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JR明石駅のホームからは、北側に明石城址を眺めることが出来ます。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 明石城は、緩やかな丘陵の先端に築かれているため、本の丸北側は剛の池、桜堀を挟んで高低差は余りありません。 反対に、南正面には石垣が高々と築かれており、本の丸西側天守台、本の丸、二の丸、東の丸南側の石組みはなかなか立派で見応えのある高石垣です。明石城は、大坂の陣の戦功によって小笠原忠真が10万石を与えられ、信濃松本から船上城に入城し、明石の城は元和5年から、近隣で廃城となった三木城、高砂城、船上城、枝吉城などを解体し、その資材で築城がはじめられています。築城の際には、姫路城主本多忠政が縄張りや築城工事に応援しました。 本の丸には天守台の石組みも築かれますが、世の中は太平の時代に移り変わり、天守閣は建てられることはありませんでした。
2007年02月28日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 2・26事件は、昭和11年(1936)2月26日の未明、皇道派の志を持つ青年将校ら22名が、1,483名の兵を率いて、財閥と手を組み腐敗の一途を辿る軍上層部の"統制派"を打倒して、"昭和維新の断行"と"尊皇討奸"のスローガンを掲げて起こした事件でした。二・二六事件は、前日の夜から連隊の武器を奪うなど、事前に襲撃目標の抵抗を最小限に抑えた上で部隊を投入したのでした。 決起した部隊は、小銃だけでなく機関銃を備えるなど、圧倒的火力によって襲撃を実行しにため首相官邸や陸軍教育総監の渡辺大将や、高橋蔵相の私邸などで警察官や憲兵の激しい抵抗を受けた以外は、大きな抵抗もなく襲撃目標に到達しています。 この事件には、いくつかの不可解な点があり、そのために事件は非常に解り難くなっています。その理由は、事件が表面上青年将校たちの"昭和維新"の実行だとされながらも、実は陸軍内の派閥抗争だったためです。 また、事件直後には決起した部隊に理解を示して擁護しようとしていた陸軍首脳部の態度が、天皇の激怒によって急に手のひらを返したように変わったことなどが、より事件を不透明にしているのです。二・二六事件を、どのように評価するにせよ、26日未明から29日夕刻までの事件の経過は、のちに叛乱罪で処刑される男たちが、まるでなぶり殺しにされるような憤懣を書き残すなど、実に不可解な経緯を辿っています。事件当日、天皇が事件の知らせを聞いたのは午前5時40分で、他の関係者と比べてもかなり早いといえます。 知らせを聞いた昭和天皇は激怒され、決起部隊に対して”暴徒”と表現し、公式記録によると『未曾有ノ不祥事デアル。速カニ事件ノ実態ヲ調ベ、軍隊ヲ正常ニ復セシメヨ』と命じたといいます。~伝達されなかった勅命~26日、陸軍大臣からは『決起の趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ』にはじまる大臣告示が山下将軍を通じて叛乱部隊に伝えられます。 しかも、告示は2種類存在しました。 続いて警備令が下され、叛乱部隊を正規の警備部隊として、占拠中の場所で警備に就くよう指示しています。 当初、正規の命令なく出動して殺傷を行った部隊を正規軍として処遇したのはこの命令によるものでした。 27日には緊急勅令により東京市に戒厳令施行、"叛乱部隊"は麹町地区警備隊として扱われます。 ところが、翌28日になると、"出動部隊"は占拠をやめて原隊へ復帰せよという天皇の奉勅命令は第一師団の各部隊には伝えられたものの、この命令だけは叛乱部隊には伝達されませんでした。 そして29日、伝達されなかった奉勅命令に背いたという名目で、叛乱の烙印が押され、陸軍上層部からは鎮圧命令下されました。 軍の命令と服従の原則から見れば、これは不合理なことでした。 のちに、獄中遺書を書き残した磯部はその中で『下達せざる命令に抗すると言う理屈なし』と、自分たちの正当性を主張しています。つまり、彼らは意図的に伝えなかった命命に従わなかったという理由で反乱軍として裁かれることになったのでした。安藤輝三の遺書には、『"謀略ノタメノ命令"ハ、断ジテ存在スルモノニ在ラザルナリ』と憤慨するのも当たり前で、上層部の意図的謀略のために、自分たちに伝えられなかった命令に不服従として彼らは裁かれたことになります。 従って、不都合な事実を隠蔽する必要のあった陸軍上層部としては、裁判は軍法の名のもとに非公開で一審即決、しかも弁護人も無しという"暗黒裁判"でなければならなかったのでしょう。こうして、青年将校2名の自決のあと、戒厳令下の勅命によって開かれた東京特設軍法会議は、19名に叛乱罪で銃殺刑の判決を下しました。 そして、反乱将校を全員処刑した上で、叛乱幇助として罪がもっとも明白であった真崎陸軍大将を何事もなかったように無罪としているのは実に納得のいかない事ですよね。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月26日
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今日で、『いざなみ日記』は開設666日を迎えました・・・。『666・・・ 今日、何かが起こる?』(聞くなよ!)リンクして下さっている皆様には、長いお付き合いをいただき本当にありがとうございます。 まずは、日頃の皆さんのご声援に心から感謝を申し上げます。(笑) ポチっとしてくださると喜んだりします。 ●どこか、とっても遠いところへ旅してみない?●
2007年02月26日
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姫路城の城内の上山里丸と呼ばれる広場の一角には井戸があります。この井戸が怪談の話しで有名な"お菊井戸"のルーツの井戸だといわれています。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 物語は、遡って永正二年(1505)年のお家騒動での出来事でした。 赤松氏の重臣で姫路城主だった小寺則職(のりもと)の執権青山鉄山は、花見の宴で則職を毒殺し、密かに城の乗っ取りを画策しておりました。 これにいち早く気づいた小寺家忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家の女中として送り込み、鉄山の陰謀を暴きます。しかし、鉄山は赤松氏の宿敵浦上村宗らの後ろ楯により則職を追放し、元信も城を追われてしまいました。 お菊は、それでも青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送り続けますが、ついに配下の町坪弾四郎に気づかれてしまいます。 以前から、弾四郎はお菊に横恋慕をしていたため、この事を盾にお菊に結婚を迫りますがお菊はどうしても首を縦に振りませんでした。腹を立てた弾四郎は青山家の家宝の皿十枚のうち一枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込んでしまいました。それからというもの、毎夜『一枚、二枚・・・』と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。その後、元信ら忠臣によって青山鉄山の一味は滅ぼされ、お菊は『於菊大明神』として十二所神社の境内にあるお菊神社に祀られたといいます。 お菊の物語は、江戸時代になると大阪で浄瑠璃『播州皿屋敷実録』となって上演されます。 その後、大正時代には東京でリメイクされて、江戸怪談話の『番町皿屋敷』として、芝居でも人気の演目となり今に至ります。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月26日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 姫路城の普請に尽力した城大工の棟梁 桜井源兵衛は、池田輝政による姫路城築城の折に、完成した天守から身を投げて自殺したといわれています。九年もの長い間、自分が寝食を忘れて普請に専念し、ようやく完成した姫路城でした。 そんな丹精込めて造り上げた城でしたが、源兵衛の目にはどうしても天守閣が巽(東南)の方角に少し傾いているような気がしてなりませんでした。 ある日、源兵衛が妻を伴って天守に登ると、妻に少し傾いていることを指摘されてしまいます。 女の目にすら分かるならば、きっと寸法が狂っていたに違いないと思い込み、源兵衛はその事を恥じて、愛用のノミを加えて天守から飛び下りてしまいました。実際のところ、姫路城はわずかに東南に傾いていたのを解体修理でも確認されていますが、これは寸法の間違いではなく、土台の石垣が東と西に重量沈下したのが原因でした。---------------------------------------------------さてさて、先頃ミサイルによる中国の"人工衛星破壊実験"で生じた破片は、数十年から数百年は漂うと思われ、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が打ち上げた災害状況を空から把握するための観測衛星『だいち』に、年間約38回衝突して損傷を与える可能性のあることが分かったそうです。各国が宇宙ゴミを減らそうとしている中、努力に反する行為。 何かといえば、日本を批判する中国は"地球上"だけじゃなく、宇宙でも他国を顧みず、マナー無視の"チンピラ野郎"です!この、中国のミサイル実験の成功に対して祝電を贈った馬鹿閣僚は、てめェ~とこのセメントで自分を固めて、東京湾にでも沈めばイイ。。。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月25日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 姫山の地に初めて砦が築かれたのは1,333年頃で赤松氏の時代といわれています。 赤松氏のあと、姫路城は西国の重要拠点として羽柴秀吉、池田輝政、本多忠政らが城を拡張して、現在の城の規模となったのは戦乱の世が落着いた1,617年のことです。 ちょうど延べ十三氏、四十八代がそれぞれ城主を務めた姫路城は、維新以降も戦塵にまみれることなく現在に至ります。『榊原騒動』 ~藩主と吉原の遊女 高尾太夫の数奇な運命~ 享保年間に姫路城主を務めていた榊原政岑(まさみね)は、ゆかた祭を始めたことでも知られており、本来信仰心が厚く真面目な城主でした。 けれども、日光代参の希望が幕府に聞き入れられなかったことに不満を持ちます。 ちょうど正室が早死にしたこともあって、政岑は次第に酒色に溺れるようになり、尾張藩主徳川宗春と共に吉原通いをした折に、花魁の高尾太夫に一目惚れして二千五百両もの大金で身請けしました。政岑は、高尾を姫路城に連れ帰って城内西屋敷に住まわせますが、この行状が当時倹約を推し進めていた幕府の知ることとなってしまうのでした。 政岑は糾弾されて二十代の若さで隠居を命じられ、榊原家も越後高田へ転封となって、高尾も政岑と共に越後高田へと下ったのでした。------------------------------------------------さてさて、与党も野党も、総選挙が囁かれるようになるとタレント議員の擁立合戦。 政権を、政策ではなく"人気投票"で保つとは、あまりにも情けないことです。 "郷ひろみ"に清き一票を投じる"馬鹿有権者"が、先の総選挙に続いて再びこの国の未来を真っ暗にするのでしょうか?『美しい日本』の次は、『エキゾチックJAPAN』?政治家のモラルの無さもさることながら、有権者の学習能力の無さにも呆れ果てて、涙も出ません。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月24日
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暖冬の影響もあってか、春めいた晴天に誘われて、姫路城を散策して参りました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 "姫路"という地名は、江戸時代の初頭に池田輝政が姫路城を造営して城下町を築いた頃の文献に見られます。神代の昔、大汝命(オオナムチノミコト)は、その子火明命(ホアカリノミコト)があまりにも乱暴者だったため、捨ててしまおうと島に置き去りにして沖へ出ます。 けれども火明命は船出に気づき、怒って風波を起こして難破させてしまいます。そのとき、難破した船と積み荷が流れ着いた場所に船丘、犬丘、筥(ハコ)丘、琴丘など十四の丘の名が付けられましたが、その一つ、蚕子(ヒメコ)の流れ着いたところが"日女道丘(ヒメジオカ)"で、姫路城のある姫山であると伝えられています。 こうして、姫路という地名は播磨国風土記の日女道丘に由来します。 世界遺産 国宝姫路城散策は明日に続きます。------------------------------------------さてさて、今年からわだつみは少し運勢が悪い年回りだとか。 案の定、暦が変わってから波乱の連続で少々ストレスを溜めております。いくら子育てが出来ない馬鹿親が増えているからといって、"赤ちゃんポスト"なんて設置しなきゃいけない国とは、いったいどれだけ堕落した国なんだ! ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月24日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 今、地球が涙を流しています。 あなたと、あなたの大切な人が暮らすこの大地が、悲鳴を上げています。 45億年もの長い歳月をかけて、この星は生命の揺り籠という役割を果たすことができるようになりました。 そんな、私たちにとってかけがえのない環境を、人類は産業革命以来、わずか200年で、死に追いやろうとしています。私には、守りたい大切なものがあるから。 だから、私はチーム・マイナス6%。あなたが、本当に守りたいものを守れなくなる前に・・・ ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月23日
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私の場合、遠い夏の日に想いを馳せれば、熊野川のせせらぎや本宮様の境内の蝉時雨、清川の流れで冷やした西瓜の味、段々畑で採った胡瓜やトマトの匂い、那智大社の火祭りの喧騒、心地良い竜神温泉の湯。 どれも懐かしく瞼に浮かびます。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 『ウォルター少年と夏の休日』 監督:ティム・マッキャンリーズ 出演:マイケル・ケイン、ロバート・デュバル、ハーレイ・ジョエル・オズメント他誰にでもある、遠い懐かしい少年の記憶・・・ 『ウォルター少年と夏の休日』という映画は、私が熊野で過ごした幼い日々の記憶と何故かオーバーラップして、とても心に染みる映画でした。 舞台はテキサスの田舎町。 父親のいないウォルター少年が、母親の都合でひと夏の間、預けられた田舎の家。 そこには遊び相手もいなければ、テレビもなく、あるのは広い大地と、頑固で無愛想な二人の大叔父と六匹の動物だけでした。この映画で、何よりユニークで可笑しいのは、何かというと銃をぶっ放したり、街の不良連中をブチのめして躾をしたりしてしまう、元気な二人の爺さんです。 名優マイケル・ケインとロバート・デュバルが演じる老兄弟のハチャメチャで型破りな人生哲学と男の美学、そして二人が少年に話して聞かすアフリカでの若き日の冒険物語は愉快です。人を信じることが出来なくなり、田舎の環境にもなかなか馴染めなかったウォルター少年でしたが、偶然見つけた色褪せた女性の写真から、物語は爺さんたちの若き日の追想へと繋がり、お互いに心を開いてゆきます。 頑固で無愛想だった大叔父のガースとハブと、心を開かなかったウォルター少年のひと夏の交流を通して、お互いが新たな生き方を見つけ出す姿を描いた、心温まる映画でした。たまにはこういう映画で、涙を拭いてみるのも良いかも知れませんよ。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月22日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 こうして見ると、今シーズンの一連の異常気象は日本だけのことじゃないのですね。 イギリスでは、12月にオタマジャクシが泳いでマツユキソウが咲き、イタリアはスキー世界選手権を延期し、フランスのリゾートでは1月に海水浴。 ロシアのサンクトペテルブルグではフィンランド湾が凍結しなかったため、ネバ川が氾濫。 チベットは1月に22.8℃を、ニューヨークでは22.2℃を記録して桜が咲いたとか。そういえば、先週、渡津神之森(ワダツミノモリ)に山躑躅(ヤマツツジ)が咲いているのをみつけました。 本来ならば、下草のシダも枯れているのが当たり前の時期ですが、この冬の暖冬傾向がどれほど深刻で、生態系への影響がどれほど大きかったかを物語りますね。 四季が失われるということは、美しい景色が見られないとか、桜が冬に咲くというような問題だけでは済まされないことです。 温暖化がもたらす海面の上昇は、南洋の独立国を海に沈め、森や緑を奪って砂漠化を引き起こし、飢餓や災害を呼びます。 温暖化は人類の滅亡を意味するかも知れない問題なのです。--------------------------さて、一昨年は肺癌と診断されて一時は覚悟して仕事をリタイアしましたが、療養の末に癌は消滅。 昨年は、長年の無理が祟り、膝と足首のダメージが悪化。 おまけに胆石で数度のダウン。 秋になると、今度は健康診断で大腸癌の疑い濃厚だと・・・ でも、これも笑い飛ばして無視してたら、またしても癌は退散。 わだつみよりも、地球の方がよほど危機的な状況で、沈み始めた船なのかも知れません。(苦笑) ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月21日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 この冬の暖冬は、私も未だに経験したことがなかったくらい深刻なように感じています。 春夏秋冬という四つの季節の巡りと暮らしのシーンよって、味わい深く育まれて来たこの国の文化は、まさに四季が生み出した文化です。 それ故、四季が狂い始めた兆候は寂しくもあります。仏を連想させる名の野草が、いつも咲いてくれているというのは有難いことですが、本来、花の時期が3月~6月であるはずの仏乃座(ホトケノザ)が、この地方がいかに温暖地であるとはいえ、越冬して花を咲かせているのを見ると、生態系への影響が危惧され、少し複雑な気持ちになります。春は桜を愛で、夏には風鈴に耳を澄ませ、秋には紅葉に和歌を詠み、冬には雪化粧を楽しむという四季のある暮らしは日本の宝です。 もしも出来ることなら、この国の彩り豊かな季節の移ろいと多彩な民族文化を、変わらぬままに次の世代へと手渡したいものですね。『ホトケノザ』科目:シソ科 オドリコソウ属 1年草または2年草学名:Lamium amplexicaule L. 開花期:3月~6月英名:Henbit Dead-nettle別名:三階草(サンガイソウ) ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆早春の南近畿を歩く旅、そんな息抜きの旅をしませんか◆
2007年02月20日
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『飛騨国阿古白川と云所は、在家三百余軒の所なり、其時の地しんに、高山一つ欠け落ち、白川三百余の上に落懸りて、数百人の男女も三丈計の下に成、在所の上は草木もなき荒山とぞ成にけり』(三壺記より) ポチっとしてくださると喜んだりします。 国道156号は、かつて白川街道と呼ばれた道です。 御母衣ダムを過ぎ、平瀬温泉を抜けて北に向かい、国道から西には三方崩山(2,059メートル)、東に猿ヶ馬場山(1,827メートル)を見て、しばらく走ると右手に山頂近くが大きく崩壊したような山肌を見ることが出来ます。 これは、帰雲山崩壊地だといわれており、国道からも生々しい崩壊跡が見てとれます。 (三河戦国記HPより)それは、今から400年余り前のことです。 世界文化遺産にも登録される、合掌造りで有名な白川郷には、寛正六年(1465)、戦国時代、飛騨白川郷を統治した武将内ヶ嶋為氏が築いた"帰雲城(かえりぐもじょう)"という山城がありました。 天正十三年(1585)、秀吉の命を受けた金森長近が飛騨に侵攻しますが、三代目城主の内ヶ嶋氏理は、あっさりと金森氏に恭順して所領安堵を沙汰されたそうです。 こうして、戦国の世を切り抜けたかに見えた内ヶ嶋一族でしたが、1588年の天正の大地震によって帰雲山が頂上付近から崩落し、発生した山津波に呑み込まれて一族は帰雲城もろとも一夜にして滅亡し、城下の領民1,500人も全滅したといわれています。 また、土砂が庄川を堰き止めたため自然のダムが出現し、以降400年もの間、城の位置さえも正確に判らず放置されていました。 したがって、城の絵図や内ヶ嶋氏の資料なども一切残されていません。白川郷一帯には、昔から七つの金山があったといわれ、内ヶ嶋一族は120年間に渡って金を採掘し、帰雲城に蓄えていたと伝えられています。 内ヶ嶋氏は、古くは足利氏の銀閣寺の建立に際して黄金を献上、織田信長の安土城築城、豊臣秀吉の大阪城築城にも大量の黄金を献上したとされます。伝説通り、近郊の山々から採掘された金が帰雲城と共に埋まってしまったものとすると、その量は約2兆円とも推察されています。 数百年もの時の流れの中で、人々に忘れ去られていた幻の城は、こうして黄金の伝説と共に、にわかに注目を浴びるようになりました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月19日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 久し振りにこういう事すると、嫌が上にも目の衰えを感じてしまいます。 昔は、250ヤードくらいの距離なら、スコープも使わず裸眼で全弾速射黒点に命中できたのに・・・最近では、小銃ならスコープを必要とするし、長距離になると三脚も必要だし、拳銃の方でも速射すると何発かは中心を外してしまいます。 やはり歳には勝てないもんですね。あ! "名誉"のために付け加えておきますが、わだつみは決してヤバい裏稼業の人ではありませんからね。(笑) これからは、女性の"ハート"を射止めることに専念するとしましょう。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月18日
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わだつみの大好きな俳優は、アンソニー・ホプキンスとジャック・ニコルソン。 どちらも優れた俳優で、主演、助演、ヒーローに悪役、オトボケ、何でもござれの個性派スーパースターですね。 もう随分前でしたが、アンソニー・ホプキンスの『羊たちの沈黙』で演じたレクター博士の異様さは絶品だったし、『シャイニング』のジャック・ニコルソンの霊が乗り移った異常者の演技には脱帽しました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 二人とも、かなりスゴ味があって個性の強い名優ですが、威厳と品格を備え、それでいて何処となく可愛らしくもあり、ユーモアに富んでいるのが魅力です。アンソニー・ホプキンスは、ウェールズ出身のイギリス人で実家はパン屋さん。 品と威厳のあるアンソニーホプキンスのハマり役は"ハンニバル・レクター博士"ですが、あのディープな猟奇的イメージに反して、アンソニーは意外にもベジタリアンだそうです。 1993年にはナイトに叙勲されており、今では名実ともに現代を代表する名優の一人です。 そんな、アンソニー・ホプキンスの主演最新作が話題の『世界最速のインディアン』 。ストーリーは、ニュージーランドに暮らすバート(アンソニー・ホプキンス)の夢は、伝説のバイク"インディアン"でライダーの聖地アメリカのボンヌヴィル塩平原で世界記録に挑戦すること。 年金暮しの彼は倹約に励み、隣家の少年の協力も得て廃品を利用してバイクの改良を試みるが、なかなか渡航費まで手が届かない。 監督ロジャー・ドナルドソン、出演アンソニー・ホプキンス、ダイアン・ラッド、ポール・ロドリゲス、アーロン・マーフィ他。(シネマトゥデイ一部引用)前評判がなかなか高いこの映画、まだ観てないんですが、是非観ようと思います♪^^一方、ジャック・ニコルソンはアメリカ・ニュージャージー州生まれ。 父がアル中で、幼い時に両親が離婚し母親に育てられます。 1969年、他に役者が見つからなかったという理由で出演した『イージー・ライダー』でアカデミー助演男優賞にノミネートされ一躍脚光を浴び、一気にスターとなります。 そんなジャックの最新作は『ディパーテッド』 。 この映画は、金曜日に課長を誘って観にいったけど、この映画でのジャックの役はイカれたマフィアのボス。 役の脇役なのにジャック・ニコルソンの存在感は相変わらずスゴい! なかなか素晴らしい出来の映画でしたよ。さてさて、"男の顔は履歴書"なんて言葉がありますね。わだつみも今年で47歳となり、"顔"も含めて自分のキャラクターが固まって来る年頃です。 職場のスタッフや周囲の人には、いったいどんな印象を持たれているんでしょうね。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月17日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 ここしばらくは、まるで修行僧のように節制をしているものですから、週末や休日だけは少しだけ欲望に身を委ねて、奔放な食生活を送ることにしています。(疑ってる人は誰?)でも、今週は色々と多忙で肉体的にも精神的にも疲労が蓄積している状態なので、ここらでスタミナをチャージ。 「焼き肉かステーキが食べたい!」それも、どうせなら安物の肉じゃなくて松坂牛とか近江牛、但馬牛、飛騨牛、佐賀牛なんかの、まぁ銘柄は何でもイイんですけど上等な肉が食べたくなりました。 時々、衝動的に"肉"を食べたい"欲求"って起こりませんか? なので今夜は仕事帰りに食事して、ついでに温泉にでも浸かって参ります。 ところで、日記のタイトルに騙された人、正直に手を挙げて。 ウシウシウシ。。。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月16日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 御家老は、自分が近所の女子大生にもらったチョコをわだつみに食われたので、ご覧の通り"ご立腹"のご様子でございます。 だって、お返しするの御家老じゃないでしょ! ウッシシシシシ~♪ところで、最近じゃブログは手軽な情報発信や交流の手段ですが、世の中広いもので、こんな面白いブログを発見。 是非見て笑ってくださいまし。 皮肉な大爆笑のブログは、下(↓)のタイトルをクリックすると見えます♪^^ ●ジョージ・ブッシュのブログ ●フガフガ・ラボ(George W. Bushism ブッシュ妄言録)追っかけ日記こうして注意して見てると、国際政治も十分笑いネタになりますよね。。。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月16日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 大量破壊兵器があると騒ぎ立てられ、米・英のエゴにボコられたイラクはどうなるのか? 独立国を、まるで植民地であるかのような扱いをして、米国内ではイスラム各宗派と民族に沿った3分割案や、分割した連邦制度による住み分け案まで勝手に起案されてたり。 確かに、イラクを含めた中東情勢の安定のためには、それも一つの方法とはいえ、あまりにも米国のご都合主義を優先した分割では、英仏による身勝手な中東分割の歴史を思い起こさせます。 フセイン政権崩壊に伴う宗派対立、国家分裂の危険性は湾岸戦争時も論議の対象になった経緯はあります。 父親のブッシュ大統領はというと、クウェート解放後はイラク軍の深追いを避けました。 しかし、これを"未完の戦争"と批判していた"ネオコン"たちに背中を押されて、"バカ息子"が戦争をはじめたというのが真相です。 しかし、そもそも戦争に"完成"など必要なのか? そして占領の後、案の定泥沼にドップリ足を突っ込んだバカ息子を救うため、父親政権時代の重鎮たちが無い知恵を必死に絞っているというのが今の現状でしょう。なぜ戦争前に、良識ある意見や忠告に耳を傾けず、大量破壊兵器があるだのと、あとでバレるガキのような嘘で塗り固めてまで戦争をしたんでしょう? 戦争をはじめた理由は極めて単純。 ネオコン勢力の利権に他なりません。 アメリカ大統領といえども、いくらなんでも『石油が欲しいんだも~ん!』なんて、勝手な論理が通るわけもないですもんね。 だから、イラクのフセイン政権を口実に、戦争する理由をこってり作り込む必要があったんですね。私たちが何よりも忘れてならないことは、ブランド・スーツを着て紳士面した"ネオコン(糞野郎)"の金儲けに世界が踊らされ、イラクでは数万とも、十数万とも、数十万ともいわれるイラク人が殺された事実と、戦場で多くの若いアメリカ兵が死体袋に詰め込まれ、今もなお見殺しにされている真実です。-------------------------------------バレンタインデーの夜に、自宅に戻る綺麗に包装したチョコレートがあったので聞いてみると、近所の女子高生たちから御家老がもらった物らしいのです。 手ぶらで帰宅したわだつみは、犬以下かい! ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月15日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 チョコ浮かれ 世に吹く風も吹き分かれ 苦難の淵に立つ人もあり (わだつみ愚歌)バブル不況から、持ち直しつつあるとはいえ、この国には"格差の問題"が立ちはだかっています。 これは、市場原理に基づくとして構造改革を断行した結果、至るところに広がり、"ヒルズ族"や"セレブ"などとマスコミが囃したてるにモテ囃されるにわか金持ちが注目される一方で、学校にも行っておらず就職もしていないニートが急増、また、雇用現場ではフリーター、パートなど非社員と正社員との格差の拡大が進んでいます。 選挙前になれば、綺麗事だけを並べる政治屋。 報道権利だけは主張して国民は堕落・麻痺させるマスコミ。 弱者の血を吸い尽くすごとき金融機関・・・ 政府発表や報道ではない、格差の実態はどうなのか? 格差の現実をどう考え、どう向き合っていくというのか?中高年の雇用対策、少子高齢化社会の在り方などについて、『上(かみ)御一任』ではなく、民衆の一人一人が目覚めて考えるべきだと確信。 あなたの未来は、他人事ではないのです。政府や企業にイイようにされてる日本国民は"馬鹿"なのかか? "ドM"なのか? ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月14日
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teapottoさんから頂いたバトンは何バトン??? まぁ、とにかくはじめてみましょう。。。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 (1)今まで食べたもので、それはそれは美味しかったモノ?中国人料理人に教わった通りのレシピで、自分で作ってみた東坡肉(とんぽうろう)。 まさかと思うほど旨かったんですが、きっとまぐれだったんでしょうね。。。(2)今まで食べたもので 泣きたくなるほど不味かったモノ?噂には聞いていたけど、恐ろしくマズかった知人の奥さんの肉じゃが。 元々、肉じゃがってそんなに好きでもなかったんですが、アレが未だにトラウマです。(3)小さな頃なりたかった職業?悪代官。小学生の頃でしたが、祖母の影響で時代劇を見てると、なんだかあの小ワルさが憎めなくって。。。 それに、大して大儲けもしていないのに最後は切腹させられたり、捕らえられたりしているのを見ると、『世の中には、もっと悪い奴らがいっぱいいるのに・・・』と、子供心に同情もしました。(爆) せっかくなので、今日はわだつみのお得意の東坡肉(とんぽうろう)の起源についてです。 今から約千年前のこと。 宋代の有名な詩人で、官吏でもあった蘇東坡(そとうば)の名前に由来しています。そんな、蘇東坡が地方の行政官だったときのことです。 ある日、彼は客人を招待するため、豚のもも肉を料理しようと大鍋に入れておきました。 ところが、彼が物書きに夢中になっているうちに、いつしか3夜4日に及んで、気がついて大鍋を見ると、豚肉がすっかり水を吸って膨らんでしまっていたのです。 蘇東坡は肉を捨てて作り直そうかと思ったのですが作り直す時間もなかったため、恐る恐る味付けして食べてみると、余分な脂が抜けていて、ことのほか美味だったということでした。 これが、東坡肉(とんぽうろう)=豚角煮の始まりだといわれています。--------------------ところでteapottoさん、このバトンは何バトン? ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月14日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 映画『さくらん』より最近、活気を取り戻して、数々の名作を送り出している日本映画界ですが、その中でも気になっていて、是非観たいと思っているのが『さくらん』という映画です。 何が気になるのかというと、プロ写真家が監督を手懸けた作品であるため、映像のシーンの一コマずつに、写真家の鋭い感性と豊かな色彩を見ることが出来るからなのです。 それに、ここしばらく続く傾向で原作が人気漫画という作品は着想が豊かで面白い作品が多いですよね。 映画『さくらん』予告より< ストーリー >華やかな江戸の町でも一際異彩を放ち、男と女の求めるすべてが存在する吉原でした。 そんな、吉原遊郭の玉菊屋に桜が満開の中、大門をくぐる八歳の少女が、やがて吉原一の花魁へと変身して行くというセンセーショナルなサクセス物語です。この映画、主人公のきよ葉を演じるのはカリスマモデルから、最近ではNHK教育『イタリア語講座』、アルバム『Pisces』をリリースするなど幅広く活躍する土屋アンナ、監督は写真家の蜷川実花で、安野モヨコの漫画の原作をもとに、一般社会とは隔絶された吉原という世界にいながらも自分の意志で力強く生きる遊女たちの姿を鮮やかに描いています。-----------------------日本に生まれた私たちは、もっとこの国の文化と歴史に触れて、自分の国を知るべきだとわだつみは思います。 『雨あがる』、『武士の一分』、『大奥』など、ここしばらく続く時代劇映画が、そんな日本人の感性と自国文化への愛着を呼び覚ましてくれることを祈ります。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月13日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 映画『墨攻』を観てきました。 物語は、趙(ちょう)と燕(えん)の国境に位置する小国の"梁"は、燕に侵攻しようとする趙の大軍に脅かされていました。 梁王に乞われて、若き墨家の革離(かくり)が梁の城防衛のために命賭けで働きます。 敵の先遣部隊の出鼻を挫き、わずか四千の城兵を率いて勇猛な十万の趙軍を撃退し、攻め滅ぼされる不安に怯えていた城内は、一変して勝利に湧き立ちます。しかし、次第に民衆や城兵の中に革離の人気が高まるにつれ、梁王は革離が自分の地位を奪い、梁の国を我が物にしようとするのではないかと疑心を抱き、『墨家の革離に謀反の心あり』として命を奪おうとします。 例え、命を賭けても決して見返りを求めないという墨子の教えの崇高さは、時にはこうして疑いの目で見られることもあるのですね。優れた思想も、人の心の中に宿る闇の部分にまでは届かないのでしょうか。 少し、切ないラストシーンでした・・・。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月12日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 昨日から、母の手伝いで蔵の中の祖父と曽祖父の遺品の整理をしていました。 曽祖父の遺品はと言うと、さすがに幕末期に生きた人らしく、"長持"の中身は小太刀に裃と袴、それに陣羽織と家紋入りの陣笠。 明治新政府時代には、従五位男爵の叙位を受けて陸軍近衛少将を拝命していたため、勲章とかも色々。一方、わだつみが尊敬していて、大好きだった祖父の場合は、アメリカ留学経験や欧米での海外生活が多かったためか遺品もかなりお洒落で、中にはジーンズまでありました。 海軍大佐だった祖父は欧米にも友人が多かったので、戦時中はきっと複雑な心境だったことだろうと思います。 そんな祖父の遺品の中に、一つだけ武人の一面を窺わせる物をみつけました。 大日本武徳会会員の小さな白いバッジです。"大日本"と付くと、今の人にはまるで"右"向いてる人に思えますよね。祖父と我が家の名誉のために、少しだけ説明しておきます。大日本武徳会とは、仁義礼智信の"五典五条"の徳心を養うため、心身の練磨に努めることを命題としています。 国際平和を希求して、現在は民族の枠を超えて世界数十カ国の会員が修行に励んでいる団体で、古流武術団体として古い歴史と伝統を受け継ぐ活動を続ける団体です。 ”武徳”とは、文字通り武士の徳で、『謹厳にして廉恥を弁え、堅忍不抜の心境で善たるを旨とし、諸悪の是正に努める』という精神で武道を極め、慎ましく生きる精神を養うことを本文としており、天皇陛下の威光を無断で悪用して私欲を貪る右翼や標榜暴力団とも一切無関係なら、戦争を美化したり、戦争犯罪を肯定したりする団体でもありませんので念のため。。。----------------------------母に頼んで、祖父の遺品から祖父がインドでハンティングした『虎の爪』と『バッジ』とイニシャルイリの『オイルライター』と『小さなポケットナイフ』とを、御裾分けして頂きました。 わだつみの剣術のセンスと珈琲好きは、きっと祖父のDNAなのでしょうね。 生前、珈琲好きだった祖父の遺品を眺めながら飲んだ珈琲は、なんだか特別な味がしました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月10日
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あじゅ子さんから名指しされたバトン・・・バトンの名前はないのかな? ありがとうございます。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 【バトンのルール】 1.バトンを回す5人の方々を日記タイトルに書いて驚かせて下さい。 2.回ってきた質問には、素直に等身大の自分で答えましょうw 3.やらない子はお仕置きです!!w 4.ルールは必ず掲載しておいて下さい。 ---------------------------------------------- ★お名前は? わだつみ判官。★おいくつですか? 企業秘密。(何故?)★ご職業は? 企業秘密。(それもかい?)★資格は持ってる? まぁ、それなりに色々と。^^★今、なやみが何かありますか? いっぱいありますよ。★あなたの性格を一言で言うと? 一言でいえる性格じゃないです。★誰かに似ていると言われた事ある? プロフィールの源頼朝像。★動物占いの動物は何だった? やったことないので。。。★社交的?人見知りしちゃう? 自慢じゃないけど、人見知りはかなり激しいです。★人の話はしっかり耳を傾ける? 道理に適うお話ならいくらでも。★ギャンブルは好き?嫌い 生きてる事がすでにギャンブルです。(爆)★好きな食べ物飲み物、嫌いな食べ物飲み物 好き= キャビア、ウニ、明太子、イクラ。(卵系ばっかりかい?)嫌い= 納豆、チーズ、ヨーグルト。(発酵系ばっかりかい?)★彼氏・彼女にするならこんな人が理想(5つ) 1、とりあえず、笑顔の絶えない人。2、機転の利く人。3、才能豊かでセンスの良い人。4、人を思いやれる人。5、感性豊かな人★親友と呼べるお友達は何人いる? 1人。(天国だけどね。)★彼氏・彼女と喧嘩をした時、自分から謝れますか? 別に彼女でなくとも、自分に非があれば誰にでも謝ります。(コレって普通でしょ?)★バトンを回してきたあの人のことは正直○○だ。 才能豊かで優しくて、面倒見の良くて、きっとかなりの美人だと思います。★何人家族ですか? 4人(父母と、御家老)。★ペットは何を飼ってる? 庭の池にメダカの一族が。★これの為なら1食抜ける!! ホビーや絵を描いてるときなんか、完全に食事は忘れてます。★趣味特技 写真、映画鑑賞、DIY。★好きなブランド アルマーニ、菱屋。★今行きたい場所 芦原温泉。★もし自由に使える10万円あったら何に使う? 部下と豪遊します。★将来の夢 庵に篭って、水墨画に明け暮れること。★その夢の為に何かしていることは? 悪代官と化して、稼ぐ算段を。------このバトン、ネタ的にちょっと滑ったか。。。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月09日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 岐阜と長野の県境にある、木曾御嶽山の火山活動が活発になっているなんてニュースがあります。 昨年末から1月8日までの間で、山頂付近で微小な火山性地震が約1,200回観測されたそうで、国土地理院も地殻変動を観測したそうです。 気象庁では、『山頂付近は、水蒸気爆発が起きる可能性もある』と注意を呼び掛けているとのこと。 日本は地震と火山の国、いつ何が起こるか本当に解らないものです。気になる温暖化の話題では、日本でもっともポピュラーな温州ミカンは、年平均気温15~18℃が栽培適地で、現在は九州から関東の太平洋沿岸が中心です。 ところが、10年当たり0.37℃の気温上昇がこのまま続くと、2,010年代には栽培地は日本海側に移るとの見方があります。 リンゴでは、東北の平野までが栽培が困難になり、国内では北海道域だけが栽培適地となる見込みだと言います。 紀州の紀国屋文左衛門が活躍した江戸時代から、僅か300年ほどでこの有様とは、人間がいかに自然に対して無茶をして来たかが解りますね。 ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月08日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 MSNのニュースによると、地球温暖化に関する最新の分析と予測を集約する国連IPCCは、21世紀末に地球の平均気温が最大6.4℃、海面は最大59cm上昇すると予測すると最新の報告書をまとめたといいます。 これは、当初より上方修正された数字となります。報告書は、大気や海の平均気温の上昇や雪氷の融解などの現象を根拠に"地球温暖化は疑う余地がない"と指摘。 産業革命を境に、二酸化炭素(CO2)とメタンがそれぞれ1.4倍、2.5倍に急増したことを挙げて『1750年以降の人間活動が温暖化の一因だと強く確信した』と分析しています。 このまま温暖化が進めば、今世紀後半までには晩夏の北極海の海氷がほとんど消滅する恐れがあり、台風やハリケーンが巨大化・強力化し、猛暑や熱波、豪雨の頻度が増える可能性がかなり高いと伝えています。 今後IPCCでは、社会・経済や生態系に与える影響を予測、必要な対策を報告書にまとめ、5月の総会で採択される見込みです。人は死ねば、二度と生き返ること同じで、自然環境も限界点を越えて破壊が進めば、その破壊は加速化されてしまい、二度と元通りになることはありません。 また、IPCCの今回の報告も、地球環境が崩壊する限界点には達していないという、いわば希望的観測をベースにしてデータ分析をしているため、近い将来、人類の想像を遥かに超える気候変動が一気に起こる可能性もあるのです・・・さて、今日の写真は鬼野罌粟(オニノゲシ)の花です。 この鬼野罌粟は、ヨーロッパ原産で明治時代に日本に渡来した帰化植物ですが、本来の開花期は4月~10月なのです。 この写真は、今日の午後に撮影しましたが、この辺りでは昨年末から畑の畦で開花しています。『鬼野罌粟(オニノゲシ)』科目:キク科 ノゲシ属 1・2年草 開花期:4月~10月学名:Sonchus asper (L.) Hill英名:Spiny sowthistle原産:ヨーロッパ 帰化種 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の早春を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月08日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 昼休み、珈琲飲みながら猫を見ていて、ふと気がついた。 猫って、三十回繰り返していってみな♪ ネコ、ネコ、ネコ、ネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネ???どぉ? 世の中、なんでも"コネ"ってことに気がつくでしょ。(かなり乱暴な理屈?) ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の早春を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月07日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。 世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。この有名な文は、鴨長明(かものながあきら)の『方丈記』の書き出しの部分です。 鴨長明という人は、平安時代の末期の歌人で賀茂下社の禰宜の出身で和歌所に勤めた人でした。 方丈記の書かれた背景は、度重なる天変地異と飢饉や疫病、そして政変が頻発し、人々の心には、先行きの不安が重く圧しかかった平安末期の混沌とした時代です。 長明と同じ頃、平清盛、源頼朝、源義経、木曽義仲、法然上人、藤原定家、西行法師らが活躍し、時代の風は、ちょうど平家の栄華から壇ノ浦の平家の滅亡へ、そして後の鎌倉幕府の成立へと大きく吹き荒れて、貴族に代わって武士が台頭する移り変わりの端境期でした。 方丈記は、こんな過酷な時代を後世に書き残した、いわばドキュメンタリー色の濃い貴重な文学であり、同時に"乱世"をいかに生きるかという人生哲学でもあるのです。 方丈記の前半は、富小路から出火し、大極殿をはじめ約二万戸を焼失した安元三年(1177)の京の大火と、治承四年の辻風(大竜巻)、清盛の福原遷都の経過、養和の飢饉、元暦の大地震などが"相次ぐ災厄"として記されており、後半では晩年に過ごした日野山の"方丈(一丈四方)の庵"での穏やかな日々が綴られています。長明自身の目で見て、自らの感覚で捉えた時代の変化と、平安京の都の様子と、人々の暮らしが生々しく記録されています。 こうして、明快で流麗な文体で描かれた方丈記は、八百年もの時を経て、優れた古典文学としての一面だけでなく、平安末期を綴った壮大な歴史パノラマとして、今に通じる自然災害の悲惨さと乱世に生きる人の在り方を伝え、現代人に警鐘を鳴らしているような気さえします。干時、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にて、これをしるす。(方丈記 結び) ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の早春を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月06日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 夜でもなく、朝でもない静寂の中に、滲んだ墨灰色の空と、鈍い鉛色の海が広がる。まだ、僅かながら悲愴な暗闇の余韻が残り、新しい希望の朝が、未だ弱々しく、命を暖める陽の光が、力を誇示出来ないほんのひと時の時間。 街路には灯が残り、さっきまで寝息を吐いていた街が、ようやく目を覚まそうとする時間。 一日の始まりを、こんな所から始めてみると、見慣れた風景も、何故か異なって見える。立春を越えたばかりの、何処か切な気な肌寒い朝には、煎れたてのブルーマウンテンの香りがよく似合う・・・。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の早春を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆center>
2007年02月05日
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【墨守(ぼくしゅ)】とは、絶対に守り抜くと言う意味の言葉で、墨家の活躍に由来する言葉として残されています。 墨家とは、国の防衛のプロフェッショナル集団で、師である墨子は、この世の中から民衆を苦しめる戦争をなくすことを願いつづけた人物だったといわれています。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 (※画像は映画『墨攻(ぼっこう)』公式ページより)【不攻】とは、己から決して攻めないこと。【他愛】とは、己の敵すら愛し、命を尊重するということ。【 任 】とは、己を捨てて天下に奉仕し、人に尽くすということ。敵対と憎しみが渦巻く戦乱の時代にありながら、"不攻"と"他愛"、そして任が墨子の教えの中心で、"見返りの無い施し"が、墨子の理想を実践するための理念となっているのが、大きな魅力です。墨子は、科学に精通し、春秋戦国時代初期の頃に活躍した思想家だといわれ、ほぼ同じ時代の儒家の孔子が支配者や貴族的見地で思想を確立したのに対し、墨子の思想には皇帝も奴隷もなく、人は平等との考えを主張し、権力者よりも庶民の側に立った価値観を多く唱えています。この墨子を師とした学団を墨家と呼びます。墨子の思想活動の目標は、天下の飢餓や戦乱、凍死などから民衆を救い、諸侯の憂いを救うことにあり、階級や貧富で差別をすることなく、広く平和の実践を目的としていました。 墨子は、魯の国を中心に活動しましたが、二代目の指導者の頃になって思想的統一と学団の方向性が確立されます。墨家は、学問集団でありながら、同時に守城術や兵法を極めた武装集団の一面を持っており、墨子の”不攻の教え”により、特に防御部隊の育成に力を注ぎました。 三代目の孟勝(モウショウ)の頃になると、城を守りきれなかった弟子は自害したといいます。こうして、墨家の精力は人心を捉えて拡大し、戦国時代には儒家と天下の思想を二分するほどの規模となり、墨家は三派に分かれて"天下の顕学"として強大な勢力を誇りましたが、秦の始皇帝の天下が確立すると、墨家は忽然と歴史から姿を消してしまいました。 それは、思想的根幹が権力者の目線で国家の治世を説いた儒家に対して、墨家の教えの中には、皇帝と奴隷の区別もなく人は平等であるとし、民衆の目線で天下の安泰と庶民生活の安全の確立を説いていたことが、権力者には"極めて不都合"なことであったためなのでしょう。墨子の思想は、今の日本の政治家と官僚に、一番必要な思想の一つですね。 墨子や墨家に関する本は読みましたが、現在公開中の映画『墨攻(ぼっこう)』も、観たい映画の一つです。-----------------------------------------------------------------昨日の節分は"墨子の不攻の教え"に従い、御家老との無益な争いを避けるために、恵方巻きは事前に半分っこして食べました。さてさて、いざなみ日記は、只今ブログ村”哲学ジャンル”でも第6位となっています。 いつも、誠にありがとうございます! ポチっとしてくださると喜んだりします。
2007年02月04日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。 予想された寒波も何処へやら。 渡津神之森の麓には陽光に照らされて、水仙(スイセン)が咲き乱れています。水仙の花の名は、もともとは、古典に登場する美しい精霊について記された『仙人ハ、天に在ルヲ天仙、地ニ在ルヲ地仙、水二在ルヲ水仙』の古文に由来し、中国名の"水仙"を音読みしてスイセンと読んだものです。 其(そ)のにほひ 桃より白し 水仙花 (松尾芭蕉) 学名であり、また水仙の英名でもあるNarcissus(ナルシス)は、古代ギリシャ神話に登場する、水面に映った自分の姿に恋をした美少年の名前で、繊細で美しい立ち姿が美を連想してしまうのでしょうか。 水仙も種類が色々ありますが、今一番人気があるものは、日本水仙(ニホンズイセン)だそうです。日本では、雪中でも花開いて春を告げてくれることから別名で雪中花(セッチュウカ)とも呼ばれますが、優しい水仙の芳香は、確かに麗らかな春を連想させますね。今朝は久し振りに水筒に珈琲を入れて出掛けました。 なだらかな丘を中ほどまで登り、畑の畦に座って飲む珈琲は、漂う水仙の芳香が少し混じり、早春の趣がありました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の冬を味わう旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月03日
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てっきり寒くなって、雪でも降ると覚悟(むしろ期待?)してたら、おっと肩透かしを喰らいました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 午後に、ちょいとクルマで出掛けると、なんとものどかな光景が広がっていたりしたもので、缶コーヒーを買って、菜の花を見ながら日光浴をしてしまいました。 こちらはこんな感じの一日でした。 『寒波は? 雪は何処へ?』小さい秋ならぬ春を見つけたと、素直に喜んでイイやら悪いやら。 "地球温暖化"、恐るべし・・・ ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の冬を味わう旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月03日
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春なれば 梅も待ちなん鶯も いまだ鳴かずは 心もどかし(わだつみ判官愚歌) ポチっとしてくださると喜んだりします。 昨日までの"暖冬"が、まるで嘘のように寒くなりそうです。 どこかで居眠りしてて寝過ごしたのか、"おっとり刀"の慌てようで"冬将軍"がやって来るようです。 御家老はストーブの前でまるくなっています。(猫かお前?)去年、ほんの1回だけ仕事で使ったままで、今年は出番がなかったスタッドレスさんは、冬将軍のお出ましにワクワク気分。 でも、きっと出番の無いまま、桜が咲きそう。それでも、地域によっては、不意の大雪や凍結が予想されていますから、十分注意してくださいね。 週末は御家老とお留守番。昔馴染みの漁師のあーちゃんが鰤を釣って、持って来てくれるというので、一緒に刺身を肴に、手酌で"熱燗"でも呑みますか。喧嘩とお金が大好きな"米屋のオヤジ"も、"ひ弱なお坊ちゃま首相"も、今じゃあ支持率が致命的ダウン。 今週は特に、人を機械扱いした"薬局の呆け爺"には呆れたですね。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆寒い日の夜更けは、こういうのに限りますね!◆ ◆わだつみ判官の日本酒セレクション 飛騨の銘酒づくし◆ ◆日本の冬を味わう旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月02日
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雪の兼六園のイメージを胸に描いて訪ねた金沢でしたが、今年はモロに温暖化の影響を受けたか暖冬で雪もサッパリです・・・ ポチっとしてくださると喜んだりします。 兼六園というと、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ。 江戸時代の大名庭園の様式を見ることができる、非常に貴重な文化遺産です。 兼六園は、大正11年に国の名勝に指定され、昭和60年には名勝から特別名勝へと格上げされています。 兼六園が築庭される前は、初代加賀藩主の前田利家が、一時菩提寺と祈祷所の寺を建立しますが、その後、老臣たちの屋敷建設のため寺は移転されています。 二代目藩主利長の頃は、城に面した傾斜地に、明から招いた学者"王伯子"の屋敷などが建てられました。慶長六年(1601)、二代将軍の秀忠の娘珠姫が前田家へ輿入れの際には、珠姫のお供たちの住まいとして江戸町が造られていますが、珠姫の没後に住人が江戸へ戻ると、江戸町の長屋は全て取り壊されて、跡地には城内から作事所が移されます。 兼六園の築庭は、五代目藩主の前田綱紀が、作事所を城内へ戻して別荘を建てた頃からのようで、城に面した傾斜地を庭にして『蓮池庭(れんちてい)』と名づけたのが始まりだったと伝えられており、当時は観月や観楓などの宴を楽しむ歴代藩主や重臣たちの清遊の場として、大いに活用されたといいます。 宝暦九年(1759)、蓮池庭は突如の大火で焼失してしまい、十一代藩主 治脩(はるなが)が、安永三年(1774)から2年をかけて翠滝、夕顔亭、内橋亭を造営して庭を復興しました。藩政時代も半ばを過ぎた寛政四年(1792)、治脩は藩校『明倫堂(めいりんどう)』と『経武館(けいぶかん)』を創建。 続いて十二代藩主斉広(なりなが)が藩校を移転して文政五年(1822)には、その跡地に自らの隠居のための『竹沢御殿』を造営し、斉広に頼まれた知故の間柄で奥州白河藩主松平定信が『兼六園』と命名したといいます。更に斉広の没後、豪華な竹沢御殿は跡継ぎの十三代 藩主斉泰(なりやす)によって何故か取り壊され、代わりに池を掘り広げるなどして、隣接した蓮池庭と一体化した巨大な大庭園が完成しました。折りしも、それは維新が目前に迫る嘉永四年(1851)頃のことでした・・・。さてさて、ついに2月となりました。 相変わらず、超激務でバタバタしておりますので、皆さんのところへの訪問やレスは遅れますので悪しからず。。。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 ◆日本の冬を味わう旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか◆
2007年02月01日
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