読書地図

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2008年03月02日
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カテゴリ: 読書


 Amazonのレビューや、ブログのレビューなどを読んでいて、最近気になるのが、「主人公に共感できない」という評、ないしは感想を、しばしば否定的な評価の理由として見かけることです。主人公(もしくは登場人物の誰か)に感情移入して読むというのは、確かに1つの小説の読み方だし、それを要求している小説もあるでしょう。でも、何も世の中そういう小説だけではないだろうと思うし、そういう小説に「共感できない」と言うのは、少し的外れではないかと。

 かつて高橋源一郎が、小説を読むというのは、「別の人生」を生き直すことだと、どこかで書いていました。主人公が自分が思いもよらないような思考を展開したり、自分にはとても縁のないような経験をするのを読んで、それを読者自身が「生きてみる」こと。「共感」とか「感情移入」が、主人公を自分に引き付けることだとすれば、別の人を「生きる」というのは、むしろ自分を主人公に引きつけてみることではないかと思います。それは言い換えれば、自分以外の「他者」に出会うことと言ってもよいかもしれません。少なくともそういう小説の読み方というのもある筈。

 ただ一方で、全く馴染みのないもの、全く理解できないもので埋めつくされた小説というのは果して可能なのだろうかとも考えます。以前 『ネシャン・サーガ』について触れたとき 、その世界が読者にひどく馴染みのあるものから出来ていると書きましたが、最初から最後まで本当に全く想像もつかないようなものしか出てこない小説というのは、おそらく存在しているのでしょうが、読むのも書くのもひどく困難なものになるような気がしてなりません。

 その後、『ラナーク:四巻からなる伝記』を読んでいるときに1つ気がついたことがありました(ちなみにラナークは読みかけのまま中断しています)。『ラナーク』の第一部は、私たちが馴染んでいる世界とは相当かけ離れた、加えて通常のファンタジーやSFでも余り出てこないような、とても異質な世界が描かれます。つまり、ファンタジーとしての「純度」が高い世界。そこの世界に住んでいる人々の行動も、今ひとつ理解不能です。ただそれでも、主人公の行動だけは、共感できるかどうかはともかく理解はできるようになっています。主人公はその異質な世界に馴染んでいないという設定のために、その世界を「おかしな」世界と感じることができ、読者もまた主人公を通じて、その世界が「おかしい」ことを再確認できるのです。おそらくそうすることで、読者は異質な世界と関係を持つことができるのでしょう。


 ファンタジーやSFに限らず、例えば外国を描いた日本の小説が、しばしば主人公を日本人に設定するのも同じ理由なのだと思います。須賀敦子、堀江敏幸、堀田善衛等、自分の海外での経験を基にして、エッセイともフィクションともつかないものを書く人たちはもちろんですが、完全なフィクションでもそういうものがしばしば見受けられます。思いつくままに挙げれば、加賀乙彦の『フランドルの夜』もそうだし、辻邦夫の『夏の砦』もそうだし、今たまたま読んでいる、多和田葉子の「ペルソナ」(『犬婿入り』所収)もそうです。小説ではないですけど、浦沢直樹の『MONSTER』もそうですね。あれなんか、どうして主人公が日本人でなければならないのかさっぱりわからないのですが、多分そうしないと、読者が物語に付き合ってくれないということなのか。


 そこまで考えて思い出したのが、カフカの『城』。あれは、小説の舞台となる町と城が、何かある論理に従って機能しているようなのに、その論理が判らず、従って町や城に住む人々の行動も理解できないというだけではありませんでした。主人公たる測量技師Kは、読者と同様、一応その町の仕組みや人々の行動が「理解できない」ことを表明してくれるのですが、そもそもそのKの行動自体も、行き当たりばったりで何がしたいのだか、読者には(少なくとも僕には)さっぱり「理解できない」のです。『審判』とか『変身』は、もう少し主人公の行動や感情が理解できた気がするのですが、ともかく『城』は、そこに出てくる登場人物の誰一人として理解も共感も出来ないという恐ろしい小説なのでありました。いやあ、読みにくかったわけです。一応最後まで読みましたけどね。


 それでもまだ『城』に出てくるのは人間であって、理解はできないにせよ、一応人間らしい行動はしてくれる。これが人間以外の生物だったらどうなるんでしょう。人間とは全く違う論理で動き、全く違う事を考え(そもそも考えるのか?)、全く違うことを行う生き物しか出てこない小説って可能なんでしょうか。『ウォーターシップダウンのうさぎたち』とか『冒険者たち』とか、基本的に動物しか出てこない名作もありますが(どちらも大好きです)、そこでは動物を擬人化して描いているわけで、何もうさぎ的思考、ねずみ的思考を追求しているわけではない。せいぜい私たちが普段馴染んでいるものについて違った視点を提供してくれるくらいです(それはもちろん夏目漱石の『我が輩は猫である』、及びそれへのオマージュである井上ひさし『ドン松五郎の生活』も同様)。そうではなくて、全く異質な思考を人間の言葉に翻訳したような・・・。そんなことを夢想していたら、昨日ブックオフでたまたまベルナール・ウエルベル『蟻』という小説を発見してしまいました。何でも「主人公はアリ」とのことですが、まあ、パラパラ見た限りでは、人間も出て来るようだし、多分そんなにラジカルな小説ではなかろうと思いつつ、つい購入(上下で200円だったし)。いや、もしかすると、出来ればそんなにラジカルな小説でない方がありがたいのかも・・・。


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最終更新日  2008年03月02日 21時02分17秒
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