投資逍遥

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2005/05/28
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カテゴリ: 読書
この本は1996年12月の発行です。


「十八史略」は、手元の辞書によると次のとおりです。
「十七史に宋史を加えた十八史を摘録して初学者の読本とした書。元の曾先之(そうせんし)撰。元刊本二巻。明の陳殷の音釈本七巻」
初学者向きと言いますが、かなりの大冊です。
通読するには、中国史の素養がある程度必要です。
独創性よりも啓蒙に重点を置いたもので、多くの人が「十八史略」によって中国史に親しんだそうです。
日本では、現時点はともかく、江戸時代から学生の必読書とされてきたとのことです。

この『小説十八史略』から、王安石(1021~1086年)に絞って書いてみます。

これは次のとおりです。

 澗水無声遶竹流(かんすい こえなく たけをめぐって ながれ)
 竹西花草弄春柔(ちくせいの かそう しゅんじゅうを ろうす)
 茅簷相対座終日(ぼうえん あいたいして ざすること しゅうじつ)
 一鳥不鳴山更幽(いっちょう なかず やま さらに ゆうなり)

かつてNHKラジオの『漢詩への誘い』という番組で、この王安石の詩が朗読されるのを聴き、静けさの中に生活する王安石を想像し、どのような心境であったのかと色々と思いを巡らしました。
王安石は、この江寧の鍾山で亡くなりました。

漢詩人としての王安石は以上ですが、政治家としての王安石はどうだったのでしょうか。
王安石の新法の最大の柱であった「青苗法」は、国家が農民に低利で金を融資するものでした。
「健全な農民」の層を厚くすることが目的で、換言すると、納税負担をもつ農民を増やすことでした。
貧農の救済により総合的は国富増強を目指していたわけです。


なぜかというと、第一に、当時の貧農がなぜ貧農であるかというと、地主や豪族が高利で貧農に貸し付けをしていたからです。
当然、政府によりうまみのある仕事を失うことには反対しました。
第二に、例えば司馬光は、道義論により反対しました。
つまり、「国家が金貸しをしてよいものだろうか」というものです。
その他にも、さまざまな理由で反対する者がいたようで、「王安石が嫌いだから反対」というのも、当然あったようです。







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Last updated  2005/05/28 05:38:54 PM
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