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小学校4年の息子は少年野球をやっています。昨年、3年生のときに学校のスポーツ少年団に入部させていただいたのですが、野球をやりたい!と言う子供のためにはとても良いことだ、と、思う一方で、毎週毎週土曜も日曜もと、お世話が大変だ!と考える親の心中は複雑なものがあり、どこのスポーツクラブでも様々な問題があるようです。この親のわがまま?が、クラブに参加する子供の数を減らしている要因の一つになっているのですが、確かに子供のお世話をする大人にとっては、大変な労力を要するものであると思います。我が家でも、息子のスポーツ少年団入部に関しては夫婦でいろいろ話し合いをしました。小学校のスポーツ少年団くらいですと、年功序列型の選手の決め方なので、どんなに上手くても、試合に出られるのはどうしても6年5年が中心となります。となると、入団しても2年くらいの間は試合にも出れず、息子もそうだが、親も楽しみがない。そして、何よりも困ったのが、土日のほとんどが野球となることである。我が家には、6年生の女の子もいるわけで、土日のほとんどが野球となると、家族で遊びに行くこともできない。中学校くらいになると段々親とどこかへ出かけるという機会も減ってくるだろうし、今のうちに楽しい家族の思い出をいっぱい作りたいのに、野球のせいでどこにも行けなくなる。な~んてことをいろいろ考えながら、話し合いながら、この一年間やってきました。3年生の間の1年間は、私はスポーツ少年団の方には関わらないということで、お茶当番や子供の送り迎えは、ほとんど女房まかせにしていたのですが、小さな組織の中でもいろいろな問題があることあること。その多くは、保護者の中から出てくる文句や小言、主義主張というところですが、まあ世の中いろんな人がいるもんです。(苦笑^^;)スポーツ少年団という小さな組織に2,3年も子供と参加していると、段々態度もでかくなり、私物化しちゃってるわけではないのでしょうが、かなり勘違いしてしまってる方々もいらっしゃりまして、そういう人たちが作り出す雰囲気が、新しい人を入りにくくしてしまってるのではないかと思うわけで.....。仕事が忙しくてお世話にいけないお父さんやお母さんは、いつも人任せで、自分がお世話に行けないことに後ろめたさを感じ、たまに休みが取れたとしても、試合や練習など、我が子の活き活きとがんばっている姿を見に行きづらいようです。これでは本末転倒、スポーツ少年団のあり方も問われます。もっとサポートする側の保護者間の意思の統一、助け合いの配慮が必要だと思いますね。主体は子供にあるのに、親が自己主張しすぎる傾向にあるのが、子供のスポーツクラブなんでしょうかね。いろいろな話を女房から聞きながら、腹を立てたり、がっかりしたり、女房ともスポーツ少年団との係わりに関してよく口論になりました。結構、大人たちの間での見栄とプライドの火花がパチパチしていて、何だか感じ悪ぅ~って、私もなかなか入っていきにくかったです。女性の方には申し訳ないのですが、お母さん保護者の集団って嫌いなんですよね~。ちゃぶちゃぶチャブチャブおしゃべりしている”おばさん”の塊って、気色悪いんです。(笑)大抵の場合、ろくなこと話してないですから。去年1年に関して言えば、スポーツ少年団に引っ張りまわされすぎて、家のことや娘のことが疎かになる女房に相当頭にきてましたね。無駄に時間ばかり長くて、帰りが遅い時などよく喧嘩になったものです。女房は女房で、野球のお母さん仲間ができて楽しくやってるのに、旦那にいちいち文句言われてあっちも相当頭にきていたことでしょう。でも常に私が言うことの中に、息子と娘に平等に接しなさいということがあります。日ごろの会話でも、野球の話ばかりになりがちなところを、上手に話題を娘の話しに切り替える気遣いなどをうるさく言います。絶対子供たちに疎外感を与えてはならないと。人は必ず、楽しい方楽しい方へといきます。楽な方へ楽な方へと行くものです。そしてそんな時は必ず、周囲への配慮に欠けてきます。自分しか見えなくなり、周りへの気遣いがいい加減になってきます。子供の心はとてもデリケートです。些細なことでポキッと折れてしまうことがあります。その時はたいしたことなくても、トラウマとなって心に残ってしまうこともあります。「いい加減に扱われた。」と、子供に感じさせない配慮は、親には必要だと思います。大人になると、子供の気持ちがわかりません。だから分かろうとする努力が必要です。体験したことのないことは、実感として理解できません。だから一緒になって体で感じようとする努力が必要です。できる人には、できない人の気持ちがわかりません。何でこの程度のことができないの、と腹を立てる前に、その人の目線に合わせて一緒に考えてみる努力が必要です。そして、そのことに感謝する気持ちが大切なのでしょうね。子供たちや、できない人たちのお陰で、大変多くの学びをいただいているのですから。子供とのかかわりの中には、本当に多くの気付きと学びがあります。今度は、春からスポーツ少年団デビューした私の奮闘?をご紹介します。乞うご期待!
2007/04/21
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自分は孤独だ、って感じたことがありますか?私は、自営業という職業柄か、いつも「孤独」を感じる時があります。家族もいて、友達もいて、仕事仲間もいて、お客さんもいて、なのに、孤独感に押しつぶされそうになることがシバシバあるんです。不安で不安でたまらない。そんな感情がわけもなく込み上げてくる時があるんです。誰も自分のことなんか理解してくれない。そんな勝手な思い込みで、一人で暗く憂鬱な気持ちになる時があるんです。誰も助けてくれやしない。まるで、世の中を敵に回して生きているような気持ちになる時があるんです。そりゃまあ営業なんて仕事をしてると、嫌なことも多々あるわけですが、何か問題や壁にぶつかった時、特に人間関係で不調和が出てきた時などは、ドーンと落ち込みもひどく、ウツ状態になってしまいます。いやウツなのかも...?始めは相手への怒りや不満だったりするのですが、そのうちこれは自分が引き起こした問題で、悪いのは自分なんだ、という風に、自虐的思想になっていき、それが見事?ハマッてしまうとドーンと底まで行ってしまうのです。実は先日も激しいウツに襲われて、かなりやばい状態まで行ってました。(笑!)きっかけはちっちゃなことです。(今から思えば。)それがドンドンドンドン悪い方へ悪い方へとハマッてしまい、もうダメだ.......、ってところまで行きました。その時にポチポチと書き残したのがこれ。 ↓ ↓ ↓ (恥ずかしいんでちょっと小さい字で...)切れちまった。自分の中の何かがプッツリと切れてしまった。何もかもがもう嫌になってしまった。もう何に怒ってるのかさえもわからねぇ。あらゆるすべてのものに腹が立つ。そしてそれはいつしか失望へと変わり、無気力が僕をつつんだ。今までの自分は何だったのだろう?結局オレには今みたいな不貞腐れた人生がお似合いなんだろう。変わろうとした。変わりたいと思った。でも誰もオレを認めようとしねぇ。ずっとずっと戦ってきたこの勝負に、ついに心が折れてしまった。もう立ち上がる気力もねぇ。あぁ、もうなんもしたくねぇ。誰にも会たくねぇ。誰も信じられねぇ。変わらなきゃって、人から認めてもらわなきゃって、我慢に我慢を重ねてがんばってきたけど、所詮オレはどーあがいてもこの程度なのさ。ボケーっと何にも考えてないようでも、頭の中をグルグルグルグルいろんなことが回ってる。怒り、失望、不安、妬み、悔しさ...そんな感情で埋め尽くされてる。最悪。何のために生きているのか。何度も何度も考えさせられてきた。自分の存在意義を知りたくて、いろんな模索もやってきた。自分なりに納得して、生きる勇気を持てたこともある。生きる意味を感じたこともある。でもそれはいつだって、わかったつもりでいただけ。答えがわかったら、もう生きてる必要はないのかもしれない。いろんなものが見えてしまう。いろんなものの意味が感じ取れてしまう。そんな気になっていただけ?この無気力感は、自分が生み出したもの。自分の中にある感情に恐怖を感じる。自分はどうなってしまうのだろう...(とまぁ、自分で読んでみても、なるほどなるほど、 オレらしい文章だわと苦笑いです。^^;)この翌日、事態を重く感じた女房が話ししよう、って。女房と2週間くらいまともに口も利いてなくて、ここがギリギリのタイミングだったのかもしれません。話をしようとした途端.......、涙がドーッと溢れ出し、号泣。すねた子供が、母ちゃんに優しくされ、ワーッと泣き出す感じのやつ。恥ずかしいったらありません。夫婦生活至上?最も悔やまれる?瞬間でした...。(恥)ここで話すのも何なんですが。(オレはアホか?)今までブログで偉そうなことをノタマッテきましたが、所詮この程度の男なんです。お恥ずかしい...。ただ、この時間が持てたお陰で、立ち直ることができたのは事実です。苦しい、つらい、不安だ、今まで自分一人で抱え込んできた感情を、いろいろ女房に聞いてもらい、話し合うことで、背負っていた荷物が降ろせたような気がします。女房相手じゃろくな答えは出ないんですけどね。ナハハ~。なんてことを言ってるからダメなんでしょうね~。(苦笑)けど思うんです。やはり人生は「孤独との戦い」だと。人生のどんな場面に置かれても、結局答えを出すのは自分なんだと。助けてくれる人がどんなに周りに居ようとも、最後に答えを出すのは自分自身なんだと。その答えに正解も不正解もないのでしょうが、自分の出した答えに従いながら前に進むしかないのです。これでいいのか?これでいいのか?常に自問自答の人生です。不安で不安で、その気持ちに押しつぶされそうになりながら、それでも自分なりの答えを見つけながら前に進むしかないのです。そして、その不安な感情のほとんどは自分の思い込みであることに、そのことに後になって気づきます。でも、その時間や過程を乗り越えることで、自分なりの答えを見つけるのかも知れません。だから、男はつらいよ~、なんて泣き言も、言えばいいんだと思います。ホントに泣いたっていいんです。(私はやってしまいましたから。ハハ...^^;)デトックスが流行ってるくらいですから、体の毒素だけでなく、心の毒素も出さなきゃやっぱり病気になります。自分の気持ちが正直に出せる人ってうらやましいです。どこかで格好をつけて、弱みを見せないように、”無理”をしてしまいます。もっと裸の自分が出せる生き方がしたいものです。とりあえず、辛いことがあったら、みんなでドンドン泣いちゃいましょう!ハッハッハ~!
2007/04/18
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人は、不合理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。 目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。 善の行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしよう。 気にすることなく、し続けなさい。 あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。 あなたのつくりあげたものが、壊されるでしょう。 気にすることなく、作り続けなさい。 助けた相手から、恩知らずな仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく、助け続けなさい。 あなたの中の最良のものを、この世に伝えなさい。 蹴り返されるかもしれません。 でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。 マザーテレサお久しぶりに、ブログに帰ってまいりました。(笑!)昨日、超越敏先生のところへお邪魔したときに、「タケ侍さん、ええハガキが届いたけぇ見せてあげるわ。」とそこに、このマザーテレサの言葉が書かれていました。深い、実に深い言葉だなぁ~と感動し、早速ブログに載せちゃおうとインターネットで調べてみるとなんと、この言葉は、「ケント・M・キース」さんという方の「逆説の10カ条」から引用されているそうです。いずれにしても、マザーテレサも感動したこの言葉に、救われた人も多いことかと思います。とらわれない心、し続けることの大切さ、人生の意味をみつけるためのヒントがいっぱい詰まった言葉ですね。いや、正しく言うなら、人生の意味は、”見つけるもの”ではなく、”見つかるもの”、でしょうか?「し続ける」ことで、「し続ける」ことの中に、人生の意味が見えてくるのでしょうね。「し続ける」ために、自分の信じる道を歩み続けるために、勇気を与えてくれる言葉ですね。すべての出会いに感謝。ありがとうございます。
2007/04/12
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