戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月25日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
門をくぐると、まず袴腰の鐘楼。

屋根の反りが大きいな・・・


三原・寿徳寺5



その奥に、庫裏。


三原・寿徳寺7



庫裏に唐破風ってあまり付けないような・・・
ここの妻の下に金の瀟洒な飾りがあったので、


三原・寿特寺8-2





そしたら何てことない(すみません)、松皮菱じゃん!!


三原・寿特寺8-3



三原八幡宮の井桁といい、地味な紋様も連続して
チロリアンテープみたいにして遠くから見ると、
また随分と印象が変わるもんだな~。

しかも、ここのは金だしね。
あんまりこーゆー場所に、金って使わないけどね・・・


こちらが本堂↓。


三原・寿徳寺9



・・・ここのお寺は、唐破風が好きなんだな。
その破風の上に載るのは、


三原・寿徳寺10



井桁に橘・・・と単純に思ったら、これは「日蓮宗橘」といって、
日蓮宗の寺紋なんだそうな。

なんでも、日蓮さんが井伊一族(=橘紋)出身とされるところから
来ているんだと。

私程度の知識だと、橘といえばまず井伊家(←直政好き)を


で、本堂の向かって左にあるコレを見て安心してから(笑)、


三原・寿徳寺11


ちょっくら墓地へ~。

前回、門前にある丹羽精蔵の碑の写真を掲載しましたが、
そのお墓を探しに参ります。


ところがねえ、ここも案内みたいのは見つけられなくて、
墓碑名をひとつひとつ確認するなんて事まではしないので、
ここも挫折した。

見つからないものはしようがないよな・・・
と帰ろうとして、庫裏の方まで戻ったら、奥に何かある。


三原・寿徳寺12



あああ、あったあ~!
別管理だったのか・・・
裏には、碑文がびっしり。


三原・寿特寺14・丹羽精蔵顕彰碑ウラ



【従一位公爵浅野長勲題字】から始まって、
【男爵 浅野忠允撰】で終わるこの碑文は、残念ながら
真後ろに木があって全文を写真に収められなかったのですが、
主家が家臣を称えて建てたものっぽい。
公爵と男爵なら、本家と三原浅野家あたりかな?

で、この碑の奥に墓があった。


三原・寿特寺13・丹羽精蔵の墓



名前が読めないんだけど、たぶんこれでしょう。

丹羽精蔵君は、三原出身のいわゆる勤皇の志士。
志半ばにして、新撰組、あるいは会津藩士に殺害されたという。

この人のことはほとんど知らないけど、名前だけは知ってた。
だから、寄ってみた。

志半ばに、って言ったら聞こえはいいけど、
ぶっちゃけ活躍する前に斃れた、って事だからね(すみません)。
こんな風に若い命を散らしていった人が、幕末にどれほどいたことか。

過去の歴史においても、関ヶ原だとか、世の中が大きく変わる時には
実に大量の血が流されるものだけど、ホントにあんなに沢山の人が
死ななきゃならなかったんだろうか・・・と、
幕末の志士たちを思うたび、心が重くなる。

時代が近いせいもあるのかもしれないけどね。
でも、死んでいった中には、有能な若い人達も多かったからね。
ホントにね・・・・・



さて、寿徳寺を出て、かつての極楽橋の所を渡ると、
そこが香積寺(場所は こちら )。


三原・香積寺2



ま、ちょっと石垣を積み直してる風なところはあるけど、
やっぱり恵下谷川沿いって街道が通ってた重要な場所だったみたいだから、
往時から立派な石垣を備えていたものと思われる。

山門の脇には、いくつか石仏が並んでたんだけど、
その中のひとつ(左下の小さいの)が


三原・香積寺3



『三原新四国 第六十七番』。

あ~、大善寺のが69番だったから、
この近くに68番があるんだろうな・・・
段々気になってきちゃうじゃないか(笑)。

↓こちらが山門。


三原・香積寺4



ここの鬼さん、笑ってるう~。
右隣にも、お決まりのアレがいるう~(笑)。


三原・香積寺5-2



山門はご覧の通り、くぐれないようになってるので、
脇の坂道を上がろうとしたら、前方に延びている細い道が目に入った。


三原・香積寺6・門前の細すぎる道


順勝寺以降、ずっとこんな道を歩いてきてるので
かなり目は慣れたけど、それにしても細い。
ここから先の行程もこうした道が多いと聞いているので、
楽しみにしてるんだよね


三原・香積寺7


こちらも四脚門で、板蟇股・・・
アレ?
そういえば、ここまで高麗門って見てないな。

市街戦になった場合を想定したら、高麗門の方がいいんじゃ・・・
って考えて、気がついた。

「膳所城(3)」 に書いたように、高麗門は文禄・慶長以降に
発展したといわれている。

ここまで見てきた移転組の寺社は、ほとんどが天正年間に
移ってきたものだから、まだ高麗門が普及する前の話だ~。

まあ、全部が全部、移転当時の門て訳でもないでしょうけど、
これはこれで歴史的に正しいのか・・・
なるほどねと一人勝手に納得した。

なら、高麗門登場以降で、重要な位置にある寺なら
全部高麗門にするかって言ったら、それはどうだかわかりませんけどね(笑)。
格の問題とかもあるでしょうし。


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最終更新日  2012年09月25日 21時34分29秒
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