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130828(WED)晴れ。 ホーソン作曲の名曲「希望のささやき」は、歌詞もホーソン作詩のようである。しかしまだ調べる必要がある。そうしてこの歌詞の日本訳詞についてはよく知られるとおり二人の訳詞がある。津川主一(1896-1971)によるものと緒園凉子(おぞのりょうし)によるものだ。 我々の童謡・唱歌・叙情歌愛唱会では津川主一の方を歌っている。「女声合唱曲集 合唱賛歌『歌うよろこび』」(伊東嘉樹編 ドレミ楽譜出版社)によったのだが、歌詞の一部に疑問を生じた。歌詞は著作権のことがあり載せられないけれども、2番の最初の「あたりたそがれて、ゆうべとなれば」の「~ゆうべとなれば」は、多くのものが「ゆうべせまれば」としてある。 『歌うよろこび』の間違いなら「~せまれば」に直せばよいことになるが、youtubeで歌っている合唱団は「~となれば」としていた。 どちらが正しいのだろう。もう少し調べたいと思う。
2013.08.28
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我が国の女性の社会進出は20年前のアメリカ程度である、というようなことを言っていました。すると、アメリカに遅れること20年に過ぎないのか、となります。20年が,かなりのものなのか、たかだか20年であるのか,は知りません。 要は、アメリカでも女性の社会進出がアメリカ開拓史と同時であったわけではなく、長く男性社会であったことが分かるのです。 グレゴリオ聖歌(Grerorian chanto英)をイタリア語で canto gregoriano というだけのことでした。4枚組1050円のCDはいろいろ教えてくれます。 グレゴリオ聖歌は、「ローマ・カトリック教会の伝統的な単声典礼聖歌。ラテン(西方)教会の代表的典礼様式であるローマ式典礼の本格的聖歌として、キリスト教的古代から現代にいたるまで用いられている。」(「新訂標準音楽辞典」音楽之友社) グレゴリウス聖歌がバッハ、モーツアルト、ベートーヴェンと発展して「運命」に結晶した運命にあったわけではないのでした。 単声典礼聖歌はCDを聴いても分かりますが、男声ばかりで女声がないのです。これをもって教会音楽でも男声(男性)社会だったということなのでしょうか。 仏教のお経はグレゴリオ聖歌に似ています。お経も、葬式などのそれだけではなく、本山で挙げられるお経に似ています。これらは一般の我々が聞くことは難しく、閉ざされているようです。その意味からしても、NHKが過去に中継していたお彼岸などの際の法要は復活していただきたいものです。宗派を選ぶのが難しいというのでしょうか。それなら、家元によって分かれている茶道も止めるべきです。 特定の宗教に偏らない、などの大義名分をかざす理由はないのです。それなら、西洋音楽でも少なくとも教会で行われるミサ曲やレクイエムなどは放映すべきではありません。 ありませんというより、逆に何でも幅広く放送していただきたいのです。 ザルツブルグの教会で、カラヤン没後10年を記念して演奏された、アバド率いるベルリン・フィルによるモーツアルトのレクイエムなどは宗教儀式そのものです。この放映は素晴らしかったです。 今のNHKは、キリスト教は良くて仏教は駄目という仕分けになっていませんか? あるいは、お経の価値を認められる人材がNHKにいない不幸を視聴者に押し付けているだけでしょうか。 仏教から音楽が生まれるのは、西洋音楽に遅れること何百年かは分かりませんが、グレゴリオ聖歌を聴いていると、やがてはお経から人類にとって偉大な音楽が生まれる可能性は十分にあるといえます。 グレゴリオ聖歌は3枚目を聴いています。
2008.02.23
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この間、ようやく見付けて購入した手帳。表紙は黒で西暦で年が入っていて、その下に小さい文字で(キャピタル・レター)EXCELLENT PERSONAL SCHEDULE と書いてある。長年この手帳を使っているのに気が付かなかった。 その手帳によると今日は13日の金曜日。キリスト教では嫌うと聞くが、仏教になると今日は喜ばれる大安だ。小さくても情報は結構の量だ。 この間、数本まとめ買いしたコンビニのボールペンで真っ黒に塗りつぶしたい。しかし、手帳の使い方は恐ろしく下手だ。自慢にはならないが白で残る部分が多い。もう少し書き込めるはずだ。頑張ってみよう。
2018.04.13
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121020(SAT)晴れ。 唱歌「霧」の曲は変ロ長調、4分の4拍子。歌詞にぴったりよりそった名曲だと思う。歌詞はまた野山の朝霧と町中の夜の霧を描き、どちらにも人影が去来する。尋常小学校でこんな唱歌を歌えた時代は間違いなく誰もが幸せであっただろう。 霧 文部省唱歌一、しらじらと、 朝霧野山をこめて、 月のごと、日輪ほのかに浮かぶ。 野路(のぢ)を行(ゆ)く人影ただちにきえて、 けたたまし、もずの音(ね)、 こずゑはいづこ。 谷間よりはひ出で、木の幹ぬらし、 しらじらと、 おぼろに朝霧流る。二、しめやかに、 夜の霧ちまたをつつみ、 立ち並ぶ家家(いへいへ)、ともしびうるむ。 影のごと、人去り人来る大路(おほぢ)、 ほろほろと聞ゆる笛の音(ね)いづこ。 窓ぎはにはひ寄り、 ガラス戸ぬらし、 しめやかに、 ひそかに夜(よ)の霧流る。 (「新訂尋常小学唱歌(第六学年用)」昭和7.12)
2012.10.20
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20231102THU 空狭き都に住むや神無月 夏目漱石 山本健吉編「季寄せ 下」を見ていたら漱石のこんな句に出会った。漱石は凄いなあ、と思っていたら「彼岸過迄」をいつ読むんだとせがまれた。来年の彼岸までには読もうと思ったら、「風車小屋だより」はどうするんだとドーディが云う。例の1軒しかない本屋からさっき電話があって、頼んでおいた本が来たから早く取りに来いとのことだ。 マキタの掃除機は軽くて非常に使いやすい。隅の方をやっている時に明るく照らす仕掛けになっていて助かった。以前に買った分で吸引力が落ちてしまったのを粗大ごみに出すその日にちを忘れないようにしなければいけない。300円のB券をコンビニで購入して貼り付けるのだそうである。「明治の唱歌 Ⅳ」を楽天に依頼した。もう本は買わないと決心したのに、どこかでちょっと間違えた。 山本健吉編「季寄せ 下」の季語「十一月」には「冬にはいる月で、暖かい小春日がつづく」とあった。明け方など結構寒いのに夏日が予想されているほどだ。。。。。。。
2023.11.02
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