戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月24日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
座主時代の禅師の君の詳しいことについては不勉強ゆえ
あまり把握しておりませぬ。

が、ひとまずわたくしの知っていることだけ書くと、
まず良源さんの死後、禅師の君の住房の妙香房は妙香院と名を変え、
公家の奏上により国家鎮護のための一条天皇の御願寺とし、
そのあとは弟子の尋光・・・この方は禅師の君のすぐ上の同母兄の子のようだけど、
その方が継いで師輔一門による体制を作る。

 【この点については、延暦寺の世俗化・門閥化の典型としてマイナスの評価を下される
  ことが多い。】


まあ、横川の発展の歴史からいえば当然の流れだとは思うけどね。


あともうひとつあるんですが、そこに至るまでの経緯を書くと
(また)長くなる
が、良源さんと禅師の君の時代に中央政界でどんなことが起こっていたのか
ついでに知っておくのも無駄ではないでしょう。

3日目の旅日記もロクに書いていないうちにもう140話を越えちゃって、
3日目の分が終わる頃には200話近くいってるんじゃないかと思い始めましたが、
これでも毎日毎日、とっとと本シリーズを終わらせたいと思ってるんです。
マジで。

ただ、本シリーズでの予定外の話というのは実に得るものが多かったので、
書く気になったものは諦めて書きます(笑)。


で、ここからの話の最終目的地は禅師の君ですが、
主役は良源さんが世に出始めた頃から花山天皇までの天皇たちとその周辺になります。

『小右記』を原典とする『殴り合う貴族たち』(繁田信一/柏書房)から
法興院摂政藤原兼家の子弟たちのアラクレ伝説を紹介した記事 は、
近ごろツイッターで外界との接触を持たないわたくしにしては珍しく

なかなか好評だったようですが、中でも人気があったのが 花山院の記事 。

まあ、面白いもんね。あの人。
花山院はこのあともちょろっと顔を出す予定なので、
この際だからきちんと勉強ノート(←ブログ)に書いておくのもいいかなと。
同時に、 寄生虫・フジワラムシ の本領発揮ともいえる内容でもあります。

まずはこちらの系図をご覧ください↓。

花山院まで3


もお、すごいっしょ~、これ!!
これ作るのにかなり時間がかかりました。
これでもまだ完全じゃありません。
でもこれ以上はもうムリ。
青字は天皇で数字は即位の順番、相変わらず長幼の順は無視してます。

」

とぶつくさ言いながら作ったものの、具体的にこうしてまとめてみると
当時の政界で権力を握るには政治力もさることながら、
政治家にもっとも必要とされたファクターは生殖能力だったんじゃないかと思えます。

子を産めない女性はいつの時代もつらい立場だったでしょうが、
生殖能力が権力の動向を左右する当時では子種のない貴族男性はもう致命的だな。
養子縁組もあるにはあるけど、まだこの時代は後世ほど養子制度は有効に活用されていない。
で、わんさと子を作った精力旺盛なフジワラムシたちは、
実の子を駒にして権力の座を狙ってうごめきます。

ただ、フジワラムシは闇雲に天皇家および国家を食い物にしていた訳でもないらしい。
『源満仲・頼光』(元木泰雄/ミネルヴァ書房)によると、

 【摂関政治の基盤を説明する上で、最も説得力がある考え方にミウチの共同政治(以下略して
  ミウチ政治と称する)というものがある。摂関政治はけっして摂関の独裁ではない。
  むしろ、天皇のミウチ、すなわち父方の父院・皇親・源氏たち、そして母方の母后や外戚、
  摂関以下の藤原氏一門が、天皇を中心に相互に依存しながら政務を運営する。そして、
  政治的地位を決めるのは、天皇との血縁・姻戚を介したミウチ政治であった。

  (中略)こうしたミウチ政治のあり方は、氏単位で政治的地位が固定していた奈良時代
  以前、イエが成立して父から子に政治的地位が継承された院政期以後のように、ミウチ関係
  と無関係に政治的地位が決定された段階と大きく異なっているのである。ミウチ政治が
  典型的に機能したのは、天皇の外戚として摂政・関白を務めた藤原忠平、彼の妹で朱雀・
  村上両天皇の国母として大きな影響力をふるった穏子らが中心となって活躍した十世紀
  前半である。天皇・外戚・国母。この三者が提携してミウチ政治の中心は形成され、
  政界は安定するのである。】

だそうな。
政権を維持するタームが短くなった分、ある意味奈良時代よりも厳しい
サバイバルの時代とも言える訳だな。

別の言い方をすると、権力の座にいた者にとっては次世代でも
それを維持する努力が必要となり、これまで中枢に食い込めなかった側では
運と先見の明があれば一発大ホームランがかませるということにもなる。

 【娘が得られ、彼女が天皇の寵愛を受け、そして皇子を出産する。さらに天皇即位までの
  長寿を保てる。幾つもの幸運にめぐまれなければ実現しない外祖父の摂政は、当然
  大きな権威を有していた。】
  (前掲書より)


んじゃ、順々にサバイバルを見ていきましょうかね。


貞信公・藤原忠平の長男は実頼。
良源さんと親密な関係を築いた師輔は次男だったが、兄をもしのぐ実力者。
これは村上天皇の中宮となった安子の功績が大きい。
忠平の5男・師尹(もろただ)の娘が 安子にかわらけを投げられた って美人ね。

安子と村上天皇の間に生れた第2皇子は、少し前に生まれた第1皇子をさしおいて
生後まもなく立太子した。
忠平の系統は藤原北家だけど、第1皇子は南家の娘から生まれた子だったので、
北家の実頼&師輔兄弟による画策だといわれる。

第1皇子の外祖父である南家の藤原元方は学者政治家として活躍し、
父の官途を越えて大納言にまで出世した人で、
その上娘が村上天皇の第1皇子を産んだのだから期待するなって方が無理ってものだけど、
あえなく北家に敗れ、第2皇子の立太子から3年もたたないうちに悶死したといわれる。

ここに至るまでに師輔は良源さんをはじめ色々な僧侶に祈祷を依頼し、
これがひとつのきっかけになって横川の発展の基礎ができた。

師輔の兄弟も娘を村上天皇に嫁がせているが、
兄・実頼の娘の述子は子をなせず、ごく若いうちに亡くなった。
弟・師尹の娘のかわらけの美女・芳子は男子を2人もうけたが、
芳子の最初の子は第2皇子の出生より6年あとのことなので、
当然立太子レースに参加するどころじゃない。


ここまではよかった。
師輔の父・忠平と伯母・穏子がタッグを組んだように、
師輔とその娘・安子が先代の後を受け継いで藤原北家および国家の中心となれるハズだった。
ところが、政界の中心者たちが相次いで亡くなったことにより、
サバイバルゲームもにわかに活発化する。

天徳4年(960)5月、師輔が死去。
応和4年(964)4月、中宮安子が死去。
康保4年(967)5月、村上天皇が死去。


村上天皇の死後、第2皇子は即位して冷泉天皇となった。
冷泉天皇には数々の奇行のエピソードがあるが、一般的には精神を病んでいたと噂されている。
東宮護持僧であった良源さんは気の病を治めるためにたびたび修法をしただろう。

師輔・安子が相次いで亡くなったことや冷泉天皇の気の病は
さきに悶死した藤原元方の祟りだとも噂されたそうな。

即位時点での冷泉天皇は17歳で、すでに子はいたがまだ男子はいなかった。
そこで冷泉天皇の弟たちの中から皇太弟を選ぶことになる。


安子と村上天皇の間には男子は3人生まれた。
ウィキペディアによると第1皇子の誕生より前に安子は男子を産んでいたらしいが、
夭折したようでこの子はカウントされていない。

安子腹の弟たちは、

天暦6年(952)生:為平親王
天徳3年(959)生:守平親王

の2人。
冷泉天皇の即位時点で為平親王は15歳、守平親王は8歳。
師輔の弟・師尹は野心家だといわれ、すでに兄の師輔はこの世の人じゃなかったから
娘・芳子の産んだ子を立てようとする思惑も持ったかもしれないけど、
長兄であり氏長者でもある実頼がまだ健在だったので、
さすがに中宮にのぼった安子の産んだ子を差し置いて
自分の孫を立太子させることはできなかっただろう。
それに芳子の子は病弱だったとされ、芳子の最初の子は冷泉天皇の即位時点で
すでに夭折しており、次の子はまだ2歳だった。

もちろん村上天皇には安子とは別腹から生まれた皇子もいたが、
安子は中宮であり、冷泉天皇の即位にともない天皇の大叔父の実頼は関白へ進み、
同じく大叔父の師尹は右大臣となっている。

ので、強力なバックを持つ安子の子は誰が天皇になってもいいハズで、
順当にいけば安子の次男である為平親王が皇太弟となるべきもの・・・
ところが、為平親王を飛び越えて三男である守平親王が立って
これがのちに円融天皇となる。

『大鏡』では円融天皇に関して

 【この天皇が皇太子にお立ちになるときには、たいそう聞きぐるしい、ひどい事件が
  いろいろございましたなあ。】
  (日本古典文学全集/橘健二氏の訳によるもの)

と言っている。
その聞き苦しい出来事とは何か・・・
『大鏡』ではもう皆知ってることだし、話も長くなるから
ここではあえて言いませんけどね、として具体的なことを書いてはいないものの、
これはフジワラムシの権力闘争に左右されたゴタゴタを指していると思われる。



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最終更新日  2015年04月24日 22時36分11秒


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