草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2019年12月17日
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旧約のレヴィ記を読み始めている。細かな神による祭祀等に関する取り決めが詳細に書かれている。が、

現在の私には特別に関心を惹かれる事柄はない。

 最近の世相などを見ていると、殺伐とした事柄が陸続と継起している様が相変わらずと言うか、この人

間世界では見て取れる。数千年前にも同様の事態が生起していたのであろうか。もしそうであれば、キリ

スト教の神が、何々をするな、これはどうしろ、あれはこうしろ、と事細かに厳しく命じなくてはならな

かった必然性が理解できる。人間たちは生まれながらに 無邪気 だったのであろう。とすれば、今もな

お持って生まれた生来の無邪気さは変わっていないのだから、性懲りもなく、無邪気さを保持し、様々な

悪と不徳とを繰り返して倦む事を知らないのであろうか…。

 我々はとかく個としての視点から物事を見てしまうのだが、神としてはマスと言うか、種として生物を



がより勝っているからと言って、殊更にその個人を賞賛したり、依怙贔屓したりするような、狭量な考え

は持たれてはおらず、もっと大らかで、大きな立場からの采配を取られている。とすれば、人間は所詮ダ

メな作品であって、この世に生かしておくには値しないと、見切りをつけた際には、情け容赦もなく見捨

てるに相違ない。そう感じさせるものが、一神教には秘められている。そう、今の私には感じられてなら

ない。

 仏教では仏の広大無辺なる心、慈悲心が強調される。無力な自己の力ではなく、慈悲心溢れる他力に依

る救済と言うことが、説かれる。頼りなく、儚い存在者としての個は、絶対者による偉大なる力を待って

救済され、成仏する。

 殺人者も本心から己の罪科を悔悟する、その赤心によって救い取られ、浄土に生まれ変わることが、保

証されると言う。この無際限な優しさ、それと対照的な一神教の神の厳父としての冷厳な程の徹底した

厳しさ、酷しさはどうだろうか…。



なく優しいが故に、途轍もなく厳格でもある。厳しいは優しい、なのである。

 事細かく注文を出すということは、その分だけ際限もなく愛情を注ぎ、決して裏切らない真心の存在を

そのままで示している。そう感じるし、事実そうなのであろう。

 で、あるとすれば、我々、幸運にして現世での命を授かった者は、授かった命を、溢れるような生命力

を、一個の生命体としてフルに享受しつくそうではないか。今を、この瞬間を完全燃焼させようではない



 生きるとは、罪を犯すことと同義であるとすれば、所詮我々は罪を犯すわけである。しかし、それは進

んで罪や悪徳を犯すことを意味しやしない。命の完全燃焼の為に、謂わば止むを得ずして犯すそれは、神

や仏の御力を借りて、庇って頂くしか仕方がないこと。自分自身の行動としては、世のため他人のために

最善と信じる道を見据えて、邁進するに如くはない。その結果で、踏み迷った悪路であるなら、甘んじて

その償いは自己の至らなさ、愚かさの結果と受け止めることも出来ようから。

 一個人として出来る事、可能なことは、現在ただいま今に全力を傾注し続ける。このことにしかない。

我々に与えられているのは、永遠の現在、この瞬間しかないのであるから。

 だからして、徒に過去に拘泥すまい、また、あすのことを思い煩うまい。今現在に我々の全てが託され

ている。その事の意味をよくよく噛み締めよう。

 明るく、元気に、今を生き切ろう! 我々には 希望 という力強い羅針盤が与えられているのだか

ら、その明るい灯火を頼りに勇猛果敢に前進しよう。改めて、そう心に誓う、願う、祈る。





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最終更新日  2019年12月17日 09時36分27秒
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