草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2018年02月11日
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第 二百九十 回 目


  野辺地町の 住人の方々 に対するアピール文章

        『 俳優 への 勧め 』

 ここで言う 俳優 とは、ごく普通に使われている定義や用例と同義であります。つまり、舞台

上で、或いは映画やテレビドラマなどで、台本に書かれた役柄を演じるプロ・職業人を意味しま

す。つまり、平たく言えば役者のことです。

 その俳優・役者に一人でも多くの人々になっていただきたい。その様に私・草加の爺こと、古屋

克征は強く、強くお訴え申し上げたいと存じます。

 それには最終的に非常に遠大な目的があります。最大限に申し上げると、全人類救済の為の最重



ルケースに仕立て上げる事、これこそが 真のゴール であります。

 唐突に上の様な 大風呂敷 を目いっぱいに広げ過ぎた如き物言いを致しますと、常識ある有識

者の方々のみならず、ごく普通に、生真面目に生活されていらっしゃる大部分の人々から、即座に

そっぽを向かれてしまい、それ以上は何を言っても無駄。狂人の戯言(たわごと)としか受け取っ

ては呉れず、鼻汁(はな)もひっかけては貰えない。これでも私はそれくらいの冷静な判断力を

持ち合わせて居るつもりです。それが、その私が何故にそうした大きな危険を、敢えて冒すのか?

それは、真実より強い説得力は無い、と確信しているからであります。

 偉そうな物言いに聞こえましたなら、暫時は御容赦をお願い致します。時間が、事実が間もな

く嘘や飾りのメッキであれば、た易く剥がしてしまうでありましょう。私は自分が確信している

目標の実現に向かって、一直線に邁進し、ベストを尽くし続けるのみ。そう自分自身に言い聞かせ

て前進する所存であります。



という名前の金銭の力では、断じてありません。現代では、お金さえあれば何でも可能でありま

す。しかし、しかし、よく考えて下さい。本当にそうでしょうか…。

 現状がそう見えているのは、人々がそういう方向に向けて、長い年月にわたって努力を続けて来

た結果、そうなったのに過ぎません。であるならば、今後人々が、ほんの一握りの人々で構いませ

んから、全然違った方向に向かっての真摯な努力を重ねるならば、全く違った展望が開けるのは



 そうです、それは自分以外の「 他者に向けた、善意の、無償の行為としての働き掛け 」なの

でありますが、その無償の行為・好意は直ちにその行為を行った人に、あたかもブーメランの如く

に還元されてくる。

 それが「俳優への勧め」の大意なのですが、私の推奨している 方言によるセリフ劇 の定着と

活動によって 魂の洗濯・浄化 という、私たち通常人にとって日々の生活を十全に、そして輝か

しく生きるために最も必要でありながら、見過ごしにされている基本的な営みを、しっかりと野辺

地の町に根付かせ、定着させ、更には美しい大輪の華として、花咲かせる事を意味しています。

 そしてその前途遠大にして遼遠なる目標へ向けての、重要な第一歩は町民おひとり御一人の、日

常的な 音読励行 の習慣化運動にこそあります。更には、その延長線上にセリフ劇による心と

魂の癒しと清めの、町ぐるみでの創造行為があり、その先端にプロの俳優集団の誕生・創設への輝

かしい発展が期待されているのであります。

 少しく先を急ぎ過ぎたきらいがありますが、最初の記念すべき「音読の習慣化」が、長いスパン

で見た場合に如何に重要であるかを、ご理解頂きたくての説明でありました。

 部分には既に全体が宿っている ― との仏教の教えは、この場合でも真実であります。即ち、

音読の中に 癒しや清掃、カタルシス、憂さ晴らし の本質的な効用は、顕著に現れていますし、

将来観客と役者に育っていく 読み手 と 聴き手 の役割も、同時に併行して含まれています。

 言葉とは本当に有難い物であります。とりわけ標準語などという人工的な処置の施されている

「便宜のための加工語」と違って、方言と呼ばれる土地の普段着としての言葉には、長い、長い

歴史と無数の人々によって培われた愛情とエネルギーとが、無尽蔵に蓄えられて居りますので、そ

れに対して無心に、限りない真情を込めて接するならば、数えきれない程の効用と元気とを、生き

るヴァイタリティ―の根源となるミラクルパワーを、人々に惜しみもなく大きな恩恵として分け与

えてくれることは、間違いない事、百パーセント請け合いですよ。

 さて扨て、ここで改めてタイトルの「俳優への勧め」に戻ってみましょうか。

 人は誰でも生まれながらにして、一個の 俳優 である。そう申し上げたなら、貴方は吃驚仰天

なさるでしょうか? そうです、私たちは例外なく「天性の俳優」なのであります。そして、そこ

に 無自覚な という形容詞が付くのですが。

 誰か身近な人を頭の中で思い浮かべてみて下さい。あなたのお父さんでも、お母さんでも、その

他の友人知人でも結構です。どうですか、その人は明らかに他の誰とも違っては、いないでしょう

か? ほかの誰とも違う語り口や、癖や、雰囲気や、顔つきなどが直ぐに思い浮かぶのでは、無い

でしょうか…。そうなのです、私たちは皆が自分自身を終始一貫して、又、巧まずして日々演じて

いる、名優達ばかりなのでありますね、実際の話が。

 それでは世間で言われている 名優 と、普通人としての「無自覚な俳優」とは、何所がどう違

うのでしょうか? 少し考えてみましょう。

 物語の世界を例にとってみましょう。典型的には ヤマト・タケル と かぐや姫 が居ます。

男性としては異常な強さ故に悲劇的な死を遂げる。女性としては光り輝くような異常な美しさが特

徴と言えます。端的にヒーローと美人と言っておきましょうか。このヒーロー性をた易く連想させ

るタイプの男優が人気を取り易い。女優の場合でも、スタイルや容貌が決め手になります。

 私、草加の爺は四十年近くを、役者とかタレントなどという人気稼業の人々の近くで生活し、

仕事の上で多大な恩恵を被って来て居ります。

 役者やタレントは典型的な人気稼業ですから、見た目とか語り口と言った、手っ取り早く魅力が

視聴者や観客に伝わるキャラクターが、はっきり言って世間で持て囃される。簡単に表現すれば、

ヒーローと美人に外見が適合してさえいれば、スターになりやすい。人気を取り易い。そう言えま

すよ。

 しかし、私が野辺地町を中心地に選んで実現しようと計画している「セリフ劇」の核心の目標

は、視覚に主として訴える行き方ではなく、人間の想像力をメインに刺激して、心の中、精神、

魂の 「手当て」による治癒・癒し を実現しようとする目的ですから、演じ手の側に強い善意の

意欲さえあれば、人を選ばない。俳優の資質・資格は全く問わない。基本的には、そう言った性格

のものなのであります。

 更に重要な点を付け加えるならば、主役は舞台上の俳優・役者の側にはなく、客席、桟敷、平土

間に座っている観客の側に在るのですよ。被治癒者は、つまり観客は、舞台で演じられ語られる

ドラマを通して、自らの心の健康を回復する。そういう場を提供することこそ、方言によるセリフ

劇の真骨頂なのであります。如何でしょうか、従来の 芝居・劇・ドラマ の概念を百八十度転換

させる、真に革新的な意味合いを、ご理解頂きたく念願する次第であります。

 非常に短縮した要点だけを申し上げるならば、音読に始まり、読み聞かせ、セリフ劇の実演、

そしてカタルシスを齎す治癒的なパフォーマンスに到る、最終的な理想形に於いては、再び三度、

ヒーラー・治療実施者としての俳優の資質や能力が改めて問題視される。つまり「藪医者」よりは

名医、即ち真の意味の 名優 が初めて要請されなければならない。しかし、この最終段階に

至る道程は遥かに遠く、理想のまた理想と言え、現実問題としては私たちの関心の埒外に有る物

と、無視して差し支えない。その様に考えます。

 この様に述べて参りますと、この 俳優への勧め とは、現在の野辺地の町民に対する呼び掛け

であると同時に、あらゆる人に通用し適応可能なとても大切な事柄であり、その意味でも私たちが

自己に与えられた人生を、主体的に、前向きに、積極的に生きる上で決して蔑ろにしてはいけな

い、むしろ最重要課題だという事実に気付く筈なのです。

 無自覚な、受け身で消極的な生き方から、自覚して自主的に、そして積極的にして有意義な

生き方とは一体どのような物なのか、改めて各自が何度でも自己に問いを重ね重ね、充実した

輝かしい生き方を模索する。私を含めてこの世に生を享けた万人が、心して生きる上で、どうして

も避けては通れない道だったのでありますね、実際の所。

 ですから、それ故の「俳優への勧め」なのでありました。





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最終更新日  2018年02月11日 16時19分38秒
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