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まさか今頃になって、気付くなんて本当に遅すぎるけれど……。 毎日の駐車場の売り上げの計算をする時、わたしは千円札を勘定する。 大抵、百枚は超える札を一瞬にして勘定できるのは、元金融機関出身だからだ。 入ってすぐ所属されたのが出納課だったので、札勘はお手の物。 こんなに時を経た後に、再び札の勘定をすることになろうとは、本当に分からないものである。 わたしは、父のコネで入った。 父の言うことには逆らえなくて、いやいや勤務した金融機関だったのに、そこで七年も働いた。 わたしを信用して預金をしてくださる顧客に恵まれ、それがきっかけで始めたのが生け花だった。 最初はお付き合いだった生け花が、いつの間にか自分の中ではなくてはならないものとなり、それを十二年間も続けられたことは、本当に幸せだった。 わずかな空間の中に、今でも花を生けるという行為が出来るのも、毎日の仕事の札勘が苦なくできるのも、あの時の父のおかげなのだった。 若い頃に修行したものは、忘れないものである。 特に生け花は、単なる技術だけではなく、しっかりと作法も躾けられた。 今でもあの頃に教わったことが役に立ち、父からの何よりの贈り物だったことに気付かされる。 目上の人に接する時、大事な客人を迎える時、人を招く時。 恥をかく事のない程度に振舞えるということは、本当に貴重である。 今、心から父に感謝している。 今頃気付くなんて、きっと父は笑っていることだろう。 それでも気付いたのだから、「父さん、ありがとう」と言いたい。
2007年02月18日
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ここのところ、ずっとざわざわしていた。 どんなに嫌なことがあっても大抵一晩眠れば解決したわたしを、得たいの知れない不安が襲う。 ぼんやりしていても、仕事をしていても、ふと気がつくと胸中を暗雲に包まれたような、ものすごい違和感。 打ち消しても、深呼吸しても、一向に直らない。 足元からさらわれて、今のささやかなものが崩れ去ってしまうような、そんな不安が後から後から襲ってくる。 不安が不安を増長し、また新たな不安となって、わたしを包み込んだ。 何だろう。この得たいの知れないものは。 わたしは、勘が強い。 良くないことが起きる前、必ずざわざわした。 だから、不安が広がった。 何度も何度も打ち消したけれど、それは突然やってきた。 ああ、嫌な勘だけは働く。 だけどまた、この難問に立ち向かうしかない
2007年02月15日
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急に思い立って午後の陽射しの中を、姉と鎌倉を歩いた。 感性が似通っているので、わたしが案内する北鎌倉を彼女は本当に喜んでくれる。 だから。 もうすぐ訪れる春爛漫の、桜やハナカイドウのピンクと真っ青な空とのコラボの素晴らしさも見せてあげたいと思った。 先月わたしが訪れたばかりの明月院。 紅白の梅が満開だった。 そして何より嬉しかったのは、大好きなクリスマスローズがあちこちに花をつけていたこと。 「母さんのクリスマスローズ、今年は咲いてないわ」 と姉がつぶやいた。 わたしには、突如実家の庭に母がその花を植えていた時の情景が浮かんだ。 「大好きなの。とっても素敵な花が咲くわよ」 母は嬉しそうに、株分けしたその苗を玄関前のトクサの隣に植えたのだ。 間もなく、蒼みがかった赤紫色の花が咲いた。 母の言った通り、本当に清楚で素敵な花だった。 季節が巡り、わたしも家を出た。 母の死後、帰郷するたびにそのクリスマスローズを探したのだけれど、見つけられなかった。 ところが母の十三回忌の折、偶然にもその場所にクリスマスローズは芽を出していた。 わたしは嬉しくて、それを姉の家の庭に株分けしたのだった。 「そう。何で咲かないのかしら?そんなに弱い花じゃないと思うけどね」 足元のクリスマスローズは、真っ白の花をつけていた。 白も嫌いじゃないけれど、わたしはやはり母が愛したあの蒼みがかった赤紫色の花が好きだと思った。 わたしは、どうやら亡き母の好きだった花が全部好きらしい。 クリスマスローズ(キンポウゲ科)@鎌倉:明月院
2007年02月13日
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今、切に思う。 わたしは、自分の身の丈にあった暮らしぶりでありたい、と。 だから、細心の注意を払いつつ、日々を過ごしたいと思うのだけれど、 その思いとは裏腹に、うんと背伸びをしている自分に、愕然としてしまう。 せめてわたしが出来ることは、丁寧に暮らすことなのかもしれない、と背筋を伸ばす。
2007年02月12日
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上京中の姉を案内して、小田急線鶴川にある『武相荘』に行ってきた。 午前中から晴天に恵まれ、絶好の散策日和だった。 わたしは何度来ただろうか。 指を折ってみると、すでに片手がグウになった。 何故かいつもこの時季に来ることが多く、椿と紅梅くらいしかデジカメの被写体がない。 石仏を撮ったり、竹やぶの奥にひっそりと咲くピンクの椿を収めてみたり。 そんなことより、白洲正子の大ファンである姉を案内できて、何より嬉しかった。 姉はかなり満足しているようだった。 わたしは、隣接しているショップにて、今年の目標である『毛筆で美しい文字を書く』の参考に、一冊の本を購入した。 白洲正子著『私の百人一首』である。 毎日一首、毛筆で書き写すだけの作業で、どの位の効果があるか分からないけれど、試みてみようと思い立ったのだ。 幼い頃、お正月の遊びの中にあった百人一首は、母の読み上げる声と共に蘇ってきた。 姉の話によると、わたし達は負けず嫌いで、かるたの枚数の多少でよく喧嘩をしていたそうである。 意味も解せず、それでも母の口調を口真似て記憶していた百人一首。 この年になっても忘れていないものだ。 記憶を辿りながら、一首、一首確かめてみては、姉と顔を見合わせた。 三時を回った頃、少し冷たい風が出てきた。 まだまだゆっくりとしていたいところであるけれど、やっと重い腰をあげて家路を急いだ。
2007年02月11日
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忘れないで、今年もおめでとうメールが届いた。 年に二度だけのメール交換日は、わたしの誕生日と彼の誕生日だ。 それで互いが元気で頑張っていることを確認し合うのだ。 彼の名前はM君。 高校のクラスメイト。 もう互いはすっかりおじさんにおばさんだけど、気持ちは今でも高校生だ。 また頑張らなきゃ。 と、勇気が湧いてくる。
2007年02月10日
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台所のタイルにこびりついた汚れを拭った。 みるみるうちに、飛び散ったソース類のしみが取れた。 床は、別な雑巾でぎゅっぎゅと拭いた。 朝の、とても忙しい時間にも、つい家事に手を出してしまう。 妙な性分なのだと、ふとおかしく思うけれど。 これがわたしなのだから。 日々を、真面目に暮らしていれば、きっとそれほど道を外すことはないだろう。 今朝も、相変わらず寸暇を惜しんで、雑巾を使う。 洗剤で何度も洗ったあとの、真っ白な雑巾を干して家事の完了。 さぁ、仕事へでかけよう。
2007年02月09日
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昨日、今年三回目の鮟鱇鍋を食べた。 この冬、わたしは完全にこれにはまっている。 会社の同僚と河豚を食べようということになって、足を運んだ店が要予約だった。 仕方無しにその近辺の店に入って食べたのが、鮟鱇鍋だった。 あんきもは食べたことがあっても、鍋となると初体験だったが、思いのほか美味しかった。 そして何より河豚よりうんと安いのが良い。 一気に雑炊まで走って、ああ美味かったーとなる。 我々が美味しいを連発すると、気を良くした店主は必ず一品サービスに運んで来る。 昨日は、牛タンの味噌漬けだった。 又、これがたまらなく美味しかった。 わたしは満面の笑顔を店主に返す。 店主は、本当に嬉しそうな顔をする。 美味しいものを提供した方もされた方も、本当に幸せになる。 美味しい物は、幸福の橋渡しだ。
2007年02月08日
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大嫌いな言葉。 「~だったら」「~であれば」 できることなら、言い訳をしないで生きていきたいと思うから。 「たら・れば」が好きではないのだ。 でも、実際の暮らしの中には、言い訳することばかりが目に付いて。 ちょっと悔しくて、悲しい。 わたしは、確かに強い。 雑草みたいに、そう簡単には枯れてしまわない。 一見、枯れかけたように見えていても、思い切り根を伸ばし地下水を吸い上げてしまうくらいの、バイタリティが満ち溢れている。 だからだろうか。 弱きものに腹が立つ。 何より、自分自身に甘いやつには腹が立つ。 どうして挫けない強い心に育たないのだろうか。 自分を甘やかしてどうするの? もっともっと自分の内面と対峙して欲しい。 そうすれば自ずと答えが出てくると思うから。 だから若者のじれったさには、怒りを通り越して情けなく思う。 これって、実は娘の話なのだけれど……。
2007年02月07日
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昔。 姑と同居していた頃。 若くて亡くした彼女の長男の命日と誕生日を、とても大事にしていた。 そして今日は、一昨年先立った三男の誕生日だけれど。 自分より先に逝ってしまった息子たち。 どんな思いだろう。 三人の息子のうちの、二人に先立たれては、悲しみを通り越すのだろうか。 そんな彼女のように。 わたしも今日は、こうして亡き元夫の誕生日を思う。 ただ、誕生日だったという事実を……。
2007年02月06日
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思い切りはしゃぐ月。 寂しい月だから。 別れた夫が末期がんと分かり入院した月。 その彼の誕生月で、わたしの誕生月。 「ごめん。最後まで責任取れなくて」 「なにさ、卑怯者。わたしの人生の責任を取ってよ。わたしの人生を返してよ」 わたしの口からは、彼を責める言葉しか出てこなかった。 誰も居ない、緑色の非常灯だけが光る待合室で、わたしはただ号泣した。 彼はわたしの背中に大きな手を当ててさすった。 それしか出来ることがないといった風情で……。 でも本当は、一番辛くて悲しいのは、余命を宣告された彼自身のはずだった。 それなのにわたしは、先に逝ってしまう彼を恨めしいと思った。 彼が不覚にもわたしに与えてしまった現実を、飲み込めていなかった。 胸の奥から込み上げてくる、悲しみや悔しさ、辛さにあてがう術がなかったから。 悲しみは、一年、一年と薄らいで行くけれど。 わたしの中の悔しさは年々増して行く。 だから。 二月は、はしゃぎ月。 彼とわたしの。 そんな月。
2007年02月04日
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暦の上だけではなく、今日は本当に春のようだ。 ベランダには布団が並び、竿には洗濯物が満艦飾。 こんな日をずっと待っていたのだけれど、案外早くやってきた。 暖冬のおかげであろうか。 でも、冬は寒いもの。 その冬がこんなに暖かいと、作物や自然に、そして地球全体に悪影響を及ぼす。 大丈夫かなーと不安になってしまう。 草花も樹木も、きっと本物の春だと思って狂い咲きするだろう。 いつか暖冬と言われた年の、早春の鎌倉を歩いたことがあった。 少しずつずれて咲く花が、どれもこれも一斉に咲いていた。 まさに百花繚乱な眺めであったけれど、やはり自然のルールを守って欲しいと、密かな自己都合を感じた。 今年は、この時よりもっと暖冬だという。 それでもこんな暖かな日は、不安を払拭し太陽の恵みを感じて嬉しくなってしまう、我が侭なわたしなのである。 春、万歳だ。
2007年02月04日
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人はそれぞれで、幸福を感じるのも様々。 わたしはどんな時にそれを感じるかと言うと、本当に些細で恥ずかしいくらい。 例えば。 山盛りあった洗いものをあっという間に片付けたとき。 埃だらけだった部屋の空気が、きーんと澄んじゃうくらいにきれいになったとき。 部屋中から洗濯物を集めて洗ったとき、干したとき、取り込んで畳み終わったとき。 なんとも些細で些細で、恥ずかしい。 でも、忙しい月末の仕事をすべて片付け終えた今日のような土曜日は、本当に幸せだと思う。 朝から、眩いくらいのお日様を浴びて、掃除も洗濯も何もかも終わって、音楽が流れる部屋でこうしていられるひとときが、たまらない。 生きていて良かったなーと、しみじみ思えるから。
2007年02月03日
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今朝は、父のことばかりが浮かんだ。 何でだろう?って思っていたら、今日は父の命日だった。 長女を実家で出産したわたしは、随分長い間実家でのんびりさせてもらった。 父は長女を「ヒメ、ヒメ」と呼び、可愛がってくれた。 ぎこちない手で、抱っこもしてくれた。 そんな父の様子が急変し、長女が生まれて半年後に他界した。 とりわけ寒い、如月の夕刻に、父は旅立った。 救急車のストレッチャーに正座して、「ここにはもう戻れないだろう」とうな垂れていた父の姿が今でもわたしの脳裏に浮かぶ。 ワンマンで我が侭な人生を走り抜けた父は、どこか憎めなくてわたしは大好きだった。 あの時のヒメは、もう24歳になった。
2007年02月01日
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