戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年02月10日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
え~、エリア3は前回で終わり・・・
実はあと2本写真があるんですが、銘が写ってないのでのちほど公開します。、
で、ここにはこんな注意書きがあります↓。


上野・上野東照宮179



まあ、こんな重量物、そうそう倒れないとは思うけどね~。
ただ、エリア8なんかは相当キチキチに詰め込まれてますので、
ここにいる時に地震が来て銅燈籠なんかに押し倒されたら、
まともに受ければ命はないでしょう。

てか、狛犬に登る不届き者なんかおるのか?と思ってたら、

ただ、その子はどうも障害を持ってるようだったので、まあしょうがないかな。


さてと、今度はエリア4。


上野東照宮エリア分け



上野・上野東照宮144(エリア4)



ここはお守りなどを授与する売店コーナーの狭い脇っちょにひっそりとあって、
一般の拝観者の目を引くことはまずないと思われます。
と言っても、目立つところにある灯籠だっていちいち観察する人は
いないんだけどさ(笑)。

まず手前は


上野3・東照宮・松平光通



上野・上野東照宮151



上野・上野東照宮152



上野・上野東照宮153



 【越前少将源朝臣光通】

越前福井藩第4代藩主、松平光通(みつみち)によるもの。
結城秀康(徳川家康の子)の孫にあたる。
「光」は家光からの偏諱。


最初は祖父・結城秀康以来の家臣による補佐を受けていたものの、
年寄り連の相次ぐ死去により自身で親政を開始する。

この方も優秀な人だったらしい。
前回の前田綱紀なんかもそうだったけど、
戦国を生き抜いたガッチガチの武将だった祖父を失って以降は、
戦国の気風を残す武張った藩政から文治政治に移行させる。
これも時代の流れだね。

この方は表の部分はおおむね良かったが、ちょっと奥に恵まれなかった。


光通の正室は、越後高田藩から藩主松平光長の娘・国姫を迎えた。
国姫の祖母は、徳川秀忠の娘・勝姫。
徳川の血をひく姫は気が強い女が多いのか、
家康の娘たちも結構トラブルメーカー。

亀姫様 しかり、 督姫 しかり・・・
家康の孫である勝姫もその気性を受け継いだ。

光通と国姫とは幼くして婚約したが、この婚姻による
越後高田藩からの干渉に危惧を抱いた幕府や家臣団によって、
2人が19歳になるまで婚礼は遅れた。

といっても、実際にゴーインに結婚に持ちこんだのは勝姫。
姉である千姫を助っ人に、4代将軍・家綱の代になって

「これは先君(家光)が決めたことなのよ!
家光公の御遺命なんだから、とっとと結婚させなさ~い!!」


と幕府に圧力をかけてようやく婚姻にこぎつけたそうな。

国姫との結婚が遅れたせいか、光通には側室がいた。
国姫を迎えた当時は側室は一時遠ざけられたそうだが、
正室を迎えた後に側室に男子・権蔵が生まれる。

国姫との夫婦仲は良かったらしいが、2人の間に生まれたのは女子だけ。
あいにく男子は生まれなかった。
当然、権蔵が継嗣候補となりそうなもんだけど・・・
ここでまたまた勝姫登場。

「権蔵は妾腹じゃないの!
国姫にも、そのうち男子が生まれるわよ!
国姫に男の子が産まれたら、その子を跡継ぎにしなさ~い!!」


と詰め寄り、光通は誓いの一筆まで書かされた。

うるさいババアのおかげでせっかくの夫婦仲にもヒビが入り、
35歳になっても男子に恵まれなかった国姫は、
男子を産めなかったことを苦にして、寛文11年(1671)自害した。
祖母・勝姫と父に詫びながら。
なんてお気の毒な・・・


国姫の死は、後を引いた。

「国姫が死んだのは、権蔵のせいよ!!」

と憤った勝姫や国姫の父が権蔵の暗殺を図ったという、嘘かホントかわからない理由で
権蔵が家出したそうなのだ。


一方、相次ぐ藩政の改革や天災などにより、藩の財政は悪化していった。
光通は財政再建のために寛文元年(1661)、「福井寛文札」とよばれる藩札を発行する。
これは、「日本初の藩札」と言われているそうな。

その後も城下で大火が起こるなど、政治的な苦労も続き、
姑と義父の干渉、妻の自殺、跡継ぎ問題などで疲れ果てた光通は
延宝2年(1674)、庶弟に家督を譲るようにという遺書を残して自殺した・・・
享年37歳。

あ~、ちょっとお気の毒すぎ・・・


ちなみに権蔵の方は、父の叔父にあたる越前大野藩を頼り、
のちに幕府から1万俵を与えられ、その子孫が越後糸魚川藩1万石となったそうな。


この灯籠の日付は撮ってないけど、おそらく慶安4年(1651)、
もしくは慶安5年と思われる。
まだ国姫を迎える前の15~6歳のピッチピチで、前途洋洋の若者だったろう。


以上のエピソードはすべてウィキペディアからのものだけど、
光通のページの最後にはこんな話が載せられている。


  家光の死の翌日(慶安4年4月21日)、小浜藩主・酒井忠勝が諸大名を江戸に集め
  こう言った。

「新将軍・家綱様はまだ幼少だ。
   天下を望む者があれば絶好のチャンスだぞ」


  すると松平光通と保科正之が進み出て諸大名にこう言った。

 「天下を望む者があれば申し出てみよ。我らが踏み潰して、
   徳川の代替わりの祝いとしてくれよう」


  家綱政権下で大政参与として幕政を主導した保科正之とともに、諸大名を一喝した
  このエピソードから、光通が親藩筆頭の家柄として高い格式を有していたことを
  うかがうことができる。


いや、いくら家康のひ孫っていっても、まだ少年の面影を残す光通が
重鎮である保科正之と肩を並べて諸大名を恫喝するなんてちょっと無理がない?
って思っちゃうんだけど(笑)、これがホントでなかったとしても
こういうエピソードを残すだけの気概とプライドを持っていた方だとは言えるだろう。

「ババア、引っ込んでろ!!」

とわたくしと一緒になって勝姫に悪態ついた読者様が何人おられるかはわかりませぬが、
ともかく光通&国姫夫婦に合掌。



んでは、奥の方にある灯籠↓。


上野・上野東照宮147(池田光仲)



上野・上野東照宮150



最初にこのエリア4にもぐり込んだ時は、まだ藤堂高虎の灯籠を探していた頃だった。
与右衛門の灯籠が境内にある銅燈籠の中で一番古いことは知っていたので、
奥にある古そうなこの灯籠がそれじゃないかと期待して銘を覗いたら

 【奉献 金灯籠両基
  因幡国主従四位下侍従源朝臣光仲】

なあんだ~、光仲の片割れじゃないか
なんでバラけてこんなとこに置かれてるんだろう。

他の灯籠は表側の銘しか見てないんだけど、
これは光仲の名前の近くにこんな彫りがあるのが見えた。

 【御鋳物師大工
  長谷川豊前守藤原重時】

最後の名前の部分はあいにく写真が切れかかっていてイマイチ自信ないけど、
たぶんこれであってるんじゃないかと思う。

この長谷川さんがどういう流れの鋳物師なのかはわからなかったけど、
エリア4にある光仲の灯籠は状態もあまりよくないものの、
手前にある松平光通のと比べても大ぶりだし、
笠の内側なんかも特徴的でなかなか立派な灯籠。

ま、現地にいると銅燈籠が多すぎて感覚もマヒしてくるけどね

これらを撮ってる時は疲れてヒイヒイ言ってたけど、
やっぱり写真に撮った方がゆっくりじっくり鑑賞できていいよな。

とは言え、撮ってない灯籠たちはまだまだ沢山あるので、
あの労力を思い返すだけでげんなりしてくるのも事実です。

諸大名が参勤交代で江戸に来た折には上野東照宮へも参拝しているので、

「殿!
これです、これ!
ウチの灯籠~!!」


・・・て教えられて、光仲もこの灯籠の出来栄えを観賞したのだろうか。


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最終更新日  2014年07月29日 21時00分01秒


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