草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2019年07月02日
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今回は私と繋がりの深い人間の中でも、特別に深い母親について書くことから始めてみようと思います。

 自分では病弱だと口癖のように言っていた母親が、96歳で大往生と遂げたのであるから、終わりよけ

れば全て良しであるとすれば、総括して言えば幸せな人生を、全うしたと言ってよいのではあるまいか。

 どんな女性であったのか、彼女の息子である私に公平で客観的な評価を、土台無理というものである

が、まあまあ、平凡ではあっても幸せな一生であったと、言って良いのではあるまいか。

 とは言うものの、それなりに波乱万丈のドラマティックな人生でもあったのだが。

 まあ、次男として育てられ溺愛に近い愛情を注がれた私としては、実感として古風ではあるが、日本の

大正生まれの女性としてはなかなかチャーミングで、魅力ある、素晴らしい女性であったと、母が亡くな

った後では、しみじみ感じたものである。



 妹も既に鬼籍に入ってから久しい。私より三歳年下であったから、生きていれば72歳になっている

筈である。

 十代の頃の私達兄妹は近所でも評判になるほどの、仲の良い兄妹であった。近所に住んでいて懇意に

していた主婦が、まるで恋人同士のようだと評したくらいなのであって。もっとも、当事者である私も

妹もそのような関係を少しも特別だとは、意識していなかったし、むしろ当然の事として心得ていた。

 そして大学を卒業して社会人になるまでの私は、女性と言えば母親と妹だけでした、少なくとも日常的

に親しく濃密な接触を保っていた女性は、皆無だった。

 無論、遠くからそれとなく心を惹かれ、密かに憧れていた女性は一人、二人はいましたがね。とにも

かくにも、そのような状態で二十代の少なくとも、前半までは経過していた。何の不満もなかったし、

困ったとも感じたことは、自覚的にはなかった。

 ずっと後年になってからの事だが、振り返ってみると、母親も妹も私が拙い人生で知り得た女性の中で



同時に、そうしためぐり合わせに生まれた幸運にも、感謝したいと今では強く、強く思っている。

 つまり、女性とは数の上では恵まれなかったけれど、素晴らしい女性運に恵まれていたと、それこそ

神に、天にお礼を申し述べたい気持ちに、自然になるのでありました。

 結論めいて言えば、私の人生では必要な女性には、少数精鋭?ではあったが、非常に恵まれていたと

言えるようである。





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最終更新日  2019年07月02日 08時50分13秒
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