草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年02月11日
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槍の権三(ごんざ) 重ね帷子(かたびら)

             上 之 巻

 君八千代、国は治まる、主君が江戸詰めで御留守であっても、弓馬を嗜む梓弓、馬の庭乗り、遠乗りな

どと遥かにいでし浜の宮、鳥居通りの流鏑馬(馬を走らせながら矢を射る武芸)馬場、並木に落ちる風の

音、とどろとどろと打つ波も、海中に乗り込むこともできそうな力量と思われる、表小姓(武家で、奥向

きの侍女を奥小姓というのに対して、表勤めの近侍を言う)が大勢いる中でも笹野権三とて武芸の誉れも

高く世人から槍の権三は、身なりも身振りも目につく、どう見ても良い男だと謡い囃される美男草。女色

と男色の二道の恋草に身を任せながらも馬を飼い慣らし、飼い慣らしして、赤みがかった葦毛の駒。前脚

を上て勢いよく跳ねる疳が強い癖馬、雪を噛み砕く白泡に、三焦(さんしょう)よしの良馬である。尾は



(室町初期、大坪慶秀が始めた馬術の一派)の鞍のうち、稽古に心を染め、手綱をかいくり、かいくり、

乗り拍子、はいとかけたる一声に、両口を離す奴の頬にぴんと跳ね上がった鎌髭も、共にはねたる俊足

や、袴の裾に風を受けて小波(さざなみ)が寄せる須彌の髪の鬣(たてがみ)、しっしっしっと乗り戻し、

引き回し乗る。袖摺りの松も、女松十八公(松の字を分解するとこうなる)その年頃の振袖の京染め模様

に外出時の菅笠姿、家中の誰の娘であろうか。

 お乳母らしいが小風呂敷、権三見る目の美人顔の糸薄のように細い目、ちらりほらりと馬の先を避け

る振りをして邪魔をする。

 権三はそれだと見た人を心に覚え、風呂敷、これ、この帯の刺繍見て下さんせ。丸に三つ引き、お前の

御紋、私は裏菊、良くはないけれども私の細工したもの。大小の両刀を差しても緩まぬように、帯芯に念

を入れたけれど、絎(く)け口(絎け縫いは合わせ目が見えないように縫うこと)がお気に入るまい、さり

ながら、末永く縫い仕立てて召さねばならない。どうぞ本式の仲人を頼んで正式な結納はお前の方からし



下さいませ、きっとですよ。と言いながら、鞍の前輪に打ちかける、その手を取ってじっと締め、何とも

言えないほどに嬉しい心、八幡の神にかけて我らも心底は変わらないぞ。この馬も聞いているぞ、畜生の

心は人よりも恥ずかしい。こりゃ、証拠に立て、馬よ、聞いたか。聞いたかと言うのだが、どうしてそれ

どころか馬の耳である、風に嘶くだけなのだった。

 権三は帯を畳んで、懐に押入れ、あれあれ、浜の方から栗毛馬(馬の毛並みがたてがみや尾共に赤褐色



 やあ、旦那様か、これは大変だぞ。見つけられたりしたら後の邪魔になる。先ず、こっち、こっちと本

社の方へと走ったのだ。

 程もなく伴之丞が走り来たって、や、権三、御身も遠乗りか、ひどく精を出して馬持ちが良いので、そ

の月毛(つきげ)も一両年でめっきりとよくなった。買い手があれば売ってしまい、五両も七両も利鞘を

稼いで、また後から安馬を買い置き調教して売りさばいたならば、金持ちになれるぞ。よい調教の芸を覚

えて幸せだと人を貶す口癖、権三、気立てをよく知って、おおさ、小心者の馬の手入れ、満足に飼料もろ

くに与えないから、見かけばかりでいざという時の役には立たない。御身達は大身ゆえ人手は多く飼料も

よい。すは、という時に癇が強く他の馬を駆け抜くのはお身の馬だ、大事にかけられ秘蔵なさるがよいと

言ったところ、むむ、その言い分は先ごろニの丸(城郭で主将のいる本丸の外側の郭)の桜の馬場でその

月毛にこの栗毛が歩み負けたあて擦りか。

 さあ、一馬場攻めて勝負をしよう。さあ、さあ、乗れ乗れ、と気をいらだたせている。いやさ、心得た

と言いたいところだが、今まで乗って試みたところでは人馬共に疲れて、もう帰宅致す所存だ。後日の次

の機会に勝負いたそうぞ、小者どもついて来いやい、と言ったのだがどうしても聞き入れずに、いや、草

臥れたとは負け用心の卑怯な言葉だ。勝負せねば堪忍できない、と言って手綱を繰り出した。

 権三も、今は力なく仕方なくて馬には一息つかせたのだ。我が身の汗も引いたところで、月毛の駒に櫻

狩り秘密の手綱(馬の息遣いを測って走らせる鞭の当て方で、武術の秘伝である)を繰り控えて、繰り緩

めて互いに左右から輪状に乗り回して、馬の鼻を並べて駆け出させる競馬の作法。ともに相手に負けまい

と二三遍、入れ替え入れ替え、乗ったのだが、権三の馬は駿馬で出発の際に手綱を緩めて角(かく)を入

れ(鐙・あぶみの絞具・かこで馬の脇腹を蹴ること)、はうっ、とかけた声のうちで一散に駆け出した。

 伴之丞の栗毛が鞭影に尻込みして、打っても引いてもひゃくっても前脛掻いて高嘶き、躍り上がり、跳

ね上がったので伴之丞は鞍の上に身を支えていることができずに屏風返し(あおのけざま)にどうとばか

りに落馬してしまった。木の根に腰骨を打ち当てて、あ痛、あ痛、という声で、馬取り中間草履取り等が

主人の恥を打ち忘れて、一度にどっと笑ったのだ。

 権三は驚いて飛んでおり、怪我はないかと立ち寄れば、こりゃ権三、相手はお主の月毛馬だぞ、こっち

へ渡せ、斬って捨てるわ。馬を渡せ、あっ痛い、あ痛。腰を揉め、中間共め、うぬ等も首が危ないと権三

の方を尻目にかけて相手知れずのむかっ腹。

 権三も謂れのない言い掛りなので相手をするには及ばないと、身を控えて立っていたところ、進物番

(下から進物、上からの進物を扱う役)の岩木忠太兵衛、六十八歳でも生来堅固な身体、赤銅色の月代(さ

かやき)は剃りたててで、や、御両人は此処においででしたか。御宅にでも参るべきところでしたが、良

い所で御意を得た。江戸詰めの御家老方から御状が参って、この度の若殿御祝言につき目出度くあい済み

お慶び、お国において当月の下旬に近国のご一門方への御振る舞い、御馳走の為に眞の台子(だいす、正

式の茶の湯に用いる棚。その台子を飾る方式に真・行・草の別があり、真を最も重視した)の茶の湯なさ

るとのこと、是れによって我らが聟(むこ)の浅香市之進も江戸にいて留守であるから御家中の弟子衆の

中で真の台子を伝授なされていらっしゃる方へ、御広間での本式の飾り(床に三具足、脇棚に食籠や盆栽

などを飾ること)物等勤めさせ申せと、御留守御家老衆より仰せ付けられたとは申せ、一体どなたが伝授

なされれておられるのかを存ぜぬ故にお尋ね致す。この度の御用に立てば第一には御主君への御忠勤とも

なり、その身の手柄、聟の市之進も本望、何と御両人、聞き覚えがあって茶の湯での名をあげるつもりな

ら、この機会が絶好ですぞと語ったのだ。

 強情で高慢な男である伴之丞は、はああ、真の台子などは簡単なこと。伝授の許しは受けてはいない

が、秘事は睫、秘伝など言えば大層らしく聞こえるが知ってみればわけもないこと。色々と私は心得てお

りまする。これまでの数年の稽古もこの度の御用にたとうがため。この度の御用は拙者が承りました。ご

安心なされて下さいな。

 これは先ず珍重、権三殿はご存知ないのですかな。されば存じたとも申されず、存じないとも申されな

い。総じてこれは茶の湯の極意、家々の傳は多いけれども師匠の市之進の一流は足利将軍義政公よりの正

統な嫡傳であり、一子相伝の大事であるから権三體(てい)が茶の湯で伝授の許しを受けようはずもない

けれども、師匠の話を聞きかじった儀もあり、大体は他からの非をうけぬ程度の御用の間には合わせられ

ましょう、その権三の言葉が終わらない内に伴之丞は、はて、か程に大事な晴れの御用に間に合せで済む

ものか。この御用は伴之丞が一人で勤めるぞ、忠太殿、そのように心得召されよ。そう言ったところ、い

や、我一人の勝手にも成りもうさない。娘ながらも市之進の女房、彼女の所存もある事故に、仮初ではな

い真の台子の伝授事。誤りがあったりしたならば殿の恥、諸事について談合づくでの仕儀が良いはずじ

ゃ、さあ、御両人、お帰りですか、同道致そう。ともかくもと伴之丞はびっこを引きながらちがちがと腰

を引く。

 忠太兵衛は頬憎(つらにく)く、こなたは腰をお引きなされるが疝気(漢方で大・小腸または腰部などが

痛む病気の総称)でも起こったのかな。

 さればされば、拙者ほどの馬の名人ではあるが龍の駒にも蹴躓き(弘法も筆の誤り)ありで、馬から落

ちて落馬致した。と、片言(かたこと)やら重言(じゅうごん)やら、忠太兵衛は可笑しくて此奴をからか

ったやろうと思って、馬から落ちて落馬したとはいかく念が入った落馬じゃな。痛むのが道理、いづかた

も落馬が流行る、生駒新五左の瘧(おこり、熱病のひとつ。一、二日の間を置いて間欠的に熱が起こる)

も妙薬一服で影もささずに落馬致す。我らは今朝他所に参り、大事の精進をつい落馬致した(うっかり

魚・鳥の肉をくちにしてしまった)。このように落馬の流行るときであるから、うっかり口論などはなさ

れぬがよい。首が落馬致すやも知れぬ。渋口(しぶくち、重い洒落)言うのも茶の湯者を聟に持った身の

習いじゃぞ。

 昨日は今日の昔とか、初昔(はつむかし、3月21日に摘むので言う。昔は二十一日の合わせ字)の世

の人の口に合う茶の名所。人は氏より育ちとか、浅香市之進の留守中の宿、おさゐはさすが茶人の妻であ

る、趣味もよく、気も派手で、三人の子の親であるが華奢(きゃしゃ)で骨細、生まれつき形振りが慕わ

しく自然に床しく思われて三十七歳とは思われない。

 数寄屋造りの茶室の周りを掃き拭い、下女や中間にも手を触れさせず、箒を手から離さない綺麗好き。

爐路(ろじ、茶の湯で腰掛けや雪隠などを設けてある区域)の飛び石、敷き松葉、石灯篭は苔むして巌(い

わお)となっている手水鉢、植え込みの木の下陰の落ち葉を掻く、このように成るまでに夫婦として生な

がらえた。子供の末を高砂の松の栄を祈っているのであろうよ。

 中息子(なかむすこ、三人兄弟の中の男児)の虎次郎が棹竹を横たえて、年季奉公の角介は杖をひっさ

げて爐路の中に走り入った。景清はこれを見て、物々しやと夕日影に打物をひらめかして切ってかかれば

堪えずして刃向いたる兵(つわもの)は四方にぱっとぞ逃げにける。えい、やっとう、えい、やっとうと

ぞ撃ち合いける。

 やい、やい、やい、巫山戯るのもたいがいにしなよ、そこなぬく奴(め、愚か者)、見事に男の数に入

りながら、江戸へのお供の中にはよう入れないで、小さい子を相手にして怪我でもさせないでおくれよ。

お数寄屋の壁に疵でもつけたらどうするのですか。これ、虎次郎や、あの馬鹿を相手にして日がな一日を

悪あがき(悪ふざけ)してばかり。ひとつひとつを帳面に記入しておいて父様(とつさま)がお帰りなされ

たらきっと告げるので待っていなさい。

 叱られて虎次郎は、いや、母様(かかさま)、悪あがきはしていませんよ、わしは侍ですから槍遣いを

習っておりまする。これのう、そなたももうじき十歳じゃ、それ程の事も分からないのか。侍は侍で知れ

ていることです。さりながら、父様をご覧なさいな。御前での首尾もよくて御加増まで下されたぞ。武芸

は侍の役目で珍しくもない。茶の湯を上手になされるので、人から立てられて大事にされている。小さい

時から茶杓(ちゃしゃく)の持ち方や茶巾(ちゃきん)捌きなども習っておきなさい。長々の留守の間に子

供が悪く育ったなどと言われたなら母様がどのような躾をしたのかと、母が悪い評判を立てられるのも恥

ずかしい。男の子は男の子です、祖父(じい)様の所に行って大学でも読み習いなさいな。ばかよ、お供

をして暮れ方には連れ戻しなさい、と内外までも気を配るのだった。





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最終更新日  2025年02月11日 16時44分19秒
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