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>私が言いたいのは、確かに当時の教会が「猫も杓子も献身しろ」って感じだったのは事実だと思いますが、それじゃあ当時教会に(ビデオセンターなどを通じ)繋がり、主(メシア)を明かされたところまで行った人達の殆ど100%が「献身者」になったのかって事なんですが?私の「実感」としては「そうではない」http://blogs.yahoo.co.jp/yukitti000/59453915.htmlって感じるので。僕が、言いたいのは、あくまでも、いわゆる献身トレーニングをでた段階の話ですよ。主を明かされた段階では、半分くらいの人が、その場で”サヨナラ”しましたし…いわゆる新生トレーニングでは、イサク献祭で躓いて、サヨナラする人も多く見ました。いわゆる実践トレーニングには、実践についていけず、そこでサヨナラする人もいたと思う。まあ、その段階で離れた人は、教会の問題よりも個人の問題が大きかったように思う。まあ、献身しても、マイクロでは、いつの間にか、いなくなった人も見た。眠いのでここまで。つづく。
2012.02.27
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にほんブログ村この団体は、コンプライアンス教育が全くなされていないのだろうと思う。昨今のコンプライアンスといえば、法令遵守だけではない。その組織、団体が社会に対して、信頼を裏切らないように業務を行う。つまり、この団体が高い水準の理念や厳しい倫理基準を追求することだ。(まあ、そういっても無理だろうけど…)何のことを言っているか分からない人たちもいると思いますが…最近の情報化社会の中で、コンプライアンス違反を起こせば、途端に廃業に追い込まれてしまう。普通は、それを恐れているのだ。だいたい、一般社会では、ネットやブログにその職場の中傷などを書くと解雇されてしまう場合もあるようだ。(これもどうかと思うのだが…)こう考えると、統一教会の現役信者と自称して、ネット上で、いろいろな人の悪口、中傷、侮辱などを書いた場合…どうなるのだろう???統一教会という看板を背負っていることを自覚しないといけないのではないかなと思うよ。(自分が言うのもどうかと思うが…)一般の人が、たまたま見たら…これが、統一教会員なのかと思うだろう。うわさで聞いた通りだ。納得。納得。ってなるのかな。まあ、正体隠して伝道に勤しんでいたので…そのクセが抜けないのかもしれません。その人は、自分の所属(正体)を明かして、ブログを書いているのだから…もっと、緊張感を持って書いてほしいものだと思う。単なる、日記ではなくなっていると思うよ。多くの一般大衆の目にさらされているという自覚が必要だよ。まあ、これは、あくまでも僕の独り言ですから、コピペは勘弁してくださいね。普通ね。コピペってさあ。その内容に、うん。納得。っていうか、同調する場合に限って許されると思うよ。反対ならば、スルーしてよね。つづく。
2012.02.27
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にほんブログ村自称現役信者の”ゆきっち”さんは、自主脱会の人たちを精神疾患と罵りながらこきおろして…さらに、ご自分は何様のつもりか知らんけど…臨床心理学を学んだのか知らんが…学者気取りとは…それにしても”真の愛の実践者達が、このようだと…(これ、僕の心の声)まあ、心の偏りがあることは、認めよう。これは、仕方がないことなのだ。若いときにカルトにはまってしまって、貴重な時間を食いつぶしたから…何もできなくなってしまったのだ。そう、高度な事はできなくなっているのだ。今朝の読売新聞にも、”若者雇用対策手付かず”という見出しがおどる。この中に、非常に興味深い一文があった。”若者を長く失業させると、人生の取り返しがつかなくなる。”我々にもこれに近いものがあるだろう。それから、”人生のすべてをかけて献身したのでは?”と仰る人がおりますが…あの時代、ネコも杓子も献身する時代。その他の選択肢なんてなかったように思うが…よほど家庭問題が大きければ…別だけど。戦時中の特攻兵が特攻を拒否できないように…そのような重苦しい雰囲気の中で、皆、献身を決意していくのだ。献身しないなんてありえない世界だったように思う。献身しないなら、”しっく”じゃないということだ。それに、6500双までの祝福はすべて、献身者だ。まあ、学生も一様資格があったようだ。それとその当時の既成家庭は、それこそ、基準がすご過ぎて…ここでは、止めておこう。そういう背景の下、あの教祖文氏の自堕落ぶり…こりゃあ…もう、どうよ。この喪失感!!これは、もう、何もかも捨てて献身した人にしかわからないだろう。そう、社会的な地位から、親、兄弟、友人、何もかも捨てたのだ。身ぐるみはがされた状態から、ずうーーと活動だけしてきた人にしかわからないだろう。たぶん、あの人には、わからないだろう。言うだけ無駄でしたね。つづく。
2012.02.26
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先日、冷蔵庫を見たら、鮭フレークが2ビン…何か、嫌な予感がしたので…ラベルを見たら…”やっぱり”そう、あの”ハッピー●●●の文字。こんなの市場にまだ出回っているんだと思い驚いた。”なぜ、こんなの買うの?”と聞いたら…”おいしそうだから…弁当に入れるのにいいから…”の返答。うーーん。まあ、仕方がないかな。つづく。
2012.02.26
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先ほど、”ゆきっちのやこぶ日記”を見ていたら…どうも、僕は、精神疾患ということらしい。僕の親もそうらしいのだ。何でも、ゆきっちさんは、短大時代に”臨床心理”を勉強したようです。その~勉強した、ゆきっち先生によれば、僕は、境界性人格障害になるらしいです。そうならば、何とか、障害者年金でももらえないだろうか…そのように取り計らってもらえないだろうか。まあ、もらえるわけないか。仮に、精神疾患だったとして、”法的精神疾患”には、なかなかなれないだろう。普通に働いて、税金を払っていれば…難しいか~いや、”カルト脱会者救済法”みたいな法律ができて、脱会者には、一律給付金がもらえるようになるとか…まあ、無理だろうね。まあ、統一教会の中には、かなり精神を病んでいる人が多くいたように思うが…真面目な人は、精神がおかしくなるだろう。少々ちゃらんぽらんな方が、うまく生きれるものだろう。また、誰が見ても、教祖の文氏は、認知症を発症しているのに…一部の信者の人は、認知症ではないと言い張っている。このあたりは、どうなんだろう???ここからは、ゆきっちさんのブログを引用しちゃうね。(と言いながらも、自分が書いた部分も多く含んでいるのだが…)↓↓↓ボーダー(境界例)の理由… >僕らは、そう、教会人と普通の人の境界人なのかもしれない。どちらの言い分も相対してしまう自分がいるのだ。どちらか一つの世界だけに属するのではなく…常にボーダーの上に身を置いて…あれこれ考えてしまうといったところか。 くううう…これって、もう病気的な感じかもしれない。http://plaza.rakuten.co.jp/silverlining/diary/201202250000/この元信者の人が「自分はボーダー(境界性人格障害)なんでは?」って感じてるのって…それって「教会を離れた元信者」とは言ってるけど言ってる事や考えてる事は現役食口と全く同じ…「隠れ食口」みたいな人なんだからなんじゃないの~?とは感じるんですが…。http://blogs.yahoo.co.jp/yukitti000/62815465.htmlまぁ、この人は自分の事を「善人」で「親の教育が間違ってなかったお陰」で教会から抜け出る事ができたって思いこみたいようですが…。>ある有名ブログ主のように、教会人や脱会者とわず、人の悪口を書いて、気分をスッキリさせるといったような行為すらできない。そう、根が善人なのかもしれない。これは、幼少期の教育が間違ってなかったのであろうと思う。この点は、親に感謝したい。だけど統一教会に嵌って献身までしてマッチングで結婚までして?、その後教会を不信して批判はしてるけど本質的には「現役時代」と同じ事を繰り替えしてるだけの人生(のように客観的には見える)なのって…そうやって全ての(不幸な)事は「他人に責任がある」「自分は騙された善人に過ぎない」って意識が根底にある人なんだからなんじゃ?って気もするし…だけどそれってこの人の「親の教育」がどこかで間違ってたって事だとも思うし、確か親がボーダー(境界例)だとその子供ってよっぽど人生を転換するような事がないとボーダーになるとも聞いた事があるし…(短大の時の臨床心理の授業で)。この人も途中で真の御父母様の事を不信せずに最後まで信じることが出来たら、その親子間連鎖…ボーダー(境界性人格障害)の輪から抜け出ることが出来たのかもしれないのに…とは思ってしまいました。注意:これはあくまでも私の客観的考察で「悪口」のつもりはありません。↑↑↑はい。ここまで。さて、ゆきっち先生は、これを客観的考察とおしゃっておられますが…皆様は、どのように感じますか。僕は、ここで、はじめて、”境界性人格障害”ということを知りました。ゆきっち先生は…何となくですが、目の前にあることをすべてゆがめちゃうのではないだろうか。そして、全部自分の都合のよい解釈ができるような思考回路が出来上がっているのかもしれません。こうなると、怖いものなしです。そこにあるものさえ、見えなくなる。見ないふりじゃなく、実際に見えなくなる。要注意:これは、あくまでも僕の客観的考察で、「悪口」のつもりはありません。しかし、人によっては、捉え方がまちまちだから…気分を害するかもしれません。先に謝っておきます。”ごめんなさい。”
2012.02.25
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にほんブログ村皆様、おはようございます。今日は、シトシトと雨が降り続いております。最近は、いろいろ考えさせられることが多く…”北風と太陽”さんの記事”荒野をさ迷う統一教会の自主脱会者”を読むと…むむむ…そうかもしれない。と感じた次第だ。特に、以下のセンテンスだ。↓↓↓一度は人生をかけ、信じてやってきたことを、否定せざるを得ない世界で、脱会直後は自分の居場所がない世界、家族や友人のいない世界が突然あらわれる。嘘だと頭で理解していても、「堕落」世界に足を踏み入れ、荒野に一人たたずむ恐怖は、自主脱会した体験者しかわからない。↑↑↑そうかもしれない。僕らは、いつの間にか自主脱会したのだが…僕の親は、いまだに疑いの目を投げかけている(?)そう、入信以前の状態には、もう戻れないのだろう。『ほれみろーーいわんこっちゃない』そんな雰囲気を感じるのである。そして、この話題には、お互い触れないように努めている。僕らは、そう、教会人と普通の人の境界人なのかもしれない。どちらの言い分も相対してしまう自分がいるのだ。どちらか一つの世界だけに属するのではなく…常にボーダーの上に身を置いて…あれこれ考えてしまうといったところか。くううう…これって、もう病気的な感じかもしれない。そうだ。この世の飲み会に行っても…なかなか話が合わない。自分をさらけ出すことができない。ある有名ブログ主のように、教会人や脱会者とわず、人の悪口を書いて、気分をスッキリさせるといったような行為すらできない。そう、根が善人なのかもしれない。これは、幼少期の教育が間違ってなかったのであろうと思う。この点は、親に感謝したい。”人生に起こることがどのようであるか”は、結局は、”それをどのようであると認識するか”であるから…自分がこうだと思う現実の中で生きていきたいと思う。しかし、これまでのことを思い返して検証する作業は必要だろうな。あのアベルは、あんなふうだったな。こんなこともあったな。そう、起こったことをすべて客観的にとらえ直す作業だ。普通の人なら、こんなふうに思うんじゃないだろうか…と。傍からすれば、びっくりする内容でも…僕の範疇から外れているものあるからだ。そう、あらゆることを美化している可能性があるということだ。全部、自分の都合の良いように解釈しているかもしれないということだ。つづく。
2012.02.25
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日本は、法治国家ですから、犯罪者は入国できません。あしからず。さて、昨今、統一教の現役らしき人は、お父様の入国が…とか、おしゃっておられるようですが、そもそも、普通の善良なる外国人ならば、ウエルカムですよ。なぜ、入国できないか?それは、その国が問題ではなく、その人に問題があるのですよ。いわゆる出入国管理法によれば、該当する部分を抜粋しますよ。↓↓↓第五条 次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。 四 日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者。ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りでない。 ↑↑↑ つまり、あのアメリカでの脱税でしたっけ、ダンベリー収監が一年を越えていたと思うのだけど…
2012.02.18
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文氏の家系については、実際は、精神病の家系だったらしい 。…ということらしいのだが…あの”幸せってなんだろう”という歌を作詞した(?)人…野村健二先生の著書にこういうものがあるらしい。↓↓↓野村健二統一思想研究所所長が1975年に書いた 『文鮮明先生の半生-血と汗と涙』という伝記より 「文少年の十五歳の頃、 わざわいはさらに文少年自体の家にやって来た。 二番目の姉さんが発狂し、 上を下への大騒ぎをしている時、 兄さんまでが精神異常となった。 ふだんは大人しい性格なのに、ばか力を出し、 自分に従わぬ者は殺してしまうとどなって、 屋上に飛びあがったり、飛び降りたり・・・ 仕方なく手錠をはめたら、 監視の目を盗んで手錠のまま逃げだし、 はては怪力で手錠を壊してしまうという始末、 文家の人々はこれはただごとではないと悟り、 勧められてキリスト教に入信した」 文鮮明の少年時代について初期の幹部は説教の中でこう述べている 「先生は、十二、三歳まではバクチの選手だった。 よくやった。これは男の気質に合う」 これは、まともな少年時代ではない!( ←これは、恐らく、筆者の感想かな?)16歳の復活祭の朝にイエスが出現して 「2000年前の私の使命が全うされていない。 未だ罪の中から苦しんでいる人類を救ってほしい」 と言ったと主張している これが、またもや疑わしい というか、大嘘と断言できる (←これも筆者の感想だろう。)--------------------------------------------------------------------------------[匿名さん]-2010/12/17 16:19 --------------------------------------------------------------------------------http://bakusai.com/thr_res/ctgid=119/acode=6/bid=98/tid=1331929/↑↑↑うーーむ。これを読むと…血統的にメシアになる資格があるのかどうかは…凡人には知る由もなく…そもそも、メシアになる人物の血統は、品のある血統でなくてもいいのかもしれませんが…このあたりは、”ちゃぬさんのブログ”で学ぶとするかな。それにしても、キリスト教に入信したのが15歳くらいで、16歳には、イエス様から使命を継承してほしいと懇願されて…うーーむ。このあたりは、本人の証言しかないので、判断もできないのだが…ここは、一つ、常識的な感覚は捨てて、飛躍して考えてみるか。さて、幸せって何だろう?あの歌の歌詞は、ほとんど忘れてしまったが…幸せって云うのは、それを感じる人のそれぞれの価値観によって、変わるものだと言う事だけはわかる。さてさて、ある本から少し引用する。(少しアレンジしちゃった~)↓↓↓”とにもかくにも空腹が満たせるということ。他愛のない会話を交わして笑いあえるということ。ほんのささやかな満足をもたらしてくれる言葉を投げかけてもらえる相手がいること。折に触れて微笑みあうことのできる時間・・・そんなふうな、小さなものの寄せ集めこそが、ひとが幸福と呼ぶものの本質なのかもしれません…”それ以上を望もうとするから苦しくなる。…あって余禄、なくて当然と思ってちょうどいい。
2012.02.13
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ある人に二人の息子がいる。ある日、弟息子が自分の分け前をくれと言いだしたので、父は財産を兄弟二人に分けてやった。すると、弟はそれから幾日もたたぬうちに、自分のぶんの財産を持って遠いところへ旅立ってしまった。しかし、彼はやがて放蕩に身を持ち崩し、財産をつかいはたし、おまけに飢饉のために飢え死にしそうになる。とうとう彼はこれまでの行いを深く悔い改め、父のもとに帰ってこう言おうと心に決める。「お父さん、私は天に対してもあなたに対しても罪を犯しました。もうあなたの子と呼ばれる資格はありません。どうかあなたの雇い人にしてください」ところが父親は、帰ってきた息子を大喜びで抱きしめ、使用人に命じる。「急いでいちばん良い服を持ってきて、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れてきてほふりなさい。食べて祝おう。私の息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなったのに見つかったのだから」そして祝宴を始めるのだ。祝宴が始まったところへ、畑で働いていた兄が帰ってきて、事情を知るなり激しく怒りだす。「私は長年、ずっと父上に仕え、一度も言いつけに背いたことすらありません。でも父上は、私が友人たちと祝宴を開くためには、子ヤギ一頭だってわけては下さらなかった。それなのに、あなたの財産を全部を失って帰って来た弟には肥えた子牛をつぶしてやるのですか」すると父はこう答えるのだった。「おまえはいつも私と一緒にいる。私の全てはおまえのものだ。しかし、弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだ。祝いの宴を開いて皆で喜び合うのは当たり前ではないか」…『放蕩記』p37~38より…これは、聖書の中の有名な話の一つだ。礼拝の中でも引用されることが多いように思う。この話の中のお兄さんの立場、父の立場をよくよく考えてみる。不公平と言えば不公平なのかもしれませんが…この兄の立場は、ある意味”正直者はバカを見る”と言う事か…兄が怒るのも無理はないと思うが…弟が、自分の愚かさからお金を使い果たし、ひどい目にあうのも自業自得だろう。悔い改めたなんて、口では何とでも言える。この後、弟がどのような生活を営んだかが、書かれていないので、何とも判断がつかない。兄のように日々まじめに働いて尽くし続ける方がずっと大変だし、ずっと偉いのではないか…とも思う。しかし、この聖句の解釈は、どうにも腑に落ちないことなんだけども…普通は、兄は間違っているということだ。自分がどれだけ恵まれているかも考えず…ようやく父のもとに戻ってきた弟の事を喜んで迎えてやることができなかった。何とも小さな人物ですね。しょせんは上辺だけの心が伴ってなかった。ということですね。それでは、全く意味がない。神は、そんな形ばかりの信仰を喜ばないということだ。まあ、聖書の話は、神様がわざと不公平を示し、信仰や忠誠心をわざと試す(?)場面がよくでてくるのだけども…
2012.02.12
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なかなかおしゃれな街だ!!先日、ここら辺りを散歩したのだが…。カルチャーショックを受ける感じだ。ふと、思い出したのだが、昔、知り合った女性は、広尾に住んでいるといったかなあ…連れの女性は、広尾と言えば…といいながら、その当時、広尾に住んでいるということがある意味”憧れ”だったような時代だった。今、恵比寿の街が華やかな感じがした。さ~てと…ヱビスビールを飲みたくなった。
2012.02.11
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