戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月20日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
今度は禅師の君(尋禅)を中心としたその後の流れに移ります。

良源さんの上奏により一身阿闍梨となったのちの天延2年(974)の年末、
宮中で修法を行った良源さんに従って禅師の君も参加し、
良源さんは権大僧都へ、禅師の君は権少僧都となった。

 【尋禅については、通常僧綱入りの最初の位である律師を飛び越えたもので、さきの
  一身阿闍梨といい、破格の扱いで、権門の子息が優遇される初例として注目される
  ものであった。両人の喜ぶさまを「喜懼ノ到リ、手足ノ度ヲ失シ、各モツテ退去ス」
  と平親信は日記に書き留めている(『親信卿記』)。】
  (『人物叢書 良源』より)


多少の強引さはあっても、良源さんは変わらず禅師の君を大切に扱い、
その成長と昇進に心を砕き、一緒にさまざまな荒波を乗り越えてきた。

天禄3年(972)時点で書いた遺言ですでに禅師の君が自分の正統な後継者で
あることを良源さんは明言しているので、権力の座にいるのが禅師の君の兄弟であった
ということだけではなく、良源さんの意思も後押ししての一足飛びの昇進だったかもしれない。

ただ、実際は遺言を書いたあとも良源さんは13年生きた
ので、禅師の君はその13年を次代の座主として過ごしたとも言える。


貞元元年(976)には禅師の君は33歳という驚異的な若さで
あの法性寺の座主となっている。
これももちろん、良源さんのバックアップがあってのことだろう。
良源さん自身は異例ずくめの大抜擢で法性寺の座主を経ずに天台座主となったが、


天元4年(981)には円融天皇の病気回復の祈祷が宮中で行われ、
良源さんは大僧正に、禅師の君は権僧正に昇進した。
この2人のほかに真言宗の寛朝という僧が僧正に補任されており、
とくに大僧正は行基様が東大寺の大仏建立の功によって任じられて以来の
実に235年ぶりの補任だったという。


当時生きていた人達は誰も三僧正を見たことがない。
しかも大僧正と権僧正は師弟ということで、世の人々は驚くとともに
大変にありがたがったそうな。
順調な成り行きに、良源さんもさぞ満足したことだろう。

ここまでの段階で、藤原師輔の長男・伊尹は世を去り、
次男の兼通が関白・太政大臣へと進んだが、兼通も貞元2年(977)に死去。
兼通は次の弟の兼家を激しく嫌っていたとされ、死に際の力を振り絞って
兼家ではなくいとこの頼忠へ関白を譲ってしまった。

法興院摂政兼家が策を弄して権力を握るカウントダウンがすでに始まっていたが、
中央政界の動向とは別に兼通は自分の子を良源さんの弟子として送り、
兼家もまた横川へ堂宇を寄進するなど禅師の君の兄弟である
師輔一門との密な関係は続いていた。


永観3年(985)1月3日、良源さんは72歳で死去した。
その頃までには禅師の君は良源さんの住房である定心院を出て
妙香房に移り住んでいたらしい。
師輔から援助された堂宇や主要法具や印などは禅師の君に委譲された。

 【機を見るに敏で政治力や行動力のある人物は、ふつう自己中心的であり、背信的な
  性格が多いようであるが、良源の場合は全くこれに反する。思いやりと約束を
  履行する律義さが窺われるといえよう。】
  (『人物叢書 良源』より)

同年2月27日、良源さんの49日を過ぎてから
禅師の君が第19世天台座主となる。
禅師の君はこの時43歳。
歴代座主の中でもっとも若くして就任した初代の義真(46歳)を追い抜いての
史上最年少座主の誕生となった。

 【現代の視点から(良源さんの:ジジイ註)遺告を読みなおすと、師輔への遠慮と尋禅への
  厚遇が目立ちすぎ、そのため良源が天台宗を摂関貴族に売り渡した元凶のように、
  現代の歴史家たちから喧伝されている。しかし、当時の人たちにとってそれがたとえ
  知識人であろうとも、この遺告の文章は、きわめて自然なものとして受け入れられた。
  横川の今日を経済的に支えて呉れた師輔に礼をつくすことと、その師輔、良源のあいだに
  交わされた尋禅重用の黙契に、横川の弟子たちは誰も不平をいわなかった。一家の長が、
  一族郎党を一堂に集めて、本家の若当主へ、忠誠を誓わせるようなものである。】
  (『女人成仏への開眼』より)

後藤氏が言われるほど、禅師の君の相続が横川で好意的に受けとめられたのかはわからない。
が、このバトンタッチに際して横川の良源派の中で何か問題が起こったという話は
わたくしは知らないし、早くから禅師の君の立場を明確にして
13年間も良源さんが大御所のような立場で過ごしてきた訳だから、
身近な弟子たちもそういうもんだと受け止めていた可能性は充分にある。

寛和3年(987)2月16日、禅師の君の上奏によって
朝廷から良源さんへ「慈恵(慧)」の諡号が贈られる。


さて、良源さんは若くして座主となったために19年という長い期間で
色々な事績を遺したのだから、もっと若くして座主となった禅師の君も
長い時間をかけて師に及ばずともそれなりの功績を遺していけるはずだった。

しかし、永祚元年(989)9月8日、天台座主と権僧正の辞表を提出。
朝廷からも山内からも再三にわたる慰留が試みられたが、
印などを預けてそのまま飯室谷へ隠棲してしまう。
そしてその翌年の2月17日、47歳の若さで息を引き取った。
辞意を表明した時点ですでに体調は思わしくなかったのかもしれない。

座主としての任期は5年に満たない。
ので華々しい事績を遺せなかったのも無理はないと思う。
人によっては良源さんの印象が強すぎて、コネで栄達をつかんだだけで
法器は大したことなかったと見るかもしれない。

衣川仁氏は著書の中で、

 【尋禅時代の門流仏法が教義やその実践面で停滞していたのは事実だが、門流の
  世俗的要素にのみ目を向けて否定的な評価を下すことは適当ではなかろう。】
  (『僧兵=祈りと暴力の力』より)

とする。

わたくしは、禅師の君が凡庸だったとは思わない。
権門の子弟が山内で高位につくパイオニアとして頑張ったんじゃないかと思う。
ただ、座主になった時期は悪かった。

貞元元年(976)に禅師の君が法性寺の座主となった時、
1年足らずで座主をやめて戻ってきた。
門弟3千ともいわれる良源さんの弟子の中で、「四哲」と呼ばれる高弟がいる。
禅師の君はその四哲の中の一人であり、しかも法性寺は禅師の君のジイ様の
藤原忠平が創建した寺。
若すぎるきらいはあるにせよ、禅師の君が座主となるに不足はない。
それなのに、早々に引き揚げてきた。

禅師の君が法性寺を出てきた理由はわかっていない。
が、良源さんが 康保2年(965)に僧綱入りした時 、ほかに僧綱入りした僧は2人おり、
このうちの1人は天台僧の賀静(がしょう)さんという人で、
長年内供奉禅師を務め、かつ法性寺の座主だった。

そういう立場の人だったから、第17世・喜慶が没した時、
賀静が心の準備をした可能性は充分に考えられる。
しかし、成り上がりの良源さんにアブラゲをさらわれるという結果となり、
良源さんが天台座主となってから半年もたたないうちに悶死してしまう。
賀静の怨霊は師輔一門に祟ったといわれるが、
その後も良源さんは長く座主の位置にあったので、賀静のあとの法性寺座主2人も
天台座主となるチャンスがめぐってくることはなかった。

そういうところへ禅師の君が入ったものの1年で出てきたので、
律師の長勇という人が次の法性寺座主となったが、一部の門徒が長勇さんに従わず、
ささいなことをきっかけに朝廷に長勇さんの更迭を願い出る。
結局、長勇さんは病気を理由にして座主を辞職するが、
ほどなくして亡くなってしまったそうな。
だから、良源さんへの恨みが3代続いた法性寺は良源の愛弟子である禅師の君にとって
居心地はよくなかったのかもしれない。

長勇のあと法性寺座主は3年ほど空位のままだったが、
円仁派が座主につくという従来の慣例を破って円珍派の余慶さんが次の座主に任命された。
そしてこの時、叡山で初の強訴が行われる( 「101)」 参照)。

余慶さん周辺のゴタゴタについては山王院のところで書いてますが、
並べるとこういう流れになります。

 貞元元年(976)禅師の君が法性寺の座主となる。
 天元4年(981)余慶が法性寺座主となり、延暦寺初の強訴が行われる。
 永観3年(985)1月3日、良源死去。2月27日、禅師の君が天台座主となる。
 永祚元年(989)9月8日、禅師の君が天台座主と権僧正の辞表を提出。
          9月29日、余慶が天台座主となる( 永祚宣命事件 )。
 永祚2年(990)2月17日、禅師の君が死去。
 正暦4年(993)7月、赤山禅院が攻撃される。⇒完全分裂へ

結局、余慶が第20世天台座主となる訳だけど、各所での余慶の人事をめぐって
円仁派の攻撃も激しくなり、円珍派も負けじとやり返すといった具合で、
良源さんの最晩年の頃から両派の争いはピークを迎え、混乱の様相を呈していた。

良源さんでさえ抑えられなかった(あるいは故意に見過ごしたか)状況にある中で
座主となった禅師の君はさぞ心労も重なっただろう。

ただ、禅師の君の父・師輔の享年は51歳、異母兄の伊尹は48歳、兼通は52歳と
師輔の家は50歳前後で亡くなってる方が多いんだよな・・・
早死にの家系という言葉も一瞬浮かんだけど、今の50歳と当時の50歳では違うか。
そういう中、法興院摂政兼家が61歳まで粘っているのがちと笑えますが。


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最終更新日  2015年04月20日 23時13分45秒


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