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2009.05.22
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カテゴリ: 教育
24日の日曜日は、地区と合同の大運動会。

幸い私たちの地域は
新型インフルエンザ発症例はなく、
各種大会やイベントは
主催者の判断に任されている。

地域住民が
2000人近くも集まる
この大運動会、
心配がないわけではないが、



本校には
経済的に厳しく
毎日忙しく働く保護者の姿がある。

土日も仕事という家庭も少なくはないが、
さすがにこの大運動会には
昨年まですべての家庭が参加してくれた。

ただ、
弁当が用意できず、
コンビニだったり、
パンだったりという
ケースは毎年のこと。


5年生女子。

母親は若いときに
この子を出産。
父親である彼氏とは
相手の両親の反対もあり


母親の母親、
つまり女の子にとって
祖母の世話になりながら
何とか子育てをしてきたが、
母と祖母の折り合いが悪くなり
別居して独立。

ところが自分の子は
祖母に預けっぱなしで
一人アパートぐらしを始める。
その時3歳。

しかしこの祖母も
子育てには無関心。
まだ自分のことに忙しい年代でもあり、
経済的にも苦しい。

スナックで働きながら
孫の面倒をみてはいたが、
父親(つまり女の子の祖父)は

よくある話で
「ひも」だった。

金を入れるどころか、
時折祖母のところに来ては
金を無心する始末。

祖母もぶち切れて
出入り禁止を通達。

祖母と孫だけの生活になったため、
4歳の頃から
女の子は
夜一人で過ごすようになる。

まあ、それまでも
祖父は
役に立たなかった。

それどころか、
追い出した理由は

女の子である
孫に興味を持ち始めた
祖父の言動にあったという。

本当であれば、
ぶん殴ってやりたいくらいの
(言い過ぎではあるが)
情けない男である。



女の子は、
たった3歳で、
満足な食事もとらずに
眠りについていた・・。

朝は朝で、
スナック勤めでつかれきった祖母には
面倒を見る気力が残っていない。

風呂にも入れてもらえず、
女の子は
野生児のようになっていった。

そして
初めての集団生活が
小学校。

スナックがある
繁華街のど真ん中にある
小学校に入学。

ところが朝起きられない。
祖母は寝ており、
朝食の準備もしてもらえない。

毎朝のように担任は電話をかけた。

管理職は
迎えに行くために
家庭訪問をした。

そして、
何とか学校に来させても
何もできない。

何しろ
それまで
絵本を見たこともなければ
鉛筆というものを握ったこともなく
ノートに落書きしたことも
折り紙で遊んだこともない。

他人とうまく関われるはずもなく
彼女の周りでは
トラブルだらけ。

気に入らないことがあると
叫びながら
つかみかかり、
時に噛み付いた。

担任も例外ではない。

何とか一日が終わり、
祖母宅へということになるが、

祖母がいないことも多く
学校で連絡がつくまで預かることも
しばしばだった。

そして二年生も
ほとんど学校に通わず、
三年生の2月、
本校に転入してくることになる。

その時私は3年生の担任。

3人いる3年生担任の中で
誰が担任するかという話で、
簡単に私に決定。

まあ、困難な生活を強いられている
子どもの担任をすることは、
確かに嫌いではない。

むしろ
やる気がわいてくるというもの。

前担任は
わざわざ本校を訪れ
何時間にもわたって
今まで書いたような
出来事を詳細に
引き継ぎをしていった。

しかし
引き継ぎの内容と、
現在の生活環境など
状況は異なっていた。

本校転入のきっかけは
祖母と母親の
「子育てのなすり合い」
であった。

前学校の担任や管理職は
当然のことながら
祖母の養育放棄にも見える態度に
厳しく対応した。

祖母は学校側の言い方やら
細かい指示が気に入らなかったらしく、
娘である母親に連絡、

「お前が生んだ子なんだから
お前が世話をしろ!
学校が毎日うるさくてこまる!」

「お母さんだって、
私をおばあちゃんに預けっぱなしで
自分は遊んでたじゃない。
あんたが育てな。」


そう、負の連鎖は
続いていた。

祖母も若くして
女の子の母親である
娘を生み

しかし子育てできる年齢でもなく、
遊びまわっていた。

そのときの恨みを
娘である母親は
忘れていない。

寂しさを紛らわすためか
思春期になると
同級生の男の子との間に
女の子をもうけることになる。

15歳、中学校3年生のときであった。

それが、私が勤める小学校の子どもたちが
通っている中学校。

そう、
母親は本校出身であったのである。

祖母宅から独立するに当たり、
本校区のアパートに居を構え
遊んでいた。

そこに、
祖母に見捨てられた女の子が
転がり込んできたと言うわけである。

しかし母親は
心を入れ替え
職業訓練のため、
近隣で事務職見習いをすることになった。

そうはいっても収入はゼロ。

生活保護で何とか日々を過ごす。

私はその女の子の担任になり、
こんな経過を知るにつけ、

「ああ、
また悲しい連鎖が
起こっているな」
と感じていた。

この連鎖を断ち切るには、
べんきょうが一番。

まず、学校にまともに通って
中学校,高校と進学し、
給料が定期的にもらえる
職業に就くこと。

もちろん日雇いが悪いとは言わない。
しかし不安定な生活は
人を不安定な精神状態に追い込み
どうしても子育てに
力が入れにくくなるというもの。

だから、
職業選択の幅を広げるために
勉強が必要なのだ。

端的に言えば、
点数が取れる学力である。

というわけで、
髪も洗ってこない
女の子の生活を変えていくことを
母親にお願いした。

夕食と朝食をとらせること、
着替えをきちんとさせること。

もちろん
一度に要求したわけではない。

反応を見ながら
少しずつ、少しずつ。

連鎖しているのは
生活だけではない。

祖母がそうであったように、
このような生活をしてきた人々にとって、
学校は「敵」である。

今まで誰も親身になって
相談にのってくれなかったではないか。

自分らを迷惑そうに眺めるだけで、
学校に来なければいいのにといった
露骨な態度をとってきたではないか、

そんな思いがある。

「反学校の文化」が
知らないうちに醸成され、
受け継がれているのだ。

そのイメージも払拭したかった。

学校は
そんなに悪いところじゃない。

母親の話に耳を傾けるうちに
徐々に若い母親は
私の話にも
耳を傾けるようになった。

ゴミ屋敷だった
アパートの一室も
少しずつ
少しずつ
こぎれいになって行った。

野生児だった女の子も
少しずつ
穏やかな顔つきになり、

「先生、勉強教えて」
と言うようになった。

放課後、べんきょうを見た。
簡単な足し算引き算からであった。


身の周りにある物を使いながら
勉強を進めると、
指を使いながら
「そうなんだ!」
「わかったよ!」
「なるほど!」

満面の笑顔に
私は喜んだ。

絵本の読み聞かせにも
食い入るように聞き入った。

ほとんど学校に来なかったという
引き継ぎがうそのように、
一日も休まず、
学校に通ってきた。

もちろん、
かけ算までは行かなかったが、
10の位までの
足し算引き算ができるまで成長し、
4年生になっていった。
寒い冬を
乗り越えたのだ。

次の担任も
熱心な女先生。

しかし思春期を向かえ、
一気に体も心も
変化していった。

また女の子は
学校を休みがちになった。

せっかくの見習い事務職も
現実の前にはむなしく
母親も荒れていた。

そんな母親の姿が
影を落としていた。

また、連絡がとりにくくなって行った。

自分が悪いことは
母親はよく分かっている。

しかし学校からの電話や家庭訪問は
自分を責めるものでしかない、
そう感じているようだった。

担任がチャイムを鳴らしても
一切出てこなくなった。

いるのは分かっている。
担任は玄関先で
近所に気を遣いながら
気持ちを伝えていくしかなかった。


そして5年生の今年。

担任は中堅の男性教員になった。

私とは対極的な
冷静沈着な男。

悪く言えば、
無関心。

女の子が休んでも
あまり気にならないようだった。

たびたび様子を聞く私が
少しうっとうしいようだった。

そんな担任の下、
5年生になって
週2,3日の出席状況。

春の遠足には来なかった。

総合すると
弁当が作ってもらえないというのが
その理由。

あいかわらず母親とは連絡がとれず、
以前からお世話になっている
「家庭教育支援室」の方と連携をとりながら
接触を試みている。

運動会練習の合間に
私はその女の子に話しかけた。

もちろん
3年生のときと同じように
話ができるわけではない。

でも、素直に家庭の様子や
自分の気持ちを語ろうとしてくれている。

そして、
母親をかばおうとしていることが

痛いくらいにわかった。

生活そのものは
何とか成り立っていはいるが、
風呂や食事、洗濯といった
身の回りのことは
その女の子自身がやっている。

母親は
勤めに出るといって
ぶらぶらしている。

遠足のときも
弁当のことが言い出せなくて
休んでしまったらしい。

「運動会は心配要らないぞ」

そうは伝えたが、
学校に弁当を準備してもらっても
プライドが許さない。

かといって、自分では・・。

そこんところを
伝えた。

「とにかく、
運動会、来ること。
先生が、どうとでもするから。」

とにかく母親と連絡をとりたいが
なかなか難しい。

学校に対し、
敵対心を持っている。

さて、当日
学校にやってきてくれるだろうか。

集団で表現する
マスゲームに参加している女の子の姿を
遠くから眺めながら

3年生のときのキラキラ笑顔を
取り戻してほしいと
私は祈っていた。

運動会当日、
さわやかに晴れますように。

そして、
女の子も
気持ちよく登校してくれますように。

そんな女の子とは対照的に
いやな感じで運動会を休む子が
あと二人いる。

二人とも6年生男子。

事の次第は
また後日。












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最終更新日  2009.05.23 07:15:06
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