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大河ドラマ「鎌倉殿の 13
人」
。ほとんど観ませんでしたが、評判がいいので最終回だけ観ることにしました。印象に残ったのは、未来への希望として北条泰時と「御成敗式目」が描かれていたことです。
〔大河ドラマ(最終回)でも「御成敗式目を制定した泰時。(何度も手を汚した義時に対して)泰時が執権だった時代に、御家人の粛清は行われなかった」とのことでした。〕
御成敗式目について中学校以来学ぶ機会はなく、当然、関連する専門書籍など持っていませんが、 哲学者、長谷川宏の『日本精神史』に「御成敗式目 ― 新興武士の合理性」(21章)という記述がありました。
以下、 comment 抜きで抜粋・紹介します。私自身は、興味深く読みましたが、いかがでしょうか。
〔『日本精神史』第 21 章の抜粋〕
この章では、御成敗式目のうちに鎌倉政権の自己意識ないし自己表現を探りたい。
御成敗式目は1232年、執権・北条泰時が評定衆の協力を得て作成・公表した51か条の法典である。
〔泰時が弟にあてた手紙〕
「この式目を作るにあたって、一体何を典拠としてこんな条文ができたのか、と非難する人もきっといるはずだ。 これこそが典拠だといえるものはなく、ただ道理だと思えることを記したまでだ。(・・・)裁判の基本を定め、身分の上下にかかわりなく、えこひいきもなく採決がなされるようにと、一条一条書きとどめておいたのだ。 」
当時は「執権」が最高の権力者だが、 その執権を務める泰時が、力の強弱や身分の上下に左右されない「道理」にかなう「理非」をわきまえた成敗(裁判)を願い、そのために自ら式目を制定する。武家政権の革新性と合理性を示す注目すべき事実だ。
第七条と第八条で裁判の二大原則が提示される。第七条では、源頼朝から北条政子の時代までに将軍から与えられた所領は、それ以前の所有者が現れて返還を求めても、返還することはない、と定めている。(・・・) 御家人が、勲功によって将軍から与えられた所領は、充分な法的根拠を持つ所有地と見なされる。この七条を「不易の法」と言う。 (・・・)
第八条では、一定の土地を二十年以上継続して支配し、年貢を取り立てているならば、書類上の権利いかんにかかわらず知行権を認めると定めている。 現場にあって農地経営に実績をあげているものこそが、その土地の正当な所有者だ。 これを、「知行年紀法」という。 以上の二つが裁判の二大原則である。
武力を大きな助けとして生み出された現実に根ざしながら、 その現実を人々の現に生きる場として捉え直し、そこに一定の秩序と規範を見出し、その秩序と規範を守るべきものとして明文化する知の動き。泰時の道理とはそういうものだ。 武力の行使を否定はしないが、武力を大きく包むものとして秩序があり、武力を限定するものとして法があるとするのが道理の立場だ。 武力に対する警戒心と批判を内に含む立場で、それが武力を本意とし誇りとする武士政権の中から打ちだされているのが興味深い。 武士階層の政治的成熟を示す出来事だ。
〔丁寧な目配りと合理的思考〕
京都方に味方したとの情報によって所領を没収されたものについては、 味方してないという明確な証拠がある場合、没収地を恩給として受け取った御家人には代替地を与え、当の所領は元の領主に返すべきだ。代替地を与えるのは、承久の乱の勲功に報いるためだ。
(・・・)
条文からしても、領地をめぐる訴訟の煩雑さが想像できる。多くの煩雑な事例を裁く基準をどう設定するか。御成敗式目の作成者に課せられたのは、高度な知的作業だった。
「京都方」に味方する者も多かった西国武士、それに対する鎌倉政権の強い不信の念にもかかわらず、西国にあって(父子のいずれかが朝廷方についた場合も) 父子が離れて住んでいれば同心したと断定はできないという配慮を働かせる。そうして多くの人々の納得できる裁判基準を提示することが、北条泰時の言う道理の立場に他ならなかった。
変わりつつある現実の動向に目を凝らし、そこに新しい正当制の基準を探し求め、それを軸に社会秩序の安定を図ろうとする御成敗式目が、時代と関わる武士の新しさと積極性をよく示す文書だった。
また。女性が養子を迎えることの可否を述べた23条。
「『律令』では女性が養子を迎えることは許されないが、 源頼朝の治政から今日まで、子のいない女性が養子を迎え、その養子に所領を譲渡するのを認めた例は数え切れないほどある。そして一般にもそうしたことが広く行われている。 女性の養子をよしとする評議の内容は充分に信用できる。 」
中世から近世にかけて、特に支配層の間では男尊女卑の風が強まっていくが、 この時期には女性にも領地の相続権が認められ、養子をとってそれに領地を譲ることも認められていた。御成敗式目は、そうした慣行が現に存在することを確認した上で、その慣行をよしとし、それを裁判上の基準にすると、明記している。 農村における男女の共同生活という土着の生活実感が法の制定にあたってもリアルな実感として生きていることを示す条文だと言えよう。(式目全体として「武家政権の主体性」を示す)
思えば、自己の判断に基づく行動という意味での主体性は、すでに『平家物語』において随所に発揮されていたのだった。 前に進むか退くか、退路をどう確保するか、敵の動きをどう察知するか、敗北が決定的になったとき、最期をどう迎えるかといった決断をその場その場で求められ、各自がその決断に基づいて行動していた。 そういう主体性に支えられていたがゆえに、武士の行動は大胆でもあり、潔くもあった。 その姿は、乱世に台頭してきた武士の新しさと生命力を示す重要な一面であって、武士の行動をやや離れた位置で客観的に眺める『平家物語』の語り手にも確実に見えていたものだった。
その主体性がその場その場の主体性というより、道理を踏まえた知的持続的な主体性として現れねばならないのが判決をくだす合議の場に他ならなかった。 北条泰時をはじめとする鎌倉幕府の権力者たちはそのことに自覚的であり、自らそういう主体性を作り出そうとしていた。御成敗式目には五十一か条の条文の後に 「起請」 なるものが付されている。そこで、北条泰時以下13人の評定衆が以下のように公平な裁判を行うことを神仏に誓っている。
「評定の場にあっては、訴訟当事者に対する好悪によって理非を判断してはならない。もっぱら道理に従い、心に思う事を同僚に遠慮せず、権門を恐れることなくしっかり発言すべきだ。」
歴史上、権力はどのような権力であれ、おのれを強化し維持し、拡大しようとする傾向を持つ。 鎌倉の武家政権とて例外ではない。承久の乱で京都の朝廷の権力を打倒して間もない時期のこと。政権内部に「権力意志」が燃え上がっていたに違いない。
そうした状況下で、政権自らが道理に基づく法の制定に乗り出し、現実に生きる道理にそくして新しい社会秩序を作り出し、維持していこうとする。 土着の農村社会を基盤としつつ、頽廃の色濃い既成の権力に抗って登場してきた新興の武家権力が、その支持勢力たる下層農民や有力農民と太い絆で結ばれていることを示す事実だ。(・・・) 現実をリアルに見つめ、そこに生きる道理を汲み取ることによって、秩序の安定を図り、自らの権力も維持しようとする武家政権の素朴さ、みずみずしさは一段と印象的だ。
北条泰時の書簡の一節を最後に引用しておきたい。
「関東の御家人や守護や地頭に広く公開して式目の趣旨を分かってもらいたい。また、内容を書き写して、 守護や地頭の一人ひとりに配布し、国中の地頭や御家人に徹底させてほしい。51か条に漏れたものがあれば、のちに追加法として書き出すことにしたい。」
御成敗式目が社会に広く行き渡ることを求める言葉だが、 ねらいは権力の強制力の浸透にあるというより、道理に基づく裁判の徹底にあると考えるべきだろう。 道理への信頼が御家人や守護や地頭への信頼と重なるところが、武家政権の若さであり、素直さだ。引用末尾の 追加法への言及についても同じことが言える。幕府の定めた法もそれを定めた権力もおよそ絶対的なものなどではない。 必要があれば、必要に応じて追加すればよい、追加するのがよい。
権力者自身がそう考えるところに新興権力と御家人および農民との近さが感じ取れる。北条泰時にとって、法はそのようにして現実に生きるのであり、そのように法を生かすのが道理を貫くことにほかならなかった。
「御成敗式目」は日本精神史上まれに見る、高度な知性と合理性を備えた法思想の表現であり、政治思想の表現であった。
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