戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年06月14日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
後藤氏は前回の最後の引用文に続けて源信に触れ、

 【幸いにも源信は、信仰の原点を模索する師良源の喘ぎを触覚できる地点にこの時立って
  いたはずである。(中略)源信ほどの生真面目な男なら、老い先みじかい師の信仰と
  体験、思想を、骨の髄まで吸収しつくそうと、足繁く師房に通いつづけたにちがいない。
  この時期源信は、おそらく良源と、信仰の惑いや、再出発の模索という焦りの感情では、
  ほとんど一体感をもっていたのではないだろうか。】
  (前掲書より)

とする。

源信が病床の師を見舞ったかどうかもわからないし、

でも、後藤氏の推測は充分に有り得ることだと思う。

良源さんが病がちになったのは永観元年(983)。
その2年前の天元4年(981)に 源信は第2の著作『阿弥陀仏白毫観法』を著わしている 。
これは観想念仏についての書で、『往生要集』の前章とも言うべきもの。
そして天元4年は良源さんが大僧正になった年であり、
年の後半には余慶さんの法性寺座主問題が持ち上がり、
山内では何かと大きなニュースの多い年だった。

そういう周囲を尻目に、源信はひとり往生についての思索をすでに始めていた訳で、
老病僧となってめっきり老けこんだ感のある良源さんの存在が
源信の往生道の直接のきっかけになったとは言えない。

「(165)」
源信が『往生要集』を書き始めたのが永観2年(984)11月、
同じ頃病が重くなったため良源さんは麓の坂本へ移動して療養、
そして『往生要集』の完成が翌年の4月。

執筆の動機について、師の病気がうんたらとかってことは源信は一切言ってない。
それにしても、ちょっと時期が合いすぎる。


あれは分量・内容ともに実にすごいものです。
源信自身も、 最後に質問者に言わせてた でしょう。

 「因論生論、多日筆を染めて、心身を労してきた。」

と。
6ヵ月が短い期間だとは必ずしも言えないけど、
いくら源信が頭がいいからといってあんなもの、

「ちょっと実践の書でも書いてみるかな」

て軽いノリですぐ取りかかれる訳じゃありません。

わたくしの歴バナは当然色んな本や史料がベースになってますが、
どこに何が書いてあるかなんてすぐに忘れてしまうので、
歴バナを書き終えるまでの参考図書にはものすごい数の付箋が貼ってあります。
だけど、源信の時代にはそんな便利なものはない。
自由自在に文章を入れ替えられるような、PCなんかのツールもない。

『往生要集』の基本はお経と註釈書によるものだから、
それを便利なツールの助けなしにあれだけのものを書いたということは
書くべき内容がみっちり源信の脳ミソに詰まってたってことで、
調べて把握して構成を考えるまでにも相当の準備期間を要したハズ・・・
そしてその準備期間はちょうど良源さんが衰えを見せ始めた時期とクロスする。

執筆活動だけじゃなく、実践面でもエネルギッシュだった源信は
実に探究心が旺盛で、かつ性格は「生真面目」。
晩年にさしかかるまで天台の学匠としての活動も続けていたけど、
永観元年は源信が40歳を目前にしていた時期でもあり、
『往生要集』あたりを境に源信自身の信仰も変わっていく。
慶滋保胤 との交流を通じてもっと早い段階から往生道にハマっていた可能性もあるけど、
それは表には出てきていない。

もし良源さんが後藤氏の言うように謹慎なり自粛なりしていたのなら、
良源さんは自分を見つめ直し、同じ横川にいた源信はそういう師の姿から
それこそ骨の髄まで吸収しつくそうと考えたとしても何ら不思議はない。

まあ、想像に過ぎないけどね。
それでも、足しげく通わなかったにせよこの時期の良源さんが
愛弟子に最後の影響を与えた可能性は十二分にあるとわたくしは思う。


永観2年(984)は 山科の妙業房で藤原兼家のために修法を行った とされる。
円融天皇の退位の前のことだから、年の前半はまだ起きられたのかもしれないけど、
冬になると病状は悪化。
11月に源信は『往生要集』の執筆に取り掛かり、
暮れには良源さんは麓へ移った。

明けて永観3年(985)元日には危篤に陥った。
泣いてすがる弟子たちには「生者必滅之理」を説いたという。
そして1月3日の元三の日、明け方に西に向かって合掌し、
口には弥陀を唱え心では観想して息を引き取った。
享年73歳。

良源さんを取り囲んだ弟子たちの嘆きは深く周囲を見る余裕はなかったが、
近習の童子は東の庭の橘の木の上に紫の雲が立ち昇っていくのを見た。
また同じ頃、叡山に雲とも煙とも言えないようなものが立ち昇るのを
鞍馬寺から見ていた者がいたという。

これは話に聞く最澄の入滅と同じだったというけど、
高僧の誕生や入滅にはウソくさい奇瑞が語られるのがお決まりなので
どうかと思う面もあるものの、往生できたのなら喜ばしいことだと思う。


訃報は翌日の夜になって宮中へ届けられた。
『小右記』 の著者・小野宮実資はその夜、宮中で宿直をしていたらしく、
兼家の子・道兼から訃報を聞いて『小右記』にも書き留めている。

良源さんの死後、一巻の書が見つかった。
それは師輔の父・ 忠平の死去に伴い横川へこもった 際に書かれたもので、
少々長いですが意訳を『人物叢書 良源』から引用して紹介します。

いまから十二-三年前、わずかに菩提心を発し、名利を逃れるために南山(無動寺)の
  奥、幽谷のそのまた奥に隠棲しようとした。しかし、年老いた母が存命であり、
  その母を喜ばせることができないため、やむなく里近い生活をしてきた。
  習学未熟の頃は宗論の場に出て相手を屈伏させるため論争し、無用の罪過を重ねた。
  修行の年月を積み、そうして得た結果は、外見は名聞を求めているように見えるが、
  心の内ではそれが正しい法を弘める手段であることを深く知っている。

  願わくば十方の諸仏よこの愚頓者を守り、一切の聖衆よ、この啞し羊のような僧を
  加持し給え。我れと論議を争ったものは怒りの罪を離れ、たとえ自分が逆境に落ようとも、
  他人をしてそこに落さないように。我が問答を聞いた者は、菩提心を発し、共に仏種を
  植え、またその他の人々も我が願にしたがって妙果を得るように。

 【僧綱の最高位を得、山上を壮麗に飾り、権門と結んだ良源が、常々仏道修行の徒は
  無為に日を送ってはならない。公の法会や仏事において名誉を求めるな、先ず他人を先に
  己を後にせよと教えていた。その言動の不一致に心からは服してはいなかったが、
  この良源の手記の発見により弟子たちは今さらながら驚き、かつ悔んだのだった。】 

どうです、涙なしには読めませんでしょお~

誤解を受けやすいことは自分でもわかっていた。
ま、一般に誤解を受けているのはこの横川のおこもり以降のことなんだけど、
まだ派手な活動はそうない段階でこういうことを書いているのだから、
身ひとつで頭角を現すにつれ風当たりも相当強くなっていったのだろう。

名利とはまた違うものだけど、ある僧侶にいわれのない誹謗中傷を受けて
良源さんが起請文を書いたエピソードが『古今著聞集』にある。

賀縁阿闍梨という人が、何事の遺恨であろうか、慈恵僧正を破戒肉食の人だと
  事実無根のことを申し立てた。僧正はこれを聞いて憤り、起請文を書いて三塔に披露した。
  いわく、
  「もし破戒して一向に恥じない者を天台座主に据えたということになれば、歴代の
  天台座主も持律持戒の人ではなかったかのような疑惑を残すことになり、後世の座主にも
  不都合な迷惑を残すことにもなるだろう。それゆえに今、三宝に対してこの事を隠さず
  申し述べる。」
  持律の人に偽りの中傷をしたむくいであろうか、阿闍梨は狂ってしまったということだ。
  これが起請の起こりと言われる。
  (巻16、578)


ここまで大っぴらじゃなかったにせよ、陰で色々と言われていることもわかっていただろう。
それでも、正しいと思う道を、時には手段を選ばず突き進んできた。

良源さんの死後は禅師の君が第19世天台座主となる。
恐らくは良源さんの弟子たちも師の命に従って禅師の君を盛り立てたのだろうけど、
これは時期が悪かった( 「141)」 参照)。
そして禅師の君の死後、次の座主をめぐって円仁派と円珍派の争いは頂点に達し、
ついに完全分裂へと至る。

良源さんの死後ほどなくして起こった一連の出来事の中で、
誤解を受けながらも指導力を発揮した良源さんの存在の大きさを
弟子たちはイヤというほど思い知ったんじゃないだろうか。

そういう思いが次第に伝説を生み、のちには叡山三塔十六谷で
良源さんを祀らないところはないほどの根強い信仰を生みだして、
千年以上の時を経てなお良源さんは人々の心の中に生きている。

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最終更新日  2015年06月14日 23時20分10秒


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