Spring Has Come

Spring Has Come

2006年06月08日
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カテゴリ: 春歌
続きは今日中に、と書いておきながら、
夜は睡魔に勝てませんでした

はて、どうして私はその女の子と会話をし始めて
心のバリアが(ほとんど)なくなったのだろう。
あとで自己分析をしてみた。

全くの他人である、春歌と同学年の女児は
私と関わりを一切持たない限り、
私にとってはただの「イメージ」でしかない。
「春歌と同じ年度に無事に生まれ、今日まで成長した女児」

だが、一度その子が私に話しかけたりして
私との間に少しでも関わりができれば、
その瞬間からその子は「ただのイメージ」ではなくなり、
一個の人格を持ったよそのお子さんへと変化をとげる。
よほど小生意気な口を利くお子サマでない限り、
よその子の話し相手になるのは苦ではない私なので、
その後は「春歌と同学年・・・」と悶々と思うことなく
関わりを持つことが出来る。
・・・ということなのだと思う。

だから、どこまでいっても単なる「イメージ」にしか
なり得ない、例えばTVに出てくる「幼稚園の年長さん」の女の子。

ビデオカメラや学習机などのCMが嫌というほど流れるだろう。
それらの姿を見るのは、きっと辛くて辛くて仕方ない。
彼女たちが私に直接口を利いてくることはないのだから。

ちなみに、同学年と言えど、男児に対しては
例え4月生まれの子でも特に何とも思わない。

また、日常的に接しているよその子、例えばS園の子たち
(年長にあたる女児は在籍していないが)にも
そういったマイナスの感情は抱かない。
言うまでもなく、「春歌と同じ云々」という思い以上に
一個の人格と接しているという思いの方が強いからだ。

ずっと前 に、長男の用事で小学校に行った時、
春歌と数日違いで無事に次女を出産した方とその次女に再会し、
普通にその子と話をすることが出来た、という日記を書いた。
あの時も私の心理は一昨日と同じ状態だったのだろう。
また一年以上会っていないので、次にばったり会った時は
その瞬間は胸がざわついてしまうかも知れないけれど。

長々と無駄に書いたが、何が言いたかった
(何を自分に言い聞かせたかった)かと言うと、

時には心のバリアを解いてみよう。

・・・と、思ったのだった。

よその元気な女のお子さんと、春歌の姿を重ね合わせてしまう
その辛い気持ちは生涯消えることはないだろうけれど、
気持ちを上手に切り替える大切さを学んだ気がする。





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最終更新日  2006年06月08日 15時36分05秒
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