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2026年06月05日
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カテゴリ: Travel
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生涯最高の思い出となった旅を辿る企画。第3位は アメリカ駐在時代のデスバレーへの旅
それははるか40年前の記憶。。。

俺は1985年から1年ほど、LA南部の Huntington Beach (下の写真)に住んでいた。そこを拠点に多くの旅に出かけたくさんの思い出を作ったが、今回はその中でも思い出深い旅。10月初めのColunbus Dayの連休を利用して車でデスバレーからラスベガスに抜ける旅を計画した。



わがアパートメントからラスベガスまでは約500㎞。愛車ポンコツサニーでガタガタ行っても6時間足らず。だいたい2か月に1回ペースで遊びに行っていた。半日掛りで行ってもたいていはカジノに貯金しておとなしく帰ってくるだけなのだが(ソレハオ金ヲ全部スッチャウカラデショ!)、せっかくだから今回はデスバレーに寄ろうと思い立った。そうだ資金の潤沢な往路に寄ればいいんだ。何で今まで気が付かなかったんだろう。
時は1985年10月12日土曜日。次の月曜はColunbus Dayで3連休だ。ポンコツサニーは通勤路でもあるI-405をサンディエゴ方向へ向かった。John Wayne AirportでR55に乗り換えてR91経由でCoronaでI-15に乗る。順調だ。10月初めのLAはまだ暑い。半月に1回はいわゆるインディアンサマーが襲ってきて、ゆうに30℃を越えたりする。まして 世界一だか二だかに暑い記録を持つデスバレー だ。当然、軽装で出かけた。これが現地でとんでもない目に会うことになるとは知らずに・・・



ポンコツサニーはモハベ砂漠を突っ切るフリーウェイ: Interstate 15 (I-15) を快調に突っ走る。San BernardinoからAngel Forest を抜ければ、あとはひたすら砂漠。めざすは240km彼方のBaker。1980年代のFWYはInterstateと言ってもただの広い道。広いだけで日本の高速みたいに管理されている訳でも設備が整っている訳でもない。いろんなものが落ちている。特に巨大トラックがタイヤをバーストさせたでかい破片がやたらに落ちていて危ない。
それにひたすらまっすぐな道で調子に乗って飛ばしていると、空の上からハゲタカよろしくパトヘリが監視していて、スピード違反でとっ捕まる。かく言う俺も3度ほど捕まった(タッタ1年デカヨ!)。だってパトカーは何キロも先で待ち構えているのよ。たいていはICで待ち伏せしているのだが、パトの姿を察してスピードを落としたって、もう遅い。後をつけられて止められて、「お前、5ml手前で20ml/Hr超過してただろ」と切符を切られる。はい、その通りです・・・



この日はそんなこともなく無事BakerでI-15を下りた。ここからは対面通行の田舎道。Death Valleyまではこの田舎道を200kmほど走る。 Death Valley National Park 自体もとてつもなくでかく、南北に200kmにわたって広がっているのだ。
このBaker通過が2時。よし、半日あれば有名スポットを回って今日中にベガスに着くだろう。夜中に着けば上等だ。

ところがBakerから1時間走ったあたりで、状況は一変する。空から白いものがパラパラと落ちて来た。えっ何?窓を開けるとさっきまでの砂漠の空気が嘘のようにひんやりとした風だ。空はみるみる暗くなっていく。おいおいウソでしょ。ここは世界で1,2を争う高温地帯だよ。何で10月の上旬に雪が降るのよ。
そんなことを言っている内に道には白く雪が積もり始めた。もはやチラホラなんてもんじゃない。吹雪だ。視界は10mというところか。
砂漠の道はそのまんま、砂漠の中にえいっと真っすぐコンクリートを敷いていっただけ。ガードレールもなければ街頭もない。雪が降ることなんか想定していない。当たり前だ。という事は、真っ白に雪が積もったら、どこが道路だか分からなくなっちゃう。やばいよやばいよ。

パ~ン!!
やってしまった。知らぬ間に少し道を外れたのだ。我がポンコツサニーのツルツルタイヤは砂漠の岩に耐えられなかった。道端に停車しタイヤを交換する。
外は吹雪、寒い。それにまだ5時なのにやけに暗い。今は車の往来がないことがむしろ幸いだ。だってこんなところに停車している車を見つけられないし、雪の上で避けられないよ。
かじかむ手でジャッキアップしスペアタイヤと交換する。あっと言う間に頭は真っ白だ。後続車両よ来ないでくれと祈った。もし車に追突されたら。タイヤがうまくフィットしなかったら。このまま道に迷ってDeath Valleyから抜けられなくなったら・・・。
俺は死ぬぞ

記録によるとその禍々しい名前に反して、Death Valleyを横断しようとして死んだ者は1名。それも西部開拓時代のことだ。この俺が2番目の犠牲者になるのか~!
そんな事は杞憂だったようだ。無事タイヤ交換を終えたのは6時。もうDeath Valley Junctionは近い。とにかくそこにたどり着こう。



Death Valley Junctionですぐにホテルは見つかった。と言うか町なんかなくて、そのホテルが建っているだけだった。メキシカンっぽい立派な門構えのリゾートホテルだ。天候は最悪だが連休なので、そこそこ混んでいた。けっこう高いホテルだったよ。$100以上取られた。当時のレートは¥200/$だからね。



チェックインしてレストランで食事を取る。どうやらここは由緒正しいホテルのようだ。名前なんかとうに忘れていたのだが、この旅行記を書くために改めて調べてみると、そこは​ Amargosa Opera House & Hotel ​というリゾート。なにがOpera Houseかと言うと、Marta Becketという女性ダンサーが1970年に開設した劇場が併設されているから。ニューヨークで活躍していたMarta Becketがなぜこんな田舎町に劇場を建てたかと言うと、夫婦で訪ねてきた際に車がパンクしてここに滞在したのがきっかけだと言う。
なんだ、俺と同じじゃないか。
HPを見ると素敵なところだ。もっとちゃんと楽しめばよかったな。

当時はそんなことは分からなかったし、なにより命からがら辿りついた宿だったので、シャワーを浴びたらバタンキューだった。

(後編に続く)






<#DeathValley #デスバレー #ラスベガス #LasVegas #吹雪 #遭難 #Baker #​Amargosa #OperaHouse​>





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最終更新日  2026年06月06日 12時42分15秒
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