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それは、「学力」の問題を、 教育目標と教育評価との関係においてとらえる こと、でした。
つけるべき力(「学力」)がついているかどうかの「評価」が重要であるという点 では、論者の間に共通の認識があったのです。(『教育評価』99~100頁)
ところが、このような大切な観点が1970年代まで忘れられてしまったのだといいます。それはなぜでしょうか。田中によれば、それは 「相対評価」が評価を独占してしまったため です。 (相対評価において問題になるのは全体の中の位置であって、教育の目標は視野の外におかれる)
相対評価によって測られる受験学力、偏差値によって振り回されているかに見える受験競争、おそらくそれらが不登校、非行、いじめなど、学校内外で生じたさまざまな問題状況の背景にあることは、多くの論者が指摘するとおりだと思われます。
さて、戦後の「学力論争」の中で、重要なテーマとなっていたのは、 認識の積み上げ・深まりがいかにして、人間としての実践的態度や「社会に能動的に参加していく姿勢」につながっていくか 、ということです。
受験競争の「勝者」は、豊富な「知識」(「学力」?)を身につけているはずです。しかし、一人ひとりが「生存権も含めて、一人ひとりが真に尊重されるような『平和で民主的な国家・社会の形成者』」としての「姿勢」と力を身につけているのか、問わなければならないでしょう。
教育学者の 中内敏夫は『教室をひらく』の中で、「社会や他者に向き合い働きかけていく力・姿勢」に直接結びつくような「積み上げられ、こなされた認識の段階」 のことを、心情や心の持ち方を意味する「態度」ではなく、 「習熟」 という概念で説明します。
中内の言う習熟というのは、 「身についた知識」、「その人のものになった方法」といった「行動に結びつくレベルに到達した学び」 のことです。「習得」した教育内容が主体によって充分にこなされ「習熟」の段階に達することを目指すのが(おもに教科)教育の目標だというのです。
なるほど、 知識が個人によって充分こなされ「身についた知識」、「その人のものになった方法」になれば、それは行動に結びつく可能性を高めるでしょう 。しかし、まだここにははっきりとしない問題が残っているように思われます。
一例を挙げると、 「多くの自殺や貧困を生み出している現代社会」の分析を充分にこなし、問題点を総合的に理解し、解決に向けての展望を把握する( 例えば現代社会への認識を習熟のレベルに到達させ、『反貧困』という本を書き上げる )ためには、 この問題を「当事者意識を持って受け止め、立ち向かう」ことが不可欠でしょう 。各種「公害問題」や「環境問題」などについても同様です。
ここで注目したいのは、 認識を深める(習熟に到達させる)ことによって行動にむかう姿勢が形成されるだけでなく、逆に行動への意思が認識を深めていく契機になるという側面 です。 「認識」と「実践的な力・姿勢」というのは、一方通行的な関係ではなくダイナミックな「相互関係」にあるものと考えるべきでしょう 。
続く
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(教育問題に関する特集も含めて
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に・・・)
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