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このところ、涼しいせいか夏越させようとしていた我家の小さなシクラメン。ナント、7月だと言うのに花が咲いちゃいましたこのシクラメンは、3年前に山梨県のハイジの村で300円で購入したもの。昨年、鉢を換えました。夏を越すのは難しいらしいのですが、これまで3回、楽しませてくれています。で、次の冬もよろしくねって話しかけながら水やりをしていたら、花が咲いた・・・っって、マジもうすぐ咲きそうな、蕾が2つ葉っぱの下には、まだまだ蕾が沢山どうしましょ。。。今日はひっさしぶりに、あのお若い患者さん(20代・男性・胃癌・腹膜播種)の近況が届きましたので、ご報告です。2015年1月25日のブログ以来となります。20代で胃癌が発覚したのは、2011年のことでした。肝転移あり、腹水あり、腹膜播種ありで抗癌剤治療による、延命治療しかないと言われていました。ご両親も、どうあっても長く生きる事ができないのなら、好きなように生きさせてあげたい、少しでも長く、苦がない治療で生きられれば。。。といった心境だったようです。ある意味、覚悟しつつの治療を続け1年が経過。1年が過ぎると、本当に延命治療しかないのだろうかと考え始め、米村先生の元へ。2012年に米村先生による腹膜切除術、並びに術中温熱療法が施行されました。肝転移との診断でしたけど、実際、開腹してみると肝臓に転移はなし。手術では、暫定ストマとなり、術後も抗癌剤治療施行しました。暫定ストマではありましたが、米村先生、このストマを外したがらなかったのです。 先生、何時、ストマを外すんですかと何度尋ねても、米村先生、のらりくらりとした返事で、外すとは言わない。と言うのも、お腹の中を見た米村先生、この患者さんは早々に、再発するだろう、ストマが必要になるだろうって思っていたんですね。だから、敢えて外さなかったんです。でも、1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年が過ぎ。。。米村先生の予測は外れ。。。ストマを外さない理由が無くなりました。それで術後3年経ってから、ストマを外したのです。で現在は、抗癌剤治療もとうに卒業し、闘病中に就職した仕事は、フル稼働。元気に、20代の若者をやっていますと、お母さんからメールが届きましたあの時、延命治療しかないと言われて、そのままの治療を続けていたらと考えると、ゾッとしますと書かれていました。今、本当に当たり前の生活を送っている事が時に不思議でもあり、また、この 「ありがたい当たり前」 を当たり前と思い、感謝の気持ちを忘れたらバチが当たるんじゃないか、悪い事が起こるんじゃないか・・・と思うらしいです。何年経っても再発する人もいますから、不安は完全には払拭できないようです。実際、私もお付き合いの長い患者さんが増えてきていますが、律儀に、ある節目節目にご報告メールが届きます。手術した日だったり、年の初めだったり。今の感謝の気持ちをちゃんと伝えないと、悪い事が起きる気がするんですって。だから、何年経っても律儀に礼儀は欠かさない。。。そんな方、多いです。ある意味、願掛けでしょうか。私にとっては、ありがたい願掛けです。お元気になると、やはり交流が減ってしまって、良い知らせって、なかなか届かなくなってしまいますから。お元気でいてくれれば、それで良いんですけど、情報を探している苦悩の方々にとっては、のどから手が出るほど欲しい、真の情報ですからね。この患者さんのお母さん、以前は、息子さんのどんなわがままも子供っぽさも許していました。だって、長く生きられないと思えば、叱れないのが親心でしょう。でも、ある時から、未来があるなら、将来があるなら、怒鳴りつけないといけない事もあると思い始めたんです。同年代の男性と比べると、体力が無いと感じることはあるようですが、健康な人だって、体力の無い男性はいますからね。今、本当に 「普通」 の生活を送っています。
2016年07月27日
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先日書いた、意識がないままだったあの彼女から、早速、「ブログ見ました~」の感想メールが届きました。正直言うと、たとえ意識が戻っても、長らく寝たきりだったから、血栓でも出来て、それが脳に詰まって、もしかして、何らかの後遺症が出るんじゃないかなんて心配もあったんです。スマホなんて、使えなくなるんじゃないかってね。でも、大丈夫でした。彼女の回復に伴い、私、彼女には内緒である患者さんに彼女の状況を伝えたんです。彼女が初めて米村先生の手術を受ける時、それはそれは不安にかられていましてね。米村先生の手術を受けても、元気な人の話が聞きたいって言うので、2009年に米村先生の手術を受けた女性患者さんを紹介しました。私が紹介したこの女性患者さんは、当時30代前半。高分化型の粘液腺癌(腹膜偽粘液腫)で、病気が発覚した時には、お子さんがまだいませんでした。高分化であることから、子供を設ける時間はあると米村先生が判断され、先にお子さんを設けてからの手術となりました。出産後、3ヶ月で手術です。だから術後の体での子育ては、大変だったと思います。過去にブログでは、「再発してもへこたれない、だってママになったから」だったと思いますが、そんな題目で「あやちゃんママ」 として何度か書いています。そのあやちゃんママ、意識を取り戻した彼女の最初の手術の時、2010年の話ですけど、病院まで出向いて、自分の元気な姿を見せて私が生き証人とばかりに励ましてくれたのです。そんな経緯があったから、あやちゃんママに、私、電話をしたんです。突然の私からの電話に びっくりした~って言うのを聞いて、もしかして、電話で話すの初めてだったかも逆に驚いたのは私。声がね、電話を通して聞こえてくる声がね、意識を取り戻したばかりの彼女によく似ているんですもの。ただ状況を伝えただけなんですけど、また、会いに行ってくれたようです。プチ女子会で、盛り上がったらしいです彼女達と出会う前、こんなに長く付き合える患者さんっていませんでした。何人もの患者さんと仲良くなったし、沢山メールも届いたし、会ったこともあるけれど、み~んな、み~んな短期間でいなくなってしまった。。。これが腹膜播種の運命なのかと、顔を上げるのが嫌になることも多かった。でも、今は違います。3年、5年、そして10年・・・腹膜切除の術後、ご存命の患者さんが増えてきています。影も形もなかったあやちゃんは、9歳になりました。先だっての米村先生の外来には、あやちゃんも一緒に行ったそうです。そこで、ナントあやちゃん、米村先生に あたしも、おいしゃさんになります いいくすり、つくりますから まっててくださいって言ったそう米村先生、喜んだだろうなぁ。。。ママとしては複雑ですって言ってましたけどね。米村先生のご苦労、よく知ってますからね。医者=凄く大変、苦労の連続。それに、医者になりたいって思わせてしまったのは、自分の病気のせい。だから、親としては複雑って心境になったようです。将来の事はまだまだわかりません。子供の頃の夢なんて、ころころ変わって当然ですしね。でも、何かを見て、感じて、自分で考えて夢を語る。。。それが、自分の為じゃなく、誰かの為なんて。そんな素敵な女の子に成長したのが、私はなんだかとっても嬉しい。あやちゃんママも、すっかり普通の母親になっていて、これも本当に嬉しい。でも、あやちゃんがこんな素敵な女の子に成長したのは、ママの背中を見て育ったからじゃないかしら。元気な自分にできる事、そう考えて他の患者さんを励ます行動力。この2人の女性と、1人の小さなレディに、パワー貰いましたありがとう
2016年07月24日
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今日は、過去に何度も書いている50代の女性患者さんの話です。昨年は、「凄いよ、凄いよ連発の術後5年目」という題目で書いています。昨年が5年目だったから、今年は術後6年目。また、「僕が君の盾になる」 と言った題目でも書いています。このブログでは、常連さん。私とも長い付き合いの患者さんです。彼女の病気はちょっと変わっています。最初の診断は虫垂癌。ですが、その後の手術後の病理では、間違いなく腹膜偽粘液腫。再発して手術したら、今度は病理では卵巣癌。重複癌と言うべきか?それとも、2つ目の癌と言うべきか?・・・・実のところ、よくわからないんです。最初の手術は2010年。術後、再発予防のTS-1 を3年続けました。何も問題なく順調だったので、そろそろTS-1 もお役御免?かと検討が始まり、じゃ、止めてみようかとなったものの、服用を中止して半年後に、骨盤内に再発。2014年の夏に再手術した時は、腎ろう とストマというお体になり、4ヶ月もの入院期間がありました。ですがその後は元気を取り戻し、丸1年が経過。それが昨年末頃から、腫瘍マーカーが上昇を始めました。またもや再発?と不安にかられた彼女は、自分から進んで抗癌剤治療を願い出ました。この時、アバスチンを1度だけ使用。これが原因とは言い切れませんけど、消化管穿孔を引起してしまいました。これまでも長年、抗癌剤治療を行ってましたから、蓄積されての結果かもしれません。しばらく自然に穴が塞がるのを待ったのですが、塞がる気配がありません。それで腸の穴を塞ぐ手術をすることになりました。GW前後のことです。手術前には、何度もメールが来ましたし、電話でも、何度も話しました。入院してからは、あの凄まじい痛みから解放されたと明るい声でした。 食事が摂れないのは辛いけど、 私にとって、一番辛いのは生きられなくなることだから 食べられなくても、平気ですそう、彼女はキッパリ言いました。 「手術、頑張ってきてね」 「はい頑張ります」そんなやり取りがあって、いざ手術となりました。彼女の事だから術後、落ち着いたら絶対に連絡してくると思っていました。電話か、メールか・・・必ず私に寄越すって。それなのに、なかなか連絡が来ません。何時しか、今日は術後何日目と数えるようになっていました。しばらくして、彼女は意識が無いまま眠っていると知りました。想像以上に腸が脆くなっていて、手術した後、また次の穴が空いてしまったのだとか。再度の手術となり、そのまま意識がないまま寝ているのだと。意識がなく2週間が過ぎた頃、私は、もう彼女は2度と目覚めることはないだろうと感じ取っていました。それは、これまでの私の経験がそう思わせました。もし、このまま彼女が逝ってしまったら。。。どんなにか彼女は心残りだろうと思いました。どんな状態になっても、彼女は生きたいと言ったんです。でも、死を意識して帰れなくなるかも。。。って呟いたこともありました。大きく揺れ動きながらも、生きたいって言った彼女は眠り続けていました。もし、もう生きることが出来ないのなら、せめて死ぬ前に、やりたいことがあっただろうなぁ。それが出来ないまま、このまま彼女は逝ってしまうのか。。。それはダメだ、絶対にダメ。必ず、また目覚めさせなくては。。。目覚めてもらわなければ。。。でも、もう彼女は二度と目覚めないだろう。。。そんな事を毎日、考えていました。もう二度と目覚めない・・・そう思うとやりきれなかったです。そんな時、ふと思い出した彼女の言葉がありました。 どんなにしんどい時でも、 笑顔なんて見せられない時でも、 不思議と、米村先生のお顔を見ると、 その時だけは、自分でも驚くほど元気な笑顔になるんです 自分が元気になるのが、わかるんです だから米村先生、何時も 元気そうやね って言うんですけど、 本当は、全然元気じゃないんですぅって、嬉しいのか悲しいのか、わかない事を言っていました。これをそのまま米村先生に伝えたんです。米村先生の顔を見ると元気になるんですって、彼女、そう言ってましたよって。すると、 ふ~ん、じゃ、ちょくちょく見に行こう意識は無いけど、米村先生がちょくちょく彼女を見に行けば、もしかしたら、彼女、わかるかも。元気になるかも。まさかね、そんなバカなね、んな訳ないよね。。。あまりにも非現実的な妄想です。でも、それから1週間くらいして・・・その彼女本人から、まさかまさかの電話があったんです。もう、びっくりなんてモンじゃありません すみません、ずっと連絡もできなくて もう、何から話せば良いのか・・・久しぶりに聞く、彼女の声でした。 「うん、うん、何も言わなくて良い、わかってるから 良かった、良かった、本当に良かった」もう、涙ぽろぽろでした数日前に意識が戻ったこと。口に入っていた管が前日に抜けて、この日から、ようやくこれだけ声が出せるようになったこと。何が何だか、わからないまま目覚め、ご主人からの話で、それまでの自分の事態を知ったこと。そのご主人が、ひろりんがとても心配しているから電話するように言ったのだと。兎に角、本人、意識ななかった頃の事は何もわからず、浦島太郎ならぬ、浦島太郎子さんになってました。まだこの時は、声はかすれていたけど、今は、普通に声が出せるようになりました。テレビを見たり、スマホを見たり、メールを打ったり、全く摂れなかった食事が一口、二口と食べることが出来るようになり、それまでの、当たり前が少しずつ彼女に戻ってきてます。本人が、回復を感じられるようになってきました。本当にもうダメだと思ってました。二度と、彼女と話すことはないのだろうと。実際に、危篤だと家族が呼ばれた事もあったんです。色々と一人で想像して、一人で泣いてたけど、まさか、まさかの目覚めです。しかし。。。彼女を目覚めさせたのは、マジで米村豊パワーだったのか今も、米村先生のお顔を見ると、元気になりますって言ってる彼女です
2016年07月18日
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しばらくぶりの更新です。急ぎのメールや電話には、ちゃんと即対応してますから先日、「これで手術不能?勿体無い」で書いた患者さんの奥さんから、あの日記を読んでの感想が届きました。手術に踏み切る決心をして、それまで抗癌剤治療を受けていた病院を去る日のこと。ほんの少し前の自分達のように、何の疑問を持たないまま、抗癌剤治療を受けに来ている方々の姿を待合室で見た時、「この方たちは、手術を受けることは無いのだな」と思ったのだそうです。それが良いとか悪いとか、正解とか間違いとかそういう事ではなくて、本当に理解して納得しての選択なのだろうかと。実はこの患者さんご夫婦は、米村先生の術後のシビアさも、よくご存知でした。上手くいく人ばかりじゃない、そうではない人もいる。自分達はどっちになるのだろう・・・不安は時に恐怖になりました。でも。。。治療効果が出たら手術しましょうと言われたけど、ここにいては、もう手術の話が出ないことは疑いから確信に変わった今、このままではいられなくなったのです。だって、実際、抗癌剤の効果が出たのですから。そしてチャレンジした訳です。過去に、何人か手術のタイミングを逸してしまったと思われる患者さんがいます。10年以上前の話です。ある、スキルス胃癌・腹膜播種の30代の女性患者さんが手術を目指して抗癌剤治療を受け、効果が出たので手術の話が出ました。でも、3クールでこれだけ効果が出たなら、もう少しやれば、もっと効果が出るだろう。もっと頑張ってから、手術しよう。そう言って、自分から手術を延ばしたんです。いやいや、手術はタイミングってものがあるから、今、やった方が・・・と言ったのだけれど、「だって、初回手術が肝心なのでしょう? なら、念には念を入れてもう少し抗癌剤治療、頑張ります」と言います。当時、この初回手術が肝心とアドバイスした我が戦友の、ヒゲさんは、 「そういう意味で言ったんじゃないんだよなぁ」とぼやいていましたっけ。そのうちに感染症を引起してしまい、治療は長らく中断。それでも手術は受けることはできたけど、タイミングは逸してしまいました。また、洗浄細胞診が陰性になったスキルス胃癌・腹膜播種の50代の女性患者さんが手術の話が出ないことに業を煮やし、米村先生の元へ来られたことがあります。それこそ急いで手術をしたのですが、陰性になってから3ヶ月が過ぎていたからなのか・・・癌はかなりひどく広がってしまっていたのです。タイミング良く手術していたとしても、結果は同じだったかも?しれません。ただただ、タイミングだけが悔まれました。
2016年07月13日
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今日は、5月29日に 「怖いのは癌だけじゃない」 でご紹介した患者さんの近況です。この患者さん、軽度の糖尿病があって経過観察のもと、投薬治療を受けていたのですが、突然、血糖値が跳ね上がってドタバタした話を書きました。その後、糖尿病の方はインスリンの自己注射で上手くコントロールできています。ばっちりです。血糖値は問題なくなったんですけど、その後、実は他でもドタバタがあったんですよ。手術日程が決まっていて、術前化学療法を受けていたんですが、ある日、奥さんが血液データを見て驚いてメールを寄越しました。肝臓の数値が物凄く高いんですって。目を通すと、驚いたことにALPが1000を越えています。γ-GDP も1000近い。この患者さん、糖尿病の内科、心療内科の病院、そして癌治療の病院と幾つもの病院をかけもちしています。またもや驚いた、驚いたこれは。。。もしや、もしや閉塞性黄疸慌てて電話を入れました。「ビルビリン値はどうなってますか」と聞くとビルビリン値は測っていないとの返事。一通りわかる数値を聞いて米村先生に報告。再度、ビルビリン値を含めた血液検査のオーダーと、手術の日まで、抗癌剤治療は中止となりました。恐ろしいほどの数値で私もビビりましたが、その後の検査でわかったのは、ビルビリン値は1以下で、閉塞性黄疸ではありませんでした。そして、抗癌剤治療を見送ったら、途端に数値が半分以下に激減。ふぅ~、良かったぁ。心配したわ、ホントに。どうやら、抗癌剤治療による肝機能障害だったらしい。オーバーな表現をさせて頂くならば、ひょっとしてアタシ、手術前に2回、この患者さんの命を救ったのかも。。。その後は問題も出ず、予定通り手術となりました。当初、昨年の秋ですが、原発の胃に5cm もの癌があり、腹膜播種が確認されていました。一般的に、腹膜播種が1度でも確認されると手術対象から外れます。まず抗癌剤治療やって、効果が出たら手術しましょう、って良く言われるようですが、実際は、効果が出ても手術しようとしないケースが大半です。抗癌剤治療が効いているし、QOLも問題ないし、本人は元気だし。。。なかなか手術の具体的な話が出ないのは気になるけれど、問題がないからと、様子をみているうちに病状は悪化。ついには、どうにもこうにも、手術できなくなるケースは沢山あります。米村先生の元へ来られる患者さんも、多くがこのケースです。その誰もが言います。抗癌剤が効いているうちはこのままで良いと思ったと。米村先生の元へ行くのは、いよいよ手が無くなった時だと。米村先生は最後の砦だと。でも、それではもう遅いんです。この患者さんも奥さんも、時既に遅しになる事をとても恐れていました。手術にはリスクもある、再発率も低くは無い。術後のQOLを心配すると、なかなか踏み切れない。でも。。。ここにいても、手術の具体的な話は今も尚出ない。そもそも、最初は外科だったのに腫瘍内科に移ってしまった。既に、抗癌剤治療は4クールを終えたというのに、外科に移る気配はない。それで思い切って今年の春、米村先生の元へ。術前化学療法を経て、先日、手術を受けましたが、原発の癌は半分に縮小。存在していた筈の腹膜の癌は、綺麗に消えていて。。。リンパ節の転移は認められましたけど、手術不能と診断するには、あまりにも勿体無い状態になっていました。先の事は誰にもわかりませんけど、ステージが逆戻りって、なかなか無いですけど、少なくても、手術不能にしちゃうには勿体ない状態だったことは確かだと思います。
2016年07月05日
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