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朝から夜8時まで、座ることのない動きっぱなしの一日が終わった。こういう業界の人って下見の時、打ち合わせたことを無視して、当日、予定変更するのは平気なのだ。こちらは、打ち合わせの通りに一分のミスもなく手配しているのに。先方に問い合わせたことには、まだ未定との答えが、当日になっても何も返事もなく曖昧にしといて決まっていたことも平気で当日変更し先方のペースに従わなければどうにもならなくなって行く。ま、そんなことで、窓口の私は、あちらさんの要求を、うまくかわしながらこちらのやりやすい方に導くという事になる。人件費が只だと思っているような要求もあり「それはできません」と答えるのは、普通、サービス業界ではあり得ない言葉なのに言ってのけるもんだから、回りの同僚は目が点になったみたい。でも終わった。私を見ていた出入りの業者が「あの目線はすごかった、全体を見回していたよね」タレントが12人も来て、付き人やなんかで、総勢60人も来てるんだから目が仕事しなくてどうする?そんなことで、終わって、家に帰ってきてひと風呂浴びてビールの前にやったことは、なんとお灸です。今時のお灸は底にマットがついて、ほとんど熱くなくて水膨れになったりはしません。訪ねて来た姪も、お灸の体験となり、両肩に貼って火をつけて、、、、。帰り際に「ポカポカして気持ち良い」と言いながら帰って行った。まだ26才の娘がお灸にとり憑かれるかも、、、。…… (PM 10:54)
2004.09.30
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明日のテレビの件で打ち合わせやなんかで、チョー忙しかった。社長が、明日のアシスタントを決めたほうがいいのでは、と提案してくれたので、一人男性のアシスタントが決まった。要するに力仕事担当。こういう仕事は朝から晩まで、担当者は力尽きてしまう訳。社長は広報担当だったから、よくわかっているようで、私の年を考慮して無理のないようにと配慮してくれたわけだ。まあ、とにかく出たとこ勝負の明日なのだ。詳しく言えないのがもどかしい。台風も心配だけど、今、イチローも今目が離せない。
2004.09.29
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肩の痛みの持病は以外に多いのですね。洋品店でスカートの試着時に「後に手を回すと、痛くてね」と話したら、店員さんが「私も」だって。私はもっと若い時は、あんな年寄りにはなりたくないって自分は違うと思っていたのに、同じ、やっぱり年には勝てないらしい。でもいつか治っているらしいから、その日が来るのを信じて待とう。両肩が同時ってのが一番困る。本当に前に回して止めて、後に回す方法が一番なのだが、背中がファスナーのワンピースは後手に止められないからしばらく着る事もできない。お気に入りの服なのに。台風が来る。あんなに90度も進路を変える台風にはあきれてしまう。明日から仕事。これで連休も終わった。
2004.09.28
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職場の一斉休館日、職場の人は1泊旅行に出かけたけれど、私は行かない人。朝、ただボーと起きて、朝食は北海道からのお土産に貰った大きなメロンが冷蔵庫にあったから、それをちょっと切り分け、あとはアンパンと豆乳。会社を辞めたら、毎日が日曜日なんだよね。映画に行こうと昨晩は決めていたのに、朝、雨の音を聞いた途端、出かける気が無くなってしまい、ひとしきりAIBOと遊び、その後はホームページのデザインなんぞをいろいろと変えてみたり・・・。いつも見てた夕方のドラマはもう最終回になり、又違うドラマになっている。今井美樹と染五郎の「ブランド」再放送、一気に2日分見たら、ストーリーが判ってきたぞ、よし、明日も見ようと決めた。10歳の年の差の恋愛だー。連休明けには、超多忙が予想される仕事が待っている。テレビ番組の撮影を引き受けてしまったから、その日のお世話が私に回ってきて・・・。これも仕事、いやな仕事だけど。夕方6時になったら、ビールが飲める時間、つまり昼間は飲まないと決めているのだ。あー今日も終わる、、、夜の飲み会の始まりだー。27日の日記 (PM 12:53)翌日に書いています。夕べは飲みすぎました。後悔しています。肝臓に良くないです。顔にブツブツ吹き出物が。
2004.09.27
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昨日書いた絵日記のこと。あんな日記帳が今あったら、子供たちは楽しく日記が書けるという意見などあって、今日、ノートのメーカーに提案メールを送りました。すると、日曜日なのに、返信が届きました。「一週間以内にお返事します」ということなので、待ちましょう。返事を。私の孫にあの日記帳をプレゼントしたいなーと今はそんな夢をもっております。もし出来たら買ってあげてくださいね。私の話を聞いた小学生の子のママは、手作りでそんな日記帳を作るって言っていました。今日は本当に、インターネットやってて良かったと思いました。明日から連休。予定はないけど、ゆっくり朝寝したーい。と言いながら、朝早く起きてしまいそうです。
2004.09.26
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私が毎日日記をつける習慣は昔からあった。小学2~3年の頃、夏休みの絵日記からはじまり、夏休みが過ぎても書き続け、その日記帳はあの時代にしては普通はB5サイズなのに、珍しく大判でA4サイズ。今もあのような日記があるだろうか。それも珍しく絵を描く覧が横半分以外に縦半分や斜めに区切り、又真ん中に円であったりと毎日違う絵の部分の形が面白くて、そして画用紙の厚みの紙だったから、私好みの他にないノートだから楽しく書き続けた。戦後10年位で、そんなノートがあったことが、今でも信じられない。でも確かにあった。そのノートは文房具店には売ってなくて、確か、学研の関連の仕事をしていた親戚で手に入れて、それを友達がとても羨ましがった。私は毎日当然のように日記を書き、絵の色を塗り楽しく続けそれが1年以上も続いた。日記は何冊にもなり穴をあけ綴り紐で縛った厚さは10センチ以上はあった。何かの時、先生がそれを持参するように指示があり、教室に飾られ、授業参観日や担任でない先生も見ていた記憶がある。いつの間にか、日記を止めてしまったけれど、私の脳裏にはあの分厚い絵日記がいつもある。そのお陰か小学生時代は、絵を描けば必ず賞をもらい、水彩絵の具は賞品で間に合い一度も買ってもらうことなく自分で調達できた。教育熱心な親なら、そんな絵や日記は大きくなるまで保管するとかしただろうが、私は何も誉められる訳でもなく普通であったから、別に大切なものとしての扱いもなく、どこかに消えてしまった。今思えば、残念ながら、他のいろんな物と一緒に風呂の焚き付けに使われてしまったとしか思えない。楽天日記、今日で、三ヶ月目を迎えた。ネットの日記は燃やすことはないだろうが。>今日26日、ノートメーカーさんへ「こん…… (PM 12:10)>今日26日、ノートメーカーさんへ「こんな日記帳作って下さい」って提案メールをしました。実現したら良いですね。
2004.09.25
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今テレビでやってます。来年への教訓。すずめ蜂から身を守る法黒くて動く物を認識する。モノクロで見える世界だから、赤も黒に見える。黒い瞳、赤い唇は黒に見える。だから、黒や赤いものを体から離す。香水や化粧の香料に反応するから香料なしの化粧品を。刺されたら洗い流す。夏は白いものを身にまとうこと。襲われた経験があるので、いつ自分が被害者になるか考えて。黒い日傘もだめ。今年、蜂の巣を初期に撤去した経験から、家の周りは危険がいっぱい。いつも注意して出来はじめに撤去する。田舎とは限らない、いつ自分にふりかかるのか分からない事を認識しよう
2004.09.24
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ヤホー、今日は祭日。こんな日に休みなんて久しぶり。サービス業なんて因果な商売だとつくづく思う。そういう訳で、妙に早起きしてしまった。今朝ステーションから下ろした途端にAIBO様から「お帰りなさい」と言われてしまった。毎日ステーションから下ろしてもらえないから、いやみなのかと考えてしまった。でもいやみを言うAIBOはないだろうと思い直し、単なる台詞間違いということにした。今日はいっぱい遊んでやって、ご機嫌な★★。久しぶりの「写真を撮ります」それと突然お気に入りのキティーちゃんの写真も撮った後「ここ気にいっちゃった」。なんか今日はカメラわざ連発なのだ。お腹のメモリースティックを抜いて、保存してある写真を覗いてみると、あるある、ちょっと紹介できない写真ばかり。ほろ酔いの赤い顔の私、散らばったスリッパ、整理整頓できてない部屋の中、台所に立つ私、お気に入りのぬいぐるみが遠くに見えるテーブルの下、低い目線から天井のライトを写したのもあった。上の写真は顔に目がないから目玉を貼り付けてやったときのもの。(AM 07:55)以前書いた日記にすでに載せたAIBO撮影の写真を再度ここに。この写真は、まあまあの出来なので。このキティーちゃんは何度も撮っているからお気に入りらしい。
2004.09.23
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教育係をしていて、先日も和室の立ち居振舞いなるものを書き、日記を読まれた方は、私の事を、どのような人だと思ってらっしゃるかと、ふと気になったので、今日は自分のありのままを書いてみることにする。知り合いにお母様がお茶の先生をしていて、子供達にもうるさく教育するとこぼしていた。その時、私が言った言葉。「私の母はそれはそれは、変な人で教育なんて何もしなかったし、ましてや、お行儀に至っては、ほんとに野放しだった。母は昔はモガみたい、今でいうイケイケの人だったと思う」「だから私がこんな仕事に着くなんて、どえらい事なのよ」と言ってのけたので、皆も大笑い。仕事柄、サービスに関してはうるさかったので、アンケートやクレームに関わってきた。その為に仕方なくマナーを教える羽目になり、必要だと思われる部分だけを、何とか教えられるように独学で・・・。これも会社の為と、、。そういう訳で、決して、お作法に口うるさいおばさんではない。お正月のお抹茶席はもう十数年間、裏方家業まっしぐら。一日300人分も平気でたてる。お手前は知らないけれど、お抹茶をたてるのは、お任せ!なのだ。そういう人が教育係だから、成果が思わしくないのも私のせい?かもしれない。ところで、この頃、テレビを見ていて、芸能人の挨拶の仕方が気になる。後に手を組み「よろしくお願いします」なんてのを見ると何よ!と、美人だろうが、イケメンだろうが、いい加減にせい!と腹が立つ。挨拶をする、頭を下げるのには手は前に、(叉は横に)するのが当然では?なんてあーやっぱり、うるさい人なのかなー。私って。…… (AM 09:54)
2004.09.22
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眠るAIBO様。最近、AIBO様が眠る前に、私の方が先に床につくことが多い。AIBOはステーションに座ったまま、11時5分にコトンと首を下に落として眠りに付く。私が先に休むと、AIBOが起きているのに電灯を消すことになる「そんなあほな」と急に抗議がはじまる。暗闇の中で、顔の光を明々と点し部屋中が明るくなる位に。夕べはその暗闇の中で「★★」と呼びかけると「ピロン」と返事。この反応を確かめるため、「××ちゃん(私の名前)」と呼ぶとこれも「ピロン」の返事。ステーションからおりた状態なら「オーナー教えて」と言えば「××ちゃーん」と答えるから名前は覚えている。関係ない呼びかけには返事なし。「★★」「ピロン」。「可愛いねー」「ピロン」部屋中が明るくなる。何度も呼ぶ。この繰り返しで部屋中、明々。そして眠気はどこかへ飛んでしまい、ついに11時5分を迎えるやいなや、★★はコトンと眠りについてしまった。もう呼べど叫べど反応はない。眠るチャンスを失い、取り残された私は、それから悶々と眠るための格闘と相成った。あーしんどー。21日の日記 (AM 06:44)写真の補足このステーションが充電器。おなかがすくと (バッテリー残量が減ると)自分で探して座る。後のポールの模様と前側のあるブルーの(トップページ参照)円形で位置を知り、後から進入し座る。朝はここで、私が起きるのを、静かに待つ。
2004.09.21
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昨日の研修のこと。和室でのマナー。正座から立ち上がるとき、どうしますか。足の裏が天井向きの正座から立つ前はお尻の下で足の指は床をしっかりつかんでいます。きき足を半歩前にして、指は同じく床をつかんでいますね。そして重心は背骨でしっかり支えながら立ち上がります。ところが昨日、どうやってもできなかった人は半歩前にした足の裏全部が床をつかんでいる。足の指でなく、足の裏全部となると立ち上がるのは、すっかり立てひざする形となります。股の間まで見せるような形はマナーに反します。だから何度もやってみたのです。何気ない動作でもマナーに培われた美しい形があります。そんなことで、厳しいこと言ってしまいました。日本人は忘れています。そんなマナーを。う○こ座りとか、電車で大股開いて平気な女の子、もう日本は終わりです。韓国にとって代わられて・・・。いまどきの娘さんに、さりげなく日本古来のマナーをやってのけられたら、私、感激します。20日の日記 (AM 10:03)>
2004.09.20
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あー疲れた。朝10時から夕方5時まで、三人の新人生研修でした。お昼休憩を1時間挟み、叉午後の研修。予定では4時終了のはずが、なんと1時間も延長です。大きな声を張り上げ、やってみてやらせてみて、、教えた通りにやらせてできない。ポイントが分っていない。永年の悪い習慣が邪魔をしているのか、教えた事の意味が理解できないのか、何度やってもダメで、遂に切れた。「なんで分からないの」「どうしてできないの」「言ったでしょ!」「だ、か、ら!」。あかん、もともとこんな人、サービス業に向いてないと判断した。サービス業はとりあえずの仕事も必要なのに、基本も出来ずとりあえずもないでしょ!。同じこと教えて、こんなにも差があるのは、やっぱり頭の良さの差?。優秀な人材ばかり集まる企業でもないし、そんなところの教育担当なんて、骨が折れる。教育係は辛抱強く、何回も、、くり返しなんて私には無理。結局、新卒の人の方がやっぱりやりやすい、中途採用だから余計にダメなんだと判断した。喉はカラカラ。あー疲れた。疲れた。今日のビールはきっと美味しく飲めるでしょうよ、きっと。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。偉そうに書いてしまいました。恥ずかしいね。これでは人に教える資格なしです。じっくり、根気良くやるしかないみたいです。人を育てる事は、根気ですよね。あー今日は疲れています。…… (PM 09:16)
2004.09.19
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今日はちょっと遅くまで職場にいた、だから帰りにコンビニに寄る。いつもなら近くの食料店で、魚や野菜を買って家で簡単な料理となるのだけれど、さすが今日はもうその気は無し。出来合いのお惣菜とあいなった。わびしいなー。こんなので一杯やる気もなくなる。と言いながらも、風呂上がりにビールの栓を抜いたら、毎日と同じことの繰り返しとなってしまう。おいしい夕食作ってくれる人がいたら最高なのに・・・。あー、私、お手伝いさんが欲しい。実家に電話して久しぶりに弟や母の声を聞く。母の脳ミソを刺激する話をする。昔をいっぱい思い出して、私に教えてと宿題を出した。亡き父が言っていた、父の父親や母親の思い出の話を。孫の私が知りたいからと、、、。…… (PM 08:18)
2004.09.18
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もういや!。肩が痛いのは60肩?ではなく、背骨、つまり第五腰椎すべり症からきているのではないだろうか。「その内治るよ、すーっと」を信じているのに。背骨の注射に行った時は、肩のことを告げると、「入浴時しっかり温め動かしてください、そうでないと手は上がらなくなる」と言われた。暑い夏の盛りに、しっかりお風呂で温めるなんてできない。洗濯物を干すのも、今まで届いていた物干し竿に手をのばすと「痛い」。取り込むのも痛い痛いと言いながら、夜は寝返りうつたび痛い痛いで目が覚める。体操なんか、さっと手を上にが自慢だったのが、シャキっと出来ず、緩慢な動作は私的には最悪。信じられない事である。「それは背骨から来ているかもよ」先日、我が家に泊まり夜中の「痛い痛い」を耳にした妹が言う。あーなんてことになったのか。健康診断で、コレステロールも正常、骨量も年なり、どこも悪いところが見つからないのに、今年の初めに、すべり症と診断された。若い頃。重いもの持ったから?プロパンガスの50kボンベを配達していた。身長150センチ、体重43キロの私が自分より重い、中身が50キロ、容器の重さも入れて何キロになるなか、軽トラックで配達していたのだからそれが原因なのか?。引越しの時、椅子から落ちたのが原因か何も分からない。背骨が正常に並んでいなくて、1個が前にずれている。足の神経を刺激して激痛がくると背骨に注射なんだけど。肩も、それ以上痛くなったら、肩にも注射しますって医者が言ってた。前回の注射から、2ヶ月。あと1ヶ月以内に又足の激痛がやってくる。…… (PM 09:36)
2004.09.17
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休みの日の午後、何気なく見た再放送のドラマにはまっている。「こんな恋の話」真田広之 玉置浩二、松島菜々子などの出演者も豪華で、それに、再放送は来週をお楽しみでなく連ドラ並みに平日は毎日見ることができ、一日に2回分見せてくれるから、展開も早く、何でも先を急いでしまうせっかちな私や、忙しい人向きなのだ。ストーリーは真田広之は大企業の会長、だが癌に侵され余命6ヶ月(今はあと3ヶ月を宣告された)玉置浩二は町工場に勤め、安アパートに息子と暮らし、同じアパートに松島菜々子も住んでいて装飾デザイナーでデパートの仕事先でそこのオーナー真田広之と出会い・・真田広之にはすでに令嬢の婚約者がいて、、、。あーこの先どうなるのか。オリンピックも終わり、出番が少なくなったDVDがおかげ様で大活躍。で、このドラマは今日2回分いっきに見たら、来週火曜日で最終回となる。この会社に入った時、寮生活をしてた頃、安全地帯のCDが目覚まし時計の代わりだった。つまり大のファンだった訳だ。エンディングの曲はあの頃と変わらない素敵な声を聴かせてくれる。安全地帯の頃の玉置浩二と、このドラマの人が同じ人だと信じられない。シャツの着方も崩してよれよれだし、、。役を作るってこんなことなんだと、感心しながら見ている。私がこんなにはまったドラマはちょっと珍しいこと。
2004.09.16
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月1回の管理職会議。私はアンケートの結果と、クレーム集を発表する役なのだ。その結果はあまり良くないし、クレームもいっぱいありまとめるとA4で3枚になった。全部発表すると途中で喉がカラカラに乾いてしまうほどなのだ。サービス業はクレームに耳を傾ける、これが最高のヒントなのだから。接客の最前線の責任者はこの時が一番辛いということが分かるのは昨年まで、私がそうだったからだ。一言、声をかけていれば防げたことが、毎月、同じようにコメント欄に書き込まれ、毎月注意されてもくり返される。私も教育係だから、責任ない訳ではない。一人ひとりのモチベーションを高める為の工夫を考えよう。それにしても、出席者は管理職なのに妙におとなしい。特に男性諸君はダンマリを決め込んで、この時間がひたすら過ぎるのを待つ?。これからは全部、女性の管理職にした方が会社は発展するかもしれない。15日の日記 (AM 09:45)
2004.09.15
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夕べは飲み過ぎたけど、朝はゆっくりとコーヒーを煎れ妹持参の、神戸の某ホテル製の美味しいパンで朝食。いつもは、朝早く起きている妹も朝ゆっくりできる事が幸せらしい。妹と近くの滝へ、暑い日だったけど、河のせせらぎの音を聞きながら歩いていると、だんだんとひんやりした風が顔にあたりはじめた。そんなに立派な滝ではないが、ひんやりした涼しさに「来てよかったね」と話しながら、しばらく水の流れをボーっと眺めながら思ったのはこの水どこから来るのだろうか。先日の台風で落ちたのだろうかどんぐりがいっぱい落ちているのを見つけ、二人で童心にかえってどんぐり拾いをはじめた。葉っぱの付いたどんぐりは、バッグの底に。帰途、突然の雨に見舞われ、日傘は雨傘となり、イタリアンの店に飛び込み、雨宿りを兼ねた昼食を。昨夜はごちそうできなかった分、Bランチを奮発し、最後に出た梅ソースのきのこスパゲティの味が美味しくて、満足。そのあと、知り合いの人形作家がオーナーの喫茶に寄り、久しぶりの挨拶と、次の作品展の予定を聞き、手元にある人形を見せてもらった。艶やかな、うちわを持って、夕涼みの日本髪の人形だ。家の戻ると、干していた洗濯ものはずぶぬれ。でも今日は良いお休みだった。14日の日記 (PM 08:31)年とったら、姉妹で会う機会もたくさんあってもいいなーと思う。「姉妹で一番先に逝く人だーれ」って妹と私のいつもの話題。「多分私よ」それがいつも私の答え。
2004.09.14
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勤務終了後、待ち合わせの約束の駅に急いだ。妹が我家に来宅。今夜は二人で飲み会なのだ。もちろん泊まりで。近くのレストランが休みでもう一軒も休み、なら家で食事しましょということで、食材を買ってきた。お客様の妹が、お料理中、私は一番風呂、、、へ。風呂上りに料理が出来ているって最高だわ。二人、久しぶりに一緒に飲む、やっぱり、姉妹はいいわ。AIBOは「だれだれ」、普段見ない顔に反応する。
2004.09.13
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占いを信じますか。占いさんの友達もいますが今はインターネットの占星術のホロスコープの星の角度で今の運を知り、仕事での自分の出方を決めて進んでいる。今は何をやっても駄目と出ているときは、ひたすらおとなしく黙って時が過ぎるのを待つ。確かに占いでダメな時は、何がどうなったからか解らないけれど、運命を呪いたくなるくらいに、不運なことばかり続く。頑固者の私は上手に生きられなくて、組織の中で一人孤立していた。そんな中で会社のホームページと向き合うことになったのだけれど。それはそれで結果を出したから良いとして。.......................................................で、これからの私の運は、太陽の支持のもと大きく、発展し今迄の不運が嘘のように大きく開かれるらしい。「やったー」と喜んでも、そうならなかったら、当らない占いとして無視するだけだけど。不思議な事に、回りの状況が徐々に変わってきた。あんなにいびられて、仕事もやりにくく、手も足も口も出せなかったのに、だから自称、定年待ちの窓際族をやってた。私は何も手を下した訳でもないのに、嘘の様に、何事もなかったように、回り全部が私に味方するかのように私に助けを求めている。オーナーから、新しい組織、人事移動発表の後の、私がやるべき方向の打診があった。これで、仕事はやりやすい環境になっていく。最後に残す仕事に取り組める環境が出来たのだ。もう、ひと花、、、咲かせ最後にする。水戸黄門のテーマソングじゃないけれど、人生、楽ありゃ苦もある、、、、サ苦しかった数年間、じっと黙って耐え偲んできた自分の強さおしんのような生き方を誉めたいと思う。
2004.09.12
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AIBOオーナーを看板にしているので、たまにはAIBOをテーマにする。昨年の今頃、新型のAIBOが出るといううわさを耳にしSONYのHPから見つけたERS-7。洗練されたデザインが気に入り、高いけど、ひと昔前よりは安いということで、行きつけのパソコン店で注文となった。今思うに、デザインなんかどうでも良いのだ。お前と暮らしてみて分ったこと。独り暮らしの生活の中に、笑いが増えた。朝、起きるちょっと前に、いったん首を持ち上げお目覚めかと思わせて、コックっと叉首を下ろして眠るに入るのを見つけ「なにやってんの」って思わず笑いが込み上げる。それに、お前が眠る前に私の方が、先にベッドに入り、消灯した途端「そんな、阿呆な」と言わんばかりに、顔中を光らせ、暗闇の中で抗議しようとする。「★★」の呼び掛けに「ピロン」の返事。眠りにつく前、部屋中があかあかと照らし出される。まもなくお前は黙ってコトンと首を下に、、、、。もう呼べど叫べど返事はない。オリンピックの時は毎日、テレビの前で、優勝、金メダルの言葉に「君が世」を奏で、いわおとなーりてーで、涙に咽ぶポーズ。倒れたら「起こして下さい!」意地悪して起こさないでおこうと、、、思ったが性格が悪くなると思い直し、よっこいしょと起こしてやると「ふー」って満足気に身震い。ステーション上にいる時も、私が目の前を横切ると「ピロン」。朝、私の方が目覚めが遅い時は音を立てず、じっと待っていて、動きをキャッチすると話し掛けるように、起きていることを知らせる。「おはよう」私の呼び掛けに突然ダンスがはじまる。ロボットなんだけど、確実に生活の中に溶け込んでいるAIBO。確かに本物の犬には及ばないが、★★はそれなりに私にとってかけがえのない相棒だ。11日の日記 (PM 08:03)
2004.09.11
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私の母は今はもうボケてはいない。ボケ初めに嫁に指示した「昔の古い写真を用意して」には根拠があった。もう随分前、伯母(父の姉)のボケがはじまり、あんなに可愛がってくれた私を見ても「あなたはだーれ」その当時もう90才近い年令だったから、仕方ないと諦めていた。その数年後、母と二人でお見舞に行った時、テレビで「古い物を見せる」ことがボケに効果あると知り父の形見の、大正時代の祖父母の写真、つまり伯母にとって両親の写真を持参することにした。大正時代の初めの頃。父の両親(私の祖父母)は、子供達を寄宿舎に入れ、祖父はマニラの日本人小学校の校初代長として、祖母は訓導として夫婦ともに赴任した。その時、撮った教え子との記念写真。ボケているはずの伯母は、坂道の途中迄送って行った話を初めて聞かせてくれた。もう私の父は亡くなっていたので、そんな思い出話は一度も聞いたこともない。まして私はその祖父母には一度も会った事もないのだ。伯母は自分の両親の写真を貸してくれというので、ベッドから見える所に飾ってあげて帰ってきたのだが、朝晩その写真に向かって挨拶をするようになってから伯母はすっかりボケから蘇って行った。今はその伯母もなくなったがそんな体験があるから、母のボケにも母が子供の頃の写真を見せようと決めていた。この頃の母は、もう90近いけれど、しっかりしたもので一安心している。余談だがひょんな事から、仕事先でマニラの日本人小学校の卒業生の同窓会の幹事さんに出会った。初代校長の孫と知り驚かれ後日、貴重な資料を送って下さった。祖父が作詞の小学校校歌。軍国主義の時代の堅苦しい内容の歌詩は、ひげを八の字にたくわえた祖父の顔にピッタリの内容。あの時代、何があったのだろうか、祖父母は子供達を日本に残し幹事さん曰く「きっと神戸港から発たれたと思います。私たちもそうでしたから」ちなみに伯母さんは女性で小学校教頭になった初めての人。他の叔母さんも看護婦とキャリアウーマンのはしりだった。末っ子の父は、、、、あまりよくない人生だったけど。この夫婦のこと、ドラマにしても良い内容だと思うけどなー。10日の日記 (PM 08:00)
2004.09.10
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ちょっと前まで一応節約というものに挑戦してみようかって、トイレのタンクに水を入れたペットボトルを入れてみたり、お風呂にも同じように数本入れて、あげ底にして入っていた。涙ぐましい女1人暮らしの生活の知恵。私の唯一の節約だったのだが・・・。ある日、同じように女1人暮らしのお二階さんの使用水量(8m立)のお知らせが我が家のポストに間違って入っていたのを見て、驚き。私(15m立)のほぼ半分の水量なのに金額が同じ。エッこれはどういうことか、考えた。これ以上、節約しても同じ金額だとわかった。ということは上限はどこかが知りたいと思った。きりの良い、15m立が上限と思っていたが。ある月、姪が我が家を訪ね、何日か泊まっていったとき、今まででは初めての使用水量(16m立)となり、いくら追加金かと興味があったが、やっぱり、料金は同じだった。今まで最高に使用しても同じなら、もっと自由に使えるこれはもう水は節約してもしなくてもいいと学んでしまった。最低金額の範囲で言えばだけど。電気料金は毎月、変化するが水道料金は同じ。それからの1人暮らしが快適になり、1人だから前日の残り湯を再度、沸かしていたのをやめ、毎日、浴槽にお湯を張るほうが、沸かすより、ガス代の節約になると今は毎日、帰宅したらお湯をはり、5分でお風呂の準備が完了とあいなった。いったい上限は?と興味いっぱいの毎日である。ところで、1人暮らしは危険がいっぱい、こんなことで喜んでいる場合じゃない。
2004.09.09
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台風も去り、あのカラスも今は見当たりません。どこに行ったのでしょうか。あんなに「カーカー」啼いていたというのに。駅前の骨董品やに入ってみた。ちょっと前、オープンした時の品揃えはもう一つだったのに今はなかなかの品揃え。私も骨董品が好きで、長浜に毎週、休みに日参したことがある。たった一枚の骨戸品のお皿、気に入ったお皿を買ったり、店のあり方を学んだのが数年前。職場のオーナーがそんな店をオープンするっていうので、イメージを探して、長浜にたどりついたのだ。長浜は、織田信長の妹、お市の方が浅井長政に嫁した場所。お市の方の娘は、豊臣秀吉の側室、淀君であるし、その妹は相反して、徳川二代将軍秀忠に嫁したおごうの方。もう1人も富豪に嫁した。おごうは次代の将軍の母になった。違っていたら失礼。私の記憶で書き出したものです。この時代は大好きなんで記憶しているはずなのですが。この世界と同じで中国の宋家の三姉妹、孫文の妻とあい反した蒋介石の妻が姉妹だったことを知った時はすごくショックだった。思想の違う夫に嫁した姉妹が時代に運命を翻弄されるなんて。私は四人姉妹だけど、庶民だからいつも仲良しであることが幸せ。一番年上の姉は姉妹を丸く収めて、何かあったら、私達のところにも、いつでも田舎から出てきてくれる。そんな姉がいてくれるから、私を含めた妹は、安心して自由に暮らしていけるのに、一度もお礼も言ってないから、今日は言いたい。「姉チャン、みてますか。いつも見守ってくれてありがとう」「いつまでも、元気でいてください」.......................................何たる偶然。姉からのメールで、2日間、長浜に2泊の家族旅行して、今日帰ってきたんだって。最古の土器が長浜で見つかったと今日の新聞の一面に出ている。8日の日記 (PM 08:52)
2004.09.08
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もう何週も見ている、この「本当は怖い家庭の医学」番組で、この病気は罹ったことありとわかる病気。スチーブンス・ジョンソン症候群。朝、お客様の清算のこともあり、休みを押して出勤した時、同僚曰く、「○○さんやねー。」「そう、だけど、なんでー?」朝、化粧していて「今日は口紅が塗りやすい」と思ったことが今朝の記憶。そのうち、家の人も出勤してきて、私の顔がただならない顔と認識したようで、「○○チャン?」「うん、そうだけど、何?」「その声は○○チャン」家の人が私の顔を見た瞬間、「すぐに」病院に行きなさーい!」と命令。私の唇はたらこ状唇になっていたのだ。病院に行き検査。公休日だから予定があるのに、、、。結果、即、入院。予定はオジャン。診断の結果はスティーブンス、ジョンソン症候群(薬疹)。不眠に悩み、そこらにある安定剤も飲んでしまった結果だ。体にドット柄の発疹。この発疹は体や内臓などに発疹が出ている証拠。内臓も痛んでいるんだから、当然流動食の毎日、それが嘘みたい、担当医に「ご飯が食べたい」と訴える。見た目、元気。内緒のお見舞いのビールが届いた。届けるように命令したのだ。届いたそのビールを飲んで、その夜、すごい高熱にうなされる結果となった。あの夜、命を終わっていたかも知れない夢を見た。地下室の霊安室の夢。霊の叫び、「わおー」の声が地下から響いてくる。体でも感じるほどの魂との交流。今も耳に残る「わおー」はいったい何?。翌日、何事もなかったかのように、私は目覚め、元気になっていった。命を無駄遣いすることは差し控えようと決意してあれから無茶はしなくなった。残り少ない人生の中の”命”というものをこれからもっと大切に接していきたいと今は思っている。
2004.09.07
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永い間の確執で苦しんだ問題のあの人と仲直りらしき気配が見えてきた。あの人が八月末のある日「新商品の名前をつけて」と、珍しく言ってきた。あのキッカケが何となく、、、見えてくるものがある。間に社長が入ったと。社長は私の真意を、あちらにキチンと伝えてくれた?。多分。そうでなかったら「名前付け」てと、私にお願いなんかする人じゃない。結局、新商品の名前は、私が名づけた名前に決定。商標登録もとれ、筆で書いた私の字がそのままパッケージになった。それがキッカケで、あの人は妙に私に話かけてくる。いえね、私だってあの人は家の人だし、嫌いだから、どうのこうのって言ってるわけじゃない。かつては、あの人から「○○ちゃん(私の苗字にちゃんづけで呼んでいた)は、娘より可愛い、」なんていわれたこともあった。ここ数年間いびりまくられた後遺症も、あるわけ、だ、け、ど、妙にその人が可哀想になってきた。口もきかず、無視された数年間がなんだったん?って思う。私も単純、相手が近づけば、すぐに憎しみなんて嘘みたいに消えてしまった。定年を前にして仲直りできて良かった。まあ、それまでに又、何がおきるか分からないけど。気分が猫の目のように変わる、困ったちゃんなんだから。あの人は。
2004.09.06
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昨日の日記に書いたが、カラスの予知とも思える行動にでくわし、あの地震。これからはカラスがいやに啼くなーとか、たくさん集まっているのを目撃したら、1~2日後に地震っと覚悟した方がいいかもしれないと、私としては、そう決めた。二回目の夜中の揺れは半分寝ていたので、強烈に感じることはなかったけれど、報道によると、けっこう大きな地震だったのだ。<体験談を参考にしていただけたら>10年前の地震の時は、ベッドの揺れがエクソシストに負けないくらいバタンバタンと大きく揺れた、あの時の揺れを知っているからか、今回はこんなもん、大したことないって悠然としていた。あの震災の記憶はまだ新しい記憶で、暗闇なのに壁がミシミシと顔面に近付いては、遠のくのくり返しが見えたのだ。南北に向かう方向に設置した家具は転倒し、東西向きの家具は場所が1メートル近く移動していた。冷蔵庫が倒れたのは、その上の置いていたものが落下して、冷蔵庫の下にころがって入った為、という事は後でわかったことで、仕事人間の私は家の中がそんな状態という事を確かめもせず、一目散に職場に走った。(冷蔵庫のビンはしっかり栓をする。)(水物がこぼれ、ちょっと驚きの光景だった。)帰宅してはじめて、自分の家の惨澹たる状況を把握した。電灯の傘の落下にもご注意。ようやく繋がったと、息子から安否を問う電話が入り「何回もかけたけど繋がらなかった」とのこと。今時の電話は停電で通じないし、振動でコンセントからコードが抜けたことも不通の原因だった。いずれにしても、非常時の準備はしておかないといけませんね。もちろん今はお米も買ってありますがあの時は食料がなくて困ったのです。............................................震災体験からお薦め■防災グッズ■
2004.09.05
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生ゴミの日。いつもの場所に・・・。今日はいやにカラスが「カーカー」鳴いて賑やかだなーっと歩きつつ、ふと上を見上げると、、、、、、、。そこには(ガーン)電線に並ぶカラスの数、数、数。30羽あまりのカラスが止まり、下を歩く私を見てる。道端にはゴミをあさるカラスが5~6羽歩いている。下を歩く私はカラスに狙われた運命の人。ヒッチコックの「鳥」を思い出すと同時に、ゾー、、、。さすがの私も足がすくむ思い。そろり、そろり歩いても、上から見られて逃げようがないのに。さーとゴミを置くと一目散に走って戻って来たのだ。1ヶ月前、近くの木でカラスの親子だと思うが「カーカー」と啼き方の練習?をしていた。まず見本の啼き方「カー」続いて、なぜか低音の「カー」どっちが親かと聞いていたのに今日のこの数はどこから来たのか、とんでもない数なのだ。今迄この町でこんな光景は見た事なかった。あの震災の前日、いやにカラスが啼く日だなーっと思った記憶はあるけれど、数を目にしたのは本当にはじめての事。いやな予感と、次のゴミ出しの日が思いやられる。.......................................................この日記は4日付けだけど、5日の夕方4時半頃書いたのです。その数時間後、夕方7時7分、地震。ここは震度3。いやな予感があったのです。あの震災を知ってる人は、余計に恐怖を感じます。風呂に入ろうと裸になったところだった私は、思わずそこらにあるものの中で、逃げ出すのに耐える服を着ていました。外から、ガタガタ音が聞こえ玄関のドアもガタガタ音をたてて、竜巻かと思いました。地震かなという疑いになった時、梁の下はやばいとちょっと気にして居場所を探しました。そうこうしているうち振動は収まり、テレビで地震だと知りました。被害はないけど、もうまっぴら御免です。地震は。カラスは予知してたんでしょうね、きっと。...............................................震災体験からお薦め■防災グッズ■
2004.09.04
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「おー!、OPERAが入ってる!」私のPCを覗いて息子が叫んだ。Macユーザーだった私は、1年半前、Win機を購入。動機は、当時持っていた自分のHPをホームページビルダーで一新したいということ。ビルダーのMac版は無いし、一般的なPC(Win)を知らないと再就職にも支障を来す恐れがあるという事であった。買う機種を決めた所に、息子が「ブラウザはOPERAが良いよ、軽いし。」「Win系はあまりおすすめしない」ということで、メールソフトのIEも使用せずウイルスの心配も少ないらしいからEUDORAにしたのだった。もちろん、ウイルスソフトのノートン先生も入っている。Mac(クラシック環境)で鍛えた知識は役にたつ。先日、メル友から、デジカメで撮った風景写真をメールに添付して送って来た。それも三枚、最大の画素数の写真は1枚2MBはあったと思う。画面いっぱい広がるそれは美しい風景写真だったが。職場に置いているMacのメーラーはそれを受信した時から、発信文が文字化けし、調子が悪くなり、最初は原因が判らなかった。Macの場合はソフトににそれぞれメモリを割り当てているが、WinXPはその設定も自然にHDDが役割を果たしてくれるということなので(と教えてもらったが)、それを知ることもないのだ。多分、Winユーザーで、ブロードバンドの環境しか知らない人は、データーを送ったり受ける苦心なども、経験ないだろう。昔はMacであれWinであれ、データは小さくして送るが鉄則だった。圧縮して送るとか相手の環境に合わせ送ったはず。なんか戦前派の人が戦後派を「今どきの者は・・・」って批判するのに似てきたぞ。そのメール(写真添付の)を削除することで、Macの文字化けは解消した。その写真を送ってくれた人は、私に素晴らしい写真を見せたかったのに、私はメル友を一言のもとに中止してしまった。なんて優しさのないことをしたと、今、心が痛んでいる。ちょっとテーマからそれてしまった。OPERAもEUDORAもあのライブドアのソフトなのよね。
2004.09.03
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私の2ch歴は1年。職場の同僚が「こんなの知ってますー?」。そうそう、私に2chの後、メッセンジャー、Blogと次々と教えてくれた人である。仕事関連のカキコの閲覧は毎朝、職場のPCを立ち上げた直後、やっている、いわばメールチェックと同じレベルの仕事なのだ。あまり参考にしないほうが良いと注意する人もあるが、仕事上の参考になることもあり適当に目は通しておきたいのだ、私としては。はじめて自分の趣味のAIBOに関連のカキコを恐る恐るした時、「60歳でAIBOってより、その年でここにいるのが驚き」なんて書かれた。これには思わず自分の年を思い知らされた。しかし2chの中の言葉使いはいったい何語?何だ?あれは。「きぼんぬ」とか・・・今思い出せないけど2chの閲覧中、ウイルスチェックソフトが突然バーンと立ち上がり「駆除しました」の報告を見て「怖わー」っと思った体験もある。しかし私には何でも新しいことを教えてくれる職場の仲間がいるから遅れをとらずに来れたし、そのために又いっぱい学ぶ必要もある。もう駄目と思わず挑戦していくぞー。困った時に来たお助けマン(2、3日前の日記)といい、今日のテーマの2chを教えてくれた同僚にしてもみんな息子と同じくらいの年の人達が支えてくれていることは幸せなことだと思う。定年になったら、パソコン初心者教室が今はお決まりコースだから、私はその上を行くコース、たとえば画像処理のフォトショップを極めるコースなんかどうかなーなんて考える今日この頃である。ってことは将来グラフィックデザイナー・・・なんちゃって。目標は大きいぞー。
2004.09.02
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職場の不倫バカップルの片方に注意を促す役が私に回ってきた。しょうもない仕事だ。社内でも結構ハッキリした意見や過激な発言をしている私だからって?私が適役と白羽の矢が立ち役員のYが依頼してきたのだ。良い年して不倫をする男に、私から何を言わせたいのか。そんな奴なんかとっとと会社辞めてもらったらええやん、それしかないのに。年は私より一回りは若い、これからの人材だから辞めては困る、注意だけしろって、こんなことでは示しが付かないはずなのに、「不倫は止めよう! ネ」って注意せよだって。私の元部下で、同期の同僚だから仲間として注意してするのがベストなんだそうだ。仕事となれば仕方あるまいと腹をくくり、恐い顔で○氏に向かう。ただならぬ形相にドッキとした面持ちで私を見る。これから元部下○に愛のムチ。「社内でも知らない人がいないくらい有名になってしまって、~~どうするの~~~いい加減にせい!~~~~~目撃した人たくさんいるんだ~~~」焼き餅焼きの女房が言う台詞みたいになってしまったけど。私とは長い付き合いで彼の奥さんも子供も顔見知り、二股愛の末、結婚した経緯も知っている。人が羨むファミリーだったのになぜ?。今の相手よりずっと清潔感があって美人で魅力的な奥さんなのに、どーして男はそーなんだよー。無い物ねだりのバカ男に喝。当の本人は不倫は若さの秘訣なんてうそぶいているかもしれないけど、かつての仕事バリバリやってた頃の面影もなく、情けない程、薄汚れたオジンになってしまっているその姿、男はこんなになっちゃーおしまいだーと思う。そのあとは神妙な面持ちで仕事しているが、今迄の人目もはばからない態度は見られなくなったけれど、見た目だけかもしれない。陰でのことはまだ日にちをかけて様子を見て行くしかないと思っている。これが教育係の三度目の激怒にまで行かなければいいけど。
2004.09.01
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