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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。大阪は今(0時30現在)雨です。でも、この雨、雷を伴っていたので、季節変わりの雨なんですね。なんだか、春が来ると嬉しい気分になります。さて年次も改まることですし、改めて…。皆さん、お正月に「今年はこういう年にしたい」と考えたことはありませんか?俗に言う「所信表明」ですね。この所信表明、皆さん守られていますか?実行されてますか?私はまだ手がとどいてません。まだ、「努力してます」という段階。情けないなあー、と思いながら日々過ごしております。皆さんは如何ですか?なかなか「出来ていない」というご回答が」ほとんどではないでしょうか?例えば受験生なら、「あの大学に絶対受かってやる!」と奮い立ち、今は結果が出ているでしょうが、なかなか「普通」に生きていれば難しいものです。そもそも「所信表明」自体が難しいものを設定しがちですから・・・。「所信表明」=「誓い」ですが、病気の方が「今年中に治すぞ!」と誓っても、自分に意思ではどうにもならないこと故、誓うことは素晴らしいですが、「想い」だけでは難しいでしょう(もちろん、それくらいの気概は必要ですが)。さて、年度も改まることですし(ありがたいことに、日本では「所信表明」の時期が至る所にある!)、何か「達成しやすい目標」をつくってみませんか?なんでもいいのです。例えば、今まで昼まで寝ていた方が、朝8時に起きてみる。何のやる気も起こらなかったが、たとえば庭の花を育ててみる。テレビの時間を縮小して、その分読書にあててみる、など・・・。何でも良いのです。自分自身に何らかの「義務」を与えること、またそれを「実行」することによって、人間変わります。今現在、何らかの症状で悩んでいる方には特に言いたい。目標を持つことで変わる。すべてが変わります。失敗しても、全く構いません。でも、最初から「失敗」を念頭にした目標設定は止めてください。止めるとか、もうだめ、とか否定言葉を使うと、不思議なもので人間その通りになります。大丈夫。絶対大丈夫ですよ!人は目標を持てば、自然と道は開かれます。失敗したら・・・・。この言葉を思ってください。「まだまだ。可能性はまだある」では!
2007.03.31
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。高校野球が全く見れず、残念です。今年は大阪桐蔭の中田翔選手のプレーが見たい…。さて、本題。今日は少し趣向を変えて見ます。表題は特に「朝の表情」についてです。朝が得意な方もいれば、不得意な方もいます。私もはっきり言って、朝は得意ではありません。とは言え、あまり「他人」にその表情を見せることはありません(嫁の前は別。逆に嫁のほうが怖い)。昔から、朝っぱらから…といった慣用句があります。これは朝から(否定語)をするな、というように使われますが、まさしくその通りで、朝の誰もがしんどい時に、その人の真価が問われている気がします。たとえますと、うつ病の人は笑顔というか、笑うこと・楽しむことを忘れてしまっているので、朝起きたら鏡に向かい、笑顔を作るのが一つの治療法であると聞きます。要はしんどいときに、如何に笑顔でいられるか?といったことですが、意外にも周囲に影響を与えてしまっています。朝から暗い顔、明らかに二日酔いの顔、それらを含めたダルい顔…。通勤電車でもよく見られますが、余りにしんどそうな表情の方を見ると、なんだか近づきにくい感じがします。しんどい、という信号を発するのは悪いことではありません。でも公の場でしてしまうのは、私にとって「甘えてるのではないか?」という疑念さえ思い起こさせてしまいます。しんどいのは当然です。でも、しんどさを感じさせない、それこそが大人としての「礼儀」でもないでしょうか?私はしんどい表情を人前で晒してしまうのは、甘え以外の何者でもありません。無理する必要はありません。でも「他人」にまで不快な気分を起こさせているようではダメ。人として、「余りにも良くないかな?」と思いましたので書きました。皆さんも朝の表情にはお気をつけを!ま、私もその一人なんですがね・・・。では。
2007.03.29
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こんばんわ。紅ズワイガニです。本日は会社の帰りに、懐かしのツレに会ってきました。彼は4つ年上ですが、全く格好を付けることなく、私に接してくれました。そんな彼は、今では会社の中核を担うポジション。仕事ができる、ということも一つですが、人間性によるところも多いでしょう。そんな、私にとって「師匠」ともいえる人間は少なくありません。少ないどころか、大変多くいます。知り合ったキッカケは些細なものです。学校が一緒だった、会社が一緒だった、趣味が一緒だった…。中には本当に、偶然というか、何で知り合ったのかもさえよく分からない人もいます。共通するのは、話が合うというのもありますが、私の存在を認めてくれた人です。結婚がその究極の形ですが、全く知らないもの同士が仲良くなるのは本当に偶然の産物です。このブログにおいては、感情ではなく論理的に解釈してみたいというのが趣旨でした。なぜなら論理的に解釈するほうが「笑える」からです。「承認」もそうですね。例えば、皆さんも胸が熱くなる「青春時代の恋」の思い出があると思います。その当時は必死だったはずです。何とかして目指す相手に認めてもらおうとしたはず。叶わなかった恋も多いでしょう。私もその一人です。でも、今になって冷静に思い返せば、なんであれほどに必死になれたのか?そんなに彼女(彼)のことが好きだったのか?ここは敢えて第三者の立場で振り返ってもらいたいのですが、如何に彼女(彼)に時間をもらって、思いのたけを聞いてもらうか?に心血を注いだものです。「思いのたけ」(色んな表現があると思いますが)とは飽くまで自分の気持ちであり、相手の気持ちではありませんね。身勝手とも言えますが、最中の人間にはそんなこと、思いもよりません。でも、思い出すと、なんだか切なくもあり気恥ずかしい。当時流行った音楽なんかも同時にフィードバックされたりして。非常に人間臭いが故に崇高で、気恥ずかしいのも「承認」の特徴です。ほら、自分を偉く見せたいがために、格好を付けたり、妙に可愛こぶったりしたことあるでしょう?その行き過ぎたのが「ストーカー」であり、各種犯罪です。そう、「承認」とは人間の生理的欲求であるが故、よくない方面にも作用するのです。人間には3大欲求というものがありますが、すべてに「承認」が絡んできます。どうですか?わかりますか?漠然とは理解いただけましたか?「承認論」は、哲学の根本的命題であると同時に、「自分を笑う」ことにも有効です(何故私が存在するのか?は典型的な哲学命題ですが、良く出来たジョークでもあります)。では。
2007.03.28
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こんばんわ。紅ズワイガニです。日々更新!のつもりが、出来ませんでした。意志が弱いなあ…。今、テレビで「カンブリア宮殿」を見ています。プロジェクトXが大好きだった私にとって、このような”サラリーマン応援番組”が唯一の救いです。あとは、「ガイアの夜明」でしょうか。「ハゲタカ」も終了しましたし・・・。残念です。さて、テレビのことはここまでにして・・・・。最近、「承認」について書いています。何が「承認」なのか?という方には、潜越ながら過去のブログを参照して頂ければ幸いです。今回は「承認」は本当に必要か?という話を書きたいと思います。もし、あなたがすごく強い人間であったとして、自信家だったとします。では、そんなあなたはたった一人きりで、この世を生きていけるでしょうか?また、逆に自信を喪失してしまい、「一人にしてくれ」などと孤独を欲しますが、そんなあなたも、この先一人で生きていけるでしょうか?極端な話、お金は腐るほどあって、一生働かなくても良いほど持っているとします。スーパーカーを買った帰りに、急に自家用機が欲しくなり、特に品定めせず買って帰る。帰ってから、ふと思い立って、駐車場が足りないことに気づく。で、翌日、駐車場のための土地を買う。それも100坪くらい。その足で、新しく出たまたまたスーパーカーを購入し、ついでにデパートで高級腕時計も買う。帰りしなに小腹が空いたので、ステーキハウスにて食事をし、10万のワインを空ける。上記は非常に極端ですが、そんな生活、果たして楽しいでしょうか?上記の文章、わざと「人と接する場面」を省きました。お金はあるに越したことありません。でも、最低限のお金があれば十分でしょう。では何が必要か?といえば、「他人」です。人間、何故働くのでしょう?なぜ毎日学校に行くのでしょう?それは「他人」と触れ合うことが出来るからです。人は、決して一人では生きられません。寂しいからです。では、「寂しさ」を解決してくれるものは何でしょう?また希望や勇気を持てるのは何故でしょう?それは「他人」がいるおかげなのです。それでも俺(私)は一人で生きていく、という方もいらっしゃるかも知れません。そのような方は、途中で挫折しない限り、神の領域に入っているといっても良いでしょう。それだけ、人は「他人」を求めます。「他人」に惑わされ、「他人」と楽しい思いをし、「他人」に悩みを打ち明ける…。効用は様々ですが、「承認」とはそういうものです。「弱いだけじゃないの?」という方。大正解です。弱いからこそ、人間は「承認」を求めるのです。なんかこのテーマ、泥沼に嵌ってしまったかのように、限りありません。まあ、難しく考えず、あくまで観念としてこういうものがあるのだ、ということだけ知っておいてください。では*今、WBSで新卒採用のことをやっています。仲間の方、ぜひ見てください!
2007.03.26
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こんばんわ。紅ズワイガニです。西日本は全般的に雨のようで…。でもこの雨をきっかけに、春の陽気がやってきそうですね。雨の止まない日はない、ってことでしょうか。さて、昨日はお休みをいただきましたが、改めて「承認」について書いて見たいと思います。そもそも、何故人は他人に認められたいのか?簡単な概略こそ書きましたが、あえて深くは書きませんでした。自我が確立されると、まず親に認められようとします。オギャーといった時点で既に承認欲求が出ているわけです。赤ちゃんの段階では自我の塊、つまりは承認欲求の塊でもあります。オギャーと発信して時点で、親が構います。この構ってもらえるというのが、承認欲求には重要なキーポイントになります。年齢を重ねるごとに、人間は具体的な承認欲求を持つようになります。隣の席の誰々ちゃんと仲良くしたい、ではどうしたらよいか?まずは誰々ちゃんに自分をアピールしなければいけません。何故、アピールするのでしょうか?誰々ちゃんに自分のことを認めてもらいたいからですね。また、その誰々ちゃんも、別の誰かに向けて認めてほしいという行動を起こします。友達つくりの第一歩というわけです。前提条件ともいえます。では、何故そこまでして友達がほしいと思うのでしょうか?自己顕示欲を満足させたいからですね。自己顕示とは、皆さんも普通に持っている人間の基本的欲求ですが、自分をアピールし、それに対して、他人に自分というものを知ってもらいたいことです。では何故知ってもらいたいのでしょう?人は他の動物に比べて、強くありません。常に誰か頼れるもの(認めてくれる人)を求めています。求めていない人は仙人くらいでしょうか?私も含め、特別な存在な人間なんていません。その特別を求めて、人は飽くなき人生を過ごします。その最大が結婚です。結婚とは、どこの馬の骨ともつかぬもの同士が将来を誓い、またそれに向かって努力する運命共同体です。みんな、「どこの馬の骨」とカテゴライズされるのを、知らず知らずに嫌悪します。でも、悲しいかな、人間(お馬さんもふくめ)「どこの馬の骨」なんですよねえ。「認められたい!」。でも認められません(そんなうまい具合に世界は成り立ちません)。なんか切ないですよね。でもそれが現実であり、そのために人は努力をするのです。努力とは認められるためにする事、です。それ以上のものではありません。でも努力する人を、他人は素晴らしい人だ、と言います。話がループしますが、認められるために努力する。これが「自己承認」です。上司に認められたいたまに、努力する。女の子(女性だったら男の子)にモテるために努力する。この「承認欲求」が肥大化したものが、放火犯であり、金権主義者であり(ホリエモンのような)、殺人者です。まあ、これは極端ですが。話が難しくなり行くところを中途半端に止めたため、よく分からない文章になってしまいました。ま、笑ってやってください。では
2007.03.24
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。大阪の日中はかなり暖かくなりました。外回り仕事(要は営業)の私には喜ばしいことです。花粉も落ち着き気味なようで、これも嬉しいことです。さてさて・・・。最近「行動すること」について書いてますが、食傷気味かとも思われますので、「行動すること」の先にある「認めてもらうこと」について書きます。人は「行動すること」に何を求めているのでしょうか?今まで書いたもので薄々お気づきの方もいらっしゃるかも知れません。あくまで究極的な目的は「人に認めてもらうこと」ではないでしょうか?簡単に「承認」といたしましょう。人間、他人に良く思われたい、という根源的なものを抱えております。思春期の少年少女に良く見られることですが、野球をやる・サッカーをやる・ギターを始める果ては、悪い格好をして人を威圧してみる…。もちろん大人だってあります。お腹が出てきて格好悪いから鍛え始める、会社の上司に認められたいがために、多少無理を押してでも頑張る…など。「承認」に対する簡単な例を挙げてみますと・・・。そう!異性にモテたい欲求です。モテることは、動物においての最たる欲望であり、男と女・オスとメスの区分がある限り、途絶えることはないでしょう。決してモテたいと思う気持ちを恥ずかしがってはいけません。それは非常に正常であるからです(先の区分に入らない、いわゆるオカマといわれる人たちもいますが、彼ら彼女らも同性からモテたいと思う気持ちに変わりありません)。ここでさらに掘り下げて、何故モテたいのか?動物には「種の保存」が生まれながらにして与えられているため、自然と異性に対し、良く見せたい!という意識が働くのです。最近、勝ち組負け組みという単純な二元論がありますが、元を質せばここに行き着きます。今回は短いですが、「承認」について書いてみました。種明かしをしますと、正式には「承認欲求」といい、これもまた哲学命題です。順々に書いていきます。では。
2007.03.22
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。今日の大阪は、日中穏やかな天候でした。来週から気温も上がりそうで、いよいよ春の到来ですね。とは言え、寒い時期があまりにも短かったため、例年のような感慨はありませんが・・・。さて、テーマに戻ります。これ、実は私の愛読雑誌「Number」で、イチローのインタビュー記事が書かれており、その中で、イチローが王貞治に聞いたという話の内容です。「王さんは現役時代、チームのためにプレーしていたか、自分のために働プレーしていたか?」とイチローが質問したところ、「自分のためだ」と、王貞治が答えたというものです。皆さん、この引用記事をお読みになってどう思われましたか?意外だ、と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?我々は時として、行動するときに「何のためにやるのか?」と考えがちです。以前も書きましたが、一種の「怯え」があるからですね。私が上記の文章を読んで意外に感じたのは、イチローがこんな質問をするのか、でした。一般的な見方をすると、メジャーで大活躍し、何事においても順風満帆に見えるイチローがこんな質問をするなんて・・・。しかし見方を変えると、あらゆる意味でトップで「あり続けなければならない」イチローは、非常なプレッシャーの中にいるわけですから、「不安」で当然でしょう。「行動は怯えに連動する」ことを、私は主張したいのですが(主張してどうなる!の声あり。無視して)、行動し続けること、さらにそれをプレッシャーに感じれば、益々「怯え」の材料は増えて来ます。別にイチローを自分の位置(この場合の位置とは世間的な立場などを指す)に降ろしてきて楽しもう、といった週刊誌的なものではありません。イチローも我々と同じ、人間なんだ、というつもりもありません(分かりきったことです)。ここで皆さんに聞きたいのは「何のために行動するのか」ということです。行動を仕事や勉強に置き換えると分かりやすいかも知れません。生きていくために、家族のために。はたまたキャリアアップのために、さらには地位のために、プライドのために・・・。もしくは、何のために仕事をするかなんて考えたこともない、という人もいるでしょう。様々でしょうね。ただ、根底に流れるものは同じではないでしょうか?人生は誰においても火の車だと。誰もが何かに追われ、背負い、這いつくばりながらも前に進もうとしているのです。頑張るざるを得ないのです。いま、病気の方は病と闘っている訳ですし、職探しの方は「早く仕事につかなければ」と頑張ってます。変な話、私はこの世で頑張ってない人はいないと思っています。マスコミで「怠けの象徴」のように言われているニートの方々も、逆にニートの立場から言えば、頑張っているのです。自分に合う仕事はないか?何が適正なのか?…。引きこもりの方々もそうですよね。特にニートや引きこもりは面白半分で、マスコミに取り沙汰されたりしまので、情報に対する正確な「自分の見方」も必要だと教えてくれているのかも知れません。最後に、王貞治が何故自分のためにやってきたのか?の回答を書きます。「自分のためにやるからこそチームのためになる。自分のためにやってる人が結果的に、自分自身に一番厳しい。何々のために、という人はどこかで言い訳する」まさに至言です!なお、この「Number674号」は現在発売中です。興味をもたれた方、一度読んで見て下さい。では
2007.03.21
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。最近、自宅のパソコンの調子が悪く、困惑の日々が続いております。新しく買おうにも、妻への根回しが大変なため、あきらめてます・・・。さて・・・。昨日今日と博多に行ってまいりました(社用で、面接業務ですが)。やはりというか、大阪や東京の子に比べたら非常に純情です。発想がかわいらしいというか、何か忘れていたものを想起させてくれました。変な例えですが、何度もリメイクされている「愛と死をみつめて」を思い出しました。このドラマ、最近では草薙剛・広末涼子で昨年にリメイクされましたが、元々は河野実さん、と大島みち子さんの往復書簡が元になったものです。大島みち子さんは軟骨肉腫という病に冒され、しかも女性なら何とも言えない(私は男なんで)顔を犯されるという症状でした。その、河野実さんと大島みち子さんの悲しくも、青春の一時代を描いたドラマですが、この大島みち子さん、なんと私の大学の大先輩にあたります。閑話休題。当時、青山和子さんによって主題歌は歌われました。マコ、甘えてばかりで ごめんネ。ミコはとってもしあわせなの。儚い命と 知った日に意地悪いって 泣いたとき涙をふいて くれたマコマコわがままいって ごめんネミコはほんとに嬉しかったのたとえその眼は みえずともふたりで夢見た 信濃路を背負って歩くとといった マコマコ元気になれずにごめんネミコはもっと生きたかったのたとえこの身は 召されても二人の愛は永久に咲くミコの命を 生きて マコという歌詞です(泣きます)。実際にドラマや映画を見てないと分からないと思います。ちなみに、親世代に聞いても…。我々(30前半も前半)の親世代は「それがどうした」的な感想しか持っていません。ああ、純情。我々の純情感覚はどこに行ってしまったのでしょうね!補足になりますが、上記「愛と死をみつめて」は、吉永さゆりをはじめ、何回かリメイクされております。機会があればぜひ、ご鑑賞を!※嫁恐怖症の方へ…この歌やドラマを見ると一時的に嫁が愛おしくなります。しかし、ホンの 一瞬だけですが・・・・・。ではさらに補足。森進一のようにならなければいいのですが。上記の歌詞は著作権が絡んでいるので。泥臭い大人の世界を最後にしてしまい、すみません。
2007.03.20
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こんばんわ。紅ズワイガニです。昨日、病院に行き先週受けた血液検査の結果を聞いてきました。すると、白血球が多く、またアレルギー抗体を示すIgeの血中濃度も高く、一般の10倍ほどあり、ついに今週末、精密検査を受けることになりました。今日も引き続き調子が悪く、ほぼ一日動けませんでした。さて・・・・。先日、行動することの難しさについて書きました。今日はその続編です。人間、いざ行動!となると誰しも緊張します。ここではこれを「怯え」ということにしましょう。なにか新しいことを始めるにあたっての「怯え」今までやってきたことを止める「怯え」行動すること=怯えに繋がるといっても良いでしょう。では何故怯えるのか?これは哲学上の命題ともいえるテーマですが、簡単に言ってしまえば、人間も動物だからという結論を導き出せることもできるでしょう。動物は本能で生きています。皆さん、犬が電信柱にオシッコをかけているのを見たことがありますよね。あれはご存知のように、その犬の縄張りを示すものです。マーキングといいますが、「ここは俺のもんだかんな、わかってるな」ということです。「虚勢」ともいえるでしょう。さて、これを人間に当てはめるとどうなるでしょうか?例えば暴走族。夜中にブンブンとバイクをかき鳴らし、他人に虚勢を張っています。また一般でも、妙に虚勢を張ったり、必要以上に格好を付けてみたり・・・。まあ、コンプレックスの裏返しですが、これは「自分は弱い人間なんです」と告白しているようなものでしょう。要は「怯え」です。逆説的にいうと「怯え」があるから行動できるとも考えられます。だいぶ以前に読んだ本の中に、あるプロボクサーの話がありました。試合の前日、ホテルで休む選手。でもぜんぜん眠れません。眠るどころか、興奮し、部屋で暴れます。それは明日の試合で、相手をぶちのめす興奮ではありません。人に殴られる恐怖から、本能的に自分を逃げ出そうとしているのです。上記は特殊な例ですが、我々にも近い経験はあります。明日、初出勤。明日、かわいいあの子に告白する。明日、誰それと口論する予定だ。例は変ですが、近い経験はあるでしょう。そのとき、あなたならどうしますか?絶体絶命、逃げられません。とすると答えはひとつ、「怯えながら行動する」です。怯えたままで良い。怖いままでいいのです。まずは勇気を出して一歩を踏み出すこと。後のことは何とかなります。行動することで一番難しいのは「はじめの第一歩」です。それさえクリアできればもう大丈夫。あとは野となり、山となります。どうか大いに怖がって、怯えながら挑戦していく楽しさを感じてください。本当に身近に転がっているものですよ。ドンドンやってみましょう!本日は以上です。
2007.03.18
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こんばんわ。紅ズワイガニです。妻も早々に寝てしまい、嬉しい夜中、皆さんは如何お過ごしでしょうか?さて、昨日は携帯からブログを書いたため、滅茶苦茶な文章でした(反省)。さて休日ですが、みなさんどうされますか?「私は彼とデート」「あの本をこの休日に読んでやる」「昼まで寝て、そっからはなんも考えてないっす」。人それぞれです。有意義な過ごし方なんてありません。千差万別でしょう。パラサイトシングルという言葉が流行ったのを覚えてますか?今の格差社会といった言葉同様、皆が踊らされていました。さあ、この格差社会とは何でしょう?特権階級と貧乏人の差、なら分かりやすいですが、サラリーマンの年収にまで階級意識が及んでおります(及ぼされる人もどうかと思いますが)。キレイごとではなく、この世に勝ち組・負け組はありえません。なぜなら個人個人がそれぞれの価値観で生きているからです。パラサイトシングルも、フリーターも、ニートも同様です。何を持ってそうカテゴライズされなければいけないのか?もっとも、個人主義の弊害はあるのですが・・・。良いではありませんか!と、言いたいところですが、日本は資本主義であり、資本主義とは「働かざるもの食うべからず」です。マスコミに扇情される必要性は全くないですが、とにもかくにも食わなければなりません。さて、この今、変な症状で悩んでいる方。簡単なアルバイトから始めてみませんか?アルバイト雑誌で「これ」というのがあれば、まずは問い合わせの電話をするころからはじめましょう。難しいですか?ならば、さらに簡単な方法。何をおいても人と話せる機会を持ってください。近所の公園や図書館でも十分です。まずは自分から発信する。でないと人は振り向かない。です。偉そうに綴りましたが、真実です。マイペースで結構ですので、何か自分からアクションを起こしましょう!案外、他人は人のことを見てませんよ・では注:本稿は今日話した仲間と共感を得たことです、悪しからず。
2007.03.16
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みなさんこんばんわ。紅ズワイガニです。 さて、みなさんの日々の睡眠時間はどれくらいですか? だいたい6時間くらいの方が多いのではないでしょうか? かくいう私は日々の変動こそあれ、大体5時間ほどです。 これが長いのか短いのか良くわかりませんが、私にとってはベストな時間です。 では今まで医学で提唱されてきた8時間睡眠の根拠はなんなんでしょうか?皆さんご存じですか? 回答を申し上げますと、一日24時間ですので、単純に3で割った数なんだそうです。ではなんで3で割ったのか?これも単純で、仕事8時間、それ以外のプライベート時間(食事なども含む)が8時間、残りが睡眠となったわけです。よって8時間睡眠には特に根拠はありません。こじつければ別ですが・・・。 そもそも一日は正確に言うと24、時間ではないので、たとえば夜中0時に眠る癖を持つ方でも、毎日その時間にぴったり眠れるわけではありません。眠りにくい日もあって当然なのです。 そもそも、一日24時間単位が全世界に広まったのは最近のことで、時計の概念が一般に広がってからのようです。 時計は惑星との関係や諸々の条件下で時間を割り出したものですが、元来が動物である人間に、完璧に時間を当てはめるのは不可能なことです。合理化を美とする西洋らしい発想とも言えます。農耕民族である日本人は朝起きて暗くなったら眠るという伝統でした。 「昨日は3時間しか眠れなかった」とか「あ、もう2時。早く寝ないと」と気に病むみなさん。 気に病む必要は全くありません。とはいえ、日照時間にタイミングを合わせるのが良いのは事実ですので、眠れない方もせめて暗いうちに床に入って、明るくなったら起きるようにすると、精神状態が格段に安定するようです。鬱病の治療が、まずは睡眠薬を出され、夜に眠れるようにするのもこのためです。 中途半端ですが本日はここまで。おもしろいテーマなので続けます。 では
2007.03.16
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こんばんは。紅ズワイガニです。本日、私の最近のフェイバリットドラマのひとつ、「ハケンの品格」が終わってしまいました。実は前職が派遣屋でしたので、大変興味深く見ておりました。妻もこのドラマだけは一緒に見ていました。またNHKの「ハゲタカ」も好きですが、これももうすぐ終わります。実は前々職が、・・・・もういいか。日曜のスタメンも終わるようです…。見るものはニュース以外なくなってしまいました。本日はほとんど休刊状態です。また明日!
2007.03.14
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こんばんわ。紅ズワイガニです。さて、大阪は本日も寒かった…。みなさん、体調はいかがでしょうか?インフルエンザが流行っているので、このシーズンは早めに体を休めて下さい!さて今日は何について書こうか…。そうそう、久々に初心に戻り「自分を笑うために」について書きたいと思います。医学でも証明されていることですが、人は笑うこと(楽しいことを経験すること)によって、癌細胞を押さえ込むNK細胞というものに利くそうです。では何が楽しいことなんでしょうか?それこそ十人十色で、お酒を飲むことであったり、体を動かすことが楽しみ・休日にゆっくり昼まで寝ることが楽しみであったり、様々です。それはそれで大変良いと思います。でも原点に立ち返って…。私はこのブログを通して、一人でも多くの方に「自分自身を笑い飛ばそう」というのが、そもそもブログ開設したきっかけでした。自分を笑い飛ばすことによって、あらゆる”とらわれ”から開放され、人生を楽しもうというのが根底にあります。では、悩みをどうやって笑うのか?その手法は追々書きたいと思いますが、まずは自分を見つめなおし、「ここがだめなんよなあ」という、自分でもあまり触れたくない”事実”について、客観的に見てみることです。難しいと思われるかも知れません。人間は悩むという唯一の特権を持って存在しているものですから(とは言え、猫や犬にそのあたりの詳細を聞いたわけではありませんから、この論も怪しいものです)、悩みが悩みを呼ぶという自体に陥るわけです。苦悩とは言わないまでも、日常の悩みは誰しもあります。そこで、です。苦悩でも日常の悩みでも何でも良いです。客観的に見て、「この悩みは他人に言うと笑われるんではないか?」と思うこともあるでしょう。大チャンスです。ではなぜ他人に言うと笑われるのか、考えて見ましょう。恥ずかしいからか?例えば思春期の子が好きな相手に告白したいと思うことがそれにあたります。格好悪いからか?例えば病気を患い、それが下関係の病気である場合、これにあたります。もうひとつ。情けないからか?例えば、何かに失敗した。どうしたらよいのか。でも人には聞けない。どうでしょう?大別すると悩みは大方上記3つにカテゴライズされると思います。では、その悩みを逆に考えましょう。「情けない」の例でいきますと、人には聞けない→どうしたらよいか→ああ、情けない、と言うことになるわけです。それ自体、すでにユーモアの範疇に入るのではないでしょうか?お笑いの常套手法ですが、自分を落として人の笑いを誘うという手段があります。この「自分を落として」の作業は考える時でもあり、客観的に悩みを捉えなおす機会でもあります。非常にくだらない例を出しますと「自分は足が短い」といったことを悩んでいるとします。これを思考逆転させ、「足が短い→ということは腰の位置が低い→腰の低い謙虚な人間」と考えることも出来るわけです。今日はここまでにしますが、なかなか面白いテーマです。実はこのテーマ、哲学の問題でもあり、未だに結論が出ていない命題です。ではまた。
2007.03.13
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みなさんこんばんわ。紅ズワイガニです。先週の土曜日、あまりにもしんどいので病院に行きました。すると診断結果は「花粉症の酷いもの」でした。たかが花粉症と侮っていた私はビックリしました。医者曰く、鼻の奥のほうに”タンク”のようなものが存在するようで、元々鼻がよくない私の”タンク”に花粉が奥深く入っており、それが体のダルさなどに結びついてるとのこと。睡眠時無呼吸症の恐れもあるため、再度病院に行かなくてはなりません。薬も抗生物質を含めた4種類をもらい、これがキツイ薬のようで、眠くなる・下痢を引き起こす、など散々な目にあってます。ああ、花粉が憎い。さて、表題の話です。仕事の都合上、面接をする機会があります。そんな時、いつも「果たして俺は人を評価できる人間なんだろうか」と思ってます。自分自身、そんな大したことのないヤツであることは重々承知してますし、人を裁くようなそんな大それた考え方はしないほうです。でも面接「業務」となればそうも言ってられません。面接を受けに来られる方には様々な思いがあるでしょう。ただ面接のために遥々遠方からやってくる方、入社したいがために友人などと色々な相談をしている方、何が何でも働かなくてはいけない方・・・・。様々なバックグラウンドを抱え、それでも一生懸命に、真摯に面接を受ける・・・。私も何社か転職しましたが、やはりその時その時の心境や場面を思うことがあります。とはいえ、やはり面接ですし、企業もボランティア団体でない以上、どこかで人を判別し、評価し、値を付ける・・・。全員を入社させるわけには行かないのです。評価といえば、かつて中途社員の入社面接をしたことがあります。これも評価する業務だったので、仕事であったとは言え、自分にはきついなあと考えておりました。人間、そんな大差なんてありません。今就職活動している方、アルバイトを探している方、ずいぶん前にも書きましたが、選ばれた人間だけができる仕事なんてこの世には少数派に属します(例を挙げますと、宇宙飛行士や総理大臣など)。評価された結果ダメだったとしても、悔しい思いをする必要なんてないのです。評価した人間もあなたと同じく、悩みを抱え、嫁には無茶苦茶言われ、嫁の実家からも無茶を言われ、安酒でそんな諸々のことを一時わすれ、眠り、次の日は嫌々ながらも仕事に行き・・・その繰り返しをやっているのです。どうですか?あなたと違うところはありますか?隣の芝生は・・・とよく言いますが、本当に羨ましく感じられるだけ。それ以上のものではありません。では。
2007.03.12
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。今日は妻が昼過ぎに、妻の家族を連れて帰ってきました。一瞬、うつ病になりそうでした…。妻の家族は一月に一度、やってくるのですが、その時は特に私は家に居場所がありません。まあ、普段からないのですが。少し妻もつわりがあり、情緒不安定になってたりして、「夫としてどうしたらよいのか?」と日々思います。でもまだ実感が湧きません。さて、昨日は如何に悩んでいる人とコミュニケーションをとるか?という内容を書きました。本日はその第2弾です。コミュニケーションについてさらに論じたいと思います。書店に行くとこの手の「これでスッキリ 人間関係」とか「いやなあの人と話す法」といったコミュニケーションのハウツー本が目に付きます。さて、この手の本で、開眼というか上手く行かれた方はいるでしょうか?恐らくいないと思います。なぜならコミュニケーションのやり方なんて人それぞれですし、これほどノウハウが通じないことも珍しいでしょう。また著者も自分のやり方(経験論)を語るため、それをそのまま自分に当てはめるのは無理があろうってものです。ではコミュニケーション上手になるためには?特効薬はありません(結論早!)。多くの人と接し、自分なりに経験値を積み上げる以外にはありません。いくら「これで完璧!あの人と話す法」「気になるアイツを口説き落とす100の方法」なんて読んでも無駄です。特に家で読んで関心している間は。そもそもこの手のハウツー本を読んでること自体、よろしくない精神状態です。自分自身が悩んでいる状態ですので、まずはそれをどうにかすべきでしょう。閑話休題一度、自分自身をゼロに戻して、積極的に色んな人と話をし、学んでいくしかありません。それが苦手なんだよなあ、ってなあなた!普通に人と接している人を見習ってください。そして言葉の一つでも良いですからパクッてください。徳川家康の言うとおり、学ぶということは真似ぶということです。今日は妻がいるせいか、上段から構えてものをいってしまいました・・・。反省反省。では
2007.03.11
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。今日は妻の実家に行ってきました。雨が降ってきましたので、「たまには実家に泊まってはいかがですか?」と妻に助言。「家事や諸々を忘れてゆっくりして下さい」と、最後に言い、非常にルンルン気分で一人で家に帰ってきました。今は最高のひと時を味わっております。さて先日、大学時代の後輩も結婚することになりました。おめでたいことなので式にはぜひ参加したいと思ってますが、なんせお金がかさみます親戚以外には3万円の祝儀と決まっております。昨年だけで4回の結婚式に出場しましたから、計12万の出費+2次会の出席、他移動交通費(体外は還ってきますが)なども含めると結構な額になります。少なくとも私の友人・知人や親戚関係には、しばらく結婚は控えて頂きたいものです。さて、テーマに沿った話題に変えましょう。今回は「がんばること」という言葉の解釈です。たとえば皆さんが、勉強やスポーツ・仕事に打ち込んでいる状況であれば、明確な目標設定が出来るため、「がんばって」という言葉は大変有効です(黄色い声であればなおさら)。翻って、病気のときや、何らかのことに悩む方にとって「がんばって」は有効どころか、かえって鬱陶しく感じるのではないでしょうか?要はプラスの状況のときにはプラスの、それもシンプルな言葉が利きますが、マイナスの状況においては必ずしもそうとはいえない、ということです。私も以前、よく分からない症状に襲われたことを書きましたが、そのときの「がんばれ」は迷惑とさえ感じていました。ではどうしたら、マイナス状況の方に対して言葉を投げかけてあげたら良いのでしょう?私はなるべく、目線を合わせて話すよう心がけています。同じ立場に立つということですね。もちろん、人によって悩みは千差万別ですので、安易な判断での目線合わせは逆に大やけどを負わせてしまう可能性もありますので、要注意ですが…。最大限にその人の立場に立って発言する。また自分では判断しかねることに対しては、向こうが心開いて話しかけるのを待つのが賢明な方法でしょう。決して上から話すのではなく、その人と対等になること(下に出てもいけない)。もう、ほとんど彼女(彼氏)の作り方講座の様相を呈してますが、結局人間関係で重要な声がけとは上記のようなものになるのではないでしょうか?なかなか難しいことですが、心がけ次第で出来るようになり、ひいては自分自身にも幸せが還ってくることにもつながるような気がします。では今日はここまで。なんだか中途半端で申し訳ありません…。追記:ホワイトベアーさん、「ハゲタカ」見ましたか?今日も面白かったですが、なんか 先が読める展開ではありましたね。来週は面白そうですよ!
2007.03.10
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こんばんわ。紅ズワイガニです。さきほど、書き込んだのですが、操作ミス(ってかパソコンが悪い)により、あっさりと消え去っていました。まるで何事もなかったかのように…。かなり書き込んだのに…。妻を強制的に先に寝かせ(先に寝てくれたらいいよー、とかなり亭主関白)、書いてたのに。チクショー!!明日改めますわ。
2007.03.08
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。さてさて、また寒い一日でしたね。皆さん体調はいかがですか?あまり無理はしないでくださいね。さて、写真の本は今から8年ほど前に、営業先で購入したものです。当時はまだ症状も残ってた、というのに加え、別冊宝島に凝っていたため(別冊宝島は当時、サブカルチャー的な本を多く出していました)、なにか従来とは別のアプローチがあるのでは?と考え衝動的に買いました。ところが・・・。当時の私にとってはあまり参考になりませんでした。なぜなら、非常に表面的なのです。全体的にQ&A式に書かれてあるのですが、一例を挙げますと、「毎朝通勤が億劫で辛い」という悩みに対し、その答えが「駅につきさえすれば何とかなる」といった回答・・・。当時、この手の症状(あえて病気とは言いたくない)に関する本などがメディアに取り上げられたり、また芸能人が「自分も過去にうつ病だった」などと表明し始めたのもこの頃でした。とは言え、あまりにも商業主義(出版"社"である以上当然ですが)に走りすぎた結果、大変お気軽な本も多かったのも事実です。その仇花とも言える本でした。最近でこそ少なくなりましたが・・・。何らかのことで弱っている人は昔から「いわしの頭も信心から」というように、無差別に「救ってくれそうなもの」にすがりつきがちです。ある意味、人間の弱さが思いっきり出てしまう時でもあります。またそういった心理を巧みに利用した商売は枚挙をいといません。悲しいことですが・・・。安っぽい解決策なんてないことを重々知りながら、何かあるのでは?となってしまうんですよね。人って。私自身もそうでしたし・・・。ただ、これだけは断定できますが、人は弱ったときは身近な人間に頼った方が良い。友人でも、恋人でも親でもなんでもいい。頼れるものは頼ったほうが楽です。変に格好をつけないのが、この症状を和らげる近道であると思います。皆さんはいかがですか?では、今日はここまで。
2007.03.07
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。今日は昨日と打って変って寒い一日。まあ、時期的にこれくらいが当たり前なんですが、あまりにも急激な気温の変化で、皆さん体調は大丈夫ですか?なるべく休養をたっぷり取るよう、意識して心がけてくださいね。また花粉症の方、今日は花粉が多かったようです。マスクは忘れずに外出してください。さて、心の悩みについてです。ある本で、気分転換が下手な方に多い病気だそうです。確かに一理ありそうです。また、些細なことでも気になる方も症状が出やすいようです。また、いろんなタイプの方が列挙されており、これでいくと人類の全員が「予備軍」と言えそうです。今苦しんでいるあなた、決して一人ではありません。ですので、他の人も苦しんでいるかも・・・、くらいの捉え方のほうが精神衛生上良さそうですよ。どうか、一人で閉じこもらず、ドンドン積極的に自己開示し、そんな苦しんでいる方の規範となりましょう。まずは今苦しんでいるあなた、あなたから始めるのですよ!では、今日はここまで。
2007.03.06
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みなさんこんばんわ。紅ズワイガニです。さて、私は大阪に住んでいるのですが昨日はやたらと暖かかったですね。まだ3月に入ったばかりなのに、変な気候ですね。さて・・・。昨日がテーマから脱線してしまいましたので、改めて仕切りなおしを…。前に「この症状は神が与えてくれた試練だ」といったようなことを書きました。今でもそう考えています。理由は自分でも強引に考えたものなので、文章にするのは難しいですが・・・。ただ、言える事は「これを機会に自分を改めて見つめなおせ」という暗示ではないか、と考えた訳です(なんせ若い頃の話なので)。例えば周りを見てみましょう。デリカシーのない人、不平不満だらけの人、現実逃避する人…。いろんな人がいますが、これって結局は自己欺瞞であり、周囲のことを考えた行動ではありません。反論の多いのは承知のうえで申しますと、その代表が、太宰治の本ではないでしょうか?曰く「自分は穢れている」、曰く「世間から必要とされていない」などだいぶ以前に太宰にはまりましたので、覚えている範囲ですが。私も確かに、自分自身で思い当たる節もあります。でも、こんなことを言っていても何の解決にもなりませんよね?たとえば、ここにあることで悩んでいる人がいたとします。悩みというのは多分に自分勝手な思い込みが含まれていて、それが他人にも分かってくれるはず、というのは大間違いです。大事なのははっきりした悩みであれば他人の意見を伺ってみる、など行動を起こすことが重要です。とは言え、なかなか難しい。そんな話しをしていきませんか?誰も攻めません。それどころか情報開示する勇気をもった方は、それだけで大きな一歩を踏み込んだと言えるでしょう。人間、一人では難しいことのほうが大半です。どうか協力しあって、でも規律は正しく、そんなコミュニティーを作って行きたいと考えています。それでは。追記:コメントをいただいた皆さん、申し訳ございません。 今日は皆さんのブログを覗く時間がありませんでした。 どうかお許しを。
2007.03.05
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。明日(今日?)から月曜です。ブルー名な気分の方も多いのでは?さて、今回だけテーマが違います。妻がついに「ご懐妊」あそばされました!本当にうれしい。知ったのは3/3の土曜日。健康な子が生まれてくると良いなあ。男の子であれ、女の子であれ、病気をもって生まれてきたって私は父親として、精一杯がんばります。気が早いため、すでに父親としてどのような態度で接したらいいのか、女の子であれば彼氏を紹介されたとき、結婚するとき辛いだろうなあ、などど20年ほど先の心配をしています。でも、生まれいずる子よ。安心して僕らの前に出てきてください。絶対に幸せにするからね!父ちゃん、がんばるよ!とりあえずは報告を。明日より元に戻します。では!
2007.03.04
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こんばんわ。紅ズワイガニです。さて、昨日から引き続きまして心の病について書きます。簡単な私の経験は書きましたが、さらに本当にきついですが体験談を書きます。変な症状やなあ、とは感じておりましたし、実際に苦しかったのですが、しばらくは内科に通っておりました。よもや自分が精神病とも考えず、行きつけの病院に行ってました。それが半年ほど続いたでしょうか・・・・。晴れて大学に受かり、京都に下宿し始めてから、考えうる限りの手段を講じました。まずは、イエローページで電話しまくりです(当時インターネットはなかった)。そこで、心理カウンセリングをしているところに一度行ってみました。でも・・・。結論から言うと何の役にもたちませんでした。催眠療法というのをやっているところだったのですが、すぐに結果がほしい私にとっては余りに時間がかかり過ぎ、2回くらい行って止めました。そんな中、ある大学の付属病院に行きました。今から考えると非常にシステマチックではありましが、いわゆる「精神科」でありまして、簡単な心理テストや生い立ちなどをインタビューされた後、薬を出してもらえました。病名は自律神経失調症。7種類くらい薬をもらい、早速飲みました。眠い眠い。要はいわゆる精神安定剤なので、薬を飲んだ最初の日は眠くて仕方がありませんでした。しかし、体が楽になった実感を覚えた瞬間でもありました。今までの妙な緊張感が取れ、自然体であることを実感させてもらいました。本当に助かったんや!と心からおもうことができました。でも・・・。根本的なところからの治療ではなく、あくまで薬によって緩和されているだけと気づくまでそれほど時間を要しませんでした。また非常に多くの薬を処方されていたため、飲むことが私の仕事になりました。そのうちまた薬が変わり、病院も変わり…てな展開になりましたが、それはまた改めて。本当に思い出すだけでも辛いです。でもね、今なら思えることではありますが、辛い時って自分のことしか考えてないんですよね。他に辛い人がいることなんて考えもしません。人として悲しいことです。自分の体験は随時書きますが、本当に今の自分に役立っていることと思えます。なんでもそうではないでしょうか?今辛いこと(すごく身近に言えば、職場が辛い・学校が辛い、借金が辛い、ほか現状が辛いなど)って今辛いだけでしょう?未来永劫に辛いことでしょうか?そんなことはありませんよね。今さえ耐え忍べば良いのです。私の経験から言えますが、辛いのはほんの僅かな時間に過ぎません。その辛いときにどういう行動(思考)を持ったかで、後々自分が変わったことを実感します。悩みがある皆さん(この場合、病気云々は別です)、今を大切にして下さい。絶対に抜け道はあります。中途半端ですがきょうはここまで。
2007.03.03
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皆さんこんばんわ。紅スワイガにです。今日は鼻づまりで目が覚めました。大変気分の悪い起き方です。おかげで、ほとんど眠れませんでした。6:50分まで、全く眠れないというしんどい日でした。6:40まで熟睡してたから良かったものの、そのまま寝ておきたい気分でした。さて・・・。昨日から「心の病」をテーマに本稿を綴っていこうと、前置きを長く致しましたが・・・。ここで告白しますと、私も元々「心の病」の経験者です。それは忘れもしない、2浪目の夏でした。アルバイトをしながらの浪人生活でしたが、その時は浪人仲間と食事に行ってました。その時、急に気分が悪くなったのです。汚い話で申し訳ないですが、数度吐きました。それより以前に、当時通っていた予備校の講師から「夜中に勉強すると能率が良い」と聞き、実践していたのですが、恐らくこの昼夜逆転生活が祟ったのでしょう。一時的に「風邪や」と思っていました。しかし次の日の朝、起きてみると酷い二日酔いの感じがしました。それからというもの、毎日起きると二日酔いの感覚。無論酒は呑んでません。ここからは書くのもきついですが、風邪と思い込んでいた自分自身に良く分からない兆候が出始めました。まず、電車に乗れなくなりました。それまで予備校には電車とバスを利用して通っていたのですが、各駅停車の電車も無理でした。「吐くのではないか」という不安に襲われるようになったのです。またコンビニなど、身近なものも行けなくなりました。とにかく、人が集まっているところには恐怖心で一杯でした。特に密室がダメになりました。浪人ですから模試や図書館に行って勉強するのですが、これがきつい。予備校はテンプラ学生(受講料を払わず、無料で講義を聴く)だったので、なんとか通わず済みましたが・・・。本当にきつかったです。当時はそういう多浪生がこの手の病(無論当時は病とは思っていない)が少なからずいましたので、なんとか救われました。また、この「発症体験」については改めて詳しく書きます。受験の時も辛かったのを覚えています。関西で最初に試験がある関大・関学を受けたのですが、私の席は大教室の真ん中。恐怖で試験もクソもあったものではありませんでした。その後、2月の中旬に第二志望であった大学を受験したのですが、幸いにも一番後ろの席だったのでなんとか乗り切ることが出来ました。ただ、第一志望の大学が東京で(これは実力不足ですが・・・)ここも真中の席でした。以後、大学に入学してからも上記の症状に悩まされていたのです。現在もだいぶマシにはなったものの、相変わらずJRの新快速などは辛いです。どうでしょうか?掻い摘んでですが、自己開示は致しました。はっきり、思い出すのも辛い体験です。でもある時期から(大学入学後2ヶ月位経った後ですが)自分はこういう運命を背負っているのだ、と妙に悟った瞬間、楽になりました。無論症状は変わりませんでしたが、開き直ったのです。「これは神が与えた私への試練なのだ」と。この経験により、人に対して非常に柔らかくなったと思います。人は試練が多ければ多いほど、成長できます。心の病で悩んでいる方、どうぞ自己否定なさらずに。人間、八方塞がりはありえません。どうか、希望を持って頑張りましょう!そして、今苦しんでいる方、過去を隠している方。ぜひ、自身の体験を笑い飛ばしながら語ってください。自分を笑える人は、周りを幸せにする人です。せっかくこんな数奇な病(症状?)にかかったのですから。この話、しばらく続けます。では。ちなみに下記は私が”その症状”に襲われた当時のものです。別名、天草四郎時貞と言い、ずいぶんモテたものです(うそです)。
2007.03.02
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皆さんこんばんわ。紅ズワイガニです。久々の更新でございます。さて、気持ちも新たに、今回から少し視点を変えたテーマで綴りたいと思います。とは言え、表題の意味や今まで書いてきたものと矛盾したものではありません。むしろ、より近づいたともいえます。前置きはこの程度にしておいて・・・。こころの病について皆さんで交流してみませんか?もはや現代病ともいえる心の病ですが、多かれ少なかれストレス社会で生きている限り、この病から間逃れることはできないと言えるでしょう。それが顕在化しているか否か、といった単純な二元論で語ることも大いに可能です。この「心の病」で悩んでいる方、もしくは過去に悩んだ方。ひょっとして自分も・・・なんて方、俺には関係ねえな、という江戸っ子の方。参加には一切不問です。少しでも共感できる方はぜひともご参加ください。では明日から本格的に始めたいと思います。よろしく!
2007.03.01
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