草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2021年06月05日
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老齢は明らかに迅速なり。われらに必要以上に迅速に切迫す。   偉大な人物たらんとする者は、自分

自身や自分に属するものをではなく、正しいことをこそ愛すべきなのだ。   人間のことは何にてあ

れ、大いなる心労に値せず。   自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。   あなたのひあ

いがいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には軽蔑の念がふ

くまれているからだ。   嫉妬深い人間は、自ら真実の徳をめざして努力するよりも、人を中傷するの

のが、相手を凌駕する道だと考える。   親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをし   

ているのだから。   愛に触れると誰でも詩人になる。   目は心の窓である。   人間の最も基

本的な分類として、「知を愛する人」、「勝利を愛する人」、「利得を愛する人」という三つの種類があ

る。   哲学というものは、たしかに結構なものだよ。ひとが若い年頃には、ほどよくそれに触れてお



   驚きは、知ることの始まりである。   いかに知識を身につけたとしても全知全能になることな

どはできないが、勉強しない人々は天地ほどの開きができる。    我々は、自分が熟考しているもの

になる。   恋されて恋するのは恋愛でなく友愛である。   正義とは、強者の利益にほかならず。   

   魂には眼がある。それによってのみ心理を見ることができる。   無理に強いられた学習という

ものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。   賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は話

さずにはいられないから口を開く。   二度子供になるは老人のみならず、酔っぱらいもしかり。    

 真理は子供の口から出る。  だれに対しても、不正を不正をもって、悪を悪でもって、埋め合わせし

てはいけない。よしんば、その相手にどれほど苦しめられていようとである。   少年を暴力と厳し

さによって教え込もうとするな。 彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向

いているか、少年自身が見出しやすくなる。   恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために

神々から授けられる。   正義とは、己にふさわしきものを所有し、己にふさわしきように行為するこ



り、醜であり、弱さなり。   はじまりは労働の最も重要な部分である。   思慮を持ち正義をかざ

してその生涯を送らなければ、何者も決して幸福にはなれないだろう。   何年もたち、君の意見の多

くがその逆になることもあるのだよ。   子供と動物とはずいぶんよく似ています。どちらも自然に近

いのです。でも子供が狡猾な猿よりも良く理解することが一つあります。それは偉人の立派な行為のこと

です。   リズムとハーモニーは、魂のもっとも深いところに至る道を持っている。音楽は、世界に魂



的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである。   ただ死者

のみが戦争の終わりを見たのである。   哲学は、最高の文芸なり。   時は、未来永劫の幻影な

り。   科学は、知覚以外の何物でもなし。   破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も、とも

に欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。   哲学

者の全生涯は、まさに死に至ることと、その死を成就することに他ならず。

 次いで、プラトンの師の「 ソクラテス に 習う 」に入ります。

 よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。  本をよく読むことで自分を成

長させていきなさい。本は著作がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるの

だ。   良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。   人間の美徳はすべてその実践と経験

によっておのずと増え、強まるのである。   幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わ

るように行動しなければならない。   ねたみは魂の腐敗である。   何人も本意から悪人たるもの

なし。   我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今

自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。   自分自身が無知であることを知って

いる人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。   財産や名誉を得る事のみ執心

し、己の魂を善くする事に努めないのを恥とは思わないのか。   魂の探求の無い生活は、人間にとっ

ていきがいの無いものである。   汝自らを知れ。   生きるために食べよ、食べるために生きる

な。   世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。   いかなる財宝とくらべようとも、

良友にまさるものはないではないか。   他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない。   

指導者とは、自己を売って、正義を買った人間だ。   一番大切なことは、単に生きることではなく、

善く生きることでである。   嘘はいつまでも続かない。   少量をうまくやる方が、大量にまずく

やるよりもよい。   金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、彼がその富をどんなふうに使

うかが判るまで、彼をほめてはいけない。   富は良心をもたらさない。しかし良心は、富ばかりでな

く、望まれるもの全てを、個人にも国家にももたらすのである。   人間の最大の幸福は、日ごとに徳

について語りえることなり。魂なき生活は人間に値する生活にあらず。   不正を受ける者は、不正を

働く者よりも幸福である。   勉学は光であり、無学は闇である。   真の賢者は己の愚を知る者な

り。   賢者は複雑なことをシンプルに考える。   友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は

警告を与う。   父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう。   とにかく結婚した

まえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。   子供は、生まれたその日か

ら、厳しくしつけなければならないものだ。幼にして謙遜なれ。弱にして温和なれ、壮にして公正なれ。

老いては慎重なれ。   満足は自然の与える富である。贅沢は人為的貧困である。   法は、善人の

ために作られたのもではない。   悪法もまた法なり。   何人たりとも、不正に報いてはならな

い。   善人においては、現世にても死後にても悪は発生せず。   唯一の真の英知とは、自分が無

知であることを知ることにある。   名声は英雄的行為の芳香なり。   われはアテネ人にあらず、

ギリシャ人にあらずして世界市民なり。   死はいうまでもなく、肉体よりの解放にほかならず。   

私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。   吟味されざる生に、生きる価値な

し。   一番小さなことでも満足を感じることが自然が与えてくれる富だから。  唯一の善は知識で

あり、唯一の悪は無知である。   死は、人間のもっているすべての恵みの中でも最高のものである。   

討論が終わったとき、悪口は歯医者の道具になるのだ。   わたしは最小限の欲望しかもたない、した

がって、わたしは神にもっとも近い。   良い評判を得る方法は、自分自身が望む姿になるよう努力す

ることだ。   あなたのあらゆる言動を誉める人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こ

そ信頼できる。   出発の時間がきた。そして、私たちはそれぞれの道を行く。私は死ぬ、あなたは生

きる。どっちが良いのかは神だけが知っている。   人間に関することに安定などないことを忘れては

ならない。それゆえに、繁栄している時には過度の喜びを避け、逆境にある時には過度の落ち込みを避け

なさい。   死ぬことと、自分の信念とどちらが大事か!   教育とは、炎を燃え上がらせるもので

あって、入れ物を満たすものではないのです。   私は知識を授けるのではなく、知識を産ませる助産

婦である。   知恵の始まりは言葉の定義である。   どれだけ人生、自分自身、我々を取り巻く世

界について理解していないかに気付いたときに、我々一人ひとりに英知が宿る。   私は誰の師にもな

ったことはなかったが、一方で、誰の問いにも答えなかったことはなかった。   息が止まらない限

り、私は知を愛し続ける。


 ソクラテスの思想は、内容的にはイオニア学派(紀元前6世紀から5世紀にかけてイオニア地方を中心

に活動したギリシア哲学における自然哲学者たちの総称)の自然哲学者に見られるような、唯物論(観念や

精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方)的な革新なものではなく、「神のみ

ぞ知る」という彼の 決まり文句 からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界・不可

知論(物事の本質は人には認識する事が不可能であるとする立場のこと)を前提とする、きわめて伝統的・

保守的な部類のものだと言える。

 「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る。人間はそ

の身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」とする、当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はあ

る。

 にもかかわらず、彼が特筆される理由は、むしろその保守性を過激に推し進め、その結果として、「知

っていることと知らないこと」、「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常な

までの探究心・執着心、節制した態度にある。

 「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間としての分をわきまえつ

つ最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、その数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さに

もかかわらず、半端な独断に陥っている人々よりも、思慮深く、卓越した人物であると看做される要因と

なり、哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。





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最終更新日  2021年06月05日 09時00分17秒
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