はじめまして。
僕のブログのことを書いていただき、ありがとうございます。
といいつつ、僕自身はまだ「Y氏の終わり」を読んでいない、というか、いつ読むのか、と思っているくらいで困った事です。

僕は、あまり論理的ではないので、クレズマーさんは、しっかりとした文を書かれるかただなぁ~と、いつも感心しながら読ませていただいてます。
今後ともよろしくお願いいたします。 (2008年02月10日 20時22分27秒)

読書地図

読書地図

2008年02月10日
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カテゴリ: 読書
「地図にない場所をさがしたくて 地図ばっかり眺めてた」(知久寿焼『地図にない場所』)



 言葉と現実の関係というのは、哲学や文学の世界では、昔からずっと最重要の問題の1つです。存在している現実に言葉をあてはめているのか、それとも言葉で認識するから現実が存在するのかという大問題がまずあって、それに関わって、例えば詩人や芸術家といった特殊な人だけが認識できる高次の現実があるという考え(ロマン主義)とか、言語というのは現実に恣意的に対応する記号のシステムでしかないという考え(構造主義)とか、言語は現実に対応しないで勝手に意味を作り出すシステムだという考え(ポスト構造主義)だとか。

 いや、こんなことを書いたのは、何も生半可な知識をひけらかすためではありません。今朝読み終えたばかりの『Y氏の終わり』が、まさにこういったことをテーマにした小説だったからです(『Y氏の終わり』は shovさんのブログ で知りました。shovさんに感謝!)。何しろ、このお話自体が、人間の意識の世界を飛び回るというもので、主人公はデリダが大好きな英文学専攻の大学院生。そしてその主人公のモノローグや他の登場人物との会話の中では、やれ宇宙の発生はどう解釈できるかとか、相対性理論とはいかなる「物語」かといった、およそ「認識」をめぐる議論が次から次へと出て来るのです。「思考実験」という言葉が小説の中には頻出するのですが、この小説自体、一つの思考実験といってもよいかもしれません。人間の意識の世界というものが存在するとすればそれはどんなものであるか?という。


 そもそも小説というのは、高次の現実云々は脇においておくとしても、言葉だけで世界を構築するという特異な性質を持っていて、その点では思考実験にぴったりと言えます。本には書いてあるのは(挿し絵がついていることはありますが)基本的には黒い文字だけ。それなのに、私たちはそれを読んで様々なイメージを作り上げるのですから。おそらく「わかりやすい」とされる小説というのは、そのイメージを作りやすい本のことを言うのでしょう。自分が生きている現実にとても近い世界を描いていればイメージはしやすいし、子どもの本に挿し絵がついているのも、イメージを作るのを手助けするため。でも、到底想像のつかないような世界を言葉で作り出してしまうというのも、小説の大切な1つの役割の筈です。そして『Y氏の終わり』は、少なくとも「意識の世界」という捉え難いものを描き出すということには、結構成功しているように思います。

 さて、『Y氏の終わり』を読んでいる最中、急激に普通の「ファンタジー」小説を読みたくなってしまい、ラルフ・イーザウの『ネシャン・サーガ1・ヨナタンと伝説の杖』を図書館から借りてきて、『Y氏』と並行しながら読んでいました。この本は、数年前のハリー・ポッターの大ブームに便乗して雨後の筍のように出版されたファンタジーの1つで、訳者が 『ベルリン』シリーズ と同じ 酒寄進一さん であるという理由で、僕も途中までは読んでいたものです。改めて読みたくなったのは、一応ファンタジー作品(ミステリ仕立てのSF風ファンタジー?)である『Y氏』がどうにも頭を使って疲れてしまうので、もう少しわかりやすいファンタジーも読みたいなあと思ったからでした(どうも僕自身疲れていたようで、『ネシャン・サーガ』を借りてきた数日後に風邪を引いてしまいました。まだ治りません)。実際、『ネシャン・サーガ』はとても読みやすく、『Y氏』よりも先に読み終わってしまい、今は次を読もうと思っているところです。ただ1つ気になったことがあって、それは「わかりやすい」「読みやすい」ファンタジーというのは一体何なのかということでした。


 ファンタジーと言っても色々あるでしょうが、基本的には「どこにもない場所」を描いたもの、もしくは普通の世界に「考えられない事」が起こるもの、のどちらかでしょう(『Y氏』はその両方をやっています)。『ネシャン・サーガ』はもちろん、主に「どこにもない場所」を描いたものです。ただその「どこにもない場所」はやけに想像がしやすい。もともと西欧のファンタジーの多くは、アーサー王に代表される中世騎士物語から素材を取ってきていますし、日本のRPGゲームなどがそれを再生産しているため、私たちが剣とか魔法とか竜とかをイメージしやすいのは当然なのですが、それだけではありません。「ネシャン」という架空の世界に出て来る山は、私たちが普通に想像する山とどうも余り違わないし、それは食べ物や服装にしてもそうです。見た事もないような動物や植物も出て来るには出て来るのですが、それも普通の動物や植物を少し加工すればイメージが作れるようなものばかり。何と言うか、基本的に「想像の範囲」で書かれているのですね。さらには、最近のファンタジーの多くがそうであるように(これはゲームの影響もあるのですが)、ちゃんと地図までついている。だから少なくとも読者は主人公たちがその世界の「どこにいるか」はわかるのです。つまり「どこにもない場所」ではあるけれど「地図にない場所」ではない。

 それに比べると、『Y氏』で描かれる意識の世界は、少なくとも私たちが通常思い浮かべるような「地図」で描ける世界ではありません(一応その世界なりの法則はあるようですが)。なので主人公たちがその世界の「どこにいるか」はさっぱりわからない。その意味では、『Y氏』の方がファンタジーとしての「純度」は高いのかもしれない(良い悪いは別として)と思っていたのです。そしてついでに言うと、カルヴィーノの『見えない都市』に描かれた数々の都市は、「どこにあるか」がわからないだけではなく、存在するのかしないのかも、もちろんそれぞれの関係もさっぱりわからない、完全に言葉だけで構築された都市で、その意味では最高純度のファンタジーなのかもしれないなあ、と相変わらずちょびちょびと齧りよみをしながら考えたりもするのでした。

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最終更新日  2008年02月10日 20時07分32秒
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ありがとうございます  
shov  さん

こちらこそ!  
クレズマー  さん
コメントありがとうございました。
この長ったらしい文章のブログをいつも読んでいただいて嬉しく思ってます。shovさんのブログにも面白そうな本を教えてもらって感謝しきり。またshovさんに教えてもらった本をとり上げる予定ですので、これからもよろしくお願いしまーす。 (2008年02月10日 21時51分13秒)

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