戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年11月02日
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カテゴリ: 城(中国)
↓北西から見た天守石垣。


三原・天守台石垣北側2



かつては天守台より一段下がって本丸があり、線路の奥の方まで続いていた。
手前の空き地は、現在発掘中につき立入禁止区域。


三原市では、9年計画で三原城の整備計画を進めてたんだけど、
震災の影響で補助金が半減して、予定より整備が遅れることになったそうな。

その第1段の調査区域がこの天守台北側と西側。
調査後は2014年度までに武家屋敷の石垣や旧西国街道を
再現した広場を整備する予定だったとある。


あ、ちなみに、三原城は国指定の史跡です。



さて、この天守台。
前回の記事の解説のように、永禄の築城当時は確かに
天守の発想はなかったかもしれない。
発想もさることながら、まず石垣の技術が必要とされるものだし。

いくら隆景ちゃんが新しモノ好きだったとしても、
こればっかりは段階ってものがあるからね~。

しかし、三原城は築城からほぼその全容が整うまでに、
かなりの時間をかけている。

隆景による最後の手入れは慶長の隠居の時で、
新高山城から石垣だとか色んなものを持ってきて三原城の用材とし、


築城当時は造れなかった天守台も、この時期であれば可能だろう。
あくまで個人的な推測だけど、福島正則なら「あぶり」は使わない気がするんだよね。
ま、ここも江戸期に補修がなされているので、
誰が造ったにせよ、全部が全部当初のままの姿ではないと思われる。



で、天守台北側の石垣についてはちょっと興味深い記事を見つけた。



三原・天守台石垣北側6・北西の算木



で、こちら↓が北東の算木。


三原・天守台石垣北側5・北東の算木



 【現存する天守台の石垣を見てみると北西隅は算木積を志向しつつも不完全で
  古式であるが、北東隅は完成された算木積となっていて、築造時期に差がある。
  隆景築造の天守台は築造途中であったか、規模が小さかったものを正則が完成
  もしくは拡大したものと思われる。】
  (「三原城本丸大広間についての考察」/佐藤大規氏より) 


う~ん、そう言われればそんなような・・・
ちょっと、北西部の撮影の角度がマズかったよな
だって、調査区域があるから近づけないし。

北東の算木は、確かに美しい。


で、こちら↓が北東から見た天守台。


三原・天守台石垣北側7


下から見ると、やっぱり結構広い堀だよな。

ところでこの天守台北面には、前回書いたように、
絵図では東西のそれぞれに櫓が描かれている。

今、私の手元には3種類の三原城の絵図と1枚の鳥瞰図があるんだけど、
このうち「備後国之内三原城所」という正保年間(1644~48)に
幕府に提出された絵図は、天守台北面の石垣が他の絵図とは違っている。

どう違っているのかというと、櫓台の部分には
何と横矢が掛かっているんですね~。 
結構、びっくりなんだけど

描き間違いかな・・・とか一瞬思ったけど、仮にも幕府の命で描かれた地図で、
こんな間違い犯すか!?って気がするし、
「備後国之内三原城所」は現在残っている三原城の絵図の中では
最も古いものだと言われているので、もしかしたらその後の補修で
形が変わったのかな~って気もする。

けど、改修工事で横矢をつぶす事なんてあるのかな・・・
石垣の破損がどの程度のものだったのかわからないし。
ナゾだ



この先には、こんな看板があった。


三原・天守台石垣北側8


アハハハ、サカナぁ~?
釣れんの?こんなとこで・・・


看板の先には、地味に二の丸の石垣がある。


三原・天守台石垣北側9・北東の外側の石垣



大体、三原城の訪城記っていうと、言葉は悪いけど
天守台と東船入櫓と中門跡ぐらいの画一的な写真しか紹介されてないんだよね~。
でも、結構残ってるんじゃん・・・

ただ、内堀の石垣は近年になって一部復元されてるらしい。
どこがそうなのかはちょっとわからないけど。



ここまで、隆景広場の方からぐるっと時計回りに天守台を見てきましたが、
終点はこうなってます。


三原・天守台石垣東側3から駅構内へ



これを入ると、三原駅の構内。

ここまでの記事にも、三原駅が本丸の上に乗っかってることは書いたけど、
三原城を見に来る人は、皆この現状を嘆く。
嘆いて、興味を失ってしまうのか、細かい三原城の名残とかを
紹介する人はあまりいない。

「三原編(20)」 で書いた不満ってのはまさにここの部分で、
三原城シリーズでそれについての文句をつらつら書くつもりでした。

でも、やめた。
人の事をあれこれ言ってもしょうがないし、隆景ちゃんもそんな事は
お望みではないだろう・・・

まあ、私だって城下すべてを回れた訳じゃないしね。
私の知らない城下の名残もまだ沢山あるだろうし。
でも、自分の回ったところはいつもの通りだらだらご紹介していきますので、
少しでも興味を持って頂ければ幸いです。



で、この構内への入り口ね。
こんな風になっちゃってて、私が怒るだろうと思ってた方も
おられるかもしれないけど、私は逆に感動したね。

ここまでして、よく残したよな~

って。


ちょっと先へ進めましょうか。
上の写真の本丸石垣は、左手の方へもずっと続いてる。


三原・天守台石垣東側4


で、これ↓が終点。


三原・天守台石垣東側5



三原・天守台石垣東側6-2


矢印の部分は、固めて補強されてる。
こんなの、潔くつぶして工事した方が絶対ラクだったでしょうに。


この場所に当時の山陽鉄道三原駅が造られたのは、明治27年。
城の維持管理なんて費用がかかるし、城の存在意義が失われてからは
はっきり言ってお荷物なだけ。
時代は西欧に追いつけ追い越せだったし。

思い切りよく破壊されて、御殿の用材が風呂の焚き付けなんかにも
使用されたなんて話に比べれば、この保存は
奇跡的ともいえるんじゃないかと私なんかは思うけどね。

皆さんは、どう思います?


三原・天守台石垣東側7



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最終更新日  2012年11月02日 21時53分49秒


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