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一部を除き、ページを完結させました。「H22年度課題作品」についての詳細がまだです。だから完結っていう表現はおかしいですが・・・夏休み後半と新学期スタート時はバタバタしており、手がつけられず申し訳ありませんでした。ということで、興味のある方どうぞご覧下さい。
2012年09月18日
絵画制作の手順少し追記しました。ほんの少しだけね先は長いのか短いのか分かりませんが、最後までお付き合いいただきたく思います。H22年度課題再現作品までは未だ遠く・・・
2012年08月15日
楽天写真館「保育士試験」作品25までと、試験課題再現作品のコメント追加しました。大したコメントも出来ずすみません。明日以降は、試験課題を中心に、あとほんの少し突っ込んで考察してみたいと思います。とりあえず今日は寝ますw
2012年08月09日
楽天写真館「保育士試験」作品20までコメント追加しました。あと6作品です。しかし、2年経っているのに心境や苦労した点など覚えているものだなぁ、と感心します。あの頃は毎日描いていましたからね・・・
2012年08月07日
楽天写真館「保育士試験」作品1から5までコメント追加しました。しかし、画像の順番を並べ替えられないものかなぁ。作品番号順に表示したいんだけど。見づらくて申し訳ないです
2012年08月05日
昨年中に編集し終わる予定でいた、実技試験(絵画編)勝手にまとめブログを真面目に書きなおそうかと思います。「楽天フォト」から新しい「楽天写真館」に作品画像を移した途端、頑張って書いた作品のコメントが全部消えてしまい、やる気をなくしていました・・・気がつけば、今年も筆記試験は今週末に迫っているではあ~りませんか。自己満足乙かも知れませんが、タイトルを見て来て下さった方にあまりにも申し訳ないので、頑張りたいと思います。たった一人でも「参考になった・・・かなぁ」と思って下されば本望です。
2012年08月02日
本日4月24日は、小学6年生になっていた筈の娘、12歳の誕生日だ。今年は夫が今日は仕事で遅くなるので、明後日ケーキでお祝いする予定。普段、夫は春歌の話題を出すことは稀だ。命日=誕生日だけは他の子供たち同様、絶対に忘れずにケーキを買ってきてくれる。ツイッターなどで、春歌と同学年の娘を持つ人の呟きを見た時は、辛さ半分、好奇心が少し、そして、小学6年生という年齢を迎えることのなかった春歌を投影させたいという気持ちが少し。来年も再来年もずっとこんな気持ちでいるのだろう。今までがそうであったように。いや、少しは変わっただろうか?生命維持装置を付けていた時の娘の温かさ。冷たくなった後も愛くるしかった産毛の生えた顔、小さな手、産着に包まれた身体。12年間、少しも色あせない思い出だ。いずれあの世で再会出来た時に、少しでも恥ずかしくない母でいられる自分でありたい。私の娘でいてくれてありがとう、春歌。そしてこれからもずっと。
2012年04月24日
早産ギリギリの未熟児として生まれ、早18年。干からびたお地蔵さんのようだった長男も、身長177cmの恰幅のよろしい男になった。今年は夫が24日当日は仕事で遅くなるということで、前倒しで祝った。と言っても本人は夕方からアルバイト。BDケーキは本人一人、バイトから帰宅後に食べることとなり、だいぶ寂しい誕生日になってしまった。その代わり、高校卒業時と成人になった時は豪華にお祝いしてあげるからね。誕生日おめでとう。ところで、入社が決まった会社から、誕生日おめでとう葉書が届いた。それも30円切手を追加し、24日という日付指定で。まあ気持ちはありがたいが、これって入社を控えた新人限定なのか、はたまた社員全てに送って(贈って)いるのか、謎である。後者だとしたら、結構経費もバカにならないだろうなぁ・・・
2012年02月24日
タイトル通り、今日は二男の誕生日。プレゼントは自転車。と言っても、何カ月も前に買ってやったので、今日は特にナシw生まれた時は目の「落陽現象」(下方を見る意思がないのに自然に黒目が下に落ちてきてしまう症状。1歳近くまで時々見られた。息子の場合は原因不明)やら、乳の飲みが悪く痩せこけていて心配事が沢山だったが、14年間大病もせず育ってくれた。重度の中二病真っ盛りで、ドヤ顔で知ったようなことばかり語っているが、それもまた青春か。せっかく成績は悪くないんだから、もう少し役に立つことを沢山覚えて下さい。とにかく誕生日おめでとう
2011年12月02日
中学2年の二男坊が通う塾から、「在塾生の兄弟姉妹限定・冬期講習特別ご優待券」なるものを配布された。いつもこの時期にはこういう無料お試しチケットが渡されるのだが、兄弟姉妹の宛て名が印刷されたチケットは初めてである。和樹宛てはもちろんのこと、「○○伊吹様」宛てのチケットも入ってた伊吹が塾、ですかい・・・そうだねー、通わせてみたいよねぇ。思えば幼稚園就園の年頃にも、近くの幼稚園からお試し保育の案内が送られてきたなぁ。まだ哺乳瓶でフォローアップミルクを飲み、立つことも出来なかった頃だけど。「普通の小中学生」のための「普通の学習塾」から、ごく当たり前に届けられる、伊吹宛ての招待状。こんな機会がある度に、というか、こんな機会がないと、伊吹がもう小学4年生の女の子であるという事実を忘れてしまう日々。いえ別に塾に大して怒ってるんじゃなくて、あ~塾に通っていてもおかしくない年頃なんだよなぁトホホと苦笑してしまうよ、というお話でした。ちなみに和樹にもまだまだ塾は不要かなと思う。週二回の習い事(水泳・テニス)以外は毎日友達と遊ぶのに大忙しの今、子供にしか作れない思い出を沢山作らせてあげたいからね。
2011年11月25日
和樹の通う小学校に、新校舎が増築される。従って校庭が必然的に狭くなり、慣れ親しんだ遊具が撤去されることに。昨日、「ついにブランコが壊された!」と残念そうに私に報告してきた。いずれブランコなどの遊具は場所を移して作ってもらえるのかも知れないが、入学式の日からお馴染みになっていた好きなものがなくなるのは子供にとってショックだろう。我が家や学校周辺には次々と分譲住宅やアパートが建築されていて、幼い子供の数も増えているようだ。こうして見ると、「少子化」なんて言葉が絵空事のようにしか聞こえないわけだが、決まった地域にしか人口が集中していないとも言えるのかも知れない。子供の頃に教わった「ドーナツ化現象」という言葉を思い出した。話は変わり、先日、和樹が得意気な顔で「和樹ね!『給食標語』のクラス代表に選ばれたんだよ!」と報告してきた。どうやら市だか県だかで給食標語なるものを学校単位で募集しており、各クラスから一名、候補者を挙げたらしい。上の息子たちは、そういう何とかの代表だの候補だのとは無縁に生きてきたため、そんなイベントがあること自体知らなかったw心から褒めてやったところ、益々調子づいた和樹、「ああ~和樹の標語が優勝するといいな!新聞やテレビに写真が載ったらどうしよう!!」と、一人でワクテカしていた。いや・・・標語ぐらいで君の顔写真が載るとは思えないし、第一いきなり優勝の心配かよ!どれだけ夢がデカイんだい。でも、そのポジティブさが君の長所なんだけどね。まあ、親としては当然、入賞してくれたらいいなぁと思うが、当然他の候補者もいい標語を作ったわけだし。担任の先生に認めてもらえただけでも、嬉しいなと単純に思う。もし佳作にでも入ったら、息子の作品を晒すつもりですw
2011年11月22日
和樹が来年、子供会のかるた大会に出る。その関係の用事で、先ほど子供会の役員さんの一人(おそらく初対面)と顔を合わせて話をしてきた。彼女は最後に「うちの娘も出るので、よろしくお願いします~」と言った。私も何気なく「何年生ですか?」と聞いたのだが、聞くんじゃなかった、春歌と同じ5年生。しかも、名字も漢字が少し違うが読みが一緒という・・・12年が経つというのに、こんなことがある度に心に細い、細い針が刺さる。その人の娘さんは、春歌が通うはずだった小学校で5年○組の●●さんと呼ばれ、じきに中学へ上がり、人生を刻んでいく。私の娘の時間は生まれた日のまま。止まったまま。誰も悪くない。分かっている。あの日から何百回、自分に言い聞かせてきただろう。もちろんそんな心の闇はおくびにも出さない。かるた大会でも笑顔で和樹を連れて行く。そしてこれからもずっと。きっと、私自身が死ぬその日まで、心に刺さった針は周りの誰にも気づかれないよう隠して生きていく。
2011年11月20日
大宮ソニックシティで開催された「ウィークエンド科学探検教室」に、小学2年になった末っ子・和樹と行ってきた。テーマは「普段学校の授業では出来ない実験や観察、工作などを、科学教育ボランティアの皆さんに指導していただき、体験するもの」(チラシより)物心ついた頃から、工作に始まり、レゴブロック、手品、発明もどき、実験もどきなどなどに興味を示してきた息子には、まさに垂涎ものの企画だった。ボランティアの皆さんは、普段教員をされているのか、または教員の経験があるのか、ある程度お年を召した方が多く、ブースに近づくと非常に丁寧に教えて下さった。教室の内容は、ものづくり・数学・科学・環境と多岐に渡り、いずれも遊びやおもちゃ作りを通して楽しく理数系の勉強が出来るといったもの。その中で特に和樹が気に入ったのは、・「目の不思議」錯視を利用した、いわゆるトリック工作やトリックアート。YouTubeの動画で見た、角度によって見え方が変わるドラゴンを、自分でその場で作れると知り大興奮。神田淡路町にある、錯覚美術館というところの情報も教えてもらった。そんな素晴らしい美術館があるのね。観光地のトリックアート美術館じゃ遠いけど、都内なら時間を作って行けそうだな。・「リニアモーターを作ろう」乾電池、銅線、磁石など、身近で手に入る材料で作る、リニアモーターカーもどき。磁石の反発で動くという原理ぐらいは、理数と聞くと蕁麻疹ができる私でも分かるが、実際作る様子を見ると「へぇ~!!」という感じだった。・「ペークロアート」名前を聞く限りでは「?」だが、雨に濡れた手書きの葉書を誰でも目にしたことはあるだろう。これは、その性質を利用したアート。水性のサインペンで紙に点描を描き、水をたらすととても幻想的な模様になる。ここでのテーマは、サインペン一色一色が実は様々な色を混ぜて出来ている、という不思議。黒=黒、赤=赤ではない。だからカラフルな朝顔のような模様になる。・「エコ・エネルギーを体験しよう」風力発電や太陽光発電を利用した手作りおもちゃが多数。「これからは有害なものを一切排出しない自然の力を利用していきたいね」と語るボランティアさんが印象的だった。10時から1時までいたが、和樹はもっといたかったようだ。午後からスイミングなので帰ってきてしまったが・・・ところで私が子供の頃は、こういった企画はあっただろうか。あったかも知れないが、ハナから興味を持たなかったし、親に誘われたこともない。もし、こんな企画が身近になかったとしても、当時なら周りの自然環境が教えてくれていたはずである。子供自身が積極的に知ろうとすれば、の話だが。身近に学べる自然環境がないが、大人が機会を与えてくれる現代に生きる今の子供たちと、私のように、自然環境に恵まれていたはずなのに知ろうとしなかった子供たち。どちらがいいのだろうか?
2011年11月05日
1年ぶりの小児医療センターでの定期健診だった。計測結果:身長・・・103.0cm体重・・・17.2kg頭囲・・・49.0cm(10歳0ヶ月現在)相変わらず身長は立って測る身長計では嫌がって暴れるので、ベッドに寝かせて計測。それでも仰向けになるのを嫌がるのでうつ伏せ、しかし頭は起こしたまま。正確な数値かどうか怪しいが、とにかく計測を終えた。診察でも特に問題はなかったが、甲状腺を調べたいので血液検査をと言われ、採血して終了。簡単に書いているが、ここでも大暴れ。伊吹を知っている医療関係者がその場にいなかったので、一人の看護師が大人の採血をする時みたいに、テーブルを挟んで待ってたwいや~、寝かせて尚且つ少なくとも二人がかりで押さえつけないと無理だからww家を出たのが9時15分頃で、帰宅が1時半。相変わらずの混みっぷりな小児医療センターでした。遺伝科はまた一年後だなー。年齢と共に受診する科と、間隔がどんどん空いていってるのは嬉しいことだ。伊吹が18歳になるまで、あと何回ここに来ることになるのかな。そして大人になったら、どこでどれだけの手厚い医療を受けられるのかな。やはり心配は尽きない・・・
2011年10月25日
楽天ブログの皆さんお久しぶりです。覚えていてくれる方が一人でもいらっしゃれば嬉しいです。丸4年近くこのブログを放りっぱなしにしておきながら、最近になってTwitterなんぞを始めた関係で戻ってきたりしています。ここ4年で私自身も周りの環境も少し変わりました。手が本当にかかる子は伊吹一人となり、上の息子たちは難しい年頃となり、我々夫婦も年をとったなぁと。お互い喧嘩をふっかける機会もグッと少なくなり、そこそこ落ち着きました。そして生活がある程度落ち着いた私は、自分の好きなことを色々始めています。Twitterでは極力「子持ちな私」をアピールしていません。でも、時にはまだまだ我が子自慢や、子育ての愚痴をちょっと言ってみたいです。そんな時、こちらのブログで呟くかも知れません。「ブログ再開しました!頑張って日常を綴っていきます!!」とは絶対言いません。頑張りすぎて良いことは少なくとも私にはありませんので。伊吹は今日で満10歳になりました。「最重度知的障害」という肩書きは未だ変わらず、喃語しか喋れません。意思表示はものすごくはっきりしており、何か不満がある時・興奮した時・その他さまざまにおいて・・・人の皮膚にものすごい力で爪を立てるのが一番の悩み。トイレに定期的に連れて行けば、日中は失敗はあまりありません。食事は未だにペースト食メインですが、柔らかく煮たものや水分の多いものなど、形が残っていてもモノによっては食べられます。目を通してものを見る力がすっかり退化してしまい(脳の働きの関係)、本人はそれで満足してしまっています。近々、盲学校の教育相談を受けたいなと思っているところです。足取りはかなりしっかりしてきました。普通の学校のトラック一周ぐらいは歩けるんじゃないかと思います。だからこそ、目が見えていないのはこちらがハラハラなのですが・・・聴力はその分しっかりしており、音楽を聴くのも大好き、踊るのも大好きです。先日の文化祭では舞台で元気にラッセーラーと踊りました。そんなアーティストな伊吹への誕生プレゼントは、本日発売の「おかあさんといっしょ」の最新ベストアルバムでした。伊吹のお陰で、子供が大きくなっても幼児番組に詳しくいられます。喜んでくれるかな。では、また。
2011年10月19日
・今日の体重:50.1kg(開始日3月2日から-9.7kg)・今日の体脂肪率:26.5%(計測開始日4月7日から-5.0%)前回の日記から1ヶ月半。結論から言うと、丸々3週間ぐらい、運動は何もしていなかった。9月中旬に膝を故障して以来、上半身中心の筋トレを細々とやり始めたが間もなく(最後の日記の直後)40度近い高熱を出し寝たり起きたりの生活が10日間以上。熱も上がったり下がったり。熱のほかにも酷い咳が出て、普通に口を利くことも出来ない状態。一言喋るだけでたちまちむせる。内科で薬をもらうも、すぐには利かなかった。そんなだから、筋トレをするのも辛くなり、中断。身体が言うことを利かなくなると、精神的にもクルらしく、数日間お菓子の過食へ走ってしまった。食事で満腹になっていてもお構いなしにチョコ菓子を腹に詰め込む。心の声が「待て!チョコだぞ?!脂肪分やカロリーがこってりだ。そんなに身体を脂肪まみれにしたいのか?運動もしていないんだし、その摂取カロリーを消費するのは無理だぞ!」と言うのが聞こえるが、手と口は止まらない。それでも暫くは体重・体脂肪率共に大きな変化はなく、調子をこいていたら、徐々にきましたよ。体脂肪率アップが。30%なんて日もあった。これじゃ開始の頃の31.5%と全く変わらないではないか。気のせいか(んなわけない)、体つきも締まりがなくなってきたような。チョコレートやケーキ菓子を次々と頬張りながら、「もういいじゃん。リバウンドしたって。だって、こんなにお菓子が美味しいんだもん。お前がデブだろうとスリムだろうと、誰も気にしないしさ」という悪魔の囁きと、「ジーンズのウエストに肉が乗らなくなった、あの感動を忘れたか?!『痩せたね~!』と皆に言ってもらえた、あの鼻高々な気分は?このままでは、尻が四角くてブヨブヨした、中年オバサンそのものの体型に戻るよ!」という天使の囁きを同時に聞きながら、思った。お菓子だって、別に食べてもいいんじゃね?その代わり、運動を再開しよう。というわけで、つい一昨日から、室内エクササイズ(とりあえずはターボジャム)を再開その日の気分で時間を費やし過ぎたり、逆に適当にならないよう、ターボジャム付録のスケジュール表にほぼ忠実に従うことにした。それも初心者向けの方。間が空き過ぎたし、気持ちも一新するようなつもりで。初心者用も上級者用も、土日は「休み」と書いてあるがその辺はTVでも見ながらのんびりクローディアでもやろうと思う。いや・・・クロの腹筋なんか久々にやったら・・・死ぬぞまあ、その辺は適当でwしかし不思議なもので、「身体を動かしてカロリー消費をしたい」という気持ちと、「甘いものを食えるだけ食いたい」という気持ちは反比例するようだ。一昨日から今日まで、決して甘いものを絶ったわけではないのだが、少なくとも暇を見つけてはお菓子を口に放り込むような生活は送っていない。ひたすら我慢しているのではなく、何となく・・・である。膝を壊してから徐々にアップしていった体脂肪率はここにきて漸く増加を止めw体重も何となく落ちてきた。まあ、筋肉が衰えたというのは勿論あるだろう。だからまだ喜ぶ段階ではないのだが。と言いつつ、今日は杉の子仲間との飲み会ですたいや~、唐揚げだのサーモンだのタラコで和えたうどんだの・・・たいへん美味しかったです。どうしてくれるんですか(嘘)酒に関しては益々下戸になり、ジョッキ約2杯分+サワー1杯しか飲まなかったのに、悪酔い一歩手前だった。危ねえ危ねえそれにしても、皆と久々にお喋り出来てよかった。あの頃は毎日の送り迎えや保護者の参加が頻繁なことで、面倒くさいと思うことも多過ぎたが、だからこそ気持ちを分かち合えた部分はあると思う。これからも(子供が成人した後でも)時々遊びたいなぁ、と勝手に思っている。また誘ってね(←あくまでも他人任せ)
2007年11月03日
・今日の体重:51.7kg(開始日3月2日から-9.1kg)・今日の体脂肪率:26.0%(計測開始日4月7日から-5.5%)・今日の運動: ビリーの腹筋プログラム30分 &クローディア上半身編(の後半ダンベル体操のみ)30分 =合計1時間0分 ・・・ええ、筋トレだけです 心拍計は着けていない。走っていないので当然i pod nanoも×前回、「ジョギングで膝を痛めた」と書いた。あれから痛みは一向に引かず、しゃがむ時も苦痛なら立ち上がるときはもっと苦痛で、ぐわぁぁぁっと声を出さずにはいられない状態になってしまった。自分では決して無理をしているつもりはなかったが、身体は正直である。ダイエット効果を即効で期待するというのが、そもそも間違いで、心拍数も距離も気にせず、「家でゴロ寝しているよりマシ」という程度の気楽さで、ちんたら走っていればよかったのだ。膝の痛みに拍車をかけたのが、先週の中学校の運動会。今年度、広報部の役員を引き受けた私。運動会の取材係をすることになった。校庭のトラックのど真ん中で我が子(と他の生徒たち)の活躍ぶりを堂々と見られる優越感に浸り、しかし立ちっ放しで撮影するのも少し気が引けるし、で、時々無理に片膝を着いたりした。(ちなみに、うちの長男は陸上部で走り慣れているハズの1500メートル走などに出場。結果は芳しくなかったが、昨年よりカッコ良かったかな・・・?頑張ったね)家に帰って靴下を脱いでみたらふくらはぎが物凄く浮腫んでいた。足が浮腫むという経験は、私の場合、妊娠中でさえ味わったことがない。そりゃ、生まれてから一度もないとは言わないけれど、靴下のゴムの跡が夜寝る時まで消えないというのは初めてだった。というわけで、今月14日を最後に、しばらくジョギングはお休み中かと言って筋トレなら無問題かと聞かれると、答えはノー。腹筋プログラムでも、ビリーの「もっと腰を落として!」には無視w膝に負担をかける動きにはとても慎重になっている(つもり)。腹筋を中心とした、上半身ばかり鍛えている。今のところ、ジョギングを休んでいることによる弊害はナシ。それどころか、体重・体脂肪率ともに再び減少の傾向を見せ始めている。まあ、嬉しいことは嬉しいが・・・複雑。
2007年09月19日
・今日の体重:52.0kg(開始日3月2日から-8.8kg)・今日の体脂肪率:26.5%(計測開始日4月7日から-5.0%)・今日の運動と結果 ※なのでジョギング中止(カルディオパーティー&ターボスカルプト =合計1時間25分) 消費カロリー:274kcal 最大心拍数:132 平均心拍数:103 目標心拍数:設定OFF・・・えーと・・・しばらく日記を書かない間に、少しずつ体重が+にいや、体重のみの増加なら「筋肉が付いたのかな」で済むが体脂肪率まで雲行きが怪しくなってきたんですが?原因は、考えられるのは二つ。1.夕食を家族と同じメニューに戻したこと。 (※我が家は食材宅配のヨシケイ愛用である 栄養バランスやカロリー、見た目などは、 私が思いつく献立より遥かに優れていると言っていいと思う)2.ストレス。振り返れば、私が自分の夕食だけ別口で作り始めたのがダイエット開始日=3月2日である。それから半年。・・・半年ですぜそりゃ一日も欠かさず、というわけではなく時には外食して高カロリーのものを食べたりもしたがそれでもほとんど毎日、家族と別口。よくやったものである。自分を褒めてやりたいところだが、ここ1,2ヶ月は小数点以下程度の減量しか出来ていないことを考えると、褒めるのはずっと先延ばしになりそうだ。NIKE+とi pod nano(つい最近発売になった動画も見れる新バージョンではない)を買い、一日につき最低10km、最長13kmジョギング。その他、日中時間がある時に1時間前後の筋トレ(クローディア上下・ビリーの腹筋プログラム・ターボスカルプト、これらを日替わりで)。NIKE+を使っている感想は近々述べるとするが、まあ、毎日こんな感じの運動をしている。確かに夕食を元に戻した(とは言え、主食はまだ怖くて茶碗に一口分ぐらいしか盛らない)のは大きいだろうがここまで体重・体脂肪率に響いてしまうものなのか?と、次に考えたのは「ストレス」だ。ストレス理由を全部挙げていると徹夜になってしまいそうなので割愛するが、まあとにかく毎日が忙しくて仕方ない。どうしてこんなに忙しいのか分からないが、原因の半分以上は「私がトロいから」だろうと思うと益々ストレスに拍車がかかるというものだ。幸い、ジョギング自体は走り出すと楽しいので続いているのだが、運動もストレスになってしまったらその時は「終わり」だろう。しかし現在、そのジョギングの影響で、膝が故障気味。しゃがむ姿勢と正座、そしてその姿勢から立ち上がるときがかなりやばいジョギングに関する本を読むと、そんな時には無理せずにウォーキングに切り替えると良い、とある。でも、それでは消費カロリーと心拍数がなぁ・・・なんて言っている場合ではないんだろうな。どうする私・・・先ほど、ヨシケイのリンクを貼るために公式サイトを開いたら初めて知った、同社の「ヘルシーメニュー」。一日三食、1520kcal分の献立の食材を配達するというものらしい。かつての置き換え食ダイエットに走るのはもうウンザリだしフェリシモのラストダイエットのメニューも食べ飽きた。配達員さんにメニューブックをもらってみようかな?どうやらダイエットにゴールはないらしい・・・心の病にまで発展しないよう、健全な方法で頑張るのみである。
2007年09月12日
・今日の体重:51.3kg(開始日3月2日から-9.5kg)・今日の体脂肪率:27.0%(計測開始日4月7日から-4.5%)・今日の結果(カルディオパーティー45分・ターボスカルプト45分 =合計1時間30分) 消費カロリー:236kcal 最大心拍数:129 平均心拍数:103 目標心拍数ゾーン(111-128)での運動時間:26分 →年齢に基づいた「オートマティック」によるほとんど一日も休まず早朝ジョギングをしている割に夜寝るのが早いとは言えず(10時半過ぎとか)、寝不足が祟ってしまったようで、起きるのが辛い。なので、今日は自宅でのんびりターボジャムのセットを行った。運動合計時間は1時間30分と書いたが、途中で何故かアンダーバストに巻いてあるトランスミッターがずれたので、数分間心拍が「ゼロ」の状態にあと、カルディオからターボスカルプトに切り替えた後の10数分間心拍計のスイッチを一時停止したまま忘れていた。だから正確な消費カロリーなどは分からないが、さほど大きな違いはないと思う。しかし、カルディオも要所要所でキツイのは相変わらずだがスカルプトも・・・キツかった~こんなにキツイっけというぐらい。疲労が溜まっているのか、久しぶりに行ったからか。ところで、ジョギングしていると腕まで筋肉痛っぽくなるのは私だけだろうか?走るときに自然と腕を振るものだが、あれでなかなか腕の筋トレにもなっているのかな?体脂肪率も相変わらず大きな動きはないし体重も旅行の時からやっと1kgマイナスになった程度なので最近はモチベーションが下がって行きそうで、ちょっと怖い。気長に頑張るよ時間を気にせずに昼寝出来たらいいなぁ~・・・
2007年08月28日
・今日の体重:52.0kg(開始日3月2日から-8.8kg)・今日の体脂肪率:25.8%(計測開始日4月7日から-5.7%)何か昨日より増えてるし。しかし体脂肪率に限って言えば、6月下旬の記録から見ると確かに減っているのだ。6月下旬の平均は27%台。今でも時々27%ちょっとの日があって、凹むが、25%台が普通である。これも、毎日コツコツと地味ながらもエクササイズをしてきた成果だろうか。だとしたら本望だジョギングを始めたことで、今後も少しずつ減ってくれるといいんだけどね。今朝もいつも通りに起き、部屋の中でウォーミングアップ。さて行ってくるか!と外に出てみたら、雨雨の中を走るのも気持ち良さそうだが、調子に乗って風邪でもひいたら仕方ないので、今日はパス。久々にターボジャムのカルディオパーティー&腹筋ジャムをセットで行った。私の場合、カルディオパーティーや20分ワークアウトの時は手首と足首に巻くタイプのウエイトを着けている。手首用は二つで1kg、足首用は二つで2kg、合計3kg。ちなみにジョギングから帰った後にワークアウトをする際は足首用は着けない。流石にちょっとキツイからターボジャムオンリーの運動もなかなか楽しかった。が、やっぱり満足の行くカロリー消費は出来ず。数値で表すと以下の通り。・昨日の結果(ジョギング約1時間・20分ワークアウト=合計1時間20分) 消費カロリー:417kcal 最大心拍数:146 平均心拍数:127 目標心拍数ゾーン(125-141)での運動時間:57分・今日の結果(カルディオパーティー45分・腹筋ジャム20分=合計1時間5分) 消費カロリー:214kcal 最大心拍数:132 平均心拍数:107 目標心拍数ゾーン(111-128)での運動時間:25分何故、目標心拍数ゾーンの数値が二日間で異なるかと言うと昨日はオウンゾーン(私個人の、有酸素運動に最も有効な心拍数ゾーン。その日の体調などによって異なる)に基づいて行ったのに対して、今日は単に「私の年齢」に基づく目標心拍数(オートマティック)にセットして行ったからである。ゾーン内に入らないと、心拍計の音が五月蝿いからちょっとズルしちゃったわけ。別に音をオフにすればいいだけのことだが、やっぱり集中できないからねぇまあ、そんなわけでカロリー消費などに関しては今日は物足りない結果となってしまったが、このカルディオパーティーと腹筋ジャム自体は久々だったからか、結構きつかったカルディオの中で一番きついのは、序盤の「キック&スクワット」。今日は途中から息が上がり、当然心拍数も最大値に。他のコーナーでは逆に余裕過ぎる箇所もあるのだが、キック&スクワットは未だに駄目だわ腹筋ジャムも、今まで余裕だと思っていたのに最後の膝を立てて座り、足を浮かせる腹筋運動のところで身体が悲鳴を上げていた・・・ほぼ一日交替でクローディアのアッパー&ロウアーを寝る前に行っているのに、何このザマは。何種類かの運動を交替にやる。というのが大事だなぁと実感した日ですた。クローディアの筋トレは確かに効くのだけど、同じ動きばかり毎日やっていると、身体が無意識に楽なやり方を覚えてしまうのかも知れない。ターボの腹筋ジャム、舐めてました。ごめんなさい明日はクローディアの代わりに、これまた久々にターボスカルプトでもやろうかしら・・・
2007年08月23日
さて、初っ端からド素人丸出しのマゾヒスティックなジョギング(?)でふくらはぎや土踏まずに大ダメージを負ってしまった私。これではいけない。基礎から少し学ばないと駄目だわ。と考えて、色々検索した結果。『知識ゼロからのジョギング&マラソン入門』小出義雄・著 幻冬舎著者は、あの高橋尚子さんのコーチである、小出義雄さん。購入者のレビューを見てもなかなか良さそうだったのでゲット。内容は、タイトルが語る通り、私のようにジョギングのジョの字も知らないような者にも大変分かり易く書かれている。お勧めだ。一通り読んで、ウォーミングアップやクールダウンのやり方や大切さ、靴の選び方、基本的なフォームなどを学び(と言っても、決して堅苦しい書き方はしていない)、旅行先での自分の無謀さ、つーか阿呆さ加減に気付いた。間もなく、近所のスポーツ用品店にて「きちんとした」ランニングシューズをゲット。値段は1万円近くで、私の中の相場としてはかなり高値だが妥協しないことにした。もちろん、足のサイズ(縦・横)を計測してもらい、いくつか試し履きをした上でのことだった。ナイキのシューズなので、店員にi-pod nano用の何たらを勧められ心が動いたが、これ以上ダイエット貧乏になれないのでまたの機会に考えることにした。ジョギング中の心拍数は、ポラールの公式サイトにも書いてあったが、ダイエット目的なら軽強度ゾーン=lightがベストらしいので、そうしている。私の場合は軽強度なら120~140ぐらい。140近くになると、走っていて結構辛くなってくるので理想としては120強が丁度いいのだが、気を抜くと下限値を下回ってしまったり、逆に張り切りすぎて上限を超えてしまったり。が、とにかく自分のペースで調節出来るのがジョギングの良いところかなちなみに、ウォーキングのみではステッパーと同様、なかなか心拍数が上がらない。今までの室内エクササイズのお陰で、だいぶ基礎代謝か何かが上がった結果かも知れない。今のところ、5時前に起床し、前後のウォーキングを併せ約1時間行っている。何km走っているのかは、フィットネス用の心拍計のみなので分からない('A`) 安い万歩計でも買おうか検討中。ポラールのランニング用心拍計は、いいものは高いので買えない。帰宅後はすぐにターボジャムのワークアウトか、『燃焼』。ジョギング後のクールダウンの意味もあるし、正直まだジョギングに費やせる時間は1時間程度だからだ。その気になればもう少し走れるのだろうが、精神的に1時間で一杯という状態だ。始めてまだ2週間ぐらいで、今のところ目に見えた変化はないし(体脂肪率に関しては、少しずつ減りつつあるような・・・?)毎朝アラームで起こされるたびに眠気に負けそうになり、「今日はやめとこうかな・・・」と思う。しかし一旦起き出せば何とかなるものだ。朝が早いので夜更かしは出来なくなったけれど、夜更かし→寝坊で一日が短くなるよりずっといい。明日も走りますよ
2007年08月22日
・今日の体重:51.8kg(開始日3月2日から-9.0kg)・今日の体脂肪率:25.7%(計測開始日4月7日から-5.8%)体重に注目。・・・2kg前後戻っちまいましたそう、あれは今月上旬、家族旅行で静岡の下田に行って以来。これまで食事に気を使っていたのが帳消しになるぐらい、普通にバカバカ飲み食いしてしまい、家に帰った翌朝、体重計に乗ってビックリ体重52.4kg、体脂肪率27.0% でしたよ。まあ、増えているだろうとは思っていたけどさ。筋トレしているし、前と比べれば太りにくくなっているだろうと思い込んでますた。甘い。甘いよ自分。とりあえず、旅行中の食事内容(晩酌のや・などの炭水化物や脂質摂り放題)はすぐに見直し、旅行前の主な食事内容→(朝は全粒粉パンやシリアル、果物など。昼食は自由。夕食は炭水化物抜きで豆腐や豆乳料理中心)に戻した。また、これは旅行に行く前のことだがポラールというメーカーの心拍計(F6)を購入した。各自の年齢や体重などから最適な心拍数を割り出し、その日の体調に合った運動強度に導いてくれるものである。後になってみて、体重管理に最適らしいWMというシリーズも気になったがどうなんでしょ。値段はこちらの方が若干高いのだけど・・・とにかく、心拍計を用い、自分に最適らしい心拍数の範囲内でエクササイズすることに専念してみた。だが・・・少なくとも今手元にあるエクササイズDVD(ターボジャム・ビリーズブートキャンプ・クローディア)では目標心拍数にはなかなか達しないか、或いは特にビリーだと上がりすぎたり下がりすぎたりが激しい。まあ、最も、クローディアやビリーの腹筋プログラム、ターボジャムの腹筋ジャムあたりは筋トレオンリー(無酸素運動)なので、心拍数が上がらないのは仕方ないので良しとしても・・・心拍数の調節がもっとマイペースに出来る運動と言ったら何があるだろう?そして、私なりに色々考えた結果、TVを見ながらでも出来そうな(笑)ステッパーの購入を検討した。が、その前に、実家で母がだいぶ前に買ったはいいが続かずに放置してあるステッパー(メーカー不明)があったことを思い出し、電話で聞いてみたところ、案の定「使ってないからあげるよ」との温かいお言葉が。数日後に届けてくれたので約二日間ほど頑張ってみたが・・・何だかねぇ。この器械が悪いのか、強度の調節がなってないのか(取説もないので分からない)、はたまた私にはステッパーダイエットというものが合わないのか、しんどい割には心拍数がなかなか上がらない。本気で踏んでいると、真っ先に膝を痛めそうだしせっかく「ながら運動」が出来そうだと思ったのになかなか上がらない心拍を気にし、汗はボタボタ、膝はガクガクで、TVの内容などちっとも分からない。そうだ京都、行kジョギングしてみよう。と思い立ったのが下田への旅行直前のことだった。一応、ジョギングシューズ選びから始めよう、と言ってもよく分かんないから、浜辺で兼用出来るようにアクアシューズでいっか。という、素人判断と言い訳するには甘すぎる考えにより、深い後悔をすることになる。ホテルの周辺はアップダウンの激しい地形になっており、展望台もあったりする。(海岸線だから珍しくもないだろうが)その展望台を目指し、ウォーミングアップもろくにせず、ストライド(歩幅)は大きく、初心者のジョギングとしてはかなりキツい心拍数(いわゆるmoderate、中強度ゾーン)でのっけから約40分も走ってしまった。ワゴンセール品のアクアシューズで。上り坂・下り坂の多い道を。そして、もっともやってはいけないこと。踵からではなく、つま先から着地するという、短距離向けの走り方をず~っとしてしまった翌朝、旅行最終日。ふくらはぎがパンパンに張って痛く、階段の昇降が地獄の苦しみだったことは言うまでもない・・・長くなったので、つづく。
2007年08月22日
・今日のエクササイズメニュー: なし ・・・時間がなさ過ぎたのさ・・・・今日の体重:50.6kg(開始日3月2日から-10.2kg)・今日の体脂肪率:26.0%(計測開始日4月7日から5.5%)前回7月1日の日記で、>初心に返ってラストダイエット初期のメニューで一日三食×約一週間ほど減量を頑張ってみたいと思う。と書いたアタクシ。事実、その翌日から頑張ってみた。2日のメニューは、『ラストダイエット』の中で「ワンデーポイントダイエット」と呼ばれている地獄のメニューだった。内容としては、「これじゃあ腹が減って当たり前だろ」てな感じ。具体的に書くと、このメニューばかり連日のように取り入れる人が出てきそうな気がするので、自粛しておく。(杞憂かな?)本にも「エラー(本に書かれている以外のものを飲食してしまうこと)が何日も続いてしまった週の最後の一日だけに留めて下さい。連日このメニューだけにしないように」と書いてある。つーか、一日どころか、もうアレだけはゴメンだ。確かに、一日経った翌朝には、体重は丸々1kgダウン(51.4kg→50.4kg)、体脂肪率も1%ダウンしていた(26.7%→25.5%)。その後今朝に至るまで、微妙な上がり下がりはあるが遂に念願のマイナス10kgに成功したと言えるだろう。が・・・たった一日での大幅な(だよね?)減量と引き換えに、イライラしてどうしようもない状態に。何せ、一回の食事終了後の1時間後には胃がグーグー鳴っているしさ。子供、特に和樹が私の言うことを聞かずにグズグズしていたりすると普段なら怒鳴る一歩手前で堪えるところを、眉間に皺を寄せてガミガミと怒ってしまった・・・同時に「あたしはどうしてこんな思いまでして痩せたいと思っているんだろう」というネガティブ思考に一直線こうなってしまうと、もう駄目だということは過去の経験上分かっている。『ラストダイエット』は実に優れた本だと思う。現に、エクササイズなどの運動を全くしなかった頃の1ヶ月で6kg減量出来たし。もっとも、意志だってある程度強く保たないと無理だが、4~3ヶ月前の私は「運動をしなくても食事だけで痩せられるなら」と本当に必死だったんだろうと思う。まあ、5月にビリーのDVDに会ってからは「まずは運動ありき、ということも大切だな」と意識が変わったので、食事改善に強い固執はなくなったのだが。そして、強い固執がなくなったからこそ(?)ダイエット開始当時の自分自身には戻れなくなっていた・・・何故かと言うと・・・開始当時は左程苦もなく食べていたダイエットメニューでは、とてもじゃないが物足りない。一応、明日で第一週目のメニューが終わるが、第二週目はもういいやで、取り入れない予定。基本中の基本には、ずっと沿っていくつもりだが。・・・そうそう、『ラストダイエット』は優れた本。その後、こう書きたかったのだが話が脱線してしまった。個人的には、「ワンデーポイントダイエット」はお勧めしませんです・・・あのメニューを忠実に守れるぐらいの人ならそもそも「エラーしまくり」には始めからならないわけで、その丸一日の食生活が酷いストレスを産み、過食に走ってしまう・・・という恐れを内に沢山秘めているから。いえね、現にこの私が、昨夜寝る前に菓子を食っちゃったから。寝る前の菓子だけは絶対に食べるまいと決めていたのに。まあ、何事もそうだが、自分が思い詰めて自虐的になるぐらい頑張り過ぎたら駄目だよってことでしょう。結論。明後日から、またのんびりと豆腐や豆乳を食べて自分自身を取り戻したいと思う・・・
2007年07月07日
近頃、ダイエットのことしか書いていないことに自分でも焦りを感じつつ一つの日記だけで時間が手一杯になってしまい、伊吹の目ざましい?成長について触れられなかった。近々、伊吹のフリーページ欄にまとめようかとも思うが、すみれ園に入園してから、とても成長した伊吹。5月12日の日記にて、伊吹の良い変化について書いたがその後も少しずつレベルアップしてきている。まず、5月の頃と比べても、「要求の仕草」が更に分かり易くなった。ずっと前から手遊びが大好きなのだが、「どんな遊びを」繰り返して欲しいか、大人の手を取って示すようになった。例えば、自分の手を大人の両手で挟んで欲しいとか、自分の目の前で拍手して欲しいとかなど。そして、これは手遊びだけでなく食事などの日常全てでも言えるのだが、自分の期待に反すると、怒るようになった。先日も『一本橋こちょこちょ』の手遊び歌で「階段登ってぇ・・・こちょこちょこちょ!」の部分を「階段登ってぇ・・・降りてぇ・・・」と伊吹の腕に這わせていた先生の指を後退させたら、激怒したらしい「そこ、くすぐるところでしょー!!」と言いたかったのだろう。また、自分の周囲に関心が出てきたことを如実に表しているのが、朝の集会のお名前呼びや、給食時の「いただきます」の挨拶でそれらしい反応を示すようになったということ。「名前を呼ばれて反応」すると言うよりむしろ自分(伊吹)の目の前に先生がやって来てくれて、どうやら自分一人に向かって、楽しげな声で話しかけているらしい。そして先生はいつもの歌を歌ってくれる。「いぶちゃんいぶちゃんはどこでしょうここです、ここです、ここにいます~」歌の後に「伊吹ちゃ~ん」と、先生が言うのが聞こえる。それに対して自分が何かしら反応すると、先生は何やらとても嬉しそうに拍手したり、笑ったり、自分の頭を撫でてくれる・・・という、期待。その一連の流れが楽しいようである。「それらしい反応」というのは、具体的には「伊吹ちゃ~ん」と呼ばれた後(時々フェイントで、呼ばれる前だったりするが)に自分で拍手をしたり、手を挙げてお返事する仕草をしたり、ということ。すごいでしょ?また、「いただきます」「ごちそうさま」の時には一度両手をポンと合わせるのだが、その仕草もやるようになったし最後にお辞儀するところも出来るようになったとか・・・(母子通園の時は、運悪く私は見たことがないが)歯磨きの際に自分で歯ブラシを持ち、口の中でこちょこちょと磨く(?)ことも覚えた。これは私も見ることが出来た。口中に歯ブラシという異物を入れることに抵抗感がなくなったお陰で、仕上げ磨きも左程嫌がらなくなった。他、手洗いの仕草も覚えた。流しの前に立たせると、両手を上手に擦り合わせる。掌同士だけでなく、片方の手の甲をもスリスリそして、トイレに連れて行くと場所が分かるのだろう、時々だが、便座でオシッコに成功することもある。脱がしきる前に出てしまったり、逆に便座から降ろした後に出てしまうこともちょくちょくだが。家でもオマルに座らせるが、なかなかタイミング良く出てはくれない。そして、給食。水分にとろみを付けているのは相変わらずだがサラサラの液体状のスープなども、一口二口ぐらいはスプーンから取り込むようになった。以前からも、別に液体を「飲めない」わけではない。現に風呂のお湯は口を付けてゴックンしているのだから嚥下に支障があるのとは違う。偏食、それに過敏さと警戒心の強さに加え口からの取り込みがどうしても下手なので、唇をしっかり閉じず、ダラダラとこぼしてしまっていたし今もその辺を完全クリアしたわけではないが始めから頑として受け入れようともしなかった以前と比べ、とりあえず始めの一口二口目までは口を開けてくれる、今日この頃。だが、一旦警戒すると、今まで食べていた物も拒否!という柔軟性のなさは変わっていない先週の母子通園の日も、試しに白飯に牛乳を混ぜてみたところペッペッと吐き出し、その後普通の白飯を差し出しても決して食べてくれなかった。おかずの肉豆腐だけでお腹を膨らませた次第。それにしても、給食は偉大だ。と思う。上記の肉豆腐も、やわらか食の場合はひき肉を更にミキサーか何かで細かくし、ほとんどペースト状に。豆腐も単に絹ごしを使っているとかではなく、口当たりがものすごくまろやかな感じ。だいぶ前にも、すごくまろやかな魚の切り身が出て感動したのだが、これは正確には切り身ではなく、魚のペーストを切り身の形に形成したのだという。我が家でここまでやろうと思っても、なかなか出来ない職人技だ。なので、自宅で試せない食感やメニューを味わせてもらえる、それだけで、完全給食制に感謝感謝だちなみに、すみれ園にて伊吹が新しく食べるようになったもの。パン・チョコクリーム(パンに塗るやつ)。米飯を再び食べてくれるようになっただけでも一安心だったがまさかパンまで受け入れるとは思ってもみなかった。もっとも、そのままではなく、スープに浸けて、らしいが。チョコクリームも・・・甘いものはヨーグルトしか食べないと思っていた。よりによってチョコレート。酸味がないお菓子だよ?美味しいと感じたんだね、いぶちゃんが。家では相変わらず偏食がひどく、パンやチョコレートはおろか目新しいものには拒否反応が激しい。やはり根本的に麺類がお好きなようで。ちなみに今日の夕食は、豚骨スープ風ラーメン(豆乳を中華だしなどで味付け、焼豚・ネギ・もやしを入れたもの)と、ヨーグルトでした。クリームチーズや生クリームを用いて冷たいデザートを作ったのに二口目で迷惑そうに口から出され、以後食べてくれなかった伊吹の好きそうな味だと思ったのだが、残念。まあ、長くなったが、要するに外部の呼びかけに対する反応がはっきりしてきた要求の仕草がはっきりしてきた基本的生活習慣の、更に基本が身に付き始めてきた食に対する興味が出てきたああ、そして最後だが、探究心が旺盛になってきたということも付け加えなくては。おもちゃを使っての遊び方に幅が出てきた。身体のあちこちにおもちゃを当ててみたり姿勢をあれこれ変えてみたり伊吹なりに研究して遊んでいるということが見ていてよく分かる。今はまっているのは、ブランコ。大きく揺らされるのが大好きで、また、足が着くぐらい低いと、自分で漕ぐこともある。写真は、すみれ園でのブランコ姿だ。 放っておけばいつまでも乗っていただろう。出来ることが増えてきたお陰で、笑顔も増えた。いぶちゃんが楽しいと、お母さんも楽しいよゆっくり一つずつ頑張ろうね。
2007年07月01日
・今日のエクササイズメニュー: 1.クローディア(下半身編)・・・昼食後 2.ターボジャム(腹筋ジャム&カルディオパーティ)・・・夕食後・今日の体重:51.4kg(開始日3月2日から-9.4kg)・今日の体脂肪率:27.0%(計測開始日4月7日から4.5%)その他各サイズ(開始日から)・手首:14.5cm→14.5cm・二の腕:27.5cm→25.0cm・トップバスト:88cm→81.0cm・アンダーバスト:76cm→70.0cm・ウエスト:73cm→64.5cm・へそ周り:76.5cm→69.0cm・ヒップ:93.5cm→86.0cm・太もも:54.5cm→48.0cm手首・へそ周り・ヒップ・太ももは、前回6月21日よりサイズダウン。逆に、ウエストは少しサイズアップ・・・誤差?しっかし・・・体重と体脂肪率は未だ大きな変化なしだわ仕方ないよな。夕食以外の献立は適当だし、間食もしているんだから。2chのスレを見ると、エクササイズのみで食事制限一切なし、それでも順調に痩せているという人も多くいるが、まあ、私はそういうタイプではないのだろう。分かりきったことだ。美波さんの豆腐レシピも色々試しているが、今のところは目に見えた変化はなし。明日か明後日以降(『明日か明後日』っつー言い方が、既にあやふやでアレなんだが)、初心に返ってラストダイエット初期のメニューで一日三食×約一週間ほど減量を頑張ってみたいと思う。-10kgまで、本当にあと少しなのに、その壁が乗り越えられない。体重が全てではないけれど、夢の40kg台にはなりたいものだ。と言うことは、あと最低1.5kg以上。たかが1.5kg、されど1.5kg・・・
2007年07月01日
・今日の体重:51.5kg(開始日3月2日から-9.3kg)・今日の体脂肪率:27.5%(計測開始日4月7日から-4%)前回の日記、21日の時より体脂肪率が増えてますがな昨夜は夜更かししていたにも関わらず、夕食以降何も口にしなかったんだがな。夕食メニューはシメジや白菜、鱈を一緒に煮た、湯豆腐。まあ、誤差程度?・・・んなワケないよなぁ体重も相変わらず上がったり下がったり。救いとしては、体重は52kg台、体脂肪率は27%台以上にならなくなったこと。ええ、まだまだですとも。が、60kgオーバーだったあの頃と比べればかな~りマシになったとは言い切れるので、昨日は買い物ついでに水着を物色してきた。以前みたいに体型がなるべく隠れるヤツというのを基準に選ばなくてもいいんじゃないかと思えるのがとても嬉しいだが、あまりにも選り取りみどりだししかも水着はまだセール除外品だったので、買わずに帰ってきた。しかし、水着って高いねぇ・・・もう一つ嬉しいこと。昨日だったかな?私がクローディアのエクササイズに励んでいた時、次男が、「お母さん、前は太っていたよね。今は太ってないけど」と言ってくれたのだ。そんな次男は身長もチビだが、均整の取れたスリムな体型。そのスリムな息子にこう言われては、モチベーションが上がりますってそれにしても昨日はクローディアを上下共にやったが、さすがに後になって疲労がドッと来る。まあ、最強の組み合わせだとは思うが。ところで、クロのお陰だろうか、ビリーで言うところのハンマーと、犬のオシッコポーズあたりがだいぶ余裕で出来るようになった。それと、ビリーの高速腹筋。あれだけは付いていけねぇ!!と思っていたのだが、長男(彼も毎日ではないがビリーやターボジャムを行っている)が目の前でやってみせてくれて、コツを掴んだ気がした。要するに、私は仰向けになった時に背中を付け過ぎていたようだ。肩甲骨は浮かせていたけれど、背中ももう少し浮かせればビリーとその仲間たちに近いスピードで出来るようだ。これがクリア出来れば、ビリーは余裕・・・とまでは行かないや
2007年06月28日
復活とか書いておきながら、いつの間にか6月・・・ダイエット“日記”じゃなくて、ただの報告書になってしまった。・今日の体重:51.6kg(開始日3月2日から-9.2kg)(前回5月23日の日記にある、開始日3月7日は間違い)・今日の体脂肪:26.7%(計測開始日4月7日から-4.8%)(同じく前回の計測開始日5月7日は間違い)ちなみに今日は生理最終日である。相変わらず体重・体脂肪共に日々の変動は非常に大きく、今までのベスト記録は・体重:51.4kg(6月11日)・体脂肪:25.8%(5月23日)他、各サイズを書いておく。それぞれ開始日から・手首:14.5cm→15cm(ここだけサイズアップ。誤差のうち)・二の腕:27.5cm→25cm・トップバスト:88cm→81cm・アンダーバスト:76cm→70cm・ウエスト:73cm→64cm・へそ周り:76.5cm→70cm・ヒップ:93.5cm→87cm・太もも:54.5cm→49cm現在は、食事内容は朝・昼は家族と同じ。夜は『ラスト・ダイエット』3冊目と併せ、そして一週間ほど前から美波紀子さんという著者の↓『晩ご飯ダイエット』という本を参考に(両者共あくまでも参考程度)自分の分のみ作っている。主食は、基本的に夕食時は食べていない。間食は・・・フツーに食ってます。とんとん拍子に体脂肪率が落ちないのはきっとこれが大きな原因だと思いつつ、やっぱ甘いものの誘惑からは逃れられない・・・そもそも最近の趣味がお菓子作りですから。ダイエット継続中の癖に、ほとんど毎週末にはケーキ類を作っているという、この矛盾もちろん私一人で食べるのではなく、8割方は子供が喜ぶ顔が見たいからである(当たり前?)今度の日曜にはブルーベリーとホワイトチョコの入ったニューヨークチーズケーキを作ろうかと、計画を立てているだけで楽しい。この気分の高揚感を、何故毎日の食事の支度にも感じられないのだろうと我ながら思う。(理由は分かっている。三食の支度をあくまでも“義務”としか考えられないからだ)ま、しかし。間食はするわ、超高カロリーのスイーツを作るわ朝昼はテキトーだわ(特に昼食。食べたいものを食べている)の私だが、一応これだけは、と決めて守っていることがある。それは、・夕食は腹八分目・・・いや、七分目。(今のメニューではそれで当たり前なのだが)・夕食以降にお菓子や甘い飲み物は絶対に飲食しない。そして・食事をするのは、空腹感をしっかり感じてから。これらは『晩ご飯ダイエット』に書かれていたことから学んだ。とは言え、本の中でお勧め出来ないと書かれている洋菓子の類をちゃっかり作って食べてしまっているのだけど。「生クリームは即、体脂肪になると思って欲しい」・・・はい、その通りだと思います('A`) しかし、本のお陰で無理をせずとも意識改革が出来たというところは非常に大きい。そして、上記の食事改善(改善、と言い切れるほど大したことはしていないが)に加え今とても感謝の意を示したい人たち。ビリー、シャーリーン。そして、クローディア(の、トレーナーの女性)。そういやビリーが来日しましたねぃ。今日の午前中にワイドショーで生中継をやっていたので歯医者に行かないとならなかった私は録画しておいた。何でも、JALがビリーとシェリーに「法被」を贈ったらしいが、著名人に法被をそういうかたちで贈ったのは、66年のビートルズ来日以来、二度目とのこと。だからすごい!とは思わないけど、ビリーのCMを偶然目にし、以来、運動が死ぬほど嫌いだった私をここまで変えてくれたビリーに感謝している私としてはやはりちょっと嬉しく思う。・・・が、ここ最近頻繁に使っているのは、ビリーのDVDでなくターボジャムだったりする私の場合のDVD活用頻度をランキングしてみると、1位・・・ターボジャム「20分ワークアウト」 同「ターボスカルプト」2位・・・ターボジャム「カルディオパーティ」 クローディア「上半身編」「下半身編」3位・・・ビリー「応用編」4位・・・同「基本編」5位・・・同「腹筋編」 ターボジャム「腹筋ジャム」6位・・・ビリー「最終編」 ターボジャム「基本と燃焼」大体こんな感じ。数日前までは、時間がある時など例えば「カルディオパーティ」と「ターボスカルプト」そして「下半身編」を、一日に二回に分けて合計3時間近く行うこともあったが毎日毎日筋トレのことで頭が一杯になってしまっていた。伊吹の用事や家事、役員活動は、そのおまけという状態。朝起きると真っ先に考えるのは「今日はどのエクササイズをいつ、どれだけ行おうか」ということ。これじゃ駄目でしょ・・・と自分を省みて、夕食後で入浴前の1時間ちょっとの間に、時間をかけずにエクササイズをするのが普通になった。或いは、日中の子供たちがいない時に約1時間、そして夕食後に1時間以内で、合計しても2時間程度で済ませる。ビリーやシャーリーンがよく言う「無理はするな」というのはこういう意味も含まれているのかな、と思う。身体のサイズダウンは着実にしているが、まだまだ物足りないのは太もも・・・確かに、ジーンズの尻部分の布地に余裕が出てきたしウエストもベルトをしないと、今まで買ったボトムスはブカブカ。25インチ(ウエスト63.5cm)のユニクロのスキニーがジャストフィットした時は、内心鼻高々だったでもねぇ・・・まだまだ内ももがくっ付いているため、素足の時に股ズレが出来そうなのですよ。いや、確かにくっ付く面積は減ったと思うけど。もう骨格の問題なのかな・・・あと、鍛え方がまだまだ足りないと思えるのがコアマッスルって言うのか?腹の真ん中の筋肉。腹斜筋を使う腹筋は余裕になってきたし腹筋運動のときに持ち上げる首の筋肉もかなり鍛えられたと思う。しかし・・・普通に正面に身体を起こす腹筋が未だに辛い。特に、ビリーの高速腹筋。未だに付いていけない。また、クローディア上半身編の腹筋地獄3セット。あれを通してやれるクローディアを神と呼びたくなる。頑張ろうっとま、無理しないようにね。時間的に。
2007年06月21日
今日のスペック・体重・・・52.5kg(開始日《3月7日》比-8.3kg)・体脂肪率・・・25.8%(初めて計った5月7日から-5.7%)体脂肪率は、5日前の26.6%を更新!明日から、『ラストダイエット』の本は最後の3冊目に入る。(始めて3週目ぐらいで思いっきりダラけちゃったので、一からやり直した分、時間がかかった)だからと言って、あと1ヶ月我慢して食事制限をすればダイエット完了!というわけではない。食生活の基本は常に念頭に置き、トレーニングも継続。継続は力なり。まあ、時には自分に甘くしちゃうけど今週土曜日は杉の子ママたちと久々に顔を合わせ、飲み会悪いけど、食べますよ。飲みまくりますよ、とも書きたいところだが、アルコールも絶っている今、調子に乗ったりしたら間違いなく気絶するんで、それはやめときます。駆けつけ一杯!いや・・・二杯。ああ、飲み会と言えば、このブログを見ている関係者もいるだろう。でもって「どれどれ、いぶママったら、どれだけ細くなったんだろう」とワクワクしている人もいるだろう。・・・あんま期待しないで下さいな自分としては、手持ちのジーンズの中で明らかに尻部分がブカブカになったものもあるし、全てのジーンズのウエストは余るようになった。顔も・・・元々首から上には肉が付きにくいようだが、更に少しは細くなったのかなぁ?が。理想は太ももの間に隙間が出来、足首がキュキュッと引き締まったカモシカのような脚線美なのだが(30も半ばのオバサンでカモシカもないのだが)、今のところ下半身を痩せさせるのは、一筋縄ではいかないようだ。内ももの肉がもっと落ちれば、見た目もかなり違ってくるだろう。まだ満足には程遠いので、新しいジーンズを買いに行けないちなみに、今まで履いていたのはウエスト67cmのやつです。むしろ、よく入ったものだと思う。あ、そうか。無理して履いていたから、余った腰肉が乗っかってたのか。つーわけで、見た目「何だよ、やっぱじゃん( ´,_ゝ`)プッ」だとしても、数値に嘘はないので、生暖かい目で見てやって下さい。さて、前回の日記で紹介したいくつかのDVDだが、2chの様々なスレッドなどでもよく見かける書き込みで「なかなか効果が表れない」というのがある。特にブートキャンプ。私自身の経験から言わせてもらうと、言っちゃ悪いがショップジャパンのCMは大袈裟である。パッケージなどに書いてあるように、確かに「短期間で効果が表れる」かも知れないがたった一週間でから唐突にマッチョマンになることを夢見ていると失望させられる羽目になる。また、「7日間集中プログラム」と銘打っているがこの「7日間」というキャッチコピーも日本独自のものらしいのだが、どうなのだろう?「たった一週間で痩せる!」という謳い文句の方が、そりゃあ日本人は飛びつきそうだもんねぇ。でも、これだけは言える。続けていれば、結果は必ずついてくる。かく言う私も、ブートキャンプを始めて一週間程度では体脂肪率はわずかに(1,2%ぐらい)減ったものの体重はむしろ増えていた。キャッシュバックキャンペーンにも応募したが、スタート時と比べて最終日の体重の方が重くなっているという事実を正直に書くのに、いささか勇気が要った・・・少しずつでも順調に体重が減り始めたのは、二週間目あたりからだった。ターボジャムを並行して始めてからは、また大きくマイナスへ。この二種類のDVDだけでも効果は感じられたが、ネットの口コミでクローデイアのDVDまで買ってしまった。安かったし。これは上半身編と下半身編に分かれているのが良い。とりあえず下半身を何とかしたいので、今は一日のメニューに必ず下半身編を組むことにしている。もう一つは、気分などによって適当にチョイスする。今日は下半身編と、ターボジャムの『20分ワークアウト』でした。明日は何を選ぼうかな時間も遅いので、この続きはまた・・・P.S.一昨日の日記へのアクセス数が、いつもの平均より10倍もあった。スゲェ。
2007年05月23日
日記のタイトルは、私自身の中ではお馴染みのキーワードだ。さて、何でしょう?・・・と、もったいぶるのはナシにして、その答えは。私が現在愛用している、エクササイズDVDのタイトルである。手始めに述べると、私はここ2ヵ月半で約8kgの減量が出来ました方法としては、第一にいわゆる食事療法。服飾や雑貨の通販会社フェリシモから出ている12ウィークスラストダイエットの会というレシピブックを参考にした。1ヶ月に1冊、合計3冊届く。よって3ヶ月=12週間。3冊目が終了した頃には、上手くいけば10kgの減量に成功。まあ、本にほぼ忠実に従えば、本当に軽く10kgは落とせると思う。私の場合、今月上旬まではレシピ通りに実行してきたがぶっちゃけ私一人の食費がかかり過ぎて経済的に負担になり今実行しているのは夕食のレシピのみだ。(*材料の中に例えばマツタケだの牛ヒレ肉だの出てくるが、贅沢品なのでシメジや牛コマギレ肉に替えても、私一人分で月に約1万円+となった。我が家ではキツイ)それでも、これまでの食べ放題な状態と比べるとかなり改善した・・・と自分では思う。炭水化物はほどほどに、牛乳やジュースはガブ飲みしない、お菓子も欲に任せてドカ食いしない、など。・・・って基本中の基本なわけだが何より、腹八分目。これ大切。苦しくなるまで食べたいと思わないし、食べられない。この「食事を楽しむのは良いこと。食べ過ぎるのは良くないこと」というのは、2年前アレン・カー氏の『ダイエットセラピー』の中で一番(いや、唯一?)心に沁みた言葉なのに、いつの間にか忘れていた。今度こそ、自分の胸に刻み付けることが出来た・・・筈である。まあ、詳しくはフェリシモのウェブサイトへLet's goそして第二に、軽い食事療法に加えて毎日行っているのが、これらのDVDを使ったエクササイズ。上2つの販売元はショップジャパンという会社だが、楽天でも扱っている。残念ながら(楽天内では)ブートキャンプは上級者向けの『エリート』しか今は見あたらないようだ。私が買ったのは、初心者用?の日本語字幕付きバージョンである。『ビリーズ・ブートキャンプ(エリート)』『ターボジャム』『クローディア・シファー パーフェクトリーフィットvol.1&2』(楽天では今のところvol.1は品切れらしい)一日に全ての内容を行うのは体力的にも時間的にも不可能。よって、体調や気分によってその日のメニューを決める。生理が始まった昨日の夜は、クローディアの『下半身編』とターボジャムの『20分ワークアウト』をやってはみたが生理痛を抱えながらのエクササイズは、正直、あまり楽しくなかった同じ汗が出るのでも、脂汗?という感じ。個人差もあるだろうが、体調と相談し、無理をしないのが一番である。以下に、初回のダイエット挫折から現在に至るまでについて綴るのだが、長文なので覚悟してお読み下さい@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@過去に、私は初めて「ダイエット」を試み、それらしきことを実行したのだが、それが2年前の8月。今となっては読むに耐えない、当時の日記はここ。8月26日にダイエットを開始したらしい。(今となっては他人事のよう)で、9月20日の日記の中で、「ダイエットひとまず成功」と書いている。まあ、一応4.5~5kg体重が減ったのは確かなので、すっかり舐めてかかってしまったらしい。何て馬鹿なんでしょ、私。そりゃさ、食うもの食わなけりゃ体重なんてすぐに減るわな。確かにアレン・カー氏が著書で語っていることも今思い返してみても参考にはなる。しかし、逆に言えば「所詮参考にしかならない」。今、ひしひしと感じることは、正に「痛みなくして得るものなし」ということだ。・・・え~、偉そうに語り始めてしまったが、要するに・・・2年前から徐々にリバウンドしてしまったのでダイエットを再開したというわけですまた、当時の日記ではカッコつけて体重の推移のみで体重の数値そのものを明かさなかったので、ここで思い切ってカミングアウトします('A`) 明示しなきゃ、何のための公開ブログなのか分からないじゃないねぇ?ダイエット開始時(2005年8月26日)・・・58.6kgダイエット成功?時(同年9月20日頃)・・・54.0kgちなみに身長は156cmである。体脂肪率は、その当時体脂肪計を持っていなかったので不明。156cmで54kgって・・・まだまだですがな・・・しかも、体重の増減しか目安として見ていないし。そんなんで「ひとまず成功。これからもこの体重を維持するよう頑張ります」ってアンタ。・・・正直に言おう。ダイエットを続けるのが辛くなってきたのでダイエット日記を打ち切ったのだ。あ~恥ずかし~・・・上で書いたように、1ヶ月でおよそ5kg前後も簡単に減ったので舐めてかかったというのも一理あるのだが。「簡単に」体重が減ってからは、必死に、しかし安易にその体重をキープ(あわよくば更に減らそうと)しようと、置き換え食ダイエットにすがり3日坊主に終わってリバウンド→また別の置き換え食を探してきてはまた3日坊主・・・以下2回ぐらいリピートwそう。確実に、痩せにくい体質へとなりつつあった。そして、あれから1年と5ヶ月が経った、今年3月始め。置き換え食への興味も失せ、三度の食事とも炭水化物たっぷり&食前のお菓子のつまみ食いが当たり前になっていた、この時期。いつの間にか、前回のダイエット開始時より更に体重は増え、60.8kgになっていた・・・そう、60オーバー。身長たった156cmしかない女が。もう、ブチデブとか体格がいいとかぽっちゃりとか、そんな生易しい言葉でお茶を濁せるレベルじゃないでしょ、というところまで達していた。ジーンズに腰肉がたっぷりと乗っかり、腹はどう見ても妊婦。どう見ても妊娠8ヶ月ってところ。人前では無意識に腹に力を入れているのだが、一旦緊張を解けばたちまち長州小力。そして、ジーンズの太ももと尻部分はパツパツ。不思議なことに、この当時(まだ2ヶ月半前のことだが)はジーンズを履いていてパツパツなのは(デザインだから)仕方ないことみたいに思っていた。いや、思い込もうとしていた。別に、スーパースリムのジーンズを買った覚えはないんですが。脳ミソにまで脂肪が付き、思考回路まで自己中になっていたらしい。で、栄えある第二回ダイエット開始時の正確なスペックは、3月2日(ダイエット開始時)体重・・・60.8kg体脂肪率・・・まだ体脂肪計なかったのでBMI値24.9バスト・・・88cmアンダーバスト・・・76cmウエスト・・・73cmヒップ・・・93.5cm二の腕(腋の下の辺り)・・・27.5cm太もも(足の付け根)・・・54.5cmそして、この日から今日まで(特に頑張ったのは今月上旬までの一日三食の食事療法を取り入れた時期かな)およそ2ヶ月半。今朝のデータを述べると、体重・・・52.3kg体脂肪率・・・30.3%バスト・・・82.5cmアンダーバスト・・・70cmウエスト・・・64.5cmヒップ・・・87cm二の腕・・・25.5cm太もも・・・51.5cmど・・・どうでしょうか?まあ、身長に対する体重のみ見れば、まだまだ痩せているとは言いがたいし、曲者なのが体脂肪率。日によって、本当にバラバラ。ちなみに今までで最高の数値は3日前の26.6%。また、この日の体重は52.6kgだった。昨日から生理が始まったのも関係あるのだろうか・・・?数値の他の自覚症状を述べる。腹筋が割れてきた。ジーンズのウエストがゆるくなり、ベルトの穴が2つほど移動。腰肉がジーンズに乗らなくなった!ブラジャーのアンダーがゆるくなったので、腕を挙げたりするとブラジャーがずれてしまう。カップもスカスカ(←これだけが困った点)Lサイズのシャツを着ると、何となくだらしなく見える。立ち姿勢及び歩行の際、無意識に腹筋に力を入れるようになった。そのお陰か、自分では姿勢が良くなったつもり。特に、最初書いた「腹筋が割れてきた」こと。へぇ~、これが私の腹かぁ~、と未だ他人の腹を見ているよう。まだまだマッチョというほどではないし贅肉も「つかむ」ほどではなく、ようやく「つまむ」ぐらいに落とせたけれど、とにかく長州小力には見えなくなったと思う。あとは・・・継続するということだ。今後の経過などは、また少しずつアップしていく予定です
2007年05月21日
復活とか言っておきながら、結局4日経過今日は和樹の近況報告。4月に、杉の子園隣りの公立保育園から自宅最寄の私立保育園に転園し、元気に通っている。元いた園は、そもそも第三希望だった所であり、伊吹が杉の子に通っている間は非常に便利だが小学生になって以降は、自宅から離れているため(車で15分)、送迎がとても面倒になってしまう。ということで、昨年の入園と同時に、最寄の園(今のM保育園)への転園願いを提出しておいた。待ちに待った転園許可通知が届いたのが、今年の2月。3月いっぱいで、元の園とお別れすることになった。ちなみに、伊吹がすみれ園に転園する時期と重なったのは単なる偶然である。だが、実に良いタイミングだった。望んだこととは言え、一年間通った所だ。内弁慶でなかなか特定のお友達が出来なかった和樹だが、通知が届く少し前からとても仲良しになった男の子がいたりして親である私が寂しい気持ちになってしまった。そこは家から遠方ということ以外、先生方もベテラン揃いだし建物も庭も広く、外には電車が走っているのが見え(乗り物おたくの和樹にはうってつけ)、親子にとってすっかり馴染みの場所と化していたのだった。そんな中で、園のお遊戯会のような『お祝い会』が開催。和樹の2歳児クラスの出し物は、『ノンタンおねしょでしょん』の劇。登場キャラに扮し、自作の紙製“おねしょ布団”を持って「あれぇ~?またやっちゃった」と言って頭を掻くシーンは和樹はもちろん、子供たち全員可愛くて仕方なかった。ちなみに和樹はぶたさん役だった。よって、おねしょは「ハートのかたち」。3月も半ば頃から、和樹の様子が少しおかしくなった。「○○先生、好き~」などと愛の言葉をニコニコして囁くのが常套句の筈の和樹が、愛情表現の裏返しか、ちょっとしたことでキレるようになった。先生曰く「かずくんなりに(お別れしなくてはならないことを)感じているんでしょうね」と。そうだったのだと思う。でも、遅かれ早かれ転園はしないと仕方なかったのだよ。一年後や二年後、物心がだいぶ付いた時期よりは今の方がいいんだよ?和樹。・・・と言っても分かるわけないか3月30日、最終日には、同じクラスの子供たち一人一人にちょっとしたお菓子を担任通じてプレゼントした。そして、和樹が皆からいただいた素敵なプレゼントは、画用紙いっぱいに描かれた沢山のヒヨコと、真ん中には白い親ニワトリ。ヒヨコは、子供たちと先生方の親指に黄色の絵の具を付けてスタンプし、目と嘴と足を描き足したもの。ニワトリは、先生の一人が掌でスタンプし、トサカなどを描いてニワトリに見たてたものだった。そして一言・・・「かずきくん げんきでね」和樹、素敵なお友達と先生に出会えて、よかったね。ちなみに、最終日には特にキレることなく、始終普通にしていた和樹だった。「バイバ~イまたね~」とニコニコお別れ。退職する先生の方が号泣本当は、どこまで理解していたんだろう?現在、新しいM保育園に通い、2ヶ月が経とうとしている。新しい、と言っても、一昨年度の一年間+その前年の約1ヶ月間(2月に1歳の誕生日を迎えてすぐ)一時保育でお世話になっていたので初めてではない。業務係のおじさんは替わることなく働いているし、ほんの数人、見知った保育士もいる。しかし、園長はじめ大多数の保育士が替わってしまったので以前と比べ、園の雰囲気は自然と変化したと思う。まあ、一時保育では深くは分かりきれないけれど。担任の先生は、3歳児だし少人数なので、一人だけ。昨年度の4人担任制と比べると、すごい変化だ。とても若そうだし(どのクラスもほとんどそう)、正直、始めは「大丈夫かぁ?」と不安な気持ちもあったが、考えてみたら、かつて上の子たちが通っていた幼稚園の担任もそんな感じだった。若いお姉ちゃん先生が大多数だけど、皆明るく元気一杯。和樹も始めの2,3日は先生にあまり話しかけなかったらしいが少しずつ慣れていき、今では、担任以外の保育士にも足の間に入って甘えたりと(コラコラ)年上キラーぶり(?)を発揮し始めたようだ。1歳の頃度々来ていた記憶も、どこかにうっすらと残っているのかも知れない。何はともあれ慣れてきたのは良いことだ。ところで、伊吹の送迎バスの到着時刻が8時10分。保育園の通常保育時間は、朝7時からである。前の園の通常保育が8時半からだったのだが、認可保育園はどこも同じだと勝手に思っており、始め送迎バスの時刻を聞いた時にはどうしようかと思ったが杞憂だったようだ。まず伊吹を預け、その足で保育園に向かう。子供の足でも、5分程度で到着する。バスの発着場所も、保育園も、自宅からとても近い。・・・そのはずだが・・・徒歩なのがマズイのだろうが、園に着くまで寄り道が激しい。回り道は勿論のこと、用のない歩道橋を上り下りしてみたり、小石を拾ってみたり、蟻を観察してみたり、枝を拾ってみたり、そうかと思えば拾ったものをわざわざ元の場所に戻しに行ったり。結局、到着するのはバスを見送ってから30分後というのがいつもの日課となっている。まあ、私に急ぎの用事がない日なら、気分良く付き合えるのだがそうでなければ次第にイライラしてくる。もちろん、早く預けてしまいたいのなら、探検しながら歩きたいと泣く和樹を無理やり抱きかかえて先生に押し付けるのも一種の手ではある。が、そんなことをすれば和樹も後々まで引きずるし私も一日モヤモヤした気分で過ごさなければいけない。ある時点で区切りを付けさせれば、後は先生にくっ付いてバイバ~イと私を見送ることが出来るので頑張って和樹に付き合う毎日である。・・・明日は到着までどれだけかかるかなぁ・・・
2007年05月16日
・・・お久しぶりです。1月以来だから、もう忘れ去られているかも。掲示板に出没する、はた迷惑な宣伝書き込みすらここ最近見なくなったというのは、余程のことだろう。SPAM野郎からも忘れられていた私って心機一転という意味も込め、改めて自己紹介。埼玉在住、夫と4人の子供と暮らす専業主婦、35歳。子供は上から中2♂・小4♂・5歳(年長)♀・3歳(年少)♂。小4の息子と3歳違いで、死産で亡くした娘も入れると5人の子持ちである。一応、子供たちのことが中心のブログなので、ちょっと彼らについて触れてみる。・長男(中2) 公立中学校に通い、陸上部に所属している。 友達と遊ぶこと、TVゲームが大好き。 本人曰く「お調子者」 成績は・・・最近塾に通い始めた、ということだけ 言っておこう。 私とは楽天ブログ仲間であり、英会話スクール仲間でもある。・次男(小4) 同じく公立小学校通学。 スイミングスクールに毎日通い、 人一倍時間がかかりながらも少しずつ進級している。 言葉の発音に苦手な部分(主に五十音の“サ行”)があり、 市の「ことばの教室」に週一で通級中。 見ていてイライラするほどマイペースだが、 本人は我関せず。そして私のイライラは更に募る・・・ ・長女(生きていれば7歳)、春歌 妊娠39週で、胎盤早期剥離で天国へ旅立った 次男と寝顔がそっくりだった子。 今年小学生になっていた筈。 彼女のことを想って泣く回数は確実に減ったが、 辛いのは一生変わらない。 そして、とても愛しい。・次女(戸籍上は長女。年長児)、伊吹 春歌と年子で授かった娘。 ダウン症児で、精神運動発達遅滞児。知的障害は最重度。 今年度より、肢体不自由児通園施設『すみれ園』に 通園している。 表情や自己表現の変化に乏しい子だったが、 最近はとても表現豊かになってきた。・三男(年少児)、和樹 我が家のワガママ大魔王で末っ子。 保育園に通い、二年目である。 兄貴たちの口の悪さ&喧嘩している時の威嚇の表情など マイナス面ばかり似てきている。 だが、保育園では内弁慶気味(笑) 憎らしさ100%かと思いきや、時々 「おかーさん、かわいい(*´∇`*)」などと ホスト顔負けの甘い言葉も忘れない。・・・と、ザッと現在の彼らを紹介してみた。昨年度から環境が大きく変わったのは、下の二人、伊吹と和樹だろう。まず、伊吹は、3月までお世話になった知的障害児通園施設『杉の子園』(←今までイニシャルで紹介してきたが、なにやらややこしいのでカミングアウト)からの転園というのは大きな変化だった。杉の子で毎日親が送迎し、親が参加することが多かったのと違いすみれ園では週四日、原則的に送迎バスで単独通園。(ただし年中・年長のみ。2歳児・年少は母子通園)週一日のみ、全学年母子通園。そして、杉の子の弁当持参から、完全給食へ。朝から帰りまで預けっぱなしという環境が、果たして伊吹にとって吉と出るか凶と出るか・・・少なくとも今のところは、『吉』それも『大吉』かも知れない。まあ、全てがすみれ園の影響ではないにしろ、甘える仕草、欲求の仕草、拒絶の仕草など感情表現がめっきり豊かになり、「あ~、やっと年相応に(ほんの少しは)近づいたなぁ」と思う。いくら知的レベルが生後7ヶ月程度(療育手帳発行時)だろうと部分的にはちゃんと赤ちゃん以上に育っているのである。この「部分的には年相応」というのは、諸刃の刃であり困った点も今後は出てくるのだろうが、今は素直に喜んでいても良い気がする。あと、偏食という言葉では片付けられないぐらい食べられない(食べようとしない?)ものが多い伊吹、3月始め頃からまたもや麺類+ヨーグルトという食生活に戻ってしまっていた。あわや給食が始まっても麺持参か?!という心配をよそに、今月に入った頃から再び米飯や柔らかいおかずを食べてくれるようになり、一安心。(そう、完全給食の筈が、すみれ園の諸事情によりw先週まで弁当持参だったのだ)更に、水分補給と言えばヨーグルトのみだったのがとろみを付けた白湯をあまり嫌がらずに口にしてくれるようになった。とは言え、ヨーグルトと一緒にスプーンですくい、騙し騙しではあるが。これから暑くなるし、どんな方法でも水分補給はまめにやってあげたいと思う。いつまでも身体が小さく、発育スピードも遅くてふと気が付けば来年には小学生という年齢だった。すみれ園では、全園児で集まる機会など事あるごとに「お姉さんの伊吹ちゃ~ん」と先生に紹介され、非常に恐縮その時床に突っ伏していたり、やる気なさそうにあらぬ方向を向いて奇声を上げるのはやめて欲しいわ、いぶちゃん。だが、ほんの時々(偶然?)落ち着いた表情をしていたりすると「やっぱりあんたはお姉ちゃんらしい所もあるね」と思ってしまう、馬鹿親がここにいる。伊吹の所属する年長児クラスは『ぞう組』という。総勢4人。担任2人。少ない。しかも、何だかんだで欠席も多く、ぞう組は今日は1人、とか2人、というのもザラにある。肢体不自由児クラスなので、走り回る子もおらず杉の子や、同じ建物内の知的障害児クラス『たんぽぽ園』と比べ、静かでのんびりしている。そして、のんびりしている=時間が経つのが遅い母子通園の日は正直「も~いいよ・・・」という瞬間が、なくもない・・・と言ったら怒られるだろうな。しかし、伊吹は我関せず自分のペースで遊べるのでどうやら満足らしい。楽しく過ごせるのが一番ということだろう。今まで大人からの係わり合いばかり求めていた伊吹だがすみれ園に通うようになり、お友達との触れ合い(?)をも求めるようになり、伊吹と同じぐらいの頻度で来ているTくんという男の子と抱き合うような仕草を見せている、と聞き、とても感動した女の子なんだね、伊吹も。・・・と解釈してもいいよね?神様。和樹のことも書く予定だったが長くなり過ぎるし、メンテナンスが迫っているので明日。あくまでも予定。
2007年05月12日
・・・と、何か怪しげな英語のタイトルをつけてみたが・・・今日、スーパーの棚に普通に納豆が並べられていてホッと一息ついたのは、私だけではあるまい。今朝の新聞で知った、あの番組の捏造問題。8日に帰国し、やはり納豆が食べたい気分になり、その日の夕方近所のドラッグストアに買いに行ったら見事に一つもなかったのだが、そういうことだったのかと後になって知った。本気で信じて実行していた人にはお気の毒としか言いようがない反面、「そんな簡単にダイエット出来るなら苦労しないわな」と、正直なところ、苦笑ものである。な~んてな。そういう自分も、かつてチョコレートダイエットを試みて、2日坊主で終わった苦い経験あり。まあ、TVでの情報によると、このチョコダイエットには向くタイプがあり(何でもそうだろうけど)、1.便秘の人 2.男性より女性 3.甘党あと何かあったような気もするが、私には1.の「便秘」というのが当てはまらない。丸二日間も出ていなければ相当辛いし、しかしながらそんな経験は思春期以降はお産直後以外、一切ナシという健康体なので・・・そして確かに3.「甘党」は当てはまらなくもない。が。毎食前に何グラム以下だかを「食べなくてはいけない」と義務付けられて、どうして楽しく食べられようか?納豆ダイエットにしたって同じことだろう。TVの言っていたことが仮に半分ぐらい真実だったとしても、続けられる人はどれだけいただろうか。それにしても、あの番組。私はまともに見たことがないのだけれど、もはや支持率&視聴率はどうなることやら。ま、余計なお世話だけど、「うまい話には気をつけよう」という教訓にはなった。で、今日スーパーで見た納豆だが・・・昨日、割高な価格のをまとめて買ってしまったばかりだった。なので今日はパス。いつもは3パック100円未満のしか買わないのにその安売りの品はもちろん一番になくなり、なのに入手困難となるとかえって食べたくなり、3パック148円のを二つも買ってしまった~。(我が家では超高値)くそぅ。今日まで待てばよかったよ。てか、その納豆、まだ一つも食べずに冷蔵庫に入ってるし。
2007年01月21日
先週8日、無事に帰国した。早速楽天フォトに写真をアップしようと思っていたが、忙しいのと諸事情により、なかなか実行に移せずにいる。暇を見てボチボチやっていこうと思う。旅の感想も、写真のコメントに記載する予定だ。あえて今、一言感想を述べるなら感動したり可笑しかったり恥をかいたり疲れたり色々あったけど全てが良い経験になった。かな?夫とも仲良く過ごせたしネまあ、時差ぼけ真っ最中である、帰国翌日から日常生活に戻ったのはかなりきつかったけれど。さて、「中学校父母の会」である。って正式名はよく分からないのだが、そんな感じだ。学区の中学校に子供が通う保護者たちで作っている、いわば子供会の中学版のようなものだ。先月、その会の役員だという方から来年度の新役員を決めるという知らせを受け、初めてその存在を知った私。毎年、新2年生の子の保護者から新役員を決めるらしい。ついては、1月15日夜7時から集まって決めるので出席して下さい、欠席する場合はくじ引きで勝手に決められてしまう場合もあるのでご了承を、と。その話を聞き、即座に心の中で思ったことは無理。だった。来年度と言えば、長男は中2、次男は小4、伊吹は幼稚園で言えば年長、和樹は年少だ。以前日記に書いたように、伊吹は来年度、送迎バス付き&週一の母子通園以外は親があまり時間が取られない(=親の自由時間が増える)&完全給食制・・・である、新しい療育センターへ転園希望を出している。希望が通れば、確かに伊吹にかける時間はかなり短くなると思う。が。100%転園出来るとは今は言い切れないし、もし駄目だった場合、現在と忙しさは変わらない。また、次男の「ことばの教室」も、いつまで通所しなくてはならないのか見当もつかない。そして、そんな状況の中、矛盾しているようであるが、来年度は中学校PTAの役員に立候補を考えている。再来年度になってしまうと高校受験が控えているしお世辞にも成績が良いとは言えない長男自身のことを第一に考えてやらないといけなくなる。他にも、下の子たちとの関連を色々考えた結果とりあえず私の生まれて初めての役員活動は(そう、何だかんだで今迄未経験である)来年度の中学に決定しますた!・・・と、勝手に自分で決めていたので、町内の父母会と掛け持ちする気には毛頭なれない。尚且つ、これは昨日知ったことだが、この父母の会の集まりがあるのは、夜らしい。子供が中学生にもなれば、留守番もさせられるし、親も自由時間が増えるので日中仕事に通いだす人も増えるだろう。だからこそこんな時間帯なのだろうがあくまでも一般論でしかない。我が家は・・・当てはまらない。夫の都合がつき、夜の留守番を頼めない限りちょくちょく出かけるなんて出来ない。それに比べてPTAの方は昼間集まるのだろうから、毎回毎回強制参加でない限り、何とかなりそうだから。と、前置きが異常に長くなったが、結果を言うと役員候補から外してもらったのだった。上記のことをだらだらと説明したのではなく、伊吹を連れて参加し、伊吹の障害のこと、平日毎日療育施設に通っていることを主に話した。「百聞は一見にしかず」という諺を地でいってみた。「子供が障害児で云々」と説明するだけでもよかったが障害児が家庭にいない人たちには、やはりその目で見て納得してもらうのが一番だと思ったのだ。計算高いかな~とか、自分でもちょっと喋り過ぎたかな~と後になって思った部分もあるがとりあえず来年度はパス、伊吹の進路や状況が落ち着いてから、いずれかの子の時に、ということで了承を得られた。ちなみに、くじ引きの前に、どうしても役員を出来ない事情がある人は前もって説明して下さいと言われ、私の前に3人ほどが事情を説明していた。一人は来年度、子供会の役員をする予定(順番制なので)なので・・・という人。「もし中学の父母会と重なった場合、どちらかが重要なポスト(会長など)にならないよう配慮します」と言われ、アウト。・・・厳しい~~~一人は、昼間仕事をしているので、役員活動は母に任せることになってしまうので(集まりが夜であると、この時点ではきちんと知らされていなかった)申し訳ないから~という、よく分からない言い訳をした。これも「集まりは夜ですので大丈夫です」で却下。もう一人は、私を凌ぐ、5人の子のお母さん。役員を立て続けに引き受けないといけない状況らしく(健常児だけのお子さんなら、致し方ないのだろう・・・)今回は申し訳ありませんが・・・とのこと。この人と私の2人は、くじ引きから外してもらう結果となった。くじ引きの結果は「残り物には福がある」を逆でいき、後半引いた人ばかりに当たってしまった。まあ、外してもらった立場の自分にはあれこれ言う資格はないのだけれど、都合がつく時には協力させて下さい、ということぐらいしか私には言えない。実際、月一の定例会には順番制で全員が参加しないといけないらしいが、その程度なら贅沢は言えないかな・・・ともかく、寒い中付き合ってくれて、挙句の果てに言い訳のダシにさせられた伊吹にはごめんね、ありがとねと何度も頭を下げた珍しく大きな奇声を発することなく、約一時間もの間、いい子にしていた伊吹。伊吹を見る皆の視線はどんなだろうと、事情を話すまでは正直不安だったし(私が話している間は、皆一様にシーンとなっていた。リアクションに困ったのだろう。予想していた通りだったけどね)下手な同情は欲しくない、しかし我が家の事情は説明しておきたい、でも、伊吹がさらし者みたいだ・・・などと葛藤はあったが、結果的に良かったと思う。最後に駄目押しで言い訳。和樹が小学生になったら、率先して役員活動したいと思っていますので、よろしくお願いします
2007年01月16日
あけましておめでとうございます。今年でこのブログは3年目に突入。相変わらずのマイペース更新になると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。さて、大晦日の昨日は、毎年と変わらず静かな我が家だった。紅白などのTVを見たり、カウントダウンライブに出かけたり或いは夜明けから初詣や初日の出を見に出かけたり・・・ということは一切しない我が家。別に宗教的な都合があったりするわけではなく、単に「性に合わない」のかも知れない。年末年始のTVは個人的に嫌いだから昔から見ないし、初詣は行くとしても何もわざわざ混む三が日でなくともいいだろう、と思ってしまう。小さい子がいるから億劫だということもあるし、夫の仕事のこともある。仕事柄、正月=休みではないので、大晦日だからと言って夜更かしは出来ないので私も何となく夫に合わせる形となる。昨日は、長男は友達と近くの寺まで除夜の鐘をつきに出かけた。年に一回のことだし、除夜の鐘をつきに行くだけなら12時半までに家に帰れば良しということで送り出した。次男は私と二人で行く予定だったが、そろそろ出かける時間になって彼の部屋を覗いてみると・・・力尽きて眠ってしまっていた普段は放っておけばいつまでも起きている癖に下手に仮眠をとろうとしたのが失敗だったらしい。私自身は、PCに向かってダラダラとネットをしているうちに、気が付けば年が明けていた。変な時間に昼寝をしてしまった和樹がまだ起きていたので、「かずくん、おめでとう。今年もよろしくね」と声をかけたら「・・・はい」とかしこまって返事をされてしまった。何が「よろしくね」なのか分からず、困ってしまったようだ。今日は昼前に墓参りをした後(義母の命日は1月2日だ)私の実家に子供全員を連れて行ってきた。やはり仕事柄、正月も何も関係ない弟が勤務明けで帰宅し、妹と姪っ子もやってきて暫し久しぶりの(妹とは一年ぶりぐらいだった)団欒を楽しみ、私は子供たちを実家に預け、帰宅した。明日から夫と二人でイギリスへ行くためである。朝出発し、帰国は8日。翌日から学校やらS園(それも懇談会)やら保育園やら普通に始まるのがしんどいのだが、好きで遊びに行くのだから仕方ない。長男が通う英会話スクールの先生がリバプール出身なのだが、「今の時季すっごい寒いですよ!日没は3時だし」と英語で脅されてしまった。向こうに住んでいた頃は、その寒さを何とも思わなかったが来日してからはとてもじゃないが冬に行きたいとは思わないらしい。・・・というようなことを英語でおっしゃっていた気がする(爆)まあ、しかし、子供たちを預けられる=長期の休み=私が時間をとれる、という時期となれば、夏休みも確かにそうなのだが、夫の都合と合わなくなったりで結局は冬休みの方が行き易いのだから仕方ない。本当は常夏の国へでも行った方が利口なのだろうけれど私はどういうわけかそれらの地域に行ってみたいとほとんど思わないので・・・イギリスは、中学生の頃からずっと行きたいと思っていた国だ。きっかけはビートルズを聴くようになったことだった。そこから、他のブリティッシュロックやイギリス英語、文化などに興味が出てきた。ビートルズがきっかけということで、もちろんリバプールにも行く。あとはユーロスターに乗り、日帰りでパリにも。残りはロンドン巡りの旅だ。一昨年の正月以来の、夫との海外旅行。煩くて手がかかる子供たち、それも一週間も面倒を見てくれる両親&弟に心から感謝しつつ・・・行ってきま~す!
2007年01月01日
昨年大晦日の日記を、今読み返してみた。・和樹が「だっぶっぶ~?(大丈夫)」という言葉を覚え、指差しでのジェスチャーが上手くなったこと・伊吹が風呂のお湯をゴクンと飲み込むようになった。コップでは飲もうとしないのにということが書いてある。和樹に関しては、今やペラペラお喋り男と化し、その成長たるや目を見張るほどだが、伊吹は・・・風呂のお湯ゴックン・・・変わってないんですけど。でもまあ、ゴックンに留まらず、最近はお湯すれすれに唇を付けて、ブクブクブク~と出来るようになった。誰が何と言おうと、伊吹にとっては大きな進歩なのだ。来年の大晦日は、どんなことを書いているかな?私としては多分、史上最短日記だけど、今年の締めくくりとして書かずにはいられなかった。では皆さん良いお年を・・・元旦早々また書くつもりである
2006年12月31日
何やら意味深なタイトルのようであるが、実はそのまんまの意味だ。そう。大事な思い出の品を紛失してしまった。昨日、和樹を保育園に迎えに行った時のこと。天気が良いので、自転車で迎えに行った。ビニール袋に入った汚れ物を、いつも送り迎えの際に使っている大きなエンジ色の手提げに入れ、その手提げには更にお便りノート(子供の様子について親と先生が記録するものだ)と、園で写してくれた和樹の写真。買ったばかりのもの。手提げ袋は自転車の前籠に入れた。と、ここまでは何の問題もない。後悔その一。帰り道にあるスーパーに買い物しに寄ったこと。それでも買い物後にちゃんと考えていれば失敗はなかった。後悔その二。買った品物を前籠に置き、その代わり手提げ袋を後ろの子供椅子に置き換えたこと。(ちなみに和樹は前の椅子に座っていた)後ろの椅子は一応「荷物置きとしても使える」(取説による)が、「椅子」の形は変えることは出来ない。つまり、本来乗せた子供の両足を出す為の隙間は、子供ではなく、荷物を置いたとしても、開いたままである。後悔その三。その、大きく隙間が開いた後ろの籠・・・いや、椅子に、手提げ袋をポンと置いた状態で、自転車をこぎ始めたこと。後悔その四。「そんな風に置いては、落ちる可能性が高いだろう」とはこの時に限って微塵たりとも思わなかったこと。で、家に着いて和樹を下ろし、後部の椅子にある筈の荷物がないことに初めて気付いた・・・魔が差した・・・とは、正にこんな状態?手提げ袋がずっしり重いか、形がパンパンになるほど大きな荷物が入っていた、或いは地面に落とせば絶対に気付くぐらい音の大きな鈴でも付けていた・・・なら、その分紛失する可能性は低くなった。しかし、汚れ物はほんの数点。汚れオムツも、入園したての頃にスーパーの大袋にギッシリ・・・だった頃と違い、今はゼロ又は一つ程度。スカスカの手提げ袋だった。そんなものを後部の椅子に置いて、起伏の激しい道を自転車で走れば、そのうち地面に落ちてしまう・・・そんなことは小学校低学年の子でも分かること。いつもなら、充分理解している上で、肩から提げるだろう。それをしなかった理由は、きっとこうだ。“今日は”後ろの椅子に置いても、きっと落ちないだろう。落ちても、きっと気付くだろう。どうしてそんな自信が?!と自問自答しようか、とにかくそう思ったらしい、その時の私は。何かなくし物をしたり、車をどこかに擦ったり・・・などミスをする時は、いつもそう。大丈夫な筈がないのに、その時に限って根拠のない自信のようなものがある。正確には自信などではなく、何も考えていないのだろうけど。和樹たちは長男に任せ、すぐに元来た道を辿ってみた。約三往復。時間は既に夕方6時。店などの前の歩道は明るいが、それでも昼間とは違う。全く見つかる気配なく、それでも夕飯の支度や子供の世話のため、一旦帰宅。子供を風呂に入らせ、夕食を一緒に食べ、一通り終わってから再び探しに行ったが、合計五往復ぐらいする頃には寒さで身体がこわばっていた。身体だけの寒さではなかっただろうけど。近くの交番で尋ねたが届けはもちろん出ておらず、遺失物届けを出し、帰宅。翌朝、つまり今日も保育園に行く時にまた同じルートをゆっくり辿ってみたが、目に入るものは全く別の落し物。手袋やハンカチ、ハンドタオル。そして、煙草の吸殻などのゴミ。関係ないものは星の数ほど落ちているのに、私の探しているものは見つからない。何故そんなに必死なのかって?お便りノートをなくしたからだ。はっきり言って、手提げ袋も汚れ物の服もタオルもどうでもいい。手提げは年季の入った安物だし、服も保育園用に買った安物だ。問題は、お便りノート。園での和樹の一日を、担任の先生方が綴った記録ノート。私自身も、先生のコメントへの返事や、家での和樹の様子を楽しみながら書いている。時々ネタが思いつかない日もあったが、そのことで和樹に向かって「ネタがないから何か面白いこと言って」と頼むと、下あごを突き出し、アイーン(@志村けん)のような顔で押し黙ったりして、それだけで面白いネタが出来たり。伊吹のS園のお便りノートは、複写式になっており、切り取った方のページは園で保管してくれているので万一片方がなくなっても問題はないのだが、保育園のはそうではない。なくしたら、それっきり。そうは言っても、入園した頃からの記録を全部一冊に綴ってあるわけではなく、今までのは園で一旦預かってくれていて、親の元にあるのはここ数日分(二週間分ぐらいか)。一年のうちの、せいぜい二週間分の記録。だが、失った記録を復活させることは出来ない。園から買った写真は、ネガがあるのでそれを見て選び直すしか方法がないらしい。見本として置いてあった写真も売りさばいてしまい、締め切りはとうに過ぎているので。だが、買い直すことが出来るだけでありがたい。たかが保育園のお便りノートだが正にお金には代えられないもの。一年の終わりに、記念すべき大ポカをやらかしてしまった。まあ、でも・・・和樹の笑顔が、私の沈んだ気持ちを半分ぐらいは浮上させてくれている、かな・・・そのうちに半分と言わず、すっかり浮かせてくれますように。和樹自身が私の傍にいてくれて、これからの毎日を楽しいネタで一杯にしてくれればそれでいいや。・・・と思うことにしよう。
2006年12月28日
先週14日は、S園のお楽しみ会だった。伊吹の“ほし”組の出し物は『カレーライスをつくりましょう』(タイトルうろ覚え)。どんなことをやるかと言うと・・・子供が両手で抱えられる大きさの、紙製の立方体×子供の数にそれぞれカレーの材料(野菜・塩・胡椒・ルーなど)の絵が描いてある。それらをステージの端にあるダンボール製のお鍋に運び、入れるのだが、運び方は子供によって色々決められている。大半は、二人一組で担架?に材料を乗せる方法。一人の男の子は、S園での昼食時に使っている配膳用のワゴンに乗せて。そして、我が伊吹はと言うと、ウォーカーを使ってお鍋の近くまで歩いて行き、待機している先生に材料“豚肉”を受け取り、お鍋にポイ!・・・う~ん上出来。と、上手くいけばいいのだが、最初の入場のところから気分が乗らず、ウォーカーの内側で床に崩れ落ち、そこを先生に起こされ、また歩き(歩かされ)、またまた崩れ落ち・・・という按配。肝心の「お鍋にポイ」のシーンでは、始めに椅子から立たされた時は気乗りしない様子で焦ったが、何とかお鍋までたどり着くことが出来たもっとも、“豚肉”をお鍋に入れたのは先生。伊吹自身は豚肉に手をちょっと触れただけで、黒子役の先生が代わりに、という格好。全員お鍋に材料を入れたら、お鍋の絵が描いてあるダンボールを一枚剥がし、その下にはカレーライスが!「はい出来上が~り♪」というわけである。それから、お次は私たち親もステージに登場。“材料”を一人ずつ、自分の親に手渡す。伊吹はまたもやウォーカーで私の元に。この時は床に崩れ落ちることもなく、ゴールまで頑張れた『カレーライスをつくりましょう』はここで終わり、第二幕(笑)として「親子スキンシップ」体操をステージ上で披露した。一つ目は、子供を親の膝に座らせ、バスに見立てて身体を揺すってやる『バスに乗って』。二つ目は、子供を立たせ、洗濯物に見立てて身体をポンポン叩いたり「風に揺らされたり」する『せんたくもの』(これもタイトルうろ覚え)。どちらも、土曜日に教育テレビでやっている弘道お兄さんときよこお姉さんの番組からである。見てないけど。スキンシップ体操の時は、伊吹も含めてどの子もとても良い笑顔を見せているので、出し物に取り入れたらしい。親馬鹿の自意識過剰かも知れないが、特に伊吹ははっきりした笑顔を見せてくれる希少な場面だ。だからこそ、先生方も考えてくれたのかも知れないな。なんてね。もしそうなら、この目論見は大成功だリハーサルの時もよかったが、本番では更に楽しさ一杯、嬉しさ一杯の笑顔を見せてくれた伊吹。『せんたくもの』の最後に、子供をギューッと抱きしめるのだが、これは私が一番好きな部分。伊吹を背後から抱きしめ、頬っぺた同士くっ付ける時、毎回毎回、伊吹への愛しさのあまりに泣きそうになる。こんなに可愛い笑顔を見せてくれるこの子には、どんなことだってしてあげられる・・・と思う。ま、歌が終わった途端、また日常に戻ってしまうのだが昼食後は親の出し物。踊りである。昨年同様、二組に分かれ、有名な『アブラハムには7人の子』(正確なタイトル知らん)、もう一組は『おかあさんといっしょ』から『おっとっとのオットセイ』。私はオットセイの方だった。番組に出てくるイラストのオットセイの顔を形取って帽子のように被り、両手にはイラストのオットセイの手を形取って手袋のようにはめた。ステージの中心には「行司」役のオットセイ。そして、全員で番組の通りに「ちゃんこ、ちゃんこ」と踊る。出だし部分で、私たちはお相撲さんの構えの姿勢になり「どすこ~い!」とシコを踏んだのだがその時点で既に先生方などから笑い(失笑?いや嘲笑?)が漏れた。いや、笑っていただけて何よりだが。振り付けは、私は一箇所だけ遅れをとってしまったが後はパーフェクトだったつもり。後で録画したのを見てみると、何だかやる気がなさそうな自分が映っていたのだが、やる気は充分だった。残念だったのは、よりによってこの時期に流行りだした手足口病や、風邪や嘔吐下痢症でお楽しみ会当日に休んでしまった子が多かったこと。それにより、子供の出し物は勿論、親の出し物参加者もだいぶ減ってしまった。『オットセイ』のメンバーも少なくなったし、ほし組の子も一人欠席。時期が悪いのだろうが、一応クリスマス会を兼ねてのお楽しみ会なので、ずらすわけにもいかないのだろうし・・・伊吹と私にとっては、S園での最後のお楽しみ会。泣きそうになるぐらい感動した、親子スキンシップ。何とか頑張れた『カレーライス』。そして親の奇抜な出し物夫も今年は出席し、ビデオカメラを回していたが「いぶちゃん、だいぶ歩けるようになったな」と感激したようだ。頑張る姿をお父さんに見てもらえてよかったね、いぶちゃん。また一つ、良い思い出が出来た。
2006年12月19日
今日は、H学園のPTで、S園のプールはお休みした。朝はゆっくり寝かせ、ゆっくりの朝食の後出かけたので伊吹は絶好調最近は、足の過敏を和らげることを重点的に行っており今日はタッパーに入れた小豆に触れることを最初にやった。先生の膝に座った姿勢で、始めは脛に小豆をパラパラ。少しずつ足の裏にも小豆を触れさせ、慣れさせていった。伊吹にとっては、「大人の膝に座る」のが最大のポイントらしい。一人で床に座らされると、怖いのか不安なのか(両方か?)たちまち拒否反応を示すことが多い。トランポリン遊びも同じで、直接トランポリンの台に乗るのはアウト。膝に乗っていれば、どんなに揺らされても楽しそう。今日も試しに少し一人で座らせてみたが、それまで余裕の顔をしていたのに急に眉をしかめ、居心地悪そうにした。(でも泣きはしなかった。偉い!)その後は、元々「暖簾」に使われる、プラスチックの玉飾りのような物を身体に巻いたり触らせて遊ばせた。ちなみに、伊吹の最近のブームは紐関係。この間、充電器のコードを引っ張って携帯の画面にヒビを入れたのもこういう理由からである。ところで・・・来年4月に、市内に新しい障害児デイケアサービス施設が出来る。知的障害児枠と肢体不自由児枠の二つがあり、定員は各30人。 *ちなみにS園は今まで語ってきた通りH16年度(だったかな)から 肢体不自由児の受け入れは行わなくなった。 伊吹が入れたのは「自立歩行出来る見込みあり」という理由で。魅力なのは訓練と外来診療の場が建物内にあるということである。他の売り(?)は、給食あり・送迎バスあり・週一の母子通園以外は親が残る必要なしという点か。ついでに、駐車場は敷地内の他にも近くの民間の場所を借り上げる予定で、スペースは広いらしい。これを聞いた当初は、なかなかいいなと思いつつ、そこに移ろうとまでは思わなかった。「来年には年長だし、就学までたった一年だから」と真っ先に思ったしでも一番の理由は親の自分がS園から離れたくなかったということ。送り迎えの際にも親子で過ごす時間があり、毎日弁当を持たせ、親が手伝いに借り出されることも多い、とても忙しいS園生活。実際それで疲れることが多いがそれでこそ通うことが楽しく、好きだった。もうすっかり、S園を卒園するつもりでいて、卒園の日を思い描いては泣きそうになったことも何度かある。だが、ここ暫くH学園での訓練の予約が上手く取れず、PTとOTの日を別々に取ったり、小児医療センターの外来受診で立て込んでいることも多かったりして、S園を休んでばかりいるうちに、考えは変わってきた。今のまま、訓練&外来とS園を天秤にかけた生活(今日みたいな日が良い例である)をしていて、果たして伊吹にとって良いことだろうか。あと一年間も、歩ける子たちの中で唯一人、先生の手を煩わせていて良いのだろうか・・・と。「(就学まで)たった一年」と思うのは、自分たち大人や健常児から見た感覚に過ぎないのかも知れない。伊吹のように、亀よりスローペースな子にとってはどうなのだろう?一年間“も”運動発達面で取り残されていて、いいのか。確かに、元気に歩いたり走ったりする子たちに揉まれて伸びていく子もいるだろう。だが、伊吹にそれを期待するのは難しいことだ。伊吹は伊吹なりに周りを観察していることは確かだが、「刺激を受けて自分も歩行が上手くなる」時が来るのか、または一体それはいつになるのか、今は全く想像がつかない。ここはひとまず、身体発達面で同じぐらいの子たちと同じスタートラインに立ち、始めから焦らずのんびり頑張ってみるのはどうだろう・・・というのが、新しい施設、それも肢体不自由児クラスへの入園希望を出した理由だ。S園では普段、部屋から部屋への移動などで唯一人ウォーカーを使い、リズム体操でも唯一人さくさく歩いたり出来ないし、言われたこともほぼ100%理解していないので先生の一人が常に介助している。様々な場面で、先生方が頑張ってフォローをしてくれている。とても有り難く嬉しいことなのだが、伊吹に手がかかる分、他の子たちに迷惑が及んでいないか?当の伊吹だって、フォローを受けるにも限度がないか?・・・と、特に最近考えるようになった。小学校は養護学校確定だな、とは療育手帳がマルA判定されてから決めていたが今ではそれも身体障害の養護、と考えを固めている。就学直前の一年間も、この際身体障害の方で伊吹ペースでまったりと、しかしシッカリと過ごさせてやりたい。そう思った。新しい施設への入園希望の申請を済ませ、つい数日前にS園の園長にもその旨を話した。実を言うと、園長には何だかとても言いづらく、担任の先生に始めに打ち明け、その先生を通じて前もって話してあったのだが。園長も「そうですね・・・その方がいぶちゃんにもいいと思います。確かに、寂しい気持ちも私としてもありますが・・・」と答えて下さった。遠慮がちな言い方だったが、そう言ってもらえてよかった。次男と一緒に、5年前の3月にS園の門をくぐってから、本当に色々な思い出が出来た。まだまだお世話になると思っていたのに、急な展開で、気が付けばあと僅か3ヶ月・・・まだ礼を言うには間があるけれど。ありがとう、S園。
2006年12月08日
最近何だか日記が月イチのペースになってきているのはきっと気のせいではないだろう。ネタは沢山あるのだが、いざPCに向かってもやることは家計簿をつけたりオークションを見たりそのうち伊吹や和樹に邪魔をされるので仕方なく電源をOFF(伊吹に電気コードを抜かれることも・・・)。ついこの間は、PCのモニター脇で携帯を充電していたのだが、充電器のコードを元気よく振り回されたかと思ったら「ガーッハッハッハァ」と笑いながら豪快に携帯をデスクにぶつけられ・・・サブ画面にヒビが入りましたとさ。(本当に「ガーッハッハッハ」と笑うのだ、だみ声で・・・)まあ、携帯はもうすぐ機種変する予定だからいいが、そういう問題ではない。そのついでに、モニター脇に置いてあったココアのカップが携帯が当たって落ち、ココアがカーテンに・・・ちなみに、カーテンは二週間ほど前に洗ったばかりだった。とりあえず、次男が誕生日を迎えたことを。今月2日に、次男は9歳になった。プレゼントは、2,3ヶ月前に自転車を買ってやったのでそれでおしまい。まあ、クリスマスが控えているからねぇ。(と、1月5日生まれの私も、子供の頃はそんな感じだった)ケーキは本人のリクエストで、チョコレートケーキ。日曜日以外、毎日スイミングに通い、火曜日は「ことばの教室」に通所し、忙しい次男。背は相変わらず低く、クラスでも一番か二番に小さいし家族で一番痩せっぽち(ああ・・・肉を分けてやりたい)だがスイミングはほとんど休まず通い、現在は10級(最低)から7級にレベルアップ!ことばの教室のお陰で、苦手な発音もだいぶ綺麗になり、また、そのお陰か、自分に自信がついたようで授業中も発言が多くなったそうだ。休日にお互いの家を行き来する友達も出来た(一人だけだが・・・)。勉強はまだまだ言わなきゃやろうとしない時が多いしお世辞にも成績が良いとは言えないが、今のところ授業にも付いていっている様子。精神年齢がまだ実年齢に追いついていないところがまだ心配である。6歳年下の弟・和樹と同レベルで喧嘩するのは、もうやめなされ。でも、ごく最近は、時折「兄貴」らしい雰囲気を漂わせることもあり、少しホッとしている・・・かな。幼い=可愛い、というイメージから、下に二人も妹弟がいる息子の癖に、つい猫可愛がりしてしまいたくなるのだがいつまでもチビじゃないもの。少しずつでいいから、兄貴らしく成長していって欲しい。ことばの教室の日は、他のきょうだい抜きに二人で会話出来る数少ない貴重な時間。このまま綺麗な発音が定着していけば、通所する必要がなくなるし、いつまでも通うようでは問題だけれど今の時間を大切にしたいね。ね?お誕生日おめでとう。他にも書きたいことはあるが、また改めて・・・
2006年12月06日
日曜日に、肢体不自由児の養護学校で行われた文化祭に行ってきた。自宅から車で40分ぐらいの、埼玉県比企郡という所。住所だけ見るととても遠方な感じがするのだが、割と近いし、道も分かり易い。県(?)のモデル校に指定されており、設備は素晴らしく、とてつもなく広いと聞いてはいたが行ってみてまず駐車場の広さにびっくり。巨大ショッピングセンター並みだ。建物は、確か平屋だったような・・・まあ、広大な敷地を確保でき、肢体不自由児用なのだから縦に長い建物にする必要もないのだろうし。教室は、小学部だけで一体いくつ部屋があるんだというぐらい部屋数が多いが、一クラスが少人数なのでもっともなことだ。文化祭は10時スタートだったが、何だかんだで着いたのが11時だったので、午前中の出し物は一つしか見れず、その後お昼を買って食べ、後は展示物の鑑賞、バザーをざっと見る、それだけで終わってしまったが、出し物と展示物は素晴らしかった。小学一年生の一クラスの出し物で、劇仕立てのものだった。一人一人にセリフが与えられ、お話が上手でない子には先生が一人付き、後ろから代わりにセリフを喋り、フォロー。途中、歌を歌ったり踊ったりするシーンがあり、全員が生き生きとしているのが感じられた。展示物は、全校児童・生徒の作品だった。運動機能や知的レベル(という言い方は失礼かも知れない)に合わせて、クラス単位で作品は色々で中高生の目を見張るぐらい上手な作品はもちろん、肢体・知的障害の重いお子さんの作品も、先生方の真摯な協力で、非常に美しかったり可愛らしかったりするものに仕上がっていた。クラス単位または一人一人の作品に解説があり、出来上がるまでの過程などが書かれていた。中には、粘土や染料などの慣れない感触に強い抵抗を示す子がいたが、少しずつ慣れていき、製作にこぎつけたという子も。バザーは、終了間際に行ったものだから売れ残りばかりで残念。だが、20円でミッフィーの綺麗なぬいぐるみをゲットS園で伊吹のトレードマークになっている、ミッフィーちゃんだ。本人に早速持たせてみたが、唇で少し触れた後、ポイ和樹がその後抱っこしていた。それにしても、卒業生が出店していた場所で手作りクッキーとか買いたかったな・・・早くに売り切れてしまったらしい来年は開会式から見に行かないと。閉会式をちょっと見たのだが、途中、照明をディスコ調(いや、クラブか?)にしてパラパラを皆で踊っていた。車椅子の子も保護者や先生に車椅子をクルクル回され、ニコニコと笑っていた。このパラパラは、学校の名物らしく、閉会式にこのためだけに顔を出した親子もいた(笑)さて、行って来た感想だが、伊吹の居場所はここかも知れないな・・・ということ。学校の雰囲気がとても良かったということもあるが、知的障害児の学校より、ここのような肢体不自由児の学校の方が伊吹には向いている気がする。4歳5ヶ月で初めて二歩以上歩けるようになったものの、目的地に向かって歩行での移動、と呼ぶにはまだまだ言えない程度のヨチヨチ歩きぶりで、S園においても先生方のフォローはありがたいが、他の子たちに運動面で大幅に取り残されているのは決して否定出来ない。ろくに歩けないだけならまだしも、重度の知的障害も併せ持っている分ほんの数歩移動して何かを受け取るとか手を挙げて返事をするとか、簡単な言葉が分かるとか・・・全てが出来ない。いや、出来ないと言ったら語弊があるかも知れない。人の何倍も時間をかければ、ちょっとした真似事は出来るから。先日もS園で先生の真似をして木琴を叩いたり、ペンを持って紙にトントンと書く素振りを見せたらしいし。だが、最低限歩行が出来る子たちの中でこれからずっと過ごすことで、伊吹のためになるだろうかと思う。比企郡の養護学校で、先生の一人と話をする機会があり、「歩行困難なお子さんが知的の養護学校に通い、周囲の歩けるお子さんに感化されて歩けるようになった例もあります」とおっしゃっていた。確かにそういうこともあるだろうけれど伊吹に関してはそういう可能性を待っていては一体何年先になるか分からない、というのが正直なところ。ここはまず肢体不自由の学校に入学し、状況次第で知的の方に転校かな・・・と、最近は強く思っている。とりあえず、来年度から本格的に他の学校も積極的に見学に行ってみようかと思う。今日は小児医療センターの整形外科へ行った。珍しく空いていたようで、待ち時間は30分程度!(最長2時間半待たされたことがある)だが、診察も超スピーディーで、1分足らず装具を着けていてトラブルはないかどうかの確認と、足の具合の診察。前回、「土踏まずが出来れば、装具はやめて(靴の)中敷に替えられるんだけどね」と言われていたが、今回は「アーチが出来始めているね」と言われた。私が見てもさっぱり分からないのだが・・・そうなのかな?だとしたら、すごい成長だ。歩行回数はあまり変わっていない気もするのだが、少しずつ「歩くための」足に変化を遂げているらしい。やったね、いぶちゃん
2006年11月21日
今年5月に、障害者の訪問理容サービスを初めて受けてから今日三度目の訪問理容に来てもらった。初回から、理容師さんはずっと同じ人で、女性の方だ。今日も上手にあやしながら手早くカットをしてもらった。一度目は、伊吹は半分寝ぼけていたのであまり暴れず、まあまあやり易かった。二度目は、少し眠かったのか空腹だったのか忘れたが、すごく不機嫌で大暴れ。押さえつけるのがやっとだった。今回は、休みでずっと家におり(プールの日だったが鼻水がすごいので欠席)、昼食を済ませたばかりですこぶる上機嫌の中の散髪だった。身体に巻かれたナイロンの布が鬱陶しいらしく、それを取ろうと腕を振り回したが、なだめて防げる程度。慣れない感触が大嫌いな伊吹としては、極めておとなしい方。S園の先生にも指摘されたが、前髪が半端に伸びてしまい、丁度瞼に触ってしまう長さだった。そのためか目やにがいつも付いている状態だった。なので、まず前髪をバッサリ。前髪の外側部分、ちょんまげにしている部分も短めにカット。耳の前の髪は、出来ることなら長く伸ばし続けててっぺんで結びたかったのだが、待っていられない。何しろ、伊吹はいつも顔がうつむき加減である。そのために耳の前の髪は重力によって頬にかかり、しかもそういう癖が付いてしまっている。ここは伸びるのを待つのを諦め、顔のカーブに沿って短くしてしまった。で、完成図↓ちょんまげは半端な長さなので、バカ殿のように空に向かって生えているし、耳前の毛もカットしたことにより横にツンツンと跳ねている。一見、美しくも何ともない髪形だが、決して理容師さんの腕が悪いわけではない。頭の形が横につぶれているので、ショートは似合わないと思うし、かと言って流行の髪形にしたくても本人がその気ゼロなので、お洒落な髪は邪魔なものでしかない。なので、最低限「可愛らしく(?)それでいて鬱陶しくない」精一杯のスタイルが、これである。ヘアゴムも、本当は可愛い飾りの付いたものをさせたいのだがそういう可愛いゴムって、すぐに伸びきったりして駄目になってしまう気がするのは、私だけだろうか?だから最近は、何の飾りもない、シンプルなヘアゴムばかり使っている。私もいっぱしのミーハーな人間だから、娘がいる以上、メゾピアノだナルミヤだ、というファッションに少しも関心がないわけではないし、今の季節なら女児用の可愛いブーツにも目が行かないでもない。ブーツかぁ・・・人並みに歩けて、走れるようになることが先だよないや、大体サイズがないし。伊吹ってば、素足だとまだ12センチ程度だし。小生意気で可愛いスカートを履かせたくても、履かせた傍からストリップをされちゃうからなぁと、片っ端から思ってしまうのでミーハーな女親にはなり切れないでいる・・・来週には鼻水が収まっていますように。浮き輪で水上をプカプカする楽しさを見出した伊吹。その感覚を忘れさせないよう、金曜のプールに本当はもっと参加したいと思う、この頃である。
2006年11月17日
このブログを開設して2年が経ったが、今日初めてデザインを変更してみた。タイトルの"Spring Has Come"にちなんだ、春らしいデザインで通そうかと思っていたのだが、それも何となく飽きたので(爆)ここ一ヶ月ぐらいで、和樹が昼寝をしなくなってきた。保育園に行く平日は、決まった時間に昼寝しているので土日祝日の話であるが、昼寝をしないのならそれでもいいかな、という感じ。いや、夕方になると眠くてグズる様子も見られるし、そこで放っておけば多分寝てしまうだろうから、グズり始めると風呂に入れたり片手間に遊んでやったりして何とか間を持たせ、夜の寝て欲しい時間まで起こしておく。今日は頑張って10時頃まで起きていた。もう少し早く寝てくれてもよかったんだがね。あ、写真は今日撮ったものではないのだけど。 上の兄貴たちの悪?影響で、言葉が益々達者になってきた和樹。アニメの主題歌やセリフなんかはいち早く覚える。最近のお気に入りは『忍者ハットリ君』『妖怪人間ベム』『ルパン三世』あと『つるピカハゲ丸』など。そう、CATVで放映中のレトロなアニメ(ベムは最近リメイクされたものだが)のオンパレードだ。家の中だけならまだしも、保育園の中で、ベムのナレーションの一節「彼らはもちろん人間ではない」とかルパンの物真似・・・のつもりはないのだろうが、「ルパ~~ンさんしぇい」などと言い、先生方の笑い(失笑か?)を誘っているらしい。様々なセリフを言うと先生方が笑うので、益々調子に乗って喋っているとか。もも組の中で、和樹は「お笑い芸人志願者」という位置づけをされてしまったようだ。ま、それもアリか先週水曜日、保育園の面談があった。上記のような楽し恥ずかしな話もあったが、「やはり(早生まれで?)少し幼いところがあり、他の子たちからワンテンポ遅れて行動したり、場の雰囲気が分からず一人でふざけたりしてしまう面もあります」と言われてしまったああ・・・確かに、そんなところはあるだろう。次男もそう言ったところはよく似ている。やはり兄弟なんだな、と、嬉しい気持ちでなく考えた。姉の伊吹が障害児ということで、2歳違いで何事もなく生まれ育ってきた(はずの)和樹。1ヶ月健診で医師に「何の問題もありません。順調に育っていますよ」と言われた時の感激は、今もこれからも忘れることはない。だからこそ「この子こそ・・・今度こそは“普通の”子を」という期待は無意識のうちに大きくなっていたのだろう。なので、面談での和樹の「マイナスの話」(←私が勝手にこう名付けただけだが)が少し出ただけで、少しだが動揺を覚えた。前に触れたと思うが、次男も伊吹同様、S園に通っていた時期がある(週に一回のグループ)。言葉が少し遅れていたのと、オムツが3歳過ぎても外れなかった、という理由でだが、後になって、場所見知りが激しい、人よりワンテンポ行動が遅い、など個性的と言うには少々困った点も見られ始めていた。就学時健診の時は、私と離れ離れになった途端に帰る~!!と大騒ぎをして脱走を計り、特殊学級か普通学級か、あわや選択を迫られそうになった(結果的に普通学級でOKになったが)。今は「場所見知り」に関しては、表向きは全く問題ないがテンポが遅い性格(?)は相変わらずで、また、これはまた別の問題だが、「サ行」「ザ行」「ツ」の発音、つまり摩擦音と破裂音が上手く発声出来ず、今学期に入ってから、学区外の「ことばの教室」に週に一回通っている。長男も小学校低学年の時に「学習障害の“傾向あり”」と小児医療センターで診断を受けているし、次男も上記の通り、診断名こそ医師に付けられていないものの実年齢より少々劣った点がある。つまり、うちの子たちは和樹を除き、一人は正真正銘の障害児、残る二人もボーダーライン上に存在するちょっと難しい子たちなのである。これで、もしも和樹まで「何らかの障害の可能性あり」なんて言われたら・・・と考えてしまうことはある。そして、「頼みの綱は和樹だけだなぁ」とも。保育園の面談で先生に言ったように、元気ならば、それが一番。どうか元気に育ちますように。和樹だけでなく、他の3人も・・・ね。ところで伊吹の声が枯れていて、調子が悪そうである・・・
2006年11月12日
今日は、PTとOTの日だった。PTでは、始めに素足の状態で、足の裏へのマッサージや掌でピタピタと叩いて刺激したりした後、小豆が沢山入ったタッパーに素足を入れさせ、ザラザラの感触を味わせた。掌での感触遊びに限っては、乾いた感触のもの(小豆、砂、小麦粉など)はだいぶ慣れてきたが足の裏の過敏は相変わらずで、今日も当初は小豆に触れた途端に足を引っ込め、(;'A`) ←こんな顔で拒絶していた伊吹。しかし、先生が根気強く伊吹の足を持って、触れさせていくうち、次第に大丈夫になったらしい。顔が(;'A`) なのはあまり変わらなかったが、「思っていたほど嫌な感じじゃないかしら」と思ったのだろうか?或いは「ちょっと嫌だけど・・・試しにやってみようかな」だろうか。冒険心、または探求心のような気持ちも最近出てきたような気がする。伊吹は何事にも慣れるまでに、人一倍、いや、十倍以上の時間を費やすのだが、過敏に対しても同じである。今日は、改めて「時間をかけて接する」ことの重要さを感じた。家でも小豆遊び、試してみようか・・・?と思いつつ、忙しさとメンドクサさで明日には忘れちゃったりするんだよなぁ・・・OTでは、いつものように食事療法。献立は、米飯(味なし)・大根と人参の煮物・サツマイモを潰したもの・玉子焼き・ヨーグルト。始めにヨーグルト以外のおかずを食べさせようとしたが拒絶。味のないご飯が嫌なのか?と、ご飯に全てのおかずを混ぜてみるが、それでも駄目。最後にダメモトで、療法士の先生方が昼休みに皆で食べているという、明太子ふりかけを持ってきてもらい、ご飯にかけてみたら・・・食べた。これをきっかけに、お弁当もヨーグルトも完食!始めの拒絶ぶりは何だったんでしょうね~、と先生と笑ってしまった。以前のように、過敏による選り好みという傾向は少し弱まり、ごく普通(?)の好き嫌いのような様子が見られるようになった。何でも構わず機械的に食べていた頃と比べると、それはそれで良い傾向なのだろう。まあ、どちらかと言えば、嫌いなものよりも好きなものが増えていってくれたら、言うことなしである。
2006年11月06日
書きたいことは沢山あったのだが、そんなこんなで過ごしているうちに日にちだけが経ってしまった。・通施協キャンプ通施協とは「埼玉県通園施設協議会」の略。・・・だったと思う。手元に資料がないので(汗)年に一度、県内の障害児通園施設の親子や職員の希望者が集まり、一泊二日のちょっとした旅行をするもの。場所は、埼玉県皆野町の「いこいの村 美(み)の山」という、小奇麗な宿泊施設。シャワー付きトイレ完備、大浴場も綺麗で広い。我がS園からは、うちを含め三家族が参加・・・の予定が、親や子の体調不良で続々とキャンセル、何と、うち(私&伊吹)だけの参加となってしまった。先生は、園長と他二人の女の先生だが、園長以外は日帰り。というわけで、部屋割りも園長&伊吹&私の三人で密なひとときを過ごした。キャンプの醍醐味は、レクリエーションと夜の懇親会(要は飲み会)である。全ての施設の職員が、それぞれ出し物をやった。S園からは、ブラックライトを使ったパネルシアター。会場を暗くし、パネルに青く光る地球を貼り、「小さな世界」の歌に合わせて子供たちなどの絵を貼っていった。他の施設の出し物も、工夫を凝らしたりして大人が参加しても決して飽きない内容だった。正直、レクが始まって間もない頃は、何家族もの団体で来ている施設の人々に圧倒され、「何か、場違い・・・?」とも思っていたが夕方のレクから始まり、夜の懇親会、翌日のレクを経て解散に至るまでに、「来てよかった」という気持ちになった。懇親会で、同じてんかんを持つ子のお母さんと話したり、また、普段接する機会のない子、例えば肢体不自由児の親御さんの話も聞けたし、楽しいのと同時に、収穫は沢山あった。ちなみに、伊吹は懇親会の間、どうしていたかと言うと園長と部屋でまったり・・・いや、寝かしつけてもらっていた他にも寝ない子は大勢いて、先生方に面倒を見てもらっていたそうだ。とてもありがたいことだ。夫に帰ってから話したところ、「来年は家族で参加するか」と言った。その前に、皆に誘いの言葉をかけることを頑張らないとな~。・運動会先月28日、S園の運動会。写真を何枚か撮ったのでアルバムに載せた。天候に恵まれ、運動会日和だったが、当の伊吹は気分が乗らず、目を伏せっぱなし、指をしゃぶりっ放し、グズりっ放し天気が良すぎて暑いというのが第一の原因だったのだと思う。日陰で抱っこしている時は機嫌が良かったので・・・和樹も兄弟として参加、長男も急遽子守役として来た。大玉転がしやお菓子取りなど、和樹が奮闘。地面に立つ気もない、もちろん歩く気もない伊吹を後ろから抱え、黒子状態で参加する私。誰が主役の運動会なのかよく分からなかったが、まあ、無事に終わってよかった。(?)・脳波検査二回目の脳波検査。前回、後頭部の方の脳波に乱れが見られ、てんかんと診断されたわけだが、今回も引き続き後頭部位に乱れあり。ただし、乱れそのものは小さくなってはいるらしい。デパケンの量を再び増やし、様子を見ることになった。現在の血中濃度は65ぐらいで、まあまあ丁度良いぐらいだと言う。医師にも伝えたのだが、前回デパケンの量を増やして暫く経った頃から、夜、寝入りばなの大泣きがなくなった。それまでは、言葉は悪いが、狂ったようにバカ泣きしていたのだ。今では、黙々と機嫌良く遊んでから、パタンと寝付くようになった。薬の効果が現われているということも考えられるだろう。が、夜更かしそのものは、今のところ変化なし。また量を増やしたことで、どう変わっていくか・・・期待半分、不安半分といったところだ。
2006年11月02日
春歌の写真を入れてある写真立てが、ついに老朽化してきた。二枚合わせになっている枠部分が剥がれてきたのだ。接着剤で貼り直した。しかし、一度剥がれてしまったもの、再び駄目になってしまう日は近いだろうなぁ。5年かそれ以上使ってきた写真立てなので、老朽化して当たり前だ。しかし、敢えてこの写真立てが気に入って使っている。枠にずらりと、写真に写る春歌を取り囲むように、ベッドメリー・積み木・木馬・ハンガーにかかったワンピース・・・などの飾りが付いた、まるで「春歌の部屋」のようなデザインのこれが、気に入っている。全体的に黒ずんできたし、かと言って拭き掃除しようにも素材上、上手く拭き取れないものだから汚れるに任せるしかないのでいずれは買い換えた方がいいのだけど・・・ 写真立てを直すために、一旦写真を取り出した。むき出しの写真は四隅の背景も見え、その分生々しく・・・臨場感に溢れていた。あの日あの時、まだ「生きて」いて温かかった、春歌の小さくて可愛い頭を撫でた感触(一生忘れることなどない)、機械の音、蘇生を試みるスタッフが4~5人ぐらいいたこと、諦めムードな夫(本心では、生き返ることを熱望していたかも知れないが)、写真を撮ってくれた母、隣室で聞こえる、よその新生児の泣き声・・・それらの記憶が久々に鮮明に蘇り、同時に春歌への想いも久々に強く蘇り・・・涙が暫く止まらなかった。写真に写る、この小さな唇からは、どんな声が聞けたのだろう。開かなかった目で、どれだけ沢山のものを見ただろう。頭の中に、これから先、どれだけ沢山の記憶・・・家族や友達との思い出・・・を蓄えていっただろう。叶わなかったことが、とても悲しく、苦しい。巷では、もうランドセルの広告を目にするようになった。見たくないからと、逃げてはいられない。「4人もの母親」の私が、こんなことで時々激しい悲しみに沈んでいるなんて、ちゃんちゃらおかしい話だ。少なくとも、世間一般はそう言うだろう。・・・と、感情のままに書いてしまったが、また明日からただの「子沢山の母ちゃん」に戻るとしよう。伊吹の運動会である。和樹も同伴、急遽、長男にもほとんど子守役として付いてきてもらうことにした。まだまだ危なっかしいが、結構頼りになる長男、お喋りが半分理解不能ながらも、上手になってきて可愛い盛りの和樹。次男は学校公開日が重なってしまったので、午後、学校に見に行く約束をしたが。皆、大変だけど可愛い子供たち。春歌・・・今夜だけ、お母さんは貴女だけのお母さんになるよ。
2006年10月27日
昨日19日、伊吹は5歳の誕生日を迎えた。この一年間で、変わったことと言えば・・・・米飯や固形のおかず、ヨーグルトを嫌がらずに 食べられるようになったこと。 同時に、スプーンやフォークでも受け付けられるようになったこと。・(S園限定で)コップの水を少しだけ飲めるようになったこと。 ただし、家では頑として飲まない。・歩く距離が確実に伸びてきていること。・大人への甘え方や表情がはっきりしてきたこと。・ウンチが出ると、「気持ち悪い」と感じるようになったこと。・服を脱ぐのが益々上手になったこと。 ただし、状況を分かって脱ぐわけではないので、困りごとでもある。これからもう少し頑張って(?)欲しいことは、あまり欲を言うつもりはない。ただ一つ・・・・メガネを嫌がらないでかけようよ。なだめすかしつ、メガネを何とかかけさせていられたのは遥か以前のことである出来ることならコンタクトレンズにでもしてしまいたいが、無理なのは百も承知。てか、コンタクトをすんなりと入れさせてくれるぐらいならメガネだって嫌がらない筈だよなぁ。昨日はイオンSCまで、予約しておいたケーキを取りに行き、ついでにBDプレゼントを物色。本当言うと、つい先日まで、プレゼントは別になくてもいいや、と思っていたのだが。伊吹の喜びそうなものと言えば、大体決まってくる。タオル地のようなソフトな肌触りで、振ると鈴などの音がする、赤ん坊向けのオモチャ。既に家にあるもので充分事足りるし、いらないや、と。しかし、昨日突然気が変わった。たまには、年齢相応のものをプレゼントしたい。伊吹には勿論説明書通りには使いこなせないだろう。だが・・・親の欲目というか、わがままと言ってしまえばそれまでだが、5歳という年齢にふさわしい扱いを、たまにはしてあげたかった。そこで、少しでも伊吹が楽しめそうな、少女らしいおもちゃはないかと探し、決めたのは↓これ。振ったりボタンを押したりすると、さまざまなサウンドが鳴る。対象年齢は3歳以上となっており、本来の5歳児には少し幼稚かな?『ふしぎ星のふたご姫』というアニメで、ヒロイン二人が使う何らかのアイテムらしい。「らしい」というのは、私は女の子の間で流行っているものをほとんど知らないから。実を言うと、このおもちゃが『ふしぎ星~』のものだと分かったのも家に持ち帰り、伊吹に手渡した後だった。それまでは何故かキューティーハニーだと思い込んでいた。これではまるで、孫娘の誕生日にプレゼントをリクエストされたが、間違って似て非なるものを買ってきてしまった、おじいちゃんのようである。(おばあちゃんでなく、おじいちゃんというのがポイント)お前は本当に娘を持つ親なのかと、自分を問い詰めたい気分だ。でもさ・・・仕方ないのだよ。伊吹のような「流行に絶対流されない、超マイペースな娘」(あえてそう言おう)しか育てたことがないと。それから、同じくイオン内の「マザーグースの森」というお店で、伊吹にお弁当箱を購入。今まで使っていた、ウサハナのお弁当箱の蓋が割れたためだ。このお店は、木製のおままごと道具や、オリジナルキャラの『ももうさ』(?)のぬいぐるみやドールハウス、可愛い生活雑貨などを扱っており、女の子一色といった感じである。特におままごと道具は必見だ。いつか、こんなおもちゃで一緒におままごとが出来るだろうか?ねぇ?いぶちゃんと、私自身も少女趣味的なものが大好きではあるが、何となく場違いなような、気恥ずかしさを覚える。トミカやプラレールの売り場に行くとホッとするのは何故だろう。やはり、私は「男の子の母ちゃん」に染まってしまっているんだろうな。それはそれで、悪い気はしないのだけど。BDケーキは夕食後にいただいた。既に夕食を済ませ、マイペースに遊んでいた伊吹。再びハイチェアーに座らせられたこともあり、ご機嫌斜め。「もうご飯は済んだのに、一体あたしに何の用なのよ?」と言わんばかりの表情だった。ヨーグルトを好むようになったので、それと同じような食感かと思われる、レアチーズケーキをスポンジの間に挟んだケーキを口まで持っていったのだが・・・ぷい、と、顔を背けて拒絶、撃沈。ヨーグルトに混ぜてみても、駄目。今年こそ、主役としてもケーキを食べてくれるかと期待していたのだが・・・また少しずつ慣らしていこうね。ちなみに、ハッピーベルンは出る音が楽しいらしく、ヘラヘラキャッキャと笑いながら遊ぶ姿を見ることが出来た。まあ、顎にコツコツを当てたり、空き箱を舐めたりと説明書に記載されていない新しい遊び方もしたが。制限時間内に沢山ベルの音を出すというゲームなども出来るが、単純に音が出、LEDランプが綺麗に光るおもちゃとして、買って正解!だったかな?また、和樹も同じくハッピーベルンを気に入り、伊吹から取り上げては遊んでいたことは言うまでもない。ま、とにかく・・・お誕生日おめでとう、いぶちゃん 話は変わり・・・夫が退院しました。今日の朝食で、やっと「形のある」お粥を食べられ、医者に退院許可をもらえたそうだ。・・・いいのか?今日からいきなり通常食で。もっとも暫くの間、通院をしなくてはならないが。本人も、腹痛はほとんど起きなくなり(完全ではないということか)その他自覚症状もなくなったらしい。仕事への復帰は3日後の火曜日。それもいきなり残業つき。確かに、働いてもらわないとどうしようもないが、ぶり返して再入院ということだけは避けてもらわないと。ちなみに入院費は総額13万円。手術は行っていないので、金額としては妥当なのか、どうか。うち、郵便局の養老保険から入院保険45000円が下りたのでひとまず胸を撫で下ろした。あとは民間の保険会社から、いくら下りるか・・・夫から今朝「退院出来るから迎えに来て」と電話があったとき、真っ先に思ったのが「さて、いくら請求されるだろう」だった。夫には申し訳ないけれど。結果的に夫は大病ではなかったのでそんな心配のみで済んだわけで、その点は感謝すべきだろう。何にしても、よかった。ご心配をして下さった方々、本当にありがとうございました。
2006年10月20日
伊吹は、昨日からやっとS園に復帰した。復帰一日目は、10月生まれの子たちのお誕生会。バースデーカードに貼る顔写真は、何日か前に先生がS園にて撮ってくれるのが普通だが、伊吹は休みっぱなしだったので、私が自宅で撮影した。携帯のカメラを「インカメラ」モード(自分の顔側を撮影出来る)に設定しないと、正面からのまともな顔が撮影出来ない伊吹。20回近く撮影しては削除を繰り返し、やっと奇跡的にカメラ目線&笑顔で撮れたのが、これ。否応なしに私の顔も写ってしまうものだから、ボカシ加工(笑)すっぴん&眼鏡&ビールで赤ら顔の私など、お見せ出来たものではない。S園に持っていったところ、好評であった。よかったね、いぶちゃん しかし、この写真だけ見ると、普段はなかなか正面を見ず、視線も定まらないだなんて、誰も分からないだろうな~(?)少しは知的に見えないことも・・・ないはず・・・だよね?お誕生会の日の、先生からのおたより帳のコメント。*カッコ内は注釈「久しぶりの登園でしたが、朝から割とごきげんないぶちゃんでした。“キャッキャッ”と声が出ていました。お誕生会の出し物では、“手をたたきましょう”に合わせて、鈴をリンリン鳴らしてもらいました。(伊吹が自分で鳴らした、ということか?)(バースデー)カードのお写真も“かわいい”と大好評でしたよ。ケーキは、一口はヨーグルトと一緒に口にしましたが、あとは“イヤー”という感じで、残してしまいました・・・。」伊吹、すまん。忙しさにかこつけて、市販のロールケーキ(しかも安物)にホイップ済み生クリーム、それにフルーツを乗せる筈だったのがその生クリームがとてつもなく軽く、ケーキに塗っても塗っても泡のようになり、汚くなってしまったのだ。そんな生クリームの上にはフルーツがきちんと乗せられず、ロールケーキの周りにただ散りばめただけ。単なるロールケーキと果物になってしまった。そんなんじゃ、食べる気も失せるわな明日の誕生日当日には、美味しいケーキを予約してあるからおうちで食べようね。値段も割りと高級なヤツだし。今日はS園から歩いて10分ぐらいのところにある、芋畑でお芋堀りをした。親も同伴なので、今日だけ母子通園である。行きのバギー上ではご機嫌な顔で背筋をまあまあ伸ばしていたが、畑の土の上に座らせられた途端、指をしゃぶって現実逃避伊吹によるお芋掘りではなく、私の仕事となってしまった。だが、大泣きしなかっただけでも成長だろう。帰りのバギーでは熟睡。昨晩6時間しか寝ていないのだから、当たり前と言えば当たり前の状況だった。その後のお弁当の時間になると目がパッチリ冴えたのも、いつものことである。芋は一家庭につき、3キロ近くはあったかも知れない。大収穫和樹の通う保育園でも、今日は「園外保育」として、和樹の“もも組”も近くの公園までお散歩に行った。S園前の駐車場で車の中にいたら、保育園から出てきたもも組の子供たちや先生方が目の前をゾロゾロと歩いてきた。お揃いのカラー帽を被り、和樹は列の後ろの方。隠れようかと思ったが、どんな顔で歩いているのか見たい、という好奇心の方が勝り、見てしまった私とバッチリ目が合い、一瞬ベソをかくような顔をした和樹。「しまった・・・『お母さ~ん』って駆け寄って来るかも・・・」とヒヤリとしたが、すぐに前を向いて散歩続行。よかった・・・遠くなっていく子供たちを見つめ、暫くなごんでしまった。その後、楽しく元気に帰って来られたかな・・・?
2006年10月18日
入院中にも熱が上がったり下がったり、腹痛も治らなかった夫だが今日あたりになって、ようやく良い兆しを見せ始めてきた。食事を今朝から摂れるようになり、さぞ嬉しいかと思いきや「すごく不味い。あんなの食ってれば痩せるわな」と。食事と言っても、米飯などはまだ7分粥か何からしいので、いかにも「病院食」と言う感じなのだろう。まあ、総合病院だし、通常食も期待は出来ないだろうが。そして、土曜日あたりに通常食へと切り替え、上手くいけば退院だとか。11日の入院から約10日・・・長かったような短かったような・・・いや、まだ退院と決定していないので、何とも言えないけれど。朝日新聞の冊子『暮らしの風』に、ちょうど大腸の病気について書いてあった。便の異常を自己チェックする項目や、主な病気、予防対策など。「大腸憩室炎」も載っていて、症状としては「便に血が混じる」ということ。しかし、そんな症状だけでは何とも言えないわな。そして、高齢者に多い病気として大腸憩室炎が載っていた。高齢者ですか。高齢者に多い病気にかかる、42歳の我が夫これからは今まで以上に自己管理に気を付けてもらいたいものだ。私も、妻として出来る限りのことは・・・とは言え、家では同じものを食べているのに、夫だけがすぐに腹を壊したりするのはどうしてか。やはり体質なのだろうか。「退院したら、どこかに夕食を食べに行こうか」と提案したところ、苦笑いしながら「金、あんの?」と入院費の明細を見てから、外食のことは考えよう。
2006年10月18日
11日(水)から、夫が急遽入院となってしまった。先日の日記で「腹痛と熱があるらしい」と書いたが、休み明けの10日、かかりつけの開業医の紹介で行った病院で 大腸憩室炎と診断される。この病状については、例えばここに分かり易く書かれている。また、別のサイトでの説明文を参照すると、>(憩室とは)わかりやすくいうと大腸にできたくぼみです。> ちょうどポリープとは逆の構造です >悪い病気ではありません。>また頻度の多いもので大腸検査をおこなうと>10人に一人くらいに見つかります >原因不明の腹痛で検査をして>けいしつが原因だったということがよくあります。>残念ながらあまり有効な治療法はありませんが>患者さんは痛みの原因を知ることで不安が取り除かれます ・・・ということだ。つまり、大騒ぎするような大病ではない。しかし、これだ!というような治療法も特効薬もない。酷い場合は外科手術を施す場合もあるというが、夫の場合は「酷い」レベルではないのだと思う。病状を軽くする方法として、禁飲食+抗生物質の点滴。現在の夫の治療法が、これである。一昨日ぐらいまで水も飲めなかったのだがその後、水やお茶は解禁となったらしい。栄養剤の点滴のお陰で空腹感は感じないが、料理番組を見ると食べたくなるという。まあ、当たり前だ。で、この大腸の病気だけならともかく、左足だったかな?親指の爪が巻き爪で、化膿している状態。包帯を巻かれ、濡らしてはいけないので、入浴も出来ない。今日は看護師に「その足を絶対に濡らさないようにすれば、お風呂に入れますよ~」と言われていたのだが結局入れたのかどうか・・・先週は伊吹までもが風邪で体調を崩し、酷い時の二日間(熱&鼻水でグズりっ放し)はヨーグルトだけの食事で生きていた。何も食べないよりはマシだが、何が心配って、これがきっかけで、今まで食べられた食事内容が再び食べられなくなるのが一番である。ご飯ものを嫌がって食べず、うどん&ヨーグルトだけという生活がおよそ三日間。昨日あたりから、やっと食欲が戻り、ご飯もそこそこ、量も食べられるようになった。丸々一週間、S園を休んでしまった。明日からの一週間は・・・多分大丈夫だろう。明日はいきなりH学園でのOTとPTだが・・・夫の面倒は、スポーツ新聞と着替えその他を毎日届ける程度なので和樹の保育園の送迎・伊吹の療育と併せても用事そのものは苦にはならない。しかし、である。まだ請求されていないので現実味がないけれど、医療費。そして、仕事への復帰のめど。医療保険には入っているが、黒字になることはあり得ない。今後の予定が大幅に変わってくる・・・否、嫌でも変えなくてはならない、ということを肝に銘じておかないと。あーあ。本当は、伊吹の療育どころではない状況なのかも知れないが、夫も別に生きる死ぬの大病ではないわけだし、かと言って私ものほほんと遊んでいられる筈もないし。とりあえず、報告まで・・・
2006年10月15日
一昨日土曜日は、和樹の保育園の運動会だった。アルバムに写真をアップしたので、お暇な方はこちらをご覧下さいな。どうも、和樹は本番に弱いタイプなのか、上がり症なのか・・・それに加えて、なかなか頑固なところもあり、リトミックの時に他の子とお揃いで着るべき緑色系のTシャツも嫌がって着たがらず、それは練習の時も本番当日も同じだった。(結局、一人だけ他の服を着た状態で参加した)本番に弱くて頑固な性格・・・そう、どこかで見たようなタイプの子だと思ったら・・・次男とよく似ているわ・・・末っ子ということで、最後の最後に良いとこ取りで生まれたんじゃないかと親馬鹿な私たちは勝手に思っていたのだが、やはり蛙の子は蛙ということだろうか。ああ・・・来年、再来年、そして小学生以降の運動会での和樹の様子・・・今からでも簡単に想像出来てしまうではないか。2歳児の今は、多少トロくても可愛さでカバー(?)出来るけれど。ま、とりあえず今回は可愛かったので良しとしよう。・・・結局、ただの親馬鹿ですなさて、タイトルの件だが。夫が、一昨日・・・和樹の運動会当日・・・の朝、「俺、38度の熱があるから(会社を休んで)寝てるわ」と言ってきた。この日、夫は午後からの出勤予定で、運動会は私と伊吹、夫の三人で見に行く予定だった。幸い、長男が中間テスト期間で部活の練習がなく、家にいたので伊吹の面倒を見てもらい、私一人で見に行くはめに終わって帰ってくると、夫も病院から帰宅したばかりの様子。「腹が痛くて熱があり、風邪かと思ったから内科で診てもらったが『よく分からないから外科で診てもらった方がいい』と言われた。でも、もう内科で何時間も待たされてクタクタだから火曜日に紹介された病院に行ってくる。」と、夫。腹が痛い=小腸が炎症を起こしているらしいのだ、内科医曰く。それがどういうことなのか分からないが、夫自身は、あまり消化の悪いものは食べない方がいいだろう、と思っており、一昨日からおじやのようなものや、ヨーグルトしか食べていない。今は38度もの熱は出ておらず、問題は腹痛だけの様子で、食欲自体は普通にあるようで、まともな食事が食べたくて仕方ないようだ。で、そんな私自身はと言うと。昨日の日中から、急に左下の奥歯に、浮くような痛みが出てきた。舌で上から押すようにすると、痛い。痛みは徐々に広がり、夜には口中の左半分がおかしくなってしまった。舌の左端までが痛み、食べ物の咀嚼も上手く出来ない。また、喉も腫れ上がり、溜飲する度に喉が痛む。それでいて生唾が頻繁に出るので、辛い。そう、腫れたことによる痛みだ。それが口中を支配してしまった。今日の朝食は、夫とお揃いのおじやを食べた(笑)おじやの米でさえ、飲み込むのが辛かった。家事は何とかこなせる程度に元気な夫に家を任せ、休日歯科診療所に行ってきた。歯肉炎だそうな。虫歯ではなく、歯茎の炎症。また、噛み合わせが悪いのでそれが負担になっているようだからと、左下奥歯の一部を少し削ってもらった。そして、炎症を起こしている歯茎の一部を切開し、炎症止めの薬を注射器で歯周ポケットに注入して終了。抗生剤や鎮痛剤、歯茎に塗る薬も処方してもらった。その後2時間位は、切れかかった麻酔と未だ腫れが引かない痛みで何もやる気が起きないぐらい憂鬱だったが、帰宅後すぐに飲んだ鎮痛剤が効いてきてからは何とか普通の食事が出来るまで回復した。ま、左側ではほとんど噛めないし、右側でも半分は丸呑みだけど。鎮痛剤や抗生物質は、飲んで丁度2時間ほどで効いてくるようだ。口の中が痛くないって、素晴らしいと、普段は思ってもみないことで感激した出来事だった。しかし、薬が切れてくると、重い痛みが少しぶり返してくるし、舌も未だに大きく動かすと痛い。歯茎の腫れも完璧に引いたわけではない。ついでに、塗り薬はものすごく不味い。かかりつけの歯科でもう一度診てもらうまで、まだまだ油断は出来そうにないな。今回痛んだ奥歯の更に奥に、親知らずが曲がって生えかけたまま出てくるのを途中でリタイアしているらしい。本当は抜いてしまった方がいいと言うが・・・下の親知らずを抜くのは尋常じゃなく痛いと聞いているので、迷う。思えば、歯が痛くて辛い思いをしたのは10数年ぶり。自分では結構丈夫な歯だと思っていたし、現に「歯自身」は丈夫な方かも知れないが、「土台」の方も丈夫でなければ仕方ないことである。歯ブラシや歯磨き粉のCMではないが、「歯周病予防」頑張ろうっとというわけで、病人夫婦とは大袈裟かも知れないが今日は元気な長男や次男をこき使ってしまった一日だった。チビ二人の面倒、買い物、掃除・・・ありがとね、息子たち。私はもう大丈夫そうだが・・・夫。色々と心配である。
2006年10月09日
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