読書地図

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2008年02月27日
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テーマ: お勧めの本(8118)
カテゴリ: 歴史

  ナチ政権下のドイツで。
  そういう状況で言葉の力を発見したのはなんとふさわしいことか」
          (マーサーク・ズーザック『本泥棒』)




 (今回は、前回の続きになっていますので、もし読んでいないという方がいましたら、一つ前のエントリから読んで頂ければと思います)『本泥棒』の語り手は「死神」です。この突拍子も無い設定と、その「死神」による、スラスラと流れるような語りというよりは、どちらかというとランダムでゴツゴツとして語りは、最初ひどく戸惑いました。けれども読んでいくうちに、その純粋な一人称でも純粋な三人称でもない不思議な文体が、語られる対象との絶妙な距離感を生み出していることに気付き、全く違和感が無くなるとともに、むしろこの小説はこの語りの形式でなくてはならなかっただろうとまで思うようになってしまいました。一人称や三人称であれば、おそらくこの小説はもっと感傷的でべたべたしたものになっていたでしょう。それがこの形式によって、「優しく突き放す」ような適度にウェットなリアリズムが実現している。

またおそらくこの形式は、全知の神のような存在による語りという形式で書かれた19世紀小説のパロディなのでしょうが、19世紀小説の「全知の神」が実のところ作者の化身であるのに対して、『本泥棒』の死神は作者ではない。そのため、作者にすら語りにくいことを、「死神」が代わって語ってくれるということになるのです。本の帯には、『タイム』誌からの引用として「すごみのあるブラックユーモアを使って、一見暗く暗鬱な主題を耐えられるものにしている」という評が載っていて、「暗く陰鬱な主題」を「耐えられる」ものにすることが果して必要なことなのかどうかよくわからないのですが、少なくとも、「死神」でなければ語れないことを語っていることは事実だと思います。何より「死」をその重みをきちんと保持したまま、それでも尚単なる「死」として捉えるという。

小説は、主人公の女の子が(盗んだ)本を通じて「言葉」を覚え、「言葉の力」を獲得していくという筋立てになっており、それぞれの章は、そこで重要な役割を果たす「本」の題名になっています。これは本好きにはたまらない仕掛けでしょう。実際、この小説はとにかく本を読む喜びに溢れています。漫然と本を読んでいる日常をもう一度振り返させられるような。ついでに言えば、子供が本を通じて成長していくというのは、とってもジュナイブル的なのですが、それにもかかわらず、物語の最初から、最後はアンハッピー・エンドになることが示唆されており、それがまた物語に緊張感を与えることになっています。もちろんこの仕掛けが無理なく成立してしまうのは、語り手が「死神」であるからに他なりません。

 ・・・と褒めちぎってみた訳ですが、実は『本泥棒』を読んでいる間ずっと、こうした巧みさに感心しつつ、一方で何か納得のいかないものを感じ続けていました。それは、なぜこのっマーサーク・ズーザックというオーストラリア人はナチス・ドイツを小説の舞台として選んだのだろうかという疑問です。「訳者あとがき」によれば、作者は最初現代のシドニーを舞台に書こうとしたのですが上手くいかず、ドイツとオーストリア出身の両親から何度も聞かされた2つの話に、「本を盗む」というモチーフを合体させたところ、話ができあがったとか。けれども、前回書いたように、「ナチス」とは何なのかということをグダグダと考えていた僕は、もしその選択が、単に一つの極限状態を設定することで話をもっともらしくするためだけの選択だったらイヤだなあと感じていたのです。確かにベルリン五輪のエピソードや、ヒトラーの誕生日の描写、ホロコーストへの言及等々、物語の背景もとても丁寧に描かれてはいます。でもそれにしても、下手すると世界史の授業のようになりかねない気もして、やっぱこの物語がどうしてもナチスドイツでなくてはいけないのかどうかが納得できなかった。

 物語を残すところ後4分の1程度、というところで、突然そのことが腑に落ちました。詳しく書く訳にはいかないのですが、これは単に「言葉の力」について書いているだけではなく、「ことば」による支配に抗するための「ことば」の力について、さらには同時にその無力についても書こうとしているのだと気がついたのです。いや、小説のテーマを1つに絞ってしまうのは危険なことなので、言い換えますと、これが「ことば」をめぐる支配と(しばしば無力な)抵抗についての物語だと捉えることで、僕にはこの小説が一挙に説得力のあるものになったのです。ナチスを「言葉による支配」と捉えること。そしてそれを丁寧に描き出すことを通じて、「言葉による支配」は今もなお、決してなくなってはいないということを示唆すること。現代と歴史的出来事を無理矢理に結びつけるのではなく、一つの歴史的事例を丁寧に描ききることで、そこから現代にも連なるようなテーマを掘りおこしてくること。この小説がしていること(の1つ)はそれなのだと。それはまさに、「ナチス」とはそもそも何かと考えている僕に、何か手掛かりを与えてくれるものでもありました。

 そうすれば、上で褒めちぎったような技巧の数々も、単なる技巧のための技巧ではなく、そのテーマを生かすために何より必要な要素に思えてきます。つまり、小説としての楽しみを十分に備えつつ、なおかつその楽しみを通じてさらに多くのものを掬いだしてきている、と。うーん、実に見事です。読み終えたときの充実感は相当なものがありました。小説にはまだまだこんなことが出来る。いや、「言葉」にはまだまだこんなことができる。陳腐な表現になってしまいますが、本当に「全ての本好きに贈る」です。

追記:昨夜、ブログを書き終えた後、本棚の奥からH・マウ/H・クラウスニック『ナチスの時代――ドイツ現代史――』(岩波新書)が発掘されました。ひとまずこの本でも読んでもう少し勉強したいと思います。なお、1つ豆知識を。『本泥棒』の冒頭には、「死神」が赤・黒・白の3色について語るシーンがあり、「訳者あとがき」では、その3色がナチスの鉤十字の色でもあると説明しているのですが、『ナチスの時代』によると、そもそも赤・黒・白というのは、1918年以前の帝政ドイツの旗の色でもあり、1918年以後も、それを誇示することが、黒・白・金で出来たワイマール共和国の旗に対する敵意を表現することだったそうです(そしてその敵意を、ヒトラーは利用した、というのが『ナチスの時代』の作者たちの主張のようです)。

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最終更新日  2008年03月02日 14時01分15秒
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