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2019年07月22日
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しばらくぶりで「フーテンの寅」、映画・男はつらいよシリーズについて少し、今現在、感じるところを

述べてみよう。

 主演の渥美清の天才的な演技力によって、国民的な人気を博した作品であるが、この作品の魅力に気づ

かせてくれた人は、悦子である。

 当時、若いテレビプロデューサーであった私は、「男はつらいよ」をむしろ軽蔑していた。作品として

面白くもなく、従って自分一人では映画館に足を運んで、観てみたいとは決して思わなかった。それが、

何故に何本も観ることになったのか。それは全く悦子の要請によるものである。

 そもそもテレビの作品に対して、自分が視聴者の一人として対する場合には、男はつらいよ的な作品

を作りたいとは思わなかったであろう。主演の渥美清や山田洋次監督の演出、そしてストーリーの内容に



 ところがである。結婚した相手が、「男はつらいよ」の大ファンであって、一緒に観たいと言うのだか

ら仕方がなかった。何本も我慢をしたり、辛抱を重ねたりして、お付合いを続ける結果となった。

 今の私は、恐らく何度目かに見直している同シリーズの内容に感心したり、感動して、時には涙腺を緩

ませながら、熱心に鑑賞している。

 人生とは、つまり人の世の幸せとは、こう言った庶民の何気ない哀歓の中に、つまりは今で言う「負け

組」的な人々の中に、生きているのではあるまいか。そんな風に、感じてしまう。

 若い頃の私、少なくとも悦子と出会うまでの私は、やはり勝ち組に無条件で憧れていたし、英雄や偉人

に無条件に憧れる一人だった。

 しかし、例えば「源氏物語」のヒーロー・光源氏でさえ、いや光源氏こそ、この世に生を受けた人間の

中で最も苦しみ多く、悲しみに包まれていた事実を知った私には、素朴な英雄崇拝や、単純な偉人への憧

憬は持てなくなっている。



も自分が寅であるかのように錯覚して、映画の中の諸人物と共に、泣いたり笑ったりする。素直に共感し

ている。結局、自分も寅さん以上には出れないし、むしろ、与えられた条件の中では寅さんは英雄以上の

ヒーロー性を発揮して、我々「弱い者」の心にそっと、優しく寄り添ってくれている。その心根に感動す

る。

 そんな事が可能なのは、私が既に人生の晩年を迎えているからか。それとも、悦子と幽明境を異にして



 その辺の事は定かではないのだが、私はある種の涅槃の中に包まれていると、実感してもいるのだ。

 悟りの境地などと、分かったような事は言うまい。ただ、素直に、自然にそう感じているだけに、過ぎ

ないのだ。





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最終更新日  2019年07月22日 09時46分38秒
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