、それも重度の末期的症状の

お人の意。冗談は、これくらいにして―。

 物理学の初歩的な知識ですが、物が動けば摩擦や、抵抗が必然的に生じる。動物の一種

である人間も、動き回るわけですから、当然に抵抗や摩擦が発生する。それが私たちには

心理上ではストレスと感じられ、肉体的には苦痛として受け止められる。ただそれだけのこと

……、単なる物理現象であるものを、我々は 御大層にも 不幸だとか、惨めだとか、苦しい

だとか「大仰に」受け止め、「自分勝手に」不幸せを「演出」して、止まない…。バカの

骨頂、ではありませんか、実際の話がです、如何でしょう…?…!





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最終更新日  2017年01月01日 13時31分03秒
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