全156件 (156件中 1-50件目)
なんですかね、これ。空仙さんの所のコレを早速印刷。自在人さんのところでみたコレを作成。そこに「御使いの玉」を入れています。頭がくるんくるんします。どうなるんだろうなーーー。楽しみ。
May 27, 2010
コメント(2)
以前やっていた職種の延長です。何をやっているかはまたおいおい書くとして。でも接客があるので、それは今トライアルという感じで、四苦八苦中。それよりも、この仕事が決まった経緯がですね…。少し前に「そろそろ働かないと生活がやっていけない。やりたいことが軌道に乗ってそれ一本で行くにはまだまだ」という状況になりました。少し自分が脱線していたせいも有ります(反省)。で、頭に浮かんだのは「やりたいことを続けながらの最低限の生活費を考えるとこれぐらいあればいいし、週2日ぐらいで、○○ぐらいのお給料で、できるだけ残業は無い方がいいなあ。で、さらにそこまで負荷がかからない仕事で…」とかいう結構好き勝手な融通の利く仕事条件を思い浮かべました。軽い気持ちで。でも、無理だろ。たぶん。という思いが頭をよぎりました。まあ、まさかそんな都合のいい条件の仕事あるわけないかーー。ハハハーーー。真剣に探さないとね。と思っていたのです。そしたら。その1週間後です。派遣会社からお電話をいただきました。「週2回程度。給料は時給○○。仕事は………」条件はほぼ完璧。仕事内容はは経験したことのあるもので、プラス接客があります。少しお客さんから質問を受けたり使い方やらを答えなくてはいけない。でもわからないことも丁寧に答えていけばいいという事ですし、それでもわからないことは私も別の方に聞けばフォローしてもらえるとの事。仕事場所は2箇所。週に1度は、1箇所家からとっても遠い所へ通うことになりますが、もう1箇所はとても近い。1箇所はとても遠い場所なので、交通費を半額は負担してもらい、足りない半額分は会社が少し時給に上乗せしてくれるという事で折り合いがつき。すぐにトントンと決まりました(^^)。後日、この話をほぼ月一で顔を合わせる方に、「こんなことになりましたー」とご報告させていただきましたら、「それ(自分の出した都合のいい条件)は何か事前にキャッチしてたのかもねーー」と。なるほど、そうなのかも。こうしてマッチングが一応成功して、仕事に出ております(笑)。
May 27, 2010
コメント(0)
昨日早朝、特に理由無く目が覚めました。午前4時ごろ。昨日は仕事の日だったので、さすがに朝早く目が覚めると、それはそれでストレスです。いつもは目が覚める時間でもないので、なぜ目が覚めたのか不思議でした。仕方が無いのでトイレに行ったりパタパタしていたら、同居人を起こしてしまいました。申し訳ない気持ちで一杯です。ですが、いかんせん、眠れません。まるでスイッチがパチッと入ったみたいに目が覚めて、頭が冴えてしまっているのです。結局、眠れん眠れんと思いながらゴロゴロとしておりました。すると、突然電話が鳴るじゃありませんか。朝の4時です。誰でもそんな時間に電話がかかってくる用事はあまり無いと思います。こんな時間に私には用事で電話などありえませんでした。ですので、一抹の不安やら、気持ち悪さがありました。しかし、同居人が、思い当たる節があったらしく、電話に出ました。詳しくは書けませんが、同居人の仕事上の関係者がお亡くなりになったそうです。GWごろからすでに危ないかもというお話ではあったのですが、何とか乗り切られました。しかし、「よくもっている」状態だったようです。仕事の関係上、同居人にも連絡が来るような段取りになっていたらしく、早朝に仕事先から連絡が入った、という状況でした。突然へんな時間に目が覚めたのも、何か、虫の知らせのようなものだったのかもしれません。
May 25, 2010
コメント(2)
「受け取る」のは、苦手です。「受け取る」と何かお返しをしなくては…と思ったりします。でも自分が何かを「与える」ような立場?に立って何かを上げたりする時、「お返しが欲しい」と思っているわけではないです。同居人には世話になりっぱなしなのでなんとか「いつか返す」と思っているわけですが、「返すスピードが追いつかない」というストレスがあって、「受け取る」ことを時々迷ったり拒んだりしてしまう時があります。要は、自分に関しては「受け取ってはいけない」「そのような資格はない」と思い込んでいます。殊更に。まあ、それはマイテーマです。いつも「申し訳ない」、「ごめんなさい」と同居人にいう事が多くて今日もそんなような事を行っていたらとうとう軽くキレられました。「もう、めんどくさい。いいから、素直に感謝して受け取ればいいんだって」 同居人が言うには、同居人も私から学ぶことがあるらしいです。「与える時に期待しない」という事を学んだとか。それは初耳でした。私が余りに素直に「受け取らない」ので、最初はイライラしていたけど、ある時を境に、自分が好きでやってることだからいいと割り切れるようになったらしいです。それは私との付き合いを通して学んだ事、で私が居る事で同居人はそれに気づくことが出来たので、私が何も「与えていない」という事は、ない、と。そういう視点は初めてでした。かつ、驚きでした。全然自分なんて何も与えたりしてないと思っていました。上手くまとまりませんが、「与える」「受け取る」の関係って、なんか、不思議で奥深いんだと気づかされました。
May 23, 2010
コメント(2)
えーーーとご無沙汰しております。今は週に2日ほど仕事に出て、後は自分がやりたいことをやっていくという生活ペースに変更しています。仕事を始めて一ヶ月。来ていない間にいろんなことがありました。いろんな日記も、改めて時間差で見せてもらっている次第です。今のタイミングで読んで読んで、スコーーーンと入ってくる内容もあったり。いろんなものを見せてもらってます。そして、SEと祝符、欲しいものが増えたり(笑)。
May 23, 2010
コメント(0)
先日(1週間以内 笑)誕生日でした。……それはいいんです。ちょっと面白いことが有りました。誕生日の次の日のことです。いつもお世話になっている同居人のご家族の所へ遊びにいくことになったので途中、結構気に入っているケーキ屋さんに立ち寄りました。ケーキを買っていってみんなで食べようという計画です。入るなり、かかっていた音楽にびっくり。これでした。しかもサビ。Stevie Wonder [Happy Birthday]http://www.youtube.com/watch?v=yYJPIZ-C-9c&feature=player_embeddedし、知ってたんですか?という稀なタイミングでした。なんだか嬉しくなってしまいました。
Feb 12, 2010
コメント(4)
昨日から今日にかけて、久しぶりに自分の落ち込みパターンが出ている。結構しんどいなあと思っていたら今朝ある出来事をきっかけにして感情が出てきた。「出た出た」と思いながら、結局そのパターンを味わうことにした。感情の移ろい。無力感がどこから来るのか。いつそれを自分の中に植え込んでしまったのか。それを解除する術はあるのか。自分の力で解く術はまだよくわからないけれど、ヒントになるものは事が起きる前に、すでに自分の目の前に現れている。手探りしているうちに何とかなるだろう。…たぶん。
Feb 5, 2010
コメント(4)
何かを書こうとして、やめて、書こうとして、やめて。何かを言葉に出来るほど、固まった出力を必要としないというか、書いたそばから言いたいことが変化していくというか。まあ、それでいいか。それと、傍から見たら状況は全然良くないと思うのですが、なぜか「追い風」のようなものを感じます。なぜか…よりも、今はそれを感じていられる自分が嬉しい。
Jan 27, 2010
コメント(2)
いつもいつも、追い立てられているように感じていました。最初は、自分で駆り立てているのだと思いました。次に、親からも駆り立てられているように感じていました。そのうち、全てから駆り立てられているように、感じるようになっていました。成長していくうちに「意識的に」あるいは「無意識」に受け入れた、自分の中からではないものによって、「価値観」として刷り込まれていき、いつの間にかそれが「自分だ」と感じるようになりました。でも、最近やっと、「そんなことを感じる必要はない」ことをやっと自分で感じられるようになったような気がします。「それ」が自分でないことも、駆り立てる必要がないことも、やっとわかったかもしれません。自信はないけども。そうしたら、とっても落ち着いて、それまでキツキツで、ああしなきゃこうしなきゃといつも考えてばっかりすぎてしんどかったのが、少し楽になった気がします。こうしたいなあ、ああしたいなあ、っていうのが浮かんでくるまで少し休んだり、別のことをしていても、怖くなくなりました。それは、他の人にとっては、ごく当たり前の事かもしれないけど、結構、初めてかもしれません。
Jan 22, 2010
コメント(2)
昨日は暖かい1日だったのに、体力的にダウンの日。なので1日身体を温めて、小説を読んでいました。昔は私が本の虫だったのですが、父が、今の仕事に変わってから暇つぶしなのか本を大量に読むようになり、それを何ヶ月かに1度もらってきます。その中の1冊に、なんとなく目を引いたものが有りました。あとがきを開いてみると、養老さんという大学の教授が書いておられます。「バカの壁」などの著作で有名な方ですね。あとがきから見るっていうのは反則なんですが(笑)、そんな反則をする人間のために、養老さんはあえて本の本筋には直接触れず、「どんな本でも読んでみないことには面白いか面白くないかもわからない」と反則者を一刀両断した後、でもこの小説のポイントを抑えた文章を書かれていました(後から読んでそれは理解できます)。「読む前から内容を決めず」読む、事が大事だとあとがきで釘を刺されました(笑)ので、これが気に入って読み始めることに。大学受験を失敗してしまった主人公が、見たこともないような崖を自分が一生懸命に登っている場面からスタートします。彼が崖を登りきると、少し年老いた元やくざのおじいさん、神経質そうな女性、気の弱そうな中年のおじさんがそこに居て、それ以外は何も有りません。太陽もなく、影もない。ひたすらだだっ広い世界。混乱して周囲に話を聞くと、そこは生と死の境の世界でした。どうやら主人公は自殺に成功して、生と死のハザマの世界にいるのです。主人公は大学受験に失敗して自分が首をつって死んだことを思い出します。他の3人もまた、それぞれの事情で自殺をしてその世界に居るようです。自分の事情をやっと飲み込めた所で、太陽のないだだっ広い空からパラシュートで何かが降りてきます。…「神」です。その世界に先に居た、主人公以外の3人もこんな事は初体験でした。スカイダイビングの格好をしたファンキーな「神」は、なんで空からわざわざパラシュートで降りてくるのかというツッコミをかわしつつ、オレンジ色のレスキュー服を4人に渡し、メガホン、インカムマイク、携帯のようなカウンター、そして暗視ゴーグルのような特殊なめがねを支給します。「自殺をしてしまい命を軽く扱ったお前たちがこの世界にとどまるのをやめて天国に行きたいなら、4人で7日間×7週の間に、100人の自殺しそうな人間を助けなさい」と指令が下ります。最初はまずどうやったらそんな人を見つけられるのかもわからず、手探りの作業が続きますが、やがて特殊なめがねをつけると、自殺しそうな人がその度合いの激しさに比例して「ぶれて」見えることを発見します。自分たちは幽霊で見えないけれど、その人の中に「入る」ことができる事、メガホンで「応援」すると自殺しそうな人の内面の声として届く事、携帯のようなカウンターに助けた人がカウントされていく事などを学びつつ、それぞれの事情を抱えたギリギリの「自殺しそうな人たち」を4人が何とか助けていくという物語でした。結構最近に書かれた小説です。書き方が軽いのでさらーっと読めましたが、その中に描かれている「現代」はお話とはいえリアルな感じがしました。途中、欝・いじめ・境界例・虐待・受験失敗・借金苦という重いテーマも描かれているのですが、「あちら側の世界」といいますか、命を粗末にしてしまった「もうすでに死んでいるものたち」が、「死ぬな!」と言って自分たちのようにさせまいとしていくところに滑稽さがありますし、どうしてそんなことで自殺してしまうんだ?という視野狭窄がどうして起っているのかを「見せる」構成になっています。そんな風に思わなくていい、もっと別なやり方をしてもいいということを、自分のことは棚に上げつつも幽霊人命救助隊の4人が死に物狂いで、姿の見えない状態でメガホンで叫んだり、いろいろ作戦を立てて要救助者に気づかせようとするところに、笑えたり泣けたりと言った要素が詰まっていました。また、4人の主人公チームがそれぞれ自分の自殺の原因に向き合っていくというもう一つのプロットも有り、こちらもRPGのようで面白くも有ります。養老さんがあとがきで「日本人は、昔から落語でもそんな話があるが、生と死の世界の間をひょいっと乗り越えて、この世のルールの窮屈な所を茶化すのが上手い」と語っていました。まさにそれを地で行くような小説です。読み終わる頃には、なにかやんわりとやわらかいものに守られているような気持ちになりました。
Jan 21, 2010
コメント(0)
昨日実家から戻りました。以前にも書きましたが、長年解放されなかった「親に対する色々な感情」。ある本(2冊)を読んだ事がきっかけになって感じられた親に対する自分の内面の変化がありました。でもそれって「本物」なんだろうかという疑問が自分に対して有りました。実際に親に会うまでは、それは自分の勘違いかもしれないし、と。3日ほど実家に用事もかねて帰ることになっていたので、それをまずは是非検証してみたいものだと感じていました。以前、自分の中にわだかまるものがある状態で帰った時には、自分の中にあるものがそこに反映されてしまうので、当然久しぶりに「帰宅」しても落ち着きませんし、実家に帰るだけでぐったりでした。あまりにもしんどいので一時は実家に寄り付かず、父方の祖父母の家に泊めてもらっていた時期も有ります。それぐらい折り合いがつきませんでした。ところが、今回それがほぼ皆無。癖としてまだ自分の中にあるものが出てくることはあります。でも、以前なら「癖」として認識できてなかった。それも今は良くわかる。ああ、本当に自分の中が変化したら「問題なんてない」んだなとつくづく実感。さらには自分にとっては家族の中で懸案だった事項も、動き始めている様子。今までで一番心穏やかに過ごせたのではないかしらというぐらい、ほっこりと過ごせました。さらに滞在中にも「ああ、そうだったんだ…」と自分の中でまた「解除」が起こってさらに楽になりました。とはいえ、買い物に出かける途中の電車の中で突然気付きが起こって涙が止まらなくなるのも困りモノですが…。久しく父方の祖父母の家も訪ねていなかったので、訪問しました。祖母は昨日誕生日だったので、17日に訪ねたときにそれを言ったら喜んでいました。でも少し痴呆があるので2回同じ話をしました(笑)。後は今、激しくバーゲン中なので、目的のモノを探してウィンドーショッピングなどに出かけましたが、これは目的のモノが残念ながら手に入らず。その代わりに(?)なぜか「期限切れ寸前の18切符1回分」がなぜか植え込みの中に落ちていたのを見つけましたので、これも何かの助けということで(笑)お買い物の足にして出かけようかと思っています。それと、年末から続いている事。例えば「白菜欲しいなあ」と話していると、同居人が職場でまさしく白菜のおすそ分けをもらってきたり、「お洗濯用の洗剤ほしいなあ」と思っていた次の日に米を買いに行ったら、「○キロ以上お買い上げの方に洗濯用洗剤プレゼント」ということであっさり買わずに済んだり。実家に行ってのんびりしていただけなのに、母が珍しく当てた景品のお米をもらって帰ってきました。
Jan 19, 2010
コメント(6)
先月までしていた軽作業の仕事場は途中で私以外の人は去っていき、そのうちの一人がなぜかまた戻ってきて別の場所で仕事をして、という感じで過ぎていきました。私のほかは人生経験豊富な「お姉さん方」ばかりの職場です(派遣以外の社員さん、パートさん)。話したことは日常の事、仕事の愚痴、色々有りましたが女性が集団で居るとき特有の「あの人はあーでこーで」が少なく、ありがたいことに「女性ばっかりが集まったときの大変な雰囲気」の少ない職場でした。仕事が「検査」ということもあったかもしれませんし、元々今回の私たち派遣が入ったことも「臨時」の事だったという事が影響しているのか「元々少人数でやっているので仲悪くなってもしょうがない」「長時間仕事を一緒にするのでお互いに黙っていたら余計に悪くなる、言いたいことはある程度言い合わないとかえってチームワークがぎすぎすする」ということが「お姉さま方」にふんわりと共有されている職場でした。年齢関係なく、風通しが良かった事が何より幸いで、時にはお笑いの話で盛り上がったり、それぞれのご家族のお話で盛り上がったり、時には人生相談的な展開になったり。契約期間の終わりを迎えたときには少しさびしいぐらいでした。私もその職場では「若い」ので「若い」なりに、生意気に「外からの意見」を求められて発言させてもらったりしていましたがそれでも仲良くしてもらって、短期間の仕事だった割にはとても充実していて、これまでの仕事の中でもとても楽しく働けた現場でした。「お姉さま方」は全員家庭を持ちつつ働いている方ばかりでしたが、あ、すごい、と思ったのは、いざというときに「自分」を少し脇においていろんな対応をさらーっとすること。子育てすると、そういう風になるのかなと感じざるをえないところがありました。(子育てなんか真っ先に「自分」を脇におかないとできません)私は男だらけの職場で働いていた時期が長いのですが、男だらけの職場の中には目に見えない男同士のプライド争い的なものがステルス戦闘機のようにレーダーには見えないまま飛び交っていることが有りました。(女性でもその「プライド」が昇華されていない方がいらっしゃいますとその職場がギスギスしたりすることもありますが)もちろん先日まで働いていた職場も男性にそういうのが皆無ということはないのですが、そこを一歩引いて「そうは言ってもやらにゃだめでしょ」と割り切って働いている「お姉さま方」のしたたかさの方が明らかに「その会社を守っている」ように感じられたのです。「検査」という仕事はそこでミスがあればきっちり上に上げないといけないし、それはそれで仕事が増えるんだけど、「そもそも検査がなんでこんな割に合わない事になるの」という言い分だけが目立ってしまうと仕事はすすまんし、不毛だし、ということが結構多いんですね。そこをうまーく「(そういいたくなるのを)一旦脇において」やっているのがよくわかる。で、「お姉さま方」はしっかり見抜いているのですね。なんやかや(今の会社に足りないものやもっとこうしたらいいのに)を。なんやかやを見抜いた上で、柔軟に対応をしつつ言いたいことを言っている。ムードメーカーや素っ頓狂な方もいらっしゃいましたが底力のある真面目な方ばかりでしたので、そういう方たちと出会えて仕事が出来てよかったと思います。おそるべし、「お姉さまパワー」。底知れぬものが有ります。
Jan 5, 2010
コメント(2)
時々人と会っていたり接していたりして、何かよくわからないけれど、「何とかしなきゃいけない」と思うときが年に何度かある。そんなの余計なおせっかいだってばサ、と自分でもわかっているのだけれどそうせずには居られない時。そういう「胸騒ぎ」みたいなものが、去年の年末にかけて結構あった。自分でも「どうしよう」と思うのだけど、それはとても「落ち着かない感覚」なので、それが主観である事がわかっていても、無駄になることはわかっていても、「そうする」「行動する」ことがある。今までにも何度かあって、後から「根拠がなかったわけではなかった」ということが判明する、みたいなことが振り返ると何度かある。昨年末の忘年会の席で、久しぶりに去年行っていた学校のクラスメートと会った。久しぶりに会った友人が私に会うなり「やっぱり私気がついてなかっただけかも」といいながら「あるクラスメート」と何かをキッカケに大喧嘩をして、友人Aからは連絡を取らなくなった、と話してきた。その少し前、つまり学校に居た時から「胸騒ぎ」があって、私はどうしてもその友人Aと1対1で話をしなきゃと思っていた。そういう機会が巡ってきたので、ほぼAが毎日一緒に居て私も有る程度仲良くしていた「あるクラスメート」の事を本当はどう思っているのかを聞いてみた。私もその「あるクラスメート」とは最初は意気投合できるかも?と思って話をしていたのだけれど、話をしているうちに「?」「??」と思うことが何度かあった。また、やたらと他のクラスメートを厳しく批判していたので「それはこういうことがあるからそう感じるのでは?」「それはこういう考え方もあるのでは?」と意見を伝えてきた。また、「あるクラスメート」が先々仕事にしたいといっていた分野があるのだが、その道のプロフェッショナルから、その分野は自らのコントロールを含めて細心の注意を払わないと健康上のリスクを背負うことなどをたまたま実際の大変シビアな話を聞くことがあったので伝えたりしていた。しかしその人には師匠が居て「自分はその師匠に付いて勉強しているから大丈夫」という態度が伝わってきて、そんな言葉が届く様子がなかった。そんな経験を私自身はしていた。あまりきちっと反論をしたりするタイプではなく、結構相手に尽くしたり合わせたりするタイプのAは、私から見ていると「あるクラスメート」と一見とても仲良くしているようには見えるのだけれど、Aは意見が違うときにその人に自分の言いたいことを言えているのか、一方的に愚痴聞き役になっているだけではないか?と感じることが多く我慢しているのではないのかな?と傍目で見ていて感じることがあった。もちろん主観なので、それがあっているのかはわからない。1度は2人がお茶をするという所に「水を差しに」行ったこともある。それは「胸騒ぎ」があったので。Aと最初に1対1で話した時にも「そういう理由で邪魔しに言ったんだけど」と腹を割って話をした。そのままではAがパンクするのではないか?と感じられたことがあった。その時は「でも、大丈夫だと思う」とAは言っていた。ところが、忘年会でケンカしたということを聞くことになった。具体的に何があったのかは聞かなかったけれど、何か決定的なことがあったらしい。その「あるクラスメート」の事も、ケンカの直後ぐらいに別の知人に話を聞いてもらったようで落ち着いていた。Aは、振り返れば自分のことについては「今にして思えば結構自分にウソをついていたかもしれない」というようなことを漏らしていた。その忘年会の席でまた一人「胸騒ぎ」を感じる人がいたので、とりあえず忘年会の後に珈琲を一緒に飲みに行って茶のみ話をした。最近その友人は帰省して、心身ともに少しリフレッシュしたようなのでほっとした。
Jan 4, 2010
コメント(0)
昨年は怒涛のような日々の中で、「解」することが多かったように感じます。私の中で「解けた」もう一つの事は「家族との関係性」「家族に対する感情」。離れて暮らしているので毎日直接対峙しているわけではないですが、私の中で、心理的な、親との関係性、が変わったように感じます。これは非常に大きかったです。そして非常に「楽に」なりました。「感情がすっと出るようになった」のも、これが一つのきっかけにはなっています。親との関係性に関しては、相手が何か変わったとか、そういうことでは全くないのですが、自分の中で長い間納得してこなかった事がとてもストーンと腑に落ちた、そんな言葉との出会いが有りました。詳しく書きたい部分も有りますが、今そのキッカケになった本があります。その中に書かれていた言葉を正確に憶えていません。本をを知り合いに貸しているのでそれが帰ってきてから少し整理してここに書いてみようと思います。備忘録的な意味合いも有りますが、誰か親との関係性で自分の中で折り合いがつかない人の役に立つかもしれません(もちろん役に立たないかもしれません)。正確には自分で「整理整頓しよう」としてそうなったのではなく、結果的にその本を読んだ事で「整理整頓」が「起きた」という感じのほうが私の感じているものに近いのですが、同時に、そのプロセスが「起きるところまで自分が回復した」のだとも思います。だから結局は「自分が起こしている」「整理整頓している」わけですけども。
Jan 3, 2010
コメント(0)
久々に面白いマンガを読んだ、と思った昨年のベスト。「聖☆おにいさん」。1999年の世紀末を無事に乗り切った2名の聖人「ブッダ」と「イエス・キリスト」が下界である地球の日本の東京都立川区の安アパートになぜかバカンスに訪れていて普通の人間に混じって日常を送っているという設定のマンガなんですが…。こないだまで行ってた学校の年下の子に教えてもらってすっかりはまりました。「宗教をパロディにするってこりゃすごい…」という驚きと、「バチカン(など)からクレームがつかないのかね…」というドキドキ感。しかし何人かに薦めた所「マニアック」と言われましたので好き嫌いはわかれるかも。あ、それからかなり「アホ(関西圏では褒め言葉)」です。興味の湧かれた方は是非どうぞ。聖☆おにいさん (1-4巻続刊)全巻漫画セット
Jan 3, 2010
コメント(0)
年末の備忘録。長年何かがあったときに、「反射的に怒る」ということが出来なかった。「反射的に怒る」ことができないと困る場面もあって、例えばそれは自分の身に危害が及んだり、それは自分とは全く関係ないという場合に「それは違う」ということは当たり前にやっていい事なんだけど「反射的に」できなくて、後でことが終わってから「なんであの時ちゃんと言えなかったんだろう」と悩む事が多かった。本当にこれは後味が悪い。ところが、つい最近、荷物を出しに行ったときにそれが起きた。自分が止めたのではない車の事を、どこかのおっさんが「こんな所に停めるな」といちゃもんをつけてくるので「私じゃないですよ!!!!!」とスッキリ言い返した。後から「言い返せた!」と嬉しくなって同居人に報告。感情がぱっと出るって、おならしたいときにおなら出来たみたいなスッキリ感がありますね。でも、TPOはかんがえなきゃですが。
Jan 1, 2010
コメント(10)
あけましておめでとうございます。すっかり年が明けてしまいました。去年は特に後半は怒涛の年でしたが、なんだかそれも始まりに過ぎず、これからがまだ助走段階のような、いろんなことが待ち受けているような感じがあります。
Jan 1, 2010
コメント(0)
なにを?今までの勉強した事を復習するために、今の時間を充てています。で、学友より本を借りて吸収中です。うん、これはいい。ということで基礎工事中でしょうか。
Sep 20, 2009
コメント(0)
最近は学校に通っているおかげもあって、その中で色々な人と話す機会も有り、いろんな自分に直面する機会が多いです。おとつい、朝に空炊き事件のあった日の午後は、私の中「だけ」でいろいろとまた「ドラマ」が繰り広げられていました。先週の日曜日に「決壊」が起きてから、ずいぶんと澱のように沈んでいるものが浮かんでくるようになっていて、無意識にプレッシャーがあったようです。(ようです、と書くのは終わってから振り返るとまた一段とその渦中よりも「軽く」なっているからです。)キッカケとなった出来事ははっきりしているのですが、キッカケはあくまでキッカケで、自分の中にその反応の本質があるのでその結果考えた事は「なんでそんな風に考えるんだろう…」でした。とはいえ考えを整理する前に、自分の中に長い間眠っていた感情がまた掘り起こされました。帰りの電車の中で、出てきた感情が涙となってどんどん表出。正直しんどい。………でもチャンス。……今回の事はそんなふうに考えなくてもいいのに……………なんでそんな風に受け取るようになったのかな…………………ああ、そこと繋がっていたのか…………そこには、ある時期に起きた、私が直接的な原因ではなかった、ある人間関係上の「別れ」と、その後大変な混乱に見舞われた時の感情が氷の中にまったく色あせないままに凍結されていました。混乱を封じようとしてもがいた事で、かえってそれを味わう事ができずに凍結されてしまったような印象を受けます。そして自分のせいではないことまでよくわからないうちに罪悪感を持ってしまう癖までもそこから発生するようになっていました。今回の件はそこと繋がっていたように思います。原因が「今」でない混乱については、出てきたときがチャンスですから、これを機会に軌道修正するほか有りません。原因が産まれたのは時間的には「今」でなくても表出しているのは「今」なので、そこに存在していて無視もできない。今回混乱している自分が、今外側で本当に進行しているように「感じている」ことはあくまで自分の心理内だけでおきている事だということを人の手を借りつつ整理してから、なおかつ、今見ているものはこちらを投影しているよねという事をきちんと自分の中に落とし込んで、湧いてくる感情を味わいつくしたら、落ち着きました。涙が出るたびにどんどん楽になります。それでも夜中に目が覚めて眠れなくなる時間も有りましたが、グルグルマイナス思考に、レメディでストップをかけて眠りました。朝起きてから、気持ちを新たに学校へ出かけて、一日を今日は愉しく過ごす事を心がけていたら、「問題」だと感じていた事がすっかり消えてなくなっていった事に気がつきました。………また少し、解(ほど)けたかな。 (´▽`) ホッ
Sep 19, 2009
コメント(0)
昨日の朝のことです。「ぎゃあーーー炊けてない!!!」とうちの同居人が叫ぶ声が朝からこだましました。「どしたー?」「ご飯が炊けてない………( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」なぜか同居人が笑い始めたので炊飯器のスイッチでも付け忘れたのかと駆けつけてみますと、炊飯器は保温になっていますが、米が硬いままでした…水、入ってへんやん……… (´・∀・` )アラマァ実はその前日、そのくたびれていた日ですけども疲れているから早く寝よう寝ようと言っていたのに、同居人は次の日のお弁当の仕込みをすべく野菜を切っていました。その最中にお米のとぎ汁の色について、少し様子がちがっていたのでその話を台所でして盛り上がっていました。その話がひと段落して、一足早く私は布団に入りました。なんせ、ぷすぷすで猛烈に疲れていましたので。そしたら、同居人はお昼の準備の仕込みに夢中になりすぎて、炊飯器をセットするときにお水を入れるのを忘れたみたいです…。あまりの展開に、最初同居人は混乱して「なんで?なんで?」と言って空炊きされた米をしゃもじでかき混ぜていました。そしてはっと我に返って、お昼ごはんに計画していたことが出来なくなったことに気がつき、そして今からご飯を炊きなおす時間がないことにも気がつきました(笑)。朝の時間のないときですので、さっさと決断して朝ごはんと昼ごはんについて食べたりしなくては電車の時間に間に合いませんし、とにかく置いといて何とか出かけようと頑張りました。その日のお昼ご飯は結局それぞれ買って食べました。ですが、空炊きされた米だからって捨てるわけにも行きません。「どうするかね…、この米。」と思いつつ朝電車に乗っておりましたら「パエリア」が頭に浮かんできました。米をどうせ炒めたようなもの、スープと炊けば何とか食べられるはず。その日同居人がたまたま見た雑誌になぜか某料理研究家のパエリアのレシピが、ここぞとばかりに載っておりましたのでそれを書き留めて帰ってきてくれて、作ってくれました。そんなわけで昨日は、怪我の功名?とでもいいましょうか、パエリアみたいにして、空炊き米米を半分食べました。美味しくできました!!今日も同じようなメニューで空炊き米は美味しくご飯にして食べました。スイッチの入れ忘れは今まであったけど、水を入れなかったのは初めてです。あまりに信じられない事が起きると、笑えるもんですね。炊飯器が壊れなくて良かったけど(笑)。次パエリアをやるときは空炊きではない米でやってみたいです。
Sep 18, 2009
コメント(0)
別に怒っている訳ではありません…密度の濃い授業だったのとバグが取れなかったので頭が途中からぷすぷすと煙を吹きました…た・い・へ・んフリーズ状態でした。居残りして授業の続きをおさらいしておりましたが今日は頭がはたらきまへん…またあしたーと帰ってきました。
Sep 16, 2009
コメント(4)
週末は隣の県までお買い物に行きました。高速での帰りの道中、あるSAでトイレ休憩。そしたら、猫たちがSAのコンビニの前でゆったりと座っていました。親と思われる一回り大きな黒猫と、その子供ブチ猫。コンビニの前のベンチの傍で人様が座っているところにいますが、近づいていくと、その距離を決して我々と縮めようとはしません。コンビニで何か飲み物でも買うかと入ったのですが、つい焼き鳥に目を奪われて、食欲大魔神は手を出してしまいました。(普段ならこんな事はないのに……笑)コンビニから出てきてベンチに座ると猫がびみょーに距離を縮めてきます(笑)親猫も子猫も私の持っている焼き鳥に視線が釘付け…じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと見てきました。彼らの視線を痛いほどに感じた私では有りますが、とりあえず食べます。………視線が刺さります。人間が食べてるもんだから味濃いよ?食べたいの?視線は一向に私(焼き鳥か)から離れようとしません。食べた焼き鳥は割りに味付けが薄めだったのでやることにしました。仕方がないので歯でちぎって食べやすい大きさにして、ほりゃ、やるよ、とあげました。カツカツカツカツ…よほどおなかがすいていたとみえて勢いよく食べましたが、2匹とも視線は相変わらず、私の持っている焼き鳥です。それどころか、親猫は舌先が口の中にしまわれず「ペロ」と出たままになっています。………そんな顔して見られたらこっちがあげないわけにいかないねえ…結局4分の1ぐらいあげたかもしれません。子猫は途中から足元までぐっと近づいてきて、自らの爪でお肉を引っ掛けて奪っていきました。カメラがあったら撮ったんですが…特に舌が出たまんまの親猫、可愛かったです。とってもおなかがすいてたんでしょうね。おなかが減っていると猫って舌がお口にしまわれないもんなんでしょうか?そんなやり取りが終わった頃に子猫がまた2匹出てきたのですが、もう焼き鳥ないよーということで、「後の祭り」でしたとさ。
Sep 15, 2009
コメント(0)
植えた覚えがない新芽が4月ごろに出ていました。とりあえず何になるのかわからなかったのでそれを水をやりながら見守っていました。しばらくは「芽だ」という感じだったのですがそれは予想外に早くのび始め、そのうち蔓が伸びてきました。かぼちゃか?瓜か?よくわからないのでまた放置していたら、今度は壁に沿って上に上に伸びようとしていました。このままのびたままにしていたらうちのベランダもそんなに広く有りませんので、洗濯物に届きそうになってきました。ある日、黄色い花が咲いていました。とても甘い匂いの、今までかいだ事のない花の匂いでした。なんか、南国を連想させます。花まで咲き始めたし、蔓も延びてきたので、このままほおって置くわけにもいきません。棒を立てて、100円均一でネットを買って来てネットを張ってみました。その植物が喜んでネットに縦横無尽に蔓を伸ばし始めた頃、葉っぱの匂いを嗅いで、その植物が何かをようやく知りました。ゴーヤーです。ゴーヤーって、葉っぱから実の匂いがするんですね。知りませんでした。そして特に食べるために植えたわけではないのに、小ぶりですが実を付けてくれました。今日、それを炒め物にしていただきました。ゴーヤーの生命力って、本当にすごいと思います。
Sep 14, 2009
コメント(2)
がこのごろちょっと尋常では有りません。夏の疲れかとも思いますが、それだけでもない感じもします。前にも書きましたが、寝つきが良すぎるぐらい眠るのが早くて、まるで3秒で昼寝するのびたくんのようです。「食欲大魔神」の方も凄くて、食べても食べてもおなかが減ります。一足早く食欲の秋が来ているのだとしたらそれは末恐ろしい事です。今日もうちの冷蔵庫に切らす事のない餃子を包んでいたら予定していたメニューよりもそれを食べたくなってしまい、晩御飯に結局包みたての一番美味しい餃子をバクバク食べてしまいました。全部ではないので、冷蔵庫にストックも有ります。昨日の感情ダム決壊は久々の事で、当時の感情が出たり涙が出たりいろいろと大変ね、という部分も有りましたが、それより何より大きかったのは、しんどかった当時の事をなるべく思い出して第3者的に人に話せるようになったということです。とはいえ当事者ですからどこまで言っても人事みたいにはならないです。でも、大変だった時期のことを「思い出すこと」、「話す事自体が」「大変」な状態がずっと続いていましたので、それが出来た事だけでも結構私にとっては大きな出来事でした。最近は「過去の経験から学ぶ事はなんだったろう?」ということをテーマにして久々にあいかわらずの我流でバッチフラワーレメディを久々に採っています。実はまだ記憶が蘇ってこない近過去というのもありますので、無理して思い出すわけでなく、経験的に未消化なままの出来事を少しずつ自分の「肥やし」にすべく、「発酵させている」感じ、といえば伝わるでしょうか。私が読んだサイトのバッチフラワーレメディの説明にもあった、「玉ねぎの皮をむくように」自分が変化して行ければよいなあと思っています。
Sep 13, 2009
コメント(0)
久々に日記を書きます。相変わらず忙しいのですが、心地よい忙しさでも有ります。ここ二日ほど、起きていられなくて、9時とかに眠っていました。疲れもあったのかもしれませんが、それだけでもなさそうな。ブログの題名を変えてみました。……気分です。「Kai」という言葉の響きが、なんとなく、良く。「改」「解」「会」「快」あ、あと「開」っていうのもありますね。まあ、漢字変換が続く限りなんでも有りでしょう!今朝、10年ぐらい前の「精神的古傷」とも言うべき所が急にがしゃんと外れて、ダムのようにどどどどーと流れてきました。感情の解放あり。そして、こんな感情がこんなふうにこんがらがってたな、こんな感情がまだ残っていたんだな、というのを久しぶりにたっぷりと味わいました。本当にいい機会でした。それが終わったら、体感的に軽くなったような感じです。軽くなったって言っても、もちろん体重は変わってないと思います。また書きます。
Sep 12, 2009
コメント(0)
今は学校から出ている課題に取り組んでいるのですが、思っているのと実際にやってみるのとは違うなという感じです。まだなれない事をやっているので、「こうしたい」が実現するまで「ああでもないこうでもない」という試行錯誤が続きます。ひたすらトライアンドエラー。要領がつかめていないので、回り道はたくさんします。それはそれで大変なんですが、大変以上に「楽しい」。気がつくと時間が経っています。昨日から頑張っていますが、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
Aug 30, 2009
コメント(2)
今も先日ひょんなことから受かった学校で勉強をしている最中ですが、前々から興味はあったけどなかなか入っていけなかった分野にようやく足を踏み入れる事ができたので、「やっとだ!」という喜びがあります。自動車免許を取ってから「勉強する」「身につける」というのが結構弾みがついて、はじめは「自分が出来ない事をできるようになる」ことが単純に嬉しいのかとも思っていたのですが、それだけではないんですね。なんでこんなに楽しいんだろうと考えてみて、「身についた自分」を想定して楽しいのではなくて、学んでいる課程で色々なものを吸収していくこと、学びの課程の中にもちろん「遊び」がいっぱいあることが楽しんですね。わかんなかったことが「ああー、そうだったんだ!」とわかる快感。最初はまねでしか出来なかった事が、自分でやってみてちゃんと思ったとおりになる快感。今日は思わぬところで、間違えていましたが、その間違いをクラスメイトと「これ!これだよ!」と見つけたり、なかなか思うようにならないことを上手く実現するにはどうすればいいのかとみんなで智慧をしぼったり、考えたり、なんかいろいろと。あとは、調べ物をしていての新しい発見。出来ない事が出来るようになる可能性の発見。そういうものを含めて楽しい。楽しさがひしひしと。この学校が終わったからといって、別に将来が保障されるわけでもなんでもないんですけど、今こうして楽しみながら自分が学びたかった事を勉強できているっていうのは、本当に幸せです。
Aug 26, 2009
コメント(0)
ココ最近、ほんっとうにゾロ目をゾロゾロ見ます。主に車のナンバーですが、意識をしてないときでも目に飛び込んできます。少し前には111から999まで全部を2日間ぐらいで見たり。これでもか、これでもかとやってきます。そして今日もまた、ゾロ目。今度はナンバープレートではなく、意図せず出た金額がばっちりゾロ目でした。ムムムムム…。
Aug 24, 2009
コメント(0)
先週末は飲み会に参加。お酒、そこまで悪酔いしないだろうと思っていたのですが、悪酔い。後半30分は………まあ皆まで言いますまい。「大浄化」ということにしておきましょう。なんせこの一ヶ月弱、走りまくっているような状態でしたから、思わぬところで夏の疲れが出たかな…という感じで。「胃腸に来る」というリーディングは的確でした。で、飲み会で人に膝枕をしてもらって介抱されたのは初めてです(笑)。その後はスッキリサッパリで復活して帰りました。
Aug 24, 2009
コメント(0)
作業としてこなすべきものについて、ようやく終わりが見えてきました。あとひとふんばりです。また、「整理すべき部分」が整理されて、「ここはこうしようああしよう」が形になってきたので、非常に楽しいです。というか、こんなにスッキリしてくるとは自分でも予想外でした。また、今日は予想外のトラブル?も有りましたが、これもまた「経験」と思えるようになっている自分に、すこし驚いています。前ならもっと落ち込んでいたような気がする件ですが、今回初めてでもあるので、これは経験として一つまた肥やしになると思えていることを確かめられたという点でも、いい経験になりました。感謝感謝。
Aug 16, 2009
コメント(0)
ルーチン作業。ルーチン作業って、単調でめんどくさいものも有りますよね。でも。今の私にはまだルーチンをどんどんこなしていくだけの「気合」が足りないので、とりあえずこなしています。久々にルーチンルーチン。結構慣れてくると作業も早くなり、効率も良くなります。効率を良くしたいのは、作業量が多いのと、この作業量をもう少し圧縮する事で、別の部分の質を上げたいという意図が有ります。そうすると効率を上げるためには、どんな「創意工夫」が必要かなあーということを考えるようになります。そのために必要な初期投資というのもあるので今はそれをなんとかやりくりしつつどうやって抑えるかという事を考えたりしているのですが。そして、今回たまたま行けるようになった学校も、将来的にはやって行きたいことと繋がっているので、楽しいです。今は勉強についていけているけど、もっと情報量が多くなったら(笑)大変。もちろん、不安がないわけではないですが、「不安を丹念に味わう」ことを身をもって体現されている方もいるので、参考に、「自分を掘って」みます。毎年夏はそういう振り返りサイクルな感じなので。かきたい事はあるのですが、それはまた。
Aug 15, 2009
コメント(0)
今日はお昼過ぎから出ずっぱりでした。そして帰ってきたらコンタクトを取っていた方から連絡がありました。急ぎすぎてこちらが色々とはしょってしまったのがかえってよくなかったかな…急がば回れとはこのこと。もう一度ずつコンタクトを取っていた方2名にそれぞれ連絡をして、今度は上手くメールが届いているといいのですが…。気をもませてしまった…
Aug 14, 2009
コメント(0)
8月に入ってから怒涛のような忙しい日々が続いておりましたので、久しぶりに「骨休め」している感じです。えーと、今学校に行っているので、この休みはその復習に当てたいなと。あと、同時進行でやっていることもあるので、それを何とかするべく頑張る毎日ではあるのです。まあ、少し骨は折れますが、こなしておくと後が軽やかになるだろうなという感じはするので。休みのようであんまり休んでないけど。まあ、いいか。
Aug 14, 2009
コメント(0)
関東首都圏、静岡方面の方は大丈夫でしょうか。地震の直前になぜか目が覚めて、ゆれを全部余す所なく味わってしまいました。いつもならすぐにやむはずの揺れが徐々に大きくなり、これ以上揺れると家の中のものがゆれで落ちてしまうかも、と思ってからだを起こして対策しなきゃと思った瞬間にゆれが収束していきました。余震が来るかもしれませんので、警戒は怠り無く。被害が少ないことを祈ります…
Aug 11, 2009
コメント(2)
台車で乗っていた車は結構馬力が有り、踏むとすっと走ってくれました。で、本日車が戻って参りました!ライトがぶつけた方の半分だけやたらきれいになっていて、面白いです。大事に乗ります。
Aug 10, 2009
コメント(0)
えー、今東京にいたりしますが、今晩とんぼ返りする予定です。深夜バスでの移動はねむいよー。で、「えんじゅ」の木に会ってきました。ご神木のそばに立っていたのですが、立っているだけで「あたたかい」。しばし、その気持ちよさの中に身を委ねさせてもらいました。周りで工事をやっているので、その人たちがいなければなおさらいいんだけどな、と思いつつ木のそばに立って、なんとなく交流している感じでした(主観です)。もうひとつ、主観的な感覚がありましたがあまり書くと電波系になってしまうので…割愛。産まれて初めて浅草寺に行きました。浅草には行ったことがあるのに、なぜ浅草寺に行ってない、私?たくさんの人がいますが、東京に出ていても以前に比べて疲れは少ない感じがします。今月はなぜこうも自分を忙しくしているのだろう…と思いつつこれはこれで楽しいです。
Aug 8, 2009
コメント(2)
昨日の事でした。学校へ行って帰りに電車に乗ろうとしたら、もう少しのところで乗り逃しました。「しゃーない、次の電車を待つか」と待っていたら…あれ、見たことある人だ。ボストンバッグを持って携帯で電話を始めましたがどう見ても見たことある人だったので、電話を邪魔しちゃいけないと思いつつジーーーーーッと見ていたら「……ああ、ちょっと今知り合いが電車を待ってるから後でかけなおすー」という声が聞こえてきました。気づいたようです。Y君というのですが、前の前の前の職場で一緒に働いていた人で、超車の改造大好きな男子です。前の職場は階は違えど同じ社内だったので、ばったり会いそうなものでしたが全然遭遇しなかったのです。もちろん、普段はその時間に駅には居ません。「久しぶりー」と再会を喜び、ところで何でこんな時間にココに居るの?と聞きましたら東京へ出張していたようです。その帰りに私にたまたま遭遇したということです。Y君の職場の事を聞きましたら、やはりというか結構大変なことになっているらしく「あれだけ人が居た○○部からどんどん人が減って行ってる」「忙しいのは××に関わる所だけみたいだけど、製造部も一度人を減らして技術部に移転させているから、残りの人だけで回して大変な感じ」とのこと。で、去年発注のあった仕事の100分の1って…。1年でこれだけ変わるかというような話です。なので別の仕事をもらってやっているらしいのです。最近はミスをするとそこを理由にして「申し訳ないけど契約満了で…」という展開になっているらしい。でもY君は相変わらず元気そうなのでよかったなあと話していると「でも、(チューンナップした)車が4月に盗まれた…」と。「ええーーーーー!?!?」彼の車好きはかなり筋金入りで、今までその車にかけたお金はトータル400万円と言っていたから「相当へこんだんじゃないの?」と聞いたら、でも保険が降りたからね、とは言ってました。でも愛車も帰ってこないし、かなりへこむとは思うのですが。その日だけ夜中遅くに帰ってきて、愛車のハンドルを盗まれないように外さなかったら、朝起きたらもう無かったそうです。たぶん、狙われていたんだろうと思います、同じく筋金入りの人に。車の免許を取ったんだよーとこちらも近況報告をしたら「じゃ、次はライセンスとろっか」と車に乗る楽しみに人を巻き込もうとしましたので、やはり根っからの車好きは変わりないようです。
Aug 7, 2009
コメント(0)
前は「自分が何も出来ない」となると「自分には何もできない、けどそれでも今自分が出来る事をやるべき」という強迫観念じみたなんだか変な思考が有り、そして実際に行動に移すのですがいっこうにやったことそのものに満足していなかったし、常に不安が付きまとい、これでよかったのだろうかとなりますし、何より自分を責めておりました。「これっぽっちの事しか出来ないのか…(無力感)結局私は無力なんだ」そうです、何より自分を消耗しておりました。ですが。最近の「自分には何もできない」はなんかちょっと違います。本質的な意味では「自分には何もできない」と思います。「何かしようとして何かが出来る」訳ではないんです。ただ、「自分にできることを自分が満足いくようにやる」ということが明確になっているだけで、そこにはそれに伴う結果はあるのですが、結果は以前に比べて期待もしてないしずいぶん気にならない。「今出来る事を全力でやる」それが期待した方向へ行かなかったとしても自分も責めないし、極端な落胆も無い。で、「結局は無力なんだ」とも思ったりするわけですが、それは全然以前と意味合いが全く違う。同じ言葉なのに、全然意味合いが違うんです。自分の中で。
Aug 6, 2009
コメント(2)
昔は心配な人を見ると、自分も一緒になって一緒に巻き込まれて辛いことも一緒に経験するというのが大事なように思っていた。だから何とかしようと渦中に勝手に飛び込んどいて、結局自分の責任すら取れなかった。今は心配な人を見ると、心配だけどそれは勝手にしている事でこちらが何とかしたいと思っても本人の選択があるから、それに気がつくまでは待とうと思える。心配は勝手にやっていることなので勝手にこちらが「あかん、なんとかせな」と思ったらその時は自分なりの全力で何とかする。それでも届かないときはしょうがない。
Aug 5, 2009
コメント(0)
先日再会してきた友人ですが、少し気になる事が。入籍する前にしていた仕事の影響でか、仕事を辞めてから少しキッチンドランカー気味だといっていました。何があったのかはわかりませんが、仕事を辞める前も結構「飲まずにやってられるか」的な状態だったようで、そのぐらいから弾みがついてしまったとか。どれだけ昼間から呑んでるのか、詳しく話を聞いてみましたが、本人は自覚があるようなので、うーん、微妙だなと思いますが、今のところ特に激しく咎める事もしていません。先日会った時も、別れ際、解散する近くにあったスタンドバーで「一杯付き合って」ということで、楽しそうな嬉しそうな顔をして飲んでいました。(下戸なので私はジュースでしたが)実家方面へ帰ったときはとにかく理由を作って会える時は会おうと思います。友人自身、私とは別の友人にも心配されて、「それってアル中やで」などと指摘を受けていたようです。結局本人が自覚して本気でどうにかしたいかどうかの問題なのではあります。あんまりひどかったらAAに連れてくでー、などと冗談を言ったりしてみましたが、勝手に心配しているので、何か出来るわけではないんだな。ちゃんとこっちはこっちでしっかり立ってないと駄目だけど。
Aug 5, 2009
コメント(0)
さらっと。数年ぶりに生きて友人と再会。もう何年あってないんだかよくわからないけれど、久しぶりに「待ち合わせ」らしい待ち合わせをしていつの間にか入籍したらしい友人に会ってきました。…いや、お互いそんなに見た目は変わってない。でも、再び会う時間までのブランクは互いに前にお互いを知っていた頃の時間に戻ることを妨げず、そして互いに過ぎた時間はまた面白く、かつ人を思わぬ方向へと押し流しておりました。友人はこの2年の間で親御さんを亡くしたり、入籍したりといういろんな節目があり、自分は自分でいろんな変化があって想像もつかなかった「今」があることを話したり。懐かしさもありますが、新鮮さもありました。友人の旦那さんが夕方から出勤という事で、昼過ぎから夕方近くまで2人で過ごしてお別れしましたが、名残惜しかった。また会う機会を設けたいと思いました。
Aug 4, 2009
コメント(0)
明日から少しまた出かけてくるのですが数年ぶりにあえるかもしれない友人に電話をしたり、忙しくしております。例の、自動車学校に行っている時に電話がかかってきた友人です。そろそろ仕事探さないと…と言っていて、先日お伺いの電話をかけたときには「明日派遣先の人と顔合わせやねん」と言っていて、連絡待ちの状態なので、ひょっとしたらもう仕事が決まって忙しいのかもしれません。(それはそれで喜ばしい事)それでも、やっぱり顔を合わせるのと、電話などで話すのは「気配」とかが全然違うし、相手から感じる情報量も違うので、出来れば再会したいなあ。などと思いながら、少しずつ済ませておくべきことも済ませ中です。来週からはいよいよ学校だし…。やっぱりなんか怒涛だな…。
Jul 30, 2009
コメント(0)
先日美容師さんと話が盛り上がりましたが、その中の話の一つに、「そこそこ出来るのでやってしまうと、いつの間にか自分の都合を無視している」という話がありました。行きつけのお店でおそらく店長の次に腕の立つ美容師さんなので、店長さんがある事情でお店を離れている間、お店を守っておられました。もちろん勉強もしておられますし、そこのお店では最初からおられる方なので後輩の指導もされておられるのだと思いますが、最近、「自分でできるからといって何でも自分でやってるとよくない」と気がついたそうです。食事も仕事が忙しいからと立ったまま摂ってしまったり(後輩たちに座ってくださいと言われるらしい)気がつくと自分が何でもやってしまっていたり。美容師さんが一度その手(スピ系)のいわゆる見える人にずっと前に見てもらった時も、見かけは大丈夫でも、中はぼろぼろになっていると心配されたそう。私も人のことは言えず、一度ぼろぼろになっていますので、「大変なのは体や何やで小出しにしていないと、終いに病気になりますよ」と実体験を交えて話をしました。まだ、体が小出しにしている間はいい。でも、見かけ上は大丈夫に見えるから、とそれまでのペースでやっていると周囲は誤解して、まだ大丈夫だから、と遠慮が無くなってくる。そういうのもきついし、仕事の事だけじゃなくて、なんでもそうだけど、「やれるように演じてしまう、振舞ってしまう」っていうのも有りますよね、という話で盛り上がりました。これって気質?などと考えてしまいました。今考えてみると、私とその人にある共通点があるので、それも関係しているかもしれませんが。
Jul 30, 2009
コメント(2)
昨日話をしていて、教えてもらった事、話している中で出てきた事。「本当は『引き寄せの法則』なんてなくて、常に自分の前にあるんですよね、そこにあるのに気がつかないだけで。」チューニングする、ということ。結局自分がどこの周波数に今「あっているか」。周波数そのものにいい悪い、上下はなく、ただ差があるだけ。自分の外側に答えはない。結局自分自身が答えを知っている。んで、自分が変化すると目の前で見ている現実がごろっと変わる。「なんで自分はココにいるんだろうね?」全て楽しむ。「今」が大事。過去とか未来は「今」からずれちゃうし結局思考の産物なのかも。失敗してもOK、時間は元に戻らなくても、自分的にはやりなおせる。自分を縛っているものから、自分自身を解放する。期待も不安も「手放す」と意外に楽、そして軽くなる。
Jul 29, 2009
コメント(0)
やっと時間が取れたので、常連になっている近所の美容院に久々に行ってきました。いつも切ってもらっている美容師さんと話すのも楽しみの一つです。昨日もお互いの近況報告をしたりしていると、突如として、美容師さんが最近いろいろあって自分自身を振り返っていた、という話をそのキッカケと詳細含めて打ち明けて下さいました。もちろん内容は個人的なことですので割愛しますが、今までそうした話はその美容師さんからは聞いていなかったので、非常に開いて話をしてくださります。「なんで打ち明けてくれるんだろう…」と思いながら話を聞いていました。話は多岐にわたりました。もはや髪の毛を切ってもらっているのか、やり取りを楽しんでいるのか、その境界がわかりません(笑)。美容師さんご自身のいろいろな体験や感じた事のお話を聞きながら、自分もこういう体験をしたんですよーとかこれってこういう事ですよね、とかこれってこういうことかもしれないですねとかこういう癖に陥るときは、こういう風に考えたりしていますとかこういう風にとらえるといいかもしれませんとか最近こんな風に感じますとかそんな感じでお話していたら、「いやー、実は助かっているんですよー」と、美容師さんがこぼされました。「は?何がですか?」とお尋ねすると、「話しているだけで、こっちはずいぶん助けられているんですよ。でも、そんなこと全然考えてないでしょ」「そうですね、全然そんなことないです、なんとなく感じた事を言ってるだけで」「それがまたいいんですよねー」と言われました。そういう風にその美容師さんから言われた事は初めてだったので、なんかこちらとしても冥利に尽きるというか、「そうかー、打ち明け話をして下さってるのも、信頼してもらっているんだな」と思いました。んで、逆に「こういう話を打ち明けてくださって嬉しいです」とお伝えしておきました。
Jul 29, 2009
コメント(0)
毎年、夏になると昔から一ヶ月踊り続ける街が有ります。それが岐阜県郡上市。毎年私の住む地方では、ローカル局が「郡上踊り」を紹介する、というのが風物詩的慣例になっています。特にお盆には「徹夜踊り」と言う、一晩中踊り続けるという状態が数日間続きます。去年、見に行ってみようということで行ってみたのですが街中に人があふれかえっていました。それぞれの人が思い思いに服装をバッチリ決めて、思い思いに踊っています。それがすごく楽しそう。去年行った日はあいにくの雨で、しかも着いてから雷がガンガン落ちるし、雨は土砂降りだし、という感じだったのですが老いも若きも男も女も関係なく踊り続けている状態。浴衣も、普段着も関係有りませんし、初心者もベテランもこれまた関係ない。とにかくみんな踊るのです。そろって踊らなきゃというわけでも有りませんし、いつでも入っていいし、いつでも抜けていい。…で、踊る事が好きな私は完全にやられてしまいました。その時は結局踊らずに帰ってきてしまったのですが、リベンジを誓いました。それから1年。今年もまた郡上踊りが始まっているので、先日行ってきました。今年は普通に夜半まで踊る日にまず行って、踊りの練習がてら踊れるだけ踊りたおして、疲れたら帰るという大雑把なスケジュールです。郡上は水がとてもきれいな町としても知られています。町中に水路が有りますが、そこには大きな錦鯉が住み、町の人たちもとてもその水を大切にしている事がわかります。また町の中心には「宗祇水」と呼ばれる、湧き水がこんこんとわき続ける泉が有ります。とてもキレイで澄んだお水です。皆さん観光客も含めてお水を汲んで帰られます。踊りが始まるまではそんな場所でボーッとして、そして眠くなったら駐車場で眠って…という感じでヒグラシの声を聞きながら夜を待ちます。祭りは町中のあらゆる所で行われます。今日はこの町内のこの辺、次の日はこの町内のココ、といった具合に廻っていきますが、特に、お盆の「徹夜踊り」は町の大きな通り(と言っても昔の街道のような少し細い道)が全て車が通れなくなり、そこで人が踊りの列を作ります。全国津々浦々からこの「徹夜踊り」に参加せんと人が集まるのです。今回は「徹夜踊り」ではありませんでしたが、踊りが始まる時間に行ってみるとお囃子部隊が乗る車が広場の中央に置いてあり、そこにスピーカーなど設置して有ります。最初はテープなどでお囃子を流している状態でしたがやっぱり音を聞いていると皆さんからだが動き出すのか、まずは保存会の人たちがまばらに踊り始め、地元の人たちが踊りに加わり、そしてその他大勢の観光客も入り混じってどんどん踊りの人数が増えていきます。盛り上がってくると今度は練習を重ねてきた小学生のお囃子グループが山車の上で歌い、演奏します。それにあわせてみんな踊ります。その後は何時間でも歌えそうなベテランお囃子部隊が登場して、どんどん歌い演奏しますがその頃には踊りの輪で広場はもうぎゅうぎゅうです。とにかく踊りが単純。適当に輪に入って踊っていてもなんとなく覚えられます。そして、いつ入っても抜けてもいいし、観ているだけでも熱気や楽しさが伝わってきます。わざと下駄の音を鳴らす踊りもあるので、下駄を履いて踊る方が楽しいです。地元のお年を召された方の中には、浴衣を踊りのグループでそろえられたりしていますし、なんでしょう、「粋」と言いますか、渋いです。地区ごとに踊りを競う、団体踊りコンテストも別の日には催されますので、みなさんそのグループごとにシンプルだけどかっこいい浴衣でそろえたりしています。若い子達もそれぞれこの日のために、決めたちょっと派手めな浴衣を着ていて、最初は、お、ちょっと派手なのでは?と思うのですが、地元の子は男の子でも女の子でも踊りの所作がキレイで、ステキでかっこいいです。里帰りしてこられているのか、お子さん連れで輪の外でキレイに手の振りだけされている若いお母さんやお父さんもおられますし、もちろん普段着で来て踊っておられるおじさんおばさんも。「徹夜踊り」の日の駐車場のナンバープレートは、いろんな方々の土地のナンバーが見られます。そして結構居るのが、外国人。浴衣をきちんと着て一緒に踊って居ます。気がつくと2時間ぐらい踊りたおしていました。汗びっしょりです。石やアスファルトの上で下駄ですので、足もかなり疲れます。体が慣れていないのに踊りすぎるのもしんどいので適当な所で切り上げましたが、本当に楽しかったです。次の日に筋肉痛になるかと思いましたが、以外にもなりませんでした。なんとか時間を作って、もう一度行きたいなあ。
Jul 28, 2009
コメント(0)
全てをココには書ききれませんが、今日もまた変化が加速している事を実感する出来事が起きています。今までは「不安だ」とか「びっくりしている」と言っていましたがそれも含めて、そして起きている事を含めて 「これでよし」 と宣言します(笑)。 そして、それを感じさせてくださる皆様に宇宙に心から感謝しています。 ありがとうございます!
Jul 27, 2009
コメント(0)
今、さっき、小さな地震があったんですが、その前後、蝉がパタッとなきやんでいました。今蝉の声が騒がしくなって、改めてそれを実感した次第です。メモ。
Jul 27, 2009
コメント(0)
そうか…どんなときにもどんな絶望の淵にもそこにそれは「在る」その事を「知る」ために全ては「起きていた」
Jul 27, 2009
コメント(0)
昨日は自然の中に行きたいということでMIHO MUSEUMをたずねてまいりました。そこに行く前に、そうです、LUCEOさんがいらっしゃれば…と思って尋ねてまいりました。ふらっと、お会いできたらいいな、と思って訪問しましたら、会えました。というか、そうなってしかるべきだったというか??何しろお話を伺っていたら、普段ならそこにいらっしゃらないという状況に私たちがたまたま訪ねていったみたいなのです。そう、ピンポイント過ぎる偶然は「必然」ということで…。それは「起きる」んですね。で、色々とお世話になりっぱなしで…初対面なのに、短時間しかお会いできなかったのにそれは…という丁重な扱いをいただきまして、恐縮しております。ありがとうございました。お会いできて嬉しかったです、本当に。今度は突然行きません^^で、その後、予定通りにMIHO MUSEUMに行ってきたのですがなんでしょう。着いてすぐからとにかく「眠い」。体調があまり万全でなかったというのも有りですが、建築物のせいなのか、立地のせいなのか、展示品のせいなのか、気圧のせいなのか、なんなのかよくわからないぐらいの眠気。中の建築はふんだんに石が使われているのですが、なんでしょうね、気持ちいい?おちつく?空間の構造がなにか働きかけているの?かとにかくその床に突っ伏して寝たいぐらい眠かったです。途中、一本の木をズガーンと切ったものをそのまま使用しているようなとてもキレイな木のベンチがあったのですが、そこで眠りたかったです。で、出た後も山道を下ってまた帰るのですが、その途中で助手席で私は爆睡してしまいました。運転していた同居人も、山道を下りきったところにあるコンビニで停車して眠ってしまいました。たぶん30分以上は眠りました。とっても異様な眠気でしたね。さて、帰り着きますと今度は少し前に受けた試験結果の通知書が届いていました。というのも、先日職安で案内されていた講座に願書を出して試験を受けてきたのです。少し前に免許を取ってから、もう少し興味のあることを勉強して身に付けたいなあという欲が出てきまして、講座の説明会を聞きに行ったり色々としておりました。その中で「これはやってみたい」という講座が見つかったので、とりあえず職安で願書を出して、試験(筆記+面接)を受けてきました。倍率は3倍ぐらいでした。たぶん以前なら期待しすぎで「受かりたい、けど受からないよ!」とか逆に不安になりすぎて「絶対に落ちる…どうしよう」みたいになってたんだと思いますが、今回はそれがなく、まあ、受かっても受からなくても、なるようになるだろうという感じで受けてきました。で、通知書が来ていたのですが、合格です。自分が思うより早く、というか思うや否やいろんなことが現実として目の前に出現してくるのでそのスピードに少しびびっていますが、今やれることをやっていくことでまた見えてくる事もあると思いますから、やってみたいことをやってみようと思っています。しかしまあ、免許を取りに行ったぐらいから本当に加速がついてます…本人がいちばんびっくりしてます。
Jul 26, 2009
コメント(4)
全156件 (156件中 1-50件目)